幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 37-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、セルフリメイク改訂版に移行してから初めて取り挙げるであろう…南米の欧州ことアルゼンチンから、1984年当時マーキー誌を通じて初めて紹介された大御所のミア始め、アラス、エスピリトゥと並ぶ70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期の立役者にして、今もなお絶大なる人気を誇り根強いファンや愛好者を獲得している、文字通り伝説的存在の称号に相応しい匠の集団でもある“クルーシス”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


CRUCIS
(ARGENTINA 1974~1977)
  
  Gustavo Montesano:B, Vo
  Pino Marrone:G, Vo
  Anibal Kerpel:Key 
  Gonzalo Farrugia:Ds, Per

 改めて思うに、年月と時間の経過に不思議な余韻というか感慨深い回想に捉われてしまう…。
 話は思いっきり過去に遡るが、1984年の20歳の時分…もうその頃ともなるとプログレッシヴ&ユーロロックにどっぷりと浸かりきっていた時期で、若かりし頃の自分自身プログレッシヴ・ロックの持つ見果てぬ無限(夢幻)の世界に思いを馳せていたまだまだ青い若僧で、ちょうど折しもアンダーグランド宣言でプログレッシヴ専門誌となったマーキー(当時マーキームーン)との邂逅でプログレッシヴ熱がますます加速し燃えていた、ある意味に於いて情熱と青春真っ盛りだった頃と記憶している。
 リアルタイムの同時期にマーキー誌面上ではバカマルテやサグラドといったブラジル勢始め、ミアを始めとするアルゼンチン勢をメインとした中南米プログレッシヴが大々的に発掘され始め盛り上がっていた頃で、失礼ながらも海のものとも山のものとも付かない当時まだまだ未開のシーンに対し期待半分懐疑的な思いを抱いていたのが正直なところで、中南米=サンバやルンバといった太陽燦々で陽気なイメージといった浅はかな先入観しか抱いてなかったものの、時間が経つにつれて車が走り旅客機が飛んでいるところにはちゃんとロックを始めとするポピュラーミュージックだってあることをそれ相応に理解していたが故、いつの間にか中南米プログレッシヴに対する抵抗感はおろか許容し受け入れるまでに時間も要しなかったのだから、この時ばかりは柔軟な思考力も大切であると痛感した次第である(決して“ちゃっかり”という訳ではないが…)。
           
 前後して少しずつ中南米のシーンが発掘解明され、その全貌が明らかにされると同時に70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期を飾ったミアを始め、今回本篇の主人公でもあるクルーシス、そしてアラス、エスピリトゥが四本柱か四天王の如く紹介され、その高水準な完成度とハイレベルなクオリティーで少数精鋭ながらも瞬く間に注目された後、追随するかの様にパブロ・エル・エンテラドール、ラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス、ブブ、エイヴ・ロック…etc、etcまでもが後発的に取り挙げられ、海を越えたイタリアやスペインといった同じラテン系に負けず劣らずアルゼンチンのプログレッシヴシーンはまさしく百花繚乱の様相で活気付いたのはもはや言うには及ぶまい。
 クルーシス結成までの経由に至っては詳細こそ明らかではないが、1974年に中心人物でもあり実質上バンドリーダーでもあったGustavo Montesano、そして先に挙げたラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス解散後ベーシストだったJose Luis Fernandezの両名を中心に結成され、アルゼンチン国内で精力的にギグを積み重ねながらも、リーダーGustavoを除いてメンバーが何度も入れ替わったりで(余談ながらも結成当初ギタリスト兼ヴォーカリストだったGustavo自身も、Joseの脱退後にベーシストへ転向)前途こそ多難であったが、1976年にかのRCAアルゼンティーナと正式契約を交わす頃にはGustavoが目指すべく理想的で強固なラインナップとなって、結成2年目にして漸くアルバムデヴューを飾る事となる。
 ちなみにクルーシスのデヴューに至るまでの間、彼等にとって大いなる助力でもありサジェスチョン的な役割を担ったであろう、アルゼンティーナ・プログレッシヴ界の実力者にして立役者にしてスイ・ヘネリスやラ・マキナのキーボーダーをも務めたCharlie Garciaの存在を抜きには語れない事も付け加えさせてもらいたい(Charlie自身、クルーシスのデヴュー作でモーグのプログラミングをも担当している)。

 1976年に自らのバンド名を冠して鳴り物入りでデヴューを飾り、イエス始めナイスやEL&P、果てはフォーカスから多大なる影響を受けた、そのブリティッシュナイズ+ヨーロピアンな佇まいすら想起させるであろう、純然たるプログレッシヴ・サウンドスピリッツ全開なヘヴィでメロディアスなコンセプトに、アルゼンチン国内の熱狂的なロックファンから絶大なる称賛が寄せられると同時に、同年Microfonレーベルからデヴューリリースしたエスピリトゥと共に今後への大きな期待と注目を集めるのは言うまでもなかった。
 
