幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 19-

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 12月最初の「夢幻の楽師達」は、70年代の第一次プログレッシヴ・ロック黄金期の夜明け前に活躍した伝説的にして幻の存在とも言える…まさしく知る人ぞ知るサイケデリアやアートロックといった概念をも超越し、その一貫した独創的な音楽スタイルを誇りつつ、決して伝説や幻云々で済ませるには余りにも惜しまれるであろう、アートロック→プログレッシヴ黎明期に青春を捧げ一時代を駆け抜けていった“アイズ・オブ・ブルー”に今再び光明を当ててみたいと思います。
 更に今週の「一生逸品」ではそのアイズ・オブ・ブルー改名後の発展的バンドとして、自らの類稀なる音楽性を一気に開花させた名匠ビッグ・スリープも登場します。
 さながら前後篇スタイルでお送りする12月第一週目の『幻想神秘音楽館』をどうぞ御堪能下さい。

EYES OF BLUE
(U.K 1965~1971)
  
  Gary Pickford‐Hopkins:Vo
  Wyndham Rees:Vo
  Ray“Taff”Williams:G
  Ritchie Francis:B
  Phil Ryan:Organ,Piano,Mellotron
  John Weathers:Ds

 アイズ・オブ・ブルーの名を初めて知ったのは、久々に上京した際に新宿ガーデンシェッドの林店長に勧められて購入したシンコーミュージック刊の赤表紙『#017 UK PROGRESSIVE ROCK』の92ページに載っていたのがきっかけだった。
 私自身恥ずかしながら初めて見聞きする名前のバンドだったが故に、60年代末期のバンドながらもあの当時にしては一歩突出した意味深なジャケットアートの装丁に加え、何とも神秘的な響きの未知なる期待感を抱かせるには十分過ぎるインパクトがあったのも正直なところである。
 ひと昔前の若い時分、クレシダ始めグレイシャス、T2、果てはアフィニティー、インディアン・サマー、スプリング、ツァール、ディープ・フィーリング…etc、etcと色めき立って、なかなか入手困難で手が出せないブリティッシュのレアアイテムに思いを馳せ、夢中になって音の想像を張り巡らせていたものだったが、今にして思えばあの当時の自分はまだ若さと情熱に任せていただけの青二才で認識・知識不足だったんだなァと反省することしきりである(苦笑)。
 最もプログレッシヴ・ロック専門誌と謳っていたマーキー編集部ですらもブリティッシュ・ロック集成等で掲載していなかったのだから、当時は如何にネット等の情報網が少なく乏しく未整理だったかが伺い知れよう…。
 考え方や捉え様によってはアイズ・オブ・ブルーは、所謂知る人ぞ知るまさしく“通好み”のバンドだったのかもしれない。
 21世紀の今やCD化ないしダウンロードで簡単に音源が入手出来る御時世、御多聞に漏れずアイズ・オブ・ブルーもバイオグラフィーが判明し、過去に何度かブート紛い(それに近い形で2in1形式のものも含めて)を思わせる形でCDリイシューされているが、結果的にはめでたくイギリス本国のESOTERICから新規リマスターされた正規のCDリイシューが為され、ディスクユニオンを経由して国内盤がリリースされた事もあったが故、ここに改めて彼等の道程を振り返ってみたいと思う。
 国内盤のライナーと解説で舩曳将仁氏が詳細に綴っているので、ここでは敢えて重複を避けて簡単に触れていく程度に留めておきたいと思う。

 今更言うには及ばない話ではあるが…改めて60年代半ばから70年代初頭にかけてのブリティッシュ・ロックの奥深さとその層の厚さたるや、思っていた以上に我々の予想をも遥かに上回る迷路の如く複雑怪奇で脈々と乱立されたムーヴメントであったという事をつくづく思い知らされるのが正直なところであろう。
 全世界を席巻していたビートルズ人気を皮切りに、イギリス国内でめきめきと頭角を現していたザ・フー、デヴュー間もないプログレッシヴ前夜のムーディー・ブルース、サイケデリアの新鋭として注目を浴びていたピンク・フロイド…等、ロックンロール、ブルース、ビートポップス、サイケデリックと多岐に枝分かれしていた時代から徐々にアートロック、プログレッシヴへと転換が試みられた60年代後期に於いて、百花繚乱と多種多才なアーティスト達がこぞってブリティッシュ・ロックムーヴメントで犇めき合っていたさ中、1964年南ウェールズで今回の主人公であるアイズ・オブ・ブルーの物語は幕を開ける事となる。

 Wyndham Reesを始めRay“Taff”Williams、そしてRitchie Francisの主要メンバーに加えて、リズムギターのMelvin Davies、ドラマーのByron Philipsによる5人編成で、R&BをベースとしたサウンドのTHE MUSTNGSを母体とし、Byron PhilipsからDave Thomasにメンバーチェンジと同時にバンド名もアイズ・オブ・ブルーに改名し地道に音楽活動を続けるも、程無くしてMelvin Daviesがバンドを去る事となり1966年まで4人編成で活動を継続。
 転機となった1966年に幅広い音楽性への転換と強化を図る上で、バンド仲間の伝でキーボード奏者のPhil Ryan、そしてヴォーカリストでギターも弾けるGary Pickford‐Hopkinsを迎え、ドラマーもDave Thomasから後年ビッグ・スリープ並びGGの名ドラマーとして名声を馳せる事となるJohn Weathersへと交代し、アイズ・オブ・ブルーはイギリスとアメリカそれぞれ質感の異なるサイケデリック・スタイルなサウンドを謳いながらも、様々な側面と多彩(多才)な楽曲センスをも垣間見せる変幻自在でカラフルなリリシズムを湛えたソフトロックやアートロック的なエッセンスをも内包し、漸く時代相応に即したバンドとしての体制を確立させる事となる。
          
 同年彼等はイギリスの音楽誌メロディーメーカー主催のコンテストで見事に優勝を飾り、それに併行して大手のデッカと契約を交わしカヴァー曲を含む「Up And Down / Heart Trouble」でシングルデヴューを飾る事となるが、思っていた以上にセールスは記録せず、翌1967年2枚目のシングル「Supermarket Full Of Cans / Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart」をリリースするものの、これも泣かず飛ばずのセールス不振で散々たる結果に終わり、デッカとの関係も悪化し半ば放り出される様な形でマーキュリーに移籍する事となる。
 ちなみに不振に終わったシングルから“Heart Trouble”と“Supermarket Full Of Cans”そして“ Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart”の3曲が後々の2012年にスウェーデンのFLAWED GEMSレーベルから(ややブート紛いな形で)リリースされたリイシューCDのボーナストラックに収録されているので、興味のある方は是非そちらもお聴き頂きたい(苦笑)。
  マーキュリー移籍後の彼等はデッカ放出という憂き目を教訓に以前にも増して精力的に音楽活動をこなし、1968年にはヘンデル作のオペラにインスパイアされたA面とビートルズ・カヴァー曲のB面というシングル3枚目「Largo / Yesterday」をリリースし、漸くある程度のセールスと知名度を得ていく次第であるが、人気に火が付き始めたと同時にフランスと日本でもB面のYesterdayから“Crossroads Of Time”(翌1969年リリースのデヴューアルバムのタイトルにもなった)に差し替えたシングルがリリースされる運びとなる。
 余談ながらもビートルズナンバーの差し替えは多少なりとも著作権絡みを匂わせるものであるが、日本盤シングルの邦題「愛のラルゴ」に記されていた“アメリカの人気グループ”というくだりには苦笑せざるを得ない(イギリスのグループであるのに、当時の責任者を呼べ!と声を大にして言いたいところでもあるが)。
 アイズ・オブ・ブルーに改名後、紆余曲折を経て1969年マーキュリーから数曲のカヴァーナンバーを収録した待望のファーストアルバム『Crossroads Of Time』をリリース。
     
