幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 TAURUS

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」は80年代初頭のオランダ・プログレッシヴから伝統的にして正統派ユーロ・ロックの抒情派、親しみ易くてどこかしら人懐っこくホットでポップスなメロディー・ラインが魅力的な“タウラス”を取り挙げてみたいと思います。

TAURUS/Illusions Of A Night(1981)
  1.Back On The Street/2.The Gurus/3.Mountaineer/
  4.Farmers Battle/5.Illusions Of A Night/6.Kaboom/
  7.My Will/8.Barbara/9.Nickname/
  10.Same Old Story/11.Sutton
  
  Martin Scheffer:Vo, G
  Rob Spierenburg:Key, Vo
  Rex Stulp:Ds, Per
  Jos Schild:B, Moog-Taurus

 タウラスというバンドが我が国に初めて紹介されたのは、今を遡る事32年前の1987年。
 その前年の1986年オランダからコーダが衝撃的なデヴューを飾ったのを契機に、Sym‐Infoレーベルが設立され呼応するかの様にディファレンシスやエグドン・ヒースといった当時のニューカマー達が雨後の筍の如く登場した同時期に、デヴューから6年遅れでマーキー誌面で初登場したのを今でも記憶している。
 コーダの登場で興奮冷めやらぬといった感の80年代のオランダのシーンではあるが、前述のディファレンシスやエグドン・ヒースに於いては未だ見切り発車を思わせる様な稚拙で未熟な部分が散見出来て、私自身でさえもコーダに続く新たな波というものに正直なかなか乗り切れなかったというのが当時の本音でもあった(苦笑)。
 そんなさ中のタウラスの登場は、既に高額なプレミアムが付いていたとはいえ幻影的なイマジネーションを脳裏にかき立てる意匠に一抹の期待感を抱かざるを得ないのは言うまでもあるまい。
 それから3年後に漸く苦労の末…新宿の某中古廃盤専門店から入手した彼等のサウンドは、まさしく幻影的なジャケットのイメージ通り期待に違わぬ70年代ヴィンテージな空気と色合い・風格をも兼ね備えた威風堂々たる素晴らしい出来栄えに、一人静かにプレイヤーの前で感動の余韻に浸りつつタウラスの紡ぐ夢物語と欧州浪漫を暫し噛み締める思いであった。

 タウラスの結成は76年説と78年説とがあるが、後年リリースされた未発表曲集から察するに結成は1976年とする方が正しいと思える。
 70年代ダッチ・プログレッシヴ全盛期に於けるフォーカス、フィンチ、アース&ファイアー、トレース、カヤック…等よりも次世代的に若い部類ではあるが、彼等もまた前述の先人バンド並びブリティッシュ系のイエスやキャメル影響下を思わせるメロディーラインを踏襲したユーロピアン・フレーヴァー溢れる泣きの抒情性を色濃く打ち出しつつも温かみある良質なポップスセンスをも兼ね備えた、バンド自らが正統派プログレの継承者たるものを強く意識した趣が感じられる。
 バンドリーダーと思えるギタリスト兼リードヴォーカリストのMartin Schefferを筆頭に、メロディーメーカーとおぼしきキーボーダーのRob Spierenburg、ドラマーのRex Stulp、そしてベーシストのJos Schildの4人で結成され、曲作りとリハーサルに1~2年間費やされ、78年頃を境に精力的にライヴ活動を開始し、当時に於いて既に7~10分強の長尺の曲をもレパートリーに取り入れつつ数々のフェスティバルに参加して、かつてのプログレ・ファンの心を鷲掴みにすると共に新しいファン層をも増やしていった。

 ここで肝心要なバンドネーミングの由来について…メンバーの誰かの誕生日が牡牛座だったからとか、ベーシストの所有しているモーグ・タウラス(ペダル・ベース)が同じ牡牛座の名前だからそれでいいやと冗談で命名したとか、まあ兎にも角にも諸説様々な経緯が語られている彼等ではあるが、まあ今となっては一種の笑い話として留めておきたいところであるが(苦笑)。
 2年以上に亘る精力的なライヴ活動とプロモートの甲斐あって、1980年にフォノグラムとの契約を交わし同年8月に待望のデヴュー・シングル“Meadow/Undiscovered”をリリースし、オランダの国営ラジオ局やFMから40回以上もオンエアされて、(大ヒットまでには至らなかったものの)国内の幅広いプログレッシヴ・ロックのリスナーやファン層から好評と支持を集めるまでに至る。
          
 知名度を上げた彼等は翌1981年に心機一転、CBS傘下のMULTIと契約し遂にユーロ・ロック史にその名を刻む名作『Illusions Of A Night』のリリースまでに漕ぎつけた次第である。年明けの1月~2月にかけて録音され5月にリリースされた本作品の魅力は、やはりダッチ・プログレの伝統を継承しつつも変にベタベタした泣きの叙情性だけに寄りかかる事無く、70年代独特の色合いと気概に満ちた作風の中にも80年代という新たな時代の幕開けに相応しい突き抜けるような開放感に、ソフィスティケイトされた極上なポップス的風合いとが見事にコンバインされたところに尽きると言えるだろう。
 決してブリティッシュ・ポンプな方向性や後々のメロディック・シンフォ風に寄りかかる事無く、自らの信念と情熱に基づいた正統派の王道を歩む真摯な姿に、誰しもが“嗚呼、これこそがユーロ・プログレの真髄である”という事をまざまざと見せ付けられた思いになった事であろう。
          

 ハモンドにメロトロン、ギブソン・レスポール、リッケンバッカーといったプログレ愛好者なら言わずもがな納得出来る往年の名器級ともいえる機材のオンパレードにも狂喜乱舞される事だろう。
 全曲共クオリティーの高さはお墨付きながらも、やはりMartinとRobのメロディーメイカー二人の力量と音楽的素養の深さとスキルの高さには筆舌尽くし難いものがあると言ったら大袈裟であろうか(苦笑)。
 どことなくアンダーソンをも彷彿とさせるMartinの歌唱力に時折ハッとさせられたり、Robのキーボード・ワークはバーデンスやウェイクマン風というよりもトニー・バンクスに近いものが感じられたり、彼等の唯一作を回数を重ねて耳にする度に新たな発見と驚きがあるのも特筆すべきであろう(特にロブの瑞々しいピアノワークには是非注目して欲しい)。
 それぞれの恋人に捧げたであろうMartinのアコギのソロナンバーが泣かせる8曲目や、ラストのRobのピアノソロも必聴曲として聴いて貰いたいところだ。
 アルバムリリース直後と前後してオランダ国内ツアーを行い、ツアーの途中でドラマーがRexからDennis Plantengaに交代しつつも彼等は歩みを止める事無く精力的に演奏し、オーディエンスの期待に精一杯応え次なる展開へと模索しつつあった(このライヴツアーの模様は後年『See You Again~Early Live』で完全収録された形でリリースされた)。 
    

しかし…運命とは何とも皮肉なもので、あれだけの精力的な活動とは裏腹に彼等もまた時代の流れに抗う事も叶わず、活動意欲の停滞に加え人気の方も徐々に下降線を辿らざるを得ないという過酷な現実を目の当たりにしてしまう。
 結果、1983年に77年~解散直後の1982年までのライヴ・マテリアルを編集した『Live Tapes』という企画物ライヴ盤をリリースし、長い様で短かった創作活動に終止符を打ち彼等タウラスはその数年後に発掘されるまでの間忘却の彼方へと追いやられてしまった次第である。
 件の『Live Tapes』の方も、年代によって音質のバラつきこそあれど各曲のクオリティーはどれも高くて流石タウラスの面目躍如と言いたいところではあるが、いかんせんモノクロのライヴ・フォトのみがプリントされた何とも自主製作然とした、お世辞にも見た目の印象が薄くて正直余りピンと来ないのが本音であり、バンドの終焉を飾るには余りにも寂しいものを感じてならない(私自身も、過去に一度新宿の某中古廃盤専門店で一度お目にかかった事があるものの何だか直視出来なかったのを記憶している…)。
 1987年にマーキー誌の尽力の甲斐あってタウラスの唯一作が陽の目を見る事となり、漸く世界的規模に知名度が知れ渡る事となったのは最早言うまでもあるまい。バンドサイドの方もそれに呼応するかの様に、古巣のMultiを経由して未発表曲集の『Works 1976-1981』(肝心なドラマーのみが不在で、ドラムパートをリズムマシンによる打ち込みで補ったというマイナス面こそあれど)をリリースしその健在ぶりをアピールし、タウラスの紡ぐファンタスティックな音世界を待ち望んでいたファンにとってはまさしく素晴らしい贈り物となった筈であろう。
          
 特筆すべきはその『Works~』のトップを飾るのがデヴュー・シングル曲の“Meadow”というところが、彼等にとってもタウラスというバンドの持てる力を、未発表曲集という形で思いっきり出し切ったまさに会心作と言えないだろうか…。
 その後、未公開のプロモーションとライヴ・フォトを網羅掲載した2枚組ライヴ盤のヴォリュームに匹敵する『See You Again~Early Live』をリリースし、その後も忘れかけた頃になると未発のマテリアル作品やコンピ作品集を単発でリリースし、現在にまで至っている次第であるが、肝心なメンバーのその後の動向が皆目見当が付かないのが正直なところで大いに気を揉ませているから困り者である(苦笑)。
 音楽活動から完全に身を引いて各々が新たな人生を謳歌しているのか、或いは運命に導かれるかの如くいきなりまたサプライズ級で度肝を抜く様な作品でも模索しているのだろうか…。
 いずれにせよ、彼等タウラスの唯一作があと数年後には紙ジャケット仕様のSHM-CDで聴かれる日もそう遠くはあるまい。

スポンサーサイト



夢幻の楽師達 -Chapter 14-

Posted by Zen on   0 

 11月第一週目、今月最初の「夢幻の楽師達」は80年代初頭のブリティッシュ・ポンプロック勃発時に於いて、極端なまでにゲイブリエル在籍時代のジェネシスイズムを継承した作風で瞬く間に注目を集め、アートワーク含めクールにしてダーク…そしてインテリジェントな研ぎ澄まされた知性を武器に、昨今リリースされた新譜で今や40年選手近いキャリアを誇る大ベテランにして、80年代ポンプロックシーンが生んだ屈強の頭脳集団とも言える“IQ(アイキュー)”に焦点を当てて、改めてその38年間の長き道程を振り返ってみたいと思います。

IQ
(U.K 1981~)
  
  Peter Nicholls:Vo
  Mike Holmes:G
  Martin Orford:Key
  Tim Esau:B
  Paul Cook:Ds

 80年代初頭に大英帝国で勃発したプログレッシヴ・リヴァイバル…通称“ポンプ・ロック”なるムーヴメントは、Pomp=豪華・栄華といったその言葉とは裏腹に、往年の70年代プログレッシヴ黄金期を崇拝・敬愛する者達にとっては(当ブログで何度も言及してきたものの、今となっては一笑に伏される話ではあるが)、勃発当時なんてそれはもう嘲笑にも似た侮蔑或いは蔑みにも近い忌み嫌われの対象として捉われてきた感は否めない。
 デヴューシングルが大ヒットとなって一躍注目の的となったマリリオンを突破口に、パラス、今は亡きトゥエルフス・ナイト、更には雨後の筍の如くペンドラゴン、ソルスティス、そして今回の主人公でもあるIQの登場は、80年代当初いろいろと賛否両論やら憶測こそ招いたものの、今世紀・今日までに至るシンフォニック・ロックへの礎と道程を築き繋いでいったのは紛れも無い確証たる事実と言えるだろう。
 まあ…良し悪しを問わず当たらずも遠からず当時隆盛を誇っていたNWOBHMの波に乗って、マリリオンのデヴューアルバムみたくやや見切り発車とでも言うのか、未熟な域から抜け切れないまま青田刈りといった形容に相応しく大手メジャーなレコード会社の口車やおだてに乗せられた経営戦略の道具に利用され、“とりあえず唾付けとけ”といった商魂ミエミエ感に、自分自身少なからず今でもあの当時のネオ・プログレに対するぞんざいな扱われ方を思い返すと辟易してしまう。
 そんなさ中においてクオリティー云々の良し悪しを抜きに自主リリースながらも、相応に高い好評価が得られたIQやソルスティスはまさしく奇跡の賜物にして稀有な存在だったと言っても過言ではあるまい。

 悲劇のタイタニック号が出港した事で知られる、栄華を極めたかつての港湾都市の名残を残すサザンプトンにて1981年 Peter Nicholls、Mike Holmes、Martin Orford、Tim EsauそしてMark Ridoutの5人の若者達によってIQのオリジナルラインナップが出揃う事になるが、翌1982年はドラマーがPaul Cookに交代してIQの栄光の歩みはここに本格的に幕を開ける事となる。
 彼等自身がフェイヴァリットとする初期から中期のジェネシス+スティーヴ・ハケットが持っていた方法論と精神を継承した、伝統と正統派ブリティッシュ・プログレッシヴの王道を地で行く真摯で頑なな姿勢で地元のクラブを始めロンドンのロックの殿堂マーキークラブにてレギュラーで定期的に出演回数を積み重ね、彼等の評判と知名度は瞬く間に上昇すると共に、82年に自主製作したカセット作品『Seven Stories into Eight』でバンドの人気は決定的なものとなる(後年『Seven Stories into Eight』も1998年にリマスタリングされCDリイシュー化へと至る)。
 翌1983年、自主製作特有の粗削りで録音クオリティーが今一歩といった印象ながらも、ヴォーカリストPeterが手掛けた摩訶不思議なジャケットデザインに包まれた待望のフルレングス・デヴュー作『Tales from the Lush Attic』は、極端に御大のゲイヴリエルを意識した歌唱法とメイクに加え、並々ならぬハケットやバンクスへの敬愛とリスペクトが感じられるギターにハモンドとメロトロンを大々的に駆使した鍵盤系の大活躍に、概ね見切り発車的だったマリリオンのデヴューに意気消沈していたファンは歓喜の唸りを上げ大々的に喝采を贈った。
 余談ながらも少しだけ本作品にまつわるエピソードに触れておくと、初回プレス盤は淡い水色が下地でバンドロゴも異なっており、自分自身が某プログレ輸入盤店で入手した時にはもう既にレッド(小豆色)の下地でバンドロゴも変わったセカンドないしサードプレス盤のみが出回ってて、後にも先にも初回オリジナルプレスとは数年前にたった一度某店頭でお目にかかっただけという縁遠い存在となってしまったのが何とも惜しまれる限りである(内容等に全く変更が無かったのが幸いであるが、おそらく初めて日本の市場に出回った時はコバルトブルー地のセカンドプレスで、レッド地がサードプレスと思われる。ちなみに2013年にはデヴューアルバム30周年記念リミックス仕様CDもリリースされている)。
          