 特筆すべきはクルーシスのデヴュー作が特殊なジャケットであった事が大きな話題となり、古今東西世界中のプログレッシヴ・ロック界広しと言えど…見開き含めて様々なギミックやら変形ジャケット、初回特典やらオマケつき等が数多く存在する中で、サディスティックな女王様が描かれた幾分倒錯的でSMチックなジャケットから中を引っ張ると、何ともう一枚…広重か北斎を思わせる鷲(鷹?)が描かれた日本画調のジャケットが出てくるといった凝った趣向となっており、彼等の幸先の良いスタートに繋がる上でも大きな要因となっている。 
 彼等の人気を受け日本でも過去にUKエジソンから後にも先にもたった一度きりではあったが、国内盤仕様でデヴュー作と2ndの2作品をアナログLPでリイシューされた事があったものの、流石に鷲の描かれたジャケットまでには到底及ぶべくもなく、SM女王様ジャケットどまりだったのが何とも惜しまれる…。

 こうしてデヴュー作の成功に気を良くした彼等は、その気運を追い風にデヴューライヴ活動と併行して、次回作の為のリハーサルを行い休む間も無く勢いに乗って間髪入れず矢継ぎ早に同年の半年後、2nd『Los Delirios Del Mariscal』をリリース。
 ややもすれば突貫工事めいたやっつけ仕事にも似た強行レコーディングを思わせながらも、ジャケットアート含めてサウンドワーク的にも前作と並んで甲乙付け難い、決して遜色の欠片すら微塵も感じさせない最高の仕上がりを見せる奇跡の偉業を彼等は難無く成し遂げる事となる。
 サウンド的にはフォーカスの『Mother Focus』、フィンチの3rd、そしてセバスチャン・ハーディーの2ndにも匹敵するであろう、前デヴュー作以上にソリーナ系のストリング・アンサンブルとエレピを多用した広大な音の広がりとメロウで甘美なメロディーラインをフィーチャリングした、名実共にアルゼンティーナ・プログレッシヴ史に残る傑作へと昇華する。
    
                 
 こうしてデヴューから僅かたった一年で2枚もの最高傑作をリリースした彼等は、翌1977年の1月にブエノスアイレスのルナパーク・スタジアムで開催されたロック・フェスティバルに参加し、満員熱気に包まれた聴衆の前で全身全霊を込めた最高のライヴパフォーマンスを繰り広げ、その輝けるステージを最後に…あたかも演れるべき事はもう全て演りきったと悟ったかの如く、クルーシスとしての活動を一切停止し程無くしてバンドの解体を決意。
 バンド解体後Montesano自身はソロ活動に入り、同77年にはかつてのクルーシスのバンドメイト始めCharlie Garcia、かつて苦楽を共にしたJose Luis Fernandez、アラスやその他大勢のアルゼンチン・プログレッシヴバンドから多数ものゲストを迎えて、実質上クルーシスの3枚目と捉えても差し支えない位の素晴らしいソロアルバム『Homenaje』をリリースする。
 そして3年後の1980年には同国のプログレッシヴ・フォークデュオのパストラルからAlejandro de Micheleを迎えたMontesanoによるプロジェクト・デュオのメルリン(Merlin)名義でラテンフレーヴァー溢れるプログレッシヴ・ポップス『Merlin』をリリースし、以後Montesanoは活動の拠点をスペインに移し幅広く様々なサウンドスタイルで活躍して今日までに至っている。
          
 肝心要のクルーシスの2枚の作品に至っては、前述の通り過去に日本盤仕様のシングルジャケットでリイシューされたアナログLP盤が確認されているが、それ以降ともなると正式な形でのCDリイシュー化はなされておらず、1995年にリリースされたベストアルバム形式の『Kronologia』は例外としても、アルゼンチンやベルギーでプレスされたリイシューCDですらもデヴュー作と2ndとの2in1形式による些かコンパクトでまとめられた…さながら一枚で二度美味しいといった安易なお得感しか残らない何ともトホホといった実情である。
 それでも昨年末に発掘音源ながらもリリースされたアーカイヴ・ライヴ音源の『EN VIVO ENERO 1977』の予期せぬ突然の到着は、ファンにとってはこの上無い朗報でもあり最高の贈り物となった事であろう。
 この流れが良い方向に向いてくれれば、近い将来マーキー/ベル・アンティークないしディスクユニオンから正規盤で完全オリジナル仕様に忠実に再現された紙ジャケットCDとしてリイシューされる事も夢ではあるまい…。
 それはもしかしたら決して叶わない夢であるかもしれないが、一縷の望みを託して今はただ奇跡を信じて待ち続けたいと思う。
 まさにそれこそがプログレッシヴ・ファンとしての冥利に尽きる事なのだから…。

