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02,2019
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10月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
今回は過去に2度の来日公演を果たし、結成当初の70年代から21世紀の今日に至るまで、かのラッシュと同様、初期におけるキーボードレスという独自の一貫したスタイルから、如何にしてプログレスなスピリッツを構築する事が出来たのか?
そのサウンド・スタイルの変遷から一時的な分裂劇、そして2003年のオリジナルメンバーによる再編から今日までの道程を経て、名実共にスカンジナビアン・ロック界きってのプログレッシヴ・ハードロックの雄としてその名を世に知らしめた“トレッティオアリガ・クリゲット ”に今再び焦点を当ててみたいと思います。
TRETTIOÅRIGA KRIGET
(SWEDEN 1974~)
Stefan Fredin:B
Dag Lundquist:Ds,Per
Christer Akerberg:El & Ac‐G
Robert Zima:Vo,G
今更言及するまでもないが、70年代初頭から中期にかけてプログレッシヴもハードロックも全て、(良い意味で)一括りに“ロック”というカテゴリーの枠組みで片付けられていた様に思う。
後にプログレッシヴやらハードロック、ヘヴィ・メタル、果てはグラム・ロックやらパンク、ニューウェイヴ…等と極端なまでに細分化され始めたのは概ね77年を境ではなかろうか…。
21世紀の今にして思えば、プログレとかハードロックだからといった境界線の無い、ある意味においてボーダーレスとも言えた70年代のロック黄金時代の方が遥かに幸せで自由な独創性に満ち溢れていたのかもしれない。それは…イギリスにしろアメリカにしろ日本やヨーロッパ諸国然りであるが。
そんな時代背景のさ中の1970年、北欧スウェーデンでも御多分に漏れず、首都ストックホルムを拠点にプログレッシヴやハードロックといったジャンルに縛られる事無く、それら全てを内包した独自の昇華したスタイルで真っ向から勝負を挑んだ4人の若者達…Stefan Fredin、Dag Lundquist、Christer Akerberg、そしてRobert Zimaは、“トレッティオアリガ・クリゲット=「30年戦争 」”という何とも意味深なネーミングで一躍北欧のロックシーンに躍り出た次第である。
なお上記4人のバンドメンバーに加えて…正式なクレジットこそされてはいないものの実質上5人目のメンバーでもある作詞担当のOlle Thornvailだけは結成当初から滅多に表舞台やフォトグラフに登場する事無く、クリムゾンのピート・シンフィールドよろしく彼もまた縁の下の力持ち的役割にして、あくまで黒子的、バックアップ・サポーターに徹する事を信条(身上)としたかったのかもしれない。
ちなみにOlle自身、トレッティオアリガで作詞家に専念する以前はギターやハーモニカ等もプレイしていたそうな…。
バンドそのものは70年の結成当初から、殆どの作曲を手掛けるベーシストのStefanと同じく作曲兼アレンジャーのドラマーDag、作詞のOlleの3人を中心に、何度かのメンバーチェンジを経て71年にオーストリア出身のヴォーカリストRobertが加入し、そして翌72年にギターのChristerが加入して、ここに黄金時代不動のメンバーが揃う事となる。
彼等のサウンドのバックボーンとなっているのは、やはりブリティッシュ系…特に世界的ビッグネームとなったレッド・ツェッペリンないしユーライア・ヒープといったハードロックに、イエスやキング・クリムゾンといったプログレッシヴのエッセンスを融合した唯一無比の音世界を醸し出している…と言ったら当たらずも遠からずといったところだろうか。
ヴォーカルのRobertの歌唱法は、時折モロにデヴィッド・バイロン入っているところが多々あるところも注目すべきであろう。そんな強力な布陣で1974年、“30年戦争勃発”の如くバンドネーミングを冠したデヴュー作『Trettioåriga Kriget 』は厳かな戦慄(旋律)と共に幕を開けたのは言うまでもなかった。
加えて余談ながらも…同年にはカナダのラッシュもデヴューを飾っている事も不思議な偶然といえば偶然ではあるが。
ブリティッシュナイズされたヘヴィなサウンドに加え、スクワイアばりのゴリゴリなベースや怪しくも幽玄で儚げなメロトロン(恐らく演奏はStefanであろう)が融合する様は、後期クリムゾンで聴かれた金属的な時間の再現…或いはイル・バレット・ディ・ブロンゾの『YS』で感じられた悲壮感そのものと言っても過言ではあるまい。
キーボードレスながらも高水準なプログレッシヴ系で思い出されるのは、イタリアのチェルベッロ始めフランスのイエス影響下のアトランティーデ、スイスのサーカスの特に2nd『Movin'On』なんて筆舌し尽くし難い音宇宙の緻密さには脱帽せざるを得ない。
それら名バンドの傑作・怪作と並びトレッティオアリガの実質的なデヴュー作も、名実共にバンドとしても北欧ロックシーンを語る上でも最高傑作でもあり名作という称号を得ているが、一部のファンの間では既に有名になっている逸話…実はデヴュー作以前にデモ・プレス製作止まりながらも72年に『Glorious War』という幻のデヴュー作が存在している事も忘れてはなるまい。
勿論、後年ちゃんとしっかりCD化されてはいるが、残念ながら今では入手困難でなかなか拝聴する事もままならないらしい、理由は定かではないが…。
文字通り衝撃のデヴュー作で初陣を飾ったトレッティオアリガの快進撃は更に加速し、翌75年には更に攻撃度と抒情性を加えて以前にも増してリリシズムとメランコリックさが際立った、前作と同様甲乙付け難い位の傑作2nd『Krigssång 』をリリースし、一見地味めなカヴァーながらもスウェーデンにトレッティオアリガ在りと知らしめるには十分なインパクトを持った会心の一枚と言えよう。
しかし…これだけ精力的な創作・演奏活動をこなしてきたにも拘らず、2作目リリースを境に暫く約3年近い沈黙を守り、1978年新たにキーボード兼サックス奏者のMats Lindbergを加えた6人編成で製作された3rd『Hej På Er ! 』は、幾分リラックス的な雰囲気を漂わせつつ、ヘヴィでハードな要素は従来通りながらもMatsが加わった事でクロスオーヴァーな要素を融合させて新たな新機軸を模索しようとした試みは、周囲からは賛否両論の意見真っ二つに分かれ、ある方面からは時代に呼応した安易なポップ化などと揶揄される始末である。決して出来は悪くないが、明らかにバンド側の意向・思惑とファンの側が望むものとは相違の差が表面化した分岐点ともいうべき佳作である事に変わりはあるまい。
以後、バンドは時代の波に流されるかの如く、『Mott Alla Odds』(79)、『Kriget』(80)といった…次々と良くも悪くも親近感というか如何にもセールス面やらヒットチャートを意識した作品を立て続けにリリースし、その結果1981年のバンド内部分裂劇まで招き、遂には最悪バンド崩壊という憂き目を迎える次第である。リーダーのStefan自身もこの頃が一番辛い時期だったに違いない。
バンド崩壊と前後してライヴと未発表曲を中心に集めた『War Memories 1972-1981 』、そしてベストセレクション的コンピ盤『Om Kriget Kommer 1974-1981 』をリリースし、メンバーはそれぞれ独自の道を模索すると同時に活路を見出していく事となる。
まずリーダーでもあるStefan自身、バンド崩壊以後はソロアルバム『Tystlatna aventyr』と彼が手掛けた音楽による数々のシングルを多数収録したFREDIN COMPなるグループを結成。
ドラマーのDagは、地元のテクノポップ・デュオADOLPHSON-FALKと暫く活動を共にし、バンド解散以後はスウェーデンのジャンルを問わず幾数多のバンドをプロデュースと併行して、後進の育成並びストックホルムにてDecibel Studios と呼ばれる彼自身のスタジオとプロダクションを運営、今日まで至っている。
ギタリストのChristerはGEORGET ROLLIN BANDというロック・ブルースバンドを組みシングル1作のみを録音し、ヴォーカリストのRobertはバンド崩壊以前の1979年にグループを離れ、以降は自身の事業の傍らIN CASEと名乗る彼自身のカヴァーバンドを継続していた。
作詞担当のOlleに至っては先にも触れたStefanのバンドFREDIN COMPにて創作活動を共にし、その一方で彼自身の名義で多数もの書籍を出版。
2005年に『Lang historia』というトレッティオアリガ・クリゲットについての回顧録を出版している。
3作目から加入したキーボード兼サックスのMatsはアルバム3枚をリリースしたTREDJE MANNENと呼ばれるPockeと共にシンセ・デュオを結成。その一方で音楽学校にて講師も働いている才人でもある。
トレッティオアリガ・クリゲットという一時代を築いたバンドが、このまま“あの人は今…?”的な状態で忘却の彼方に追いやられ、人々の記憶から少しづつ消え去りつつあった21世紀。
…しかし時代の流れはそう簡単に彼等を見捨てたりはしなかった。
ロイネ・ストルトによるフラワー・キングスと再編カイパ→現カイパ・ダ・カーポへの精力的な活動に加え、後年のイシルドゥルス・バーネの世界的成功、パル・リンダー等を始めとする新世代によるプログレッシヴ・ロックリヴァイバルの気運の波は、安っぽいドラマ的な言い方で恐縮なれど再び彼等をスウェディッシュ・プログレッシヴのメインストリームへ呼び戻す事と相成ったのは最早言うまでもあるまい。
2003年、オリジナルメンバーによる突如とも言うべき…トレッティオアリガ・クリゲットの劇的再結成は活況著しい北欧のシーンにとって更なる強力な追い風となった。
同年新録音の実に23年振りの新譜『Elden Av År 』、4年後の2007年『I Början Och Slutet 』、翌2008年には待望の2枚組にして初のライヴCD『War Years 』、2011年『Efter Efter (After After) 』…と快進撃を続け、往年のハードでヘヴィな旋律の中にも怪しくも幻惑的なリリシズムに支配された、大ベテランならではの深みと味わいが堪能出来る事であろう。
文字通り“30年戦争”の看板を再び背負って復活した彼等は地元スウェーデンのみならず、アメリカ、メキシコ、他のヨーロッパ諸国のプログレッシヴ・フェスでも大絶賛と共に迎えられ、まさに向かうところ敵無しの状態と言っても差し支えあるまい。