 デヴューアルバムの好評は彼等の人気に拍車をかけイギリス国内外でもツアーサーキットの回数が増え、続く84年に12インチシングルのIQ流プログレレゲエともいえる異色作「Barbell Is In」のリリースを経て、翌1985年にデヴュー作の延長線上ともいえる2nd『The Wake』をリリース。
 Peterの手掛けるイラストデザインが幾分キム・プーアを意識したタッチであるという事に加え、デヴュー作から較べると気持ちの余裕と音楽的な幅の拡がりをも窺わせる、同時代的にしてアップ・トゥ・デイトなセンスが光る好作品に仕上がっている。
     
 この当時に於いて彼等自身は国内外で年間200~300回以上ものギグを消化しつつフェスにも参加したりと、それに比例して人気もうなぎ登りに上昇していった次第であるが、そんな繁忙期に相反するかの如くメンバー間にはフラストレーションやストレスの蓄積が重なり、特にフロントマン的役割のヴォーカリストPeterが一番堪えていたらしく、医師からのドクターストップで活動休止までも余儀なくされてしまう有様だったそうな。
 メンバー間の対立こそ無かったものの、穏やかな生活を望んでいたPeterは泣く泣くグループから離れ、本来の正業でもあるイラストレーターに専念し、仕事7に対し音楽活動3の割合でスローペースながらも自らのプロジェクトNiadem's Ghostで細々と地道な創作活動に留めていた。
 幸か不幸か活動は軌道に乗る事無く作品すらもリリースされないままで終止したみたいだが、良い方に解釈すればそれが却って後々の為に備えたリハビリ兼充電期間だった事も頷けよう。

 Peterがバンドを去った時期と前後して残された4人は旧知の間柄だったPaul Menelを迎え、セルフリリースで良質な作品ながらも音質的には弱体と指摘された面を強化する為、人伝を頼りに大手のヴァーティゴ傘下だった新興レーベルSQUOWKと契約を結び、2年後の1987年に『Nomzamo』、そして89年に『Are You Sitting Comfortably?』といった、メジャーな流通ながらも決して商業主義には陥っていない2枚の好作品をリリースし、同期的存在のマリリオンと共に次世代のネオ・ブリティッシュ・プログレの担い手として確固たる地位を築くまでに至る。
          
 特に『Are You Sitting Comfortably?』にあっては、かのラッシュと共に多数の名作を世に送り出した名プロデューサーのテリー・ブラウンが起用され、シンフォニックなテイストとスピーディーな疾走感にも似たエモーションが結実した意欲作に仕上がっているのも特筆すべきであろう。
 ヴォーカリスト交代後も決してクオリティーが下がる事無く、むしろ順風満帆な軌道の波に乗っていた彼等であったが、90年代に差しかかるという非常に大切な時期であったにも拘らずヴァーティゴ側からの一方的な契約解消を突きつけられ、IQはバンド結成以来最大の危機に見舞われ、それから以降2年間は大いなる挫折を味わい辛酸を舐めさせられつつバンド活動の一切合財を全て停止してしまう。
 悪運と不幸は更に拍車をかけ、音楽的な方向性の食い違いからPaul Menelと長年苦楽を共にしてきたTim Esauの両名までもが脱退し、この時点で国内外の彼等のファン誰しもがIQはもう終わったものと落胆していたであろう…。

  しかし…そんな彼等とて、そういとも簡単に終わる筈が無かった。

 1991年、長らく待ち望んだバンドのフロントマンPeter Nichollsが心身ともにリフレッシュしてバンドに復帰合流した事により、今まで頭上に垂れ込めていた暗雲を振り払うかの如く、2年間もの停滞・低迷期から漸く脱したIQは新たな光明を見出すと共に、改めて90年代以降もその健在ぶりをアピールするかの様に再出発を誓うのだった。
 新たなベーシストにバンドデヴュー以前からの旧知の間柄だったLes Marshallを迎えて新作の準備に取りかかるも、僅かたった2回もの復活ギグの後、不慮の事故(病気?)でLes Marshallは帰らぬ人となってしまう。
 しかしこの事が逆に彼等を奮い立たせ、決して悲しみに臆する事無くまるで弔い合戦の如く新譜リリースへの原動力へと繋がったのは言うまでも無かった。
 大いなる挫折をも乗り越えた彼等が精一杯出来る事…それこそ亡き友への友情に応える事しか頭に無かったと言っても異論はあるまい。
 過去の失敗を払拭するかの様に、彼等自身のセルフレーベルGIANT ELECTRIC PEA(通称GEP)をも設立し、自らをコントロールし活動から運営に至るまで、全てに於いて彼等は自我に目覚め現在までもその飽くなき精神を貫き通している。
 新たなベーシストとしてARKを抜けたJohn Jowittを迎え、4年振りにリリースされた通算5作目の新譜『Ever』は、Peterのイラストデザインを含めて原点回帰を踏まえ初心に帰るという意味合い通りIQの再出発を飾るに相応しい会心の一枚となり代表作となった(GEPの第一回配給作品となった事も付け加えておく)。
     
 IQの復活劇は全世界中の多くのファンから大絶賛と共に温かく迎えられ、もうこの頃には単なる一過性のポンプ系バンドと蔑む者などおらず(最早この時点でジェネシスのフォロワーバンドと語る輩は皆無であろう)、名実共に70年代の大御所プログレバンドと並ぶ重要な存在へと認知される様になった。
 4年後の1997年、実質上これが90年代最後の作品にして大きな節目=ターニングポイントとなった2枚組のヴォリューム感満載の2枚組超大作『Subterranea』は、御大ジェネシスの『眩惑のブロードウェイ』とはまた趣が異なったロックオペラにも似たシンパシーを湛えつつも、シンフォニックなトータルアルバムとして最高峰級の完成度を誇る名作としてブリティッシュ・プログレ史に大きな足跡を残す偉業を為し遂げる。
   

 そして時代は2000年を迎え、20世紀と21世紀に跨ぐ形でリリースされた(20世紀最後の作品でもある)『The Seventh House』は意味深なデザインと相まって、ダークなイメージを纏った反戦というテーマすら想起させる今まで以上にシリアスな世界観を謳った異色作であると言えよう。
 本作品に於いてMike Holmes(プロデューサーも兼ねる)とJohn Jowittの両名がメインライターとなって、実質上ギタリストとベーシストによるイニシアティヴが遺憾無く発揮された、硬質で荒涼たる不穏なイマジネーションが反映されたと言っても差し支えはあるまい。
 同時期にキーボーダーのMartin Orfordが、自身のソロ作品『Classical Music and Popular Songs』に専念していた為、本作品に於いてはMartin自身あまりそう深く関与していないのがやや気になるところであるが、後々の事を考慮すればこれが彼とバンド側との拮抗というか軋轢の始まり(予兆)だったのかもしれない…。
 皮肉な事にその小さな不安は量らずも大きく的中する事となり、長年ギタリストのMikeと共にIQのメインライターとしてバンドのイニシアティヴを担ってきたMartin Orfordが、2004年リリースの通算第8作目『Dark Matter』を最後にバンドから去る事となったのは、バンドサイドのみならず多くのファンにも衝撃を与える事となった。
 Martin自身、非常に勤勉で真摯なアーティストであるが故に、心身の疲弊と重なって今日のネット社会に付随した音楽配信やらダウンロードに不快感と不信感を募らせていた事で、納得出来ない許し難いところもあったのだろう。
 そんなMartinの心の内の葛藤とは裏腹に『Dark Matter』の完成度はまさに最高潮と言わんばかりのテンションそのものだったというのも実に皮肉な限りである。
 前作以上にダークな様相を湛えつつ、IQらしい高水準な音楽性とメロディーラインが濃縮還元された、Martin自身万感の思いの丈が込められた集大成的な趣すら窺わせる。
 IQを辞めたMartinは、その4年後の2008年アーティストとしての最後のソロ作品『The Old Road 』というブリティッシュ・ロックスピリッツ溢れる素晴らしい好作品をリリースし、全世界中のファンから惜しまれつつ現役を引退し、現在はイギリス国内の某博物館の学芸員として招聘され多忙な毎日を送っているとの事。
 
 主要メンバーだったMartinが抜けたIQは後任Key奏者の選考に奔走するものの、それと前後して今度は一身上の都合により長年ドラマーを務めていたPaul Cookまでもが脱退し、バンドは事実上暫しの活動休止を余儀なくされる事となる。
 『Dark Matter』のリリースから5年後の2009年、IQは新たな2人のメンバーとしてドラマーにAndy Edwards、そして肝心要のキーボーダーに新進のシンフォニック・グループDARWIN'S RADIOのメンバーも兼任するという形でMark Westworthを迎えて、スタジオ作品通算第9作目の『Frequency』をリリース。
 電波とネット、ウェブサイト、SNS…それを取り巻く人間と自然界といった実に意味深で先鋭なテーマで構成された意欲作に仕上がっており、前任のMartinとは違ったMarkのキーボードアプローチに当初は戸惑うファンも多かったとか(苦笑)。
 こうして新たなメンバーを迎え、このまま上がり調子でバンドが続くものと予見していたファンの期待を他所に、バンドは結成から30周年を迎える事を機にまたしても大きな変革が訪れる事となる。

 2010年にドラマーのAndy Edwardsが抜け再びPaul Cookが戻ってきた事を皮切りに、キーボーダーのMark WestworthからNeil Durantにチェンジ、そして翌2011年にはJohn Jowittが抜けた後任に再びオリジナルメンバーだったTim Esauが戻って、実質上IQはKeyを除き再びデヴュー時のメンバーが顔を揃えるという異例の展開を見せる事となる。
 原点回帰…或いは初心に帰ったと言うべきなのか、彼等は結成30周年を節目にあのデヴュー当時の感性と気持ちに戻って発奮し、一心不乱に自問自答するかの如く新譜の製作に没頭した。
 2014年バンド結成から33年…記念すべき通算第10作目の『The Road Of Bones』、そして5年後の今年2019年には前作の流れを汲んだ続編的な解釈にして何とも意味深なタイトルの通算11作目の2枚組大作『Resistance』をリリースしIQサウンドここに極まれりと言わんばかりな、重厚にして厳か…そしてダークなイマジネーションとリリシズムを湛えた最高傑作の両作品として多くのファンに迎えられ現在に至っている。
     

 ここまで駆け足ペースで彼等の歩みを追ってきたが、スペースの制約の都合上…あまりダラダラと長ったらしい説明調的な回顧録みたいな文章だけにはしたくなかったが故、枝分かれみたいなIQファミリーツリーのバンド関連ジャディス始めビッグ・ビッグ・トレイン、アリーナ…etc、etcとの繋がり云々は敢えて省略させて頂いた事をお許し願いたい(その辺はIQを紹介しているウィキペディアのサイトを御参照頂きたい…)。
        
 前述でも触れたが、70年代プログレッシヴ偏重主義といった感のファンからあたかも蔑みの対象として捉われていたポンプ・ロックアーティスト達も、振り返ってみればマリリオン始めパラス、ペンドラゴン、ソルスティス、そしてIQも数えたらもう30年選手というキャリアを誇り、プログレッシヴ・ロック史に燦然と輝く名作・傑作を多数世に送り出し、巨匠という名に相応しい年代に入っているという事に改めて頭の下がる思いですらある。

 改めてIQというバンドに向かい合ってみて思う事は、過去一連の作品を再度繰り返し聴きながらも、彼等は決して天才肌でも熱血型の努力家タイプでも無く、バンドネーミング“IQ=知能指数”という言葉通りの天賦の才気に満ち溢れ、時の運や人脈と人望をも味方に付け大勢のファンに支えられ、様々な紆余曲折と試行錯誤を乗り越えて今日までの長い道程を歩んでこれたものであると信じて疑わない。
 彼等とほぼ同世代でもある私自身、あともう何年…否!何十年彼等の行く末とその創造する音世界に付き合えるかどうかは神のみぞ知るところであるが、彼等の知能指数が永続する限り自ら喜んでしっかり見届けていけたらと心から願わんばかりである。
 近い将来、クラブチッタで彼等の初来日公演の雄姿を思い描きながら…。

夢幻の楽師達 -Chapter 16-

Posted by Zen on   0 

 今週の「夢幻の楽師達」は、21世紀今日のフレンチ・ロックシーンにおいて、70年代以降の大御所クラスでもあるアンジュ、アトール、ピュルサー、果ては現在のロック・テアトルの雄ネモと並び、今やフランスの代表格にまで上り詰めた“ミニマム・ヴィタル”に焦点を当ててみたいと思います。

MINIMUM VITAL
(FRANCE 1983~)
  
  Jean Luc Payssan:G,Per,Vo
  Thierry Payssan:Key,Per,Vo
  Eric Rebeyrol:B
  Christophe Godet:Ds,Per

 今となってはもうだいぶ語り尽くされた感があるが、1968年の5月革命を境にフランスのロックシーンはその産声を上げたと言っても過言ではあるまい。
 黎明期のマルタン・サーカス、エデンローズ、レッド・ノイズ、コミンテルン…等を皮切りに、アール・ゾイから派生した大御所のマグマ、そしてザオ、多国籍の混成によるゴング、本格的なロック・テアトルの租とも言えるアンジュが台頭しつつ、ことシンフォニック系列にあっては後にクリアライト、ワパスー、ピュルサー、アトール、タイ・フォン、モナ・リザ…等を輩出し、70年代後半までフレンチ・シンフォはその隆盛を極めるまでに至った次第である。
 80年代以降になると、ムゼアレーベル発足までの間、プログレッシヴ=シンフォニック系は良くも悪くも一気にマイナー指向なアンダーグラウンドへと活動の場を移し、その当時の殆どが自主製作にとどまる事となるのは最早説明不要であろう。
 そんな厳しい状況下、アジア・ミノール始め、アラクノイ、テルパンドル、オパール、ウルド、ネオ、ウルタンベール、ステップ・アヘッド…等は、自主製作という範疇・制約にも拘らずフレンチ・ロック史に燦然と輝く名盤を遺していき、その輝かしいフレンチ・シンフォの系譜は、後の1986年…プログレッシヴ・オンリーのムゼア・レーベル発足と共に、今日にまで至る多種多彩にして十人十色、百花繚乱の如きシンフォニック・ロックシーンのメインストリームとして確立していく事となる。
 そして…レーベル発足当時のジャン・パスカル・ボフォ、エドルスと共に一躍ムゼアの顔として台頭したのが本編の主人公ミニマム・ヴィタルである。