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一生逸品 MÓDULO 1000

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 今週の「一生逸品」を飾るは、ブラジリアン・プログレッシヴ黎明期だった1970年、その独特で且つ唯一無比な世界観と、斜に構えてアイロニカルな毒気をも含んだサイケデリック、ヘヴィロック、スペース&アートロックといった多彩(多才)な音楽的素養を内包した、21世紀の今日までもなおそのカリスマ性を湛えつつカルト的な神々しさを放ち続ける、ブラジリアン・プログレッシヴ随一の伝説的存在と言っても過言では無い“モドゥロ1000(ミル)”に、今再び輝かしい栄光の光明を当ててみたいと思います。


MÓDULO 1000/Não Fale Com Paredes(1972)
  1.Turpe Est Sine Crine Caput
  2.Não Fale Com Paredes 
  3.Espêlho 
  4.Lem - Ed - Êcalg 
  5.Ôlho Por Ôlho, Dente Por Dente 
  6.Metrô Mental 
  7.Teclados 
  8.Salve-Se Quem Puder 
  9.Animália 
  
  Luiz Paulo Simas:Key, Vo
  Eduardo Leal:B
  Daniel Cardona Romani:G, Vo
  Candinho Faria:Ds

 南米ブラジルのプログレッシヴ・ムーヴメントが瞬く間に注目されたのは、1984年にマーキー誌(当時はマーキームーン)がプログレッシヴ専門誌としてアンダーグラウンド宣言を提唱した頃とほぼ同時期であろう。
 リアルタイムにPFMフォロワーとして一気に話題を集めたバカマルテを皮切りに、クァントゥム、そして80年代プログレッシヴの代表作となったサグラド、更に時代を遡って70年代のブラジリアン・プログレッシヴを紐解いていくと、ミュータンテス、オ・テルソ、カサ・ダス・マキナス、GG影響下の素晴らしいデヴュー作のテッレーノ・バルディオ、パトリック・モラーツとも交流のあったゾム・ノッゾ・デ・カーダ・ディア、ブラジルきっての繊細で研ぎ澄まされた知性の申し子故マルコ・アントニオ・アラウヨ…etc、etc、兎にも角にもと枚挙に暇が無い。

 フロイドの『原子心母』が世界中を席巻した、文字通りプログレッシヴ元年とも言っても過言では無い1970年、英米のロック&ポップスに触発されつつも自国のアイデンティティーとラテンのフレーバーが融合した様々な試みが世に送り出されたブラジリアン・ロック黎明期のさ中、前述のミュータンテスと同期バンドでありながらもワン・アンド・オンリーのたった一枚のみの類稀なる作品を遺してシーンの表舞台から去っていった、今回本篇の主人公でもあるモドゥロ1000(ミル)は、ほんの瞬く間の栄光と理不尽な抗議や誹謗中傷との狭間で自らの青春を謳歌し葛藤を繰り広げてきた、改めて思うに…その一種特異な音楽性がほんの少しだけ時代の先を行っていたが故、幸か不幸か登場するにはあまりにもやや時期尚早な存在だったのかもしれない。
 2016年南米初で開催されたリオ・オリンピックも然る事ながら、何よりも大規模なサンバ・カーニバルで世界的にも名高いブラジル第二の巨大都市リオデジャネイロにて、ブラジリアン・ロック夜明け前の1969年4人の若者達によってモドゥロ1000は結成される。
 ちなみにモドゥロとは英語訳でモジュールの意である事を付け加えさせて頂きたい。
 バンド結成の経緯等にあっては(毎度の如く)残念ながら資料の乏しさに加えて知識不足で全くと言っていい位に解らずじまいではあるが、ある程度判明している点でバンドの音楽性に多大なる影響を受けた素養として、ツェッペリン始めサバス、ステッペン・ウルフ、ピンク・フロイド、クォーターマス、果ては同国のミュータンテスであるとの事。
 彼等ならではのヘヴィなファズギターとチープで無機質がかったオルガンで構成されたサウンドを何度も繰り返し聴く度に、サイケデリック、アートロック、ヘヴィロック、スペースロック、トリップ、アシッド…等の様々なスタイルがあたかもゴッタ煮の如く内包している様は、同年代のブリティッシュ・アンダーグラウンドやアメリカン・サイケデリック、ジャーマン・サイケデリックをも凌駕し、南米の異国情緒とがコンバインした唯一無比の音楽世界は、ブラジル・ロックシーン黎明期の新たな方向性をも模索した特異な存在として、彼等が遺したアルバムが45年以上経った現在でもなおカルト的に賞賛されているというのも頷けよう。
 ちなみに彼等のアルバムタイトルでもある『Não Fale Com Paredes』を英訳すると“Don't Talk to Walls(壁に相談するな)”という、何ともアイロニカルで意味深なタイトルではなかろうか…。
 なるほどグレーカラーの下地にSFムービー風なレタリングのみという至ってシンプルな意匠に、実は灰色の壁に見立てたジャケットに語りかけても無駄という深い意味が…実に何とも皮肉な洒落が効いているではないか(苦笑)。
 1972年リリース(1970年リリースの説もあるが各方面での関係筋によれば、やはり1972年リリースが正しいと思われる)当時、リアルタイムに彼等と同傾向の作品は数あれど、ここまでブッ飛んだ内容に匹敵する作品を挙げるとなると、私自身の乏しい知識で恐縮なれど日本ロック黎明期の傑作にして問題作のファーラウト或いはフードブレインと肩を並べる怪作ではなかろうか。
          