1970年のバンド結成から順風満帆な時期を経て、大いなる挫折と苦難を味わい、そしてまた再びプログレッシヴというフィールドに返り咲いた彼等。“30年戦争”というバンドネーミングながらも、もう活動年数も早30年以上も経過してきた次第であるが、どんなに彼等が年輪を積み重ねようとも、彼等自身の闘いはまだ終わってはいないのである。
どうかもう暫く…彼等トレッティオアリガ・クリゲットの飽くなき追求と進撃を見守ろうではないか。
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04,2019
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10月最初の「一生逸品」、今回お届けするのは、70年代後期の北欧スウェーデンに於いて自主リリース系のマイナー流通ながらも大きな話題を呼び絶大な人気を誇ったダイスと共に同時代のリアルタイムを歩んだもう一方の抒情派シンフォニックの雄で、ギリシャ神話に語られる地球を支える神をネーミングにプログレッシヴ衰退・停滞期という厳しい時代を生きた“アトラス ”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。
ATLAS/ Blå Vardag (1978)
1. Elisabiten
2. På Gata
3. Blå Vardag
4. Gånglåt
5. Den Vita Tranans Våg
Erik Björn Nielsen:Key
Björn Ekbom:Key
Janne Persson:G
Uffe Hedlund:B
Micke Pinolli:Ds
北欧プログレッシヴ=“スウェーデンがメインストリーム”といった、暗黙の了解めいた図式が大なり小なり認識されている昨今ではあるが、過去を遡れば…70年代初期から中期に於いて、スウェディッシュ・トラディショナルをベースに独特のプログレッシヴなアプローチを打ち出したケブネカイゼ始めサムラ(ツァムラ)・ママス・マンナを筆頭に、メジャーな流通で世に躍り出た本格的シンフォニックのカイパ、そしてHR/HM路線を踏襲したヘヴィ・プログレシヴ系のトレッティオアリガ・クリゲット、更にはラグナロク、ディモルナス・ブロ等が台頭していた頃であった。
その後は言うまでも無くスウェーデンの音楽シーンも御多聞に漏れず、70年代後期に差し掛かる頃にはパンク・ニューウェイヴの波が押し寄せ、そして後々にはNWOBHMの余波を受けた北欧メタルの台頭で、プログレッシヴを志す者達にとっては肩身の狭い思いにも似た苦難で辛い時代を迎える事となる。
メジャーな会社からはプログレッシヴ・ロック流通の規模すら縮小され、徐々に自主リリースとマイナーレーベルからの流通へと移行しつつも有名処のダイスを始め、ブラキュラ、ミクラガルド、80年代に入るとオパス・エスト、カルティベーター、ミルヴェイン、アンデルス・ヘルメルソン、そして今や国民的バンドへと成長したデヴュー間も無い頃のイシルドゥルス・バーネ、果てはトリビュート、ファウンデーション…等が、地道に細々とスウェディッシュ・プログレッシヴ存続の為に心血を注いでいったのである。
本文でも後述するが今日までの21世紀北欧プログレッシヴがあるのは、70年代後期から80年代にかけての受難の時代を生き長らえてきたからこその恩恵と賜物と言っても何ら異論はあるまい。
そしてここに登場する今回本編の主人公でもあり、たった一枚の作品を遺したアトラスとて例外ではあるまい…。
彼等アトラスが初めて我が国に取り挙げられ紹介されたのは、1980年5月刊行のフールズメイト誌Vol.12にて羽積秀明氏のペンによるディスクレヴューが最初であろう。
当時は少ないまでの入荷枚数に加え乏しい流通ながらも、プレミアム云々も付いていないリーズナブルなレギュラープライスで比較的入手し易かったにも拘らず、(良くも悪くも)極一部のマニアのみしか行き渡らず、結果その後の再入荷も無く物珍しさも手伝って、一見するとややニューウェイブ然とした余りに貧相な…お世辞にもプログレッシヴの作品にしては美的センスの欠片も無いジャケットの意匠とは裏腹に、その内容と出来栄えの素晴らしさに売却したり手放さなかった輩が多かった為か、一時期はダイスと並ぶ幻の逸品と称されプログレ専門店の店頭ですらもお目にかかるのも至難で重宝がられた曲者級の一枚でもあった。
仮に運良く目にする機会があっても5桁ものプレミアムは当たり前であったが故、90年代後期にたった一度だけCD化された事に心の底から現在でも有難みを痛感していると言っても過言ではあるまい。
アトラス5人のメンバーのバイオグラフィーとその後の経歴と足取りにあっては、毎度の事ながらも誠に申し訳無く恐縮至極であるが、兎にも角にも全く解らずじまいなのが正直なところである(苦笑)。
写真の感じからしてメンバー共々20代半ばから30代前半といったところだろうか…。
楽曲の構成と展開を含めたスキルとコンポーズ能力の高さ、演奏テクニックの巧さと高水準な録音クオリティーから察するに、相当の熟練者…或いはスタジオ・ミュージシャンの集合体といった説もあるがそれも定かでは無い。
彼等のサウンドを耳にする度に連想するのは、やはりイエスやキャメル…果ては同国のカイパからの影響が大きいと言えるだろう。
イエスのポップなキャッチーさとキャメルの抒情性、カイパの北欧色を足して3で割ったと音楽性と作風と言ったら些か乱暴であろうか…。
同時代性という意味ではオランダのフォーカス辺りからも触発された部分があるのかもしれない。
フィンチやセバスチャン・ハーディー、果てはクルーシスといったインストゥルメンタルに重きを置いたリアルタイム世代バンドと聴き較べてみるのも良いかもしれない。
冒頭1曲目、街の静寂それとも白夜の黄昏時…或いは雪深い森の遥か彼方から聞こえてくるかの様なピアノに導かれ、アトラスの音楽世界は静かに幕を開ける。一転してイエス調の軽快な変拍子満載なメロディーに変わると知らず知らずの内にいつの間にか貴方(貴女)達の心はアトラスの音楽の術中に嵌ってしまっている事だろう。
曲後半の如何にもといった感のキャメル風な甘美でメロウな心地良さの中にも、泣きのメロトロンに寂寥感すら垣間見える心憎さに目頭が熱くなりそうだ。
14分超えの2曲目の大曲は、これぞ誰もが思い描くユーロ・ロックの理想の形にして美意識と構築的な様式美、北欧独特のイマジネーション、クラシカルとジャズィーな側面が端々で顔を覗かせ、音楽的な素養の深さが存分に堪能出来る全曲中最大の感動的な呼び物と言えるだろう。
3曲目はアルバムタイトルにもなっている、たおやかで穏やかなフルート調のモーグに導かれ北欧の田舎町の佇まいとそこに住む人々の温もりをも想起させる優しくて心温まる、ゆったりとした時間の流れと北欧の風情と抒情美が横たわっている好ナンバー。
ちなみにBlå Vardagは英訳・直訳すると“Blue Living=青色の生活 ”という意である(成る程、ジャケットの色合いが淡い青色というのも頷ける。…にしても伝統ある街並みがショベルカーで壊されるイラストというのはちょっと辛いところでもある)。
4曲目は先の3曲目の穏やかさとは対を成す、幾分都会的で洗練されたポップで軽快にしてジャズィーなカラーを打ち出している。フェンダーローズの小気味良い調べが印象的で、改めて当時のアナログなキーボードの音色の良さに酔いしれてしまいそうだ。
ラストの5曲目は、モーグとローズとのアンサンブルをイントロに、ハモンド、メロトロンそしてギターと強固なリズム隊が綴れ織りの如く被さって、幾分フロイドめいたフレーズが顔を覗かせる辺りは御愛嬌といったところだろうか…。
静と動、柔と剛との対比とバランスが絶妙で穏やかさと疾走感とが違和感無くコンバインされた、あたかも天にも昇る様な高揚感が体感出来る、まさしくラストを飾るに相応しい零れ落ちる様なリリシズムと躍動感溢れる感動的なナンバーと言えるだろう。
全曲を通し聴き終えて感じられた印象は、幾分派手さを抑え比較的抑制の効いた緻密に構築された強固なアンサンブルの集合体で、誰一人として前面に出る事無く整合された秀逸な作品であるという事だろうか。
彼等が遺した唯一作のオリジナル・アナログ原盤は、私自身過去に某プログレ廃盤専門店で壁に掛けられていた現物を2度お目にかかった程度であるが、流石に中身云々までは十分確認していたという訳ではない。
後年マーキー・ベルアンティークから国内ディストリビューションでリリースされたリイシューCDにて三輪岳志氏のライナーでも触れられていたが、オリジナル原盤はシングルジャケットで、インナーバッグ(内紙袋)にプリントされた壊れたタイプライターのイラストから察するに、バンドは当初からヴォーカルレスのインストゥルメンタル指向を目指していたそうで、歌詞=言語・言葉を排するという意味合いがあの様な意味深なイラストとして如実に表れたとの事。
そういった意味合いを踏まえて、あの一見ニューウェイヴ風寄りで少々悪趣味丸出しなヨーロッパの伝統家屋ぶっ壊しのパワーショベルが描かれた淡いタッチのジャケットの意匠も、良い風に解釈すれば旧い伝統を打破して次なる新しい時代へ進もうとも取れるだろうし、悪い風に解釈すれば先の三輪氏の言葉を拝借して「明らかなメッセージの発露にして、冷徹且つ寒々しい画風・色彩。ニューウェイヴの台頭、メタル系の復興も重なってシンフォニック・プログレッシヴにとっては、あの当時の時代背景に夢も希望も見出せなかった象徴の表れ 」とも取れるが真偽の程は定かではない…。
その後のアトラスの動向にあっては、メンバーの何人かが残って4年後の1982年にMOSAIK と改名し、MOSAIK名義で一枚アルバムを発表しているが、アトラス時代から較べると幾分落ち着いたクロスオーヴァー風な作品に変化したが、後年リリースされたアトラスのリイシューCDには未発表を含むプラス3曲のボーナストラックがクレジットされているが、その内の一曲にMOSAIK時代のフルートがフィーチャーされた北欧特有の泣きの抒情が聴けるのが何とも嬉しい限りである。
残りのアトラス時代で書かれた未発2曲も、もしデヴュー作の売れ行きが好調で次回作にまで話が及んでいたとしたら、この未発曲もきっと陽の目を見たであろうと思わせる位に素晴らしい内容である。
唯一のリイシューCDもオリジナル原盤と同様、21世紀の今となっては入手困難なアイテムとなってしまい、お目にかかれる可能性も比較的低くなってしまって個人的には誠に残念な限りである…。
仮にもし運良く中古盤専門店で巡り会えたのなら一も二も無く迷わず買って欲しいと願わんばかりである。何よりもボーナストラック3曲の為に買っても決して損は無いだろう!
