夢幻の楽師達 -Chapter 57-
今週の「夢幻の楽師達」は、初秋という時節柄のイメージに相応しく…カタルーニャの情熱、南欧の陽炎、碧き地中海の誘い、アンダルシアの爽風をも彷彿とさせる、スパニッシュ・アイデンティティーの誇りと栄光を携えたプログレッシヴ・ジャズロックの名匠という称号に違わない孤高なる音楽集団“イセベルグ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
ICEBERG
(SPAIN 1975~1979)


Max Sunyer:G
Josep Mas:Key
Primitiu Sancho:B
Jordi Colomer:Ds, Per
「夢幻の楽師達」でスパニッシュ・プログレッシヴを取り挙げるのはおそらく今回が初めての事だろうと思う…。
とは言いつつも、スペインのロック黎明期から21世紀の今日までに至る経緯云々を語る以前に、その歩みと道程は決して安穏で且つ平坦では無かった事だけは言うに及ぶまい。
スパニッシュ・ロックの栄光とその歩みはまさしく苦難との闘い、権力からの弾圧への抵抗といった背中合わせそのものと言っても過言ではあるまい。
長きに亘るフランシスコ・フランコ総統の独裁政権が1975年に崩壊するまで、共産圏時代の東欧と同様スペイン国内に於いてロックは堕落の象徴として忌み嫌われ、英米ロック影響下の数々のバンドが言われ無き検閲や弾圧の対象となって制限され、レコードが市場から回収されたり演奏公演もままならないといった状態が続く…文字通り自由もへったくれも無いがんじがらめな悪夢そのものといった様相を呈していた。
そんなさ中の70年代初期のスパニッシュ・ロック黎明期に於いて、混迷の時代に拮抗しながらも後期ビートルズ影響下のモドゥルス始め、ロック=芸術という域に真っ向から取り組んだフシオーンやカナリオスといった第一期スパニッシュ・ロックバンドが生き長らえ、フランコ総統の死去と前後する1974~1975年にかけて、今まで抑圧されてきたロックへの希求と渇望が一気に頂点へと達しトリアナ、グラナダといった2大バンドの台頭を機に、それに追随するかの如く、アッティラ、アザハル、ブロッケ、カイ、イトイス、タランチュラ、ニュー、コンパーニャ・エレクトリカ・ダルマ等が
続々と輩出され、果てはたった一枚のみの素晴らしい名作を世に残したゴティック、クラック、メズキータ、サクレといったワンオフ単発系、ギタリストのエドゥアルド・ボルトにディエゴ・ディ・モーラン、ダニエル・ヴェガ、ガルベルトの精力的な活躍に、ミゲル・リオスにアルフレッド・カリオンといった独特の世界観も決して忘れてはなるまい…。
そしてここに75年のフランコ政権崩壊と時同じくして瞬く間に一躍世に躍り出た、今回本編の主人公となるイセベルグもスパニッシュ・ロック栄光の一時代を築いた類稀なる秀でた存在として綴らねばなるまい。
ガウディのサグラダ・ファミリアそして1992年のオリンピック開催でも名高い地中海沿岸の港湾都市でスペイン最大の観光地でもあるバルセロナにて、1971年~72年にかけて活動していたサイケデリック・ハードロックの母体前身バンドTAPIMANに在籍していたギタリストMax Sunyerを中心に、Josep Mas(Key)、Primitiu Sancho(B)、Jordi Colomer(Ds, Per)、そしてAngel Riba(Vo, Sax)の5人編成で幕を開けたイセベルグは、1975年のフランコ独裁政権崩壊と時同じくして一気に隆盛を極めていたスパニッシュ・ロックの多くのバンドと共に、自国のシーンの活性化と栄華の為に身を投じる事となる。
ちなみにイセベルグというバンドネームの意は“氷山”であり、英語の読みだとアイスバーグとなるのだろうが、ここはスペイン語読みのイセベルグに従っていきたい…。
1975年まさにバンドネーミング通りの幻想的な氷山が描かれ、エジプトのツタンカーメンをモチーフにした鮮烈なるデヴュー作『Tutankhamon』をCFE Bocaccio Recordsよりリリースし、バンドのイニシアティヴを握るギタリストのMax自身が多大なる影響を受けたジミヘン始めクリーム、クリムゾン、イエス、マハビシュヌ・オーケストラ、チック・コリア…等の音楽的バックボーンが反映された、バンドの全作品中おそらく一番プログレッシヴ色の強い作品に仕上がっていると思われる。