 1983年。フランス南西部のワイン生産地でもあり輸出港として名高いボルドーにて、一卵性双生児でもある双子の兄弟…ギターを担当の兄Jean Lucとキーボード担当の弟ThierryのPayssan兄弟を中心に、ミニマム・ヴィタルは結成された。
 当初は彼等も他のフランス国内のプログレッシヴ系バンドと同様に、ブリティッシュ系に触発された形(特にジェントル・ジャイアント辺りからと思われるが…)で創作活動を開始するが、年数を重ねていく毎に自国のマリコルヌやアラン・スティーバルといったフレンチ・トラッド系の要素と融合を試みつつ、独自のバンドのカラーとオリジナリティー、方向性、アイデンティティーを確立するまでに至った次第である。
 2年間もの度重なるリハーサルと録音期間を経て1985年、彼等は実質的なバンドのデヴューに当たるテープ作品『Envol Triangles』をリリースする。完成度から言っても、まだ多少荒削りでアマチュア臭さこそあれど、後々の洗練されたヴィタル・サウンドの磨かれる前の光沢を放つ原石をも思わせ、新人離れした感のサウンドスカルプチュアは、まさしく未完の大器を思わせると言っても差し支えはあるまい。
 当時のメンバーは先に紹介したPayssan兄弟に加え、結成当初からのオリジナル・メンバーでもあるベーシストのEric Rebeyrol、そしてドラマーにAntoine Fillon、女性フルート奏者Anne Colasの5人編成であったが、テープ作品をリリース後ドラマーとフルートが脱退、後任のドラマーとしてChristophe Godetを迎えた4人編成で新たな再スタートを切る事となる。
 デヴューリリースしたテープ作品はフランス国内外にて高い評価を得、同時期に発足したムゼアの目に留まるまでにそんなに時間を要しなかった。
 1987年にムゼアからリリースされたシンフォニック・コンピレーションアルバム『Enchantement』にて、大御所のアンジュ、ピュルサー、アトール(クリスチャン・ベヤのソロ形式)、ジャン・パスカル・ボフォ、エドルス…等と共に参加し新曲1曲を提供。その一方で同時併行して正式なデヴューアルバム製作に時間を費やす事となる。

 同年末にリリースされた正式なデヴューアルバム『Les Saisons Marines』は期待に違わぬ、まさにミニマム・ヴィタルというバンドの幕開けに相応しい、テープ作品以上のポテンシャルと完成度を持った記念すべき第一歩と成り得たのである。
     
 変幻自在にして音楽的素養・教義の深さを感じさせる兄Jean Lucのギターも然る事ながら、ヴィタル・サウンドに色彩と奥行きを添える弟Thierryのリリシズム溢れるキーボード、強固で且つ堅実なリズム隊、ゲストの女性ヴォーカルを縦横無尽に駆使した音空間は、時に中世宮廷音楽を思わせ、フレンチ・トラッドに裏打ちされたアコースティックなカラーとクロスオーヴァーが違和感無く融合した唯一無比な“音の壁”だけがそこにあった。
 ちなみに後年の1992年、先に紹介した正式デヴュー以前リリースのテープ作品とLPでリリースされたデヴュー・アルバム共に2in1の形でCD化されデヴューアルバムのデザインを基に若干意匠と装丁に変化が加えられている事も付け加えておく。 
 フランス国内外にて好評を博したデヴュー作を追い風に、本格的なCD時代に突入した90年代。時同じくして1990年発表の第2作目『Sarabandes』は、彼等にとっても非常に意味のあるエポックメイキングな完成度を伴った名作級に仕上がったと言えよう。
 デヴュー作以上に洗練された楽曲に緻密に綴れ織られたアレンジ能力、ディジタリティーながらもアコースティックな感触、90年というアップ・トゥ・デイトな同時代的感覚がバランス良く盛り込まれた意欲作に仕上がっている。
          
 彼等の創作意欲はとどまる事無く、3年後の1993年リリースの3作目『La Source』においては、デヴュー当初から続いていた演奏重視のインストゥルメンタル・オンリーなスタイルから、ヴォーカルとのバランス良い比率を融合したスタイルに移行した、なかなか冒険的で且つ意欲的な作風に仕上がっている。
 冒頭1曲目で一瞬軽快なダンサンブル路線に変わったかと思いきや、そこには従来通りのヴィタル・サウンドがしっかりと根付いている事を忘れてはなるまい。
 そもそも3rdの本作品、リリース当初のプランでは創作舞踊劇をモチーフにした作風になるとの事だったそうな…。
     
 その証拠を裏付けるかの様に、95年にムゼアから発売されたビデオテープ・オンリーのプロモ映像では3rdの収録曲“Ann Dey Flor”の冒頭で女性舞踊家が華麗に舞うシーンが曲のイメージ通り実に印象的ですらある。機会があれば是非御覧になって頂きたい…。
 しかし、この…ほんの僅かな路線転換が本当の理由かどうかは定かではないが、長い間苦楽を共にしてきたドラマーのChristophe Godetがバンドを脱退してしまう。
 この思いもよらぬ青天の霹靂の如き出来事はバンド活動に多かれ少なかれ影響を及ぼし、ミニマム・ヴィタルが一時的とはいえ、あわや解体寸前という危機にまで陥ったのは余り知られてはいない。
 そんな直面した難局を無事に乗り切り今日にまで至る背景には、やはりミニマム・ヴィタルにとって心強い新戦力としてのみならず、バンドの更なる新たな方向性を見出す契機にもなった女性ヴォーカリストSonia Nedelecの存在を抜きには語れないであろう。
 新加入のSoniaと共に、ドラマーとしてCharly Bernaを迎えた5人の編成で臨んだと同時期に、アメリカやメキシコ、ヨーロッパ各国で開催されたプログ・フェスの招聘が彼等を更に勇気付け、プログ・フェスでの各国のプログレッシヴ系バンドとの新たな出会いと交流が更なる新作へのインスピレーションへと結び付けたのは言うまでも無い。
       
 前作から5年後の97年にリリースされた通算4作目の『Esprit D’Amor』は、歌姫Soniaと共にゲストで参加した女性Voとのハーモニー+ヴィタル・サウンドとの相乗効果が存分に発揮された快作に仕上がっており、プログ・フェスでの経験が活かされたワールドワイドな視点と拡がりを想起させる“Brazilian Light”や“Modern Trad’”といった歌曲は、今までに無かったヴィタル・サウンドの新たな可能性と新機軸を見出せる事が出来る。
 翌年、彼等初の1CDライヴ・アルバム『Au Cercle De Pierre』がリリースされる。ヴォリューム的には1CDというのが物足りない感がするもののエンハンスド方式にパソコン経由でライヴ画像とフォトの閲覧が出来るという画期的なものであった。
 ただ…やはり本音を言えばミニマム・ヴィタルの様なベテランクラスともなれば2CDライヴの方が(ヴォリューム的にも)似合っていると思うのだが…。
 バンドそのものは充電期間とも停滞期間とも揶揄されつつ暫し沈黙を守り続けるが、21世紀を迎えた2001年、新たな動向として双子のPayssan兄弟を中心としたプロジェクト“VITAL DUO”をスタートさせ、より中世古謡色とフレンチ・トラディッショナルを強めた『Ex Tempore』をリリースする。
 ここでは単なる“もう一つのミニマム・ヴィタル的”な捉え方よりも改めてPayssan兄弟の創作する音楽の根源と礎を再確認する上での、ある意味重要なファクターだったのかもしれない(後の2003年、VITAL DUO名義でプロモーション映像とライヴが収められたDVDもリリースされている)。
 2004年、間にライヴを挟みつつも実に7年振りのスタジオ作『Atlas』では、またしてもドラマーがDidier Ottavianiに交代し、歌姫Soniaと共に新たに男性ヴォーカリストとしてJean Baptiste Feracciを迎えた6人編成となっている。
 ギリシャ神話に登場する地球を背負う神アトラスと天文学とがインスパイアされた、壮大なイメージとクラシカルな中世古謡とのコンバインが絶妙にマッチした秀作とも言えよう。
     

 その後2005年には双子の兄Jean Luc Payssan名義でアコースティック・ギター、マンドリン、ブズーキのみを主体としたソロ作品『Pierrots & Arlequins』をリリース。
 レトロチックな感の意匠と音楽的な素養の深さを感じさせるアコースティックな音空間とがセピア色なイマジンを掻き立てる良質な作品に仕上がっており、改めてPayssan兄弟としての実力を見せつけた好作品としてそのコンポーズ能力には脱帽ものである。
 2008年末にリリースされた通産6作目『Capitaines』では、もう完全にドラムレスで臨んだPayssan兄弟(兄弟でPerも兼ねる)、Eric Rebeyrol、Sonia Nedelecという少数精鋭の4人体制(MIDIドラムとハープ奏者が一部ゲスト参加)で、マーメイド或いはセイレーンをモチーフとした意匠に加え、前作の天文学に引き続き今作は海洋学がコンセプト・キーワードとなっている。
 ややコンパクトに変化したかの様な印象を受けつつも、その実…前作と前々作で培われた音楽的経験が濃縮還元された、彼等の全作品中最も“今、自分達の演りたい音が完全に出来た”会心(渾身)の一作であるといっても過言ではなかろう。
          

 現時点での最新作として記憶に新しい2015年の7作目にして初のCD2枚組となった『Pavanes』では神秘的な森で音楽を奏でる動物の楽師達といった風な、一見するとコミカルでさながら洋菓子のCM映像(!?)を思わせる様な意匠ながらも、本作品ではとうとうPayssan兄弟とEric Rebeyrolによるトリオ編成で各々がメインの楽器にパーカッションや管楽器に持ち替えたりといった本家GGをも意識した、少数精鋭にして音の壁が更に重厚で且つ濃密になったであろう…更なる極みの完成度を誇る傑作となったのは言うに及ぶまい。
 そして昨年の2018年、4作目『Esprit D’Amor』に参加していたドラマーCharly Bernaが復帰し、バンドは久々に4人編成としてあたかも原点回帰したかの如く、現在次なる新譜リリースに向けて新曲のリハーサルとレコーディングに臨んでいるとの事。
            

 年輪を積み重ねつつ今もなお現役にして、非商業ベースで独自の音楽観と世界観を形成し、弛まぬ創作意欲は決して衰える事無く現代(いま)を生きる彼等ミニマム・ヴィタルこそ、夢幻(無限)の地平線を歩む“匠”そのものではないだろうか。
 彼等の「終わり無き旅路」はまだまだ続く…。

夢幻の楽師達 -Chapter 21-

Posted by Zen on   0 

 年の瀬の押し迫った今週の「夢幻の楽師達」は、色とりどりの花々が咲き乱れる百花繚乱なる天上界の楽園をそのまま音楽にしたかの如く、荘厳でリリカルな神話を紡ぎ…まさしく神々しい煌きを纏った夢幻の楽師達という称号に相応しい、80年代ジャーマン・シンフォニックに於いて珠玉の至宝的存在にして孤高なる唯一無比の音楽集団として一躍その名を世に轟かせた“エデン”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。

EDEN
(GERMANY 1978~1981)
  
  Dirk Schmalenbach:Violin, Ac-G, Sitar, Key, Per, Vo
  Annette Schmalenbach:Vo
  Michael Dierks:Key, Vo
  Anne Dierks:Vo
  Markus Egger:Vo
  Michael Claren:B, Vo
  Hans Fritzsch:G
  Hans Müller:Ds, Per
  Mario Schaub:Flute, Clarinet, Sax, Vo
  Michael Wirth:Conga, Per

 70年代イタリアン・ロックと共に双璧を成し、その多種多様なスタイルでユーロ・ロックの歴史に大きな足跡を残し、幾多もの偉業と実績を築き上げたドイツ(当時西ドイツ)のロックシーン…所謂通称ジャーマン・ロック。
 ジャーマン・ロックの王道ともいえるエレクトリック・ミュージック始め、サイケデリック、アシッド、メディテーショナル、トリップ・ミュージックといった様々なキーワードを孕みつつも、時代の推移と共にある者はニューウェイヴ、テクノ、ダンスミュージックへと移行し、またある者は映像向けの音楽へと活路を見出しているのは周知の事であろう。
 その一方でジャーマン・ロックはブリティッシュ影響下の正統派ともいえるハードロック系、シンフォニック・ロック系と更なる多岐に亘り、前者は後年のNWOBHMに参入して世界的マーケットを視野に入れ、後者はドイツというお国柄を反映したロマンティシズムとイマジンを纏った自国に根付いたロック・シンフォニーを追求し、後年に於いては幾分メロディック・シンフォへと歩み寄った作風を主流に21世紀の今日まで至っている。

 今回紹介する本編の主人公エデンも70年代後期~80年代初期に於けるジャーマン・シンフォニックの立役者としてカテゴライズされているが、彼等自身シンフォニックである一方…70年代初期のPILZレーベル時代のエムティディ、ヘルダーリン、そしてレーベルこそ違うがパルツィファルにも相通ずるカラーと系譜を擁しており、果てはスピロジャイラ、メロウ・キャンドルといったブリティッシュ・フォーク界の大御所が持っていたリリシズムとシンパシーすらも禁じ得ない。
 余談ながらも、私見で恐縮ではあるが世界的視野でフランスとカナダにもエデンという同名バンドは存在しているものの、音楽性+作風、アートのイメージからしてドイツのエデンが一番的を得ていると思うのは穿った見方であろうか…。

 遡る事1977年、ドイツのNordrhein-Westfalen州の地方都市Üdenscheidにてエデンの母体ともいえるFREIE CHRISTLICHE JUGENDGEMEINSCHAFTに在籍していた、後にエデンのコンポーザー兼リーダーとなるDirk Schmalenbachを含む3人の主要メンバーが中心となってバンドは結成される。
 エデンのメンバーの大半が身内絡みという実質上ファミリー系のバンドであり、職業もキリストの基督協会の修道関係、聖職者、或いは学校の教師、音楽学校の関係者と様々である。

