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03,2019
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9月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
今回はアメリカのプログレッシヴ史に於いて2枚の伝説的名作を残し、解散と再結成の紆余曲折を経て、紙ジャケットCD復刻並び再結成ライヴのリリースと、今もなお絶大で根強い人気を誇り名実共にカリスマ的存在の“イエツダ・ウルファ ”を取り挙げてみたい次第です。
YEZDA URFA
(U.S.A 1973~)
Phil Kimbrough:Key,Syn,Mandolin,Wind Instruments,Vo
Mark Tippins:G,Vo
Marc Miller:B,Per,Cello,Vo
Brad Christoff:Ds,Per
Rick Rodenbaugh:Lead-Vo,Air-G
オーヴァーグラウンドに浮上しメジャーな流通で成功を収めたカンサスやスティックス、スター・キャッスル…等とは正反対に、彼等=イエツダ・ウルファは…かのカテドラル、イースター・アイランド、バビロン、クィル、ペントウォーター…等と並んで、(失礼ながらも)アメリカン・アンダーグラウンド・プログレッシヴ界において決して、否!絶対忘れてはいけない重要な存在であろう。
毎度の事ながらも、彼等に関するバイオ・グラフィー・経歴等は残念ながら極めて少ないが故、米シンフォニック・レーベルよりリイシューされたCDからの英文解説を頼りに綴っていかねばなるまい。
75年に自主リリースされた、記念すべき(!?)デヴュー作『Boris 』がシカゴにてレコーディングされたことから推測して、バンドそのものは1973年にシカゴの地元ハイスクールの学生達によって結成されたものと思われる。
上記の不動の5名によってイエツダ・ウルファは75年と76年に2枚の作品を残し、バンドそのものは80年初頭まで活動していたものと思われる。補足であるが…Philはニューメキシコ州出身、BradとMark、Marcの3人はインディアナ州出身、Rickはイリノイ州出身。
加えて1953年生まれのRickを除き、残りの4人が皆1955年生まれで(バンド内でヴォーカルのRickが最年長者である)、言うまでもなくメンバー全員とも学生時代からイエスやジェントル・ジャイアントといったブリティッシュ・プログレッシヴを愛聴し、コピーを重ねつつ繰り返しながらも、1stと2ndの礎ともなるオリジナル曲を多数書き貯めては、独自の方向性と作風を模索し確立に至った次第である。
度重なるライヴ活動を経て、盟友にして共同プロデューサーでもあるグレッグ・ウォーカーの協力と助言を得、75年シカゴはユニヴァーサル・スタジオにて収録された『Boris』のマスターテープを完成させ、大手レコード会社数社(A&M始めキャピトル、コロンビア、ロンドン、フォノグラム、果てはワーナーにも…)に売り込みを目論むも、悲しむべき事に全社からはことごとく契約不成立の返事しか返ってこない有様であった。
後年、シンフォニック・レーベルからリイシューCDのインナー中にて先の大手6社からの不採用通知書の写しをこれみよがしにデカデカと掲載しており、彼等にしてみれば…してやったりなのか、単なる嫌味と皮肉なのかは定かではないが、大手リリースから見切りを付けた彼等は程無くして、後々にしてレア・アイテムとして世に残る『Boris』を自主リリースという形で決着を見る次第である。
…余談ながらも、契約不成立の書類(左からA&M、コロンビア、ワーナー)を3点抜粋して下記に挙げておきたい(苦笑)。
マーキーのアメリカン集成にて“ヨーロッパ的な美学を求めるには不向き ”と紹介されているが、それは決して当たらずとも遠からじながらも、イエス+ジェントル・ジャイアントにアレアないしマグマの香りもちらほらといった感触と言った方が妥当であろうか…。
2曲目のC&W風なバンジョーの聴き処が面白い点を加味しても、まず以って素人さんな初心者的リスナーが一聴した限り、チンプンカンプンで捉え処の無い印象薄で終始するのがオチだと思う
が、一度でもその味が病みつきになると、スルメを噛む如くに聴けば聴くほど更に味わい深くなる、文字通り一筋縄ではいかないクセ者的な名作でもある。
順序が逆になるが…当初は翌76年にリリースされる筈だった『Sacred Baboon 』が、我が国に初めて紹介された彼等の作品にして先の『Boris』と並んで名盤でもある。
純然たるシンフォニックとは趣が異なり、変幻自在にして捉え処の無さは相も変らずではあるものの、1stでは見られなかった整合性が感じられ、無駄な部分をすっきりと削ぎ落とし必要な部分だけを拡大発展させた感が更に強まり、本作品も名作・名演であることに変わりは無い…。
ちなみに2ndの本作品、正確に言うとマスターテープこそ完成したものの予算面(!?)の都合やら何やらで自主リリースはおろか(一応、テストプレスは行われたみたいだが)、相も変わらずリリース元やら契約面もままならず、とどのつまりが長年彼等の手元にお蔵入りしていた状態が続き、結局先にも登場したシンフォニック・レーベルの尽力で1989年に漸くリリースされ実に14年ぶりに陽の目を見た…といっても差し支えはあるまい。
とは言ってもジャケットデザインがシンフォニック・レーベルサイドによる急ごしらえみたいな感は否めなく、私自身も手にした当時は何とも形容し難い味気無さを覚えたのが正直なところである。
後年“Sacred Baboon=神聖なるヒヒ”というタイトル通り、果て無き荒野に群がるヒヒの集団が描かれた意匠に変更されたが、こちらが当初のオリジナルデザインだったのかどうかは今以て不明瞭なのがもどかしい…。
まあ、個人的には作品のイメージ通りヒヒの集団が描かれた方が好みであるが。
現時点で確認されている2枚の作品を残し、概ね80年の初頭までバンド名義の何らかの活動は継続していたものと思われるが、それ以降はバンドのメンバーそれぞれが独自の活動ないし、後進の指導に携わって、イエツダ・ウルファ自体も自然消滅し活動も幕を閉じる次第なのであるが、彼等が残した一縷の望みにも似たプログレッシヴな精神は今でも脈々と受け継がれて、メジャーなスポックス・ビアード始め再結成したハンズ、アドヴェント…等、今を生きる新進勢に託されたと言っても過言ではあるまい…。
が!しかし、アメリカン・プログレッシヴの良心的な神様は決して彼等イエツダ・ウルファを見捨てる事無く、あのカテドラル復活の時と同様、奇跡的復活のスポットライトを当てたのは言うまでもなかった。
オリジナル・メンバーが再び集結し、数名のサポートメンバーを加えた屈強のラインナップで2004年バンド再結成を遂げ、NEARfestでの復活ライヴを機に、これまで何度か新譜リリースの噂が絶えなかった彼等であったが、マーキー・ベルアンティークから紙ジャケット仕様で伝説の2作品が二度に亘り(CD及びSHM-CD化されて)見事復刻を果たした事に呼応するかの如く、再結成の同年には伝説の2作品を中心とした選曲によるNEARfest復活ライヴを収めたライヴ・アルバムをリリースし、改めてその健在ぶりを大きくアピールし頼もしさと期待感に胸を躍らせていたものの、それ以降は新作リリース関連のアナウンスメントが聞かれなくなり、実質上音信不通の状態となって実に久しい限りで一抹の寂しさは拭えないのが正直なところである…。
活況著しく新たな次世代が続々と世に輩出されている昨今のアメリカのシーンではあるが、それでも21世紀という時間軸に於いて…大御所のカンサス始め、カテドラル、ペントウォーター、スター・キャッスル、そしてイエツダ・ウルファ…etc、etc、往年の実力派グループ達が復活を遂げ、文字通りアメリカン・プログレッシヴの転んでもただでは起きない威風堂々とした逞しい精神に、聴き手側である我々は只々感服の思いですらある。
いずれにせよ…昔も今もメイド・イン・アメリカを決して侮るなかれ、軽視は禁物である事を肝に銘じておかねばなるまい(苦笑)。
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06,2019
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9月第一週目の「一生逸品」、今回は今もなお伝説的なカリスマにして、その唯一無比な音楽性と存在感で絶大な人気と支持を得ている、70年代後期に登場した…その純粋なまでのプログレッシヴ精神とシアトリカルなスタイルを貫き通したジェネシス・チルドレンの最右翼に位置する、アメリカン・プログレッシヴの極みにして至高の匠に相応しい“バビロン ”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。
BABYLON/ Babylon(1978)
1.The Mote In God's Eye
2.Before The Fall
3.Dreamfish
4.Cathedral Of The Mary Ruin
Doroccas:Vo, Key
Rick Leonard:B, Vo
Rodney Best:Ds, Per
J.David Boyko:G
G.W.Chambers:Key, Vo
21世紀というネット社会はプログレッシヴ・ロックの業界に於いても、多大なる恩恵と世界的規模の横の繋がり…即ちバンドと個々のアーティスト、更にはひと昔前よりプログレッシヴ・ロック専門のレーベル同士との強固にして密な繋がりとして大いなる助力となったのは最早言うに及ぶまい。
殊更…日本と並ぶプログレッシヴ・ロックの巨大なマーケット的役割を担っているであろう北米大陸アメリカにあっても、各州にて年中行事の如く毎年開催されているプログレッシヴ・ロックフェスを皮切りに、門戸開放と言わんばかりに世界各国のプログレ系アーティストの受け皿的な立場・役割としての大きさを、改めて認識せざるを得ないだろう。
何度も言及されている様に“ファーストフードが主食みたいなヤンキーなんぞにプログレなんぞ出来っこ無い! ”という偏見に満ちた穿った見方はもはや遠い遥か彼方の大昔の話(苦笑)。
メジャーな流通でアメリカン・プログレの先鋒に躍り出たカンサスやスティックス、ボストン、中堅処ではイーソスやパヴロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、ディキシー・ドレッグス、スターキャッスル、そして時代の主流はメジャーからマイナーへと移行し、前述の名立たる存在に追随・肉迫するかの様に台頭した70年代後期世代…イエツダ・ウルファ、カテドラル、クィル、イースター・アイランド、ハンズといったアメリカン・プログレの継承者達の軌跡は、決して青春の一頁という安っぽくて生温い一過性では止まらない、まさしく己の信念・信条に情熱を注ぎ嘘偽り無く生きた証でもあったのは言い過ぎではあるまい。
彼等70年代後期バンドは大手レコード会社・レーベルから支援を得られる事無く、ある者は自主製作という規模の縮小に否応無く且つ余儀無くされ、またある者は地道に細々とマスターテープの製作のみに終わり機が熟すのを待つしか術が無かった訳であるが、そんな不遇な時期にあっても夢想の世界を追い求め逆境に臆する事無く、時代の頁を一枚々々紡ぎ歴史に名を遺していったのである。
今回本編の主人公でもあるバビロンも、カテドラルやイースター・アイランドとほぼ同時期に生きたバンドとして、その一種独特なミステリアスさを醸しつつプログレッシャーに似つかわしいバンドネーミングで、イギリスのイングランド始めドイツのノイシュヴァンシュタインと共に最良質で高水準なジェネシス・フォロワー系の元祖として、ほんの一瞬ながらもアメリカのプログレシーンを駆け巡っていったのである。
バビロンの詳細なバイオグラフィーに至っては、誠に申し訳無くも残念な話…現時点で私が所有しているCDのみなので何とも心許ない文面になるかもしれないが、どうか御容赦願いたい(苦笑)。
バビロンは1976年フロリダにて、ベースのRick LeonardとDoroccasなる謎(!?)のニックネームを持つヴォーカリストを中心に結成されたものと思われる…。
本文中の写真から察するに当時の年齢からして皆25歳前後の若手世代と思われる。推察すれば元々は地元のハイスクール~大学経由での学生バンド時代からが彼等のサウンドスタイルを形成していた時期ではなかろうか。
本作品を一聴する限り全4曲のみの収録という少ないレパートリーながらも、ジェネシス影響下である事に迷う事も躊躇する事も無く、プログレ停滞期という時期に差しかかっていた頃にも臆さず堂々と自分達なりに昇華したシアトリカルな世界観を構築した潔さと覚悟には、21世紀という現在になっても、つくづく頭の下がる思いである…。
一朝一夕では成し得ない位、素人臭さが微塵にも感じられない高水準な演奏技量と構成力・音楽性はかなりの手腕と音楽経験を物語っており、単なるファンだとか影響を受けました云々というリスペクトの域をも超えた…全曲に漂う熱烈なジェネシス愛はもはや疑う余地が無いだろう。
専任キーボーダーと共にリードヴォーカリストがキーボードを兼ねる辺りは、多かれ少なかれアンジュを連想させる部分をも匂わせるが、それもあながち的外れではあるまい。
プログレ必携アイテムとも言えるハモンドやメロトロンが珍しく一切使用されておらず、それらに代わって幾重にも紡がれるエレピにシンセ系…ストリング・アンサンブルとオーケストロンを多用した重厚なハーモニーは、当時のライト感覚なアメリカン・プログレッシヴの側面と一片を垣間見る様な思いであり、良い意味でアメリカらしい気風が反映されながらも、敢えて真っ向から“そう安易にジェネシス・クローンの類似系にはならないぞ “と言わんばかりな姿勢とアプローチが、あの独特なバビロン・サウンドを生み出し彼等の個性とカラーを決定付けたと言えよう。
