幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 05-

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 猛酷暑だった8月もいよいよ最終週に入りました…。
 最終週でもある今週の「夢幻の楽師達」は、今もなおブリティッシュ・プログレッシヴ史に於ける70年代アンダーグラウンドの巨匠にして生ける伝説と言っても過言では無い、大英帝国の仄かな香りとリリシズムを湛えた名門ヴァーティゴレーベルの顔でもあり一つの象徴でもあった“クレシダ”に、今再び眩いスポットライトを当ててみたいと思います。

GRESSIDA
(U.K 1968~)
  
  Angus Cullen:Vo, G
  John Heyworth:G
  Kevin McCarthy:B
  Iain Clark:Ds
  Peter Jennings:Key

 遡る事…そう、もう30年前の20代の時分であろうか。
 初々しくも熱かった青二才の頃の事、仕事の合間を縫っては当時プログレッシヴ・ロック専門誌として隆盛を誇っていたマーキー誌にちょくちょく執筆投稿し、休暇を利用しては足繁く豊島区南長崎や目白のマーキー編集部に出入りしていた、もうそれこそプログレッシヴ・ロック業界に片足を突っ込んだばかりの、血気盛んで右も左も分からないただひたすら若さと情熱に任せつつ生意気にも一端のプログレ・ライター気取りだった頃の事だ。
 上京してはマーキー誌編集部に顔を出す一方で、新宿のディスクユニオン始め新宿レコード、UKエジソン、キニー、世田谷のモダーン・ミュージック、目白のユーファ、果ては恵比寿のパテ書房にも足を運んでいた位、都内の観光名所や有名処なんて目もくれず足が棒になる位にプログレッシヴ中古・廃盤専門店に東奔西走していた若かりし青春の一頁、時折“嗚呼、そういえばこんな事もあったなぁ…”と懐古する事もしばしばである(苦笑)。
 まあ…昔を思い出すという事自体、その分歳を取ってしまったという事なんだろうか。
 前出の都内のプログレ中古廃盤専門店に当時足繁く通ってはいたものの、若い時分の自身にとっては…高額プレミアムで万単位な通称壁掛け廃盤レコードの陳列を眺める度に、なかなか手が出せずもどかしい思いを募らせては溜め息まじりにじっと佇むしか術が無かったのは言うには及ぶまい。
 高値の花でもあったイタリアン・ロックの傑作群、ジャーマン、フレンチ…等と並んで、70年代初頭のブリティッシュ・アンダーグラウンドに於いて神々しいまでの輝きを放っていた…今回本篇の主人公でもあるクレシダを始め、グレイシャス、スプリング、インディアン・サマー、アフィニティー、T2、チューダー・ロッジ、スパイロジャイラ、ビッグ・スリープ、サーカス(Kスペルの方の)、セカンド・ハンド、DR.Z…etc、etcの垂涎の的でもあった傑作・名作アルバムに、喉から手が出る位に欲しいと思ったのは決して私だけではあるまい。
 50年代の三種の神器という訳ではないが、先に挙げたブリティッシュ・アンダーグラウンドから仮にもしもシンフォニックな3大名作を挙げるとなれば(個々によって差異はあるかもしれないが)、かのヴァーティゴレーベルの2大名作でもあるクレシダ『Asylum』とグレイシャス『 ! 』、そしてネオンレーベルのスプリングの唯一作ではなかろうか。
 前置きが長くなったが…たった僅か3年弱の短命な活動期間に於いて、自らの信念で紡いだプログレッシヴな精神と美意識で2枚の傑出した名作アルバムを世に遺した今回の主人公クレシダ。
 ひと昔前とは大幅に違い、21世紀の今やSNSを始めとするネットワーク情報時代である昨今…幻だったと言うべきなのかその謎のベールに包まれていた彼等の出自やらバイオグラフィーも、各方面から手に取る様に解明されている今日この頃である。
         
 ランカシャー地方を拠点に活動していたThe DominatorsなるバンドのギタリストだったJohn HeyworthとヴォーカリストのAngus Cullenが一念発起でロンドンに活動の場を移し、程無くして共通の仲間内の伝で、Kevin McCarthy、Iain Clarke、そしてLol Cokerを迎え、1968年12月クレシダの物語はこうして幕を開ける事となる。
 ちなみにバンドのネーミングについては諸説あるが、一番有力なところでトロイ戦争を題材にしたシェイクスピアの戯曲に登場するヒロイン名からインスパイアされたというのが大方の見解である。
 AngusのアパートメントにてJohnとの共同生活を経てロンドンそして近辺でのクラブにて地道で精力的なギグを積み重ね、曲の構想やらアイディアを熟考し書き溜めつつ、小規模ながらもドイツやスイスにて遠征公演をこなして徐々にその知名度を上げ、イギリスに戻ると同時にマーキークラブの常連バンドへと上り詰めていくが、翌1969年音楽的な方向性の違いでキーボーダーがLol CokerからPeter Jenningsに交代。
 時同じくしてイギリス・フォノグラム傘下だったヴァーティゴレーベルの目に留まった彼等は、ヴァーティゴサイドが指し示す音楽の方向性とヴィジョンに賛同・共鳴し正式に契約を交わす事となる。
     

 ヴァーティゴとの契約から程無くしてスタジオ入りした彼等は、デヴューアルバムに先駆ける形で数曲のデモトラックをレコーディングするものの、結局デモ音源は陽の目を見る事無く所謂お蔵入りする形となり(後述するが2012年に『Trapped In Time:The Lost Tapes』という未発アーカイヴマテリアルとしてCD化されている)、紆余曲折と試行錯誤の末1970年漸く自らのバンドネーミングを冠したデヴューアルバムをリリースする。
 サイケデリック・ムーヴメントが席巻していた当時に於いて、彼等とて幾分サイケデリアからの洗礼を感じさせるものの、ツェッペリンやサバスの様なヘヴィ路線はおろか初期フロイドのスペイシーサウンドな路線とは無縁な、本デヴュー作の占めている方向性たるや極めてジェントリーでシンプルな正統派ブリティッシュ・アートロック&ポップスなカラーと方向性こそが彼等の身上と言っても過言ではあるまい。

 ロック、ジャズ、クラシックといった音楽的素養が三位一体となった…所謂後々まで語られるヴァーティゴ・オルガンロックサウンドが明確に位置付けられる決定打となり、同年同じくヴァーティゴからデヴューを飾ったアフィニティーと並んで、70年代ブリティッシュ・アンダーグラウンドの片翼を担う主流のサウンドとして語り継がれていく意味合いすらも感じずにはいられない。
 ジャケットデザインこそ急ごしらえとでもいうかやっつけ仕事の様な地味でお粗末感丸出しなマイナス面は否めないものの、決して派手ではないが抑揚感を伴い緩急自在に繰り広げられる彼等の巧みな演奏技量に加えて、ハートウォームなポップスフィーリングとジャズィーなエッセンスが加味されたプログレッシヴなサウンドワークを耳にする度に、彼等の作品が今世紀に至るまで永く愛され根強く支持されてきたというのも頷けよう。
 Angus Cullenの優しくも憂いを帯びたヴォーカルも然る事ながら、非の打ちどころが無いギターにリズムセクション、何よりもオルガンからクラヴィネット、メロトロンを駆使してクレシダ唯一無比なるサウンドを織り成しているPeter Jenningsの手腕とスキルには頭の下がる思いですらある。
                 
 めでたくデヴューを飾り…さあ!いよいよこれからという矢先に起こったオリジナル・ギタリストのJohn Heyworthの脱退(ツアーでの精神的疲弊と人間関係での悩みがあったそうな)は、寝耳に水の如くまさにバンドにとって出鼻を挫かれた形で大きな痛手となったのは言うまでもあるまい。
 それでも彼等は臆する事無く以前にも増して創作意欲を高めつつ、オーディションから新たなギタリストJohn Culleyを迎え、ゲストにブリティッシュ・ジャズ界名うてのフルート奏者Harold McNair、アコギ奏者にPaul Laytonをゲストに、メロトロンの使用を止めてバックにオーケストラを配し、かのブリティッシュ・プログレッシヴ屈指の名作と名高い最高傑作『Asylum』の製作に着手する。
          
 前デヴュー作での経験を踏まえて、より以上にプログレッシヴな精神で臨み、戦争による歴史の悲劇と愚かさを題材にしたトータルアルバム形式の大作でもあり、キーフが手掛けた石膏像の首人形(美容室に於いてあるウィッグ用マネキンヘッドにも似ている)が林立している…あたかも涅槃の様な終着の浜辺(彼岸)をも彷彿とさせる何とも不気味で且つ不思議で印象的なアートワークが作品の世界観を雄弁に物語っており、まさしくクレシダが描かんとしているリリシズムとドラマティックとのせめぎ合いに、聴き手も知らず知らずの内に惹き込まれていく事必至といえよう。
 なるほど、イタリアの最高峰クエラ・ベッキア・ロッカンダ『Il Tempo Della Gioia』と並んでイギリスのクレシダ『Asylum』が高い好評価を得ているのも納得である(奇遇にも両バンドとも2ndアルバムの最高作で高額プレミアムが付いていたというのも奇妙な一致である)。
 ついでに…この場をお借りして言わせてもらいたいのだが、クエラ・ベッキアにせよクレシダにせよ素晴らしい最高作だと言われ続けている反面、ひと昔前の扱われようというか陰口誹謗中傷といったら“所詮、物珍しいだけで高額プレミアムが売りの音楽性云々なんてB級止まり”といった心無い発言や無責任な評価で、随分と過小評価され卑下た扱われ方が目に余る思いだったのを今でも記憶している。
 心揺さぶられ感動出来る音楽にA級もB級もへったくれもあったもんじゃない!
 早い話…作品に対し如何に悪口言えるか否かしか頭の無い感受性の貧しい聴き手と書き手の詭弁でしかないように思えてならない。

 話が横道に逸れてしまったが、『Asylum』という素晴らしい自信作を引っ提げて、クレシダは意気揚々とヨーロッパツアーへと赴こうとした矢先に、今度はツアーマネージャーのとんだ不手際で資金面での遣り繰りに困窮し、それに端を発したメンバー間同士の疑心暗鬼と人間関係の悪化が尾を引いて、悲しいかな翌年決定していた『Asylum』のリリースを待たずして70年の暮れにバンドは呆気無く解散の道へと辿ってしまい、こうして3年に亘る彼等の物語も幕を下ろし、表舞台から完全に遠ざかってしまう。
 クレシダ解散後のメンバーの動向にあっては、中心的存在だったAngus Cullenは一時的ながらも音楽業界から足を洗ってフランスにてビジネスマンを生業にし、もう一方のブレーンでもあったPeter Jenningsはイギリスの音楽業界に裏方として携わり、以降も独自の創作活動と併行してスコアを数多く手掛けていたとのこと。
 Kevin McCarthyは、かのジョン・G・ペリーが在籍していたTRANQUILITYにリズムギタリストとして在籍、John Culleyはヘヴィ・ロックバンドのBLACK WIDOWに参加、そして残るドラマーのIain Clarkはユーライア・ヒープに誘われて名作『Look At Yourself(対自核)』にたった一度きりの参加で、翌年Lee Kerslakeの加入と同時にヒープから解雇される憂き目に遭い、その出来事が余程骨身に応えたのか音楽業界にほとほと嫌気がさしてしまい一時的に音楽活動から足を洗うといった歩みを辿っている。

 クレシダが遺したかつての2枚の作品ばかりが独り歩きし、時代の移り変わりと共にいつしか高額プレミアムの付いた素晴らしいブリティッシュ・プログレッシヴの隠れた逸品として称賛され、ただ悪戯に天井知らずな付加価値ばかりがうなぎ登りに上昇していくといった様相を呈していた(苦笑)。
 そして21世紀の2010年、再び時代の女神はかつてのクレシダのメンバーに微笑みかける事となった次第である。
 折からの70年代ロックバンドの再結成ブームの波にAngus CullenとKevin McCarthyが引き寄せられ、今再びクレシダの復活と再出発を目論んでいた直後に舞い込んできたオリジナル・ギタリストJohn Heyworthの訃報(同年1月11日にアメリカはオレゴン州ポートランドにて急死したとのこと)に、あたかも弔い合戦にも似た哀悼の意を込めて、ドラマーIain Clarkが所有していたデヴュー以前のデモテープをリマスタリングし、2012年クレシダ復活の狼煙と共に『Trapped In Time:The Lost Tapes』としてリイシューCD化。
 現在、Angus Cullenを筆頭にPeter Jennings、Kevin McCarthy、Iain Clark、そして3代目ギタリストとしてRoger Nivenを加えた布陣で現在もなお精力的且つコンスタンスにライヴ活動を継続している。
     
 「夢幻の楽師達」の締め括りに於いて、もはや定番化したと言っても過言では無い位、新譜リリースに期待を寄せたり、川崎クラブチッタでの来日公演を期待したいといった旨を綴ってはいるが、新譜の期待感も然る事ながら…縁起でも無い書き方で恐縮だが、せめて個人的には死ぬまでに一度で良いからステージで生の彼等クレシダの雄姿をしっかりと目に焼き付けておきたいという、ささやかながらもプログレ人生に於ける終活めいた希望を抱き続けていけたらと願って止まない。

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一生逸品 AFFINITY

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 8月最終週の「一生逸品」は、先日のクレシダと共にヴァーティゴレーベルを代表する名作・名盤(ジャケットアートが共にキーフであるという共通点をも含め)にして、時代と世紀を越えて70年代ブリティッシュ・アンダーグラウンドシーンの生ける伝説、そして象徴と言っても過言ではない…ロック、ポップス、ジャズといったジャンルの垣根を越え、21世紀の今もなお聴き手を魅了し愛して止まないであろう、そんな燻し銀の如き名匠“アフィニティー”を取り挙げてみたいと思います。

AFFINITY/Affinity(1970)
  1.I Am And So Are You
  2.Night Flight
  3.I Wonder If I'll Care As Much
  4.Mr Joy
  5.Three Sisters
  6.Coconut Grove
  7.All Along The Watchtower
  