 それと前後して彼等のサイケなポップス+クラシカルな趣が加味された音楽センスに惚れ込んだアメリカ人名プロデューサーのクインシー・ジョーンズの招聘で映画のサントラという大仕事が舞い込むものの、結局すったもんだの挙句映画の製作がお蔵入りするという憂き目に遭う。
 が、災い転じて福を為すの諺の如く少しずつではあるがフィルム関連の仕事にも携わる様になり、時の名女優ベティ・デイヴィス主演の映画ではバンドの演奏シーンでメンバー全員が顔出し出演しているそうな(残念ながら私自身未見ではあるが…)。
 これをきっかけに当時のプロデューサーLou Reiznerの口利きでアメリカの某シンガーソングライターのバックバンドをも務める様になり一見順風満帆な軌道の波に乗りつつあるかと思いきや、肝心要の自らの創作活動とはかけ離れた方向性に疑問を感じたオリジナルメンバーのWyndham Reesがバンドを去り、アイズ・オブ・ブルーは残された5人で活動を継続していく事となる。
 オリジナルメンバー脱退という痛手を受けながらも、それでも彼等は臆する事無く逆境をバネに発奮し同年早々と自身の代表作にして渾身の一枚となった2作目『In Fields Of Ardath』を完成させ、同時進行で4作目のシングル「Apache '69 / QⅢ」をリリースする。
 2作目のオープニングを飾る“Merry Go Round”こそ、まさしくアートロック&サイケデリックの時代から70年代プログレッシヴ時代夜明け前への移行とも言うべき橋渡し的とも取れる好ナンバーで、ブリティッシュ・ロックが持つ古き良き英国伝統の佇まいと抒情性すら散見出来るクラシカル・シンフォニックポップの真骨頂とも言えるだろう。
          
 余談ながらもこの“Merry Go Round”こそが、前出のお蔵入りになった映画のサントラで使用される為に用意されていた曲であるという事も付け加えておかねばなるまい…。 
 …が、運命の神様とは何とも意地悪で気まぐれとでも言うのか、“Merry Go Round”共々素晴らしい楽曲で占められた2ndも意欲的な試みのシングルも予想と期待に反して売れ行きは伸び悩み、セールス不調と商業的にも失敗という烙印を押された彼等はデッカに引き続きマーキュリーからも放出を余儀なくされてしまう…。
 いつの時代も素晴らしいセンスと類稀なる才能に満ちた音楽作品が必ずしも売れると限らないのは素人目に見ても何とも皮肉な限りである。
 この商業的失敗(この言葉嫌いだよなァ)でメンバーはすっかり意気消沈し、バンドとしての活動も停滞気味に陥るが、唯一ドラマーのJohn Weathersだけはメンバーを励ましつつ、個人的な対外活動としてウェールズの旧知のバンドに協力しアルバム製作に勤しみながら、先のプロデューサーLou Reizner共々アイズ・オブ・ブルーの起死回生を窺っていたが、その2年後の1971年…プロデューサーの尽力の甲斐あってアイズ・オブ・ブルーはB&Cレーベル傘下の新興ペガサスレーベルと契約を交わし、バンド名も改め新バンドBIG SLEEP(ビッグ・スリープ)として再出発を図る事となる。

 …to be continued

 ※ 「一生逸品」BIG SLEEPの章へと続く。

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一生逸品 BIG SLEEP

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 今週の「一生逸品」は先日の「夢幻の楽師達」で取り挙げたアイズ・オブ・ブルー(EYES OF BLUE)の流れを汲み音楽的発展を遂げた、心機一転…改名後アンダーグラウンドな範疇ながらもその独特な個性と世界観で70年代ブリティッシュ・プログレッシヴムーヴメントに於いて、唯一無比の隠れた傑作と誉れ高い“ビッグ・スリープ”が遺した唯一作に今再び焦点を当ててみたいと思います。

BIG SLEEP/Bluebell Wood(1971)
  1.Death Of A Hope/2.Odd Song/
  3.Free Life/4.Aunty James/
  5.Saint And Sceptic/6.Bluebell Wood/
  7.Watching Love Grow/8.When The Sun Was Out
  
  Gary Pickford‐Hopkins:Vo
  Ray Williams:G
  Ritchie Francis:B
  Phil Ryan:Organ, Piano
  John Weathers:Ds

 (あらすじ形式で)先日の「夢幻の楽師達」アイズ・オブ・ブルーより…1964年南ウェールズ地方の若者達Wyndham Rees、Ray“Taff”Williams、Ritchie Francisを中心に結成されたTHE MUSTNGSを母体に、ブリティッシュ・ロックの新時代に呼応した形でバンド名をアイズ・オブ・ブルーへと改名後、幾度かのメンバーチェンジを経てPhil Ryan、Gary Pickford‐Hopkins、そしてJohn Weathersを迎え、サイケデリックなサウンドスタイルにクラシカルでソフト&アートロックのエッセンスを融合させた彼等独自のオリジナリティーで徐々に頭角を現して、大手音楽誌メロディーメーカー誌主催のコンテストで優勝を飾ると同時に、老舗名門のデッカと契約を交わしカヴァー曲を含む「Up And Down / Heart Trouble」でシングルデヴューを飾るものの、セールス的に伸び悩むという辛酸を舐めさせられ、その後のシングルリリースもヒットには繋がらず結果的にデッカから放出され、マーキュリーに移籍後はデッカでの雪辱を晴らすべく精力的に創作活動に没頭邁進し、その結果ビートルズのカヴァーを含む3作目のシングル「Largo / Yesterday」で漸く相応のセールスと知名度を得てフランスと日本でもその名が知られる事となる。
 そんな紆余曲折と試行錯誤を経て1969年に待望のデヴューアルバム『Crossroads Of Time』をリリースし、漸く次への展望が見え始めた矢先、長年苦楽を共にしてきたオリジナルメンバーWyndham Reesがバンドを去り、5人編成に移行し同年末頃2ndアルバム『In Fields Of Ardath』と立て続けにリリースするものの、素晴らしい作品内容とは裏腹に予想と期待に反して売れ行きは伸び悩み、セールス不振に加えて商業的失敗という烙印を押された彼等はデッカに引き続きマーキュリーからも放出を余儀なくされてしまう…。
 このことでメンバーはすっかり意気消沈しバンドとしての活動も停滞気味に陥るが、唯一ドラマーのJohn Weathersだけはメンバーを励ましつつ、アイズ・オブ・ブルーを支え続けてきたプロデューサーLou Reizner共々バンドの起死回生を窺っていたが、2年後の1971年…プロデューサーの尽力の甲斐あってアイズ・オブ・ブルーはB&Cレーベル傘下の新興ペガサスレーベルと契約を交わし、バンド名も改め新バンドBIG SLEEP(ビッグ・スリープ)として再出発を図り、漸く70年代ブリティッシュ・ロックの第一線のバンドとして返り咲く事となる。 