 バンド結成から程無くして身内を含め多数もの協力者・支援者の賛助を得て、手作りの温もりとホームメイドなゆったりとした雰囲気、アットホーム感溢れる環境の下、1978年地元マイナーレーベルのLordよりデヴュー作『Erwartung』をリリースする(ちなみにバンドリーダーのDirkはLordレーベルのレコーディング・エンジニアも兼ねている)。
          
 “期待”という意味の通り、日本の錦絵を思わせるジャケットアートのイメージと違わぬ音楽性、太陽の輝き…大自然…都会との調和といった万物創生或いは森羅万象をも想起させ、あたかも宗教的な意味合いをも孕んだ奥深く哲学的なテーマが全曲の端々から垣間見えつつも、開放的で洗練された明るさを伴ったサウンドはまさしく新たな時代への予見すら抱かせるエポックメイキングな傑作として、ドイツ国内の各方面から賞賛を得てエデンは幸先の良いスタートを切る事となる。
          
 70年代後期に於いてジャーマン・シンフォニックも大きな転換期を迎える事となり、グローヴシュニット始めノヴァリス、ヘルダーリンが持っていた良くも悪くも一種のドイツ的な香りからの脱却が試みられ、エデンのデヴュー作並びその翌年にデヴューを飾るエニワンズ・ドーターが顕著な実例と言っても申し分はあるまい。
 エデンはその後牛歩で地道な演奏活動を行いつつも他のバンド系列とは一線を画し、決して商売っ気たっぷりな意欲を示す事無くあくまで自らの信ずる道を慌てず焦らずただひたすら歩み続ける事で自らの身上としていた。
 その一方でLordレーベルに所属している多数ものアーティストとの相互交流、レコーディングへの参加といった懇親を深めながらも、2年間のスパンと創作期間を費やし水面下で着々と新作の録音に取り組んでいた。 
 そしてデヴューから2年後の1980年、周囲からの期待に応える形で満を持してリリースされた2作目『Perelandra』は、若干名のメンバーチェンジを経て(Markus Egger、Mario Schaub、Michael Wirthの3名が抜け、後任メンバーとしてブズーキ奏者のChristosとKiriakosのCharapis夫妻、新たなフルート奏者にDieter Neuhauserを迎えている)、Lord傘下の自らのバンドネームを冠したセルフレーベルからのリリースで、前デヴュー作を遥かに上回る構築美とテンションで再び聴衆を驚かす事となる。
      
 キリスト教関連の同名タイトルのSF小説にインスパイアされた本作品は、エデンの持つシンフォニック・スタイルの音楽性の中に時代相応のスタイリッシュでモダンなエッセンス、良質なポップス性がふんだんに鏤められ、思わず目を奪われる美麗で幻想的なジャケットアートのイメージ通り、旧約聖書のアダムとイヴのエデンの園、そして宇宙創生の物語が違和感無く融合した一大シンフォニック絵巻に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。
 後述で恐縮だが…何よりもデヴュー作と本作品におけるDirkのコンポーザー、アレンジャーとしての手腕は白眉の出来と言うには余りにも恐れ多い力量を発揮しており、ヴァイオリニスト兼キーボーダーとしてのスキルの高さは、かのブラジル・シンフォの筆頭格サグラドのマルクス・ヴィアナと対等に亘り合えるであろう、そんな数少ないうちの一人であると断言出来よう。

 バンドとしての活動は順調ではあったものの、それに比例するかの如く各メンバーの正業が多忙を極め、エデンは次第に表立った創作活動や演奏もままならない状態が頻繁に回を重ねる様になる。
 Dirkは翌1981年に苦肉の延命策(Lordとの契約履行も考慮して)としてデヴュー以前の1974年~1976年にかけて収録されたデモ音源と未発表曲を集め再編集盤として『Heimkehr』(“帰省”という意)という意味深なタイトルでリリースし、エデンの変わらぬ健在ぶりをアピールするが、作品として好評価は得られるものの相反するかの様にメンバーのモチベーション低下は止まること無く、結局僅か数年の活動期間を以ってエデンは敢え無く解散の道へと辿ってしまう。
     
 ちなみに『Heimkehr』という作品自体、バンドサイドからも“これは3rdアルバムに非ず”と触れられているが、デヴュー以前の創作意欲に満ちていた初々しさが際立って、デヴューと2作目の両作品から比べると確かに見劣りこそ否めないが、聖書を題材としながらも後々のバンドスタイルとしての骨子が垣間見える、決して貴重なもの珍しさ云々だけで片付けられないエデン・ミュージックの原点が存分に堪能出来る妙味を忘れてはなるまい。
 バンド解体から2年後の1983年、エデンの元ヴォーカリストだったMarkus Eggerがソロアルバム『Lebenstanz』をリリースし、バックにDirkを始めエデンの面々も参加しているが、音楽性がエデン時代と異なった商業路線のポップス作品であったが為に余り話題にはならなかったみたいだ。
 だがDirkはこのMarkus Eggerのソロでの経験を糧に、再び一念発起し翌1984年エデン・サウンドの流れを汲むシンフォニック系の新プロジェクトとしてYAVANNA=ヤヴァンナ(“果実をもたらす者”の意)を結成。
     
 唯一作となった『Bilder Aus Mittelerde』(ミドルアースの創造者)は、かのトールキンの「シルマリリオン」から着想したトータルアルバムとなっており、Dirk自身の冴え渡るヴァイオリンプレイも然る事ながら、時代相応に当時のデジタルキーボード(オーヴァーハイムからYAMAHAのDX7等が使用されている)を縦横無尽に駆使した、エデン時代の作風と趣を偲ばせる、まさしく80年代初期のジャーマン・シンフォに於いてトップクラスと断言出来る素晴らしい出来栄えと内容を誇っている。
 特筆すべきは純白の白地のジャケットに施された樹木を模したレリーフの美しさは、アナログLP盤時代ならではのプログレッシヴ・ファンにとって最高の贈り物として他ならないと言えるだろう。
 惜しむらくは唯一のCD化に際し若干手が加えられ筆が入れられてレリーフの面影の微塵すらも感じられず、オリジナル原盤を知っている者としては些か中途半端でぞんざいな扱いに些か残念な限りでもある。
 私を含め世界中のプログレッシヴ・ファンがヤヴァンナの今後の動向に注視せざるを得ないと期待と予感を抱いていたものの、ファンの思惑とは裏腹にDirk自身ヤヴァンナでの活動を最後にバンドスタイルという形での創作活動から一時的に身を引いてしまったものの、喜ばしい事にここ数年彼自身ソロ・プロジェクトに近い形で地道にマイペースで音楽活動を再開させ今日までに至っている。
          
 本文の締め括りとして、FaceBookでDirk Schmalenbachと入力して検索するも、たしかにそれらしき人物が何人かヒットこそするものの、果たしてそれが本当にあのエデンを率いたDirkなのかと思うと、確証が無いままコンタクトするのは早計だと思い躊躇と同時に歯がゆい思いをしている今日この頃である。
 とは言え、エデンの園の住人…天上界の楽師達はやはり伝説としてこのままそっとしておいた方が、元メンバーだった彼等達にとって穏やかで幸福なのかもしれない。
 エデンの楽師達が奏でる饗宴は、貴方(貴女)達の心の中で未来永劫光り輝き、そして至福に満ちた思い出と共に生き続ける事だろう…。

一生逸品 IVORY

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」は古今東西世界各国の21世紀プログレッシヴ・ロックバンドに今もなお多大なる影響を与えているであろうジェネシス…その息子達(チルドレン)の先駆け的存在となったと言っても過言では無い、かのポンプロック勃発=マリリオン登場以前に於いて、80年代ジャーマン・シンフォニック新時代の幕明けでもあり最高峰となった、名実共にジェネシス・フォロワー系の最右翼として絶大なる支持と賞賛を得ている“アイヴォリー”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。

IVORY/Sad Cypress(1980)
  1.At This Very Moment
  2.In Hora Ultima
  3.Sad Cypress
  4.Time Traveller
  5.My Brother
  
  Ulrich Sommerlatte:Key
  Thomas Sommerlatte:Key
  Christian Mayer:Vo,G
  Goddie Daum:G
  Charly Stechl:B,Flute
  Fredrik Rittmueller:Ds,Per

 アイヴォリーの結成は1970年代半ばの75~76年頃と推定されるが、恐らくはプログレ・ユーロロック史上において最高齢のアーティストであろう、音楽家にしてベルリンの市民オーケストラの指揮者を長年務めていたUlrich Sommerlatte(1914年10月21日生まれ)を筆頭に当時まだ医学部の大学生だった息子Thomas Sommerlatteとその学友達による6人のメンバー編成で78年頃までアイヴォリーの母体とも言うべき音楽活動を行っていた。
 Ulrich自身、70年代当時オーケストラ指揮者とは別の側面で既に地元ベルリンでは結構名が知れていた音楽家兼アレンジャーとして活躍していた一方で、息子のThomas自身も友人達と共にベルリンやミュンヘン郊外で数々のアマチュアバンドで腕を磨いていた音楽経験者でもあった。 
 そもそもアイヴォリー結成の動機たるや、1974年のイエスのヨーロッパ・ツアーのドイツ公演を息子のThomas共々と観に行ったUlrichが感動し、本業と併行させながらプログレッシヴ・バンドをやってみたいと、まさに一念発起の思いだったのだろう。
 74年当時にして60歳 !? いやはや…誠にあっ晴れなパイオニア精神とはこの事であるが、ちなみにこの日を境にUlrichはイエスのみならずジェネシスやジェントル・ジャイアントといったブリティッシュ系のプログレを熱心に聴きまくっては自分達のサウンド・スタイルの模索に日々時間を費やす事となる。
 
 1978年末から若干のメンバーチェンジを経て概ね一年近くを費やして録音されたデヴュー作にして唯一の作品『Sad Cypress』は、プログレッシヴを見限り安易な産業ポップ路線に走った本家ジェネシスとは全く正反対に、ゲイヴリエルないしハケット在籍時の独創性豊かな気運と精神を脈々と受け継いだ作風で、同世代にして同国のもう一方のジェネシス・フォロワーのノイシュヴァンシュタンと共に一躍脚光を浴び、ポップ化したジェネシスに愛想を尽かし見切りを付けた大勢のファンからも大いに絶賛され歓迎されたのは言うまでもあるまい。           
 余談ながらもUlrichが所有する音楽スタジオ(リハからレコーディングも可能な)が無料同然で自由に使えた事と、Ulrichの人脈の伝でジュピターレーベル(配給元はアリオラ)からリリースがすんなり決まったといった好条件の甲斐あって、アイヴォリーは地元のラジオ局並び活字媒体と言ったメディアからの好意的な後押しで一躍脚光を浴びる事となる。
 それと同時期に1979~1980年にかけてジャーマン・シンフォは大いなる転換期を迎えており、エニワンズ・ドーターのメジャーデヴューによる台頭始め、エデンやルソーの登場といった活況著しいさ中に加えて、アイヴォリーを始めとする単発組の登場はシーンの活況に大いに拍車をかけたのは言うに及ぶまい。
           
 『月影の騎士』の頃を彷彿とさせる音像をもっと崇高なイメージで綴った冒頭1曲目を皮切りに、ラテン語のヴォーカリストをゲストに迎え高らかに鳴り響くカリオンが印象的な2曲目、アルバム・タイトルでもあり深遠な森の中を木霊するリリシズムが胸を打つ3曲目の素晴らしさといい、唯一のインスト・ナンバーにして時空間を疾走し時として陶酔感やトリップ感をも堪能出来る4曲目の小気味良さ、3曲目と並ぶ作品中のハイライトとも言える5曲目は、欧州というイメージと相まって崇高な荘厳さと抒情性が聴く者の心の琴線を揺さぶる大作にして秀作とも言えよう。
          
 ここまでがオリジナルLP原盤でのラインナップであるが、本来次回作の為のサンプルとして録られていたであろう未発のデモ音源4曲が後年の『Sad Cypress』CDリイシュー化に際しボーナストラックとして収録されているが、未発アーカイヴで寝かせておくには惜しい位に素晴らしく捨て難いものがある。
 特に6曲目の“The Great Tower”だけでもリイシューCDを買う価値はあるとはっきり断言出来よう。
 ラストナンバーの“Barbara”も、『Sad Cypress』の5曲目と並び負けず劣らず…おぼろげな月の光に照らし出された森と湖のヴィジョンを想起出来る、まさに彼等の音世界の終焉を飾るに相応しい涙ものの佳曲であろう。       
 ちなみに…ボーナストラックでのメンツは、UlrichとヴォーカリストのChristianのオリジナルメンバー2人に新加入のドラマーを加えた3人編成で臨んでいる(息子のThomasも間接的に協力しているが…)。
 バンドそのものは唯一の作品を遺し、僅かたった数回のギグを行っただけで、バンドメンバーそれぞれの諸事情も重なり、Thomasは医師の道へ進み、各々が銀行員や弁護士、教師といった職業に就くと同時に自然消滅に近い形で解散するものの、リーダーのUlrichはその後、自分名義のソロ作品集を86年に一枚、そしてキーボードによる多重録音物で(女性Voと合唱隊をゲストに迎えた)アイヴォリー名義の2作目『Keen City』を90年代にリリースするが、それを最後に以後の活動等に関するコメントやニュースは一切聞かれなくなってしまう…。
            
 案の定とでも言うのだろうか…Ulrich自身も高齢に加えて病床での生活が長くなり、結果的には2002年に鬼籍の人となってしまったのが実に惜しまれる、享年88歳。
 だが、はっきりと言える事として、たとえUlrichの肉体は滅んだとしても、作品という形で気高い精神と崇高な魂だけは未来永劫残り続け、そして後年まで語り継がれていくに違いないだろう…私はそう信じたい。

夢幻の楽師達 -Chapter 23-

Posted by Zen on   0 

 2020年、新年明けましておめでとうございます !!

 Happy New Year in 2020 !!