  Linda Hoyle:Vo
  Lynton Naiff:Key
  Mike Jopp:G, Per
  Mo Foster:B, Per
  Grant Serpell:Ds, Per

 もう何年か前になるだろうか…。マーキー社が別冊刊で出版した『UKプログレッシヴ・ロックの70年代』にて、かのピンク・フロイドの『神秘』について触れていた文中、“フロイドの曲は誰にもコピー出来ない。やっても無駄である。雰囲気まで取り込む事が出来ないのだ”の一節に、成る程…これは実に的を得た言い方であると一人感心した事を記憶している。
 フロイドのみならず、往年の…70年代の名バンドの曲を、今も昔も多くのアマチュア・ミュージシャン達は畏敬の念を込めてリスペクトするかの如くコピーし、ある者はそこからオリジナリティーを確立し成功への階段を駆け上り、またある者は現実の壁との狭間にぶち当たり挫折し音楽での生活を断念する…といった二極に分かれる様相を呈しているといったところであろう。
 往年の名曲は演ろうと思えば一生懸命練習して誰でもコピー出来るのは当たり前であるが、先にも触れた当時の雰囲気…或いは時代の空気とでもいうのだろうか、古色蒼然としたイマージュばかりは、残念な事にそっくりそのまま昔の様に再現する事が出来ないのもまた然りである。
 フロイドの『神秘』に『原子心母』、アメリカのイッツ・ア・ビューティフル・デイ、フランスのサンドローズ、オランダのアース&ファイアーの『アムステルダムの少年兵』、そして日本のエイプリルフールとフード・ブレイン…等の名作は、曲がコピー出来てもあの独特な時代の空気・雰囲気だけはどうしても真似出来ないのが惜しむらくである。

 話の前置きが長くなったが、そんな70年代という一種独特な時代の空気と雰囲気を纏ったブリティッシュ・ロック黎明期の屈指の名作にして傑作でもあるアフィニティーが遺した唯一の作品は、時代と世紀を超えて現在も尚多くの愛好者やブリティッシュ・ファンから絶大な支持を得ている事に最早異論を唱える者はあるまい。
 ヒプノシスが手掛けたフロイドの『原子心母』の牛には及ばないものの、ブリティッシュ・ロックのジャケットアートで一時代を築いたキーフことマーカス・キーフが手掛けた…日本の番傘を手にし湖畔に独り佇む淑女(もしかしてVoのLinda Hoyleがモデル!?)というヴィジュアルは、オリエンタルなエキゾチックさと見果てぬジャポニズムへの憧憬と相まって、イギリスという湿り気を帯びた風土と空気が溶け合った不思議さを醸し出しているジャケットに、過去どれだけ多くのブリティッシュ・ロックファンが惹きつけられ魅せられた事だろうか。
 否…そういう私自身ですらも、ジャケットデザインの番傘をさした麗しき彼女にいつしか恋焦がれていたのかもしれない。

 数年前イギリスのエンジェル・エアー・レーベルからボーナストラック入りで復刻されたデヴュー作のインナーで、詳細な彼等のバイオグラフィーが改めて公開されたが、私自身の拙い語学力で部分々々掻い摘んで直訳するところ…1960年代初頭、サセックス州の工科系を専攻する当時16歳のティーンエイジャーだったLynton NaiffとGrant Serpellを中心に、アフィニティーの母体ともいえるジャズに触発されたポップス系バンドからスタートする。
 一年後オリジナルメンバーだったベーシストが抜け同じ学校の生徒だったMo Fosterが加入。程無くしてMoの友人で別のポップス系バンドのギタリストだったMike Joppが加入し、学生バンドとして長年の地道な活動を経て、イギリス国内のパブやクラブでキャリアを積み重ねていく事となる。
 そして1968年…御多分に漏れずメンバー4人共、時代の流れに呼応するかの様に極ありきたりなポップスバンドからの脱却を図りつつ、北米のジャズやブルース影響下のサウンドへと傾倒し、時同じくしてバンドのカラーを占うともいうべき理想の専任ヴォーカリストをオーディションで選出し、教師の資格を持っていたLinda Hoyleに白羽の矢を射止めバンド名もオスカー・ピーターソンの作品からアフィニティーと名乗る様になる。
 アフィニティー名義で正式なスタートを切った1968年当時、イギリスのロックシーン全体がサイケデリック・ムーヴメント始めアート・ロック、ニュー・ロックの百花繚乱ともいうべき黎明期真っ只中で、マイルス・デイビス、ブライアン・オーガー、ジミ・ヘンドリックスの活躍と指針により、当時数多くの新進気鋭が輩出された忘れ難い時代でもあった。
 ブラッド, スウェット&ティアーズ、クリーム、シカゴ、コロシアム、果てはデヴューして間も無いレッド・ツェッペリンやイエス、ジェネシス、ファミリー、ハンブル・パイといった、当時飛ぶ鳥をも撃ち落とす位のそうそうたる面々が犇めく中で、アフィニティーもそんな熱きシーンの渦中に身を投じていたのは言うまでも無い。
 68年、ロンドンはベーカリー・スクウェアの一角にあるレヴォリューション・クラヴでのデヴュー・ギグを皮切りに、BBCラジオのジャズクラブにて大々的に取り挙げられ、エルヴィン・ジョーンズ、ゲイリー・バートン、スタン・ゲッツそしてチャーリー・ミンガスといった名だたるジャズメンらと番組内で共演の機会を得て、バンドはますます知名度を上げていく事となる。
 活動の拠点もイギリス国内のみならず、ヨーロッパや北欧でのロック・フェスにも招聘されたり、数々のテレビショウにも出演したりと、ヴァーティゴからのアルバム・デヴュー以前を知らなかった我々にしてみれば、抱いていたであろう想像以上の精力的な活動に改めて驚かされるだろう。
                    
 1970年…ヴァーティゴからの待望のデヴューアルバムは、彼等自身の長年培われた音楽経験が存分に活かされつつ様々な音楽的素養が濃密に凝縮された、70年代の幕開けと曙に相応しい快作にして傑作に仕上がっている。
 全7曲収録の内、2曲目と5曲目を除き、殆どがA・Hullやアネット・ピーコック、ボブ・ディラン…等からのカヴァー曲ながらも、そこはハモンドを多用したアフィニティー・サウンドとして見事彼等なりに昇華しており、オリジナルと比較しても原曲の良さが損なわれる事無く上手く差別化を図っている狙いが見て取れよう。
 Linda HoyleとMike Jopp、Lynton Naiffの手によるバンド名義のオリジナル2曲目と5曲目こそ、アフィニティーというバンドの面目躍如といったところで、ジャケットの物憂げな雰囲気と佇まいが見事サウンド化されたと言っても過言ではないメランコリックでどこか寂しげな雰囲気のアコギに導かれ、女の情念或いは恋情すら彷彿とさせるリンダの歌いっぷりは感動的でもありエロティックすら想起させるから困ったものである(苦笑)。
 アフィニティー・サウンドと爆発的なホーンセクションとの競合が聴きものの5曲目も実に捨て難いところ…。
 各メンバーのスキルの高さから卓越した演奏力の素晴らしさに加えて、ストリングスとホーンセクションのアレンジャーとして参加しているツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズの見事な手腕と仕事っぷりが見逃せないのも本作品の特色といえよう。

 デヴュー作をリリース後、順風満帆な軌道の波に乗っていた彼等ではあったが、翌年を境に理由こそ不明だがメインヴォーカリストのLindaとアフィニティーサウンドの要でもあったLynton Naiffの両名が脱退し、バンドは大きな危機に見舞われる。
 バンドは延命策としてLindaの後釜に数々のバンド経験を有するVivienne McAuliffeとKey奏者にDave Wattsを迎えて、次回作の為の新曲を録音し紆余曲折の末マスターテープを何とか完成させたものの、この時既にレーベル側との折り合いの悪化から、2ndリリースに至る事無く結局お蔵入りしてしまうという憂き目に遭い、バンド自体も創作意欲の低下から(ギグの回数が減っていた事も加えて)、いつしか人々の記憶からも忘れ去られ、自然消滅という道を辿った次第である。
     

 その後のメンバーの動向として、歌姫Lindaは翌1971年ヴァーティゴよりニュークリアスのメンバーと共演した自身のソロアルバム『Pieces Of Me』をリリースし、以降ソロ活動等に於いてソフトマシーンのメンバーとの共演を経た後、現在はカナダの西オンタリオに拠点を移し、今でも地道にソロパフォーマーも兼ねてアートセラピーの講師として多忙な日々を送っているとの事であるが、そんな彼女が実に46年ぶりにリリースした2017年2作目の新譜ソロ『The Fetch』は、かのロジャー・ディーンがデザインしたジャケットアートの話題性も手伝って、漸く現役第一線に復帰したLindaの歌声に聴衆が歓喜した事は記憶に新しい。
 Lynton Naiffは音楽業界の裏方に回り、オーケストラのアレンジャー並びクイーンやツェッペリン解体後のペイジ&プラントの製作スタッフとして参加。現在でも独自のフィールドで活動を継続している。
 Mike Joppはアフィニティー解散後、数々のアーティストとのセッションやらレコーディングに参加し、数年後にはギターのディーラーに転身しつつ、オーディオ関連のコンサルタントとしてソニーやフェアライトにも携わっていたそうな。近年はテレビジョン関連の仕事にも携わる様になり、自身の会社を設立し多くのドキュメンタリー番組の製作に加わっているとの事。
 Mo Fosterは長年スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアを積み、ジェフ・ベック、フィル・コリンズ、ジル・エヴァンス、マギー・ベル、ヴァン・モリソン…等の名だたるアーティストの作品に参加し、現在は音楽関連の執筆家として何冊かの著書をも手掛けている一方、今なお現役のソロアーティストとして第一線で精力的に活躍中である。
 最後、Grant Serpellもバンド解散後、数々のセッション活動等に参加し、後年は音楽業界から退き工業化学の講師として教壇に立ち現在に至っている。

 ひと昔前まで、高額なプレミアム付のオリジナル・アナログ盤でしかお目にかかれなかったアフィニティーの唯一作であったが、CD時代の昨今イギリスのエンジェル・エアーレーベルから、(リンダ在籍時の)8曲の未発表アーカイヴ入りのデジタル・リマスタリング仕様に加えて貴重なフォトグラフとバイオグラフィー付でCD化されているので、往年のブリティッシュ・ファンの方々並び初めてアフィニティーに触れる方はどうか是非とも耳にして頂きたい。
 70年代初頭のブリティッシュ・ロックの熱い息吹きとシンパシーを知る上で、本作品こそ格好の一枚である事をお約束したい。
 最後に、1971~1972年にかけて録音されながらもお蔵入りと言う憂き目に遭った幻級の扱いだった2ndアーカイヴ音源も近年晴れてめでたくCD化され、それに倣ってアフィニティー関連の様々な未発マテリアルが発掘されCD化されている事も記しておくので、興味のある方は是非こちらも聴いてみると良いだろう。
 ちなみに彼等の1970年唯一作も、日本国内盤で二度に亘って紙ジャケット仕様CD化、SHM-CD化されているので、こちらもお忘れなく…。

 アフィニティー…それは紛れも無くブリティッシュ・ロックという歴史が生んだほんのささやかな奇跡の賜物、或いは輝かしき青春時代の一頁だったという事に違いはあるまい。

夢幻の楽師達 -Chapter 11-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、秋真っ只中の10月の蒼天と陰影を帯びた曇天といった2つのイメージに相応しい、さながら大英帝国イギリスの気候とイマジネーションをも想起させる、伝承古謡と幻想物語を厳かで高らかに謳い奏でるブリティッシュ・プログレッシヴ界の幻獣“グリフォン”に再び焦点を当ててみたいと思います。

GRYPHON
(U.K 1972~)
  
  Brian Gulland:Bassoon, Crumhorns, Recorders, Key, Vo 
  Richard Harvey:Recorders, Crumhorns, Key, Mandolin, G, Vo
  Graeme Taylor:G, Key, Recorder, Vo
  David Oberlé:Ds, Per, Vo

 俗に言うブリティッシュ・プログレッシヴ5大バンド(フロイド、クリムゾン、イエス、ジェネシス、EL&P)を筆頭に、ムーディー・ブルース、VDGG、ソフトマシーン、GG、キャラバン、ルネッサンス…etc、etcの台頭に加え、ヴァーティゴ、ネオン、ドーンといった当時の新興レーベルが後押しした甲斐あって、70年代初頭に於ける大英帝国のプログレッシヴ・ロックは猫も杓子も十羽一絡げの如くジャズロック、ブリティッシュ・フォークをも内包した、まさしく有名無名をも問わないアーティスト達で大多数犇めき合ってシーンを形成していたと言っても過言ではあるまい。
 そんな時代の潮流に呼応するかの様にブリティッシュ・フォーク、トラディッショナル系に重きを置いて発足され、大御所のペンタングル、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュ等を擁していた新興レーベルのトランスアトランティックを拠点に、今回本編の主人公であるグリフォンはレーベル側の強い後ろ盾と後押しもあって一躍世に踊り出る事となる。

 1970年、ROYAL ACADEMY OF MUSIC(英国王立音楽院)の学友だったBrian GullandとRichard Harveyは在学中ロックとフォークをベースに中世宮廷音楽、ルネッサンス期バロック、そしてイギリスの伝承音楽とを融合した新たな音楽形態を模索しており、後にGraeme TaylorとDavid Oberléの学友2人を誘い4人編成でバンドを結成する。
 「不思議の国のアリス」にも登場する鷲の頭部に胴体が獅子という空想上の幻獣(怪獣)グリフォンをバンド名に冠し、もとより音楽院で学位を取得し古楽器には心得があった事も幸いし、学園祭及び学内の様々なイヴェント、果てはイギリス国内のロックやフォークのフェスに参加しつつグリフォンはめきめきと腕に磨きをかけていき、1972年には前出のトランスアトランティックと契約を交わし一年間リハーサルと録音に費やして翌1973年バンド名をそのまま冠したデヴュー作をリリースする。
          