 …と、ここまでがアイズ・オブ・ブルーが辿った道程のあらましであるが、精力的な活動に加え60年代末期から70年代第一期ブリティッシュ・プログレ黄金時代への架け橋的なポジションを担ったとはいえ、その概ねが不運と不遇一色だった1969年の嫌な思い出を一気に払拭せんと言わんばかり、ビッグ・スリープ改名後の彼等は心機一転と起死回生の如く新たに生まれ変わったバンドとして、時代相応に則ったサウンドスタイルとコンセプトを表明し、たとえそれがアイズ・オブ・ブルー実質上の3作目なんぞと揶揄されたとしても、もうそれは過去の事と振り切った潔さと気概すらも禁じ得ない。
 アイズ・オブ・ブルーの2nd期と全く変動の無い5人のラインナップであるが、改名し新たな再出発を図っただけに決して前バンドの延長線上ではない、サウンドスタイルの変化と発展に加え何やらタダナラヌ雰囲気のジャケットアートからもその意気込みと姿勢が顕著に窺い知れよう。
 言わずもがなやはり醜悪で邪悪な悪夢世界(ホラーゲームの『サイレント・ヒル』に登場しそうなクリーチャーか、或いは東映特撮ヒーローの名作『超人バロム1』に登場するウデゲルゲみたいだと揶揄する輩もいた…とか)が描かれた意匠を御覧になって、多かれ少なかれ中古廃盤専門店にて高額プレミア扱いで壁に掛かっていたとしても手を出すのも躊躇してしまいがちになるのはいた仕方あるまい(苦笑)。
 バンドの再出発にしてはあまりにミスマッチなデザインに賛否が分かれるところではあるが、メンバーの誰かが見た悪夢がモチーフになったとの逸話があったりと諸説あるものの、音楽活動に疲弊しセールス不振とレコード会社からの放出でメンバーの誰しもがトラウマに近いプレッシャーを抱いたまま、そんな見たくもない悪夢に苛まれていたのも大いに頷けよう…。
 むしろバンドを放出した以前のレコード会社や音楽業界の偉いさん達に対し、“こんな悪夢を見るくらいに傷ついた俺達の苦悩をお前ら分かっているのか!”と当てつけと言わんばかり、あたかもメジャーなレコード会社をも呪っているかの様な憤りすら感じるのは私だけだろうか(苦笑)。
 まあジャケットが何かと物議を醸している分、幾分損をしている感のビッグ・スリープの本作品ではあるが、醜悪な見た目に反し楽曲含め作品全体の内容としては、同年期のアフィニティーやスプリング、インディアン・サマー、グレイシャスの1st、クレシダの2ndと並ぶアンダーグラウンドな範疇ながらも正統派ブリティッシュ・プログレッシヴの伝統と王道を地で行く、やはり看板に偽り為しの言葉通り名実共に傑作級の名盤であると言っても過言ではあるまい。
          
 冒頭1曲目から泣きの旋律を帯びた感傷的でドラマティックなピアノが胸を打ち、さながらイギリス特有の陰影な空気と哀愁の冬空の下、枯葉が朽ちた田舎道を踏みしめながら歩く寂寥感にも似た筆舌し難い味わい深さが堪能出来るであろう。
 メロトロンを多用していたアイズ・オブ・ブルー時代とは打って変わって、本作品では大々的にストリング・セクションをバックに配し、かのイタリアの名盤クエラ・ベッキア・ロッカンダの2ndに負けず劣らずなクラシカル・ロックを創作しており、哀感に満ちた序盤から徐々にアイズ・オブ・ブルー時代の名残すら感じさせるであろう仄かな明るさを伴ったメロディーラインとコーラスパートに転調する様は、まさしく新バンドとしてのプライドと面目躍如すら聴き手に抱かせるオープニングに相応しい好ナンバーと言えるだろう。
 終盤にかけて再びストリング・セクションとピアノ、ハモンドによる序盤の流れを汲んだ哀感と憂い漂う曲想へ戻る辺り、タイトル通りの“希望ある死”そのものを謳っていると言えよう。
 崇高でややカトリシズム風で厳かなハモンドに導かれ、アコギとピアノに追随するかの様に歌われるバラード風な味のあるジェントリーなヴォーカルが印象的な2曲目も素晴らしい。
 思わず初期のZEPにも相通ずるブルーズィーでメランコリックなメロディーラインに心揺さぶられ、中間部から終盤にかけての思わず意表を突いたかの様なロックロールな転調すらも何ら違和感を感じさせない曲作りの上手さには脱帽ものである。
 2曲目に負けず劣らず3曲目もソウルフルでブルーズィーな旋律全開で、あの当時の時代感と空気をたっぷり含んだ英国ロックの懐の広さが垣間見える。
 如何にも70年代を感じさせるハモンドの使い方に、あの独特の時代の音色に魅入られた方々には背筋が凍りつく位な衝撃と感銘が再び甦ること必至と言えよう。
 4曲目、小気味良くて1曲目とはまた違ったドラマティックさを醸し出したピアノをイントロダクションに、アイズ・オブ・ブルー期で感じられた初々しさにも通ずるお洒落でどこかノスタルジックすら感じさせるブリティッシュ・ポップ・フィーリング溢れる素敵な小曲で、個人的には一番好きなナンバーと言えるだろう。
 ルネッサンス期のバロック音楽をも彷彿とさせるアコギとハモンドのイントロに、思わずフォーカスの面影すらも連想させる5曲目は、ブリティッシュ・クラシカルロック全開の好ナンバーで、ワウ・ギターとドラムのギミックに加えてストリング・セクションが厳かに被り渾然一体となった様は絶妙の域を超えた感動以外の何物でも無い。
 PhilのハモンドとWeathersの軽快なドラミング、そしてコーラスパートに往年のイタリアン・ロックの幻影をも見る思いであると言うのは些か言い過ぎだろうか…。
          
 収録された全曲中唯一10分越えの長尺でアルバムタイトルでもある6曲目に至っては、説明不要の名曲と言っても異論はあるまい(ちなみにオリジナルアナログ原盤ではB面の1曲目に当たる)。
 黄昏時のイマジネーションを抱かせるような悠然とした音の流れ…ハモンド、ピアノ、そしてさり気なく挿入されるメロトロン、ゲスト参加のサックスとフルートが歌メロにコンバインし、動と静のバランスから楽曲の緩急に至るまで中弛み一切無しで一気に聴かせるメンバーの演奏技量とコンポーズ能力には舌を巻く思いですらある。
 終盤にかけて怒涛の如く白熱を帯びた各メンバーのせめぎ合うサウンドの応酬に、もはやサイケデリアやアートロック云々の概念をも超えた純音楽的な感動すら覚える。
 白熱を帯びたエネルギッシュな6曲目の余韻を残したまま、クールダウン的な趣と流れに辿り着いた7曲目は静謐で緩やかなポップフィーリングを奏でるピアノにハートウォーミングなヴォーカルが英国ポップスの伝統を感じさせる印象的な小曲に仕上がっている。
 ロンドン老舗のマーキークラブでのステージを一瞬思い浮かべてしまう粋なナンバーと言えよう。
 ラストは意外や意外…劇的でクラシカルなナンバーで占められていた本作品に於いて、唯一ビートルズ直系リスペクトな趣が堪能出来て、ハンドクラッピングが何とも小気味良いモータウン風ロックンロールなナンバーに思わず面食らってしまうものの、“ミスマッチ!!”と幾分否定的になるリスナー
の声なんぞ物ともしない、まあ…如何にも図太い神経を持った彼等らしい心憎い演出には完敗と言わざるを得ない。
 逆に言い換えれば彼等の音楽に対する真摯な姿勢と懐の広さ、果てはヴァラエティーに富んだひき出しの多さには改めて感服するとしか言い様があるまい。