個人的な見解なれど、今でも改めて彼等の唯一作を聴き直す度に新たな発見が出来て実に痛快極まりない…。
本家が英国の伝承寓話、中世のお伽噺・童話をモチーフにしていた作風なら、彼等の創作する音世界から連想出来るのは…紺碧の海に沈んだアトランティス大陸の伝説やハロウィーンの妖しげな雰囲気と佇まい、アメリカの七不思議、果てはSFドラマの元祖『トワイアライト・ゾーン』にも似た空想と現実世界との狭間を覗き見る様な緊迫感すら覚えてしまう。
さながら『月影の騎士』或いは『眩惑のブロードウェイ』の頃の中期ジェネシスに近いシンパシーを感じてしまうのは当たらずも遠からずといったところだろうか。
冒頭1曲目…不穏な空気すら漂う厳かな土着的儀式をも思わせるパーカッション群のイントロに導かれ、ミステリアスなギターとシンセが被さり、タイトル通り朗々たる神の啓示にも似たシャーマニックなヴォイスにゲイヴリエルの幻影を見出せたなら、貴方はもう完全にバビロンの術中に落ちている事だろう。
神秘的にして荘厳なシンフォニックでありながらもアメリカらしいライトな感覚と躍動感には、初めて耳にした時の感覚…改めてアメリカ産というわだかまりすら消え去って溜飲の下がる思いですらある。
小気味良いスネアとマインドなシンセ、流麗なギターワークが物語を紡ぐ2曲目は、ポエジーでシアトリカルな色合いを全面に押し出した秀曲で、中盤にかけての変拍子全開のギターとリズム隊、きらびやかで摩訶不思議、寄せては返す波の如きキーボードワークはカナダのポーレンにも匹敵するリリシズムをも彷彿とさせる。
2曲目の感動の余韻を残したまま続く3曲目も、彼等の代表曲として申し分無い位に素晴らしいテンションとパッションを繰り広げている。
引きの部分と押しの部分とがバランス良く交差し、タイトル通りの夢想の世界で戯れる魚の躍動感を軽快なギターとスペイシーなキーボードが奏でる様子は感動と興奮以外の何物でも無い。
ラストにあっては、本家ジェネシスの“妖婦ラミア”にも似通った曲想ながらもモダンでタイト且つ詩情豊かに歌と演奏を聴かせつつ終盤のフェイドアウトで幕を閉じる様は、さながら物語の終わりにしてジェネシスへの敬意・敬愛の表れを如実に物語っているかの様ですらあり、聴き手の側も短編小
説を読み終えた余韻と感銘を受ける事必至であろう…。
ちなみに、本作品のアナログ・オリジナル原盤はジャケットの下地がホワイトとシルバーの2種類存在するが、どちらかが初回のみのプレスという訳では無く、2種類の下地で同時にリリースされたという説が強い(私自身ホワイト地のジャケットは未だお目にかかっていないのが残念…)。
近年復活を遂げたカテドラルやイエツダ・ウルファを例外としても、かのイースター・アイランドと同様彼等もまた御多分に漏れずたった一枚の作品だけを遺し人知れず表舞台から去っていった次第であるが、その後のメンバーの動向も一切不明…残された唯一作の高水準な完成度と素晴らしさだけが人伝を経由して高額に近いプレミアムを呼び込むといった具合で一人歩きし、まさにバビロンというバンドの存在が伝説と幻で扱われ、このままアメリカン・プログレ史に埋もれていってしまうのかと思いきや、バンド消滅から11年後の1989年突如急転直下で舞い込んで来たバビロンのライヴ盤リリース(Vol.1とVol.2の2回に分けての発表)は、まさに青天の霹靂という言葉に相応しく彼等バビロンの生きた証とも言うべき…青春の躍動感と信念に燃えていた頃の貴重なライヴ音源として、世界各国の多くのプログレッシヴ・ロックファンにとって勇気と感動すら与え涙を誘ったのは言うまでもあるまい。
素人臭さ丸出しなジャケットの意匠といい音質的には決して褒められたレベルではないものの、ホリゾントに映し出される映像をバックに、マントを羽織りマスクを被ってパントマイムに興じるといったゲイヴリエル在籍の初期ジェネシスを極端に意識した貴重な初公開のステージング・フォトに、今まで“幻”的な扱いだったバビロンが(ほんの一瞬の輝きだったとはいえ)当時に於いて聴衆から熱狂的に支持を受けていたという事実に、改めて敬意を表しつつ彼等の実力に脱帽せざるを得ないのが正直なところである…。
唯一作に収録された4曲も然る事ながら今まで知る由も無かった未発表6曲の素晴らしさとクオリティーの高さを思えば、返す々々もあの世界的規模に吹き荒れたプログレ暗黒時代を恨めしく思うと共に、強力な後ろ盾やレーベルそして秀でた人材と人脈に恵まれていたのであれば、彼等バビロンと
て自主製作に甘んずる事無くパスポート(バビロンの登場と前後して倒産した事が何とも非常に悔やまれる)といったプログレの受け皿的レーベルから、デヴュー作に次いでもう1~2枚作品をリリース出来たのではなかろうか。
現在彼等の作品はマーキー・ベルアンティークからオリジナルデザイン紙ジャケット仕様のSHM-CD国内盤で簡単に入手出来るが、アナログ時代2枚に分けてリリースされたライヴ盤にあってはCD‐R1枚のみに完全収録でまとめられた『Better Conditions For The Dead 』なるものが確認されているものの、残念ながら現在では廃盤に近い状態で入手も非常に困難となっているのが惜しまれる…。
それに加えて何とも困った事に、本家アメリカのSyn‐Phonicレーベルから2004年にデジタルリマスター化されたCDリイシューにあっては、バンドのロゴがカラーリングされているのはまだ許せる範囲なものの、オリジナル原盤に描かれた道化役者風な男の顔のアップが、あの宇宙人グレイに変更されたのには私自身驚きの余り椅子から転げ落ちそうになったのを今でも記憶している(苦笑)。
バンドが無くなった今でさえもこんな処遇に、かつてのメンバーでさえも落胆し冷ややかに見ているのではあるまいか…。
近年のカテドラル…或いはイタリアのアルファタウラスを例に取っても、たった一枚の作品を残して解散という憂き目に遭いつつも、多くのファンや愛好者達から熱狂的なラヴコールと支持を受けて現在の21世紀に再結成し返り咲き人気を博しているが、無論彼等バビロンとて例外ではあるまい…。
ひと昔…ふた昔前の“もしも!?”という想像や話題が、今やいつでも奇跡的に復活するという御時世でもあるから彼等の再結集には俄然大いに期待を寄せたいところでもあるが、想像の域で恐縮なれど彼等の言葉を借りれば多分“僕達はあの時点で全てをやり尽くしたからもう一片の悔いは無いよ…”
の返答で終止する事だろう。
伝説は伝説のままで未来永劫このままそっとしておいてやりたいと思いつつ、現在の活況著しい21世紀のアメリカン・プログレが今の彼等の目にはどう映っているのだろうかと尋ねてみたい様な気もする…。
ライヴを含む彼等の全作品を聴きつつも、私自身…激情と静寂に支配されたロック・テアトルの迷宮への出口と答え探しはまだまだ続きそうである。
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03,2020
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2月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
今回は北米大陸のヨーロッパと言っても過言では無いカナダより、凍てつく様な極寒の中で燃える様な熱情…或いは漆黒の闇の中を差し込む一条の光にも似たシンフォニックの雄“FM ”に今再び焦点を当ててみたいと思います。
FM
(CANADA 1976~)
Cameron Hawkins:key, Syn, B, Lead-Vo
Nash The Slash:Electric-Violin, Electric-Mandolin, Per, Vo
Martin Deller:Ds, Per, Syn
北米大陸に於いて欧州的な感性とヴィジョン、そしてイマージュをも湛えた文字通り北米大陸の中のヨーロッパと言っても過言では無い国カナダ。
広大な山脈を始め森と湖を有し、神秘的なオーロラといった、まるで北欧然とした佇まいを残し如何にもといった感の伝説と民族神話に彩られたお国柄を反映するかの如く、名実共に実力と技量を兼ね備えた幾数多もの名バンド…大御所のラッシュやサーガを筆頭に、モールス・コード、マネイジュ、アルモニウム、クラトゥー、単発組でもポーレン、オパス5、エト・セトラ、スロシェ、90年代から21世紀にかけてはヴィジブル・ウインド、ネイサン・マール、ミステリー…etc、etcが輩出されたカナディアン・プログレッシヴシーン。
今回紹介されるFMも、一連のカナディアン・プログレッシヴに括られながらも、そのバンドネーミングに相応しいレトロSF的にして未来派感覚のスタイルを有する、一種異彩を放つ稀有な存在だったと言えまいか…。
バンドの詳細なバイオグラフィーに関してはある程度判明しているところで、1976年にラッシュを輩出したトロントにてバンドの要とも言えるCameron Hawkins、そして初代ヴァイオリニストのNash The Slashによるデュオからスタートしている。
Cameron自身少年時代から学校のオーケストラやトロントの室内楽団にて腕を磨き、ビーチ・ボーイズからビートルズ、果てはワルター(ウェンディー)・カーロスの“スイッチト・オン・バッハ”に触発されて、クラシカルとロックとの融合を試み始め、折りしもリアルタイムにクリムゾンやイエスといったプログレッシヴに触れた事が彼の人生を大きく左右する事となる。
相方でもあったNashは、Toronto's Royal Conservatoryにて音楽を学び、ヨーク大学でナショナル・ユース・オーケストラに所属する一方、70年代に入ると彼自身が最初に所属したプログレッシヴ・バンド“ブレスレス”にてヴァイオリニストとして参加している。
その後、CameronもNashも数々のバンドで経験を積みながら、1976年に参加したクリアなるバンドで二人とも意気投合しFM結成へと歩み出す。
当初はドラムレスで、Cameronのキーボードとベース、Nashのエレクトリック・ヴァイオリンとエレクトリック・マンドリンのみといった変則スタイルで時折ドラムマシンを導入するといった具合で、地元トロントのラジオ局はじめテレビのオーディション番組に出演し、その異色にして出色なサウンドスタイルで話題と評判を得るまでに、そう時間を要しなかったのは言うまでもあるまい。
彼等のサウンドはエレクトリック系の楽器とシンセサイザーを多用した独自の作風でありながらも、ジャーマン系にありがちな観念的な瞑想感云々は微塵も感じられず、ホークウィンドに触発された部分も散見出来るスペイシーで少々ダークなトリップ感覚を兼ね備えた、ジャズィーでクロスオーヴァー感を湛えた重厚なシンフォニック・ロックであると共に、何よりもポピュラーでヒット性も予見できるヴォーカルだった事が大きな強みだったのも特色と言えるだろう。
そんな彼等の盟友にしてバンドの支援・理解者でもあった電子音楽家兼アートプロデューサーDavid Pritchardの全面協力の下、彼等は76年11月トロントのAスペース・アートギャラリーにてテレビ放映を兼ねた初のワンマンライヴを行い成功への切符を手にするのであった。
こうして翌77年2月、David Pritchardの作品を通じて旧知の仲だったドラマー兼シンセサイザーのMartin Dellerを迎えてトリオ編成へと移行する。
順風満帆で軌道の波に乗り始めた彼等は、カナダ国営放送CBCからの援助を得てメールオーダーのみの限定500枚プレスで実質上のデヴュー作に当たる『Black Noise 』をリリースする。
当初はモノクロ写真で撮られたマンホールの蓋がプリントされたという…下手なジョークや笑い話にもならない位、お世辞にもとても上出来とは言い難い地味な装丁だったとの事で、私自身ですらもまだ一度もお目にかかっていないのが何ともはやではあるが、良い意味で初出の音源として捉えれば貴重で高額なプレミア物ではあるが、悪い意味で捉えれややもすればタチの悪い冗談として見られかねないのが悔やまれる(苦笑)。
本デヴュー作『Black Noise』は(お粗末なジャケットを抜きに)大いに評判を呼ぶと同時に即完売し、ライヴ活動でも各方面から絶賛され、このまま上り調子で行くのかと思いきや、バンドをここまで牽引し自らが為すべき事は全て出し尽くしたと悟ったNashがFMを抜け、彼自身も後年ソロ活動と併行して数々のプロデュース、ソロパフォーマーとしての道を見出していく事となる。
デヴュー間もないにも拘らず突然の窮地に立たされたFMではあったが、その一方で大きな吉報が彼等の許に届けられた。アメリカ大手のプログレッシヴ専門レーベルPASSPORTからワールドワイド仕様でプレスされる事となり、紆余曲折の末に一介のカナダのローカルバンドから漸く世界進出への足掛かりを掴み、残されたCameronとMartinは再びバンド再興に奮起し、抜けたNashの後任獲得へと奔走するのであった。
そのアメリカPASSPORT盤が皆さん御存知の『Black Noise』である。
看板に偽り無しと言わんばかりな作品タイトルに相応しいダークなSF感覚を想起させる意匠は、まさしくFMというバンドカラーにとって面目躍如と言っても過言ではあるまい。
ワールドワイド盤リリースと時同じくして1978年、バンドは共通の友人達の伝を通じて新たなヴァイオリニスト(兼マンドリン)のBen Minkを迎えて、次回作の為のリハーサルに入るものの、トロントのオーディオ関連会社の依頼で半ば急遽リハに近い形で、スタジオライヴ一発録り30分強という制限時間の中で製作された実質上の2作目『Direct To Disk 』を極限られた流通経路でリリースする。