重ねて願わくば、オリジナル原盤仕様の紙ジャケットSHM‐CDで再度リイシューして欲しいと思うのは私だけであろうか(ディスクユニオンさん、どうかお願いしますね!)。
21世紀の現在…北欧のプログレッシヴ・シーンは紛れも無く、ロイネ・ストルト率いるフラワーキングスに新生したカイパ・ダ・カーポを筆頭に、復活したトレッティオアリガ・クリゲットにイシルドゥルス・バーネ、加えてアングラガルド、アネクドテン、パートス、ムーン・サファリ…等といったスウェーデン勢を旗頭に盛況著しく時代相応のプログレッシヴ・シーンをリードしている今日この頃である。
70年代後期のかつての困難な時代を生き、北欧プログレッシヴ・ロック史の一頁に人知れず埋もれていった彼等が、今の順風満帆な昨今の北欧のシーンを目の当たりにしたらどう思うのだろうか…。
だが彼等はきっとこう言うに違いない。“自分達が遺した足跡と礎は決して無駄じゃ無かったし後悔もしていない。だからこそ現在(いま)があるのだ ”と。
私だけはせめてそう信じたい思いですらある…。
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09,2019
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今週の「夢幻の楽師達」は、秋真っ只中の10月の蒼天と陰影を帯びた曇天といった2つのイメージに相応しい、さながら大英帝国イギリスの気候とイマジネーションをも想起させる、伝承古謡と幻想物語を厳かで高らかに謳い奏でるブリティッシュ・プログレッシヴ界の幻獣“グリフォン ”に再び焦点を当ててみたいと思います。
GRYPHON
(U.K 1972~)
Brian Gulland:Bassoon, Crumhorns, Recorders, Key, Vo
Richard Harvey:Recorders, Crumhorns, Key, Mandolin, G, Vo
Graeme Taylor:G, Key, Recorder, Vo
David Oberlé:Ds, Per, Vo
俗に言うブリティッシュ・プログレッシヴ5大バンド(フロイド、クリムゾン、イエス、ジェネシス、EL&P)を筆頭に、ムーディー・ブルース、VDGG、ソフトマシーン、GG、キャラバン、ルネッサンス…etc、etcの台頭に加え、ヴァーティゴ、ネオン、ドーンといった当時の新興レーベルが後押しした甲斐あって、70年代初頭に於ける大英帝国のプログレッシヴ・ロックは猫も杓子も十羽一絡げの如くジャズロック、ブリティッシュ・フォークをも内包した、まさしく有名無名をも問わないアーティスト達で大多数犇めき合ってシーンを形成していたと言っても過言ではあるまい。
そんな時代の潮流に呼応するかの様にブリティッシュ・フォーク、トラディッショナル系に重きを置いて発足され、大御所のペンタングル、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュ等を擁していた新興レーベルのトランスアトランティック を拠点に、今回本編の主人公であるグリフォンはレーベル側の強い後ろ盾と後押しもあって一躍世に踊り出る事となる。
1970年、ROYAL ACADEMY OF MUSIC(英国王立音楽院)の学友だったBrian GullandとRichard Harveyは在学中ロックとフォークをベースに中世宮廷音楽、ルネッサンス期バロック、そしてイギリスの伝承音楽とを融合した新たな音楽形態を模索しており、後にGraeme TaylorとDavid Oberléの学友2人を誘い4人編成でバンドを結成する。
「不思議の国のアリス」にも登場する鷲の頭部に胴体が獅子という空想上の幻獣(怪獣)グリフォンをバンド名に冠し、もとより音楽院で学位を取得し古楽器には心得があった事も幸いし、学園祭及び学内の様々なイヴェント、果てはイギリス国内のロックやフォークのフェスに参加しつつグリフォンはめきめきと腕に磨きをかけていき、1972年には前出のトランスアトランティックと契約を交わし一年間リハーサルと録音に費やして翌1973年バンド名をそのまま冠したデヴュー作をリリースする。
記念すべきデヴュー作はレーベル側のカラーと意向が強く反映されたであろう、凡庸なポピュラーミュージックの範疇からかけ離れた向きを感じされる完全なトラディッショナルフォークに根付いた、良くも悪くもとてもお世辞にもロックの流れとは言い難い土着的な趣と個性が強過ぎた、早い話…情熱と非凡な才能が開花した未完の大器を思わせる好作品として認識されるに留まったといえるだろう。
同様にバスーンやクルムホルン、リコーダーを多用した先駆的なサード・イヤー・バンドが奏でるダークでヘヴィなチェンバー系とは真逆に異なる、中世に生きる民衆の佇まい或いは明るく陽気なお祭りといったイメージを想起させる開放的な壮麗さは後々のグリフォン・サウンドの身上となったのは言うには及ぶまい。
しかしバンド側も流石にこれだけでは単なる顔見せ的な作品ではないかとの反省を踏まえ、弱点とも言えるリズムの強化を図るためにベーシストPhilip Nestorを加えた5人編成へと移行し、翌1974年バンドのマネジメント兼広報担当者だったマーティン・ルイスの発案で、イギリスの国立劇場で上演されるシェークスピアの「テンペスト」の戯曲にインスパイアされた楽曲を手掛ける事となり、演劇と音楽との共演の試みが功を奏しバンドは劇場にて演奏した長尺の曲をメインに、「テンペスト」の戯曲で綴られたフレーズの文節を引用した2nd『Midnight Mushrumps 』をリリース。
アルバムタイトルでもありアナログLP盤A面全てを費やした18分強の大作は、70年代のプログレッシヴ史を飾る組曲形式の長尺大曲…「原子心母」「危機」「タルカス」「サパーズ・レディ」等といった一連の名曲群にも引けを取らない、圧倒的なダイナミズムこそ希薄だが緻密で且つ壮麗な佇まいと森の神話を綴るシェークスピアの世界とが見事に融合し名実共に彼等の代表作へと押し上げたエポックメイキングな一枚として語り継がれていくのである。
2作目の成功で漸くバンドとしての乗りの良さを身に付け、そのままの熱気とテンションを保持したまま弾みと勢いで臨んだ彼等は、同年末に同じくシェークスピアの戯曲にインスパイアされた3rd『Red Queen To Gryphon Three 』をリリース。
英国のロマンティシズムに裏打ちされた意匠のイメージと寸分違わぬ、クラシカル&トラディッショナルな要素とシンフォニック・ロックとしての聴き処と魅力が増し、前作と並ぶ代表作でありながらもプログレッシヴ・バンドとして格段の成長が窺える彼等の人気を決定付けた最高傑作と言えるだろう。
こうして一年間に2作品をリリースするといった一見無謀と思えるハイペースながらも、高度な音楽性並び水準と完成度の高さは決して落ちる事無く、バンドとしてのステイタスそして2つの代表作を確立出来た事を考慮しても、1974年はグリフォンにとって非常に意義のある一年だったように思えてならない。
特筆すべきはこの3作目から以前にも増してシンセサイザーを含むエレクトリック系楽器の使用率が全体の7割近くを占める様になった事だろうか。
中世古謡をロック寄りへアプローチさせる手法を更に強く前面に押し出している辺りなんか、さながら当時全盛を誇っていた同系統のGGやフォーカスにまるで対抗しているかの様で非常に興味深いところでもある。
そんな順風満帆な軌道の波に乗っていた彼等も、時流の波がプログレッシヴから次第にパンクやニューウェイヴへと移行し出した時同じくして、1975年を境に少しづつではあるが自らのサウンドアプローチにも変化の兆候が見られ始める。
イエスの前座として同行した英米ジョイントツアーを経た彼等は、その時に得た経験を活かし更なるプログレッシヴ・バンドとしての自覚とカラーを強めていき、古楽器を用いたトラディッショナルな風合いと趣は徐々に影を潜めていく。
ベーシストPhilip Nestorが抜け新たな後釜としてMalcolm Bennettを迎え、1975年にリリースした通算第4作目の『Raindance 』は、蓄音機に耳を傾けるヌーディーな紳士が描かれた…今までのグリフォンの世界観には見られなかったモダンな感を与える意匠となっており、新たな試みと取る向きとあきらかにミスマッチという意見が真っ二つに分かれたバンドとして初の賛否分かれる作品にして、長きに亘り在籍していたトランスアトランティックレーベルからの実質上最後のリリース作品になってしまった事が何とも皮肉な限りである。
イエスに触発されたであろうロックでポップスな側面が更に強調されながらも、以前にも増して従来通り高水準なグリフォンサウンドが楽しめる一方で、英国の伝承音楽風の趣とはかけ離れた…即ちトランスアトランティックが持っていたカラーとは異なる極端なまでのスタイルの変化は多くのファンを戸惑わせ、作品全体の散漫な印象と相まってかなりの数のファンが離れていったとも聞いている。
当然の如くアルバムの売れ行きは落ちセールス的にも低迷し、トランスアトランティックの経営難に伴い契約解除となった彼等に更に追い討ちをかけるかの如く、長年苦楽を共にしてきたGraeme Taylor、そしてベーシストMalcolm Bennettまでもが脱退という不運の連鎖続きで、グリフォンは結成以来最大の危機に直面する事となる。
レーベルからの契約解除通告を機に彼等は一年間活動休止状態となり、新たなメンバーの補充と作品リリースの為のレーベル契約に東奔西走の日々を送る事となったが、程無くしてEMI/Harvestと好条件で契約に漕ぎ着け、翌1977年新たな3人のメンバーBob Foster(G)、Jonathan Davie(B)、そしてAlex Baird(Ds)を迎えた6人編成で(David Oberléはリードヴォーカルに専念)、『Treason 』(“反逆 ”)という何とも意味深なタイトル名の5作目をリリースする。
大手EMIという事もあってか自由でのびのびとした雰囲気の中で製作された事を窺わせる、前作と同様イエス風なシングルヒット向けを意識したかの様なコンパクトな小曲揃いで構成され、出来栄えや完成度こそたしかに申し分無いものの、時代の流れの影響なのか一見するとHM/HRバンドのジャケットを思わせる何ともメタリックな質感の怪獣グリフォンが描かれたアートワークが災いし、英国の気品とロマンティシズムを湛えた薫り高いファンタジーの楽師達のかつて面影は微塵にも感じられなくなった事が何とも悔やまれてならない。
折りしも当時音楽シーンを席巻していたパンク/ニューウェイヴによる時流の波に抗う事も空しく、彼等の新たなる試みと挑戦は敢え無く失敗に終わり、更なるセールス低迷に拍車をかける形となった事でバンドは解散への道を辿り、グリフォンは人知れず幕を下ろし静かに表舞台から去って行ってしまう。
バンド解散から80年代以降にあってはメンバー各々の動向は知る由も無く、唯一判明している事といえば1979年にフランスはプログレッシヴ・フォーク界の大御所マリコルヌの『Le Bestiaire』にBrian Gullandがゲストで参加しているとのアナウンスメントが伝えられた位で、他のメンバーは決して表立ってマスメディアに登場する事も無く、大半は音楽の世界から離れて堅気の仕事に就いたか、或いは音楽院で修得した教職員の資格を活かして教壇に立ち音楽関連の育成、後進の指導に携わっているかのいずれかと思える。
…が、バンド解散後各メンバーが沈黙を守り続けているのを他所に、転機ともいえる90年代、ポンプロック勃発時とは全く違う方向に於いてプログレッシヴ・ロック復興の波が訪れるのと時同じくして、グリフォンの未発音源、果てはベストセレクションの形で集約されたボックスセットを含むCDが多数リリースされる様になり、これを機にグリフォンのメンバーを含め彼等を長年支持してきたファン達から復帰の声が寄せられる事となる。
21世紀に入ると未発のライヴ音源、BBCセッション時の音源をまとめたライヴCDまでもがリリースされ、グリフォン復帰の機運がますます高まる中、解散から実に30年後に当たる2007年バンドは公式サイト設立と共に新譜リリース予告のアナウンスメントを公表し、れらを埋め合わせするべく長期のリハーサルを経て、2009年6月6日ロンドンはクイーンエリザベスホールにてたった一夜限りの再結成ライブを開催し(チケットは即完売!)、デヴュー時のオリジナルメンバー…Brian、Richard、Graeme、Davidがステージ上に再び顔を合わせると同時に客席からは割れんばかりの歓喜の嬉し涙と共に拍手喝采に包まれたのは言うまでもない。
更なるステージサプライズとして『Treason』に参加していたベーシストJonathan Davieまでもが参加すると会場の熱気は一気にヒートアップし、グリフォンとしてバンド史に於いて最高潮の素晴らしいライヴパフォーマンスとして記憶される事となる。
2015年、グリフォンはイギリス国内の芸術センターを皮切りに、フェスティバル会場果てはミュージッククラブ等での更なる再結成ツアーを発表後、サーキットと同時進行で着々と新譜リリースに向けてのレコーディングに取りかかり、まだ記憶に新しい2018年秋、実に41年ぶりの通算6枚目に当たる待望の新譜『ReInvention 』をリリース(残念ながらRichard Harveyは不参加であったが)。
オリジナルメンバーのBrian Gullandを始めGraeme Taylor、そしてDavid Oberlé、そしてGraham Preskett、Andrew Findon、Rory McFarlaneという3人の新メンバーを加えた布陣で臨んだ最新作は、アートワーク総じてまさしく期待通りの…あの70年代の頃と何ら変わり無いグリフォン・サウンドが存分に堪能出来る素晴らしい内容であったのは言うに及ぶまい。
こうして再び順風満帆な追い風に乗った幻獣グリフォンの神々しい大きな翼が、いつの日か日本国内に舞い降りて眩惑の宴を奏でる夢物語みたいな事を大いに期待したいところでもあるが、果たして…?