 …が、しかし悲しいかなこれだけ独創性に富んで意欲的に満ち溢れた画期的な好作品であるにも拘らず、時代の波に乗る事無くセールス的にも伸び悩み、彼等の新たなる挑戦は敢え無く完敗し(やっぱりジャケか!?)、ビッグ・スリープはそのバンドネーミング通りの道を辿り、その“大いなる眠り”の如く静かに幕を下ろし表舞台から人知れず去っていったのである。
 その後の各メンバーの動向と消息については各方面でかなり触れられているので、要約するとヴォーカリストのGary Pickford‐Hopkinsはビッグ・スリープ解散後、ジェスロ・タルのベーシストだったGlenn Cornick と共にワイルドターキーを結成し(一時期John Weathersも参加していた)、アルバム2枚をリリースし解散後はリック・ウェイクマン始め山内テツと共に活動を共にし、その後は旧知の元メンバーだったRay Williamsと再び合流しブロードキャスターを結成。
 2003年には初のソロアルバム『GPH』、2006年には先のワイルドターキーを再結成し『You & Me In The Jungle』をリリースし話題を呼ぶものの、残念な事に2013年に不治の病に倒れ帰らぬ人となってしまう。
 Ray Williams、Phil Ryan、John Weathersの3人はビッグ・スリープを経て、ピート・ブラウンのバックとしてレコーディングに参加した後、各々が目指すべき道へと活路を見出していく。
 John Weathersはもう御存知の通り、Gary Pickford‐Hopkinsの誘いを受けて先にも触れたワイルドターキーに籍を置いていたものの、長い間の演奏活動続きで心身ともに疲弊してしまい、音楽関連から一時期身を引いて介護施設の看護士やカーペットの運搬で生計を立てていたそんな矢先に、旧知
の間柄だったジェントル・ジャイアント(GG)のシャルマン兄弟からの誘いで、GGの3代目ドラマーとして加入し以後バンド解散までGGの黄金時代を支え、解散後はPhil Ryanからの誘いでマンに参加したり再結成したワイルドターキーにも関わっていたが、その後大病を患って事実上音楽活動からも遠ざかり半ば引退に近い形で今日に至っている。
 Phil RyanとRay Williamsは今でも親交があり、Philに至っては長年出入りを繰り返しているマンに現在もなお関わっており、PhilとRayの連名によるニュートロンズでの活動並び先のピート・ブラウンとのユニット活動でも有名である。
 ベーシストのRitchie Francisは1972年にソロ作品を発表後、その後の消息は残念ながら分からずじまいであるのが悔やまれる…。
 60年代末期以降から今日に至るまで、栄光と挫折、紆余曲折、自問自答、試行錯誤の繰り返しで、浮き沈みの激しいブリティッシュ・ロックシーンの長き歴史に於いて、自らの青春と情熱を創作活動に投じてきた5人の若者達は時に笑い…時に憂い悲しみ…時に憤り…時に打ちひしがれながらも、一生懸命もがき、自らの信念に沿ってあがき続けて人生を謳歌したきた次第であるが、彼等の作品が世代と世紀を越えて今もなお愛され続け、燻し銀の如き光明と輝きを放ち続けている限り決して時代の敗者では無いという事を声を大にして言っておかねばなるまい。

 彼等の唯一作のタイトルでもあるBluebell Woodをネットで検索すると、それは“ブルーベルの森”という意を表しており、4月から5月にかけて開花するラベンダーブルーで釣鐘状の花弁を持つイングリッシュ・ブルーベルが密集して咲き乱れて、まるであたかもカーペット状に覆われていく様の総称であるという事を付け加えておきたい。
            
 彼等は決して日陰に咲く花ではなく、燦々と光が降り注ぐ太陽の下で栄光を夢見続けた誇り高き美しい花でもあり、大いなる眠り=大いなる夢見人であったのかもしれない。
 醜悪なジャケットがマイナスイメージあるという事に臆する事無く、自らが描く音世界に素直な気持ちで臨み志高く英国のロックシーンを駆け抜けていった彼等の勇気と飽くなき挑戦に、私達は改めて敬意を表し今こそ心から大きな拍手を贈ろうではないか。

夢幻の楽師達 -Chapter 20-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、暮れの時節柄に相応しく仄暗い夕闇の冬空と重く垂れ込める曇天の寂寥感を湛えたエキセントリックでリリカルな調べと旋律を奏でる、フレンチ・ロック界きっての職人芸の域にも似た、伝説云々をも超越し現在(いま)を生き続ける…魂が震える位に渾身の楽師達でもあり、名匠ともいえる位置に君臨する“カルプ・ディアン”に、今再び輝かしいスポットライトを当ててみたいと思います。

CARPE DIEM
(FRANCE 1976~)
  
  Christian Trucchi:Key, Vo
  Gilbert Abbenanti:G 
  Claude-Marius David:Flute, Sax, Per
  Alain Bergé:B
  Alain Faraut:Ds, Per

 70年代初頭のフレンチ・ロックシーンに於いて、コバイアストーリーを引っ提げてジャズロック界のの巨人となったマグマ、多国籍編成ながらもスペイシーでサイケデリックカラーのゴング、そして後年のフレンチ・シンフォニックへと繋がる潮流の源となったロックテアトルの大御所アンジュといった三巨頭によって、名実共にフレンチ・プログレッシヴは本格的な幕開けを告げる事となったのは最早言うには及ぶまい。
 三巨頭に追随するかの如く、ザオ、エルドン、クリアライト、トランジット・エクスプレス、ラード・フリー、マジューン、アール・ゾイ、ワパスー、アトール、モナ・リザ、ピュルサー、タイ・フォン…etc、etcが世に輩出され、各々が異なったサウンドスタイルと独創性を打ち出しつつもフレンチ・プログレッシヴはイタリアやドイツとはひと味ふた味も違った独自のシーンを形成し、多種多彩で百花繚乱…大雑把に言ってしまえば雑多でカテゴライズ的にも捉えどころの無い、まさしく国民性とお国柄が如実に反映されたロック繁栄期の一時代を築いたと言っても異論はあるまい。
 そんな70年代フレンチ・プログレッシヴが最も熱気を帯びて隆盛を誇っていたであろう1973~1976年頃を境に、今回本編の主人公でもあるカルプ・ディアンも御多聞に漏れず、自らの音楽人生と信念を携えてフレンチ・ロックのメインストリームに身を投じる事となった次第である。