 皆様新年明けましておめでとうございます、本年も引き続き宜しくお願い申し上げます。
 昨年の夏にFC2ブログへ移転してから早いもので半年近く経ちましたが、お蔭様でデータの移植が思っていた以上かなり至難である半面、セルフリメイク(復刻リニューアル)という目的に対し意欲は全く衰える事無く、以前に増して更に貪欲且つがむしゃらになっている新春の今日この頃です(苦笑)。
 東京五輪に脇目も振らず、今年の10月いっぱいまでには自身が概ね納得出来る様な…理想的ともいえる『幻想神秘音楽館』再興となれるよう奮起したい意向ですので、皆様どうか温かくも長い目で見守って頂きたく重ねて宜しくお願い申し上げます。

 さて…2020年、今年最初の「夢幻の楽師達」は新年第一発目という事を踏まえ、今回は21世紀の今日までに至るジャーマン・シンフォニックの源流にして、新世代ネオ・プログレッシヴへと繋がる礎を築き上げたと言っても過言では無い、プログレッシヴ・ファン待望の伝説的大御所にして現在もなお精力的な活動と共に生き続ける…まさしく巨匠の称号に相応しい“エニワンズ・ドーター”に今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

ANYONE'S DAUGHTER
(GERMANY 1977~)
  
  Matthias Ulmer:Key,Vo
  Uwe Karpa:G
  Harald Bareth:Vo,B
  Kono Konopik:Ds,Per

 名実共に今世紀にまで繋がるジャーマン・シンフォニックの源流にして、その地位たるものを世界的レベルにまで向上させ多大なる尽力と貢献に努めたと言っても過言ではない、文字通り80年代プログレッシヴのパイオニア・立役者となったエニワンズ・ドーター。
 西ドイツ時代…70年代に勃発した俗に言う“ジャーマン・プログレッシヴ”。
 そのキーワードをお聞きになって真っ先に連想する事といえば、大概は難解、瞑想的、LSD系のドラッグ体験、電子音楽+サイケデリック、アシッドフォーク…等と、やや取っ付き難くて尖った硬派でお堅いイメージというのが大方の印象と見解であろう。
 無論、正統派のロックミュージックという視点で見渡せば、大御所のスコーピオンズを始め過去には(プログレ寄りという意見合いも含めて)ルシファーズ・フレンド、バース・コントロール、エロイ、ネクター、フランピー、フェイスフル・ブレス、オイレンシュピーゲル…等といったジャーマン・ハードロック系、果てはEL&Pに触発されたトリアンヴィラート、トリトナスも忘れてはなるまい。
 一方でヨーロッパ特有のロマンティシズムを湛えたシンフォニック・ロック系に及ぶと…グローブシュニット、ヘルダーリン、ヴァレンシュタイン、ノヴァリス、ウィンド、ペル・メル、ジョイ・アンリミテッド、エデン、ルソー、単発系ならアイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、アメノフィス、ヴァニエトゥラ…等が顕著なところであろうか。
 まあ、ジャーマンとひと口に言ってもその範疇は多岐に亘り、そのスタイルは多種多彩にして百花繚乱…分かり易く言ってしまえば間口が広過ぎて好みの選択肢が豊富なものの、逆に考えればどっち付かずにも等しく数が多過ぎて収拾がつかないのもジャーマン・ロックならではと言えまいか(苦笑)。

 前置きが長くなったが、70年代全般に亘って活躍してきた多くのジャーマン・シンフォニック系にあっては、グローブシュニット然りヴァレンシュタイン、ノヴァリスも高水準で素晴らしい完成度を有しながらも、今一つ何かしら抜け切れていないもの、所謂ジャーマン特有の土臭さ…悪く解釈してしまえば辛辣なロック評論家が口にするであろう“ドイツの片田舎臭さ”といったきらいが感じられるのも事実で、ワールドワイドなプログレ(決して売れ線狙いな商業ロック化するという意味ではなく)というレベルにまだ達し切れていないもどかしさを、私自身過去に何度痛感したことだろうか…。(それがジャーマンらしくて良いという意見もあるが)
 そんな西ドイツの70年代という閉塞感を脱却し、来たるべき80年代への時代の移り変わりに呼応するかの様に…エニワンズ・ドーターの4人の若者達はジャーマン・ロックシーンに彗星の如く登場した。
 1971年を境にハンブルグとシュツットガルト在住の学生達を中心にエニワンズ・ドーターの母体ともいうべきバンドが結成され、この頃からキーボードのMatthias UlmerとギタリストのUwe Karpa(当時は彼はまだ若干13歳の若さだった!)を中心に、ディープ・パープルからEL&P、イエス、ジェネシス、フォーカス、マハビシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァー、果ては同国のジェーンや、エロイ、グローブシュニットに影響を受けたバンド・創作活動を実践し、72年から79年のデヴュー前にかけては前出のエロイやグローブシュニットといった人脈・人伝を通じて年間数十回にも亘る前座活動と単独ギグをこなし、当時の西ドイツ国内でもかなりの知名と認知度を上げていたとのこと。
 1975年に美青年のベーシスト兼リード・ヴォーカルHarald Barethが加入し、1977年にはパンケーキに在籍していたドラマーKono Konopikを迎えて、こうして第一期エニワンズ・ドーターのラインナップが揃う事となる。
 1978年、デヴューアルバム製作という目標に先駆けてシュツットガルトの旧砂糖工場だったスタジオで、“I Hear An Army” “Ma Chère Marquise De Sade” “Window Pain”そしてデヴューアルバムに収録された“Sally”の原曲となった“Sally The Green ”の4曲をレコーディングし、そのデモ音源を携えて大手のブレインレーベルへ積極的に働きかけ、その甲斐あってか程無くして翌1979年デヴュー作リリースのディールを取り付ける事に成功する。
 ちなみに余談ながらも、先のデモ音源に収録された4曲は後年意外な形で陽の目を見る事となるのだが、それは後ほど触れる事として、1979年彼等はブレインレーベルの強力な後押しで記念すべき念願のデヴュー作『Adonis』をリリースする。
 そのワールドワイドな規模をも視野に入れたかの様な、初々しくも瑞々しい若い感性が発露したジャーマン・シンフォニックロック新時代到来を予感させる、真摯で堂々たる創作姿勢と音楽的にも素晴らしい内容がドイツ国内外でも高く評価され彼等はデヴュー早々幸先の良いスタートを切る事となる。
 デヴュー作でいきなり旧アナログ盤A面全面を費やした4部作組曲形式の大作“Adonis”は、イエスの『危機』やジェネシスの『サパーズ・レディ』に触発され、当初から大曲主義を意識したリスペクトをも孕んだ内容で、若々しい感性で綴られるギリシャ神話の世界をシンフォニック・サウンドで見
事に描ききった意欲作にして彼等の代表作となり、文字通り80年代プログレッシヴの名曲となったのは最早言うまでもあるまい。
          

 しかしその舞台裏に於いてレコーディング自体は順調に進んでいたものの、彼等自身その製作途上で思いもよらぬ理想と現実とのギャップを思い知らされる事となる。
 皆さん既に御存知の通り、デヴュー作『Adonis』は実はアルバムリリース以前にもう一つジャケットデザインが存在しており、ギリシャ神話の世界観をファンタジックに描いた美麗なアートワークが使われる筈だったのだが、リリース元のブレイン側がこれに難色を示し(要は早い話…“そんなジャケ
ットじゃ売れない!”と言わんばかりにファンタジーめいたデザインは却下されたものと思われる)、結果的にブレイン側の提示したデザインの要望を呑むという形で解決に至ったものの、その事が後々バンドとレーベル側に大きなしこりとなって両者との間に出来た溝が埋められなくなってしまったのは言うに及ばず。
 ブレイン自体も70年代というスタイルから脱却し、より一般大衆向けのセールス主義に移行しつつあった時代背景があったとはいえ、バンドの意向に聞く耳持たずといった方針転換に対しそれは些か少々酷な話だと思うのは私だけだろうか…。
 まあ、後年1993年に初CD化された際、没になったアートワークが復活した事が唯一の救いとなってはいるが、幻想的な意匠にせよ、ブレイン側が提示したデザインにせよデヴュー作『Adonis』の素晴らしい音楽世界観は不変という事だけは紛れも無い事実であろう(没になった幻想的なイラストは現在YouTubeで観る事が出来る)。

 バンドとレーベル側とが歩み寄る事無く半ば離反に近い形で継続していたものの、デヴュー作『Adonis』はセールス的には好調で、大曲“Adonis”に加えて彼等自身のバンドテーマソングとなった“Anyone's Daughter”もライヴでの大きな話題と評判となって、ファンの支えは彼等にとっても大きな追い風と原動力になった。
 そして時代はいよいよ80年代に突入し、周囲のバンドメイトからの薦めもあってブレインを離れた彼等は自由な気風の目玉焼きマークでお馴染みの大手スピーゲライに移籍する事となる。
 スピーゲライとの円満良好な関係は83年まで続き、まさしくエニワンズ・ドーター黄金期の到来でもあった。
 ゲルマンのロマンティシズムを絵に描いた様なファンタジックな意匠の1980年の2作目『Anyone's Daughter』は、バンド名をそのまま冠した通り改めて初心に帰った小曲集的な趣を湛えつつも決して小じんまりする事無く、ジャーマンのリリシズムとロマンティシズムを活かしつつ、シンフォニックな作風の中にも軽快でキャッチーなポップス感覚を備えたメロディーラインが前作以上に際立った秀作に仕上がっている。
 アルバム収録曲の“Moria”もラジオでオンエアされスマッシュヒットとなり、前出の“Anyone's Daughter”と並ぶ彼等の代表曲となったのも特筆すべきであろう。
    

 そして翌81年、彼等はこの年に大きな転換期を迎える事となる…。

 ヘルマン・ヘッセの「ピクトルの変身」からインスパイアされたライヴパフォーマンス一発録りで完全収録された通算第3作目の『Piktors Verwandlungen』こそ名実共に彼等の名前を不動のものとしバンドとしても最高傑作となった、文字通り80年代の…否!現在までに至るプログレッシヴ・ロックの歴史に燦然と輝く名盤・名作として数えられる一枚と言えるだろう。
      
 美麗な見開きジャケットのイメージに加えて、全曲を聴き終えた後の客席からの聴衆達の拍手喝采、スタジオ収録かと見まがうような曲の構成と展開、メンバーの演奏をバックにヘッセの詩を厳粛且つ切々と朗読するHaraldの姿が脳裏を過ぎる…そんなヴィジュアル感と相まって、彼等の幻想音楽世界はまさしく最高潮に達したと言っても過言ではあるまい。
    
 『Piktors Verwandlungen』という大きな足跡…その偉業を為し遂げた事を見届けたかの様にドラマーのKono Konopikが地域奉仕活動に専念する為にバンドを抜け、後任にPeter Schmidtを迎えた彼等は『Piktors Verwandlungen』から母国ドイツ語で歌う事に誇りとプライドを見出して以降、ドイツ語のヴォーカルメインで82年色鮮やかなブルーカラーを基調とした意匠と穏やかでアコースティックな趣と重厚さが際立った感の『In Blau』、翌83年には時代に呼応したデジタリィーでアーティスティックな作風の『Neue Sterne』という良質で素晴らしい2枚の好作品をリリースし、イギリスで勃発したポンプロックとはおおよそ無縁なまさしく我が道を邁進する姿勢を崩す事無く80年代のシーンを歩み続けた。    
 特に『In Blau』での15分強の大作“Tanz Und Tod(死と舞踏)”の充実ぶりには、プログレッシヴ・ロックのプライドを頑なに守り続ける並々ならぬ強い意志すら感じられ、かの“Adonis”に負けず劣らずの泣きと哀愁のリリシズムに感涙で目頭が熱くなる思いである。
      
 そして84年彼等の音楽的な集大成と言っても過言では無い2枚組ライヴアルバム『Live』は、今までのバンドの思いの丈が込められた選曲から音質、構成…等に至る全てに於いて、ベストオブベストなコンディションで臨んだ渾身と白熱のライヴパフォーマンスが凝縮された素敵な贈り物となったのはもはや言うには及ぶまい。
          

 そんな順風満帆だった彼等にも時代の波が押し寄せ、“ライヴアルバムを出した後のバンドは必ずと言っていいくらい大きな変化が訪れる”というプログレッシヴ業界普遍の諺通り、彼等エニワンズ・ドーターにも大きな変化が訪れ、バンドの顔でもあったHarald Bareth、そして二代目ドラマーPeter Schmidtの脱退は、今まで支えてきた多くのファンですらも俄かには信じ難い大きな衝撃となった。
 そして抜けた穴を埋めるかの如く、新進バンドだったエデンズ・テイストからヴォーカリストのMichael Braunを招き入れ、Andy Kemmer(B)、Gotz Steeger(Ds)を後釜に迎えた5人編成という新布陣で新作レコーディングに取り掛かるも、結局新曲5曲を収録したままバンドメンバー各々の諸事情や音楽的意見の食い違いやらでバンドは空中分解し、エニワンズ・ドーターは何とも呆気無い幕切れで長きに亘る創作活動そのものに終止符を打つ事となる。
 結果…1986年、MatthiasとUweの両名は残された新曲5曲のマテリアルと、前出にも触れたデヴュー以前に旧砂糖工場で収録した4曲のデモ音源を再編集し、A面に新曲5曲、B面にデヴュー前の未発デモ音源4曲で構成した『Last Tracks』を自主製作という形でリリースし、それと前後して正式な解散声明を発表。
 新メンバーを補充して時代相応に歩み寄った(再び英語のVoに戻している)新機軸を打ち出したというか、インターナショナルなセールスを意識したかの様な売れ線狙い気味のエレクトリックポップス風なサウンドに移行し、あきらかにロマンティシズムなシンフォニックに訣別して再出発を図った新曲5曲が今一つな感だっただけに、デヴュー前に録った未発音源の素晴らしさが余計際立って、有終の美を飾るにしては何とも味気無く皮肉なものである(苦笑)。
 スペースの都合上掲載は出来なかったものの美麗なアールデコ調のジャケットが秀逸なだけに、余計解散してしまったという一抹の寂しさは正直拭い切れない…何とも寂寥感漂う空虚でボヤけた印象の作品になったのが悔やまれてならない。
 私自身も当時マーキー誌のVol.025号でエニワンズ・ドーター解散の記事を執筆したから克明に記憶しているのだが、編集部から送られてきた最終作『Last Tracks』のデモ音源のカセットサンプルと、ジャケットのカラーコピー、そして編集部が対訳したバンドサイドからのラストメッセージを間近に接してみて、漸くエニワンズ・ドーター解散が現実のものであると認識したのを今でも昨日の事の様に覚えている…。