 オープニングを飾る1曲目から彼等の摩訶不思議で形容し難い、天からの啓示とおぼしきメッセージ性を孕んだ何とも奇ッ怪でミステリアスなメロディーラインが印象的ですらある。
 さながら“ラヴ&ピースでラリって決めてハイになって宇宙人と友達になろう”と言わんばかりな、宇宙との交信をも思わせるサイケでハッピーなカルトミュージック全開の様相を呈しており、イコライザー処理を施した無機質なヴォイスに、金属質でヘヴィなギターの残響、シンセサイザーやメロトロンを使う事無く、エフェクトを多用したハモンドオルガンのみでこれだけ神秘的でスペイシーな広がりを持たせた曲は他に類を見ない。
 さながらウルトラQの石坂浩二氏のナレーションの如く、これから30分間貴方の耳は貴方の心と身体を離れて不思議な時間と音楽の世界へと入っていくのですと言わんばかりである…。
 初期のサバスに触発されたかの様なヘヴィで混沌としたエッセンスと、オープニングに引き続きスペイシーでトリッキーなサウンドとが違和感無く融合したアルバムタイトルでもある2曲目、ブリティッシュ・アンダーグラウンド然とした『神秘』期のフロイドにも相通ずる重々しくて陰鬱なヴィジョンを醸し出すアコギとウィスパー調なヴォイス、ややクラシカルな趣のハモンドにサイケデリックなギターが存分に堪能出来る“鏡”を意味する3曲目も実に素晴らしい。
            
 初期のカンやクラウトロック風を思わせるメロディーラインに導かれ、チープでメカニカルなオルガンとギターが印象的なインストオンリーの4曲目はおよそ1分弱の小曲で終盤サイケデリックに破綻する展開には、当時のブラジリアン・ロック黎明期にこんな先鋭的な試みを演っていたバンドが存在していた事に改めて驚嘆の思いですらある。
 小曲を挟んで「目には目を、歯には歯を」の意の5曲目はやや呪術めいたイントロに導かれ、幾分攻撃的且つ挑発的なシチュエーションを湛えたミスティックでヘヴィなナンバー。
 兎にも角にもこのバンドあまりにも情報量というか引き出しが多過ぎて、様々な顔と側面をも垣間見せるから良い意味で実に困ったものである(苦笑)。
 6曲目はタイトル通り…地下鉄に揺られながらあたかも冥府へと続くような白昼夢を見せられるような心理状態をヘヴィ&サイケに謳った、イタリアン・ヘヴィプログレにも似通った邪悪でダークなイマジンが一瞬脳裏をよぎる。
 重々しいピアノをイントロダクションにLuiz Paulo Simasのキーボードソロが縦横無尽に繰り広げられるタイトル通りの7曲目の荘厳さは、1分半近い小曲と言えども70年代イタリアン・ロックとほぼ互角なダイナミズムとアーティスティックな感触をも禁じ得ない秀作。
 7曲目の余韻も冷め切らないまま、怒涛の如く雪崩れ込む8曲目にあっては英国ヴァーティゴ・オルガンロックカラー全開のヘヴィでブルーズィーなリリシズムと男性的な力強さとがせめぎ合う様は、最早ラテンミュージックのフレーバーすらも微塵に感じられないくらい完全ブリティッシュナイズに染まった彼等ならではの英米音楽への見事な回答と言っても差し支えはあるまい。
 ラスト9曲目はアシッドフォーク調で気だるさを帯びたアコギと中期クリムゾンのフリップ風エレクトリックギターとの応酬が絶妙な1分半超の小曲で、まさしく最後を締め括るに相応しい何ともほろ苦くて感傷的な余韻すら覚える実験色の濃いインストナンバーである。