 フランスきってのリゾート観光地で諸外国からもバカンスに訪れるニースを拠点に、1969年当時ハイスクールの学生で若かりしティーンエイジャーでもあったキーボーダーのChristian Trucchi を中心にカルプ・ディアンの母体ともいえるバンドが結成される。
 …とは言えひっきりなしにメンバーの交代やら出入りが激しかったさ中、音楽性やら方向性すら曖昧模糊で手探りと紆余曲折の足踏み状態が続き、1970年に加入したベーシストのAlain Bergéからの提案と助言で次第にプログレッシヴ色を強めた作風へと移行し、更にギタリストのGilbert Abbenanti を迎えバンド名も正式にカルプ・ディアンへと改名する頃には、プロコル・ハルム始めムーディー・ブルース、ジェスロ・タル、そして彼等の後々の音楽性の方向をも決定付けた御大のクリムゾンといったサウンドレパートリーやカヴァー曲でステージに立つ機会が多くなる(ちなみにバンド名の意は、紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句“その日を摘め”を表している)。
 と、同時にカヴァー曲をプレイする一方で徐々に彼等自身の手による大作主義のオリジナルナンバーがステージ上で披露される回数も増していき、この時点でもう既にデヴューアルバムに向けたトラックナンバーやアイディアが立ち上がっていたものと思われる。
 余談ながらもキーボーダーのChristian自身、まだ素人に毛の生えたアマチュアの域だった当時、限られた使用機材を如何に有効活用してプログレッシヴな音域と幅の拡がり方が出来るのか…試行錯誤の末彼が所有していたオルガンをデイヴ・スチュアート風なスタイルに改造したというのだから並大抵の苦労の程が窺い知れよう(苦笑)。
 1971年、僅か数枚のプレスで自主流通によるセルフシングルをリリースし、同年夏にはフランス国内でのアマチュア・バンドコンテストで見事に優勝を飾りバンドは遂にパリに進出、数々のギグに参加し聴衆から拍手喝采で迎えられ、軌道の波に乗り始めたカルプ・ディアンは漸く船出の準備へと漕ぎ着けるまでに至った次第である。
 それ以降は地元ニースでの高い知名度の甲斐あって日々ギグに明け暮れつつ、デモテープを製作してはレコード製作と契約に繋がるきっかけを求めて多方面のレコード会社に音源を送ってはなしの礫やら門前払いを喰らうといった繰り返しで数年間は辛酸を舐めさせられ不遇の時期を送る事となる。 
 ChristianとGilbertの主要メンバーを残し相も変わらずメンバーの交代劇(ヴォーカリストが居たり居なかったり、ヴォーカルレスのインスト中心で活動していたなんて事も…)が続いてはいたものの、かのヴィジターズに参加の為一時的にバンドから離れていたベーシストのAlain Bergéがバンドに復帰したのを契機に、今までの素人臭い考えやらアマチュア意識を全て排しカルプ・ディアンは本格的にプロへの道を歩む事を決意する。
 ドラマーも正式なメンバーとしてAlain Farautが加わり、サウンド面での更なる強化を図る為サックス兼フルート奏者のClaude-Marius Davidを迎えた5人編成にプラスして、ライトショーと作詞を担当の表には出ない6人目のメンバーとしてYves Yeuを加えた布陣でカルプ・ディアンは大いなるプログレッシヴ・フィールドの大海原へと船出に臨んだ次第である。
 1975年、フランス全土にてオンエアされていた若手アーティストの発掘番組(日本でいうところの『イカ天』みたいなものだろうか…)で、カルプ・ディアンはデヴューアルバムの冒頭となった“ Voyage du Non-Retour”を演奏し聴衆並び番組の視聴者から大絶賛され、偶然にもこの模様を拝見していたフレンチ・プログレッシヴの仕掛け人にして、アンジュのマネジメントのみならず幾数多もの前途有望なフレンチ・プログレッシヴバンドを発掘し、蠍を模したギターマークで御馴染みのArcane/Cryptoレーベルのオーナーでもあった Jean-Claude Pognantに見い出され、お互い呼応するかの如く程無くしてArcaneレーベルと契約を交わし、バンドサイドの意向でセルフプロデュースによる10日間のスタジオ使用期限という条件の下でデヴューアルバムの録音に臨む事となる。
           
 彼等のデヴュー作を語る上で忘れてはならない、あたかもエッシャーやマグリットを彷彿とさせる騙し絵の如き幻想的な意匠にあっては、ニース在住のバンドの友人のほぼ無名に近い素描画家の手によるもので、フレンチ・プログレッシヴの歴史に於いて個人的な嗜好で申し訳無いが…ピュルサーの『Halloween』、エマニュエル・ブーズの『Le Jour où les Vaches...』と並ぶ逸品に仕上がっていると思う。
 白と黒との醸し出すエクスタシー、漆黒の闇に木霊する音宇宙の残響、ヘヴィネスとリリシズムとの狭間に流れる唯一無比な孤高なる調べ、それらが渾然一体化しアートワークの世界観を綴り物語っている様はロックテアトルでも抒情派シンフォニックでもない、人間の心の奥底の深淵に潜む混沌(カオス)と情念(パッション)とのせめぎ合いと発露に他ならない。
 しいて言ってしまえば、クリムゾンのエッセンスにシャイロックのセンス、ピュルサーの持つ音宇宙の微粒子の煌めき、儚くも美しい…仄暗く朧気な回廊を夢遊病者が彷徨うかの様なシチュエーションすらも禁じ得ない。
                
 迎えた1976年2月、待望のデヴュー作『En Regardant Passer le Temps』の初回プレス5000枚は瞬く間に完売し、以後ArcaneからCryptoレーベルへと改名してからもリリースされたものの悲しいかな見開きジャケットではない単なるシングルジャケットに移行してしまったのが何とも惜しまれる。
 ちなみに評判を聞きつけたカナダのレーベルSterlingがアルバムを200枚買い取り、それに端を発した権利云々のすったもんだで、最終的にはカナダのローカルプレスオンリーならば許諾するという条件で一応の決着までに至り『Way Out As The Time Goes By』なる英訳タイトル盤がリリースされた逸話まで残っている。
 デヴューアルバムリリースに先駆け76年1月にナンシーで開催されたロックフェスで、アンジュ、モナ・リザ、タンジェリーヌと共演したカルプ・ディアンはフランス国内で完全に認知され人気を博すまでに成長を遂げ、デヴューアルバムも最終的にはフランス国内で10000枚以上、諸外国でも1000枚以上の好セールスを記録し、同時期にリリースされたアトールの『L'Araignée-Mal(夢魔)』と共に音楽誌で高評価を得られるまでに至ったのは言うまでもなかった。
 デヴュー以降バンドは精力的に活動し、フランス国内のサーキットツアーに加えてArcaneレーベル主催のロックフェスへの参加、果ては大御所マグマとの共演を果たし彼等カルプ・ディアンは前途洋々且つ順風満帆の絶頂期を迎えつつあった。
 同年夏には次回作の為のアイディアと曲作りに着手し、その為の準備期間とスタジオの確保に至るまで前作とは打って変わって環境の違いと余裕を持たせたタイムラグのお陰で比較的ゆったりとしたペースで進行させる事となった。
 その間も交友関係のあったシャイロックのメンバーとの楽器の貸し借りやら機材の搬送協力に至るまでコミュニケーションと連携を深めていきつつ、76年12月にスタジオ入りし翌77年3月に2nd『Cueille le Jour』をリリース。
     