 記念すべきデヴュー作はレーベル側のカラーと意向が強く反映されたであろう、凡庸なポピュラーミュージックの範疇からかけ離れた向きを感じされる完全なトラディッショナルフォークに根付いた、良くも悪くもとてもお世辞にもロックの流れとは言い難い土着的な趣と個性が強過ぎた、早い話…情熱と非凡な才能が開花した未完の大器を思わせる好作品として認識されるに留まったといえるだろう。
 同様にバスーンやクルムホルン、リコーダーを多用した先駆的なサード・イヤー・バンドが奏でるダークでヘヴィなチェンバー系とは真逆に異なる、中世に生きる民衆の佇まい或いは明るく陽気なお祭りといったイメージを想起させる開放的な壮麗さは後々のグリフォン・サウンドの身上となったのは言うには及ぶまい。
          
 しかしバンド側も流石にこれだけでは単なる顔見せ的な作品ではないかとの反省を踏まえ、弱点とも言えるリズムの強化を図るためにベーシストPhilip Nestorを加えた5人編成へと移行し、翌1974年バンドのマネジメント兼広報担当者だったマーティン・ルイスの発案で、イギリスの国立劇場で上演されるシェークスピアの「テンペスト」の戯曲にインスパイアされた楽曲を手掛ける事となり、演劇と音楽との共演の試みが功を奏しバンドは劇場にて演奏した長尺の曲をメインに、「テンペスト」の戯曲で綴られたフレーズの文節を引用した2nd『Midnight Mushrumps』をリリース。
 アルバムタイトルでもありアナログLP盤A面全てを費やした18分強の大作は、70年代のプログレッシヴ史を飾る組曲形式の長尺大曲…「原子心母」「危機」「タルカス」「サパーズ・レディ」等といった一連の名曲群にも引けを取らない、圧倒的なダイナミズムこそ希薄だが緻密で且つ壮麗な佇まいと森の神話を綴るシェークスピアの世界とが見事に融合し名実共に彼等の代表作へと押し上げたエポックメイキングな一枚として語り継がれていくのである。
     
 2作目の成功で漸くバンドとしての乗りの良さを身に付け、そのままの熱気とテンションを保持したまま弾みと勢いで臨んだ彼等は、同年末に同じくシェークスピアの戯曲にインスパイアされた3rd『Red Queen To Gryphon Three』をリリース。
 英国のロマンティシズムに裏打ちされた意匠のイメージと寸分違わぬ、クラシカル&トラディッショナルな要素とシンフォニック・ロックとしての聴き処と魅力が増し、前作と並ぶ代表作でありながらもプログレッシヴ・バンドとして格段の成長が窺える彼等の人気を決定付けた最高傑作と言えるだろう。
     
 こうして一年間に2作品をリリースするといった一見無謀と思えるハイペースながらも、高度な音楽性並び水準と完成度の高さは決して落ちる事無く、バンドとしてのステイタスそして2つの代表作を確立出来た事を考慮しても、1974年はグリフォンにとって非常に意義のある一年だったように思えてならない。
 特筆すべきはこの3作目から以前にも増してシンセサイザーを含むエレクトリック系楽器の使用率が全体の7割近くを占める様になった事だろうか。
 中世古謡をロック寄りへアプローチさせる手法を更に強く前面に押し出している辺りなんか、さながら当時全盛を誇っていた同系統のGGやフォーカスにまるで対抗しているかの様で非常に興味深いところでもある。

 そんな順風満帆な軌道の波に乗っていた彼等も、時流の波がプログレッシヴから次第にパンクやニューウェイヴへと移行し出した時同じくして、1975年を境に少しづつではあるが自らのサウンドアプローチにも変化の兆候が見られ始める。
 イエスの前座として同行した英米ジョイントツアーを経た彼等は、その時に得た経験を活かし更なるプログレッシヴ・バンドとしての自覚とカラーを強めていき、古楽器を用いたトラディッショナルな風合いと趣は徐々に影を潜めていく。
 ベーシストPhilip Nestorが抜け新たな後釜としてMalcolm Bennettを迎え、1975年にリリースした通算第4作目の『Raindance』は、蓄音機に耳を傾けるヌーディーな紳士が描かれた…今までのグリフォンの世界観には見られなかったモダンな感を与える意匠となっており、新たな試みと取る向きとあきらかにミスマッチという意見が真っ二つに分かれたバンドとして初の賛否分かれる作品にして、長きに亘り在籍していたトランスアトランティックレーベルからの実質上最後のリリース作品になってしまった事が何とも皮肉な限りである。
 イエスに触発されたであろうロックでポップスな側面が更に強調されながらも、以前にも増して従来通り高水準なグリフォンサウンドが楽しめる一方で、英国の伝承音楽風の趣とはかけ離れた…即ちトランスアトランティックが持っていたカラーとは異なる極端なまでのスタイルの変化は多くのファンを戸惑わせ、作品全体の散漫な印象と相まってかなりの数のファンが離れていったとも聞いている。 
 当然の如くアルバムの売れ行きは落ちセールス的にも低迷し、トランスアトランティックの経営難に伴い契約解除となった彼等に更に追い討ちをかけるかの如く、長年苦楽を共にしてきたGraeme Taylor、そしてベーシストMalcolm Bennettまでもが脱退という不運の連鎖続きで、グリフォンは結成以来最大の危機に直面する事となる。
          
 レーベルからの契約解除通告を機に彼等は一年間活動休止状態となり、新たなメンバーの補充と作品リリースの為のレーベル契約に東奔西走の日々を送る事となったが、程無くしてEMI/Harvestと好条件で契約に漕ぎ着け、翌1977年新たな3人のメンバーBob Foster(G)、Jonathan Davie(B)、そしてAlex Baird(Ds)を迎えた6人編成で(David Oberléはリードヴォーカルに専念)、『Treason』(“反逆”)という何とも意味深なタイトル名の5作目をリリースする。
 大手EMIという事もあってか自由でのびのびとした雰囲気の中で製作された事を窺わせる、前作と同様イエス風なシングルヒット向けを意識したかの様なコンパクトな小曲揃いで構成され、出来栄えや完成度こそたしかに申し分無いものの、時代の流れの影響なのか一見するとHM/HRバンドのジャケットを思わせる何ともメタリックな質感の怪獣グリフォンが描かれたアートワークが災いし、英国の気品とロマンティシズムを湛えた薫り高いファンタジーの楽師達のかつて面影は微塵にも感じられなくなった事が何とも悔やまれてならない。
 折りしも当時音楽シーンを席巻していたパンク/ニューウェイヴによる時流の波に抗う事も空しく、彼等の新たなる試みと挑戦は敢え無く失敗に終わり、更なるセールス低迷に拍車をかける形となった事でバンドは解散への道を辿り、グリフォンは人知れず幕を下ろし静かに表舞台から去って行ってしまう。

 バンド解散から80年代以降にあってはメンバー各々の動向は知る由も無く、唯一判明している事といえば1979年にフランスはプログレッシヴ・フォーク界の大御所マリコルヌの『Le Bestiaire』にBrian Gullandがゲストで参加しているとのアナウンスメントが伝えられた位で、他のメンバーは決して表立ってマスメディアに登場する事も無く、大半は音楽の世界から離れて堅気の仕事に就いたか、或いは音楽院で修得した教職員の資格を活かして教壇に立ち音楽関連の育成、後進の指導に携わっているかのいずれかと思える。
 …が、バンド解散後各メンバーが沈黙を守り続けているのを他所に、転機ともいえる90年代、ポンプロック勃発時とは全く違う方向に於いてプログレッシヴ・ロック復興の波が訪れるのと時同じくして、グリフォンの未発音源、果てはベストセレクションの形で集約されたボックスセットを含むCDが多数リリースされる様になり、これを機にグリフォンのメンバーを含め彼等を長年支持してきたファン達から復帰の声が寄せられる事となる。
 21世紀に入ると未発のライヴ音源、BBCセッション時の音源をまとめたライヴCDまでもがリリースされ、グリフォン復帰の機運がますます高まる中、解散から実に30年後に当たる2007年バンドは公式サイト設立と共に新譜リリース予告のアナウンスメントを公表し、れらを埋め合わせするべく長期のリハーサルを経て、2009年6月6日ロンドンはクイーンエリザベスホールにてたった一夜限りの再結成ライブを開催し(チケットは即完売!)、デヴュー時のオリジナルメンバー…Brian、Richard、Graeme、Davidがステージ上に再び顔を合わせると同時に客席からは割れんばかりの歓喜の嬉し涙と共に拍手喝采に包まれたのは言うまでもない。
 更なるステージサプライズとして『Treason』に参加していたベーシストJonathan Davieまでもが参加すると会場の熱気は一気にヒートアップし、グリフォンとしてバンド史に於いて最高潮の素晴らしいライヴパフォーマンスとして記憶される事となる。
 2015年、グリフォンはイギリス国内の芸術センターを皮切りに、フェスティバル会場果てはミュージッククラブ等での更なる再結成ツアーを発表後、サーキットと同時進行で着々と新譜リリースに向けてのレコーディングに取りかかり、まだ記憶に新しい2018年秋、実に41年ぶりの通算6枚目に当たる待望の新譜『ReInvention』をリリース(残念ながらRichard Harveyは不参加であったが)。
 オリジナルメンバーのBrian Gullandを始めGraeme Taylor、そしてDavid Oberlé、そしてGraham Preskett、Andrew Findon、Rory McFarlaneという3人の新メンバーを加えた布陣で臨んだ最新作は、アートワーク総じてまさしく期待通りの…あの70年代の頃と何ら変わり無いグリフォン・サウンドが存分に堪能出来る素晴らしい内容であったのは言うに及ぶまい。  
     
 こうして再び順風満帆な追い風に乗った幻獣グリフォンの神々しい大きな翼が、いつの日か日本国内に舞い降りて眩惑の宴を奏でる夢物語みたいな事を大いに期待したいところでもあるが、果たして…? 

一生逸品 SPRING

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 今週の「一生逸品」は数ある70年代ブリティッシュ・ヴィンテージ系名作の中でも、群を抜いた比類無き完成度とクオリティーを誇り、大英帝国独特の物憂げな儚さ…光と陰影が同居した詩情溢れる世界と、ドラマティックなメロトロン群が木霊する、まさしく名作・傑作の名に恥じない珠玉の一枚でもある“スプリング”を取り挙げたいと思います。

SPRING/Spring(1971) 
  1.The Prisoner(Eight By Ten)/2.Grail/
      3.Boats/4.Shipwrecked Soldier/
      5.Golden Fleece/6.Inside Out/ 
      7.Song To Absent Friends(The Island)/
      8.Gazing
  
  Pat Moran:Vo, Mtn 
  Ray Martinez:G, Mtn 
  Adrian‘Bone’Maloney:B 
  Pique Withers:Ds, Per 
  Kips Brown:Piano, Organ, Mtn

 もう長きに渡りプログレッシヴ・ロック始めシンフォニック・ロック、果てはブリティッシュ・ロックの名だたる名作・名盤に慣れ親しんでこられた方々にとって、必ずと言って良い位に避けて通れない一枚。
 今回紹介するイギリスのレア&マスト・アイテムな名盤と謳われ続けてきたスプリングの唯一作。 
 71年…それこそレア・アイテムの宝庫と言われているネオン・レーベルに唯一の作品を残しつつ、それ以降バンド並びメンバーの現在に至るまでの動向及び消息は、毎度の事ながら(苦笑)残念な事に皆目見当が付かないのが正直なところである(雲を掴むような話…)。 
 オリジナルのイギリス原盤は当然の如く、ひと頃と比べたらプレミアム的にもダウンしているが、それでも未だにン万円単位で取引きはされているそうな(苦笑)。
 80年代の愚行・悪夢ともいうべきブリティッシュ系レア・アイテムの安手で陳腐な体裁を繕ったブート再発で思いっきり信用を地に落とした感は無きにしも非ずではあるが、それはそれで高い評価と人気を持っていたが故の有名税たる悲しい宿命とも言えよう。
 90年代に入りアメリカのレーザーズ・エッジ・レーベルにて漸く正規にCD再発され(かのキーフがデザインの3面開きのジャケット仕様も見事に復活)、マーキーのベル・アンティークからも国内盤(後年の紙ジャケットSHM‐CD化も含めて)でリリースされたのは記憶に新しいところである。
 まあ…やっとと言えばやっとであるが、デヴュー当時の71年日本国内盤もリリースされる予定があったにも拘らず諸々の事情で中止という憂き目に遭っていることを考慮すれば、結構国内リリース向けの良質で親しみ易い内容であることだけは付け加えておきたい(レア作品に有りがちな、お堅くもキワモノ扱いみたいな中身でないこと)。 

 70年初頭にレイチェスターのローカル・バンドとして経歴をスタートさせ、その後当時の新興レーベルだったネオンの目に止まり、インディアン・サマー、トントン・マクートに次いで期待と注目を集めるものの、セールス的に伸び悩みつつバンド自体もたった数回のギグを経て、ギリギリの綱渡りに近い活動を強いられながらも、そんな不遇な状況に臆する事無く彼等は1973年の2ndリリースに向けたリハーサルとレコーディングを行っており、漸く何とかマスターテープを完成させるものの、時既に遅くネオンレーベルとの契約も終了し、他のレーベルからのリリースも見込まれないままメンバー各々がそれぞれの道に四散し、結局僅か2年足らずでスプリングはその短い活動期間に幕を下ろし表舞台から消え去ってしまう。
 メンバー達のその後の動向はスタジオ・ミュージシャンへの道を歩む者、ローカル・バンドに移行した者、音楽活動からすっかり足を洗って堅気(!?)の道を選んだ者とに分かれるが、スタジオ活動に携わった者の中で注目すべきはロバート・プラント始め、イギー・ポップ、ルー・グラム、マグナ・カルタ、ダイアー・ストレイツとのセッションもあったそうな。
          