前デヴュー作での経験を活かしたジャズロック的な側面が更に強く押し出されたインプロヴィゼーションに重きを置いたジャムセッション的な趣を感じさせつつも、前任のNashに負けず劣らずBenが奏でるヴァイオリンの流麗な旋律に、メンバーチェンジ後の遜色なんぞ一切無縁な彼等の真摯な創作精神と情熱に只々驚嘆する思いである…。
あたかもハヤカワSFノベルの表紙を思わせる意匠に、個人的には『Black Noise』よりも彼等の世界観を代弁しているかの様で非常に好感が持てる。
ちなみに余談ながらも…本作品『Direct To Disk』にあっては幾つかの逸話があって、当初こちらの方が幻のデヴュー作であると紹介された事もあって、私自身も目白にあった某プログレ廃盤・中古盤専門店にて店長からアナログオリジナルLP原盤を見せてもらった事があって、幻のデヴュー作とすっかり鵜呑みにしてしまった若さ故の青臭い経験があって、あの時点で参加メンバーのクレジットをちゃんとしっかり確認すれば良かったものの、これがいかんせん原盤そのものにメンバークレジットが記されてなかったものだから全く以って困ったものである(苦笑)。
ネット時代の今だからこそこうして正確な情報が伝達され“これが彼等の2作目です”とハッキリ認識出来るものの、思い起こせばFMというバンド自体も誤認情報やら不明瞭な活動経歴云々で振り回され散々な憂き目を見たのではと思うと、時代の推移に隔世の感を覚えると共に、アーティスト側に非こそ無いが作品製作に携わった当時のスタッフ達の曖昧模糊で且つ適当で無責任な発言に改めて憤りすら禁じ得ない。
僅かな収録時間と限られたプレス枚数であるにも拘らず『Direct To Disk』は売れに売れ、プレスの増産でジャケット違いの出直し作品が何度か出回ったりHeadroomと作品タイトルが変更されたりと、相も変わらず下世話な話題に事欠かない状況ではあったが、そんな余計な顛末なんぞ意に介さず彼等は創作活動と新作の為のリハーサルに没頭し、翌1979年ある意味に於いて頂点に達したと言わんばかりな最高傑作『Surveillance 』をリリース。
この時期アメリカのPASSPORTレーベル倒産を機に、3rdリリースはアメリカのアリスタが一手に引き継ぐ事となり、カナダでも大手のキャピトルがデヴュー作(ジャケットは変わらず)と3rdをセールする運びとなった。
イエスの“究極”を思わせる様なイントロに導かれるオープニングの“Rocket Roll”を始め、『デンジャーマネー』期のUKを彷彿とさせる(やはり意識していたのだろうか)良質なポップスのセンスが遺憾無く発揮された好ナンバーが続き、売れ線を意識した作風を覗かせながらもプログレッシヴなエッセンスとメジャーな産業ロックとのバランスが上手く調和し非常にまとまった整合性すら感じさせる好作品に仕上がっている。
メジャーな流れの作風を完成させ80年代に突入した彼等ではあったが、折しも時代はテクノ/ニューウェイヴ全盛期に差し掛かり、時代に抗いつつもプログレッシヴは様々なアプローチを試みて生き長らえているといった様相で、FMも御多聞に漏れずアメリカの大御所シナジーこと(後にゲイヴリエルのバックで大活躍する)ラリー・ファストのプロデュースで時代の空気に呼応した4th『City Of Fear 』をリリース。
70年代の名残と言わんばかりなメロトロンの大胆な導入を始め、最新鋭の機材を多用した幾分ニューウェイヴに歩み寄ったモダンなプログレを構築するも、もう如何にもといった感のジャケットの意匠が災いし、それが直接の原因とは言い難いものの古くからのファンや支持者の大半が離れていってしまったのは最早言うまでも無かった…。
いやはやこれには私自身ですらも流石に手を出す勇気が無かったからね…。
以降、FMは時流の波に乗った『Con-Test 』や『Tonight 』といった、おおよそプログレッシヴとは無縁に近い作風で立て続けに作品をリリースし新たなファンを得るものの、この当時…ドラマーの交代、ギタリストの加入、ヴァイリニストの交代とメンバーの流動は激しさを増し、オリジナル・メンバーのNashとジョイントで作品を発表したり…と混迷と紆余曲折、試行錯誤の繰り返しが続き、その間話題になった事といえばBen Minkが1982年にラッシュの『シグナルズ』で一曲ゲスト参加したという朗報が入ってくる程度だった。
バンドとしての活動も長期のスパンが徐々に見受けられ、2001年以降からはテレビ始めフィルムミュージックの方面にシフトして、FMというバンドそのものも存在したりしなかったりといった状態が続いていた。
しかし事態は急転直下し2006年に“NEARFest 2006”に招聘され、FMそしてCameron自身再びプログレッシヴへの情熱と創作意欲を取り戻し息を吹き返す事となる…。
Cameronを筆頭にMartin Deller、そしてイタリア系アメリカ人Claudio Vena を迎えて往年の名ナンバーを披露し大勢の聴衆から熱狂的に迎えられ、その時の模様は昨年の2013年の夏にDVDでもリリースされているとのこと。こうしてFMの復活劇は見事大成功を収めプログレッシヴ・フィールドに再び返り咲いた次第である。
こうして2015年、Cameronを筆頭にPaul DeLong (Ds) 、Edward Bernard(Violin, Viola, Mandolin, Vo)、Aaron Solomon (Violin, Vo) を迎えた4人編成で、あたかもデヴュー期の頃に立ち返ったかの様なSFマインド&テイスト満載な作風と意匠を思わせる、現時点での通算7枚目の新作『Transformation 』をリリースし今日までに至っている次第であるが、21世紀というリアルタイムに再び息を吹き返した彼等がこの先私達にどんなサウンド・アプローチを打ち出し、インテリジェントで且つアイロニカル…或いはクールでスタイリッシュなスペイシーサウンドを聴かせててくれるのだろうか?
いつかまた数年後にリリースされるであろう新譜に大いなる期待を寄せつつ、彼等が遥か遠いこの日本の地でライヴをする日もそう遠くないであろう…そんな見果てぬ夢物語を信じて止まない今日この頃である。
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06,2020
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今月最初の「一生逸品」は、昨今の暖冬でも厳寒でもない…そんな曖昧模糊とした如月の空模様を爽快に払拭する様な魔法の音楽そのものと言っても過言では無い、あたかも万華鏡を覗き見る様な唯一無比の眩惑に彩られた“極彩色の音宇宙 ”を創作し、今なお名作と称えられ高い評価を得ている…まさしくカナダのイエスという称号に相応しい“ポーレン ”に、今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
POLLEN/ Pollen(1976)
1.Vieux Corps De Vie D'ange
2.L'eteile
3.L'indien
4.Tout L'temps
5.Vivre La Mort
6.La Femme Ailee
Jacques Tom Rivest:Vo,B,Ac-G,Key
Richard Lemoyne:El & Ac-G,Key,B
Claude Lemay:Key,Flute,Vibraphone
Sylvain Coutu:Ds,Per,Vibraphone
同国のモールス・コードと共に“カナダのイエス ”という誉れ高き称号を得ているポーレンは、1976年にバンド名と同タイトルでもある唯一の作品を遺している。
先にも述べたが北米大陸のヨーロッパというイマージュと大自然の雰囲気とパノラマを湛えたカナダというお国柄、アメリカンな文化とは一線を画したプログレッシヴなムーヴメントが確立されても何も不思議ではあるまい。
全世界的にビッグネームとなった英語圏トロント出身のカナディアン・プログレハードの雄でもあるラッシュやサーガは例外ながらも、フランス移民が大半を占めるフランス語圏ケベック出身のモールス・コード、オパス5、エト・セトラ、マネージュ、アルモニウム、そして今回の主役ポーレンは、決してアメリカで売れたい云々とかセールス、ヒットチャートを意識する事無く、良くも悪くもアメリカの音楽産業を見限った独自の流通と作品発表の場を70年代後期に擁立しつつ、自国のプログレ・ムーヴメントの礎たるものを築き上げたと言っても異論はあるまい。
話の前置きが小難しくなったが、そんな時代背景の中でポーレンというバンドは自らの足跡を残すために精力的に演奏活動と録音をこなしていた、良い意味で至福の時間を過ごした事であろう。
アナログLP原盤では詳細なバイオグラフィー等は一切不明であったが、CDという御時世はインナーに歌詞のみならずバンド結成の経緯やら活動の歩みといった詳細までもが綴られているのだから何とも実に有難い事だ…。
ただいかんせんフランス語による文章だから、少々読み難く判別しづらいのが難点であるが故、どうかそこは御了承願いたい。
バンドの歩みを簡単に触れておくと…1972年、2人の若者Jacques Tom RivestとRichard Lemoyneによって、ポーレンの前身とも言うべきバンドが結成され、翌73年になると地元の有名ミュージシャンやアルモニウム関連の人脈らとライヴで共演するようになり、その人伝でキーボード奏者のClaude Lemayが加わり、2年後の1975年にはバンド間の知人を介してドラマーのSylvain Coutuを迎え、バンド名も正式にポーレンとなった次第である。
ちなみにポーレンとはフランス語で“花粉”を意味し、彼等のジャケットアートを踏まえた音楽的ヴィジュアルな面でも幻想・夢想感を与えて良い相乗効果を生み出しているのも特筆すべきであろう。
なお…フランス語の正式な読み方では“ポラン ”なのであるが、長年プログレ愛好者からはもうポーレンという名で通っているが故、そこはどうか寛大にお許し願いたい(苦笑)。
先にも触れた様に、彼等の創作する音楽とジャケットアートワークとの相乗効果によって何度も言及してきた事なのだが、作品を何度も耳にする度に万華鏡(カレイドスコープ)を覗き込んだかの如き変幻自在なイマージュとトリップ感覚にも似た浮遊感を感じてならない…それこそまさしく“不思議の国の音楽”そのものと言えよう。
イエスやジェントル・ジャイアントに多大な影響を受けながらも、メロトロンやソリーナ系は一切使用しておらず、ハモンドとモーグ、アープ系のシンセ、エレピ、クラヴィネット等による楽曲の綴れ織りと、同郷のアルモニウムに触発されたかの様なアコギによるアンサンブルとの融合による変幻自在で目まぐるしい楽曲の中にも、カナディアン特有の自然の美を湛えたかの様な哀愁と抒情感をも兼ね備えた両面性を有する、マーキー・ベルアンティークが謳ったキャッチコピー“極彩色の宇宙”さながらの音世界を繰り広げている。
重厚なシンセによるイントロに導かれたオープニングから押しと引きが絶妙なバランスで交互に奏でられ、続く2曲目はカナダの深遠な森の調べを彷彿とさせるリリシズム溢れるフルートとアコギのアンサンブルが美しい。3曲目もアコギによるバラード調のトラディッショナルなナンバーだが、雪原に降りしきる粉雪の様な繊細で儚い寂寥感漂うムーディーな陶酔感が印象的である。
4曲目以降からは打って変わって幾重にも織り重ねられ畳み掛ける様なキーボード群の活躍が著しいナンバーが続き、エレピ系のハープシコードをフィーチャリングしたGGさながらの軽快な楽曲に、5曲目ともなるとミスティックなオルガンが高らかに鳴り響くイエス風のシンフォニックと多岐に亘るのが実に小気味良くて嬉しい。
ラストの10分超の大曲は、もうポーレン・サウンドの集大成といっても差し支えない位、アコースティック調から徐々に雄大なシンフォニックへと雪崩れ込んでいく様は、静から動へと楽曲とテンションがせめぎ合い大団円へと帰結していく、音宇宙の終着点さながらと言えよう。
これだけ高水準な作品を創り上げながらも何故バンドが消滅したのかは今となってはもう知る術が無いが、良い意味で解釈すれば、ポーレンというバンド活動を区切りに、お互いそれぞれ来るべき別の道を歩もう…と、ひょっとしたらメンバー間で暗黙の了解が交わされていたのかもしれない。
まあ、あくまで推測に過ぎないが…。
仲違いや喧嘩別れによるバンド解散なら、後にリーダーのJacques Tom Rivestの78年のソロ作品にメンバー全員が参加する事は無かっただろうから、バンド活動に於いては割と円満な人間関係だった筈に違いない。
まあ、それこそ下世話な話で申し訳ないが…。
Jacques Tom Rivestはその後1980年にもう一枚の素晴らしいソロ作品をリリースした後、現在は自身のオフィスを設立しケベック州の多数のアーティストの楽曲を提供したり、自身もスタジオ・ワークに参加して多忙を極めている様だ。
Richard Lemoyneも長年の盟友となったJacques Tom Rivestに協力し、後進の育成に携わりながらも楽曲の提供やスタジオ・ワーク並びギグにも参加している。
Claude Lemayは、現在地元テレビ局にて音楽製作や、舞台音楽の監督として手腕を発揮しており、あのセリーヌ・ディオンとも一緒に仕事をしたそうな。
Sylvain Coutuもテレビ局関係の音響の仕事に就いており、自身でも会社を運営しているとの事。
彼等の短命な音楽活動そして歩みにおいて、時代の運に見放されたとかプロダクション云々に恵まれなかったなんて言葉は愚問に過ぎないであろう。
勿論この手のバンド活動にありがちな…よく言われる話、若い時分の青春の一頁的なノリだとか記念に作りましたなんて事も微塵に感じられないし、それこそ一笑に付されるであろう。