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11,2019
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今週の「一生逸品」は数ある70年代ブリティッシュ・ヴィンテージ系名作の中でも、群を抜いた比類無き完成度とクオリティーを誇り、大英帝国独特の物憂げな儚さ…光と陰影が同居した詩情溢れる世界と、ドラマティックなメロトロン群が木霊する、まさしく名作・傑作の名に恥じない珠玉の一枚でもある“スプリング ”を取り挙げたいと思います。
SPRING/ Spring(1971)
1.The Prisoner(Eight By Ten)/2.Grail/
3.Boats/4.Shipwrecked Soldier/
5.Golden Fleece/6.Inside Out/
7.Song To Absent Friends(The Island)/
8.Gazing
Pat Moran:Vo, Mtn
Ray Martinez:G, Mtn
Adrian‘Bone’Maloney:B
Pique Withers:Ds, Per
Kips Brown:Piano, Organ, Mtn
もう長きに渡りプログレッシヴ・ロック始めシンフォニック・ロック、果てはブリティッシュ・ロックの名だたる名作・名盤に慣れ親しんでこられた方々にとって、必ずと言って良い位に避けて通れない一枚。
今回紹介するイギリスのレア&マスト・アイテムな名盤と謳われ続けてきたスプリングの唯一作。
71年…それこそレア・アイテムの宝庫と言われているネオン・レーベルに唯一の作品を残しつつ、それ以降バンド並びメンバーの現在に至るまでの動向及び消息は、毎度の事ながら(苦笑)残念な事に皆目見当が付かないのが正直なところである(雲を掴むような話…)。
オリジナルのイギリス原盤は当然の如く、ひと頃と比べたらプレミアム的にもダウンしているが、それでも未だにン万円単位で取引きはされているそうな(苦笑)。
80年代の愚行・悪夢ともいうべきブリティッシュ系レア・アイテムの安手で陳腐な体裁を繕ったブート再発で思いっきり信用を地に落とした感は無きにしも非ずではあるが、それはそれで高い評価と人気を持っていたが故の有名税たる悲しい宿命とも言えよう。
90年代に入りアメリカのレーザーズ・エッジ・レーベルにて漸く正規にCD再発され(かのキーフがデザインの3面開きのジャケット仕様も見事に復活)、マーキーのベル・アンティークからも国内盤(後年の紙ジャケットSHM‐CD化も含めて)でリリースされたのは記憶に新しいところである。
まあ…やっとと言えばやっとであるが、デヴュー当時の71年日本国内盤もリリースされる予定があったにも拘らず諸々の事情で中止という憂き目に遭っていることを考慮すれば、結構国内リリース向けの良質で親しみ易い内容であることだけは付け加えておきたい(レア作品に有りがちな、お堅くもキワモノ扱いみたいな中身でないこと)。
70年初頭にレイチェスターのローカル・バンドとして経歴をスタートさせ、その後当時の新興レーベルだったネオンの目に止まり、インディアン・サマー、トントン・マクートに次いで期待と注目を集めるものの、セールス的に伸び悩みつつバンド自体もたった数回のギグを経て、ギリギリの綱渡りに近い活動を強いられながらも、そんな不遇な状況に臆する事無く彼等は1973年の2ndリリースに向けたリハーサルとレコーディングを行っており、漸く何とかマスターテープを完成させるものの、時既に遅くネオンレーベルとの契約も終了し、他のレーベルからのリリースも見込まれないままメンバー各々がそれぞれの道に四散し、結局僅か2年足らずでスプリングはその短い活動期間に幕を下ろし表舞台から消え去ってしまう。
メンバー達のその後の動向はスタジオ・ミュージシャンへの道を歩む者、ローカル・バンドに移行した者、音楽活動からすっかり足を洗って堅気(!?)の道を選んだ者とに分かれるが、スタジオ活動に携わった者の中で注目すべきはロバート・プラント始め、イギー・ポップ、ルー・グラム、マグナ・カルタ、ダイアー・ストレイツとのセッションもあったそうな。
冒頭1曲目の“The Prisoner”は、そこはかとなく始まるメロトロンに導かれ、タイトル通りの哀感の篭ったバラード調の流れの中にも一条の希望の光が見出せそうな展開である。
2曲目“Grail”もオープニングと同傾向の作品で、決して派手になることも大仰な曲展開になることもない極めて淡々とした地味で薄い印象ではあるが、元を正せばブリティッシュ・フォークに裏打ちされた「唄」を聴かせる意図なのかもしれない。
続く3曲目“Boats”も河を漂う小舟の如きフォーク・タッチなアコギに導かれこれまた淡々としたヴォーカル・ナンバーの小曲。
間髪入れずにマーチング・スネアとメロトロンに導かれ、軽快なブリティッシュ・ロックンロール風の趣きが堪能出来る“Shipwrecked Soldier”も旧A面を締め括るに相応しいナンバーである。
“Golden Fleece”は厳かで明るめな曲想のメロトロンをイントロに、如何にもビートルズからの影響をも伺わせる軽快なナンバー。
続く“Inside Out”も前出と同傾向の好作で、美しいピアノが奏でるラヴバラード調の“Song To Absent Friends”も忘れ難く、シングル・カットされてラジオでオンエアされたとしても何ら違和感の無い味わい深いものを感じる。
旧LP盤のラストを締め括るに相応しい“Gazing”は、一瞬クリムゾンの“エピタフ”を思わせるような出だしながらも、夕暮れ時の黄昏感漂う映像的な光景が目の前に浮かび上がってくるかの様な感傷・感動的な終曲である。
昨今のCD化に伴うボーナス・トラックの未発表3曲も聴きもので、LP盤でしかスプリングを知らない方達には「へえ…!あのスプリングに、こんなに良い曲が残ってたんだァ!?」と驚嘆すること請け合いである。
メロトロンよりもオルガンとギターをメインにした乗りの良いプログレ・ハード&ヘヴィ色の濃いナンバーで占められており、私自身も初めて彼等の未発表曲に接した時は、伝統的なブリティッシュ・フォークに根付いた曲想ばかりと抱いていたが故「意外だよなァ…」と更に再認識を改めた次第である。
「トリプル・メロトロンだけが売り文句で、内容なんかさほど大した事ない」「トリプル・メロトロンなのに、コマ切れ状態みたいな鳴らし方で、厚みが無い…薄い!聴く価値ゼロ!!」といった巷での陰口・悪口は確かに無きにしも非ずではあるが(申し訳無いが、結局そんな悪口雑言でしか評価している輩は、付加価値だけ重視したくだらない俄か的レコード蒐集家被れ…所謂アーティストへの愛情の欠片も無い、レコード=物 としか扱っていない最低な類だと思えてならない)、そんな悪口雑言なんてどこ吹く風とばかりに、彼等の唯一の作品にはイギリスの牧歌的な風景に土と水と風の匂い、流れる雲に木霊する樹々…キーフの描くジャケット・アートの如く、川の水面を自らの血で染めた悲しくも美しさを湛えた兵士の亡骸を象徴しているかの様に、悲しみという深淵の奥底からほんの僅かながらも仄かで明るい光明と希望溢れる世界を見出そうとしている、寒い秋風の中にも温かさを感じる、ある種“血 ”の通ったヒューマニズム溢れるブリティッシュ・シンフォニック黎明期とも言える秀作と言えよう。
ただ単に…古臭い時代物の音楽だけで片付けて欲しくないし、今一度再評価・再認識を促したい、これこそ真の“逸品”であろう。
こうして時は瞬く間に流れ、21世紀真っ只中の2007年…奇跡と運命の輪は再び回り始める。
スプリングが遺した、73年リリース予定だった2ndアルバム用に録音された幻の音源がメンバー自身からの提供で、実に34年振りに陽の目を見る事となり、先に触れたボーナストラックの3曲もアレンジを変えたヴァージョンで再録され『The Untitled II 』という意味深なタイトルながらも、決して一作のみの打ち上げ花火程度では止まらない真の実力を発揮した会心の一枚として世に出る事となり、翌2008年にはイタリアのAKARMAレーベルからも『Second Harvest』と改題されてリイシュー化され、2016年にはかのロジャー・ディーンによるイラストでアナログLP盤『Spring 2』として陽の目を見る事となった次第である。
改めて振り返ってみると、スプリングとは万人に愛されるべき、極めてヒューマンでミュージシャン・シップが強く打ち出されたバンドだったと思えてならない。
何よりも彼等の“音”がこうして未来永劫愛され続ける限り、決して伝説のままで終わらせてはなるまい…。
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15,2019
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今週の「夢幻の楽師達」はプログレッシヴ&ユーロ・ロック史において、現在もなおその強い個性と秀でた音楽性でプログレ・ファンのみならず各方面(特にギター関連方面)から絶大なる賞賛を得ているオランダの“フィンチ ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
FINCH
(HOLLAND 1975~1977)
Joop Van Nimwegen:G
Peter Vink:B
Cleem Determeijer:Key
Beer Klaasse:Ds,Per
海を隔てていながらにして、オランダという国そのものがまるでイギリスとは地続きではないかと錯覚する位に、音楽的な文化・ムーヴメントにあっては大いなる影響を受けていると言っても過言ではあるまい。
60年代末期~70年代初頭にかけて台頭し、少なからず世界各国のミュージック・シーンをも席巻した、俗に言う“ダッチ・ポップス”の波は“ヴィーナス”を大ヒットさせたショッキング・ブルーを筆頭に、多数の名作を生んだアース&ファイアー、ゴールデン・イアリングによってダッチ・ロック・ムーヴメントは第一期を迎え、同時期に前後して登場のエクセプション(後のトレース)、世界的にビッグ・ネームとなるフォーカス、カヤック、スーパー・シスター、ソリュージョンとともに、フィンチも栄光の70年代の第二期ダッチ・ロックシーンを華々しく彩ったのは言うまでもあるまい。
フィンチの歴史は…サイケ・ポップ、ブルース、R&Rを基調としたヘヴィ・ロックがメインだった“Q65 ”なる伝説的バンドに属していた、ベーシストのPeter VinkとドラムスのBeer Klaasseの両名が、当時まだ弱冠19歳ながらも既にヤン・アッカーマンと並んで高い評価を得ていたギタリストのJoop Van Nimwegen、そしてキーボーダーのCleem Determeijerを迎え、その当初はヴォーカリストも迎えて5人編成でQ65名義として存続させるつもりだったが、彼等の創作する新たなサウンド・ヴィジョンに合うヴォーカリストが見つからなかった事に加え、バンドのアイディア並び全ての曲を手掛けていたJoopの案でインスト・オンリーのバンドとして、バンド名も新たにフィンチに至った次第である。
フィンチの音楽性とカラーは、まさにJoopとCleemの両名によって位置付けられたと言っても差し支えはあるまい。