 概ね32分近い収録時間ながらも、全曲共に甲乙付け難い粒揃いな好作品をリリースしブラジル国内においても精力的なギグを積み重ねてきた甲斐あってかなりの好感触で支持を受けていた彼等であったが、いかんせん海を越えたスペイン、ポルトガルでの音楽事情と同様に、ロックが市民権を得ていなかった当時に於いて、彼等の謳うあまりに不健全極まる歌詞の内容に当局から検閲やらクレームの横槍が入って、地方によってはレコード店から強制的に回収され発禁扱いになるという憂き目に遭っているから、この当時自らの言葉と歌詞で勝負していた(ジャンルを問わずに)アーティスト達にとってはかなり至難な時代だった事であろう…。
 そんな一部からの言われ無き理不尽な批判にもめげず彼等は精力的に活動を続け、1972年に解散するまでデヴュー時の強烈なまでの個性こそ薄まったものの、それに匹敵するくらいのサイケでポップでプログレがかったシングル曲に加えてブラジルの音楽誌ムジカ・ロコムンド主催のコンピレーション企画用に収録した計8曲のアンリリースドテイクを遺し、彼等はその短い活動期間に静かに幕を下ろす事となる。
 解散後のメンバーの動向と消息は現時点で分かっているところでは、キーボーダーのLuiz Paulo SimasとドラマーのCandinhoの両名は本格的プログレッシヴ・バンドのVIMANA(ヴィマナ)を結成し、以降も精力的に演奏活動を続けるも結局たった一枚も作品を遺す事無く1977年に敢え無く解散し、Luiz Paulo Simasは交流のあったオ・テルソ関連の作品に参加し、現在も映像メディア関連や演劇といった多彩なジャンルにて創作活動を継続中。
 ギタリストのDaniel Cardona RomaniとベースのEduardo Lealにあっては、72年のバンド解散以後の足取りが不明であったが、残念な事にDaniel Cardona Romaniは2015年4月に鬼籍の人となっているのが悔やまれる。
 モドゥロ1000の唯一作にあっても90年代末期まで様々なすったもんだでリイシューもままならない状態であったものの、時代の推移と共に誤った認識が改められ1998年に漸くCDリイシュー化される事で陽の目を見る事となった次第である。
 時代は21世紀に突入しても彼等の人気と評判はカルト並みに鰻上りとなって、遂にはジャーマン・サイケの本場ドイツから2004年にWORLD SOUNDレーベルを経由して、70年リリース時の三面開き変形アナログLP盤仕様を忠実に再現した紙製三面開き変形デジパックCD(ボーナストラック8曲収録)までもがリリースされ、6年後の2010年にはイギリスRPMレーベルからジャケットデザインを含め装いも新たにプラケース仕様ながらも、貴重な宣材向けライヴ写真と今は亡きギタリストのDaniel Cardona Romaniによる詳細なバイオグラフィーと解説等を網羅した豪華ブックレットが大いに話題を呼んだのは記憶に新しい。
 余談ながらも、デヴュー作に当たる三面開き変形アナログLP盤は現在もなおウルトラメガレアアイテム級に扱われており、一枚辺り何とン十万円もの破格なプレミアムが付けられているから最早カルトを通り越して驚愕そのものと言わざるを得ない…。
 80年代にブラジリアン・プログレッシヴが発掘認識され、21世紀の今もなおネオ・プログレッシヴの一端を担う新進気鋭が続々と輩出されている今日この頃、シンフォニック始めメロディック、プログメタル、ジャズロック…etc、etcと多岐に亘るが、ブラジリアン・プログレッシヴの今日があるのは、やはりモドゥロ1000を始めとする70年代初頭の黎明期が指し示した道程と指針があってこそと敬愛して止まない。
 あの70年代当時のモドゥロ1000の若い時分の彼等が切り開いた飽くなきパイオニア精神とたゆまぬ実験的な挑戦…そんな遥か昔への憧憬とリスペクトを、混迷たる21世紀の今日に再び新たな甦りの息吹きとして与えてくれる存在がいつの日にか巡って来る事を私は信じて止まない…。
 否!私自身…もう既に出会っているのかもしれないが。

夢幻の楽師達 -Chapter 55-

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 昨年8月のブログサービスの移転に伴い、一念発起で再出発し足かけ一年超に亘りお送りしてきた『幻想神秘音楽館』の一斉リニューアル(+セルフリメイク)ですが、思い返せば「夢幻の楽師達」「一生逸品」の過去10年以上分の文章データを掘り返しては再度加筆と修正を施し毎週2回ペースで掲載していくという…今にして思えばやや無謀にも近い試みではありましたが、いざ蓋を開けてみたらあっという間に漸くここまで来れたものであると感慨深くなることしきりです。

 皆様のお蔭を持ちまして今秋の正式な新規再開まで凡その目途が立ち、週2回ペースで連載してきた『幻想神秘音楽館』もあと僅か6週分を残すところとなりました。
 正直なところ…再編集リニューアルしなければならない文章データがまだ少し残ってはいるものの、自分自身あまりにマニアックな範疇を再掲するのは如何なものだろうかと自制を促し、毎週掲載分を切りの良いところ60回目で終わらせて、11月から新たに61回目というカウントリセットで本来の月イチ掲載ペースに戻す意向です。
 どうか新規再開までの間、週2掲載ペースの『幻想神秘音楽館』にもう暫くお付き合い頂きたく宜しくお願い申し上げます。
 ラストスパートを切った9月の掲載は、今春4~5月に亘ってお送りした「夢幻の楽師達」と「一生逸品」の国別シャッフル形式を再び採用し、更に今月の「一生逸品」にあってはイタリアン・ロックの唯一作をメインに焦点を当てていくのでどうかお見逃し無く。