 エニワンズ・ドーターが事実上の解散となった後、MatthiasとUweの両名は女性ヴォーカリストINESのレコーディングに参加したり、新人バンドの育成・プロデュース業といった裏方に回り、その延長線上で音楽事務所やスタジオの運営にも携わるようになり、暫くの数年間は表立った活動のニュースというものが聞かれなくなった。
 余談ながらも、この時期と前後して前任ヴォーカリストのHarald Barethが地元高校の教師として教壇に立ち始め現在までに至っている。
 プログレ全盛期時代のエニワンズ・ドーターの素晴らしさと評判ばかりが独り歩きし、90年代に突入すると彼等の黄金期の作品も一挙にCD化され時代と世代を超えて新たなファンをも獲得するまでにその名前は伝説的に近いものとなった。
 そして21世紀…2001年にMatthiasとUweは新たなサウンドスタイルでエニワンズ・ドーターを復活させる。
 Andre Carswell (Vo)とRaoul Walton (B)のアメリカ国籍の黒人アーティスト両名に、古くから旧知の間柄だったPeter Kumpf (Ds)を迎えた5人編成で『Danger World』をリリースし新たに再出発を図る。
          
 メンバーにアメリカ人を加えた事でややもすればファンクかヒップホップに転向したのかといらぬ勘繰りや誤解をしてしまいそうになるが、ロマンティシズムなシンフォニック路線は完全に後退したものの、その逆に都会的で上品な洗練されたポップスと歌メロを存分に聴かせる良質なAOR風に方針転換した事は大いに正解だったと思える。
 そして同年には往年のファンと新たなファンへの素晴らしい贈り物とも言うべき、ファンからのリクエストによって選曲された、Harald BarethとKono Konopikそして2代目ドラマーPeter Schmidt在籍時の…まさしくベストオブベストな2枚組ライヴCD『Requested Document Live 1980 - 1983』までもがリリースされ、自己への存在証明と再確認という意味合いを含め、長きに亘る沈黙がまるで嘘だったかの様に彼等は再び活気に満ちた創作意欲を取り戻したのである。
 このリクエストライヴは世界的に大好評セールスを記録して、好評につき2003年にはアンリリースなレアライヴ音源と、画質はホームビデオ並みなクオリティーながらもデジタルりマスタリングを施した貴重なライヴDVD(PAL対応)の2枚組CD『Requested Document Live 1980 - 1983 Vol. 2』がリリースされ、続く2004年には前作の延長線上の新作『Wrong』に合わせて、かのヘルマン・ヘッセの生誕記念として名作『Piktors Verwandlungen』がジャケットデザインを新装しリマスター再発された事も特筆すべきであろう。
 2006年、バンドは新たな試みとしてMatthias、UweそしてAndre Carswellのトリオによるドイツ国内のアコースティック・ライヴツアーを敢行し各方面で絶賛され、翌07年にはその模様を収録したライヴCDと4曲入ボーナスDVDの2枚組ライヴ盤『Trio Tour』(2000枚限定プレスでナンバリング入り)を発表し、更なる可能性と新機軸を打ち出す事に成功する。

 2011年には大御所シンガーソングライターHeinz Rudolf Kunzeとの2002年共演ライヴ始め、先のヘッセ生誕祭での記念ライヴを収録した『Calw Live』を発表し、そして今もなお記憶に新しい2018年バンド名義として実に14年ぶりの現時点での最新作『Living The Future』をリリース。
 本作品ではMatthias UlmerとPeter Kumpfを主導に、Andre CarswellとRaoul Waltonが抜け、更には長年苦楽を共にしてきたギタリストのUwe Karpaが離れ、新たなギタリスト並びオランダ人の若手のヴォーカリストを迎えた形で、ベーシスト並びバックコーラスを含めた大所帯のゲスト布陣で臨んだ幾分『Neue Sterne』期の頃に立ち返ったかの様なゲルマンのロマンティシズムが堪能出来る好作品に仕上げているのが何とも嬉しい限りである。
    

 本文の終盤にかけてやや駆け足ペースで進めてきたものの、時代や世代がどんなに移り変わろうとも…サウンドスタイルや方法論が変わろうとも、やはり彼等エニワンズ・ドーターの洗練された音楽美学に一点の曇りは無い!
 今回の本文を綴ってみて改めて“嗚呼…やっぱり自分はエニワンズ・ドーターが好きなんだ”と言う事をつくづく思い知らされた気がする。
 彼等が今後どんな方向性に進むのか…1ファンとしてその生き様を見届ける為にも、これからまだまだ気長に付き合っていかねばなるまい。
 妄想の様な戯言みたいで失笑を買うかもしれないが、願わくばHarald BarethとKono Konopik(或いはPeter Schmidt)による4人黄金期のエニワンズ・ドーター奇跡と夢の再結集ライヴを、今一度でいいから観てみたいものであると願うのは私だけのささやかな我が儘であろうか…。

夢幻の楽師達 -Chapter 26-

Posted by Zen on   0 

 2020年の年明けから実に早いもので1月も終盤となりました…。
 今月最終週の「夢幻の楽師達」は、今冬の寒暖の差が曖昧といった…そんな今ひとつスッキリとしない空模様と空気を拭い払うかの如く、一服の清涼剤を思わせる大草原の爽やかなそよ風と牧歌的なハーモニーと旋律に彩られた、ブリティッシュ・シンフォニックで唯一無比にして夢見心地なリリシズムを歌う申し子と言っても過言では無い“ソルスティス”の道程を、今再び辿ってみたいと思います。

SOLSTICE
(U.K 1980~)
  
  Andy Glass:G,Vo
  Mark Elton:Violin,Key,Vo
  Mark Hawkins:B
  Martin Wright:Ds,Per
  Sandy Leigh:Vo

 70年代の終焉から80年代の幕開けにかけて、イギリスのロックシーンはアメリカと同様御多分に漏れずヒットチャートを賑わす作品ばかりが主流を占め、パンク、ニューウェイヴを経て後にNWOBHMを合言葉にHM/HRが席巻する事となったのは言うに及ばずといったところであろう。
 「産業ロック」…いつしかそんな代名詞が使われ始めた当時、そんなシーンの土壌という背景のほんの僅かな一片で、かつて栄華を極めたであろう…70年代プログレッシヴ黄金時代の名残と伝承を受け継ぐかの様に、夢と栄光よ再びとばかりに勃発した俗に言う“ポンプロック・ムーヴメント”は、多方面で物議と賛否を醸しながら幾数多もの出来不出来を問わずにジェネシス・クローンのオンパレードを輩出していったのだった。
 代表格のマリリオン始めパラス、ペンドラゴン、トゥエルフス・ナイト、IQ、後々にキャスタナークやアベル・ガンズ、ギャラハッド、ジャディス、そして最近のシーヴス・キッチン、クレドといった系譜へと至る次第であるが、ポンプ勃発期当時のそのクオリティたるや、未熟で未完なレベルというレッテルを貼られながらも、メタルを主力セールスにしていた大手のレコード会社はあたかも暴挙とも言えそうな見切り発車ないし新人の青田刈りを思わせるメジャーデヴューで、あたかも伝統のブリティッシュ・プログレッシヴを地に落としていた、何とも失笑というか嘆かわしい汚点を残す事となったのは言うまでもあるまい(それでも、当時のIQやペンドラゴンなんかは割と健闘していた方だと思う)。

 さて、そんな軽薄短小に満ち溢れた当時のメジャーな音楽シーンやら満身創痍なポンプロック・シーンを尻目に、安易な商業路線の思惑と商魂に決して染まる事無く、良くも悪くも“物真似レベルな寄り合い”の中で、一種異彩を放っていた独自の路線と作風を頑なに貫き通した彼等ソルスティスは、1980年にオックスフォードとケンブリッジとのほぼ中間の丘陵地に面した町ミルトン・ケインズにてリーダー兼ギタリストでもあるMark Eltonを筆頭に結成され、度重なるメンバーチェンジを経て数々のデモテープ作品を自主製作しつつ地道なライヴ活動が実を結び、1984年に『Silent Dance』で静かに且つ厳かにデヴューリリースを遂げた次第である。
          
 美麗でカラフルな曼陀羅模様の意匠ながらも思想的なコンセプトに裏打ちされた、当時に於いても珍しい見開きLPジャケットに内側がマザーグースを思わせる画集さながらという、良い意味で往年のプログレ・ファンの心理を巧みに突いた、イエス+ルネッサンス×ブリティッシュ・フォークといったサウンドスタイルにヴァイオリンをフィーチャーしたオリジナリティ重視の唯一無比な音世界は、ポンプロックを敬遠毛嫌いしていた往年のプログレッシヴ・ファンからも温かく迎え入れられ、渾身のデヴュー作も今や名作・名盤の名に恥じない1枚として名声を高める事となる。

 静かながらも衝撃とも言えるデヴュー作の余波は続き、いつしか早く次回作を…といった声も多方面で寄せられていたのも紛れも無い事実であった。
 だがファンの期待を他所に、引き潮という代名詞の如く彼等はデヴューから暫く10年近くもの沈黙を守り続ける事となるが、彼等の音に魅せられた私を含めた多くのファンの誰しもが“解散”という二文字を思い浮かべた事であろう。
 しかし…それは杞憂にしか過ぎなかったという言葉通り、ファンの心配と不安を打ち消すかの様に1992年漸くソルスティスは活動を再開し、一年間の録音期間を経てカナダのプログレッシヴ・インターナショナルなるマイナーレーベルからリリースされた93年の第2作目『New Life』は、前作からの期待に違わぬクオリティーを保持したまま良心的で且つ目くるめく素晴らしい世界観を鮮やかに奏で、彼等は90年代でもまた再び返り咲いたのである。
    
 2作目のメンバーは主要格のMark EltonとヴァイオリニストのAndy Glassを除き、リズム隊とヴォーカルが交代し、ベースにGraig Sunderland、ドラムにPete Hensley、そして女性VoがHeidi Kempとなっており、何と言ってもこの作品から後々ライヴでの定番ともいうべき“Morning Light”と“New Life”という二つの名曲が生まれた事を忘れてはならないだろう。
 バンドはその後4年の充電期間を経て、1997年に第3作目の『Circles』をリリース。
 AndyとMark、Graigを除きバンドはまたしてもメンバーチェンジを経て、現在に至るソルスティスの歌姫を務める事となる3代目ヴォーカリストのEmma Brown、そしてドラマーにはジェスロ・タルやスティーヴ・ヒレッジ・バンドにも参加していた大ベテランのClive Bunkerを迎え、結成当初含めデヴュー以降長年培われた初志貫徹ともいうべき純粋無垢な気高い精神と吟遊詩人にも相通ずる詩情と歌心が一切損なわれる事無く、デヴュー作そして前作以上に東洋思想と哲学・瞑想を内包した音世界が発露昇華した決定版ともいえる内容に仕上がっている。
    

  バンドはこのままの布陣で上昇気流に乗って来たる21世紀まで辿り着くのかと思いきや、またしても10年以上に亘る長き沈黙期間に入り、今度ばかりは誰しもが“解散”という二文字を信じて疑わざるを得なかった。
 そしていつしか彼等ソルスティスの名前は、半ば伝説に近い存在として忘却の彼方へと消え去りかかっていたのもまた然りであった。
 その間にも、彼等がリリースしてきた全作品が(デヴュー作を除いて)デザインを一新し、更には未発音源やデモ音源、果てはBBC音源にライヴを収めたDVDを加えた2枚組というヴォリュームに改訂され、ソルスティスの存在がますます伝説と化すのが風前の灯火といった感だった…。

 しかし彼等はファンを裏切ったり見捨てたりする事無く『Circles』から13年後の2010年、遂に彼等は長い沈黙を破り待ちに待った全世界のファン待望の新作『Spirit』を携えて、再び21世紀のプログレッシヴ・ムーヴメントに帰ってきたのである。
    
 本作品では長年苦楽を共にしてきたヴァイオリニストのMarkが抜け、唯一のオリジナルメンバーとなったAndyを筆頭に、3代目歌姫のEmma、そして新たに女性ヴァイオリニストのJenny Newman、Pete Hemsley(Ds)、Steve McDaniel(Key)、Robin Phillips(B)を加えた6人の新布陣で臨んだ通算4作目にして21世紀最初の彼等の音世界は、Markという主要メンバーが去った事に決して臆する事無く、デヴュー以来常に前向きに取り組んできた“ソルスティスの音”たるこだわりと真摯なひたむきさ・情熱が結実した、ブリティッシュ・プログレッシヴというアイデンティティーとケルトへの回帰をも垣間見せる、彼等の全作品中最高潮に達したスキルの高い内容を誇っている。
 3年後の2013年には現時点での新作に当たる通算5枚目の『Prophecy』をリリースするものの、その何ともマーベルないしDCを連想させる様なアメコミチックな意匠にファンは驚きというか閉口したのは言うに及ぶまい(苦笑)。
 アートワークこそやや商魂見え々々な趣と思惑は否めないが、作品内容そのものは従来通りのソルスティス・サウンドが存分に堪能出来るのがせめてもの救いであろう…。
 嬉しい事に本作品では3曲ものボーナストラックとしてデヴューアルバムに収録されていた名曲“Earthsong”始め“Return of Spring”、“Find Yourself”が再録されており、彼等の音に初めて触れるであろうリスナー諸氏にとっても格好の良い入門編として聴けるのが喜ばしい限りである。
       

 結成から今年で早40年…彼等の歩みは今日に至るまで決して平坦な道程では無かった筈。
 考え、悩み、迷い、時に苦しみ時に傷つきながらも、現実と自らの世界観・理想との狭間で自問自答を何度も繰り返してきたに違いあるまい。
 故に、こんな混沌とした先の見えない不安だらけの21世紀の現在(いま)だからこそ、彼等の音楽が根強く支持され心の理想郷と安息のひと時を求める人達の為に在り続けるのであろう。
 デヴュー作以来一貫してジャケットが「輪廻転生」を意図した意匠というのも、地球愛にも通ずる人類の魂…そして彼等の音も未来永劫生き続ける願いそのものなのかもしれない。
 かく言う私自身、人生を全うするまでソルスティスの音楽にこれからも末永く付き合っていけたらと思う。

一生逸品 DRAGONFLY

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」は少数精鋭を誇るスイス・シンフォニック勢から80年代のユーロ・シンフォニックの名作・名盤と言っても過言では無い“ドラゴンフライ”が遺した唯一作に、今一度焦点を当ててみたいと思います。