 前作と同様に黒の下地というジャケットスタイルこそ変わっていないが、雨粒…或いは水泡の集まりを人の横顔(女性なのだろうか)に見立てた意匠通り、サウンド的にもややシンフォニック寄りの傾向が散見され前デヴュー作で感じられた荒削りながらも硬質なヘヴィ感が薄まったというきらいもあってか、セールス的には前作には及ばなかったという向きが正しいところであろう。     
 出来栄えを含め総じて内容自体は決して悪くは無く、そこそこのセールスと収益は得られたものの、やはり直接的な原因を辿れば70年代末期に全世界を席巻しつつあったパンクとニューウェイヴの台頭の余波を受け、当時既にプログレッシヴ・ロックバンドが活躍する場が減少しつつあった時代背景に加えて音楽誌や各メディアもプログレッシヴ・ロックを取り挙げなくなった事も一因していたのかもしれないが、時代の流行り廃りとはいえ何とも実に嘆かわしい限りである。       
 同年夏に開催のロックフェスでの参加に招聘されるものの、2ndアルバムのセールス不振や今までのロードツアーとオーヴァーワークによる心身の疲弊に加えて、音楽に対する情熱が消え失意に苛まれていたギタリストのGilbertがバンドを去る事となり、バンドは急遽ベーシストAlainの旧知の間柄でもあったGérald Maciaを迎えた新布陣でフェスに臨み、そんな彼等に聴衆は惜しみない拍手と歓声で迎え入れてくれたのは言うまでもなかった。
 特に新メンバーGéraldのアコギを含めたギタープレイも然る事ながらヴァイオリンまで手掛ける多才なマルチプレイに詰めかけたオーディエンスは只々驚嘆するばかりであった。
 起死回生にGéraldという新戦力を加えた布陣で、更なる展望と3枚目の次回作に向けての気運が高まりつつある中、それでもカルプ・ディアンを取り巻く諸問題は山積している状態は続き、特にマネジメント不足という問題は彼等を大いに悩ませた。
 が、不退転の決意表明よろしくとばかりに、バンドの窮地を救う為ベーシストのAlain Bergéは意を決しベーシストの座から離れてカルプ・ディアンの専属マネージャーへとシフトする事となる。
 Alainの後釜としてアコギとベースを兼任するGeorges Ferreroを迎えた彼等は、2ndでの反省と経験を糧に失地回復へと躍起になり、かねてからCryptoレーベル側のバンドへの待遇に疑心暗鬼を抱いていた彼等は、一念発起で所属会社のスタッフ並びオーナーのJean-Claude Pognantに対し、製作環境並び待遇の改善要求を求めて直談判へと乗り込んだ。
 しかし…悲しいかな、所属会社とバンドサイドとの折り合いがそう簡単に決着する筈も無く、結局は平行線のまま半ばCryptoサイドとの衝突と喧嘩別れに近い形で自ら契約解除を申し入れ、カルプ・ディアンはセルフレコーディングで録った新作3rdの為に準備したデモテープ一本を携えて、パリ市内のレコード会社、音楽事務所を奔走するのだった。
 しかし…時既に遅く当時吹き荒れていたパンク・ニューウェイヴの波及は、フランス国内の音楽誌やメディアを席巻しプログレッシヴ・バンドが活躍する場も大幅に激減しているという有様で、この事が彼等の創作意欲を極度に奪う形となってしまい、最早カルプ・ディアン自体も意気消沈以上にほとほと心身ともに疲れ果ててしまうという憂き目に遭ってしまう。
 3rdの新作という夢も潰えてしまい、失意を抱えたままマネージャーのAlainが企画主催したロックフェス、シンガーソングライターのバック、そして地元ニースでの20分間に及ぶテレビショウへの出演をこなしつつ、1979年の10月カルプ・ディアンはその活動に自ら幕を下ろし静かに表舞台から去って行ってしまう。

 時代は移り変わり…80年代に入ると、当時地元ニースの新進プログレッシヴバンドだったステップ・アヘッドからChristian Trucchiに是非とも参加して欲しいとの要請があったものの、音楽産業に対し疑心暗鬼とトラウマを抱いていたからなのか、Christian自身その申し出をあっさりと断ってしまい、結局Christianの代わりに妹のClaudie Truchiが加入する(フルート奏者のClaude-Marius Davidが一曲だけゲストで参加している)というオマケ話を除けば、カルプ・ディアンの各々のメンバー達は音楽業界の裏方ないし音楽以外の正業に就き暫し長きに亘る沈黙を守り続けたまま時代の推移を見守るしか術が無かったのである。

 そして21世紀を迎えた頃には時代に呼応する形で(時代が彼等に追い着いたと言った方が正しいのか)、かつてのカルプ・ディアンのメンバーは再びフレンチ・プログレッシヴのフィールドへ集結する様になり、93年に鬼籍の人となったClaudeを除き、Christian Trucchi、Gilbert Abbenanti、Alain Faraut、そして解散までの新メンバーだったGérald Macia、Georges Ferreroの両名が合流し、2015年カルプ・ディアンはムゼアより復活再結成にして3人の管楽器奏者とパーカッションを兼ねる女性ヴォーカルをゲストに迎え待望の3作目の新譜となった『Circonvolutions』をリリース。
     
 良い意味で相も変わらず白と黒を基調としたジャケットアートワークは彼等の一切の妥協を許さない硬派な音楽スタイル、創作に対する敬意と真摯な姿勢、頑なまでの身上を物語っており、大半がスタジオ新録によるナンバーがメインであるが、天国へ旅立った今は亡きClaudeへの哀悼と鎮魂を込めた意味合いで1978年のライヴから収録されたClaudeの最後の熱演が聴ける2つの未発表曲が収録されているのも嬉しくもあり感慨深いものである…。
          
 再結成し今もなお精力的に活動を継続している彼等に対し、安易な気持ちで初来日公演にクラブチッタでその雄姿を観たいとはここでは敢えて言わず、今だからこそ他言無用のまま彼等の行く末をこのまま黙って静かに見守ってやりたいというのが正直なところである。
 プログレッシヴ・ロック関連の記述でちょくちょく“伝説”という語句を冠しては美化しがちな傾向であるが、彼等は決して伝説で終わる事の無い、彼等の現在(いま)の生き様…現在進行形の歩む姿こそがリアルにして伝説そのものであるという事を結びに本文を締め括りたいと思う。

一生逸品 ARACHNOID

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 2019年師走も半ばに差しかかった今週の「一生逸品」は、70年代後期フレンチ・プログレッシヴきっての異彩(異才)にして、ダークサイドな凝視で漆黒の闇夜を彷徨うかの様な幻夢を堪能させてくれる、名実共に暗黒の申し子に相応しい闇のエナジーを現在もなお神々しく放ち続ける“アラクノイ”に焦点を当ててみたいと思います。

ARACHNOID/Arachnoid(1978)
  1.Le Chamadere/2.Piano Caveau/
  3.In The Screen Side Of Your Eyes/
  4.Toutes Ces Images/5.La Guepe/
  6.L'adieu Au Pierrot/7.Final
  
  Patrick Woindrich:B, Vo
  Nicolas Popowski:G, Vo
  Francois Faugieres:Key, Vo
  Pierre Kuti:Key
  Bernard Minig:Ds
  Marc Meryl:Vo, Per

 個人的な見解で恐縮だが…アラクノイの音楽に接する度に横溝正史の『夜歩く』を連想してしまう。
 それはあたかも意識が無いまま何かに取り憑かれたかの如く彷徨う(今でこそ禁句であるが)夢遊病者を思わせて、狂気と錯乱、苦悩と戦慄、悪夢と現実の狭間を聴く者の脳裏にまざまざと映し出す、そんなミスティックでカルトな香りすら禁じ得ない。