ポーレンというバンドの軌跡は、彼等の真摯な姿勢と精神、揺るぎ無い創作意欲と絶対的で確固たる自信の賜物と言っても過言ではあるまい。
“自分たちの歩んだ道と音楽に触れて、何かを感じ取ってくれたら…”それは彼等の音楽を愛する者と、彼等の足跡に続くであろう後進のプログレッシヴ系アーティスト達への静かなるメッセージなのかもしれない。
どうか今宵は改めてポーレンが遺してくれた音楽に心から乾杯しようではないか。
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17,2020
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今週の「一生逸品」は、アメリカン・プログレッシヴ史上において金字塔の如く燦然と輝き、今もなお至高の名作の称号として誉れ高い奇跡の最高傑作を世に送り出した“生ける伝説”的存在の“カテドラル”に、今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
CATHEDRAL/ Stained Glass Stories(1978)
1.Introspect
2.Gong
3.The Crossing
4.Days & Changes
5.The Search
Paul Seal:Vo
Rudy Perrone:G, Vo
Mercury Caronia Ⅳ:Ds, Per
Fred Callan:B, Vo
Tom Doncourt:Key
21世紀の今にして思えば…前世紀の更にひと昔前におけるアメリカン・プログレッシヴの随分と偏見じみた扱われ方と言ったら、余りにも笑い話では済まされない、“プログレッシヴ=イギリスとヨーロッパ諸国”みたいな特権音楽とでも言うのか、それこそ口汚い言い方で申し訳ないが“アメ公なんぞに…”といった妄信や愚考が横行して、カナダを含めた北米大陸のプログレッシヴ・シーンについては今ひとつ関心が薄くて、全貌が明らかにされず終いであったのが正直なところであろう。
勿論、70年代において大メジャーで大御所のカンサスやスティックス…等が素晴らしい作品を世に送り出して頑ななプログレ・ファンからも高い評価を得てそれなりの認知もされ、イーソス始めハッピー・ザ・マン、ディキシー・ドレッグス、スター・キャッスル、パブロフズ・ドッグも、その追い風に追随するかの如く精力的にアメリカン・プログレッシヴの一端を担ったのは最早言うまでもあるまい。
80年代に入るとマーキー誌の尽力の甲斐あって、さらにアンダーグラウンド且つマイナーな範疇ながらも…ペントウォーター、バビロン、アルバトロス、イースター・アイランド…等の名作級が次々と発掘され、それを境にネザーワールド、ノース・スター、レルムといった新進勢も登場し、90年代以降~21世紀は言わずもがなドリーム・シアター始めスポックス・ビアード、エコリン…等、時代の移り変りと共に高水準なバンドが輩出され、全米の各地で開催されているプログフェストの貢献で、プログレ・ファンのアメリカ産のバンドに対する認識も驚くくらいに変わったと言っても過言ではなかろう。
話は些か横道に逸れたが、(良くも悪くも…)MTVやら巨大な音楽マーケットを誇る産業音楽大国のアメリカにおいて、長きに渡る試行錯誤と紆余曲折の道を辿ったアメリカン・プログレッシヴシーンで、特異中の特異の存在とも言える彼等カテドラル(カシードラルと呼称する向きもある)の結成から活動の経緯、解散、各メンバーの経歴等に至るまでの詳しいバイオグラフィーに関しては、これはもう…本当に残念な事に!全くと言っていい位に解らず終いで、SYN-PHONICレーベルからの再発CDのインナーでも触れられておらず、これといった資料や記事すらも発見には至らなかったのが正直なところである。
78年にDelta なるマイナーレーベルより唯一リリースされた作品に収録されている全5曲共、イエス始め初期ジェネシス、そして『宮殿』の頃のクリムゾンからの影響を窺わせつつも、アメリカン・プログレによくありがちな突き抜けるような明るさとは程遠い。
アメリカ風な趣や雰囲気を極力控えめに、ヨーロッパ的な幻想・抒情性にリリシズムとイマジネーションを重視した静粛で且つ荘厳な、バンド・ネーミングに相応しくも恥じない位の緻密で繊細な音の構築美を物語っている。あたかも教会の大聖堂というマクロコスモスと人間の持つ内面性・心象風景というミクロコスモスとのせめぎ合いを目の当たりにしているかの様ですらある。
メンバー誰一人としてリードを取ること無く、バランス良く役割を担って創り上げる各一曲々々がまるでパズルのピースを埋めていくかの如く、5人の修道士が一枚のステンドグラスを描いていく様は崇高にして厳粛でもある。
特にオルガンやメロトロンを操るTomの技量も然る事ながら、Mercuryのドラミングにパーカッション群の効果的な配し方・使い方には音楽的な素養の深さと幅広さが至るところで滲み出ていて好感が持てる事に加えて、物悲しげなPaulの歌唱も聴きものである。
バンドそのものの活動期間はアルバムリリースを含めて概ね1年弱と思われるが、何度かのロック・フェスでの活動を経て、次回作の為の録音やマテリアル・作品化されなかったマスターを何本か残しつつも、様々な諸事情が原因で解体したものと思われる。
バンド解体後、メンバーの中で唯一ギタリストのRudyが、81年に『Oceans Of Art 』というアンソニー・フィリップスやスティーヴ・ハケットに触発された、アメリカンなイマージュとヨーロピアンなリリシズムに彩られた素晴らしいソロ好作品をリリースし、我が国でも後年限定枚数で入ってきたがそれ以降の再プレスもなされていない寂しい状況である(改めて是非CD化を望みたい!)。
ちなみにこのRudyのソロ作品にはカテドラルのメンバーも全面的にバックアップで参加している為、ある意味カテドラルの2作目みたいな向きをも感じさせる。
カテドラルが残した唯一の作品は、その後Syn-Phonicより、90年にジャケットを改訂したLP盤、翌91年にオリジナル・ジャケデザインに戻しバンドロゴとタイピングを改訂したCDでリイシューされ、21世紀以降は2010年と2019年にマーキー/ベル・アンティークより二度に亘る紙ジャケット仕様SHM-CD化が成され、今では容易に入手が可能であるが、それでも尚オリジナルのLP原盤は相も変わらずプレミアム価格が5桁~6桁へと上がり調子である。
まあ…皮肉といえば皮肉なものであるが(苦笑)。
彼等が残したユーロマンな趣と嗜好(志向)性は後年、ザムナンビュリスト、クルーシブル、パペット・ショウ、アドヴェント…等といった現在の精鋭達に脈々と受け継がれているが、実は…天上の神々はそう簡単に彼等カテドラルを見捨てたりはしなかった。ここ数年イギリスのイングランド始め、アメリカでもペントウォーター、スター・キャッスルが再結成された動きに呼応して、右に倣えという訳ではないにしろ青天の霹靂よろしく2007年の10月…ギタリストがRudy PerroneからDavid Doig(ギターからシンセ、サックス、チェロまで手掛ける)に交代し、それ以外はオリジナルメンバーが再び集結するという新たなラインナップで実に29年振りの新作『The Bridge 』という好作品をリリースし復活を遂げたのは御周知の事であろう。
再結成当時アメリカ国内にて様々なプログフェスに出演し賞賛を浴びたのも然る事ながら、キーボーダーでもあり工芸作家でもありアメリカ自然史博物館の学芸員の肩書きを持つTom Doncourt(過去に日本の京都にも何度か訪れている)も自身のレーベルよりソロワークを展開し、2014年『The Mortal Coil 』そして翌2015年に『The Moon Will Rise 』を発表しその健在ぶりをアピールするものの、残念ながら持病の悪化で特発性肺線維症を併発し2019年3月20日ニューヨークのブルックリンにて鬼籍の人となる。
こうしてカテドラルの物語は静かに幕を下ろした次第であるが、長年プログレッシヴを愛し信じていればこそ必ず奇跡は起こる…そんな言葉では決して一括り出来ない位にカテドラルとその作品、そしてバンドに携わった者達の軌跡と人生こそ、紛れも無く生ける伝説として未来永劫語り継がれ、大聖堂のステンドグラスの眩い輝きの如く神々しく人々の脳裏に刻まれていく事であろう。
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14,2020
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今週お送りする「一生逸品」は、アメリカン・プログレッシヴの隠れた至宝として、かのカテドラルやイエツダ・ウルファと共に隠れた名作・名盤として誉れも高い、深遠なる抒情と荘厳なる幻想を謳い奏でる北米大陸随一のロマンティシズムの申し子“クィル ”を取り挙げてみたいと思います。
QUILL/ Sursum Corda(1977)
1.First Movement
i)Floating/ii)Interlude/iii)The March Of Dreams/ iv)The March Of Kings/
v)Storming The Mountain/ vi)Princess Of The Mountain/
vii)Storming The Mountain-Part II
2.Second Movement
i)The Call/ii)Timedrift/iii)Earthsplit/iv)The Black Wizard/ v)Counterspell/
vi)The White Wizard/vii)The Hunt/viii)Rising/ ix)The Spell/
x)Sumnation/xi)Finale
Jim Sides:Vo,Ds, Per
Ken Deloria:Key
Keith Christian:B, Ac-G
21世紀の今日…イギリス含むヨーロッパ諸国と肩を並べる位のプログレッシヴ・ロック大国となった感のある北米大陸アメリカ。
今なら躊躇したり迷う事無く声を大にして言える文節ではあるが、これがもうひと昔ふた昔前の前世紀ならユーロ・ロック偏重主義めいた熱狂的信者達(所謂マニアックでコアなファン)から確実に“何を血迷った馬鹿な事を!”と袋叩きに遭っているかバッシングの雨嵐に晒されていた事だろう(苦笑)。
それこそ何度もこの本ブログで言及してきたので恐縮だが「アメ公なんぞにプログレなんか出来っこない!」と、あたかも差別主義丸出しの如く偏った認識と誤解で、アメリカン・プログレッシヴ(当時でいうアメリカン・ニューウェイヴ)が貶められていた…否!二番煎じみたいな過小評価をされていたと言った方が正しいだろうか。
そんな受難めいた時代も今となっては遥か遠い昔の思い出話の様に一笑に伏されるのだから不思議なものである。
前置きが長くなったが、カナダを含む北米大陸のプログレッシヴ・ムーヴメントは、1975年を境に大メジャーな商業系流通ルートに乗じて一躍時代の寵児になった感のカンサスやらボストンを皮切りに、スティックス果てはHR系のファンから支持を得ていたラッシュに準じて、大きな知名度を得ながらも自国のレーベルから地道に作品をリリースしていたイーソス、パヴロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、スターキャッスル、ディキシー・ドレッグス、カナダからはモールス・コード、マネイジュ、サーガといった、本家ブリティッシュ並びヨーロピアンの洗礼を受けながらも北米大陸という自国のアイデンティティーとイマジネーションが融合・昇華した独自のスタイルと礎が漸く結実した、文字通りアメリカン・プログレ真の出発点だったと言えないだろうか…。
そんな1975年から1978年までのアメリカン・プログレ隆盛期のさ中、アンダーグラウンドな規範で自主リリースせざるを得なかったイエツダ・ウルファ始め、バビロン、カテドラル、ペントウォーター、イースター・アイランドといった単発組と同期的存在だった本編の主人公クィルは、1975年カリフォルニアでドラマー兼ヴォーカリストのJim Sides、キーボーダーのKen Deloria、ベーシストのKeith Christianの3人によって結成された。
プログレッシヴ・ロックの定番ともいえるキーボード・トリオスタイルの彼等が創作する音楽世界には、彼等が生まれ育ったホームタウンとも言うべき…太陽が燦々と降り注ぐ陽気なイメージがすっかり定着した感のカリフォルニアという街には(良い意味で)余りにも似つかわしくない、当時の商業路線やら売れ線音楽とは一切無縁な、EL&P始めジェネシス、イエス…といったブリティッシュの先人達から受けた多大なる影響を物語るかの様に、ユーロピアンナイズに裏打ちされたロマンティシズムとトールキンの『指輪物語』にも相通ずるファンタジック・ノベルをも彷彿とさせる壮大にして幻想的、抒情、耽美、リリシズムといったプログレには必要不可欠な要素が完全揃い踏みの、頑ななユーロ・ロック偏愛な愛好家の方々にも有無をも言わせぬ位に納得出来るだけのインパクトを与えるであろうと言っても過言ではあるまい。
作風そのもの自体もEL&P系のフォロワーというよりも、やはりゲイヴリエル在籍時の初期ジェネシスから強い影響を感じさせ、キーボーダーのKenのスタイルは御大のキース・エマーソン影響下というよりも、むしろリック・ウェイクマンやトニー・バンクス辺りのセンスに近く、オルガンプレ
イひとつ取ってもキースの様な熱血ゴリ押し力技的な体育会系では無く、音楽世界の繊細な物語を紡ぐ文学系でアカデミックなトニー・バンクスの奏法をも彷彿させる。