以後この4名の布陣で75年デヴュー作に当たる『Glory Of The Inner Force 』、続く翌76年に2nd『Beyond Expression 』と立て続きにリリースし、大作主義ながらもそのテクニカルで高度な音楽性と完成度を持ってして、あのフォーカスとともにオランダにフィンチ在りと世界各国に知らしめる事に成功へと導いたのは言うに及ぶまい。
ベーシストのPeterは当時の事をこう回顧している…。
「俺達はメンバー間でお互いに敬意を持ち合ってたんだ。あの当時フィンチみたいなバンドは他のどこにも無かったと思うね…。ライヴで誰かが素晴らしいプレイをしたらそれを皆が認めてたし、例えば…JoopやCleemが演奏中にアドリヴで長いコード進行を弾いてる場合、毎回バック・ステージにて出番待ちで聴いていたけれど、数え切れない程のステージをこなしている俺ですらも時折トリ肌が立つ思いだったよ。とにかく…フィンチは毎回のライヴが自分自身との闘いみたいなもんだったよ」
しかし、そんな順風満帆な彼等に重大な危機は突如として訪れる。クラシック音楽を更にもっと追究したいという理由でCleemが脱退し、その後を追うかの様にドラムスのBeerも脱退。
バンドはすぐさま新たなメンバーを補充し、KeyにAd Wammes、DsにHans Bosboomを迎えて心機一転イギリスのBUBBLEレーベルに移籍し、77年3rdにして最終作そして最高傑作でもある『Galleons Of Passion』をリリース。
全3作品中…内容的に前作、前々作以上に最もJoopが出来に満足し気に入っている作品に仕上がったとの事である。
だが、運命とは皮肉なもので…オランダとは違いディストリビュートの不備でセールス的にも伸び悩み、Joopはこれを機に自分自身の目指す音楽像の追究の為バンドの解体を決意する。
解散前夜、当時の事をJoopはこう振り返っている…。
「僕はいつだってフィンチというバンドの1/4でいたかったんだ。でも、結局は僕自身いつも90%を背負い込んでいたし…。自分の背中に当てられるスポットライトをもうそろそろ外して欲しかったしね」
メンバーのその後の動向は…Joopは現在もなお音楽関係の仕事に携わっており、音楽関係の学校の講師、後進の指導、ミュージカル等の舞台での音楽監督と多方面に活動中で多忙を極めているとの事。
Peter Vinkも自身の音楽事務所・マネジメントとスタジオを経営し今も母国にて現役を続行し、Cleemは完全にロック業界から離れクラシック・ピアニストとして第一線で活動中である。
そんなさ中の1999年に突如未発表曲と3rdの別ヴァージョン並び3rd発表前のライヴ・マテリアルを収めた2枚組CD『The Making Of… Galleons Of Passion / Stage'76 』がリリースされ、Peterを中心に初代DsのBeer、二代目KeyのAd(彼はフィンチ加入当時、前任のCleemからメロトロン以外の鍵盤楽器を譲り受けている)、そしてミュージック・メーカーのJoopの黄金時代のラインナップでフィンチの再編を計画しているとの事だが、いかんせん当のJoopの気持ち次第やらスケジュールの調整次第にもよる…というのが何とももどかしい(苦笑)。
未発マテリアルのリリースと共にメンバーの口から語られた、まさしく“21世紀版フィンチ再編”というまさに青天の霹靂、或いは寝耳に水ともいえる驚愕のアナウンスメントから、数えてもう今年で早20年…再編はおろか新作云々といった情報が未だに届く事無く、フィンチという存在自体も少しずつ人々の記憶から忘却の彼方へと消え去りつつあり幾久しい限りといった感ではあるが…まあ、これも全ては神のみぞ、ギタリストのJoopのみぞ知るといったところであろうか?
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18,2019
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今週の「一生逸品」は80年代初頭のオランダ・プログレッシヴから伝統的にして正統派ユーロ・ロックの抒情派、親しみ易くてどこかしら人懐っこくホットでポップスなメロディー・ラインが魅力的な“タウラス ”を取り挙げてみたいと思います。
TAURUS/ Illusions Of A Night(1981)
1.Back On The Street/2.The Gurus/3.Mountaineer/
4.Farmers Battle/5.Illusions Of A Night/6.Kaboom/
7.My Will/8.Barbara/9.Nickname/
10.Same Old Story/11.Sutton
Martin Scheffer:Vo, G
Rob Spierenburg:Key, Vo
Rex Stulp:Ds, Per
Jos Schild:B, Moog-Taurus
タウラスというバンドが我が国に初めて紹介されたのは、今を遡る事32年前の1987年。
その前年の1986年オランダからコーダが衝撃的なデヴューを飾ったのを契機に、Sym‐Infoレーベルが設立され呼応するかの様にディファレンシスやエグドン・ヒースといった当時のニューカマー達が雨後の筍の如く登場した同時期に、デヴューから6年遅れでマーキー誌面で初登場したのを今でも記憶している。
コーダの登場で興奮冷めやらぬといった感の80年代のオランダのシーンではあるが、前述のディファレンシスやエグドン・ヒースに於いては未だ見切り発車を思わせる様な稚拙で未熟な部分が散見出来て、私自身でさえもコーダに続く新たな波というものに正直なかなか乗り切れなかったというのが当時の本音でもあった(苦笑)。
そんなさ中のタウラスの登場は、既に高額なプレミアムが付いていたとはいえ幻影的なイマジネーションを脳裏にかき立てる意匠に一抹の期待感を抱かざるを得ないのは言うまでもあるまい。
それから3年後に漸く苦労の末…新宿の某中古廃盤専門店から入手した彼等のサウンドは、まさしく幻影的なジャケットのイメージ通り期待に違わぬ70年代ヴィンテージな空気と色合い・風格をも兼ね備えた威風堂々たる素晴らしい出来栄えに、一人静かにプレイヤーの前で感動の余韻に浸りつつタウラスの紡ぐ夢物語と欧州浪漫を暫し噛み締める思いであった。
タウラスの結成は76年説と78年説とがあるが、後年リリースされた未発表曲集から察するに結成は1976年とする方が正しいと思える。
70年代ダッチ・プログレッシヴ全盛期に於けるフォーカス、フィンチ、アース&ファイアー、トレース、カヤック…等よりも次世代的に若い部類ではあるが、彼等もまた前述の先人バンド並びブリティッシュ系のイエスやキャメル影響下を思わせるメロディーラインを踏襲したユーロピアン・フレーヴァー溢れる泣きの抒情性を色濃く打ち出しつつも温かみある良質なポップスセンスをも兼ね備えた、バンド自らが正統派プログレの継承者たるものを強く意識した趣が感じられる。
バンドリーダーと思えるギタリスト兼リードヴォーカリストのMartin Schefferを筆頭に、メロディーメーカーとおぼしきキーボーダーのRob Spierenburg、ドラマーのRex Stulp、そしてベーシストのJos Schildの4人で結成され、曲作りとリハーサルに1~2年間費やされ、78年頃を境に精力的にライヴ活動を開始し、当時に於いて既に7~10分強の長尺の曲をもレパートリーに取り入れつつ数々のフェスティバルに参加して、かつてのプログレ・ファンの心を鷲掴みにすると共に新しいファン層をも増やしていった。
ここで肝心要なバンドネーミングの由来について…メンバーの誰かの誕生日が牡牛座だったからとか、ベーシストの所有しているモーグ・タウラス(ペダル・ベース)が同じ牡牛座の名前だからそれでいいやと冗談で命名したとか、まあ兎にも角にも諸説様々な経緯が語られている彼等ではあるが、まあ今となっては一種の笑い話として留めておきたいところであるが(苦笑)。
2年以上に亘る精力的なライヴ活動とプロモートの甲斐あって、1980年にフォノグラムとの契約を交わし同年8月に待望のデヴュー・シングル“Meadow/Undiscovered ”をリリースし、オランダの国営ラジオ局やFMから40回以上もオンエアされて、(大ヒットまでには至らなかったものの)国内の幅広いプログレッシヴ・ロックのリスナーやファン層から好評と支持を集めるまでに至る。
知名度を上げた彼等は翌1981年に心機一転、CBS傘下のMULTIと契約し遂にユーロ・ロック史にその名を刻む名作『Illusions Of A Night』のリリースまでに漕ぎつけた次第である。年明けの1月~2月にかけて録音され5月にリリースされた本作品の魅力は、やはりダッチ・プログレの伝統を継承しつつも変にベタベタした泣きの叙情性だけに寄りかかる事無く、70年代独特の色合いと気概に満ちた作風の中にも80年代という新たな時代の幕開けに相応しい突き抜けるような開放感に、ソフィスティケイトされた極上なポップス的風合いとが見事にコンバインされたところに尽きると言えるだろう。
決してブリティッシュ・ポンプな方向性や後々のメロディック・シンフォ風に寄りかかる事無く、自らの信念と情熱に基づいた正統派の王道を歩む真摯な姿に、誰しもが“嗚呼、これこそがユーロ・プログレの真髄である”という事をまざまざと見せ付けられた思いになった事であろう。
ハモンドにメロトロン、ギブソン・レスポール、リッケンバッカーといったプログレ愛好者なら言わずもがな納得出来る往年の名器級ともいえる機材のオンパレードにも狂喜乱舞される事だろう。
全曲共クオリティーの高さはお墨付きながらも、やはりMartinとRobのメロディーメイカー二人の力量と音楽的素養の深さとスキルの高さには筆舌尽くし難いものがあると言ったら大袈裟であろうか(苦笑)。
どことなくアンダーソンをも彷彿とさせるMartinの歌唱力に時折ハッとさせられたり、Robのキーボード・ワークはバーデンスやウェイクマン風というよりもトニー・バンクスに近いものが感じられたり、彼等の唯一作を回数を重ねて耳にする度に新たな発見と驚きがあるのも特筆すべきであろう(特にロブの瑞々しいピアノワークには是非注目して欲しい)。
それぞれの恋人に捧げたであろうMartinのアコギのソロナンバーが泣かせる8曲目や、ラストのRobのピアノソロも必聴曲として聴いて貰いたいところだ。
アルバムリリース直後と前後してオランダ国内ツアーを行い、ツアーの途中でドラマーがRexからDennis Plantengaに交代しつつも彼等は歩みを止める事無く精力的に演奏し、オーディエンスの期待に精一杯応え次なる展開へと模索しつつあった(このライヴツアーの模様は後年『See You Again~Early Live』で完全収録された形でリリースされた)。
しかし…運命とは何とも皮肉なもので、あれだけの精力的な活動とは裏腹に彼等もまた時代の流れに抗う事も叶わず、活動意欲の停滞に加え人気の方も徐々に下降線を辿らざるを得ないという過酷な現実を目の当たりにしてしまう。
結果、1983年に77年~解散直後の1982年までのライヴ・マテリアルを編集した『Live Tapes』という企画物ライヴ盤をリリースし、長い様で短かった創作活動に終止符を打ち彼等タウラスはその数年後に発掘されるまでの間忘却の彼方へと追いやられてしまった次第である。