 冒頭1曲目の“The Prisoner”は、そこはかとなく始まるメロトロンに導かれ、タイトル通りの哀感の篭ったバラード調の流れの中にも一条の希望の光が見出せそうな展開である。
 2曲目“Grail”もオープニングと同傾向の作品で、決して派手になることも大仰な曲展開になることもない極めて淡々とした地味で薄い印象ではあるが、元を正せばブリティッシュ・フォークに裏打ちされた「唄」を聴かせる意図なのかもしれない。
 続く3曲目“Boats”も河を漂う小舟の如きフォーク・タッチなアコギに導かれこれまた淡々としたヴォーカル・ナンバーの小曲。
 間髪入れずにマーチング・スネアとメロトロンに導かれ、軽快なブリティッシュ・ロックンロール風の趣きが堪能出来る“Shipwrecked Soldier”も旧A面を締め括るに相応しいナンバーである。
 “Golden Fleece”は厳かで明るめな曲想のメロトロンをイントロに、如何にもビートルズからの影響をも伺わせる軽快なナンバー。
 続く“Inside Out”も前出と同傾向の好作で、美しいピアノが奏でるラヴバラード調の“Song To Absent Friends”も忘れ難く、シングル・カットされてラジオでオンエアされたとしても何ら違和感の無い味わい深いものを感じる。
 旧LP盤のラストを締め括るに相応しい“Gazing”は、一瞬クリムゾンの“エピタフ”を思わせるような出だしながらも、夕暮れ時の黄昏感漂う映像的な光景が目の前に浮かび上がってくるかの様な感傷・感動的な終曲である。
          
 昨今のCD化に伴うボーナス・トラックの未発表3曲も聴きもので、LP盤でしかスプリングを知らない方達には「へえ…!あのスプリングに、こんなに良い曲が残ってたんだァ!?」と驚嘆すること請け合いである。
 メロトロンよりもオルガンとギターをメインにした乗りの良いプログレ・ハード&ヘヴィ色の濃いナンバーで占められており、私自身も初めて彼等の未発表曲に接した時は、伝統的なブリティッシュ・フォークに根付いた曲想ばかりと抱いていたが故「意外だよなァ…」と更に再認識を改めた次第である。

 「トリプル・メロトロンだけが売り文句で、内容なんかさほど大した事ない」「トリプル・メロトロンなのに、コマ切れ状態みたいな鳴らし方で、厚みが無い…薄い!聴く価値ゼロ!!」といった巷での陰口・悪口は確かに無きにしも非ずではあるが(申し訳無いが、結局そんな悪口雑言でしか評価している輩は、付加価値だけ重視したくだらない俄か的レコード蒐集家被れ…所謂アーティストへの愛情の欠片も無い、レコード=物としか扱っていない最低な類だと思えてならない)、そんな悪口雑言なんてどこ吹く風とばかりに、彼等の唯一の作品にはイギリスの牧歌的な風景に土と水と風の匂い、流れる雲に木霊する樹々…キーフの描くジャケット・アートの如く、川の水面を自らの血で染めた悲しくも美しさを湛えた兵士の亡骸を象徴しているかの様に、悲しみという深淵の奥底からほんの僅かながらも仄かで明るい光明と希望溢れる世界を見出そうとしている、寒い秋風の中にも温かさを感じる、ある種“”の通ったヒューマニズム溢れるブリティッシュ・シンフォニック黎明期とも言える秀作と言えよう。 

 ただ単に…古臭い時代物の音楽だけで片付けて欲しくないし、今一度再評価・再認識を促したい、これこそ真の“逸品”であろう。

 こうして時は瞬く間に流れ、21世紀真っ只中の2007年…奇跡と運命の輪は再び回り始める。
 スプリングが遺した、73年リリース予定だった2ndアルバム用に録音された幻の音源がメンバー自身からの提供で、実に34年振りに陽の目を見る事となり、先に触れたボーナストラックの3曲もアレンジを変えたヴァージョンで再録され『The Untitled II 』という意味深なタイトルながらも、決して一作のみの打ち上げ花火程度では止まらない真の実力を発揮した会心の一枚として世に出る事となり、翌2008年にはイタリアのAKARMAレーベルからも『Second Harvest』と改題されてリイシュー化され、2016年にはかのロジャー・ディーンによるイラストでアナログLP盤『Spring 2』として陽の目を見る事となった次第である。
 
 改めて振り返ってみると、スプリングとは万人に愛されるべき、極めてヒューマンでミュージシャン・シップが強く打ち出されたバンドだったと思えてならない。
 何よりも彼等の“音”がこうして未来永劫愛され続ける限り、決して伝説のままで終わらせてはなるまい…。

一生逸品 KESTREL

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 11月最初の「一生逸品」は、晩秋近い時節柄に相応しく大英帝国屈指の名作・名盤にして、良質なるポップさと優雅でジェントリーな旋律を謳い奏でつつも、70年代後期のブリティッシュ・ロックシーンに於いて一抹の栄光を夢見つつ、かのイングランドと同様“運”に見放されながらも、唯一無比の音世界を構築し現在もなお音楽性が色褪せる事無く新鮮さに満ち溢れた伝説的存在として語り継がれている“ケストレル”に今一度焦点を当ててみたいと思います。

KESTREL/Kestrel(1975)
  1.The Acrobat/2.Wind Cloud/ 
  3.I Believe In You/4.Last Request/
  5.In The War/6.Take It Away/ 
  7.End Of The Affair/8.August Carol 
  
  Dave Black:Lead&Rythym-G, Vo 
  John Cook:Key, Syn, Mtn, Vo 
  David Whittaker:Ds, Per 
  Fenwick Moir:B 
  Tom Knowles:Vo

 1974年…あの『レッド』リリース前夜のクリムゾン解散声明を境に、ブリティッシュ・プログレッシヴは大きな転換期を迎えたと言っても過言ではあるまい。
 『リレイヤー』発表後のイエスの活動休止=ソロ活動への移行、低迷期に差し掛かったEL&P、『狂気』の世界的大成功以降、巨万の富を得ながらもウォーターズとの軋轢が次第に表面化しつつあった感のフロイド、ゲイヴリエル脱退後に作風と路線の変革を余儀なくされたジェネシス…と、俗に言う5大バンドの猛者達が時代の波と共に少しずつ変わり始め、片やその一方でキャメル、GG、VDGG、エニドといった精鋭達は気を吐きつつ地道に好作品を発表し、パンク&ニューウェイヴ一色に染まりつつある当時のブリティッシュ・ムーヴメントに於いて、プログレッシヴ最後の砦の如く生き長らえていたと言えよう。
 そんな時代の波に呼応しつつも、決して安易な商業路線・産業ロック系に妥協する事無く、かつてのビートルズをルーツとする純粋なブリティッシュ・ポップフィーリングを脈々と受け継ぎプログレッシヴのエッセンスを融合した、後々のメロディック・シンフォの源流ともなる新たなスタイルを模索していた…ドゥルイドを始め、イングランド、ストレンジ・デイズそして今回の主人公でもあるケストレルといった、単発・短命ながらも好バンドの輩出に至った次第である。
 未だに多くの…ブリティッシュ・ロックのみならずユーロ・ロックの愛好者達の心を捉えて離さない、ケストレルの不思議な魅力と長きに渡って愛され続けている理由とは一体何なのだろうか? 
          
 ケストレル…直訳するとハヤブサ科で猛禽系の鳥類“チョウゲンボウ”と名乗る彼等のスタートは1971年の夏、海岸沿いの小さな街ホワイトリーベイにてリーダー兼ギタリストDave Blackと盟友のキーボーダーJohn Cookを中心に、ドラマーのDavid WhittakerにベースのFenwick Moir、そしてメインヴォーカリストにTom Knowlesを加えた5人で結成された。
 当時の彼等に多大な影響を与えたのは、イエス、ジェネシス、EL&Pに大御所のビートルズ(後の彼等のポップ・センスとフィーリングのルーツが見て取れよう)、ブリティッシュ系以外ではフォーカスにサンタナを挙げている。

 彼等のホームタウンでもあるホワイトリーベイを活動拠点に地道にギグの回数を重ねてきた甲斐あって、73年名門大手デッカ・レコードのスカウトマンにして本作品プロデューサーのジョン・ウォルスに見出され、デッカ傘下のキューブ・レーベルより、大いなる期待を集めて珠玉の名作が生み出された次第である。
          
 厳粛でジェントリーな部分と驚く程に明るく軽快且つポップな部分とが全く違和感無く融合した1、4、5、そしてラストの8曲目こそが彼等ケストレルの身上にして至高のサウンドと言っても過言ではあるまい。
 特に4曲目、5曲目とラスト8曲目の終焉部分のメロトロン・オーケストレーションはブリティッシュ・プログレ史上、クリムゾンの“宮殿”とジェネシスの“サルマシス”と共に上位の部類に入る位の高揚感と荘厳さで圧倒される。
 ビートルズやプロコル・ハルムばりの俗に言う“英国風”バラードの2曲目とオルガン・ロック風に始まりながらも、しっとりとしたピアノと甘いメロディーな7曲目も実に泣かせてくれて、国は違えどタイ・フォンを初めて聴いた時の衝撃と感動を思い出したと言っても過言ではあるまい。
 プログレ=暗いといったイメージを払拭するかの様な爽快な3曲目と6曲目にあっては、まさにドライビング・ミュージック向きで…成る程ポップスなメロディーラインながらも魅力的で聴く者を惹きつける曲作りの上手さとセンスは時代と世紀を超越しても感嘆の思いですらある。 
  
 …が、運命とは皮肉なもので、期待を一身に集め鳴り物入りでデヴューを飾ったにも拘らず、最早イギリスの音楽シーンは世代交代の如くパンク・ムーヴメントの夜明け前であったのは言うまでもない。 
 当然の如くセールスは伸び悩み、バンド自体も活動が思うように行かず低迷に瀕する次第である。
 結果…バンドは解散しリーダーのDaveはスパイダース・フロム・マースに加入し活路を見出そうとするも結局長続きする事無く、Dave自身も音楽業界の表舞台から遠ざかるに至った次第である。 
 ケストレルにせよ、イングランド、ストレンジ・デイズといった70年代後期のプログレ・バンドにとっては正に冷遇された、乱暴に言ってしまえば“時代遅れ”というレッテルが貼られたまま、音楽的に素晴らしい作品が必ずしも賞賛される訳ではない…という当時の軽薄短小な英国の音楽シーンの愚
考・浅はかさを如実に物語っているようですらある。 

 その後Dave Blackはセッション・ミュージシャン・作曲家に転身し成功を収め、故郷のホワイトリーベイにて現在も時々不定期ながらも自身のバンドを率いて活動中とのこと。 
 John Cookはテレビ局の音響関係の仕事に就き、ドラムスのDavid Whittakerはスティール・ドラマー奏者に転向し地方のパブやクラブでの演奏活動に加えてニューカッスルにて自身のバンドで活動中。
 ユニークなところでヴォーカルのTom Knowlesは家族が営むベーカリー関係のビジネスに乗り出し、これが大当たりした後ダーハムにて家業の代表取締役兼コンピューター・システムのアナリストとして成功を収めている。
 最後に残るベースのFenwick Moirの所在だが、1980年前後にフランスに移住した以降は残念ながらその所在や動向は不明である。 

 同じ70年代後期に活躍したイングランドが奇跡的な復活を遂げ、昨年新作をリリースし気を吐いている一方、ファンの心理上“ならば是非ケストレルも!”と大いに期待を寄せたいところだが、悲しいかな…やはりそればかりは不可能に近いようだ。 
 稀代の名演・名作と賞賛されながらも、決して成功という栄光の階段には上れなかったケストレル。
 70年代という激動のブリティッシュ・ロックシーンに雄々しく放たれながらも、大きく羽ばたく事無く時代の彼方へ飛翔し消え去ってしまった彼等。
 そんな彼等が遺した唯一の作品は、どんなに時代が移り変わろうとも決して色褪せる事無くこれから先数十年の時を経ても神々しく光輝き続けていく事だろう。

 晩秋の青空と秋風に誘われて遠出する道中で久々にカーステレオでケストレルを聴いてみよう、冬の訪れはもう間近である…。

夢幻の楽師達 -Chapter 19-

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 12月最初の「夢幻の楽師達」は、70年代の第一次プログレッシヴ・ロック黄金期の夜明け前に活躍した伝説的にして幻の存在とも言える…まさしく知る人ぞ知るサイケデリアやアートロックといった概念をも超越し、その一貫した独創的な音楽スタイルを誇りつつ、決して伝説や幻云々で済ませるには余りにも惜しまれるであろう、アートロック→プログレッシヴ黎明期に青春を捧げ一時代を駆け抜けていった“アイズ・オブ・ブルー”に今再び光明を当ててみたいと思います。
 更に今週の「一生逸品」ではそのアイズ・オブ・ブルー改名後の発展的バンドとして、自らの類稀なる音楽性を一気に開花させた名匠ビッグ・スリープも登場します。
 さながら前後篇スタイルでお送りする12月第一週目の『幻想神秘音楽館』をどうぞ御堪能下さい。

EYES OF BLUE
(U.K 1965~1971)
  
  Gary Pickford‐Hopkins:Vo
  Wyndham Rees:Vo
  Ray“Taff”Williams:G
  Ritchie Francis:B
  Phil Ryan:Organ,Piano,Mellotron
  John Weathers:Ds