 さて今月最初の「夢幻の楽師達」を飾るのは、久々の南米アルゼンチンから情熱と抒情の狭間で開花した一輪の花の如く儚くも可憐な旋律を奏でる美意識の申し子と言っても過言では無い、まさしく南米プログレッシヴきっての幻想の夢織人“ミア”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

MIA
(ARGENTINA 1976~1979)
  
  Liliana Vitale:Vo, Ds, Per, Flute
  Lito Vitale:Key, Ds, Vo
  Nono Belvis:B, G, Vo
  Daniel Curte:G
  Juan Del Barrio:Key, Ds, Vibe

 ミアの本編を綴る前に、誠に恐縮であるが暫し蛇足みたいな思い出話にお付き合い頂きたく御容赦願いたい。
 今でこそ中南米のプログレッシヴ・ロックの捉え方は欧米諸国、日本のシーンと同等極当たり前の如く取り扱われているが、80年代初頭我が国に“中南米にもプログレッシヴ・ロックがある”というアナウンスメントが報じられた時は、それはあたかも異国のプログレに対し、悪く言ってしまえば(無論、当時の私達も認識不足があったという反省点も踏まえて)まるで海のものとも山のものともつかない余所者がやってきた…そんな怪訝な眼差しを向け懐疑的な思いになったものである。
 朧気な記憶ながらも高校3年の時に愛読していたフールズメイト(お恥かしい話、当時新潟にマーキームーンは入って来なかったし存在すらも知らなかった)に掲載されていた…たしかディスクユニオンの新着輸入盤の広告だったと思うが、“ヨーロッパの美しき旋律、いよいよ南米へと波及”といった謳い文句で、この時はメキシコのチャック・ムールやカハ・デ・パンドラといった4~5アーティストの作品が紹介されていたと思う。
 ブリティッシュ5大バンド始めPFM、バンコ、オザンナ…等といったユーロ・ロックを国内盤で容易に入手出来て、私自身まだまだほんの一介のひよっ子みたいなプログレ&ユーロファンでしかなかったあの時分、いきなり告知で中南米プログレなんぞ紹介されてもピンと来る筈も無く、自身の若くて青かった脳内も、中南米=サンバやルンバといった明るく陽気で脳天気なラテンのリズムしか連想するしかなく、欧州の美学と旋律と中南米のイマジネーションを結び付ける事なんぞ当然ミスマッチ=無謀な化学反応であると高を括っていたものだった。
 まあ、今にして思えばかなり酷い話かもしれないが(苦笑)。
 社会人になってからの1984年、マーキームーンがアンダーグラウンド宣言を打ち出し、完全にプログレッシヴ・ロックとユーロ・ロックの専門誌として確立させた思い出深くも忘れられないその年に、山崎氏のレヴューで「今、ブラジルのシーンが熱い!」という触れ込みで紹介されたバカマルテ、クォンタム…等を契機に、以降あれよあれよという間に中南米のプログレが次々と紹介され、欧米諸国と同様に相応の高額プレミアムで入荷されて瞬く間に新たな高値の花として注目を浴びるまでに至った次第である。
 こと南米のヨーロッパことアルゼンチンのシーンにあっては、少数精鋭といった感が強く完成度の高いクオリティーと音楽性を有するという事で、余程のマニアでない限り入手は極めて困難だったと思える。
 そんな俄かに降って沸いた中南米プログレが日本のプログレ市場を席巻するさ中、84年の夏に休暇を利用して上京し豊島区南長崎のマーキーの事務所(某アパートの一室で細々と運営していた)に初めて訪れた時のこと、山崎・賀川の両氏から歓迎されいろいろ雑談している中、ふと部屋の隅に目を向けると数枚ものLPが無造作に鎮座されてて、山崎氏の口からそれはアルゼンチンのプログレの試聴盤であるとのこと。
 あの時はたしかアラスの1st始めエスピリトゥの1stと2nd、そして今回のメインでもあるミアの1st~3rdまでの3種類の作品が次回の通販の為に準備されていた事を今でも覚えている(それでも当時は8000~10000円位の値段が付けられていた)。
 その中でもミアは比較的覚えやすいネーミングだった事から、新潟に戻ってきた時でもちゃんとしっかり記憶に留めていたものである。
 後述するが何よりもそのミアの一連の作品から感じられる自主製作然とした装丁と意匠に、ホームメイドな手作り感というかハートウォーミングな温かみを覚えたのは紛れも無い事実であった。