件の『Live Tapes』の方も、年代によって音質のバラつきこそあれど各曲のクオリティーはどれも高くて流石タウラスの面目躍如と言いたいところではあるが、いかんせんモノクロのライヴ・フォトのみがプリントされた何とも自主製作然とした、お世辞にも見た目の印象が薄くて正直余りピンと来ないのが本音であり、バンドの終焉を飾るには余りにも寂しいものを感じてならない(私自身も、過去に一度新宿の某中古廃盤専門店で一度お目にかかった事があるものの何だか直視出来なかったのを記憶している…)。
1987年にマーキー誌の尽力の甲斐あってタウラスの唯一作が陽の目を見る事となり、漸く世界的規模に知名度が知れ渡る事となったのは最早言うまでもあるまい。バンドサイドの方もそれに呼応するかの様に、古巣のMultiを経由して未発表曲集の『Works 1976-1981 』(肝心なドラマーのみが不在で、ドラムパートをリズムマシンによる打ち込みで補ったというマイナス面こそあれど)をリリースしその健在ぶりをアピールし、タウラスの紡ぐファンタスティックな音世界を待ち望んでいたファンにとってはまさしく素晴らしい贈り物となった筈であろう。
特筆すべきはその『Works~』のトップを飾るのがデヴュー・シングル曲の“Meadow”というところが、彼等にとってもタウラスというバンドの持てる力を、未発表曲集という形で思いっきり出し切ったまさに会心作と言えないだろうか…。
その後、未公開のプロモーションとライヴ・フォトを網羅掲載した2枚組ライヴ盤のヴォリュームに匹敵する『See You Again~Early Live 』をリリースし、その後も忘れかけた頃になると未発のマテリアル作品やコンピ作品集を単発でリリースし、現在にまで至っている次第であるが、肝心なメンバーのその後の動向が皆目見当が付かないのが正直なところで大いに気を揉ませているから困り者である(苦笑)。
音楽活動から完全に身を引いて各々が新たな人生を謳歌しているのか、或いは運命に導かれるかの如くいきなりまたサプライズ級で度肝を抜く様な作品でも模索しているのだろうか…。
いずれにせよ、彼等タウラスの唯一作があと数年後には紙ジャケット仕様のSHM-CDで聴かれる日もそう遠くはあるまい。
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23,2019
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今週の「夢幻の楽師達」は、涼やかな秋風と青空という時節柄のイメージに相応しい70年代フレンチ・ロックきっての抒情派の旗手にして、21世紀の今もなお硝子細工の様に壊れやすく繊細な情感を瑞々しく歌う“タイ・フォン ”を取り挙げてみたいと思います。
TAÏ PHONG
(FRANCE 1975~)
Khanh Mai:Vo, El-G, Ac-G, Slide-G
Tai Sinh:Vo, B, Ac-G, Syn
Jean-Jacques Goldman:Vo, El&Ac-G
Jean-Alain Gardet:Key
Stephan Caussarieu:Ds, Per
「我々はフランス人のグループではない。フランス出身のグループであり、イギリスのイエス、イタリアのPFM、或いはギリシャのアフロディティス・チャイルド等と同じジャンルの音楽を演奏している」
プログレッシヴ・ファンなら、もう既にお馴染みのプログレッシヴ・ロック史上に残るであろうキャッチコピーにして名台詞、当時の有力な音楽誌“ROCK&FOLK”のインタヴューに応えているバンドの中心的存在Khanh Maiの言葉である。
ベトナムとフランスのハーフKhanh MaiとTai Sinhの兄弟を中心にJean-Jacques Goldman(本職業は銀行マンで、彼もポーランドとドイツのハーフである)、Jean-Alain Gardet(エルトン・ジョン始めジェネシス、クラシック、ジャズから多大なる影響を受けている)、Stephan Caussarieu(ビル・ブラッフォードのファン)の5人編成で、75年1st『Tai Phong 』とシングル・カットの名曲“Sister Jane ”で、大手のワーナーから期待を一身に背負って華々しくデヴューを飾り、“Sister Jane”の世界的な大ヒットが功を奏し(皮肉な事に大御所アンジュ以上に)、俄かにフランス産プログレッシヴの旗手として注目を浴びる次第となった。
鮮烈なデヴューを飾ったタイ・フォン(日本では当時“タイ・フーン”と紹介)であるが、彼等を紹介するに当たって必ずといっていい位“Sister Jane”が引き合いに出される事に…まあこれも有名税であるが故にいた仕方の無い事であると思うものの、決してそれだけで終始している訳ではなく“Goin'Away”始め“Crest”みたいな軽快で且つ抒情的な歌メロとのバランスがしっかりと取れたリリシズム溢れるナンバー然り、独特のタイ・フォン節全開な“For Years And Years”、“Out Of The Night”、かの“Sister Jane”と互角に渡り合える最大の呼び声高い“Fields Of Gold”の美しくも泣き泣きのリリシズムも忘れてはならないだろう。
CD化に際しボーナス・トラック収録されたアルバム未収録のシングル2曲“(If You're Headed)North For Winter”、“Let Us Play”の素晴らしさといったら…(特に“Let Us Play”なんてPFMの“セレブレイション”も真っ青である)。
続く翌76年の『Windows 』もデヴュー作と同様のメンバー編成で製作されているが、前デヴュー作以上の抒情的な高揚感に哀愁漂う甘く切ない泣きのメロディーとリリシズムが、もうこれでもか…と言わんばかりに高波の如く押し寄せてくる様は、まさに圧巻とでもいうか彼等の最高傑作の一枚に恥じない内容に仕上がっており、全曲甲乙付け難くどれを取っても素晴らしいが、特に2曲目の“Games”は“Sister Jane”に一歩も引けを取らない、否!出来映えとしては“Sister~”以上ではないだろうか。
1st並び2ndのカヴァー・アートに登場の…ジャパニメーション的なSFメカロボット風鎧武者からも取って分かるが、東洋人の血筋も流れているKhanhとTaiのエキゾチックなバック・ボーンもサウンド・スタイルに反映されていると言ったら言い過ぎだろうか?
顕著な例として『Windows』に収録のラスト“The Gulf Of Knowledge(邦題:探求の淵)”の東洋的趣味・志向性を思い出して頂きたいと共に、『Windows』のカヴァー・アートの色鮮やかな色彩感なんて、まさに由緒正しき日本庭園の春(鎧武者に桜の木々)を象徴しており、諸外国で売れていた当時にあっても一番日本人好みにして日本人に愛されたフランスのバンドではないかと思うが、如何なものだろうか…?
バンド本体はこのまま順風満帆で進んでいくのかと思いきや、キーボード奏者のJean-Alainが(後にタイ・フォンの兄弟的バンドと言われる)アルファ・ラルファ 結成の為バンドから離れ、加えてシングル曲の音楽的方向性を巡って従来路線派のTaiとポップ指向のGoldmanとの対立が表面化し、結果的にTaiの脱退というバンドにとって最大の危機が訪れる。
バンドはベーシストにMichael Jones、キーボードにPascal Wuthrichの新たな2名を迎えて、79年3rdにして最終作の『Last Flight 』(“最期の飛翔”とは何とも皮肉なタイトルであるが…)をリリースするが音楽的にはGoldman主導のポップがかった内容ながらも、それなりに聴き処がある佳作に仕上がっている。
過少評価で決して出来は悪くはないが、やはり1stと2ndの鮮烈さと感動の度合いひとつ取っても見劣りは否めないものの、そんな中でも以前のタイ・フォンらしい名残を感じさせるシングル曲の“Back Again”のリリシズム溢れるメロディーラインはもっと評価されても良いのではと思えてならない。
結果的に…タイ・フォンはGoldmanのソロ活動が本格化し、バンドは一時的に解体してしまうが、86年に突然KhanhとStephan両名によるタイ・フォン名義の時流の波に乗ったシングル“I'm Your Son”をリリースし(多数のゲストを迎えた中には、かのGoldmanも名を連ねている)、数年ぶりの新作アルバム発表という期待も囁かれていたものの、かのシングルリリース以降タイ・フォンは諸般の事情でまたもや再び長き沈黙を守る事となり、多くのファン誰しもが言葉を失い意気消沈し落胆の長い年月を送る事となったのは言うまでもあるまい…。
だが、月日は流れ…突如急転直下で運命の歯車は大きく動き出し、ミレニアムイヤーの2000年KhanhとStephanの2人がいよいよ本格的に活動を再開し、2人を中心に新たなるメンバーを加えたタイ・フォンは完全なる新生復活を遂げ、ムゼアから再結成アルバム『Sun 』をリリース。
アートワークも再び鎧武者の威風堂々たるが姿が描かれた、作風楽曲総じてさながら70年代タイ・フォンの原点回帰に立ち返ったかの様な再出発を飾る事となる。
そして13年後の2013年、タイ・フォンはKhanhを主導とした(残念ながらStephanは脱退)、所謂Khanhの半ばソロ・プロジェクトに近い形で、多数にも及ぶゲストプレイヤーを迎えて通算5枚目の新作『Return Of The Samurai 』を12曲入りCD-Rという意外な形でリリースするも、発表当初のアートワークに多分ファンの誰しもが呆然とした事だろう(苦笑)。
たしかに看板とタイトルに偽り無しといわんばかり、大太刀をかざしてアクションをとっている…さながらサムライウーマン或いはニンジャガールを連想させる格ゲーみたいなヒロインが描かれた意匠に微妙というか変な違和感を覚えた筈である(早い話があまりにも飛躍し過ぎてタイ・フォンらしくないという事だろうか)。
余談ながらもゲームソフトのパッケージ(!?)思わせる場違いみたいな雰囲気もよろしくないというのが正直なところでもあった(YouTubeの動画はまだニンジャガールのイラストのままだが)。
但し後日Khanh自身の口から語られた、誤解を解くかの様な説明を拝読すれば大なり小なりの納得が出来よう。
そもそも前作『Sun』をリリース以後に、Khanh自身が書き溜めていた楽曲をCD-Rサンプラーという形(テストプレスみたいなものだろうか)で1000枚限定で急ごしらえみたいなデザインで流通したもので、収録された曲もかなり出来不出来とバラつきがあった事も踏まえ、翌2014年改めて再リリースされた正規のワールドワイドプレス盤はリミックスとリマスターを施したKhanh自ら厳選した8曲を残し、アートワークも装いも新たにデヴューアルバムへのオマージュとおぼしき鎧武者の再登場と相成った次第である。
デヴューアルバムや2ndの頃の作風を期待するには多少無理があるものの、『Return Of The Samurai』という気概と精神を継承した21世紀サウンドスタイルのタイ・フォンともいうべき、ありのままの姿勢と決意がこの一枚に凝縮されているといっても異論はあるまい。
同年秋に待望の初来日公演を果たし、長年待ち続けたファンや聴衆はステージ上の彼等の雄姿に歓喜と感動の涙を流しつつ惜しみない拍手と喝采を贈った事は今も記憶に新しいところであろう。
近年にリリースされる最新作の準備を控えて、Khanhを中心に現在曲作りとリハーサルの真っ最中との事だが、人間味というか円熟を帯びた彼等がこの先どんな曲想と展開で私達に夢見心地を与えてくれるのか…その時まで暫し期待して待とうではないか。