 アイズ・オブ・ブルーの名を初めて知ったのは、久々に上京した際に新宿ガーデンシェッドの林店長に勧められて購入したシンコーミュージック刊の赤表紙『#017 UK PROGRESSIVE ROCK』の92ページに載っていたのがきっかけだった。
 私自身恥ずかしながら初めて見聞きする名前のバンドだったが故に、60年代末期のバンドながらもあの当時にしては一歩突出した意味深なジャケットアートの装丁に加え、何とも神秘的な響きの未知なる期待感を抱かせるには十分過ぎるインパクトがあったのも正直なところである。
 ひと昔前の若い時分、クレシダ始めグレイシャス、T2、果てはアフィニティー、インディアン・サマー、スプリング、ツァール、ディープ・フィーリング…etc、etcと色めき立って、なかなか入手困難で手が出せないブリティッシュのレアアイテムに思いを馳せ、夢中になって音の想像を張り巡らせていたものだったが、今にして思えばあの当時の自分はまだ若さと情熱に任せていただけの青二才で認識・知識不足だったんだなァと反省することしきりである(苦笑)。
 最もプログレッシヴ・ロック専門誌と謳っていたマーキー編集部ですらもブリティッシュ・ロック集成等で掲載していなかったのだから、当時は如何にネット等の情報網が少なく乏しく未整理だったかが伺い知れよう…。
 考え方や捉え様によってはアイズ・オブ・ブルーは、所謂知る人ぞ知るまさしく“通好み”のバンドだったのかもしれない。
 21世紀の今やCD化ないしダウンロードで簡単に音源が入手出来る御時世、御多聞に漏れずアイズ・オブ・ブルーもバイオグラフィーが判明し、過去に何度かブート紛い(それに近い形で2in1形式のものも含めて)を思わせる形でCDリイシューされているが、結果的にはめでたくイギリス本国のESOTERICから新規リマスターされた正規のCDリイシューが為され、ディスクユニオンを経由して国内盤がリリースされた事もあったが故、ここに改めて彼等の道程を振り返ってみたいと思う。
 国内盤のライナーと解説で舩曳将仁氏が詳細に綴っているので、ここでは敢えて重複を避けて簡単に触れていく程度に留めておきたいと思う。

 今更言うには及ばない話ではあるが…改めて60年代半ばから70年代初頭にかけてのブリティッシュ・ロックの奥深さとその層の厚さたるや、思っていた以上に我々の予想をも遥かに上回る迷路の如く複雑怪奇で脈々と乱立されたムーヴメントであったという事をつくづく思い知らされるのが正直なところであろう。
 全世界を席巻していたビートルズ人気を皮切りに、イギリス国内でめきめきと頭角を現していたザ・フー、デヴュー間もないプログレッシヴ前夜のムーディー・ブルース、サイケデリアの新鋭として注目を浴びていたピンク・フロイド…等、ロックンロール、ブルース、ビートポップス、サイケデリックと多岐に枝分かれしていた時代から徐々にアートロック、プログレッシヴへと転換が試みられた60年代後期に於いて、百花繚乱と多種多才なアーティスト達がこぞってブリティッシュ・ロックムーヴメントで犇めき合っていたさ中、1964年南ウェールズで今回の主人公であるアイズ・オブ・ブルーの物語は幕を開ける事となる。

 Wyndham Reesを始めRay“Taff”Williams、そしてRitchie Francisの主要メンバーに加えて、リズムギターのMelvin Davies、ドラマーのByron Philipsによる5人編成で、R&BをベースとしたサウンドのTHE MUSTNGSを母体とし、Byron PhilipsからDave Thomasにメンバーチェンジと同時にバンド名もアイズ・オブ・ブルーに改名し地道に音楽活動を続けるも、程無くしてMelvin Daviesがバンドを去る事となり1966年まで4人編成で活動を継続。
 転機となった1966年に幅広い音楽性への転換と強化を図る上で、バンド仲間の伝でキーボード奏者のPhil Ryan、そしてヴォーカリストでギターも弾けるGary Pickford‐Hopkinsを迎え、ドラマーもDave Thomasから後年ビッグ・スリープ並びGGの名ドラマーとして名声を馳せる事となるJohn Weathersへと交代し、アイズ・オブ・ブルーはイギリスとアメリカそれぞれ質感の異なるサイケデリック・スタイルなサウンドを謳いながらも、様々な側面と多彩(多才)な楽曲センスをも垣間見せる変幻自在でカラフルなリリシズムを湛えたソフトロックやアートロック的なエッセンスをも内包し、漸く時代相応に即したバンドとしての体制を確立させる事となる。
          
 同年彼等はイギリスの音楽誌メロディーメーカー主催のコンテストで見事に優勝を飾り、それに併行して大手のデッカと契約を交わしカヴァー曲を含む「Up And Down / Heart Trouble」でシングルデヴューを飾る事となるが、思っていた以上にセールスは記録せず、翌1967年2枚目のシングル「Supermarket Full Of Cans / Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart」をリリースするものの、これも泣かず飛ばずのセールス不振で散々たる結果に終わり、デッカとの関係も悪化し半ば放り出される様な形でマーキュリーに移籍する事となる。
 ちなみに不振に終わったシングルから“Heart Trouble”と“Supermarket Full Of Cans”そして“ Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart”の3曲が後々の2012年にスウェーデンのFLAWED GEMSレーベルから(ややブート紛いな形で)リリースされたリイシューCDのボーナストラックに収録されているので、興味のある方は是非そちらもお聴き頂きたい(苦笑)。
  マーキュリー移籍後の彼等はデッカ放出という憂き目を教訓に以前にも増して精力的に音楽活動をこなし、1968年にはヘンデル作のオペラにインスパイアされたA面とビートルズ・カヴァー曲のB面というシングル3枚目「Largo / Yesterday」をリリースし、漸くある程度のセールスと知名度を得ていく次第であるが、人気に火が付き始めたと同時にフランスと日本でもB面のYesterdayから“Crossroads Of Time”(翌1969年リリースのデヴューアルバムのタイトルにもなった)に差し替えたシングルがリリースされる運びとなる。
 余談ながらもビートルズナンバーの差し替えは多少なりとも著作権絡みを匂わせるものであるが、日本盤シングルの邦題「愛のラルゴ」に記されていた“アメリカの人気グループ”というくだりには苦笑せざるを得ない(イギリスのグループであるのに、当時の責任者を呼べ!と声を大にして言いたいところでもあるが)。
 アイズ・オブ・ブルーに改名後、紆余曲折を経て1969年マーキュリーから数曲のカヴァーナンバーを収録した待望のファーストアルバム『Crossroads Of Time』をリリース。
     
 それと前後して彼等のサイケなポップス+クラシカルな趣が加味された音楽センスに惚れ込んだアメリカ人名プロデューサーのクインシー・ジョーンズの招聘で映画のサントラという大仕事が舞い込むものの、結局すったもんだの挙句映画の製作がお蔵入りするという憂き目に遭う。
 が、災い転じて福を為すの諺の如く少しずつではあるがフィルム関連の仕事にも携わる様になり、時の名女優ベティ・デイヴィス主演の映画ではバンドの演奏シーンでメンバー全員が顔出し出演しているそうな(残念ながら私自身未見ではあるが…)。
 これをきっかけに当時のプロデューサーLou Reiznerの口利きでアメリカの某シンガーソングライターのバックバンドをも務める様になり一見順風満帆な軌道の波に乗りつつあるかと思いきや、肝心要の自らの創作活動とはかけ離れた方向性に疑問を感じたオリジナルメンバーのWyndham Reesがバンドを去り、アイズ・オブ・ブルーは残された5人で活動を継続していく事となる。
 オリジナルメンバー脱退という痛手を受けながらも、それでも彼等は臆する事無く逆境をバネに発奮し同年早々と自身の代表作にして渾身の一枚となった2作目『In Fields Of Ardath』を完成させ、同時進行で4作目のシングル「Apache '69 / QⅢ」をリリースする。
 2作目のオープニングを飾る“Merry Go Round”こそ、まさしくアートロック&サイケデリックの時代から70年代プログレッシヴ時代夜明け前への移行とも言うべき橋渡し的とも取れる好ナンバーで、ブリティッシュ・ロックが持つ古き良き英国伝統の佇まいと抒情性すら散見出来るクラシカル・シンフォニックポップの真骨頂とも言えるだろう。
          
 余談ながらもこの“Merry Go Round”こそが、前出のお蔵入りになった映画のサントラで使用される為に用意されていた曲であるという事も付け加えておかねばなるまい…。 
 …が、運命の神様とは何とも意地悪で気まぐれとでも言うのか、“Merry Go Round”共々素晴らしい楽曲で占められた2ndも意欲的な試みのシングルも予想と期待に反して売れ行きは伸び悩み、セールス不調と商業的にも失敗という烙印を押された彼等はデッカに引き続きマーキュリーからも放出を余儀なくされてしまう…。
 いつの時代も素晴らしいセンスと類稀なる才能に満ちた音楽作品が必ずしも売れると限らないのは素人目に見ても何とも皮肉な限りである。
 この商業的失敗(この言葉嫌いだよなァ)でメンバーはすっかり意気消沈し、バンドとしての活動も停滞気味に陥るが、唯一ドラマーのJohn Weathersだけはメンバーを励ましつつ、個人的な対外活動としてウェールズの旧知のバンドに協力しアルバム製作に勤しみながら、先のプロデューサーLou Reizner共々アイズ・オブ・ブルーの起死回生を窺っていたが、その2年後の1971年…プロデューサーの尽力の甲斐あってアイズ・オブ・ブルーはB&Cレーベル傘下の新興ペガサスレーベルと契約を交わし、バンド名も改め新バンドBIG SLEEP(ビッグ・スリープ)として再出発を図る事となる。

 …to be continued

 ※ 「一生逸品」BIG SLEEPの章へと続く。

一生逸品 BIG SLEEP

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 今週の「一生逸品」は先日の「夢幻の楽師達」で取り挙げたアイズ・オブ・ブルー(EYES OF BLUE)の流れを汲み音楽的発展を遂げた、心機一転…改名後アンダーグラウンドな範疇ながらもその独特な個性と世界観で70年代ブリティッシュ・プログレッシヴムーヴメントに於いて、唯一無比の隠れた傑作と誉れ高い“ビッグ・スリープ”が遺した唯一作に今再び焦点を当ててみたいと思います。

BIG SLEEP/Bluebell Wood(1971)
  1.Death Of A Hope
  2.Odd Song
  3.Free Life
  4.Aunty James
  5.Saint And Sceptic
  6.Bluebell Wood
  7.Watching Love Grow
  8.When The Sun Was Out
  
  Gary Pickford‐Hopkins:Vo
  Ray Williams:G
  Ritchie Francis:B
  Phil Ryan:Organ, Piano
  John Weathers:Ds

 (あらすじ形式で)先日の「夢幻の楽師達」アイズ・オブ・ブルーより…1964年南ウェールズ地方の若者達Wyndham Rees、Ray“Taff”Williams、Ritchie Francisを中心に結成されたTHE MUSTNGSを母体に、ブリティッシュ・ロックの新時代に呼応した形でバンド名をアイズ・オブ・ブルーへと改名後、幾度かのメンバーチェンジを経てPhil Ryan、Gary Pickford‐Hopkins、そしてJohn Weathersを迎え、サイケデリックなサウンドスタイルにクラシカルでソフト&アートロックのエッセンスを融合させた彼等独自のオリジナリティーで徐々に頭角を現して、大手音楽誌メロディーメーカー誌主催のコンテストで優勝を飾ると同時に、老舗名門のデッカと契約を交わしカヴァー曲を含む「Up And Down / Heart Trouble」でシングルデヴューを飾るものの、セールス的に伸び悩むという辛酸を舐めさせられ、その後のシングルリリースもヒットには繋がらず結果的にデッカから放出され、マーキュリーに移籍後はデッカでの雪辱を晴らすべく精力的に創作活動に没頭邁進し、その結果ビートルズのカヴァーを含む3作目のシングル「Largo / Yesterday」で漸く相応のセールスと知名度を得てフランスと日本でもその名が知られる事となる。
 そんな紆余曲折と試行錯誤を経て1969年に待望のデヴューアルバム『Crossroads Of Time』をリリースし、漸く次への展望が見え始めた矢先、長年苦楽を共にしてきたオリジナルメンバーWyndham Reesがバンドを去り、5人編成に移行し同年末頃2ndアルバム『In Fields Of Ardath』と立て続けにリリースするものの、素晴らしい作品内容とは裏腹に予想と期待に反して売れ行きは伸び悩み、セールス不振に加えて商業的失敗という烙印を押された彼等はデッカに引き続きマーキュリーからも放出を余儀なくされてしまう…。
 このことでメンバーはすっかり意気消沈しバンドとしての活動も停滞気味に陥るが、唯一ドラマーのJohn Weathersだけはメンバーを励ましつつ、アイズ・オブ・ブルーを支え続けてきたプロデューサーLou Reizner共々バンドの起死回生を窺っていたが、2年後の1971年…プロデューサーの尽力の甲斐あってアイズ・オブ・ブルーはB&Cレーベル傘下の新興ペガサスレーベルと契約を交わし、バンド名も改め新バンドBIG SLEEP(ビッグ・スリープ)として再出発を図り、漸く70年代ブリティッシュ・ロックの第一線のバンドとして返り咲く事となる。 

 …と、ここまでがアイズ・オブ・ブルーが辿った道程のあらましであるが、精力的な活動に加え60年代末期から70年代第一期ブリティッシュ・プログレ黄金時代への架け橋的なポジションを担ったとはいえ、その概ねが不運と不遇一色だった1969年の嫌な思い出を一気に払拭せんと言わんばかり、ビッグ・スリープ改名後の彼等は心機一転と起死回生の如く新たに生まれ変わったバンドとして、時代相応に則ったサウンドスタイルとコンセプトを表明し、たとえそれがアイズ・オブ・ブルー実質上の3作目なんぞと揶揄されたとしても、もうそれは過去の事と振り切った潔さと気概すらも禁じ得ない。
 アイズ・オブ・ブルーの2nd期と全く変動の無い5人のラインナップであるが、改名し新たな再出発を図っただけに決して前バンドの延長線上ではない、サウンドスタイルの変化と発展に加え何やらタダナラヌ雰囲気のジャケットアートからもその意気込みと姿勢が顕著に窺い知れよう。
 言わずもがなやはり醜悪で邪悪な悪夢世界(ホラーゲームの『サイレント・ヒル』に登場しそうなクリーチャーか、或いは東映特撮ヒーローの名作『超人バロム1』に登場するウデゲルゲみたいだと揶揄する輩もいた…とか)が描かれた意匠を御覧になって、多かれ少なかれ中古廃盤専門店にて高額プレミア扱いで壁に掛かっていたとしても手を出すのも躊躇してしまいがちになるのはいた仕方あるまい(苦笑)。
 バンドの再出発にしてはあまりにミスマッチなデザインに賛否が分かれるところではあるが、メンバーの誰かが見た悪夢がモチーフになったとの逸話があったりと諸説あるものの、音楽活動に疲弊しセールス不振とレコード会社からの放出でメンバーの誰しもがトラウマに近いプレッシャーを抱いたまま、そんな見たくもない悪夢に苛まれていたのも大いに頷けよう…。
 むしろバンドを放出した以前のレコード会社や音楽業界の偉いさん達に対し、“こんな悪夢を見るくらいに傷ついた俺達の苦悩をお前ら分かっているのか!”と当てつけと言わんばかり、あたかもメジャーなレコード会社をも呪っているかの様な憤りすら感じるのは私だけだろうか(苦笑)。
 まあジャケットが何かと物議を醸している分、幾分損をしている感のビッグ・スリープの本作品ではあるが、醜悪な見た目に反し楽曲含め作品全体の内容としては、同年期のアフィニティーやスプリング、インディアン・サマー、グレイシャスの1st、クレシダの2ndと並ぶアンダーグラウンドな範疇ながらも正統派ブリティッシュ・プログレッシヴの伝統と王道を地で行く、やはり看板に偽り為しの言葉通り名実共に傑作級の名盤であると言っても過言ではあるまい。
          