 ミアは御存知の通り、音楽一家に生まれ幼少の頃から英才教育の手ほどきを受けたLiliana VitaleとLito Vitaleの姉弟を中心に、家族とその縁者、早い話が向こう三軒両隣よろしくと言わんばかりの御近所付き合いの延長線上とおぼしき名うてのメンバーを集めて70年代中期に編成されたバンドと思われる。
 この当時アルゼンチン国内の大手Microfon始め、外資系大手のEMIやRCAといったレコード会社に頼る事無く、自らのセルフレーベルCICLO 3を立ち上げ彼等は1976年『Transparencias』で記念すべきデヴューを飾り、以降も同レーベルから自らの音楽スタイルや世界観を損なう事無く年一回のコンスタンスなペースで作品をリリースしていく事になる。
     
 セルフレーベルを設立しライヴ活動等に於いても自ら運営していく一方で、他のバンドやアーティスト等との交流にも積極的で、スイ・ヘネリス始めラ・マキナといったベテラン系を渡り歩いて来たCharly Garcia、大御所Raul Porchetto、クルーシスのGustavo Montesano…etc、etcとの横の繋がりを築き連携しながら、当時70年代後期のアルゼンティーナ・プログレッシヴを盛り上げていったのは周知の事と思う。
 が…何よりもそういったアルゼンチンのロックシーンを陰ながら支えたのは誰であろう、LilianaとLitoの実母にして生き証人ともいえるEstherの尽力あってこそと、改めてここで付け加えておかねばなるまい。その母Estherに関しては後ほど改めて触れることにせよ、彼女の存在なくしてあの当時のアルゼンチンのシーンは成り立たなかったと言っても過言ではあるまい。
   
 白地に無機質な抽象画或いは現代アートを思わせる意匠にセピアカラーで彩られた1st『Transparencias』は、一見難解なイメージを抱かせる印象とは裏腹に、女性的な美感覚と心象風景、儚くも可憐な一輪の花の生命を思わせるリリシズムとイマージュを想起させる極上の音世界が繰り広げられている。
 アルバム全体がオールインストゥルメンタルで占められており、本作品に於いてはやはり特長的とも言えるLitoのコンポーズ能力とスキルの高さを物語るキーボードワークの素晴らしさに尽きるであろう。
 クラシックとジャズの素養が各曲の端々で存分に活かされており、時折フォークタッチな素朴で牧歌的な趣が堪能出来るのも実に魅力的である。
 セピアカラーと相まって作品から連想するのは、やはり枯葉舞い散る晩秋の詩吟に似た物悲しさといったところだろうか…。

 翌1977年にヴォーカル系に重きを置いた2nd『Mágicos Juegos Del Tiempo』をリリースするが、前デヴュー作がLitoの織り成すキーボードハーモニーがメインだったので、おそらく本作品は姉Lilianaの発案で製作されたものと思われる。彼女の詩情豊かな歌唱力に物憂げな感情が発露された、シンガーソングライターとしてのLilianaの力量が思う存分に発揮された好作品であると共に、Litoの壮麗で瑞々しいキーボードワークも前作と同様に堪能出来る素晴らしい内容に仕上がっている。
     

 余談ながらも…マーキー/ベル・アンティークからリリースされた紙ジャケットSHM‐CDを入手された方は既に御存知かと思うが、2ndの本作品は世間一般では黒地にマンドリン(リュート)を奏でる楽師が描かれたジャケットがお馴染みであろう。
 私自身もアナログLPはセカンドプレスのものしか所有しておらず、よもやオリジナルの初回プレスが黒地に風車の描かれたジャケット表面にマンドリン楽師の描かれた歌詞のブックレットを嵌め込む、まさしく変形ジャケットさながらのギミックであったとは思いもよらなかったと苦笑せざるを得ない。
 まあ、ここではスペースの都合上楽師の描かれたタイプのジャケットを掲載しておくが…。
 ちなみに2ndのメンバーは、前作からキーボードのJuanが抜け、ギタリストのDanielがコントラバスとサウンドエフェクト関連の裏方に回り、新たなギタリストとしてAlberto Munozが参加している。 

 世界的規模でプログレッシヴ・ムーヴメントの停滞・衰退が叫ばれつつあった1978年…多くの有名プログレッシヴ・アーティストが時代に呼応する様な形で新機軸を打ち出したり、路線変更を余儀なくされ、より以上に一般大衆に向けてアピールする形で短い時間の楽曲でポップ化になったりと時流の波は着実にプログレを変えつつあった。
 そんなさ中にあってもミアは臆する事もたじろぐ事も無く、自分たちの音楽スタイルに自負とプライドを持ち続け頑なな姿勢を貫き通して、スタジオ収録アルバムの最終作にしてバンドの最高傑作『Cornonstipicum』をリリースする。
   