歌うドラマーという点では大半はフィル・コリンズを連想されるかもしれないが、歌唱法においてはやや線は細いがやはりゲイヴリエルを意識したところが散見出来て同国のバビロンに近いシンパシーを覚えつつも、敢えてシアトリカルな要素を極力抑えた辺りに同じジェネシス影響下バンドながらも差別化を図っているところが面白い。
余談ながらも彼等の作風と路線は後々に登場する同国のノース・スターに受け継がれていくという事も付け加えておかねばなるまい。
地元カリフォルニアを拠点にロッククラブやライヴ・スポットでの地道な演奏活動が実を結び、彼等3人は76年末から77年初頭にかけて、現時点での唯一作『Sursum Corda 』(Lift Up Your Heartという意 )をレコーディングするが、まあ…この当時のプログレッシヴを巡る業界のよくある話、本来リリースする予定だった配給元の様々な諸事情で結局とどのつまりがテストプレス1枚のみ製作されただけでマスターテープは長年お蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
旧アナログLP時代のA面とB面を偲ばせるかの様に、“First Movement”と“Second Movement”といったそれぞれ組曲形式の全2曲という大作主義を貫いている辺りに、ブリティッシュとヨーロッパのプログレッシヴが持つ浪漫と美意識に少しでも近付きたいという並々ならぬ意欲すら感じ取れるのが何とも意地らしい。
リリシズム溢れる端整で瑞々しいピアノの調べに導かれ英雄物語を思わせる幻想絵巻は幕を開け、イエスの“ラウンドアバウト”を思わせるイントロの2曲目では最早アメリカンな要素は殆ど皆無なジェネシス+エニドをも彷彿とさせるシンフォニックな怒涛の波に、聴く者の脳裏はいつしかハリウッ
ドのファンタジームービーさながらのイマジネーションに魅入られている事だろう。
『Sursum Corda』がお蔵入りになったという憂き目に遭っても、彼等は決してめげる事無く精力的にライヴサーキットをこなし、78年初頭に続く2作目の予定作として『The Demise Of The Third Kings Empire』をレコーディングし、時代の波の移行と共に商業路線のヒットポップスやらディスコミュージックばかりがもてはやされる厳しい時代に於いて、年に20回以上ものライヴを懸命にこなしていくものの…バンドは80年代という新しい時代を迎える事無く79年の秋に活動の限界を迎え、未発の2作品のマスターテープを残しつつ泣く泣くバンド活動の無期限停止を余儀なくされるのであった。
その後、JimとKenは大手オーディオ・メーカーのアポジィとして、Keithは楽器ショップ勤務という各々がそれぞれの仕事に就きつつひたすら地道に各個別の創作活動を続けていくものの、まさしくバンド時代の頃とは比べ物にならない位の地味で目立たない活動に移行し、恐らく彼等3人とも表面では平静を装ってはいたものの内面では相当なフラストレーションが蓄積していたのではなかろうか。
時代は再び移り変わり…80年代後期を境にアメリカのプログレッシヴ・ムーヴメントは大きな転換期を迎えつつあった。自主リリースよるニューカマーの台頭及び、プログレッシヴ専門のレーベルSyn-Phonicの発足でイエツダ・ウルファやカテドラルといった稀少なレアアイテム級の名作再発を皮切りに、アメリカン・プログレ再興の波はそのまま一挙に怒涛の如く90年代へと雪崩れ込み、アメリカのみならず世界各国のプログレッシヴ・ファンにとって大きな力強い礎へと躍進して行ったのは言うには及ぶまい。
その同時期にクィルのドラマー兼シンガーでもあったJimの結婚で、KenとKeithが再び祝いの席にてめでたく再会となり、彼等のテストプレス止まりの唯一作だった『Sursum Corda』も、めでたくSyn-PhonicレーベルからCD化再発が決定し、この二重の喜ばしい出来事を契機に3人は再びバンド再結成へと動き出す。
ちなみに再発CDリリースに先駆けて初回特典は限定500枚プレスの見開きLP盤サイズの紙ジャケットにブックレット付きというプログレ・ファンなら泣いて喜ぶ大盤振る舞いと言えよう。
そして、かねてからSyn-Phonicサイドからの要請で1993年5月にUCLAのRoyce Hallで開催されるプログレッシヴ・フェスへの出演依頼を快諾し、カラバンはじめナウ、ジャム・カレット、シタデル、エコリンといった当時の新進気鋭達との競演を果たし、聴衆からの大喝采を背に受けて見事に復活劇を果たす事となる。
…と、ここまでが私自身把握しているクィルの全容といったところである。
本来であれば、この後彼等は同1993年秋頃にお蔵入りになっていた2nd『The Demise Of The Third Kings Empire』を再レコーディングするという予定まで組まれていた筈なのだが、21世紀に入った現在…20年以上経っても未だ新作リリースのアナウンスメントすら聞かれない今日この頃である(苦笑)。
彼等と同様に作品が発表されないまま表舞台から消えていったハンズも、90年代半ばの再発リリースを機に再結成し現在でも精力的に活動し、右に倣えとばかりにイエツダ・ウルファやペントウォーターといった70年代の単発組までもがこぞって再結成~活動再開を遂げ、あの悪夢の様な当時苦汁と辛酸を舐めさせられたアメリカのかつてのベテラン勢の躍進には兎にも角にも目を見張るものがある…。
今この北米大陸で起こっている沈黙の如き静かで大きなプログレ再興の波に乗じて、再びクィルが幻想物語を語る日が来る事をただひたすら信じて待ち続けたいところだが、それこそ何度も言及している通りまさしく“神のみぞ知る”といったところだろうか…。
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09,2020
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毎週掲載スタイル最終回直前…今週の「一生逸品」は久々の北米大陸から、70年代アメリカン・プログレッシヴの胎動期にその名を轟かせた眠れる巨獣でもあり孤高にして唯一無比の伝説的存在と言っても過言では無い、ブリティッシュ・ロックスピリッツを継承したアメリカン・ヘヴィプログレッシヴの雄“リヴァイアサン ”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
LEVIATHAN/ Leviathan(1974)
1.Arabesque
2.Angela
3.Endless Dream
4.Seagull
5.Angel of Death
6.Always Need You
7.Quicksilver Clay
Wain Bradley:B, G, Vo
Peter Richardson:Organ, Vo
Don Swearingen:Piano
John Sadler:Mellotron
Grady Trimble:G
Shof Beavers:Ds
レアアイテム級高額プレミアム扱いだったマッカーサーの幻の1stが正規にCDリイシューされ、更には国内盤紙ジャケットSHM‐CDでリイシューされたアトランティス・フィルハーモニック、更には念願のオリジナルジャケットデザインで待望のリイシュー(こちらも国内盤紙ジャケットSHM‐CD仕様)と相成ったイースター・アイランド…と、ここ数年もの間俄かに70年代アメリカン・プログレッシヴの大いなる遺産ともいえる名作がこぞって見直され再発されるという嬉しくも喜ばしい朗報が舞い込んで、書き手でもある私自身ですら改めて感慨深い思いに浸っている今日この頃である。
何度もこの場で言及してきた事と思うが、兎にも角にもブリティッシュやユーロ・ロックシーンと同等、海を越えた北米大陸アメリカ合衆国のプログレッシヴ・ムーヴメントの層の厚さたるや、我々の想像を遥かに超えた…あたかも広大な砂漠から宝石を探し出すかの如く困難が付きまとう(苦笑)。
全世界きってのショービズ大国にして音楽産業大国でもあるアメリカの音楽シーンに於いて、多種多彩なジャンルに枝分かれした複雑且つ乱立した門戸解放にも似た間口の広さで、古くからのカントリー&ウェスタンを始め、R&B、ヒットチャートを賑わすAORから昨今のラップ、ヒップホップといったダンスミュージック、肝心要のロックに至っては過去を遡ればハードロックからプログレッシヴと多岐に亘り、70年代ほどではないにしろ21世紀の今も尚その系譜と伝承は脈々と受け継がれて今日までに至っている。
アメリカン・プログレッシヴ黎明期というにはやや語弊があるかもしれないが、ザッパのデヴューを皮切りに俗に言うアメリカン・サイケデリックの代名詞ともいえるドアーズ、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン(後年ジェファーソン・スターシップへと改名)、キャプテン・ビーフハート、そして時代の申し子ともいえるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの台頭、その一方でサイケデリアとは違う系譜に於いてアイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッジ、イッツ・ア・ビューティフルデイ、アフター・オール、タッチ…といった後々のアメリカン・プログレッシヴへと繋がる流れが確立された60年代末期。
70年代に移行してからは、初期に於いてプログレ時代のビリー・ジョエルが結成したアッティラ、ヴァニラ・ファッジ解散後オルガニストのマーク・スタインを中心に結成されたブーメラン、EL&P影響下を思わせるポリフォニー、大手映画会社パラマウント直営のレコード部門から唯一作をリリースしたバクスター、謎のバンドでもあるアミッシュ、更にはマイク・クワトロ、スティックスのデヴューといった顔ぶれが列挙されるが、事実上アメリカン・プログレッシヴ全盛期を飾るのは紛れもなく1974年以降からで、カンサス、アメリカン・ティアーズ、スタードライヴのデヴュー、翌75年以降ともなると、ジャーニー、アンブロージア、ファイアーバレー、ボストン、パブロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、イーソス、イエツダ・ウルファ、スター・キャッスル、エンジェル、シナジー、加えて単発系の唯一作をリリースした前出のアトランティス・フィルハーモニック、シャドウファックス、ザズー…等が登場し、70年代後期ともなるとカテドラルやイースター・アイランド、マッカーサー、バビロン、クィルというアメリカン・プログレッシヴ史に燦然と輝きを放ち続ける高額プレミアムな名作・名盤が世に踊り出たのは周知であろう。
80年代の一時的な沈静化と停滞期を経てドリーム・シアターやスポックス・ビアードの登場を契機に、アメリカのプログレッシヴシーンは90年代以降の再興期から今日までに至る21世紀プログレッシヴへと現在進行形で長らく生き続けていると言っても過言ではあるまい。
余談ながらも…特筆すべきは我が国でも商業的に大成功を収めたカンサス、ボストン、スティックスは、77~78年を境に“アメリカン・ニューウェイヴ ”というややもすれば誤解を招きそうな、あまり有り難く無い様な代名詞でもてはやされた事を未だに記憶に留めている(苦笑)。
そして今回登場の主人公でもあるリヴァイアサンも、1974年に唯一作をリリースしアメリカン・プログレッシヴ勃発期の片翼を担った立役者として、今もなおその名を聴衆の心に深く刻み込まれている事は言わずもがな…。
大航海時代の遥か昔、大西洋に生息し商船を襲っては人間を喰らう伝説の巨大海蛇の名前(別名シーサーペントとも呼ばれている)をバンド名に冠した6人組は1972年アーカンソー州のリトルロックで結成され、それ以前より各々のメンバーが音楽的なキャリアと経験をかなり積んでいた実力派揃いであると推測される。
メンバー編成を御覧になってお解り頂ける通り、6人中の3人がそれぞれオルガン、ピアノ、そしてメロトロンと専属に担当し、エマーソンないしウェイクマン果てはモラーツの様なマルチキーボーダーなスタイルとは異なった、至ってシンプル且つ単純明快な(ある意味オーソドックスな意を踏まえて)ロックキーボードの立ち位置たるものを各々熟知しているところが実に面白い。
下世話な話かもしれないが、もしもリヴァイアサンにシンセ専属担当者がいたら、それはそれでまたどんな風に音楽性が変わっていた事だろう…なんて想像するだけでも興味は尽きない。
各方面に於いて「宮殿時代の初期クリムゾンばりメロトロンの洪水が堪能出来る」という触れ込みと宣伝文句ばかりが独り歩きしている様な感を思わせるものの、決してそればかりが売りで無いことだけは全曲通してお聴き頂ければ一目瞭然。
彼等が創造する楽曲から察するに、アメリカンな風貌や要素は殆ど皆無に等しい(ヴォーカルの歌唱法がややアメリカ独特の節回しを匂わせるが)、あくまでブリティッシュナイズされたヘヴィ・プログレッシヴな作風とカラーが根底にあって、ユーロ・ロック調のロマンティシズムをも彷彿とさせる幻想的なジャケットの意匠も一役買っている事も見過ごしてはなるまい。
アメリカン・アートロック先駆者のヴァニラファッジからの影響も然る事ながら、70年代のブリティッシュのみならず全世界規模で席巻していたツェッペリン、パープル、ユーライア・ヒープ、果てはイエスやクリムゾンからの多大なる影響も収録曲の端々で散見出来て、誰一人前面に出てくる事無くただひたすら楽曲のアンサンブルとハーモニーの構築を重視に徹しているという事も特筆すべきであろう。
バンド結成から程無くして、彼等のホームタウンでもあるアーカンソー州リトルロック、そしてテネシー州メンフィスを拠点に南西部地方にて多数ものライヴ活動を精力的にこなし瞬く間に人気実力バンドとして注目され、1974年USAロンドン・レコード傘下のMACHレーベルよりバンド名と同タイトルでめでたく待望のデヴューを飾る事となる。