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24,2019
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10月第四週目…今回「一生逸品」を飾るのは、70年代イタリアン・ロックに負けず劣らずたった一枚きりというワンオフ的な珠玉の名作・名盤を数多く輩出してきたフレンチ・ロックより、一種独特にして詩情豊かな音世界を紡ぎ、あたかも混迷に満ちた昨今の時代観を予見しながらも浄化の精神で静謐に奏で彩る、そんな意味深めいたイマージュすら想起させるアートワークに包まれたリリシズムと夢想の申し子と言っても過言では無い“パンタクル ”が遺した唯一作に焦点を当ててみたいと思います。
PENTACLE/ La Clef Des Songes(1975)
1.La Clef Des Songes
2.Naufrage
3.L'âme Du Guerrier
4.Les Pauvres
5.Complot
6.Le Raconteur
Gerald Reuz:G, Vo
Claude Menetrier:Key, Violin
Michel Roy:Ds, Vo
Richard Treiber:B
「一生逸品」で取り挙げてきた…否、これからも取り挙げていくであろう、数多くのたった一枚きりというワンオフな唯一の作品達…。
ことフレンチ・ロックにあっては、シーンの層が厚いイタリアン・ロックと比べてお国柄を反映している所以からか、技巧的で音の厚み云々を重視するというよりも詩的なフィーリング或いは流れるような抒情の調べを重視した傾向の作風が見受けられるというのは穿った見方であろうか(苦笑)。
ハモンドとメロトロンを駆使し古色蒼然とした時代の音ながらも大名盤という地位すら確立した感のサンドローズを始め、ダークな佇まいとアヴァンギャルドさとクリムゾンイズムを継承したアラクノイ、メロトロンにヴァイオリンといった重厚なハーモニーでシンフォニックとジャズロック互いのエッセンスを程良く融合させたテルパンドル、サイケデリックな風合いとブリティッシュナイズでフランス独特のアンニュイさを醸し出した若き日のベルナール・パガノッティとフランソワ・ブレアンの熱演が堪能出来るクルシフェリウス…決して数としては多くはないものの、それ相応に栄華を誇り時代を彩っていた“たった一枚 ”という自らの証と青春の記録に、私達プログレッシヴファンとリスナー諸氏は時代と世紀を越えて互いに惹かれあう様にアルバムというファクターを通じ耳にし、彼等が思い描いてきた理想の音楽世界観を共有してきた事は言うに及ぶまい。
フレンチ・シンフォニック史に於いて歌心とポエトリーなリリシズムを湛えた唯一無比の存在として名高いパンタクルの歩みは遡る事60年代末期、今やロック・テアトルの祖にしてフレンチ・シンフォ界の大御所という地位に君臨しているアンジュを輩出したフランス東部の地方都市ベルフォールにて幕を開ける。
60年代末期のベルフォールはアンジュの前身バンドLE ANGEを始め、かのパンタクルの前身バンドだったOCTOPUSが人気を博しており、ベルフォールという(良い意味で)ローカルな土地柄の所為からか、後年アンジュに参加するメンバーが出入りしたりと、いつしかパンタクルを含めた所謂アンジュ人脈一派(とでもいうのか)のバンド相関図が成り立っていたのも必然的と言えるだろう。
さて、そのOCTOPUSだが70年代初頭に地元ベルフォールで開催されたロックコンテストで優勝を飾る等の輝かしき経歴を誇ってはいたものの、いかんせんよくある話だが音楽だけでは絶対食えないというアマチュアイズムを優先しメンバー各々が定職に就いていた事もあってか、フランス・ミュージックの本拠地パリの大手レコード会社並び音楽業界関係からプロにならないかといった勧誘のオファーがあっても“僕達アマチュアですから”といった理由で一蹴するのが関の山だった様で、結局諸般の事情でOCTOPUSは1971年に解散する事となる。
OCTOPUS解散後、様々な音楽ジャンルでの活動を経てきたギタリスト兼ヴォーカリストのGerald Reuz、そしてドラマーのMichel Royはアマチュアイズムに捉われていた音楽への取り組み方を考え直し、どっちつかずで中途半端にあやふやだったミュージックスタイルから心機一転し、大成功を収めたベルフォールの雄アンジュに続けとばかり完全オリジナルなプログレッシヴ・スタイルへと意思を図り、新たなるメンバーを募って一致団結し1974年バンド名もパンタクルへと改名し再スタートを切る事となる。
同年の秋に地元ベルフォールのユースセンターにてデヴューお披露目を飾った彼等は、折しも運良くベルフォールに帰省していたアンジュのクリスチャン・デカンの目に留まり、クリスチャンからの口添えと人伝で、かの
ワーナーフランス傘下だったアルカンレーベル(後のクリプトレーベル) の設立者でもあり多方面で辣腕を振るっていた敏腕名マネージャーのジャン・クロード・ポニャンを介された彼等は、クリスチャンの鶴のひと声と鳴り物入りのプロデュースでアルカンレーベルと契約し、その後程無くしてとんとん拍子でデヴューアルバムに向けたリハーサル始め録音と製作に取り掛かる事となる。
なお余談ながらもアルカンレーベルからは1974年にモナ・リザがデヴューリリースし、パンタクルと同年にカルプ・ディアンがデヴューを飾っている事も付け加えておかねばなるまい。
絵本や童話の扉絵を思わせるカラフルな色彩を背景に、大きな鍵を抱いてさながら座禅を組んで宙に浮く御仏(仏陀?)が描かれた、何とも意味深で一種の東洋思想とオリエンタルでエキゾティックな趣とが相まったアートワークでパンタクルは1975年の5月にめでたくデヴューを飾る事となった。
技量を含め演奏力こそ及第点レベルといった課題こそ残したものの、未完の大器をも予感させるデヴュー作に見合った彼等の初々しさと新鮮な感性が際立った佳作といったところであろうか。
クリスチャン・デカンのプロデュース能力による賜物といえる部分も散見されるが故に、バンドのメンバーサイドも感謝と恩義を感じてはいるものの、下世話で余計ながらも「アンジュの弟分」的な見方と扱われ方には大なり小なり些か抵抗感はあったのかもしれない。
これでもしクリスチャン・デカンの様な専任ヴォーカリスト(欲を言えばフロントマンとパフォーマーをも兼ねた)を加えていたら、もしかしたらそれはそれでまた評価が大きく変わっていたのかもしれないが…。
オープニングを飾る冒頭1曲目、アルバムタイトルでもあり直訳通りの“夢想への鍵”というイメージに相応しく、神秘めいたオリエンタルな雰囲気をも醸し出した、如何にも日本人が好みそうなギターとストリングアンサンブルによる泣きのメロディーラインが紡がれるイントロダクションに導かれ、ギタリストのGerald Reuzの切々とした歌心と情感溢れるヴォイスにいつしか惹き込まれており、朗々たるモーグシンセサイザーの荘厳なる木霊と時折ハッとさせられるメロディーラインの転調に、フレンチ・プログレッシヴならではの深さと妙味が存分に堪能出来ることだろう。
寂寥感と荒涼たる雰囲気の海風が吹き荒れるSEに導かれる2曲目、フォーキーなアコギとモーグとのアンサンブル、憂いを帯びたヴォイスで悲哀に満ちた世界観が謳い奏でられ、いきなり堰を切ったかの如く仄暗くてミステリアスな曲調に変わり高鳴るハモンドの躍動感とリズム隊の強固な活躍が光っている。
進軍のマーチを思わせるハモンドとモーグそしてドラミングの強打によるイントロダクションが心打つ3曲目も実に素晴らしい。
ストリングアンサンブルとチェンバロ(エレピ)、そしてアコギによるヴォーカルパートはイタリアン・ロックの中堅クラスのバンドにも引けを取らない位に、心の琴線を揺さぶるであろうユーロロックの本懐たるものを窺わせ、リスナーにじっくりと哀歌を聴かせるクリスチャンのプロデュース力と手腕には脱帽ものである。
哀愁漂うアコギとモーグが導入部の4曲目、ピアノとエレクトリック・ギターソロによるバラード調へと変わるといった意外性をも孕んだ泣きのメロディーラインが何とも切なくて堪らない。
プロコル・ハルム風なブリティッシュ調の音を思わせるハモンドの残響が印象的な5曲目、ヴォーカルパートと各演奏パートとの絶妙なる応酬と掛け合いにも似た流麗なハーモニーが寄せては返す波の様にリフレインする様はもはや感動以外の何物でもあるまい。
収録された全曲中10分超の大曲でもあるラストの6曲目は、パンタクルが紡ぐ音世界の大団円を飾るに相応しいリリシズムとファンタジー、そしてプログレッシヴ・ロックの持つ美意識と詩情が一気に集約された、荘厳なるドラマティックさとエモーショナルなイマージュが聴く者の脳裏に克明且つ鮮明に刻まれる事だろう。
終盤近くにフェードアウトして締め括られる様は、あたかも夢語りの世界から現実に引き戻されて目を覚ます…そんなイメージといったところだろうか。
こうして記念すべきデヴューアルバムのリリースから程無くして始まった国内プロモートに於いて、クリスチャン・デカンのプロデュースというネームヴァリューの箔が付いた甲斐あって、演奏会場は拍手喝采の大盛況に包まれると共に、アンジュのメンバーが入れ替わり立ち替わりで飛び入り参加したりやら、果てはアンジュのライヴのオープニングアクトを務めたりといった幸運の追い風に後押しされる形で、良い意味でポッと出の無名の新人バンドが注目を集めるには申し分の無い環境が整いつつあった。
アルカンレーベルサイドの尽力でフランス国内だけで初回プレス3000枚が完売し、遠い海を越えた北米カナダのフランス語圏でも5000枚近い好セールスを記録するまでに上り詰め、こうして順風満帆な軌道の波に乗り始めた彼等であったが、昔も今も変わる事無く人は皆最良な時こそ必ず足許を掬われるもので、何とギタリストでフロントマンのGerald Reuzが件のライヴツアー中にておそらくは機材の搬入の途中で何らかの負傷をしたのであろうか、傷口からばい菌が入って(所謂破傷風ですね)しまったが為に高熱と体調不良を発症し長期の入院を余儀なくされるという予期せぬアクシデントに見舞われてしまう。
これをきっかけにパンタクルは絵に描いた様な未来予想図やら思惑とは裏腹に失速への道を辿ってしまうのだから運命とは何とも皮肉なものである…。
入院も然る事ながら一歩間違えれば生命にかかわる疾病になったとはいえ、ツアーを含め大きなロックフェスやステージ(カナダのケベック州ツアーも計画されていた)に大きな穴を空け、兎にも角にもすったもんだが重なってしまった事で(早い話、興行的にも大きな損失を与えたしまったことも含めて)、すっかりプロモーター並びマネジメントサイドとの間に大きな溝と隔たりが生じてしまい、バンドメンバーはすっかり愛想を尽かしやる気すら失ってしまう結果となってしまう。
補足をすれば…ライヴツアー中に於いてもスタッフサイドから曲が長過ぎるとイチャモンを付けられたり、ツアーにローディーを付けて貰えなかったが為に機材の撤収に至ってもバンドのメンバー自らで行わなければならなかった事も不平不満が鬱積し、加えて直接の引鉄となったのはやはりギタリストの入院と治療費は全部自腹で支払えといわんばかりな、今日のブラック企業さながらの冷たい言葉を投げつけられたからだろうか。
ただ…個人的な余談で申し訳無いが、バンドのメンバー御自ら機材を撤収するなんてそれ位は極当たり前であると思うのだが、よくよく考えたらポッと出の新人バンドがローディーを付けて欲しいなんて、些かそれは贅沢というか我が儘だと思うのは変だろうか?