DRAGONFLY/Dragonfly(1982)
  1.Behind The Spider's Web 
  2.Shellycoat 
  3.You Know My Ways(I Belong To You) 
  4.Willing And Ready To Face It All 
  5.Dragonfly 
  
  Markus Husi:Key 
  Marcel Ege:G 
  Rene Buhler:Vo,Per 
  Klaus Monnig:B 
  Beat Bosiger:Ds 

 この1枚の珠玉なる作品が初めて我が国に紹介された80年代初頭の当時、マーキー誌のアンダーグラウンド宣言を皮切りにインディーズながら各国からも70年代物に負けず劣らず秀でた作品が紹介され始めた頃であった。
 その一方でイギリスはマリリオンを筆頭とするポンプロックが台頭するも…当初はまだまだ未熟な感のあったポンプ・ムーヴメントに往年のファンは失笑せざるを得なかったのが実情であった(後にIQ始めソルスティス、ペンドラゴン…等がポンプロックの汚名と失地回復に大いに貢献したが)。
 加えて70年代のレア物の再発(我が国のキングのユーロ・コレクション始め、世界各国でも再発ラッシュの嵐が吹き荒れたことを今でも記憶している)、果ては未紹介レア物の発掘に…挙句の果てがブート紛いみたいな粗悪・劣悪な再発盤までが出回る始末であった(80年代半ば頃、特にブリティッシュ系とイタリア系はこの海賊盤再発物で多大なる被害を被って、信用失墜までに陥った)。
 そんなこんなの80年代初頭、マーキー誌を通じてスイス出身のバンドと作品がかなりの数に渡り紹介された次第である。アイランド、サーカス、フレイム・ドリーム、リザード、カシミール、ケダマ、後にスイス出身と判明したSFF等がほぼ第一世代であれば、ドラゴンフライは同時期に紹介されたアガメムノン、エロイテロンとともに第二世代前半組に該当するであろう。因みに第二世代後半のデイス以降、90年代はクレプシドラ、そして現在はシシフォスあたりがスイス勢の顕著な存在と言えるだろう。 
 ドラゴンフライはチューリッヒ近郊に住む学友のキーボードのMarkus HusiギタリストのMarcel Egeを中心に、70年代初頭にその母体となるバンドからスタートした。
 当時からイエス、GG、EL&P、PFM…等から多大なる影響を受けていた二人は、学校卒業後コミューン生活をスタートさせ幾つかのローカル・バンドにて活動を続ける一方、既に多数の曲を書き貯めていた。
 学生当時からMarkusはイエス並びEL&Pのピアノ・スコアを数多くこなし、Marcelはイエスのスティーブ・ハウに心酔し“ザ・クラップ”や“ムード・フォー・ア・デイ”といったアコースティック・ナンバーを難なく習得し実績を誇っていた。
 75年当時において既に20分以上の曲を多数作曲し、50以上もの異なる多彩かつ複雑なコードを組み合わせては、本作品に収録された何曲(ボーナス・トラック含む)かも既に礎が完成していたとの事。
 二人はその後…ドラゴンフライと正式なバンド名でスイス国内にて数多くのギグをこなしながらも、アイランド、サーカスといった第一世代バンドとも交流し協力し合いながらも、理想のバンドメンバー探しに奔走し、79年漸く本作品リリース時のラインナップが揃う。
 80年のモントルーのフェスティバル出演を機に、彼等はアルバム・リリースの実現に向けて動き出すも、82年のデヴューに至るまでは様々な困難と障害、紆余曲折が待ち構えていたのは言うまでもなかった。
 が、それでも彼等は理想の作品目指して臆する事なく歩み続けた。そして、多数の友人から資金援助と協力を得て遂に待望のマスターテープを完成させ、スイス国内及び旧西ドイツ国内の大手メジャーレーベルに持ち込むもことごとく拒否され、やむなく自主レーベルの“Highfly”を興して本作品リリースに至った次第である。
          
 オープニング1曲目から彼等が紡ぐ音世界の幕明けに相応しいエッジな切れとノリの良いプログレッシヴ・ハードなナンバーに圧倒されるであろう。
 曲の起伏と緩急の使い方が絶妙で、決して一本調子に陥る事無く寄せては返す波の様に幾重にも畳み掛けるキーボードとギター、リズム隊のアンサンブルは何度も耳にする度毎に決して色褪せる事の無い感動に包まれて、兎にも角にも至福の溜め息が出てくる思いですらある。
 2曲目はどことなくコミカルなメロディーラインを感じさせつつも、かつてのPFMの“セレブレイション”を彷彿とさせるメロディーラインが印象的な好シンフォニック・ナンバーで、この一曲だけでも彼等の音楽的素養と多才さとサウンドルーツの奥深さが垣間見える事必至であろう。
 打って変わってリリシズム溢れる落涙必至なメロディーラインにして、どこかノスタルジックさを感じさせる美しくも流麗なピアノが印象的なシンフォニックなスローバラードの3曲目の懐の広さには溜飲の下がる思いで、アルバム全体の中で一服の清涼剤にも似た良いアクセントになっていると言っても申し分はあるまい。
 冒頭1曲目と双璧をなす何ともカッコいいハード&ヘヴィ・シンフォナンバーの4曲目に至っては、当時ポッと出で見切り発車気味だったイギリスのポンプロック勢に彼等の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい位のダイナミズムとプログレッシヴ・ロックを創作するという潔さが窺い知れる真摯な姿勢と気概さに感服する事しきりである。
 旧LP盤のB面全面を費やした大曲“Dragonfly(ドラゴンフライ組曲)”は文字通り本作品中最大の呼び物の最高傑作にして、前半~中盤にかけてのピアノとアコギによる瑞々しくも美しいアコースティックパートの“静”から、天空を突き抜けるかのような疾走感と高揚感がせめぎ合うシンフォ・ハードエッジな“動”へと展開する様はまさに圧巻かつ爽快の一言に尽きる。
          
 …とここまでがオリジナルLP原盤に収録された曲のラインナップであるが、後年リイシューされたCD化に際しボーナストラックとして収録された未発表曲も、実に誠あっ晴れなクオリティーと出来栄えを誇っており、“Humdinger(高級品)”はどことなく意味ありげなタイトルながらもEL&P、トレース、果ては数多くのイタリアン・キーボードトリオスタイルを思わせる秀作で、片や一方はMarcelのアコギが全編に渡って響き冴え渡るアコースティックな趣の大作“The Riddle Princess(謎の王女)”は、オリジナルに収録の“Dragonfly”にも匹敵する、何とも筆舌し難いシリアスムードで物悲しさが全編漂う神秘的且つミステリアスな雰囲気香る隠れた名曲で、個人的にもこの一曲だけでリイシューCDを買う事を躊躇する事なくお勧めしたいの一語に尽きる。
          
 バンド自体は…この本作品以降、MarkusとMarcel両名によるプログレ路線推進派とコマーシャリズム路線傾倒派とが対立し、あれだけ世界各国のファンから絶賛されつつも、バンド自体は泣く泣く自然消滅への道を辿って行き、Markusは現在はスタジオ・ミュージシャンとして恐らくはスイス国内のテレビやCF等で活躍していると思われる。
 一方のMarcelに至っては完全にロック界から身を引きクラシック/フラメンコ・ギタリストとして現在もなお精力的に活動し作品も多数リリースしているとのこと。 
 ドラゴンフライ…80年代において類稀なる才能を開花させながらも、一瞬の輝きを放ち静かにその幕を閉じた彼等。
 彼等のデヴューがもしもあと3年遅ければ、あのポンプ・ロックシーンよりも更なる上昇気流に乗って輝きを増して何枚かの作品を残せたのではなかろうか…と、改めて今返す々々思えば思うほど、時代の運気とチャンスに見放された事がつくづく悔やまれると共に伝説という称号のまま終止符を打たせるには誠に惜しい存在であったと思えてならない。

一生逸品 AMENOPHIS

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」は四季折々の表情を見せるドイツのロマンティック街道…或いはゲルマンの森をも彷彿とさせる、荘厳にして崇高なる幻想世界を高らかに謳い上げたジャーマン・シンフォニック随一の抒情派の申し子と言っても過言では無い、近年奇跡ともいえる復活劇で各方面から今再び注視されている“アメノフィス”に改めて焦点を当ててみたいと思います。

AMENOPHIS/Amenophis(1983)
  1.Suntower
  2.The Flower
   a)The Appearance
   b)Discovering The Entrance In The Shadow Of A Dying Bloom
  3.Venus
  4.The Last Requiem
   a)Looking For Refuge
   b)The Prince
   c)Armageddon
  
  Michael Rößmann:G, Key
  Stefan Rößmann:Ds, Key
  Wolfgang Volmuth:B, G, Key, Vo

 イタリアと共にユーロロック人気の片翼を担ったと言っても過言ではないドイツのシーン。
 先般綴った「夢幻の楽師達」のエニワンズ・ドーター編でも触れているが、70年代のドイツが東西に分断されていた西ドイツ時代。
 当時ジャーマン・ロックとひと口に言っても、その全容はアヴァンギャルド+エレクトリック系を始め、サイケデリック、メディテーショナル、アシッド、トリップ、或いはプログレッシヴの定番ともいえるシンフォニック、果てはストレートなジャーマン・ハードロック…等といった多岐に亘る、まさしくイタリアに負けず劣らずな百花繚乱の様相を呈していたのは言うに及ぶまい。
 その一種独特なコミューンやらヒッピーカルチャーにも相通ずる異彩と個性を放っていたジャーマン・ロック栄光の時代も、70年代後期から80年代にかけて世界的規模を席巻していたディスコミュージックやヒットチャートを賑わす英米の産業音楽といった余波を受けて、ドイツも御多聞に漏れず多くのレコード関連・音楽配給会社が大幅に路線を変更し、アーティスト側もある者は時流の波に乗ってテクノに移行したり、売れ線狙いのポップ化に路線変更したりと、世界的に成功を収めていたタンジェリン・ドリームやカン、確固たる自己プロデュースとレコード会社との連携体制でシンフォニックの一時代を築いたエニワンズ・ドーターを例外として、ジャーマン・プログレッシヴはその大半が停滞・低迷に瀕した状態で、多くのシンフォニック系のプログレバンドがマイナーレーベルと共にアンダー・グラウンドへと移行し、自主リリースという道に甘んずるしか術が無い厳しい冬の時代を迎えていたと言っても過言ではあるまい。
 無論、それはそれで大手レコード会社から干渉・制約される事無く、機材にスタジオ、運営からマネジメント、果ては金銭関係といった経済面等でハンデこそ抱えていたものの、セルフプロデュースながらも自由な雰囲気と環境でそれ相応に素晴らしい作品が世に輩出された事もまた事実ではあるが…。
 アイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、マディソン・ダイク、セレーネ、タンタルス、ヴァニエトゥラ、エデン、ルソー、イスカンダー、アナビス…等といった80年代前後を境とする秀逸な存在に追随するかの様に、今回本編の主人公であるアメノフィスもジャーマン・アンダーグラウンドシンフォニックという時代の潮流の真っ只中を生き抜いた、ほんのひと握りの輝く原石にも似た崇高なまでの“匠”と言えまいか…。

 バンドの始まりは1977年にドイツ南西部の地方都市で、音楽と共に青春時代を謳歌していた二人の若者Michaelと弟のStefanによるRößmann兄弟と、その学友だったWolfgang Volmuthの3人で結成したスクールバンドから幕を開ける事となる。
 翌78年エジプトのファラオの一つからヒントを得てバンド名を正式にアメノフィスとし、当時の彼等の憧れでもあったイエス、ジェネシス、キャメル、果ては同国のグローヴシュニット、当時から既に話題をさらっていたデヴュー前のエニワンズ・ドーターに触発された純粋無垢なまでのプログレッシヴ・サウンドを志す事を決意する。
 選任キーボーダーが不在で、メンバー全員がキーボードを兼任するという変則トリオ編成で、ライヴの時にはサポートKeyやサイドギターを迎えて演奏に臨んでおり、曲作りやアイディアこそ豊富に備えていたものの、まだ学生であるという身分に加えて肝心要の機材があまりに貧弱だった事もあって、全世界共通なれど彼等もまた御多聞に漏れず借金をして楽器並び音響・録音機材関係を補充強化して、以後バンドメンバー各々が音楽活動に勤しむ一方で借金返済の為のバイトに明け暮れていたそうである(苦笑)。
 地道な音楽活動が実を結び、学校内での演奏活動から徐々に街のイベントやら祭典、小規模ながらも様々なロックイベントでも頻繁にプレイする機会を得た彼等は、音楽活動とアルバイトの二重生活を送り苦労を重ねながらも次第に演奏とアレンジ面でめきめきと力を付けて、そろそろちゃんとしたアルバムとしての形を実現させねばと本腰を上げ始める。
 事実この時期に於いて資金繰りといったバンドの運営面でもかなり困窮・逼迫した状況で、下手すれば機材の売却という憂き目をも避けられない止むに止まれぬ裏事情もあったが故に、彼等は薄氷の如くギリギリな綱渡りのやりくりの中で、ここで何としてでもアルバムである程度の成功を収めねばと躍起になっていたというのも正直なところだった。
 そして迎えた1983年、彼等自身のセルフプロデュースでオルガン奏者とフルートのゲスト2名を迎えて自主リリースされたバンド同名のタイトルを冠したデヴュー作は、セルフリリース系のジャーマン・シンフォが俄かながらも活気付いていた時期に、幸運にもめでたく流通に乗せる事が出来た次第である(但し…日本に入ってきたのは遅れること4年後の1987年であるが)。
          