ちなみに当時は日本国内盤LPもリリースされており、余談ながらも個人的な話…知人宅の引越し手伝いの際、飼い猫の悪戯でビニールの外袋ごと爪で滅茶苦茶引っ掻かれてボロボロになったリヴァイアサンの国内盤ジャケットを見た瞬間思わず閉口してしまった事を未だに記憶しているから困ったものである(苦笑)。
深遠且つ荘厳なメロトロンが高らかに響鳴する冒頭1曲目のイントロダクションに導かれリヴァイアサンの音宇宙が静かに幕を開ける。
儀式にも似たアコギとエレクトリックギターによるミスティックな旋律が追随し、3rd期のイエスを思わせるタイトなメロディーへと転調後は、ヘヴィさとアップテンポさが加味されたアーティスティックな曲調に神秘的なメロトロンに小気味良いハモンドが色を添えていき、この当時ゴロゴロと存在していた単なる凡庸なハードロックとは一線を画す、アートロックやブルースロックといった概念をも超越した彼等独自のアイデンティティーとオリジナリティーを表明するには申し分の無い出来栄えを誇っている。
1曲目の終盤から子供達の遊び声のSEをブリッジに2曲目へと移行し、ここでもリリシズム溢れるメロトロンに瑞々しくも美しいピアノが大活躍する辺りは後のイーソスにも相通ずるアメリカン・シンフォの歌メロと醍醐味が存分に堪能出来るだろう。
3曲目冒頭の幾分緊迫感を伴ったベースラインに思わず日本のストロベリー・パスの「I Gotta See My Gypsy Woman」(柳ジョージ!!)を連想させられるが、ブルーズィーな雰囲気を漂わせながらも2曲目と同傾向のメロディーラインに哀愁と抒情に彩られた泣きのピアノとメロトロン、ハモンドが被さり、中盤近くでヘヴィロック調に転ずるとブリティッシュ・スピリッツ全開の燻し銀の如き渋さと陰りが脳裏をよぎる全収録曲中、10分近い長尺の大曲にプログレを愛する聴き手の欲求と渇望は否応無しに満たされて、兎にも角にも素晴らしいの一語一句に尽きる事しきりである。
ネイティヴなアメリカン・ロック調のギターリフに導かれるトータル形式の4曲目から5曲目にかけては、ツェッペリンやユーライア・ヒープ影響下を思わせるメロディーラインがソフィスティケイトされた、ダイナミズムとリリシズムが互いにせめぎあうブリティッシュシンパシー溢れるアメリカン・プログレハードの真骨頂ここにありと言わんばかりな秀作に仕上がっている。
ここでは何よりも3人のキーボーダーがそれぞれの役割分担とパートをしっかりと的確にこなし会心のプレイを奏でており非常に好感が持てる(個人的には一番好きな曲でもある…)。
全曲中唯一3分弱の6曲目は、多分おそらくシングル向けに書かれたと思われる小曲だが割合ポップな印象をも孕んだ明るめの曲想ながらもここでもメロトロンの活躍が効果的で素晴らしく、ケストレルの作風と雰囲気が似ていると言ったら言い過ぎだろうか…。
ラストを締め括る7分半近い7曲目は、女性コーラスをゲストに迎えメンバー全員一丸となってプログレハードなバラード調の大団円を繰り広げており、夕日が沈む黄昏時の情景が目に浮かぶ様な何とも心洗われる感動的なエピローグが胸を打つ。
総じて評すれば、オープニングからラストナンバーまで徹頭徹尾メロトロンの洪水で溢れ返っている、まさしく看板に偽り為しと絵に描いたかの如く、あのカンサスと同様に正真正銘ブリティッシュ・プログレッシヴの気概と精神を北米大陸で受け継いだ伝承者そのものであったと言っても異論はあるまい。
収録された全曲に於いても一切の無駄と蛇足感が無く、聴き手を飽きさせない曲作りと展開の上手さに加え、コンポーズ能力とスキルの高さも窺い知れて、聴く度毎に新たな発見と驚きに満ちている紛れも無く名盤の名に恥じない屈指の一枚と言えるだろう。
バンドはその後次回作予定として既に『The Life Cycle』なるタイトルも決まってリリースの為の準備とリハーサルに取りかかるも、メンバー各々がそれぞれ理想とする音楽性の追求やら方向性の相違といった諸事情が重なり、これからの矢先であったにも拘らずリヴァイアサンは敢え無く空中分解への道を辿り、後に栄華を極めるアメリカン・プログレッシヴの表舞台からも自ら幕を下ろしその活動に終止符を打つ事となる。
一説によると『The Life Cycle』なる2ndマテリアルはバンド解散間際まで収録され、何とか寸前にリリースまで漕ぎ着けたものの、デヴューとは打って変わって余りにも大幅な路線変更で別物バンドみたいな音楽性になってしまい、現在のところ2ndそのものの所在すらも在るのか無いのか一切不明というのが何とも嘆かわしい限りだ。
現在映像関連の音楽畑で活躍しているかつてのリーダー格Wain Bradleyを除き、ネットやSNSが隆盛の21世紀の昨今ですらも、その後の残されたバンドメンバーの消息や動向すらも全く解らずじまいで個人的にも途方に暮れるばかりである…。
唯一遺された彼等リヴァイアサンのアルバムは2004年にイタリアのAKARMA、そして4年前の2012年北欧スウェーデンのFLAWED GEMSよりCDリイシュー化されているが、後者のFLAWED GEMS盤にあっては、アルバム未収録だった「Why Must I Be Like You」と「I'll Get Lost Out There」の秀逸2曲がボーナストラックに収められたファン垂涎の一枚となっている。
大海の幻獣は今や伝説となって海の深淵へと身を潜め深き眠りについている…そんな逸話やダークファンタジーの如く、アメリカン・プログレッシヴ胎動期のレジェンドと化した彼等が、またいつの日にか深き眠りから目覚め今日の21世紀プログレッシヴの大海原に再びその巨体を現す時は果たして巡ってくるのだろうか?
何が起こってもおかしくない今世紀のプログレッシヴ・シーンであるが故に、一縷の望みであれ奇跡や希望、果ては一夜限りの束の間の夢物語でも構わないから“伝説降臨”を合言葉に、聴衆である我々の眼前にその雄姿を甦らせてくれる事を願っているのは決して私だけではあるまい…。
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25,2021
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2ヶ月の休載期間を経て、『幻想神秘音楽館』が再び帰って参りました…。
私事ながら狭心症の再発に伴い長い間休載期間を頂き、皆様には心から感謝と御礼を申し上げると共に、大変御心配をおかけしてしまった事…本当に申し訳ありませんでした。
5月と6月に諸々の精密検査を兼ねた入院を経て、今月半ばに第一回目のカテーテル治療、来月半ばに二回目のカテーテル最終治療を受け、完治へと繋がる凡その目途が立った事に際し、今こうしてここに『幻想神秘音楽館』再開への運びとなった次第であります。
休載していた2ヶ月間、病気治癒への専念も然る事ながら、私自身不安が無かったと言ったら嘘になるでしょう…。
本ブログの継続維持ももしかしたら最悪厳しくなるのでは…といった怖れがほんの一瞬であれ何度頭の中を過ぎったことか。
それでも己を信じて突き進むしかないという一念の許、今こうして再び帰って来れた喜びに勝るものは無いと改めて自覚・自認しているのが率直な気持ちです。
自らを労わり健康管理に留意しつつ、休載2ヶ月間のロスを埋め合わせるべく今月と来月で思いの丈を込めて綴っていきたい所存です。
どうか今後とも御支援と御愛顧頂きますよう、重ねて宜しくお願い申し上げます。
復帰再開の第一弾は「夢幻の楽師達 」から、久々の新たな書き下ろしで以前から準備を進めてきた、70年代アメリカン・プログレッシヴに於いてカンサスやスティックスとはまた違った意味合いで、独自の音楽スタイルと方法論でエポック・メイキング的なポジションを築いた、栄光と伝説の申し子と言っても過言では無い“イーソス ”に今再びスポットライトを当ててみたいと思います。
ETHOS
(U.S.A 1976~1977)
Wil Sharpe:G, Vo
Michael Ponczek:Key
Brad Stephenson:B, Vo
Mark Richards:Ds, Per, Vo
冒頭の書き出しでも触れているが70年代からの大御所のカンサスやスティックスを皮切りに、90年代以降のドリーム・シアターにスポックス・ビアード、エコリンの台頭は、21世紀今日のアメリカン・プログレッシヴの根幹と基盤を名実ともに形成していると言っても過言ではあるまい。
それこそひと昔ふた昔前のアメリカン・プログレッシヴの扱われようといったら、今となっては笑い話或いは質の悪いジョークさながら、ファーストフードやジャンクフードを食っている連中にプログレッシヴなんぞ出来っこないだとか、ヒットチャートやら産業ロックオンリーなアメリカに(本格的な)プログレッシヴは不毛だとか…兎にも角にも散々な言われようで、まあ私を含め人間とはつくづく都合が良いもので掌返しとは敢えて言わないものの、いざ北米大陸のシーンを紐解いてみるとイギリスやイタリアに匹敵するくらい、まあ出るわ出るわの勢いで幾数多もの素晴らしいバンドやレアアイテムが発掘されたものだから、あの当時のイギリスやヨーロッパ諸国のシーン一辺倒だった良くも悪くも偏重主義に凝り固まっていたプログレッシヴ・リスナー達が忽ち色めきたったのは言うに及ぶまい。
十代半ばのまだ青かった時分、アメリカのプログレッシヴといったらメジャーな商業路線ながらもカンサスやボストン、スティックス程度しか認識を持ち得てなかったが故、そんな世界的な成功を収めたバンド勢の裏側でマイナーな範疇ながらも、パヴロフズ・ドッグ始めハッピー・ザ・マン、ディキシー・ドレッグス、ペントウォーター、
イエツダ・ウルファ 、単発バンドながらも後々レアアイテム級扱いとなるシャドウファクス(後年ウィンダム・ヒルから再デヴューを飾るが)、
バビロン 、イースター・アイランド、そして最高峰の
カテドラル …etc、etc、枚挙に暇が無いくらいの活況を呈していた、所謂当時で言うアメリカン・ニューウェイヴ=第一次アメリカン・プログレッシヴ黄金期だったのが窺い知れよう(手前味噌ながらも青い太字のバンドにあっては『幻想神秘音楽館』でも取り挙げているので、クリックして再度閲覧頂けたら幸いである)。
そして今回本篇の主人公であるイーソスであるが、彼等も御多聞に洩れず70年代中期~後期にかけての第一次アメリカン・プログレッシヴの一端を担っていたであろう重要な存在にして、大衆路線受けの産業ロックとしてアピールしていたカンサス、スティックス、スター・キャッスルとは一線を画す形で、前出のパヴロフズ・ドッグやカテドラルと同様、あくまでもブリティッシュナイズでユーロロック系志向の音で勝負していた稀有な存在でもあった。
60年代末期インディアナ州フォート・ウェインにてハイスクール時代からブリティッシュ・インヴェイジョンに触発され黒人音楽をベースにした創作活動に励んでいた、イーソス実質上のリーダーにしてソングライターでもあったWil Sharpeを中心に幕を開けることとなる。
彼等もかの本家イエスと同様、アメリカン・ミュージック革新の象徴ともいうべきヴァニラ・ファッジに影響されたロックミュージックを指向し、その頃にはイーソスのオリジナルメンバーだったキーボードのMichael Ponczek、そしてドラマーのMark Richardsと活動を共にし、ベーシストの交代やらバンドの改名といった紆余曲折を経て、1972年全世界を席巻していたプログレッシヴ・ムーヴメントに呼応する形でATLANTISというバンド名義で音楽活動に邁進していき、その卓越し一歩二歩も抜きん出た音楽性が実を結び彼等は大手RCAとプロダクション・ディールを交わすことに成功する。
その一方で充実したバンド活動と併行して地元の大学に進んだWilとMichaelは、創作活動の地固めとしてプロモーション・イヴェントやミュージック・エンジニアリングといったサイドビジネスをも手掛けるようになり、Wilは地元インディアナ州の著名人達とTHEATRE ARTS CONCERTSを設立し、Michaelにあっては学業と電子音楽系エンジニアリングの取得を両立した日々を送る事となる。
年間100回近くにも亘る精力的な演奏活動をこなし、かのエアロスミスの前座始めクリムゾンやジェントル・ジャイアントのアメリカ公演でジョイントを務めるなど、アルバムデヴュー前にも拘らず地道且つ順風満帆な軌道の波に乗ったその甲斐あってか、程無くして大手レーベルのキャピトルからデヴューアルバムの話を持ち掛けられたものの、ドイツにATLANTISなる同名のバンドが存在するとの…またもやバンドネーミングの壁が立ちはだかる事となり、彼等は熟考の末“精神”の意でもあるイーソスと改名し、1976年新たなベーシストに旧知の間柄でもあったBrad Stephensonを迎え、サウンドの強化を図る上でもう一人のキーボーダーとしてDuncan Hammondを加えた、ツインキーボードを擁する5人編成にエンジニア兼サウンドデザイナーにGreg Rikerという布陣で、待望のデヴューアルバム『Ardour (熱情) 』をリリースする。
改名前のATLANTISの韻をも踏んだであろう…意味深で神秘的な意匠のイメージと相まって、イーソスのデヴューアルバムはアメリカ国内で50000枚近いセールスを記録し (正直、当時日本盤がリリースされなかったのが不思議なくらいである)、アメリカンな佇まいの作風を下地にしながらも初期クリムゾンばりのメロトロンにチェンバリン (アメリカ製のメロトロンといったところであろうか)という深遠で重厚なブリティシュナイズ志向のシンフォニーが畳み掛ける、カンサスやスティックスには皆無だった趣と雰囲気が際立っており、本家のクリムゾンやイエスとは全く異なる彼等独自の世界観とサウンドスタイルが見事に確立されているのが特筆すべきであろう。