 冒頭1曲目から泣きの旋律を帯びた感傷的でドラマティックなピアノが胸を打ち、さながらイギリス特有の陰影な空気と哀愁の冬空の下、枯葉が朽ちた田舎道を踏みしめながら歩く寂寥感にも似た筆舌し難い味わい深さが堪能出来るであろう。
 メロトロンを多用していたアイズ・オブ・ブルー時代とは打って変わって、本作品では大々的にストリング・セクションをバックに配し、かのイタリアの名盤クエラ・ベッキア・ロッカンダの2ndに負けず劣らずなクラシカル・ロックを創作しており、哀感に満ちた序盤から徐々にアイズ・オブ・ブルー時代の名残すら感じさせるであろう仄かな明るさを伴ったメロディーラインとコーラスパートに転調する様は、まさしく新バンドとしてのプライドと面目躍如すら聴き手に抱かせるオープニングに相応しい好ナンバーと言えるだろう。
 終盤にかけて再びストリング・セクションとピアノ、ハモンドによる序盤の流れを汲んだ哀感と憂い漂う曲想へ戻る辺り、タイトル通りの“希望ある死”そのものを謳っていると言えよう。
 崇高でややカトリシズム風で厳かなハモンドに導かれ、アコギとピアノに追随するかの様に歌われるバラード風な味のあるジェントリーなヴォーカルが印象的な2曲目も素晴らしい。
 思わず初期のZEPにも相通ずるブルーズィーでメランコリックなメロディーラインに心揺さぶられ、中間部から終盤にかけての思わず意表を突いたかの様なロックロールな転調すらも何ら違和感を感じさせない曲作りの上手さには脱帽ものである。
 2曲目に負けず劣らず3曲目もソウルフルでブルーズィーな旋律全開で、あの当時の時代感と空気をたっぷり含んだ英国ロックの懐の広さが垣間見える。
 如何にも70年代を感じさせるハモンドの使い方に、あの独特の時代の音色に魅入られた方々には背筋が凍りつく位な衝撃と感銘が再び甦ること必至と言えよう。
 4曲目、小気味良くて1曲目とはまた違ったドラマティックさを醸し出したピアノをイントロダクションに、アイズ・オブ・ブルー期で感じられた初々しさにも通ずるお洒落でどこかノスタルジックすら感じさせるブリティッシュ・ポップ・フィーリング溢れる素敵な小曲で、個人的には一番好きなナンバーと言えるだろう。
 ルネッサンス期のバロック音楽をも彷彿とさせるアコギとハモンドのイントロに、思わずフォーカスの面影すらも連想させる5曲目は、ブリティッシュ・クラシカルロック全開の好ナンバーで、ワウ・ギターとドラムのギミックに加えてストリング・セクションが厳かに被り渾然一体となった様は絶妙の域を超えた感動以外の何物でも無い。
 PhilのハモンドとWeathersの軽快なドラミング、そしてコーラスパートに往年のイタリアン・ロックの幻影をも見る思いであると言うのは些か言い過ぎだろうか…。
          
 収録された全曲中唯一10分越えの長尺でアルバムタイトルでもある6曲目に至っては、説明不要の名曲と言っても異論はあるまい(ちなみにオリジナルアナログ原盤ではB面の1曲目に当たる)。
 黄昏時のイマジネーションを抱かせるような悠然とした音の流れ…ハモンド、ピアノ、そしてさり気なく挿入されるメロトロン、ゲスト参加のサックスとフルートが歌メロにコンバインし、動と静のバランスから楽曲の緩急に至るまで中弛み一切無しで一気に聴かせるメンバーの演奏技量とコンポーズ能力には舌を巻く思いですらある。
 終盤にかけて怒涛の如く白熱を帯びた各メンバーのせめぎ合うサウンドの応酬に、もはやサイケデリアやアートロック云々の概念をも超えた純音楽的な感動すら覚える。
 白熱を帯びたエネルギッシュな6曲目の余韻を残したまま、クールダウン的な趣と流れに辿り着いた7曲目は静謐で緩やかなポップフィーリングを奏でるピアノにハートウォーミングなヴォーカルが英国ポップスの伝統を感じさせる印象的な小曲に仕上がっている。
 ロンドン老舗のマーキークラブでのステージを一瞬思い浮かべてしまう粋なナンバーと言えよう。
 ラストは意外や意外…劇的でクラシカルなナンバーで占められていた本作品に於いて、唯一ビートルズ直系リスペクトな趣が堪能出来て、ハンドクラッピングが何とも小気味良いモータウン風ロックンロールなナンバーに思わず面食らってしまうものの、“ミスマッチ!!”と幾分否定的になるリスナー
の声なんぞ物ともしない、まあ…如何にも図太い神経を持った彼等らしい心憎い演出には完敗と言わざるを得ない。
 逆に言い換えれば彼等の音楽に対する真摯な姿勢と懐の広さ、果てはヴァラエティーに富んだひき出しの多さには改めて感服するとしか言い様があるまい。

 …が、しかし悲しいかなこれだけ独創性に富んで意欲的に満ち溢れた画期的な好作品であるにも拘らず、時代の波に乗る事無くセールス的にも伸び悩み、彼等の新たなる挑戦は敢え無く完敗し(やっぱりジャケか!?)、ビッグ・スリープはそのバンドネーミング通りの道を辿り、その“大いなる眠り”の如く静かに幕を下ろし表舞台から人知れず去っていったのである。
 その後の各メンバーの動向と消息については各方面でかなり触れられているので、要約するとヴォーカリストのGary Pickford‐Hopkinsはビッグ・スリープ解散後、ジェスロ・タルのベーシストだったGlenn Cornick と共にワイルドターキーを結成し(一時期John Weathersも参加していた)、アルバム2枚をリリースし解散後はリック・ウェイクマン始め山内テツと共に活動を共にし、その後は旧知の元メンバーだったRay Williamsと再び合流しブロードキャスターを結成。
 2003年には初のソロアルバム『GPH』、2006年には先のワイルドターキーを再結成し『You & Me In The Jungle』をリリースし話題を呼ぶものの、残念な事に2013年に不治の病に倒れ帰らぬ人となってしまう。
 Ray Williams、Phil Ryan、John Weathersの3人はビッグ・スリープを経て、ピート・ブラウンのバックとしてレコーディングに参加した後、各々が目指すべき道へと活路を見出していく。
 John Weathersはもう御存知の通り、Gary Pickford‐Hopkinsの誘いを受けて先にも触れたワイルドターキーに籍を置いていたものの、長い間の演奏活動続きで心身ともに疲弊してしまい、音楽関連から一時期身を引いて介護施設の看護士やカーペットの運搬で生計を立てていたそんな矢先に、旧知
の間柄だったジェントル・ジャイアント(GG)のシャルマン兄弟からの誘いで、GGの3代目ドラマーとして加入し以後バンド解散までGGの黄金時代を支え、解散後はPhil Ryanからの誘いでマンに参加したり再結成したワイルドターキーにも関わっていたが、その後大病を患って事実上音楽活動からも遠ざかり半ば引退に近い形で今日に至っている。
 Phil RyanとRay Williamsは今でも親交があり、Philに至っては長年出入りを繰り返しているマンに現在もなお関わっており、PhilとRayの連名によるニュートロンズでの活動並び先のピート・ブラウンとのユニット活動でも有名である。
 ベーシストのRitchie Francisは1972年にソロ作品を発表後、その後の消息は残念ながら分からずじまいであるのが悔やまれる…。
 60年代末期以降から今日に至るまで、栄光と挫折、紆余曲折、自問自答、試行錯誤の繰り返しで、浮き沈みの激しいブリティッシュ・ロックシーンの長き歴史に於いて、自らの青春と情熱を創作活動に投じてきた5人の若者達は時に笑い…時に憂い悲しみ…時に憤り…時に打ちひしがれながらも、一生懸命もがき、自らの信念に沿ってあがき続けて人生を謳歌したきた次第であるが、彼等の作品が世代と世紀を越えて今もなお愛され続け、燻し銀の如き光明と輝きを放ち続けている限り決して時代の敗者では無いという事を声を大にして言っておかねばなるまい。

 彼等の唯一作のタイトルでもあるBluebell Woodをネットで検索すると、それは“ブルーベルの森”という意を表しており、4月から5月にかけて開花するラベンダーブルーで釣鐘状の花弁を持つイングリッシュ・ブルーベルが密集して咲き乱れて、まるであたかもカーペット状に覆われていく様の総称であるという事を付け加えておきたい。
            
 彼等は決して日陰に咲く花ではなく、燦々と光が降り注ぐ太陽の下で栄光を夢見続けた誇り高き美しい花でもあり、大いなる眠り=大いなる夢見人であったのかもしれない。
 醜悪なジャケットがマイナスイメージあるという事に臆する事無く、自らが描く音世界に素直な気持ちで臨み志高く英国のロックシーンを駆け抜けていった彼等の勇気と飽くなき挑戦に、私達は改めて敬意を表し今こそ心から大きな拍手を贈ろうではないか。

一生逸品 MAINHORCE

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 今月最終週の「一生逸品」、今回は若干視点を変えて一人の音楽家として…ミュージシャン…キーボード奏者といった多方面の顔を持つ不世出のアーティストでもあるパトリック・モラーツに着目し、彼が青春時代に携わった初めてのロックバンドとして世に躍り出た、栄えある伝説の名バンドとして21世紀の今もなお賞賛・支持されている“メインホース”に、今ひと度輝かしき栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

MAINHORCE/Mainhorce(1971)
  1.Introduction/2.Passing Years/
  3.Such A Beautiful Day/4.Pale Sky/
  5.Basia/6.More Teavicar/7.God
  
  Patrick Moraz:Key, Vo
  Peter Lockett:G, Violin, Vo
  Jean Ristori:B, Cello, Vo
  Bryson Graham:Ds, Per 

 個人的な話で些か恐縮だが…時々思い返すかの如くイエスの『リレイヤー』をライヴラリーから引っぱり出しては、改めて何度も々々々聴き繰り返してる度毎に、初代のトニー・ケイ始めリック・ウェイクマン、そしてジェフリー・ダウンズといったイエスというバンドの歴史に携わってきた名立たるキーボーダーに於いて、たった一作のみとはいえパトリック・モラーツほど異彩(異才)を放った逸材は他に類を見なかったのではと思えてならない。
 ウェイクマンにはほぼ皆無だったジャズィー寄りなアプローチにパーカッシヴな鍵盤群の使い方…もうそれは明らかにモラーツ自身が触発されたキース・エマーソンへのリスペクトにも似通っていて、極端な話『リレイヤー』でのアプローチはさながらキースがリックを真似てイエス・サウンドを試みたらああなったというのは穿った見方であろうか…。
 前置きはさておき…肝心のパトリック・モラーツである。
 モラーツ自身の出自に関しては様々な方面や音楽誌で既に触れられているので、ここでは敢えて重複を避けておきたいところだが、もう一度改めておさらいするという意味合いで恐縮ではあるが、手短かに触り程度で留めておきたい。
 1948年6月24日スイスのモアゲスで生を受けたモラーツは幼少の頃からクラシック音楽に慣れ親しみ、スクール時代の少年期から音楽の才能を開花させ、ピアノの上達と共にめきめきと地元で頭角を表すようになったという。
 その一方でスイスの山々を大好きなスキーで滑走し転倒して大怪我したり、50年代に流行ったローラースケートで転倒し指を負傷したりと、おおよそピアニストには向いてないであろうやんちゃな側面をも覗かせていたというから、運命なんてどこでどう転ぶか解らないものである(苦笑)。
 二度に亘る腕と指の故障やアクシデントで、ピアノを弾く事すらも絶望的だという周囲の声なんぞ何処吹く風、持ち前の負けん気で怪我をも克服し、以前にも増してピアノや音楽への情熱を高めていったのは言うには及ぶまい。
 クラシック畑からジャズへ移行し、スイス国内外での様々なジャズ・フェスティバルに出演する一方、映画やテレビ、演劇といったミュージック・コンポーザーとして活躍し、モラーツ自身若かりし当時はヨーロッパ諸国でかなりの知名度と注目を集める事となる。
 60年代半ば世界中を席巻したビートルズの余波はスイスにも波及し、モラーツ自身創作意欲の場をロック・フィールドへと活路を見い出し、学友だったJean Ristoriに旧知の間柄だったPeter Lockettを伴って、一念発起でブリティッシュ・ロック黎明期の熱気と興奮で色めき立っていたイギリスへと渡英。
 渡英間もなく音楽的な方向性で意気投合したBryson Grahamを迎え入れ、1968年モラーツ最初期のロックバンドでもあるメインホースはこうして産声を上げる事となる。