 70年代全般のフランスのプログレッシヴ・ロックは、花の都パリをも思わせる“百花繚乱”の言葉通り、マグマ、ゴング、ザオを筆頭格とするジャズ・ロック系、アンジュ、アトール、モナ・リザ、ピュルサー、タイ・フォン、ワパスー…等といったロック・テアトル路線を含んだシンフォニック系の
2つの動きが主流を占めていたのは周知の事であろう。
 時は流れ70年代に隆盛を誇ったフレンチ・プログレも、極一部を除いて活動休止ないし解散に近い状態にまで追い込まれ、イギリスやイタリアと同様…活動範囲をアンダーグラウンドな領域へと移行しつつ地道に生き長らえるしか術が無かった冬の時代を迎えたのである。
 そんな70年代後期と80年代の境目であるエアポケットともいうべき一種独特な時代背景のさ中、今回の主人公でもあるアラクノイは自らのバンド名を冠した唯一作を世に送り出した。
 アラクノイが初めて世に知れ渡ったのは、80年代初頭マーキー誌を経由して片翼とも言うべきもう一方の雄テルパンドルと共に70年代後期フレンチ・プログレの隠れた傑作として紹介されたのが契機であった。
 その死語にも等しいニューウェイヴ然としたジャケットの装丁と意匠に、多くのプログレ・ファンは困惑しある者は疑心暗鬼にならざるを得なかったというのも仕方あるまい。
 そんな余計な下馬評を覆すかの如く、半ば諦めにも似た期待と不安を抱いて作品を耳にした者達は皆一様に感動と興奮で高揚し、『太陽と戦慄』『暗黒の世界』の頃のクリムゾンの再来にも似た旋律(戦慄)とカタルシスが再び呼び覚まされ驚愕したのは最早言うに及ぶまい。
 バンドネーミングも“蜘蛛”という如何にも毒々しいイメージを孕んだ相乗効果(蜘蛛を表現した手のフォトグラファーのジャケット意匠含めて)が功を奏し、アラクノイは入手が極めて困難な高額プレミアムが付いてしまったにも拘らず、瞬く間に人伝を介して評判と話題を呼ぶに至った次第である。

 バンド結成の経緯に至っては、残念ながら私の拙くも乏しい語学力ではなかなか解する事が出来ず、ここは概ねある程度掻い摘んで分かったところで、ベーシストでリーダー格と思われるPatrickが、1972年に学友達と結成したバンドがルーツと思われる。
 その頃はもうバンドの核とも言うべきFrancoisと、東欧・ロシア系の血筋と思われるNicoiasが既に参加しており、影響を受けたアーティストというのも多種多彩で…クリムゾンも然る事ながらピンク・フロイド、ジミ・ヘンドリックス、ニール・ヤング、果てはビートルズにソフト・マシーン、ジェファーソン・エアプレーンといったところで、当然の事ながらその当時のバンドの方向性たるやまだまだあやふやなところが散見出来そうだが、1975年を境にバルトークを始めとするクラシックから影響を受けたPierre始め、Bernard、Marcが参加する頃になると、バンドの方向性も徐々に確立される様になった。
          
 肝心要の本作品のサウンドは、聴く者の脳裏に不安と緊張を促すかの様な機械的なシンセに導かれ流麗ながらもどこか仄暗く陰鬱なイメージのギターとファルフィッサ・オルガンが被ると、まるで罠の如く張り巡らされた蜘蛛の巣に絡まれた獲物がもがき苦しむかの様に、アラクノイが紡ぎ出す約50分近い悲劇と狂気の物語は幕を開ける(ちなみにYouTubeでは未発表曲とライヴアーカイヴを含めた1時間以上に亘る音世界が堪能出来る)。
          
 お国柄を反映したロックテアトル風な語りに近い演劇的なヴォイスに、徹底的に陰影を帯びたマイナー調の重苦しくもクリムゾンの言うところの金属的な旋律(戦慄)に支配された音の迷宮を彷彿とさせる緻密で複雑怪奇な曲進行…感情を捨て去ったメカニカルな曲展開に幼児の囁き、さざなみの様に寄せては返す悲しみのメロトロン等といった回廊の様な冥府巡りに、聴く者の心と魂は身体から遊離して(ウルトラQみたいだな…)完全に蜘蛛の巣の術中にはまり込んで抜け出せなくなっている事だろう。
 時に物悲しく嘆き、時に何かに取り憑かれたかの様に激昂しわめき散らす様なMarcのヴォイスの表現力は全編に亘って本当に素晴らしい。
 2曲目の機械的で無機質な感のピアノに導かれつつ暫し穏やかに聴き入っていると、いきなり“地獄の一丁目へようこそ”と言わんばかりなサディステックな旋律が畳み掛ける様に襲いかかり、貴方の魂はもう完膚無きまで蜘蛛の毒牙の餌食になってしまっている事だろう。
 本家クリムゾンの“人々の嘆き”を彷彿とさせる様なエロティックなギターの残響と唯一聴ける軽快なメロディーラインが印象的な3曲目も素晴らしい。
 ゲスト参加しているフルートの甘くどこか切なく渋味を帯びた演奏も味わい深い。
 余談ながらも実はこの3曲目にはちょっとした逸話があって、78年当時に初めて自主盤でリリースされた際、編集とマスタリングの段階でどういう訳か何らかの手違いが生じて、ジャケット裏にはちゃんとしっかり3曲目がクレジットされながらも、初出の原盤にはA面ラストの3曲目だけ丸々ごっそりと抜け落ちていたというから笑うに笑えない…。
 結果、1988年にムゼアから待望のLP再発された際に、この幻の3曲目が収録された完全版として漸くやっと陽の目を見る事となったのだが、まあ兎にも角にも何ともお騒がせなエピソードだった事に変わりはあるまい(苦笑)。
 3曲目フェードアウトの後を受けて4曲目のイントロは3曲目終盤部のフェードインから再び冥府巡りは幕を開ける。
 無機質+無感情でメカニカルな印象を湛えながらも金属質でヘヴィな旋律は更に加速しつつ、抒情と狂暴の狭間を応酬するメロトロンにオルガン、ギターの残響が無間地獄の宴を奏でている様は最早鳥肌ものと言えよう。
 冥府巡りも終盤近くに差し掛かると、蚊の鳴くようなか細くノイズィーで耳障りなシンセをイントロに、ジャズィーでシニカルな趣のロックンロールをバックに、台詞による語り部達の発狂を思わせる寸劇と狂騒が繰り広げられる異様な宴は、思わず耳を塞ぎたくなる怖いもの見たさと不安感が煽り立てられる。
 そして冥府巡りという悪夢から覚めたラスト“Final”に於いては、穏やかな朝もやの中の目覚めを思わせるギターとシンセの平和で詩情溢れるシチュエーションを思わせ、さながら美狂乱の“組曲「乱」~最終章〈真紅の子供たち〉”にも相通ずる唯一ピースフルなナンバーで締め括られるのかと思いきや、突如糸が断ち切られるかの如く不意を付く様に再びサディスティックにしてへヴィで狂暴な旋律と不協和音に襲われ、改めて出口の無い堂々巡りの悪夢は更に続くという驚愕な幕切れで本作品は終焉を迎える。
          
 さながら国こそ違えどイタリアのイル・バレット・ディ・ブロンゾ『YS』やビリエット・ペル・リンフェルノのラストをも想起させる邪悪なエナジーで終始した、フレンチ・ロックのアンダーグラウンドに於いて僅かたった一枚の作品だけで唯一孤高にして稀有な存在に昇り詰めたと言っても過言ではあるまい。