何度も言及しているがアメリカの持つ陽気で太陽燦々なイメージとは真逆な、かのバビロンにも似通ったミスティックな不思議さとアトランティス大陸の持つ荘厳さが醸し出された、ある意味純粋なるアメリカン・シンフォニックの祖に値すると言っても異論はあるまい。
個人的な弁で恐縮ではあるが、アートワーク総じて同年にリリースされたカンサスの『Leftoverture』と共に対を為すアメリカン・プログレッシヴの代表作であると信じて疑わない。
翌1977年、デヴューアルバムで得た勢いを追い風に彼等は次回作の構想に取りかかるが、惜しむらくはこの時点でツインキーボーダーだったDuncan Hammondが抜けてしまった事で、彼等の行く末に不穏な暗雲をもたらす事となってしまう。
それでも彼等は臆する事無く4人編成で気持ちを新たに、不安や迷いを払拭せんが為に渾身の持てる力を振り絞って2nd『Open Up 』をリリース。
デヴューから較べるとイメージ的に若干垢抜けた様な、アメリカンなコミカルさと漫画チックなポップさが如実に表れた意匠と違わぬ作風ではあるが、従来通りのミステリアスで不思議な余韻が秘められたイーソスサウンドが楽しめる趣向が凝らされている。
しかし悲しいかな…彼等や周囲の期待を余所に、2nd『Open Up』のセールスは伸び悩み、結局売り上げ不振で失敗という二文字の烙印を押された憂き目を見る事となる。
それでもライヴに於いては精力的に演奏をこなし、彼等の憧れでもあったイエスにクリムゾン、ジェネシス、そしてフォーカスや果てはウェザー・リポートとの共演はイーソスというバンドに取って貴重で且つ忘れ難い夢の饗宴のひと時であったに違いあるまい。
セールス不振でキャピトルとの大なり小なり溝と隔たりを感じた彼等は、レーベルとの契約満了と同時期にバンドの解散を決意し、短い活動年数ながらも広大なアメリカの季節風よろしく疾風怒濤の如く駆け巡り人知れず静かに幕を下ろす事となる。
メンバーのその後にあってはリーダーのWilとMichaelの動向が判明しており、Wilにあってはイーソス解散後既に招聘を受けていたテキサス州の大手コンサート・プロダクションSHOWCOのトップに就任後、映画やドキュメンタリー音楽の制作に携わる一方で、80年代以降はカンサスやエイジアと仕事を共にし、SHOWCOを勇退後は自らのマネジメントと後進の発掘と育成の為のSHARPE ENTERTAINMENT SERVICEを設立、記憶に新しいところでかのDamon Fox率いるビッグエルフとのプロダクション・ディールを交わしたのが有名であろう。
片やもう一方のイーソスの要でもあったMichaelの方はライヴツアーのミキシング・エンジニアに転向し、アメリカ国内の数多くの大御所アーティスト達と同行し実績を積み重ね、数年後にはライヴ・サウンドエンジニア・オブ・ジ・イヤーズを受賞後は、CROSSROADS AUDIO社のイヴェントサービス部門のチーフマネジャーとして多忙の日々を送っているとの事である。
70年代から21世紀にかけてのアメリカン・プログレッシヴ史を紐解く上で、もはや必要不可欠な存在としてクローズアップされているイーソスであるが、短い活動年数ながらもこまめに録り貯めていた次回作の為の音源やら未発表の楽曲が、2000年にWilのプロデュースと主導の許で未発表音源のCD化という形で『Relics (イーソスの遺産) 』がリリースされ、秀逸な楽曲揃いに改めて彼等のサウンドクオリティーの高さに驚愕の思いを抱かれる事必至であろう。
いみじくも『Relics』に添えられたブックレット中のWilからのコメントには“僕等はキング・クリムゾンに対するアメリカの返答というべき存在になりたかったが、結局誰もその返答を望んではいなかった” と、何とも些か寂しい言葉で締め括っているが、Wil自身にとってイーソスとは特別な存在でありながらも最早過去でしかないといった…所謂自らの誇りと諦めとがせめぎ合う二律背反な通過点であったのかもしれない。
たとえそれが失言であれ言葉尻がそうだったとしても、建前と本音からしてWil自身内心「いつかは俺達も…」と復帰を目論んでいるのかもしれないだろうし、イーソスを聴いてプログレッシヴを志した昨今の若手勢にエールを送り果たせなかった夢を託しつつも「でも、若い世代の連中にはまだまだ負けられないよなぁ…」とばかり虎視眈々と窺っているのも無きにしも非ずではなかろうか。
いずれにせよイーソスの遺産或いは意思なるものが、21世紀今日の北米のプログレッシヴ・シーンに伝播され、あたかも撒かれた種子が次世代に向けて発芽するかの如く、新たな伝承者が現れるのを我々は今なお待ち続けているのかもしれない。
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25,2021
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晩夏でもあり初秋でもあった…そんな残暑の名残を肌で感じつつ、些か曖昧模糊とした気候と空模様の9月から日に々々陽の傾きが早く感じられる様になった今日この頃ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
本格的な季節の移り変わりに呼応するかの如く、感傷的で且つ芸術の秋にしてプログレッシヴの秋到来を告げるであろう今回の「夢幻の楽師達」は、今や北米大陸のヨーロッパと言っても過言では無いカナダから、シーンの代表格にして大御所のラッシュやサーガとは全く真逆な印象とインテリジェンスを湛えた、アーティスティックでアカデミックな作風と音楽性が身上の、時節柄に相応しいまさしく職人芸の域と極みに達した真の楽匠に相応しい“マネイジュ ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
MANEIGE
(CANADA 1975~1983)
Alain Bergeron:Key, Flutes, Recorder, Piccolo Flute
Vincent Langlois:G, Alto Sax,
Denis Lapierre:B, Ds, Per
Paul Picard:Per
Gilles Schetagne:Glockenspiel, Tubular Bells
Yves Léonard:Per
冒頭の前置きでも触れたが、同じ北米大陸という地続きで尚且つショウビズ大国アメリカに隣接しながらも、ハードロック並びプログレッシヴ総じて独自のロックムーヴメントを形成してきたカナダのシーン。
ことプログレッシヴ関連に関しては、詩人ニール・パートの逝去を機に惜しまれつつ解散への道を辿り今なお神格化されている大御所ラッシュを皮切りに、地道ながらも現役バリバリのキャリアを誇るサーガ、70年代の栄枯盛衰を経験しながらも見事に復活を遂げたFM。
これら有名処に準じて…一時期ビートルズの覆面バンドとまで揶揄されたクラトゥー、プログレッシヴ・フォークタッチの名匠アルモニウムとカノ、モールスコード・トランスミッション時代からイエス風のサウンドへとシフトに成功したモールス・コード、果てはジャズ・ロック系のスローシェにコントラクション、単発バンド系ではカナディアン3大名作に数えられている
ポーレン にオパス5(サンク)、そしてエトセトラ、更にはアングルヴァン、ミルクウィード、シンフォニック・スラム、ジャッカル、ル・マッチ、ヴォ・ヴォワザン、90年代に発掘復刻されたナイトウインズも忘れてはなるまい。
80年代を経て90年代以降から21世紀の現在に至るまでネイサン・マール始めヴィジブル・ウインド、ミステリー、近年のヒュイスにドラックファーベン…etc、etc、今なおカナディアン・プログレッシヴの系譜と伝承は脈々と息づいていると言っても過言ではあるまい。
カナディアン・プログレッシヴのユニークな特色として、アメリカン・ミュージックに極めて近い英語による作風に加えて、フランスからの移民による入植で仏語という公用語に文化、風習といった極めてヨーロッパ寄りの地域となったケベック州を拠点とした作風…顕著なところで(重複するが)モールス・コードの3部作、アルモニウム、スローシェ、ポーレン、オパス5、エトセトラ、アングルヴァン、そして今回本篇の主人公マネイジュといった流れを汲んだ2つの主流(流派というか)に分かれているところであろうか…。
まあ…この場でカナダの歴史、民族やら文化史、公用語云々といった堅苦しい内容は敢えて触れないでおくが、カナディアン・プログレッシヴの根底と基盤を紐解く上で頭の片隅に留めておいて頂けたら幸いである。
遡る事1969年、ケベック州はジャズ・フェスティバルのメッカで名高いモントリオールを拠点に活動していた、クラシック畑出身で初期マネイジュの音楽的リーダーでもあったJérôme Langlois、そしてジャズに触発されて音楽活動を始めたAlain Bergeronによる互いに畑違いの両者をメインに、マネイジュの前身バンドにして当時のサイケデリアとアートロックの要素を兼ね備えたジャズロックバンドLASTING WEEP で幕を開ける事となる。
当時、多種多彩な数々の音楽フェスティバルへの精力的な参加に加え、フィルムミュージックの製作にも携わっていた彼等であったが、1972年音楽性の発展的解散を前提にJérômeとAlainは前出のLASTING WEEPにゲスト参加経験のあるGilles Schetagneと、Alain自身の音楽学校時代の旧友だったYves Léonard、更には大掛かりで多量のパーカッション群を導入せんが為にGillesの伝でPaul Picardを招聘し、Jérômeの実弟でもあるVincent Langlois、そして旧知の間柄でもあったDenis Lapierreを加えた、7人編成という大所帯でマネイジュは70年代カナディアン・プログレッシヴ全盛期真っ只中にその産声を上げる事となる。
許よりLASTING WEEP時代からジェスロ・タル始めソフト・マシーンに傾倒していた作風が、時代の推移と共にザッパの方法論やGGの掲げたクロスリズムやサウンドアンサンブルといった構築手法をも積極的に取り入れた彼等は、以前にも増して精力的にギグへの参加で場数と経験をこなしつつ、それらと併行して創作活動・リハーサルに勤しむ様になり、こうした彼等のひたむきな努力の積み重ねが実を結ぶ事となり、アルバムデヴュー前であったにも拘らずかのオランダのエクセプションとのジョイント公演を成功させ、彼等の名声はこれを機に一気に高まっていく事となる。
1975年、以前からマネイジュの動向に着目していた大手のキャピタル・レコードからの打診で、傘下レーベルのハーヴェストから、バンドネームを冠した念願のデヴュー作、そして同年姉妹編ともいえる2nd『Les Porches (寺院の門) 』の2枚をリリース。
両作品ともまさしく甲乙付け難い彼等の初期の代表作にして、白を基調としたアルバムカラーに加えて意味深なるアートワークが、あたかもそのままサウンド全体に反映されたであろう、プログレッシヴ・ロックやジャズロック云々といったジャンルですら決して一括り出来ない位、崇高で神憑りにも近いイマジネーション含め、静寂と抒情を湛えた時にシリアス…時にチェンバーロックへのアプローチをも試みた意欲作に仕上がっている。
バンド自体この2枚の好作品を追い風に、一気に上り調子を保持したまま波に乗るのかと思いきや、この時点に於いて既にバンドは暗礁に乗り上げていた…。
音楽的なイニシアティヴを握っていたであろう、元来シリアスミュージック志向で大作主義を主張していたJérôme Langloisと、コンパクトな作風で外へ向けた音楽性を指向していた他メンバー間との音楽性の相違で、結果的にJérôme Langloisがマネイジュを去り、残された6人のメンバー達は臆する事無く逆に奮起しJérôme不在でもマネイジュの看板を守るべく、AlainとVincentを中心にデヴュー作と2作目で培われた音楽経験を踏襲し、多才なゲスト陣を迎えより以上にシェイプアップした明確で分かり易いプログレッシヴなアプローチを打ち出していく事となる。
1977年、6人の布陣で再出発を図ると同時にリリース許もキャピトルからポリドールへと移籍。
モロにロジャー・ディーンの作画タッチを意識した3rd『Ni Vent…Ni Nouvelle (御伽の国へ) 』は名実共に彼等の最高作へと昇華し、各方面から数多くもの称賛が寄せられる事となったのはもはや言うには及ぶまい。
従来のクラシカルな側面を留めつつも、GGばりのトリッキーでテクニカルなサウンドワークが顕著に表れた、ジャケットのイメージと寸分違わぬカラフルで開放的、尚且つコミカルな側面とSFテレビドラマ『トワイライト・ゾーン』をも想起させるフレーズが顔を覗かせたりと、大盤振る舞いもここまで来ると聴き手の側としても痛快極まりなく心地良いものである。
翌1978年にリリースされた4作目『Libre Service - Self Service (セルフ・サーヴィス) 』は、ジャケットアートこそ地味であたかも時代の流れに呼応したかの如く凡庸な装丁に、多くのファンやリスナーは不安や戸惑いを隠せなかった。
が…いざ蓋を開けてみると、クラシカルなサウンドワークは控えめになっているものの、前作以上にジャズィーでクロスオーヴァーなカラーが全面に打ち出された新たなるアプローチに、まあ…ジャケットこそ褒められた代物ではないにせよ、聴き手側は彼等の勇気ある英断と新機軸の方向性に惜しみない称賛とエールを贈るのであった。