Maxの技巧的で幅広い音楽的素養が存分に活かされたギターに、ハモンドからメロトロン、モーグといった当時の花形鍵盤を縦横無尽に駆使したJosepの活躍、強固なリズム隊、曲によって英語とスペイン語を使い分けるヴォーカリストといった、非の打ちどころが無い位に充実した完全無欠なラインナップと言っても差し支えはあるまい。
バンドのライヴ・パフォーマンスを含めデヴュー作の評判も上々で、このまま上昇気流の波に乗るのかと思いきや、突如としてヴォーカリストのAngel Ribaがバンドから離れる事となり、次回作の為の入念のリハーサルと準備を進めていたイセベルグはいきなりの岐路に立たされてしまう。
しかし残された4人は怯む事も臆する事も無く、バンド不退転の意を決してデヴュー作とは全く趣を異にした路線を展開し、以後1979年の解散まで不動の4人のラインナップで、リーダーMax主導による後年のクロスオーヴァーないしフュージョンへと呼称されるであろうテクニカルなプログレッシヴ・ジャズロック色を一作毎に強めていく事となる。
デヴュー翌年の1976年、イセベルグはヴォーカルレスのプログレッシヴ・ジャズロックへとシフトし、ある意味に於いて再出発でもあり彼等の代表作と言っても過言では無い2nd『Coses Nostres』をリリースする。
その摩訶不思議で抽象的な一見してアヴァンギャルドかと思わせるジャケットの意匠とは相反するかの様な時折シンフォニックな名残をも感じさせるヘヴィでミステリアスな側面すら垣間見えるテクニカルなサウンドスカルプチュアへの構築に成功し、新たな方針転換に邁進する彼等の真摯な姿勢に聴衆は拍手を贈ったのは言うまでもあるまい。
特筆すべきはキーボーダーJosepが、フェンダーローズをメインにアコースティック・ピアノ、モーグ、ソリーナで大幅に切り替えた事だろう。
ハモンドの導入もたった一曲のみに留めており、メロトロンを放棄しソリーナに替えた事が心機一転の決意表明にも思えるのは私自身の穿った見方というか考え過ぎであろうか(苦笑)。
翌1977年にリリースした3rd『Sentiments』も前作『Coses Nostres』に続き良い意味で延長線上ながらも更なる発展形をも示唆する傑作に仕上がっており、奇妙キテレツで摩訶不思議なレトロ調雰囲気を醸し出したアートワークのイメージがそのままサウンドに表れていて、リー・リトナーないしラリー・カールトンばりなMaxの冴え渡るギターテクニックも然る事ながら、キーボードにリズム隊もMaxに追随するかの様に演奏の応酬とせめぎ合いが繰り広げられる様は超絶と圧巻の一言に尽きるであろう。

最早この時点に於いてイセベルグは、同時代のスペインのバンドとは明らかに一線を画した存在として、マハビシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァーといったアメリカン・ジャズロックと何ら遜色の無い同系列の(賛辞の意味で)特異な位置に君臨し、スパニッシュな精神とアイデンティティーを有しながらもワールドワイドな視野を見据えた唯一無比な孤高さを益々高めていく次第である。
順風満帆な彼等は歩みを止める事無く更なる挑戦へと駆り立てられるかの様に、翌1978年には初のライヴ公演を収録した4作目『En Directe』をリリース。
知的で且つ白熱を帯びた彼等の圧倒的なライヴ・パフォーマンスに会場の聴衆は心から拍手喝采を贈り、ライヴバンドとしての実力と実績が幅広く証明された快作となり、本作品のライヴ公演用に書き下ろされた3つの新曲のみというトータル35分強の収録時間ながらも、EL&Pの『展覧会の絵』、エニワンズ・ドーターの『ピクトルの変身』とはまた違った意味でライヴならではの醍醐味と臨場感が体感出来る秀逸な一枚と言えるだろう。