 ヨーロッパ諸国のみならずアフリカやインドでも演奏を含めた創作活動で既に高く評価されていたモラーツありきの甲斐あって、イギリスポリドールのフロントマンの目に留まったメインホースは程無くしてアルバム製作の契約を交わし、1971年バンド名を冠したデヴュー作で70年代ブリティッシュ・ロックシーンに躍り出る事となる。
 時代の空気感を反映させながらも、サイケデリック、スペースロック、果てはアートロックといったエッセンスを内包しつつ、更なる一歩抜きん出たプログレッシヴでハードロック寄りな作風を打ち出して、トラディッショナルでどこか土臭さすらも感じられた同時期の英国産プログレッシヴ・アンダーグラウンドのバンドとは一線を画した、まさしく洗練性と斬新感すら垣間見える驚愕で画期的な内容を誇る一枚へと昇華させていったのは、もはや説明不要であろう。
 モラーツを含めた新人同然の彼等が構築した初々しくも若々しい感性が発露したデヴュー作は、驚くべき事にポッと出のバンドのデヴューに有りがちな未熟で稚拙な感が微塵も感じられない位、文字通りの完全無欠な必聴必至な一枚へと仕上がり具合は上々であった。
 モラーツのキーボードワークの素晴らしさも然る事ながら、PeterやJeanがメインの楽器から持ち替えて演奏するヴァイオリンやチェロの巧みさも、決して一朝一夕では成し得ない位に本作品の完成度に貢献し大いなる助力となったのは紛れも無い事実と言えるだろう(GGほどの技量や技巧的では無いにしろ、大なり小なりGGの方法論を意識していた部分はあったのかもしれない)。
          
 怒涛の如く雪崩れ込むオルガン・ヘヴィロックで幕を開けるオープニング、エマーソンばりの早弾きハモンドに度肝を抜かされPeterの攻撃的でテクニカルなギターが実に痛快で小気味良いパワフルでアグレッシヴなロックンロールに、イエスの「錯乱の扉」で聴かれた緻密で複雑なキーボードワークとは作風から気色に至るまで根本的に全く180度違った印象をリスナーに与える事だろう。
 しかしこれが何とも戸惑い云々といった概念を超越して実に素晴らしいのだから、モラーツの才能の引き出したるや奥が深いというか底知れない実力には感服する事しきりである。
 オープニングの衝撃から一転してブリティッシュ然とした抒情的なオルガンにヴァイオリンとチェロとのアンサンブルが美しいメロウでクラシカルなスローバラードの2曲目に至っては、彼等のデヴュー当初からのキャッチフレーズともなった“オーケストラ・ロック”と呼ばれる所以がここにあると言っても過言ではあるまい。
 攻撃的で重戦車ばりなドラミングに導かれユーライア・ヒープをも彷彿とさせるヘヴィ・ロックが存分に堪能出来る3曲目も実に印象的である。
 クラシカルな中にプログレッシヴなデリケートさを醸し出したオルガンワークに加えて、Peterのギターの暴れっぷりといったら、メインホースというネーミングの如し暴れ馬のイメージをそのまま踏襲したバンドとしての面目躍如が際立った、時折聴かれるポップなメロディーラインが心地良いハードロックな秀作に仕上がっている。
 2曲目に匹敵するであろう哀愁のリリシズムに満ちた4曲目のバラードも良い出来栄えである。
 オルガンと弦楽器に加えてモラーツのチェンバロが追随し、ここでもPeterのギタープレイが冴えまくってて泣きのメロディーラインのツボを熟知した心憎い演奏には脱帽の一語に尽きる。
 中間部のサイケでスペイシーなキーボードに、時代が持つ大らかな空気感というか雰囲気が楽曲に幻想的な色彩を添えているという点でも忘れてはなるまい。
 ジャズィーな佇まいのエレピとアコギのせめぎ合いも聴き処である。          
 軽快で幾分都会的なセンスとグルーヴ感すら漂っているブリティッシュ・オルガンポップスが染み入る5曲目、“ダバダバダ~♪”という歌い出しに、その時代ならではのヴォーカルスタイルに微笑ましさすら感じられる。
 ここでもサイケデリックでスペース・アートロックなオルガンが顔を覗かせる辺り、彼等は大なり小なりフロイドへのアプローチをも意識していたのだろうか。
 収録されている全曲中唯一インストナンバーの6曲目は、フランス映画のワンシーンの劇伴でも使われそうな小粋でお洒落で、ややセンチメンタルで哀愁に彩られた甘いメロディーが胸を打つ事必至である。
 ジャズの素養を兼ね備えたモラーツならではのオルガンとグロッケンシュピールが聴き手に不思議な余韻を与えてくれるのも特筆すべきであろう。
 読んで字の如し…神々の領域に挑んだともいうべきラストの大曲に至っては、シンセサイザーとオルガンによる荘厳な中にも眩い神々しさと天上界の浮遊感すら想起させる音宇宙に、メリハリの効いたヘヴィでストレートなシンフォニック・ロックとの対比が絶妙な均衡を保っており、けたたましい雷鳴と共に幕を下ろすといったアルバムの大団円に相応しいドラマティックな神話世界を織り成している。
 デヴューを飾るに相応しい最高の自信作を引っ提げてイギリスとヨーロッパツアーを敢行し精力的なギグをこなしつつも、モラーツを始めとするスイス人メンバーと唯一イギリス人のBrysonとの国籍上云々が絡んだワーキング・ビザを含めた諸問題がバンドを悩まし、滞在期間等のアクシデントやらすったもんだの挙句バンドとしての機能が破綻すると同時に、メインホースは人知れず敢え無く解散への道を辿る事となる。
 余談ながらも一時期、演奏技量を巡ってやや自信過剰気味なモラーツやPeterとリズム隊との間でバンド内格差(早い話…モラーツやPeterの存在が鼻に付くといったところだろうか)から端を発した喧嘩別れでバンドが解散したなどとといった根も葉もない噂が囁かれていたが、後年になってそれは全くのデマである事が判明した事を付け加えさせて頂きたい。

 ここからは駆け足ペースになるが、メインホース解散後のモラーツのその後の動向にあっては既に周知の通り、元ナイスのLee Jacksonからの招聘でジャクソン・ハイツに加入するも、ナイスの栄光よ再びというLee Jacksonの発案でBrian Davisonが呼び戻されモラーツを擁したトリオバンドのレフュジー結成へと至る。
 推測ではあるがやはりLee自身心の片隅にEL&Pへの対抗意識があったのだろうか…。
 一見ビージーズを思わせる商業路線風なジャケットさえ目を瞑れば、モラーツの才気が活かされた作品の内容自体非常に素晴らしくて非の打ちどころがないものの、リリース元のカリスマレーベルの予想に反して売れ行きは伸び悩みセールス面でも振るわなかったが故にレフュジーはたった一枚のアルバムを遺して解散。
 その後はイエスに参加し『リレイヤー』で驚愕のプレイを披露し、モラーツ自身の知名度を一躍高めた契機へと繋がるのは言うまでもあるまい。
 グレーを基調としたジャケットアートを含め作品自体賛否両論を呼ぶものの、モラーツなりに一生懸命精力的にイエスの一員として務めた事は大いに評価して差し支えはあるまい。
 その後初のソロアルバム『The Story Of I』が高い評価を受けた事を機にイエスを抜ける事となったものの、当初は「お前さぁ、それって契約不履行じゃねえかよ!」とクリスに散々罵倒されたそうな(ちなみにモラーツ自身イエス内で一番ソリが合わなかったのはクリスだったそうだ)。
   
 前出のソロ作品『The Story Of I』を皮切りに、イエス脱退後の1977年に2枚目のソロ作品『Out In The Sun』をリリースしキーボードソロイストとして確固たる地位を築き、このまま地道且つコンスタンスに自らの道を歩むのかと思いきや、今度はマイク・ピンダーが抜けた後釜としてムーディー・ブルースの一員として迎えられ、1981年アメリカで驚異的なメガヒットとなった『Long Distance Voyager』の成功へと貢献し、以後83年の『The Present』を経て1991年までソロ活動と併行してムーディーズに在籍し、バンドを離れてからは自身のソロ活動並びビル・ブラッフォードとのコラボレーション作品…等を経て今日までに至っている(ちなみに近年はドラマーのGreg Albanとのコンビによる2015年リリースの『MORAZ ALBAN PROJECT: MAP』である)。

 ところでモラーツ以外のメインホースのメンバーの動向だが、学友時代から長年苦楽を共にしてきたJean Ristoriはバンド解散後モラーツのサポートメンバーに転向し、彼のソロ作品『The Story Of I』並び『Out In The Sun』のエンジニア兼プロデューサーとして参加。
 現在はジャズ畑で、エンジニアリングとして多忙を極めているとの事。
 ドラマーのBryson Grahamは後期のスプーキー・トゥースに参加した事で知られており、80年代以降も様々なジャンルの垣根を越えて今もなお精力的に多方面で活躍している。
 惜しむらくは名ギタリストとしての栄光まで一歩手前までだったPeter Lockettの消息が未だに解らない事であろうか…。
          
 モラーツの音楽人生に於いて数奇な運命を辿った70年代ではあったが、巷では未だに冷やかしにも似た“プログレッシヴ業界のお助けマン”などと揶揄されているものの、それこそが彼自身相応の天賦の才能があればこそと誇らしく思えてならない。
 絶えず笑顔でマイペースを貫き通し我が道を邁進する彼の真摯な姿勢に、我々リスナーはこれからも心から惜しみない拍手を贈り続けて行く末を見守り続けていこうではないか。
 最後に…もし仮に目の前にモラーツがいて“あなたにとってメインホース時代は?”と訪ねたら、「まあ…若かったからねェ…。」と一笑に付されるのがオチなのだろうか。

一生逸品 BRAM STOKER

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 今週の「一生逸品」はつい最近めでたく通算3枚目にして待望の再々復活作をリリースし、世界的規模で大いに話題と評判を呼んでいる、ブリティッシュ・ロックシーンきっての隠された至宝にして類稀なる秀逸な存在と言っても過言では無い“ブラム・ストーカー”に今再び焦点を当ててみたいと思います。

BRAM STOKER/Heavy Rock Spectacular(1972)
  1.Born To Be Free/2.Ants/3.Fast Decay/
  4.Blitz/5.Idiot/6.Fingals Cave/
  7.Extensive Corrosion/8.Poltergeist
  
  Tony Bronsdon:Key
  Pete Ballam:G
  Rob Haines:Ds
  John Babin:B

 60年代末期から70年代全般に於ける…まるで蟻の巣の如き厚い層を形成しているブリティッシュ・プログレッシヴ・ムーヴメントの中で、今回取り挙げるブラム・ストーカーはまさに知る人ぞ知る存在と言っても異論はあるまい。
 あくまで推察の域ではあるが、おそらくリーダー兼KeyのTony Bronsdon自身、昔も今も自身のキーボードヒーローでもあるキース・エマーソンに触発されてこのバンドを結成したのではあるまいか…。
 ホラー小説の祖にして古典的怪奇小説『ドラキュラ』の作者でもあるブラム・ストーカーをバンド名に冠したものの、おどろおどろしさ全開の悪魔崇拝的な恐怖感に彩られたヘヴィサウンドとは皆無にして真逆な…所謂ブリティッシュ・オルガンロックの範疇ではあるが、ヴァーティゴやネオンレーベル系の作品にありがちな変に英国独特の陰りや情緒感に彩られた泥臭さというかブルーズィーな感触が幾分抑えられた、アクやクセの無い…まあ比較的ストレートでクリア、構築的で親しみ易くスンナリと耳に馴染む稀有な好作品だと言えるだろう。
 良い意味で人懐っこく取っ付き易くも、悪い意味で英国情緒薄味な(ワールドワイドな作風を目指したのか?或いはあくまで自国に根付いた作風だったのか?)どっち付かずでも無い中途半端さがマイナス面といったところではあるが、いずれにせよ1972年に唯一作でもある『Heavy Rock Spectacular』は、40年以上を経た21世紀という今日まで根強い支持を得て名作・名盤という確固たる地位を保持しているのは紛れも無い事実と言えよう。

 バンドの結成やバイオグラフィーに関しては誠に申し訳無くも、ここ数年間私自身の貧相な脳細胞やら思考回路を駆使し、あらゆるネット関連で検索しても兎にも角にも全くと言って良い程の解らずじまいであったものの、極最近になって判明した事として…バンドは1969年にキーボードのTony 
Bronsdonを中心に結成され、ロンドンの老舗マーキークラブを拠点に様々なロックフェスやギグに出演、果てはイギリス国内そしてオランダの大学の学園祭等で精力的に活動し、早くからその類稀なる音楽性で高い評価と話題を集めていたとの事。
 そして1972年イギリスはロンドンのWINDMILLなるマイナーレーベルから、ブルーを基調に女性とおぼしき頭部のみがグラデーション化された、その何とも形容し難い印象的なジャケットに包まれた『Heavy Rock Spectacular』をリリースする。
 ただ…いかんせん困った事にオリジナルLP原盤にはバンドメンバーのクレジットが無いという体たらくな有様が何とも腹立たしく思えてならない(当時の製作者と責任者を呼べ!と声高に叫びたくもなる)。
 その結果(良い意味で)謎と秘密のベールに包まれた伝説のバンドという、プログレ・ファンやブリティッシュ・ファンなら間違い無く飛び付く事必至ともいえる名誉(!?)な称号を得たまま、後年高額プレミアムな一枚として世に出てしまい…ブリティッシュ・ロックの造詣に深い有識者ですらもますます頭を悩ませ混迷を極めてしまうのだから全く以って世話は無い(苦笑)。
 しかし幸いかな…今世紀ネットとSNS隆盛で様々な情報と検索ワードが飛び交う昨今、多種多様なジャンルのCDリイシュー化の波及でブラム・ストーカーも御多聞に漏れず、今まで数々の知られてなかったバンドの秘話やらバイオグラフィー、アーカイヴに至るまでが多くのロックファンに知られる事となり、2008年ドイツ国内でプレスリイシューされた(お粗末な装丁ながらも)デジパックCDを皮切りに、2014年のマーキー/ベル・アンティークから未発音源CD付豪華2枚組仕様+詳細なる経歴まで網羅された紙ジャケットリイシューまでもがリリースされ、かつての幻・伝説的存在から徐々に21世紀シーンへの再浮上への追い風となったのはもはや言うには及ぶまい(ただ未だにヴォーカルを誰が担当しているのか解らないが困り者であるが)。
          