昨今日本のシルエレ等で活躍するバンド始め世界中のプログレバンドの大半が機材の撤収は自分達で行うのが当然であるが故に、ローディー付けて欲しいなんて言おうものなら「えっ…何考えているの !?」と反論されるのが関の山であろうから。
話が横道に逸れてしまったが、結局バンドサイドとレーベル並びマネジメントサイドとの溝は後々まで埋まる事無く、パンタクルはたった一年弱もの短い活動期間で、1976年自らに幕を下ろしフレンチ・ロックシーンの表舞台からあっさりと去って行ってしまう。
その後のバンドメンバーの動向にあっては21世紀の今もなお消息不明のまま、どうやら居心地の悪い音楽業界とは完全に縁を切ってフェードアウトしてしまった様だ。
今となっては良し悪しを抜きに彼等はあくまでただ単純明快に音楽を心から楽しみたいアマチュアイズムのままでいたかったのかもしれない。
彼等を擁護するという訳ではないが、パンタクルというバンドにとって自らの音と言葉で夢想の世界を語るには当時のフランスのロックシーンや音楽業界はあまりにも狭すぎて息が詰まりそうな位に窮屈だったのかもしれない。
それでも、たった一枚だけ遺された…最初で最後のデヴューアルバムだけがプログレッシヴ・ロック史に永遠に刻まれただけでも唯一の救いなのかもしれないが。
あくまでフランス人らしい(良い意味で)気まぐれさと気難しさとが同居した、孤高の詩人でもあり夢想家でもあった彼等の素直且つ正直に生きた青春の証と軌跡というには、あまりにも寂しさと虚しさを禁じ得ない。
パンタクルの世界観は哀しみと憂いに満ちた孤独なる道程、決して終わる事の無い夢幻のファンタジーなのかもしれない。
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30,2019
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10月も終盤に入り、秋真っ只中の「Monthly Prog Notes」をお届けします。
今回は芸術の秋よろしくプログレッシヴ・ロックの秋に相応しい…ベテランの域ならではの実力と経験値を垣間見せる強力3バンドの新譜というラインナップが出揃いました。
もはやポンプロックとは呼ばせない位、40年選手に手が届きそうなキャリアとハイレベルな音楽性を誇るであろう、マリリオンと並ぶブリティッシュ・(ネオ)プログレッシヴの筆頭として名高い“IQ(アイキュー) ”の通算11枚目の新作が満を持しての登場です。
5年前の前作の流れを汲みつつ、より以上に深遠且つ重厚でドラマティックな作風は、かつてのジェネシスフォロワー云々といったカテゴリーをも超越し、英国ロックの王道を地で行きつつ大いなる感動を呼び起こす素晴らしい最高傑作・必聴作へと押し上げてます。
長い歴史を誇るアメリカン・プログレッシヴ界を渡り歩いてきた大ベテランの猛者達が結集した“フライング・カラーズ ”待望の新譜3rdアルバムも遂に到着しました。
スティーヴ・モーズ、ニール・モーズ、そしてマイク・ポートノイという実力者を擁し、アメリカン・プログレッシヴが持つハード&ポップでキャッチーな側面とシンフォニックなリリシズムとが隣り合った極上のサウンドスカルプチュアを構築しています。
21世紀プログレッシヴ・シーンに於いて、今やオーストリアのシーンを同国のマインドスピークと共に牽引しつつある“ブランク・マニュスクリプト ”のスタジオ作通算3枚目の新譜も聴き処満載です。
アートワークに描かれた意味深な佇まいと雰囲気のイメージ通り、70年代ヴィンテージ系の音色を踏襲したユーロ・シンフォニックの醍醐味が存分に堪能出来る好作品に仕上がっています。
晩秋の寂寥感と憂いを湛えた寒空の下、心と魂を揺さぶる孤高なる楽師達の渾身の響奏詩に暫し時を忘れて耳を傾けて頂けたら幸いです…。
1.IQ/ Resistance
(from U.K)
Disc 1
1.A Missile/2.Rise/3.Stay Down/4.Alampandria/
5.Shallow Bay/6.If Anything/7.For Another Lifetime
Disc 2
1.The Great Spirit Way/2.Fire And Security/
3.Perfect Space/4.Fallout
前作『The Road Of Bones』から実に5年振りのスタジオ作、数えて通算11枚目に当たる新譜の今作に於いて、自ら構築する音世界ここに極まれりといった感すら窺わせるIQ であるが、バンドデヴューから30周年というアニヴァーサリーな意味合いを含め原点回帰に立ち返ったであろう前作…無論作風こそ進化したが、キーボーダーを除くデヴュー当時のメンツが再び集結した気運は決してワンオフな乗りで終わる事無く、揺ぎ無い確固たる決意表明を打ち出したまま今作への収録に臨んだだけにその並々ならぬ意気込みと熱意が全曲の端々から伝わってくる。
アルバムタイトル並び収録曲名に至るまで時代が抱えている危機や焦燥感をも想起させる意味深な韻を踏んでおり、重々しく畳み掛けるサウンドワークの巧みさに加え、ヘヴィとリリシズムのせめぎ合いがドラマティックにして人間の心の奥底に潜む暗部をも投影しているかの様ですらある。
97年の傑作『Subterranea』に次ぐ久々の2枚組大作である事も然る事ながら、もはや御大ジェネシス影響下やリスペクトから完全に脱却した、彼等が構築するブリティッシュ・シンフォニックの真髄と王道が徹頭徹尾脳裏に響鳴する傑作以外の何物でもない、齧り聴き厳禁なプログレッシヴ・ロックファンが今の時代にこそ聴くべき珠玉の一枚であろう。
Facebook IQ
2.FLYING COLORS/ Third Degree
(from U.S.A)
1.The Loss Inside/2.More/3.Cadence/
4.Guardian/5.Last Train Home/6.Geronimo/
7.You Are Not Alone/8.Love Letter/9.Crawl
過去を遡ればディキシー・ドレッグス始めドリーム・シアター、スポックス・ビアード、果てはトランスアトランティックといったアメリカン・プログレッシヴロック史を彩り一時代を築いてきた名立たる大御所クラスのバンドから、名うての実力派ミュージシャンの猛者達が結集した名実共にスーパーバンドの名に恥じない称賛を得ているフライング・カラーズ 、本作品は実に5年振りの新譜に当たる3作目であり、アメリカン・プログレッシヴの良心とロックスピリッツが見事に結実したともいえる秀逸な好作品に仕上がっている。
2012年の結成当初からスティーヴ・モーズを筆頭にニール・モーズ、マイク・ポートノイ、そしてケーシー・マクファーソン、デイヴ・ラルー不動の5人のラインナップは今作でも健在で、誰一人決して欠ける事無く改めてプログレッシヴ・ロックに対する思いと志、そして結束力の固さと信念が全曲の端々からも窺い知れよう。
曲によってはストリング・セクションをバックに配し、アメリカン・ロックならではの大らかさや懐の広さが垣間見える一方、ブリティッシュ&ユーロピアンの持つ知性とリリシズムすらも散見出来て、文字通りワイルド&ハードな表情の中にインテリジェントでアーティスティックな側面が見事にコンバインした彼等の最高傑作に成り得たと言っても過言であるまい。
近年のカンサスや毛色こそ違うがイズの新譜にも肉迫するであろう、北米プログレッシヴのプライドと底力に胸が熱くなる様な極上の渾身作を御賞味あれ!
Facebook Flying Colors
3.BLANK MANUSKRIPT/ Krásná Hora
(from AUSTRIA)
1.Overture/2.Foetus/3.Achluphobia/
4.Pressure Of Pride/5.Shared Isolation/
6.Alone At The Institution/7.Silent Departure/
8.The Last Journey
21世紀の欧州はオーストリアから、2008年人知れずデヴューを飾った数年後漸く我が国にその名が知られる事となった、70年代イズムのヴィンテージカラーとサウンドワークを脈々と継承した申し子ブランク・マニュスクリプト 。
キーボーダー兼コンポーザーのDominik Wallnerを筆頭に、ベースのAlfons Wohlmuth、そしてサックスからフルート、ギター等をマルチに手掛けるJakob Aistleitner(デヴュー時はゲスト参加)をメインに、2015年ホロコーストを題材にした2nd『The Waiting Soldier』からギタリストPeter Baxrainer、2018年地元ラジオ局主催のスタジオライヴ収録盤(限定リリース)からドラマーJakob Siglの両名が参加し今日までに至る次第であるが、フロイド始めクリムゾン、VDGGといった英国プログレッシヴの大御所からの影響下を物語るかの様に、プログレッシヴの常套句でもある「暗く深く重く」といった合言葉を見事に実践したダークで且つ陰鬱さを湛えた、時流のトレンドとは凡そ無縁なフィールドで展開し、あたかも我が道を貫く巌の如き精神で製作された新譜3rdの今作も、多種多様な人種が描かれた意味深な意匠に加え“個(孤独)”とコミュニズムとの対峙といった重々しいテーマをサウンドに転化した、徹頭徹尾ユーロ・シンフォニックとジャズロックの狭間で響鳴する…一朝一夕では為し得ない孤高にして崇高なる哲学と闇の美学が聴く者の脳裏に木霊する事だろう。
同国の新鋭マインドスピークとは真逆に位置する、聴けば聴くほど癖になりそうな危険な香りを放ち続ける要注意バンドであると共に、かつてのイーラ・クレイグすらも凌駕する曲者感が半端でない事だけは断言出来よう。
Facebook Blank Manuskript
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