時代への挑戦と自らの音楽性への壁を打ち破る事に勝利した彼等マネイジュは、今まで以上に精力的なツアーやギグをこなしつつ、翌1979年には初のライヴアルバム『Composite 』をリリースし、流石に『 Libre Service - Self Service』でのモノトーンタッチなアートワークを反省したのか、80年代以降ともなるとさながら時代の波に乗ったかの様なモダンながらも凡庸なジャケットデザインを反映した、所謂可も無く不可も無く無難なジャズロック路線に終止した『Montréal, 6 am 』(1980)、若干のメンバーチェンジを経て『Images 』(1983)といった2枚の作品をリリースするものの、彼等自身活動の限界を感じたのか或いはもはや演るべき事は全て演り尽くしたと悟ったのかは定かでは無いが、マネイジュの解体を決意した彼等は静かにシーンの表舞台から去っていき自らの活動に幕を下ろす事となる。
解散後各々のバンドメンバーの消息とその後の動向にあっては、SNSといったネットワーク隆盛の昨今に於いても残念ながら皆目見当付かないというのが正直なところで、唯一今なお現役バリバリの第一線で活躍しているのは初期バンドリーダーを務めたJérôme Langloisのみであり、シリアス系寄りのソロワークを展開し数枚にも及ぶ作品をリリースして今日までに至っている次第である。
肝心要のマネイジュのアーカイヴ関連に至っては、1974年と75年のモントリオールでのライヴを収録した『Live Montreal '74 / '75』が発掘され1998年に陽の目を見る事となる (余談ながらも2005年に『Live à l’Évêché 1975』も発掘リリースされている) 。
浮き沈みの激しい70年代~21世紀今日に至るまでのプログレッシヴ・ムーヴメントに於いて何度も言及するが、かのショウビズ大国のアメリカと地続きながらも決して安易に商業路線のカラーに染まる事無く、カナダという国民性とアイデンティティーを頑なに守り続け、独自の路線で今なお現在進行形で展開しているであろうカナダのプログレッシヴ・シーン。
それこそシンフォニック系からメロディック・ロック、プログ・メタル…等と多岐に亘るが、時折ふとマネイジュの様な感性にも似たアーティスティックな精神とフィーリング(ヒーリング系)で、心にじっくりと染み入る滋味にも似た“聴かせる”音楽と久々に巡り会いたいものだとささやかな願望すら抱いてしまう。
若い時分ならマネイジュの音楽性を、退屈極まりないとか性に合わないとばかりに知らん顔を決め込んでいたと思うが、流石に50代半ばの初老(苦笑)の域に達すると、とても心地良く聴けてしまうのだから、やはりその分歳を取った証なのだろうか…。
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29,2022
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新緑が眩しく映え風薫る初夏の5月も終盤を迎え、季節はいつしか夏本番に差しかかった…鬱陶しくも汗ばむ様な気候に、あたかも気まぐれの如き変わりやすい、重くどんよりと垂れ込めた曇天の梅雨空が顔を覗かせる6月へと変わりつつあります。
コロナ禍による諸々の規制等が徐々に緩和され、ノーマスクに遠方への移動、海外渡航の往来の再開といった明るい兆しの朗報が続々と寄せられつつも、遠い海の向こう側の狂った独裁国家とそれに同調する親交国家のタダナラヌ情勢と動向に未だ不安と憂いは隠せません。
それでも季節の移り変わりと共に、真実と信念に向かって人は前向きに歩み続けて行かねばならない、そんなポジティヴな気持ちへと変わりながらも、日に々々落ち着きと平静を取り戻しつつあります。
今回の『夢幻の楽師達』は、あたかもそんな迷いや暗雲すらも拭い去ってしまうかの様なイマジネーションに加え、クリーンでネイチャーな悠久の大らかさと聡明な爽快感を伴った、純粋無垢で且つまさしく北米大陸のヨーロッパという名に相応しい、インテリジェントでアグレッシヴなカナディアン・プログレッシヴシーンから、大御所イエス影響下の最右翼にして…アメリカのスターキャッスル、アルゼンチンのエスピリトゥと並ぶ秀逸なる存在であると共に、70年代カナディアン・プログレッシヴ栄光の一時代を彗星の如く駆け巡っていった唯一無比の孤高なる存在として、今なお高い認知度と根強い人気を誇る名匠“モールス・コード ”に、今一度栄光の輝きとスポットライトを当ててみたいと思います。
MORSE CODE
(CANADA 1971~1978)
Christian Simard:Vo, Key
Daniel Lemay:G, Flute, Vo
Michel Vallée:B, Vo
Raymond Roy:Ds, Per
60年代半ばから世界的規模な人気と話題性で席巻してきたビートルズ・ムーヴメントの波及は、御他聞に漏れず北米大陸のヨーロッパと呼ばれたカナダでも大々的に浸透していたのは言うに及ぶまい。
同じ北米大陸でありながらもカナダは位置的にもほぼヨーロッパ圏に近接しているからか、アメリカのポピュラーカルチャーとは趣や志向が異なり、殊更英語圏とフランス語圏のバイリンガリズム・多文化主義で構成されたお国の事情を背景に、カナダ国内にて圧倒的なフランス語圏でもあるケベック州をメインにブリティッシュ系とユーロピアン系の作風がもてはやされ、ショービズ大国アメリカとは真逆な独自のミュージックシーンが形成されていったのは極々自然の成り行きといったところであろうか。
60年代後期から70年代初頭にかけて、ブリティッシュスタイルの流入でサイケデリック、アートロックの系譜を汲んだエッセンスに、カナディアンなロック&ポップスとフォークが融合したスタイルとスタンスが確立されつつあった当時、今回本篇の主人公でもあるモールス・コードもそんなさ中に躍り出た、後々のカナディアン・プログレッシヴ黎明期へと繋がる寵児にして立役者を担ったと言っても過言ではあるまい。
70年代初頭、モールス・コードの母体ともなったLES MAITRES なるバンドからルーツは遡る…。
ベーシストMichel ValléeとドラマーのRaymond Roy、そしてキーボーダーのChristian Simardをメインに、結成当初はビートルズを中心としたカヴァーを始め、彼等自身のオリジナルナンバーを多数書き貯めて、ケベック州内のホテルやクラブを中心にギグを積み重ね、地道で堅実な音楽活動が実を結びその甲斐あってか大手で天下に名高い (悪名高い) RCAのフロントマンに見い出された彼等は、程無くして契約を交わしプロとしてのキャリアをスタートさせLES MAITRES名義で3枚のシングルをリリースするものの、RCAサイドの意向によってアメリカマーケット市場受けを狙ってLES MAITRESからモールス・コード・トランスミッション へと大々的に改名。
1971年改名した自らのバンドネームを冠したデヴューアルバムをリリースし、ビートルズ影響下ばりのサイケデリック、アートロック、ヘヴィロック、トラディッショナルといった多種多様なサウンドスタイルがぎっしりと詰め込まれ、ストリングスにホーンセクションをバックに配し英語による歌詞で歌われた、まさに時代相応を汲んだポップスな好作品として幸先の良いスタートを切る事となる。
但しプログレッシヴの端緒に繋がるとはいえ、後年の黄金時代とは比べ物にならない位にサイケでポップな作風であるが故、好みの差異や評価が分かれる作品である事も踏まえなければならないが (苦笑)。
デヴュー作の成功を皮切りに、彼等は以前にも増して精力的にギグに勤しむ様になり、デヴューの追い風をステップアップに、更なるサウンド面での強化を図る事となるが、次回作の製作に入ろうとした矢先に初代ギタリストのJocelyn Julienが音楽性の食い違いで抜ける事となり、バンドは新たな後任ギタリストとしてBernie Tapinを迎えることとなる。
時代に沿ったサイケ・ポップな路線から更なる躍進の一歩を見据え (脱却を図ったと言った方がむしろ正しいのかもしれないが) 、翌1972年前作以上にオルガンをフィーチャリングしたヘヴィロック路線を前面に押し出した2枚組というヴォリューム感満載の2nd『Morse Code Transmission Ⅱ 』をリリース。
ヴォリューム感の充実さも然る事ながら、同国のフランク・マリノ&マホガニー・ラッシュ、果てはイギリスのアトミック・ルースター、ドイツのフランピーばりのアグレッシヴ且つヘヴィ&ブルーズィーでプログレッシヴな作風は、彼等自身が模索し切り拓いた独自の歩みに開眼したターニングポイントとなったと言っても異論はあるまい。
自我の覚醒とも言わんばかりな2ndを契機に、更なる貪欲さの加速に増して自らの探求心に火が点いた彼等はイエス、クリムゾンといったブリティッシュ・プログレッシヴ界の大御所から触発され、大々的にプログレッシヴなサウンドスタイルへの転換を図ろうと画策するも、これにはRCAサイドが難色を示しバンドと何度か意見のやり取りが交わされたものの、結局双方の路線の相違と互いの溝が埋まる事無く物別れに終わってしまい、熟考の末RCAから離れることを決意した彼等は、同時にまたしても音楽性の食い違いでバンドから離れたギタリストBernie Tapinの後釜として、アンディ・ラティマーばりにギターとフルートも兼ねるDaniel Lemayを迎えて、EMI傘下のキャピトルへと移籍し、バンドネーミングもモールス・コードと短く改名し、地元ケベック州出身をアピールすべくアルバムタイトルから歌詞に至るまで全てをフランス語に統一させる事となる。
加えて当時の同期バンドでもあった
マネイジュ からのアドバイスやサジェッションも後々の活動に於いて大いなる助力になったそうな。
こうして程無くしてプログレッシヴ路線へのシフトに乗り出し、キャピトルからの後押しの甲斐あってか3rd期のイエス風なサウンドを肉付けに再出発を図った、1975年リリースの通算3作目『La Marche Des Hommes 』は、トランスミッション時代からのファンのみならずカナダ国内のプログレッシヴ・ファンからも絶賛され、ラッシュ、サーガ、FMといったカナディアン・プログレッシヴ史に残る名匠と共にその名を刻みつける事となる。
ちなみにこの本3rdアルバムリリースに前後して、歌って踊れるナンバーも演ってみようと思い立った彼等が、4曲目に収録した「Cocktail」がカナダのみならずアメリカのディスコで頻繁にオンエア(!?)され、彼等の作品中でもちょっとしたヒット作として数えられているので付け加えさせて頂きたい。
ちなみにリイシューCDでもボーナストラックで「Cocktail」のディスコ・ミックスヴァージョンが収録されているので御興味のある方は是非!
再出発作となった『La Marche Des Hommes』は、カナダ国内の各方面から大絶賛され予想を遥かに上回る大ヒットとなり、実に40000枚強のセールスを記録し、幸先の良いリスタートを切った彼等は順風満帆な時代の追い風を受けて、76年トータルアルバム的な趣の4作目にして至高なる最高傑作『Procréation 』、そしてプログレ停滞期が叫ばれていた77年のさ中に、プログレッシヴながらもポップなアプローチを試みた意欲的な好作品『Je Suis Le Temps 』といった、俗に言うモールス・コード“プログレッシヴ時代”3部作をリリースし、こうして70年代後期から80年代への時代の変遷期と呼応するかの様に、自らが演るべき事創るべき事は全うしたと言わんばかり徐々に表舞台から遠ざかり、バンドの解体を決意した1978年、人知れず静かにモールス・コードはその自らのバンド生命に幕を下ろす事となる。
モールス・コードがプログレッシヴ・シーンから勇退し、誰しもが記憶の片隅から彼等の存在が忘却の彼方へと消え去りつつあった5年後の1983年、ベーシストのMichel Valléeと3代目ギタリストDaniel Lemayの両名主導でキーボードとドラムを一新した限定(!?)再結成で『Code Breaker』がリリースされ (かのエイジアとのジョイントツアーにも同行したとのこと!) 、更に1994年にはキーボードのChristian Simardが復帰しMichelそしてDanielに加え新たなドラマーにキーボード奏者を加えたツインキーボードによる布陣で『D'un Autre Monde』をリリースするが、かつての黄金期とは異なった所謂時代相応の作風に終始しているとの事で、ここまで綴ると何だか些か寂しい感すら抱いてしまいたくもなるのが正直なところでもある…。
ここまで駆け足ペースで彼等モールス・コードを綴ってきたが、彼等が再びシーンの表舞台から去って以降の21世紀のカナダのシーンに至っては、詩人ニール・パートの逝去を機に潔く解散したラッシュを除き、今なお地道で堅実なる活動を継続しているサーガに再結成復活を果たしたFMに追随するかの如く、現在進行形で活動中のレッド・サンドを始め、イエス影響下のミステリー、同じくイエス+GG影響下のドゥルク・ファーベン、そしてメロディック・シンフォの最右翼ともいえるヒュイスにモナーク・トレイル…etc、etcといった後進の精鋭達が、ワールドワイドを視野に入れた精力的な活動で犇めき合っている前途有望な様相を呈している今日である。
そんな現在 (いま) を懸命に生き続け、21世紀カナディアン・プログレッシヴシーンの活性化へと繋げている次世代の活躍に、もしもかつてのモールス・コードの面々が再び触発され刺激を受けて再浮上する時がいつか訪れるのであれば、聴き手の心と胸に熱くさせる極上で至高なるシンフォニックの王道たるものを垣間見せ、若手世代にはまだまだ負けられないぜと言わんばかりな気概と決意を大いに期待したいところではあるが、果たして…?
まさにこればかりは願望と理想論を語ったところで、結局は神のみぞ知るというところであろうか…。
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