 それはまさにアルゼンチンの最終砦にミアありきと言わんばかりな会心の自信作ともいえる充実さを物語っており、同国のブブやラ・ビブリアと並んでアルゼンティーナ・プログレッシヴの頂点を極めたと言っても過言ではあるまい。
 蛇男が描かれた幾分薄気味悪く、お世辞にもとても美しいとは言い難い醜悪なジャケットワークに相反するかの如く、1stと2ndで培われた音楽的経験値に加え、両作品互いの良質な部分と構築的な手法とが見事に昇華・結実し目指すべき極みの到達点に達した、文字通りアルゼンチン・プログレ史に燦然と輝く最高傑作となった。
 彼等自身にとっても今までの集大成的な趣が込められた、まさしくバンドとしての最後を飾るに相応しいミア・ファミリー総出(JuanとDanielの復帰に加え、多彩なゲストプレイヤーを迎えた)の意味を踏まえた形としてもメモリアルな一枚とでも言えるだろう。
 アルバムのラストを飾る17分強の3rdタイトルでもある大曲にあっては、静と動、柔軟と硬質…緩急目まぐるしく展開し聴く者を終極へと誘っているかの如く導いていく様は、夢の終わりを告げる寂寥感にも似た何とも形容し難く感慨深い思いに捉われる事だろう。
         
 78年の3rdリリース以後、彼等はイエス、EL&Pにリスペクトしたかの様に3枚組ライヴ・アルバム『Conciertos』をリリース(但しそれ以前に2ndと3rdとの間にカセット・オンリーのライヴ『En Vivo』をリリース)しているが、誠に申し訳無い事で恐縮だが、私自身残念な事にそのカセットライヴ作と3枚組ライヴの現物を未だに確認出来ていないのが何ともはやである(苦笑)。
 カセットライヴ『En Vivo』然り3枚組ライヴも未だCD化されていないので、願わくば完全コンプリートという形で改めてCD化されることを切に願わんばかりである…。
 3枚組ライヴという形で締め括り、ある意味ミアというバンド活動に幕を下ろした彼等は各々が進むべき道へと歩み、ソロ活動、セッション並びバックバンド、舞台・映像音楽といった活躍の場へと移行していく。
 Lilianaはシンガーソングライターに転身しプログレッシヴのフィールドからは完全に遠ざかって現在までに多数もの作品を発表し現在までに至っている。
 Litoの方はもう既に御存知の通り、1981年にミアの作風とカラーを継承した多数ものキーボード群を含めギター、ベース…etc、etcのマルチプレイを発揮したシンフォニック系ソロ作品『Sobre Miedos,Creencias Y Supersticiones』をリリースする。
   
 ミアの一連の作品と共に本ソロ作品も紹介され大いに話題と評判を呼んだものの、彼自身それ以降は自国のアイデンティティーに基づいた創作活動へと転向し、ジャズ傾倒寄りのカルテットを率いて音楽活動にいそしむ一方、バレエや創作舞踏の音楽を多数手掛け今日までアルゼンチン国内の第一
線の音楽家としてその名を馳せている。
 ミア関連といえば…2008年に突如としてアルゼンチン盤でリリースされた2枚組アーカイヴ音源CD『Archivos MIA (1974-1985) 』が記憶に新しい。
 未CD化のライヴ音源からの抜粋始め、スタジオ録音されながらも諸般の事情でお蔵入りになった未発表曲、エンハンスド仕様で収録されたミアの貴重なビデオ画像…等が大盤振る舞いに収められたデジブックスタイルの素敵な贈り物に世界中のファンは狂喜乱舞したのは言うには及ばないだろう。

 Litoに話を戻すが…彼自身も1998年には待望の初来日公演をも実現させ、そこにも長年苦楽を共にした実母のEstherが彼を温かく見守っていたのは言うまでもあるまい。
 Litoの名誉の為にも敢えて断っておくが、決してマザコンとかステージママ云々といった下世話で低次元な視点で捉えてほしくないという事を声を大にして言っておきたい。
 実母のEstherさん(御存命であれば現在80代後半に手が届くであろう?)の尽力無くして今日に至るまでのアルゼンティーナ・プログレッシヴの道程と系譜は無かっただろうし、英語の苦手なLitoに代わってネットやメールを駆使して息子の国内外公演の交渉始め、アルゼンチン国内のプログレ系アーティストとの交流、諸外国プログレバンドとの連絡のやり取りを経て、21世紀の現在まで道を繋げてきた御苦労と恩恵を決して忘れてはならない(余談ながらも…かのパブロ・エル・エンテラドールの2ndのニュースも彼女の口から公表されたものである)。
          
 21世紀の今…欧米や日本と同様、南米のメインストリームともいえるアルゼンチンのプログレッシヴ・ムーヴメントも、ひと頃から比べたらブラジルやチリと同様に百花繚乱の様相を呈している昨今と言わざるを得ない。
 NEXUS、RETSAM SURIV、URANIAN…etc、etcが犇めき合うさ中、現在もなお次世代を担う新鋭と期待の逸材達が新たな歴史を刻む為に日々切磋琢磨しているという喜ばしき状況である。
 前世紀のミア始め70年代のアルゼンティーナ・プログレッシヴ世代が開拓し種を撒いたその創造の大地に、彼等の軌跡と栄光を追うかの如く、現在進行形という形でまた更に新たな大輪の花が芽吹きつつあるのかもしれない。

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