願わくば新曲3曲に加えて1st~3rdまでの厳選されたナンバーが収録された2枚組にして欲しかったと思うのは些か個人的な我が儘であろうか。
78年のライヴ盤『En Directe』がリリースされるその一方で、ギタリスト兼バンドリーダーMax Sunyer自身のソロアルバムも同時進行で進められ、同年MAXというソロ・ユニット名義で『Babel』を発表し、それと併行してイセベルグに次ぐ第二のバンドとしてフシオーン、ゴティックのメンバーらと共にPEGASUS結成へと着手する事となる。
まあ…決してその結果的という訳ではないが、メンバーとの軋轢が無かったにしろMax自身更なる高みと理想の音楽を求めて、次なる80年代…そして90年代を見据えた形として、1979年の70年代最後にしてイセベルグ名義の最後の輝きを放つラストアルバムの5作目『Arc‐En‐Ciel』をリリースし、イセベルグ時代の今までの万感の思いとバンド愛がぎっしりと詰め込まれたクールでホットで感動的な涙をも誘う最高作となっている。
70年代にやれるべき事は殆どやり尽くした…そんな悟りにも似た感慨深さと達成感とが入り混じった不思議な余韻を残しつつ、スペイン国内に於ける自らの役割とポジションを全うした彼等イセベルグは、概ね5年近くもの活動期間に自らピリオドを打ち潔く表舞台から幕を下ろす事となる。

ギタリスト兼バンドリーダーMax Sunyerは、その後数多くのソロ作品のリリースに加えて、前述のクロスオーヴァー系バンドのPEGASUSを経て、近年はジャズ&クロスオーヴァー畑でMAX SUNYER TRIOを率いて、年輪を積み重ねた現在もなお現役の第一線で活動しており昨年はそのトリオ名義で実に20年振りの新作を発表している。
残念な事にMax以外の他のメンバーの消息に至っては、ネット社会の現在であるにも拘らず殆ど分からずじまいというのが何とも惜しまれる…。(言い訳がましいかもしれないが、スペインのロック関係の人脈云々を探ろうにも悲しいかな資料と情報が少な過ぎるというのが現状である)

駆け足ペースで彼等イセベルグの道程を辿って綴ってはみたものの、私自身改めて思うに…これだけ高度な演奏技量と実力を持った良質のバンドであったにも拘らず、同国の代表格でもあるグラナダやトリアナ、果てはカナリオス、ゴティック、イトイス…等といった有名処の影に隠れてしまいがちで、格下扱いとまではいかないにせよ幾分それに近い様な過小評価ばかりが先行して、今までちゃんとした正当な評価が為されていなかったのでは…といった感は流石に否めない(過去に随分お世話になったが故に、あまり声高に言いたくはないのだが…かのマーキー誌刊行のユーロ・ロック集成でも、MAX名義のソロ作品こそ取り挙げられていたものの、肝心要のイセベルグが取り挙げられなかったのもどうかと懐疑的ですらある)。
口の悪い根性の捻じ曲がったリスナーやプログレ・ファンからすれば“所詮は二流バンド止まり”だとか“クロスオーヴァーやフュージョンの亜流”といった、理不尽極まりない言われ無き誹謗中傷と軽はずみなバッシングで、バンドの名誉やらプライドが著しく傷付けられているという事に、憤りを通り越して憤懣やるせない激昂と糾弾とが入り混じった気持ちにすらなってしまう。
早い話“誹謗中傷する以前にお前らちゃんと聴いているのか!?”と問い質したくもなりたいのが正直なところである。
以前イセベルグを好意的に取り挙げている某サイトでも“アメリカばかりを向いていた日本のリスナーはバッタもんの似非ラテン臭いフュージョンで誤魔化されていた可能性が高い”と嘆いていたのが実に印象的だったのを今でも記憶している。
このブログを御覧になって、もしもイセベルグに御興味を抱かれた方がいらっしゃったら、プログレッシヴ云々だとか、ジャズロック、クロスオーヴァーといった概念やカテゴリーを問わずに、暫しまっさらで純真無垢な気持ちに立ち返って、どうか今一度彼等の創作世界に耳を傾けて頂けたらと心から願わんばかりである。
そこにはきっと感動で心震える…垣根の様な隔たりなんて無用な理屈を越えた音楽世界に必ず出会えるであろう事を私自身信じて止まないと断言しておきたい。
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