 満月の夜に舞う蝙蝠の如き幻獣と燭台を思わせる炎の塔(!?)が描かれたミステリアスな意匠に包まれた彼等の初出作は、彼等自身が影響を受けたジェネシスやキャメルといった大御所へのリスペクトを含め、先人達への返礼とバンド自らの回答にして憧憬と敬意の念が込められた、デヴューながらも音楽性の総決算とも取れる意味合いすら感じられよう。
 インストナンバーである冒頭1曲目は、エニド或いはイタリアン・ロックを思わせる様なクラシカルで端整な美しいピアノの調べに乗って、荘厳なソリーナ系のストリングアンサンブルと抒情性を帯びた泣きのギターが覆い被さって、軽快なメロディーラインの中にリリシズムとロマンティシズム溢れる曲調へと転じ、スパニッシュ調のアコギが矢継ぎ早に綴れ織りの如く奏でられる様は、まさしくタイトル曲通りの輝く“太陽の塔”そのものを思わせる神々しさだけが存在している。
 ヴォーカル入りの2曲目はジャーマン・シンフォニック独特のリリカルな趣を湛えたラティーマーばりの繊細で美しい静と動の両面を兼ね備えたギターワークが聴きもので、ギターに呼応するかの様に森の木霊を思わせるソリーナに眩い煌きを放つシンセの音色が実に良い効果を生み出しており、四季折々に咲き乱れる花々のイマージュを色鮮やかに描写している。
 エモーショナルな曲想の3曲目はゲストプレイヤーのフルートとソリーナに導かれて、ヴィーナスの感情の起伏をも想起させる様な目まぐるしい雰囲気と変拍子を効果的に活かした、アナログLP盤A面のラストを飾るに相応しい秀作と言えよう。
 本作品中最大の呼び物といっても異論の無い4曲目24分強の大作は、アナログLP盤のB面全てを丸ごと費やした3部構成の組曲形式となっており、厳粛な深き森の調べ…流麗なる大河の波濤…怒涛の如き戦乱の嵐…冥府への光る城門といったイマジネーションが渾然一体となった、それこそ過去の名作級でもあるイエスの「危機」、ジェネシスの「サパーズ・レディ」、フォーカスの「ハンバーガー・コンチェルト」、或いはエニワンズ・ドーターの「アドニス」にも迫る勢いの一大シンフォニック絵巻となって、聴く者の耳と脳裏に深い感動と興奮の余韻を残す事だろう…。
 私論で恐縮であるが、この大曲を聴かずしてアメノフィスの存在を軽んじて今まで無視を決め込んでいたのであれば、それはプログレ人生にとって余りにも膨大な時間の喪失でもあり、当然の如くジャーマン・シンフォニックの真髄は語れないであろう…。
           
 余談ながらも日本に初めてアメノフィスが紹介された当初、あのオランダのコーダと並ぶ…否!コーダをも越えたなどという意見もチラホラ聞かれたが、まぁ…コーダを越えた云々は聴く人それぞれの御判断にお任せするにせよ、コーダと並ぶ作品に位置付けられるのも然りだが、個人的にはフランスのアジア・ミノールに一番近い線を感じてならないのが正直なところと言えよう。
 なお、YouTubeでも御拝聴の通り本作品の1992年CDリイシュー化に際し、デヴュー当時お蔵入りとなっていた未発表5曲がボーナストラックとして収録されており、こちらも諸般の事情とはいえ埋もれさせるにはあまりに惜しい素晴らしい出来栄えである事を付け加えさせて頂く。

 念願のデヴュー作で、ある程度の知名度を得た彼等ではあるが、時代が悪かったせいなのか予想に反して思った以上にアルバムの売れ行きは伸び悩み、結局機材等を売却せざる得ない状況に追い込まれ、加えてアルバム製作とライヴ活動等の精神的疲弊が重なり、長年苦楽を共にしてきた弟のStefanがバンドを抜けてしまった事を機に、アメノフィスはあえなく解散という最悪の結果を招いてしまう。
 が、アルバムの完成度の高さを評価したインディーズの関連筋からのオファーで、残されたMichaelとWolfgangの両名は心機一転して新たなドラマーと選任キーボーダー、そして女性Voを迎えた5人編成で再結成し、4年後の1987年に『You & I』をリリースするものの、ロマンティックで幻想的な印象を湛えた意匠に相反して、デヴュー時の高貴で荘厳な作風から随分とかけ離れた、プログレッシヴな感触と名残こそあるものの時流の波に乗ったポップ感覚満載な売れ線狙いのただのロックに成り下がってしまい、この事が仇となり悲しいかなデヴュー時以上にさっぱりと売れず(日本でもある程度の枚数が入荷したが、全くと言っていいくらいに売れず、しまいには話題にすらも上らなくなった)、結局2度目の挑戦も敢え無く失敗に終わりバンドは再び解散してしまう。
 MichaelとWolfgangもほとほと音楽活動に限界と疲労を痛感し、以後は音楽業界からきれいさっぱり足を洗って、音楽とは距離を置いた職種に就くと共に、暫くはプログレッシヴとはおおよそ無縁な生活を送る事となる。

 …が、運命とはつくづくどこでどう転ぶか分からないもので、21世紀に入るや否や事態は思いも寄らぬ急展開を迎え、ムゼアからリイシューされたデヴュー作がプログレ史に残る名盤として世界的に認知されると、作品の評判を風の便りに聞き世界各国の大勢のプログレファンからのラブコールを受けたMichael自身、2010年再び一念発起でオリジナルメンバーだったWolfgang Volmuth、そして『You & I』期のキーボーダーKurt Poppeを呼び寄せ、新たな3代目ドラマーとしてKarsten Schubertを加えた4人編成でアメノフィスは再々結成の運びとなる。
     
 過去の迷いを全て断ち切り、機材とテクノロジーの向上に加えて、熟練者ならではの深い人間味と経験が活かされた、今年2014年…実に27年振りの新作『Time』は砂時計が描かれた意匠の如く“時”がテーマという実に意味深なタイトルを引っ提げて、アメノフィスが再び世に一石を投じる実に挑戦的な意欲作へと仕上がっている。
 時代のアップ・トゥ・デイト感に裏打ちされた21世紀スタイルのジャーマン・シンフォへと自己進化・成長を遂げた彼等は聴衆に問いかけるであろう。

 「夢を捨ててはいけない。夢を諦めてはいけない。夢を見ること、夢の様な音楽を創る事を決して忘れてはいけない…。」

 人生の深みと円熟味を増した彼等の紡ぎ出す音楽に耳を傾けつつ、これから先もまだまだアメノフィスと共にプログレッシヴの理想郷を目指して探訪の歩みを踏みしめていかねばなるまい。
 アメノフィスの面々、そして私自身の終わりの無い旅路はこれからまだまだ続くであろう…。

夢幻の楽師達 -Chapter 35-

Posted by Zen on   0 

 『幻想神秘音楽館』4月新年度に突入すると共に、今月最初の栄えある「夢幻の楽師達」は今もなお80年代に於けるシンフォニック・ロック復活の口火を切ったと言っても過言では無い、名実共にフレンチ・リリシズムのパイオニアでもありエポック・メイキング的象徴でもある名匠“アジア・ミノール”に改めて焦点を当ててみたいと思います。


 そして…毎週「夢幻の楽師達」と「一生逸品」でお送りする週2回ペースの連載で始まった『幻想神秘音楽館』のセルフリメイク&リニューアルも、今月でいよいよ折り返し地点となった事を機に、今までの週一で同じ国籍同士連載していたスタイルから一旦離れて、今月と来月の2ヶ月間「夢幻の楽師達」と「一生逸品」を毎週違う国籍同士の競合によるシャッフル企画と銘打ってお届けいたします。
 今秋の完全リニューアル再開という目標に向けて『幻想神秘音楽館』も、コロナウイルス災禍にめげず前向きに躍進して参りますので何卒宜しくお願い申し上げます。

ASIA MINOR
(FRANCE 1975~)
  
  Setrak Bakirel:Vo, G, B 
  Lionel Beltrami:Ds, Per 
  Eril Tekeli:G, Flute 
  Robert Kempler:Key, B

 70年代末期を境に世界的なプログレッシヴ・ムーヴメントは一時的な沈滞・衰退期に入り、1980年前後にあってはイエス、フロイドといった極一部の有名どころを除き、ますますアンダーグラウンドな位置へと追いやられてしまった感が強い。 
 イギリス始めイタリア、アメリカ然り、御多分に漏れずフランスとて例外ではなかった。マグマは別格として…大御所のアンジュに、アトール、ピュルサー、モナ・リザ、ワパスーといった70年代の代表格の殆どが、時代相応に合わせた音作りを余儀なくされ、試行錯誤に低迷期、活動停止に陥ったのはよもや説明不要であろう…。 
 “ロック・テアトル”が最大のウリでもあり謳い文句にしていたフレンチ・プログレッシヴは、ムゼア発足までの暫く7~8年間は本当にアンダーグラウンドな範疇にて厳しい冬の時代を迎えていたのが正直なところである。
 そんな状況下において、自主制作ながらもアラクノイとテルパンドル始め、ウリュド、ステップ・アヘッド、シノプシス、オパール、ウルタンベール、ファルスタッフ、ラ・ロッサ…等、活動期間は短命ながらも高水準な逸材・名盤が多数輩出し、僅かながらもフレンチ・シンフォは生き長らえる事が出来たのである。
 その当時のシーンに於いて、フランス国内外で一歩抜きん出た存在として絶大的な支持を得ていたのが、今回の主人公アジア・ミノールである。 
 我が国で初めて紹介された当初は“アジア・マイナー”なる名称で呼称されていたものの、徐々にバンドの実態、バイオグラフィー等が解明されていくのと波長を合わせるかの如く、名前の呼び方もフランス綴りに従ってミノールと呼ぶようになったとか…真偽のほどは定かではないが!? 
 バンドのルーツを遡ると、二人のトルコ人でもあるSetrak Bakirel(1953年、イスタンブール生まれのアルメニア系)とEril Tekeliの両名が、1973年に建築関係と音楽の勉強の為に渡仏した事からスタートする。
 二人ともハイスクール時代から、ジェスロ・タル始めシカゴ、マハビシュヌオーケストラ等を愛聴し勉学と同様に音楽活動でも意気投合した旧知の仲でもある。 
 そして程無くして渡仏以降に後のドラマーとなるLionel Beltramiと合流し、75年アジア・ミノールは産声を上げる事となる。
           
 79年のデヴュー作『Crossing The Line』のリリースに至るまでの長い期間、彼等3人は仕事と学業に追われつつも、所有している機材の脆弱さの悩みこそあれど、精一杯ライヴ活動をこなしながら演奏から曲作りの面で力を付けていき、徐々にバンドとしての頭角を現していく。 
 こうして…バンドはサポート・キーボードを迎えて録音に臨み、自主盤デヴュー作を初回1000枚でプレスし、プロモートに400枚配布しライヴ会場でも300枚近く売り上げて、口コミ・人伝を経由してますます評価を高めていった次第である。
    

 デヴューアルバムの成功と実績を得た彼等は、翌年正式に4人目のメンバーとして、Robert Kemplerをキーボード奏者に迎え入れ、あの名作・名盤にして80年代の傑作の一枚『Between Flesh And Divine』をリリースする。
 前作での反省を踏まえて当初は500枚プレスしたものの、イギリス始めカナダのプログレッシヴ専門店並びプレス関係からの熱心な後押しで初回は瞬く間に完売という快挙を成し遂げ、暫くの間はプレスしてもプレスしても売り切れるといった状態が続き文字通りのベストセラーになったと同時に、文字通り80年代のプログレッシヴ・シーン復活の起爆剤的役割として、幸先の良い契機となったことは一目瞭然である。
          
 余談ながらも…我が国のキングのユーロ・コレクションのリリース予定候補の中にも彼らの1stと2ndがリストアップされていた事も特筆すべき点である(それ故に彼等が当時において、頭ひとつ抜きん出た逸材であった事が証明出来よう…!) 。
 彼等の作品の魅力をズバリひと言で言い表せば…フレンチ・ロック特有の憂いと哀愁を纏いつつも、力強い演奏の中にミスティックで且つ抒情味たっぷりな旋律が堪能出来るというところであろうか。
 勿論、70年代の数ある大御所バンドからの影響をかすかに感じさせながらも、敢えて“何々風に似ている”といったカラーを出さなかったのも強み・身上とも言えよう。

 バンド自体もこのまま上がり調子で行くのかと思いきや、理由は定かではないが様々な諸事情でアジア・ミノールは結成から7年…国内外の多くのファンから惜しまれつつその活動に幕を下ろした。 
 バンド解散後、リーダーのSetrakはフランス国籍を取得し、トルコ映画『Le Mur』のサントラ製作に携わる。
 Erilは母国トルコに帰郷し音楽活動をも止めてしまい、ドラムスのLionelは幾つかのハードロックバンドやポップス系へと渡り歩き現在までに至っている。
 キーボーダーのRobertは後にIBMの正社員に就いたとのこと。
 Setrak自身今でもフランス国内にて創作活動を継続しており、実は…88~89年頃にムゼアからの提案と後押しでアジア・ミノールを一度再編しようと思い立ったこともあるとの事で、メンバーもSetrak、Lionel、Robertの3人に女性ベーシストを加えた4人編成で再スタートの青写真が出来つつあったものの、結局あと一歩のところで、IBM社員だったRobertが長期海外出張やら何やらの理由でポシャってしまい、以後Robertに代わるキーボーダーが見付からなかったことやら諸般の事情で、残念ながら再編計画が御破算になってしまった経緯である。

 アジア・ミノールが世に現れ出てから早30年余。今となっては“名作”として遺された2枚の作品は、幸運な事にプラケース仕様のリマスターCD、そして紙ジャケット仕様のSHM-CDで(良い意味で)簡単且つお手軽に入手可能で耳にする事が出来る。
 まだ未聴の方も然る事ながら、今までフレンチ・シンフォニックは苦手で敬遠(まあ…フランス語の独特のイントネーションとか一種クセのある音色等で今一つ好きになれないリスナーの方々が未だにいるみたいなので)されていた方々も、もしこのブログを御覧になって興味を持たれたら、どうか是非とも好みの差異は問わずに心をまっさらにして接して頂きたいと願わんばかりである。
 そこには決して名作・名盤という形容詞のみだけではない、ユーロ・ロックの持つ伝統的な美意識と浪漫、そして束の間の夢が思う存分堪能出来る筈であろうから…。
           
 幸運というか運命の巡り会わせとでも言うのだろうか…私自身の話で恐縮だが、昨今当のアジア・ミノールのリーダーでもあるSetrak BakirelとFacebookを経由して親交を持つ事となり、かねてから噂になっていたアジア・ミノール完全復活作のリリースに向けて、Setrakを中心に21世紀の今もなお精力的且つコンスタンスに創作活動並びライヴ、レコーディングを着々と進めているとのこと。
 おそらく今年か来年にはファン待望のアジア・ミノール復活作が満を持してリリースされる事となるであろう。
 アジア・ミノール、否!Setrak御自らが我々の前で謳い奏でる神憑りにも似た眩惑の音世界、21世紀の今…期待を胸にしかと受けて立とうではないか。

このカテゴリーに該当する記事はありません。