 冒頭1曲目のいきなりパーカッシヴなハモンドと心地良く軽快なメロディーラインに思わず惹き込まれる事だろう。ヴォーカルの力量は平均的なれど決して下手な部類ではあるまい。
 むしろこの手のオルガン・プログレには適材と言えるヴォーカリストではなかろうか。それでもオープニングを飾るに相応しいダイナミズムを感じずにはいられない。
 2曲目と3曲目はインストゥルメンタルナンバーでここでもTonyのハモンドは絶好調に冴えまくっている。
 彼のオルガンワークを支えるメンバー誰一人前面に出しゃばる事無く、あくまでアンサンブルを重視したサウンドワークに徹した姿勢が端々に垣間見える。3曲目の中間部にバッハのフレーズが出てくる辺りは御大のキースやジョン・ロードをも意識しているのだろうか…なかなか堂に入った演奏で思わずカッコイイの言葉すら出てきそうな、改めてブリティッシュ・ロックの奥深さが窺い知れる好ナンバーと言えるだろう。
 不穏な雰囲気を醸し出す空襲警報めいた厳かなサイレン音と重々しいハモンドとベースに導かれる4曲目は唯一のバラードナンバーで、英国の湿り気を帯びた白い曇り空と広大な田園風景が目に浮かぶ様だ。
 Vo入りの5曲目、そしてオールインスト6曲目にかけての流れも実に素晴らしい出来栄えで、この辺りともなるとブリティッシュ系の音というよりも、むしろダッチ系プログレ…初期のフォーカス或いはブラスセクションを抜いたエクセプションの面影すら垣間見える作風で、イギリスのバンドでありながらも海峡を越えて更なるヨーロピアンな感性と様式美との融合を意欲的に試みている、バンド的にもひと味違った側面すら窺い知れよう。
 やはり彼等も当時のロックシーンを席巻していたオランダ勢の流れというものを意識していたのだろうか…。
 軽快で疾走感溢れるギターとテクニカルなオルガンとの応酬が印象的な7曲目に至っては、中間部でのさり気ない管楽器パートの導入やピアノが初めて顔を覗かせたり、伝統的なブリティッシュ・フレーバーの流れが堪能出来る秀逸さが光る好ナンバーと言えよう。
 オカルティックな題材にインスパイアされた8曲目は、物憂げでミスティックなイメージと緊迫感溢れるスリリングさとが同居した、ライト感覚ながらもブラム・ストーカー流のオルガン・シンフォニックが縦横無尽に繰り広げられ、まさにラストのトリでありつつも彼等の音世界のフィナーレを飾るに相応しい真骨頂で締め括られる…。

 このまま順風満帆な波に乗ってマイナーレーベルから一気に大手メジャーな流通へ…という周囲からの期待を他所に、彼等はたった一枚きりの作品を遺し理由を告げぬままブリティッシュ・ロック史の表舞台から姿を消し、前述の通り製作スタッフからバンドメンバーに至るまでのクレジットが伏せられたまま、まったく謎だらけのベールに包まれた不名誉な称号を背負った高額プレミアム作品として世に出て、それ以降各々のメンバーの消息やらその後の足取り等は掴めぬまま、作品の素晴らしさだけが一人歩きしつつ21世紀を迎えるまでに至った次第である。

 しかし、プログレッシヴ・ロックの神様はそういとも簡単にお見捨てにはなさらなかった…。

彼らが唯一作を遺してから40年余、時代は好転し世界各国から次々と70年代の栄華を彩った名グループ達がカムバックを遂げ、ブラム・ストーカー自体も御多聞に漏れずリーダーTony Bronsdonを中心に2013年実に40年余振りの待望の新作『Cold Reading』で見事に復活を遂げ、今や世界的規模に達したプログレッシヴ・ムーヴメントの第一線に華々しく返り咲いたのは最早既に周知の事であろう…。
    
 ブラム・ストーカー解散後…Tony Bronsdon自身、ジュリアン・レノン、ロジャー・ダルトリー、サイモン・タウンゼント、ヴィサージュ、ペット・ショップ・ボーイズ、フィル・ラモーン、トーヤ、ジョン・フォックスといった名立たる面々との共同作業といった長年に及ぶ数々の音楽的経験や、新たな盟友にして現ESPプロジェクトを主宰するTony Loweとの出会いを経て、紆余曲折、試行錯誤、自問自答の果てに漸く辿り着いたブラム・ストーカーへの帰還は、まさに原点回帰に立ち帰るばかりでは無く、彼=Tony Bronsdon自身の思い描く音楽の存在意義と自己証明をも問うた第2の新たなる挑戦であったと言っても過言ではあるまい。
 当初はTony自身のソロプロジェクトの発展進化形とも取れるスタイルだったブラム・ストーカーであったが、このまま顔見せ程度のワンオフ的な復活劇で終わるのではといった危惧があったのも正直なところで、次回作なんて果たしていつの事になるやらと静観していた…そんな我々の下世話にも似た余計な心配を他所に、Tonyを中心に新たな3人のメンバー(女性ベーシスト兼ヴォーカルJosephine Marks、ギタリストNeil Richardson、ドラマーWarren Marks)を迎えた布陣で、2019年名は体を表すの言葉通りドラキュラ伯爵らしき妖しげな人物が描かれた6年ぶり通算3枚目にして現時点での新譜『No Reflection』をリリースしたのは記憶に新しいところである。
       
 アートワークこそややもすればゴシックメタル風な意匠といった感こそ否めないものの、肝心要のサウンド面にあってはかつてのデヴュー作や復活した前作から一転して、往年のカーヴド・エアないしエニドばりの正統派ブリティッシュ・シンフォニックへと完全シフトに成功した好作品に仕上がっているのが実に驚きである。

 現在こうしてバンドスタイルとして再復活を遂げた新布陣の彼等が、いつの日か…或いは遠い将来かは定かではないが、我が国日本のステージの壇上で白熱のライヴ・パフォーマンスを繰り広げてくれるであろう、そんな夢物語にも似た他愛の無い妄想を頭に思い描いただけでも期待に胸が熱くなってしまう。
 そんな感慨深い衝動を抑えつつ、彼等の新旧3枚の作品を何度も何度も繰り返し聴いている自分がそこにいる今日この頃である…。

一生逸品 STRANGE DAYS

Posted by Zen on   0 

 4月新年度最初の「一生逸品」をお届けします。
 先日告知した通りの2ヶ月間シャッフル企画と銘打って、今週は「夢幻の楽師達」にてフランスのアジア・ミノール、そして今回の「一生逸品」は70年代後期のブリティッシュ・プログレ珠玉の一枚に数えられる秘蔵級の存在と言っても過言では無い“ストレンジ・デイズ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

STRANGE DAYS/9 Parts To The Wind(1975)
  1.9 Parts To The Wind 
  2.Be Nice To Joe Soap 
  3.The Journey 
  4.Monday Morning 
  5.A Unanimous Decision 
  6.18 Tons
  
  Graham Word:Vo, G 
  Eddie Spence:Key 
  Phil Walman:Vo, B 
  Eddie Mcneil:Ds, Per

 70年代中盤から後期にかけて、プログレッシヴ・ロック・ムーヴメントはひとつの大きな分岐点を迎えつつあった。
 74年のクリムゾンの終焉を契機にフロイドを始めイエス、EL&Pがそれぞれ活動休止状態に陥り、フィル・コリンズ主導のジェネシスを筆頭にキャメル、ジェントル・ジャイアント、ルネッサンス…等の精力的な活動に加え、ヨーロッパ諸国でもイタリアのPFM、バンコ、フランスからはアンジュ、タイ・フォン、オランダのフィンチ、スウェーデンのカイパ、アメリカのカンサス、オーストラリアのセバスチャン・ハーディー…etc、etcがこぞって台頭し独自のムーヴメントを形成していったのは、よもや説明不要であろう。 

 プログレッシヴ・ムーヴメントのメインストリームとも言うべき本家イギリスも御多分に漏れず、5大バンドに続けとばかりに1975年を皮切りにキャメルやエニドといった後の大御所に追随するかの如く、ケストレルを始めドゥルイド、イングランドにアフター・ザ・ファイアー…等といった前途有望なバンドが続々とデヴューを飾った次第である。 
 惜しむらくは…当時これだけの新鋭達が出揃いながらも、時同じくしてイギリスに台頭したパンク・シーンやNWOBHMによって、尽く表舞台の片隅へと追いやられてしまい、以後、80年代初頭のマリリオンを筆頭とするポンプ・ロック・ムーヴメント勃発までの間、文字通り誉れ高き大英帝国のプログレッシヴ・ロックは沈静・停滞化し陽の目を見ることすらもままならなかったのが正直なところである。 

 そんなワンオフ的で短命ながらも、ブリティッシュ・プログレッシヴ史に燦然と輝く珠玉の名作・名盤を遺したケストレルやイングランドと共にもうひとつ加えられるべき隠された至宝にして、70年代後期におけるブリティッシュ・プログレッシヴの良心にして最後の砦ともいえるストレンジ・デイズ。 
 マーキー刊の「ブリティッシュ・ロック集成」にたった一度だけ紹介された以外、彼等唯一の作品は噂が噂を呼び良質なブリティッシュ・ポップスフィーリングに裏打ちされた、ジェネシス、イエス、10CCにも相通ずる伝統的且つエレガントなプログレッシヴを演っているといった内容と触込みで瞬く間に高額なプレミアムが付き入手困難な一枚となったのは言うまでもない。
 個人的な話で恐縮だが…筆者は一度、西新宿の某廃盤専門店で彼等のLP原盤と御対面した事がある。試聴した直後一気に購買モードになりつつも、とにかく当時にしてン万円代であったが故泣く泣く諦めたという苦い経験がある…。 

 彼等、ストレンジ・デイズの4人の詳しいバイオグラフィー並び各メンバーの経歴に至っては、毎度の事ながら誠に申し訳なくも(本当に今回ばかりは申し訳なくも!)一切合切が不明で皆目見当がつかないのが現状である。
 何年か前に音楽誌ストレンジ・デイズ(奇しくもバンド名と同じだが)からリリースされた、紙ジャケット仕様CDのライナーノート上でさえも、全くのお手上げ状態でメンバーの所在度・認知度からいったらイングランド以上に深い霧に包まれて困難を極める云々しか記されていない位だから、バンド解散以降の各メンバーの動向なんて当然の如く雲か霞を掴む難解なレベルであると言っても過言ではあるまい。 
 唯一判明しているのは原盤LPの発売元であるリトリート・レーベルがイギリスEMI傘下であることから、バンドそのものは決して一朝一夕で出来たレベルのバンドではないということくらいだろうか…。そういった類似点ではアリスタから唯一作品を遺したイングランドとも共通しているのが何とも皮肉ですらある。
          
 収録されている全曲共に共通して言える事だが、プログレにして明るい曲想とポップなフィーリングながらもやはりそこは英国的センスの陰りや湿り気がちゃんと隠し味になっているところがミソであろう。それは、御大ジェネシス然りケストレル、イングランド…等にも共通している、ある種のお決まり(?)みたいな要素なのかもしれないけど。
 メロディアスなピアノに導かれ、キーボードとギター、リズム隊が幾重にも織り重なってイエスを思わせる様なイントロからポップ感溢れる明るい曲調へと展開する1曲目なんて、まさにオープニングに相応しくも彼等の身上とブリティッシュ・ポップスの伝統に裏打ちされた気風をも如実に表しているかのようだ。
 クラシカルで魅力的なハモンドに導かれる(偶然にも共にシングルカットされた)2曲目並び4曲目の力強い演奏は、往年のブリティッシュ・プログレの王道ここに極まれりといった感で聴く者を圧倒し溜飲を下げる事必至と言えるだろう。両曲ともシングルカットされたヴァージョンの素晴らしさも然る事ながら、長尺にして素晴らしい演奏がダイレクトに聴ける本作でのオリジナルヴァージョンをここは是非推しておきたいものだ。
           
 3曲目のどこか寂しげでムーディーな雰囲気を醸し出した冒頭…あたかも朝靄の中に木霊するかの如きバラード調から、一転してアップテンポで軽快な曲風に変わり、更には後半部にかけての抒情的で泣きのリリシズムが綴れ織りする辺りは、流石というかやはりイギリス人だからこそ出来る曲想と言えよう。
 5~6曲目の流れともなると、あたかも『フォクストロット』から『月影の騎士』の頃のジェネシスの幻影を彷彿とさせ、単なる影響を受けたリスペクト云々の次元をも超越した、それこそ80年代初期の同じジェネシス影響下の凡庸なポッと出のポンプロックなんか軽く一蹴されるであろう、そんな気概と気迫に満ちていると言ったら言い過ぎだろうか…。
 ただ、個人的な意見で恐縮ではあるが…本作品に於いてプログレ必携アイテムともいえるメロトロンが使用されていないのが何とも惜しまれるところである(誤解の無い様に付け加えておくが、メロトロンの有無で作品の評価を決めるというのは個人的には懐疑的でもあるし、使用されてなければそれはそれで決して作品そのもののクオリティーや評価が落ちるとか劣る訳でもないからね)。
 でも…もし本作品にて大々的にメロトロンがフィーチャーリングされていたら、それはそれで大なり小なりまた違った好評価が与えられていたと思う。小生意気な様で恐縮であるが…機会あらばプログレ業界の有識者の方々の御意見を是非聞いてみたいものである(苦笑)。

 たった一枚の作品を遺し長きに亘り忘却の彼方へと追いやられ、封印が解かれたかの様に近年漸く(SHM-CD化を含めて)紙ジャケット仕様でCD化され、こうしてまた改めて再評価が高まりつつある彼等ではあるが、それは決して“幻の逸品”だとか“秘蔵の一枚”といった骨董級のレベルでは収まりきれない、プログレやユーロ・ロックのファンのみならず、もっと万人のロックファンの為に在るべき作品ではなかろうか。
 往年のブリティッシュ・スピリッツに酔いしれたい方々始め、長年プログレッシヴ・ロックを愛し続けファンであった事に改めて喜び誇れるような、そんな素敵な出会いをも保証する充実感に満ちた魅力ある一枚であろう。

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