 理由を知る術こそ無いが、これだけのクオリティーとポテンシャルを持ちながらも彼等は唯一の作品を遺して自らを解体した次第であるが、リーダー格のPatrick Woindrichがその後ジルベール・アルトマン率いるアーバン・サックスの音響スタッフチームとして参加し、現在も数多くの音楽関連の仕
事をこなして多忙を極めており、Bernard MinigもPatrickと同様に後年数々のミュージシャン達とのセッションやバック等を務め今日までに至っている。
 ギタリストのNicolas Popowskiは音楽学校の講師、Pierre Kutiは弁護士への道を進み音楽活動から完全に退いている一方、Francois FaugieresとMarc Merylの両名は残念ながら既に鬼籍の人となっている。
 Marc Merylは1987年、そしてFrancoisは1995年移住先のブラジルで亡くなっており死因は定かではない…。

 徹頭徹尾なまでに漆黒の闇のエナジーを纏い邪悪なオーラを放ち、蜘蛛の毒牙に犯されたかの様な禁忌に満ちた唯一作を遺して、忘却の彼方へと去っていったアラクノイ。
 フレンチ・プログレッシヴという領域で、ティアンコ、ハロウィン、ネヴェルネスト、そしてシリンクスといったダークサイドなカラーを身上とした後継者が輩出されている昨今ではあるが、アラクノイに迫る禍々しさを伴ったバンドは未だ現れていないのが正直なところでもある。
 あの麻薬にも似た強迫観念なサディスティックで狂おしい戦慄の美学に再び出会える時は果たして巡ってくるのだろうか…?

夢幻の楽師達 -Chapter 21-

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 年の瀬の押し迫った今週の「夢幻の楽師達」は、色とりどりの花々が咲き乱れる百花繚乱なる天上界の楽園をそのまま音楽にしたかの如く、荘厳でリリカルな神話を紡ぎ…まさしく神々しい煌きを纏った夢幻の楽師達という称号に相応しい、80年代ジャーマン・シンフォニックに於いて珠玉の至宝的存在にして孤高なる唯一無比の音楽集団として一躍その名を世に轟かせた“エデン”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。

EDEN
(GERMANY 1978~1981)
  
  Dirk Schmalenbach:Violin, Ac-G, Sitar, Key, Per, Vo
  Annette Schmalenbach:Vo
  Michael Dierks:Key, Vo
  Anne Dierks:Vo
  Markus Egger:Vo
  Michael Claren:B, Vo
  Hans Fritzsch:G
  Hans Müller:Ds, Per
  Mario Schaub:Flute, Clarinet, Sax, Vo
  Michael Wirth:Conga, Per

 70年代イタリアン・ロックと共に双璧を成し、その多種多様なスタイルでユーロ・ロックの歴史に大きな足跡を残し、幾多もの偉業と実績を築き上げたドイツ(当時西ドイツ)のロックシーン…所謂通称ジャーマン・ロック。
 ジャーマン・ロックの王道ともいえるエレクトリック・ミュージック始め、サイケデリック、アシッド、メディテーショナル、トリップ・ミュージックといった様々なキーワードを孕みつつも、時代の推移と共にある者はニューウェイヴ、テクノ、ダンスミュージックへと移行し、またある者は映像向けの音楽へと活路を見出しているのは周知の事であろう。
 その一方でジャーマン・ロックはブリティッシュ影響下の正統派ともいえるハードロック系、シンフォニック・ロック系と更なる多岐に亘り、前者は後年のNWOBHMに参入して世界的マーケットを視野に入れ、後者はドイツというお国柄を反映したロマンティシズムとイマジンを纏った自国に根付いたロック・シンフォニーを追求し、後年に於いては幾分メロディック・シンフォへと歩み寄った作風を主流に21世紀の今日まで至っている。

 今回紹介する本編の主人公エデンも70年代後期~80年代初期に於けるジャーマン・シンフォニックの立役者としてカテゴライズされているが、彼等自身シンフォニックである一方…70年代初期のPILZレーベル時代のエムティディ、ヘルダーリン、そしてレーベルこそ違うがパルツィファルにも相通ずるカラーと系譜を擁しており、果てはスピロジャイラ、メロウ・キャンドルといったブリティッシュ・フォーク界の大御所が持っていたリリシズムとシンパシーすらも禁じ得ない。
 余談ながらも、私見で恐縮ではあるが世界的視野でフランスとカナダにもエデンという同名バンドは存在しているものの、音楽性+作風、アートのイメージからしてドイツのエデンが一番的を得ていると思うのは穿った見方であろうか…。

 遡る事1977年、ドイツのNordrhein-Westfalen州の地方都市Üdenscheidにてエデンの母体ともいえるFREIE CHRISTLICHE JUGENDGEMEINSCHAFTに在籍していた、後にエデンのコンポーザー兼リーダーとなるDirk Schmalenbachを含む3人の主要メンバーが中心となってバンドは結成される。
 エデンのメンバーの大半が身内絡みという実質上ファミリー系のバンドであり、職業もキリストの基督協会の修道関係、聖職者、或いは学校の教師、音楽学校の関係者と様々である。

 バンド結成から程無くして身内を含め多数もの協力者・支援者の賛助を得て、手作りの温もりとホームメイドなゆったりとした雰囲気、アットホーム感溢れる環境の下、1978年地元マイナーレーベルのLordよりデヴュー作『Erwartung』をリリースする(ちなみにバンドリーダーのDirkはLordレーベルのレコーディング・エンジニアも兼ねている)。
          
 “期待”という意味の通り、日本の錦絵を思わせるジャケットアートのイメージと違わぬ音楽性、太陽の輝き…大自然…都会との調和といった万物創生或いは森羅万象をも想起させ、あたかも宗教的な意味合いをも孕んだ奥深く哲学的なテーマが全曲の端々から垣間見えつつも、開放的で洗練された明るさを伴ったサウンドはまさしく新たな時代への予見すら抱かせるエポックメイキングな傑作として、ドイツ国内の各方面から賞賛を得てエデンは幸先の良いスタートを切る事となる。
          
 70年代後期に於いてジャーマン・シンフォニックも大きな転換期を迎える事となり、グローヴシュニット始めノヴァリス、ヘルダーリンが持っていた良くも悪くも一種のドイツ的な香りからの脱却が試みられ、エデンのデヴュー作並びその翌年にデヴューを飾るエニワンズ・ドーターが顕著な実例と言っても申し分はあるまい。
 エデンはその後牛歩で地道な演奏活動を行いつつも他のバンド系列とは一線を画し、決して商売っ気たっぷりな意欲を示す事無くあくまで自らの信ずる道を慌てず焦らずただひたすら歩み続ける事で自らの身上としていた。
 その一方でLordレーベルに所属している多数ものアーティストとの相互交流、レコーディングへの参加といった懇親を深めながらも、2年間のスパンと創作期間を費やし水面下で着々と新作の録音に取り組んでいた。 
 そしてデヴューから2年後の1980年、周囲からの期待に応える形で満を持してリリースされた2作目『Perelandra』は、若干名のメンバーチェンジを経て(Markus Egger、Mario Schaub、Michael Wirthの3名が抜け、後任メンバーとしてブズーキ奏者のChristosとKiriakosのCharapis夫妻、新たなフルート奏者にDieter Neuhauserを迎えている)、Lord傘下の自らのバンドネームを冠したセルフレーベルからのリリースで、前デヴュー作を遥かに上回る構築美とテンションで再び聴衆を驚かす事となる。
      
 キリスト教関連の同名タイトルのSF小説にインスパイアされた本作品は、エデンの持つシンフォニック・スタイルの音楽性の中に時代相応のスタイリッシュでモダンなエッセンス、良質なポップス性がふんだんに鏤められ、思わず目を奪われる美麗で幻想的なジャケットアートのイメージ通り、旧約聖書のアダムとイヴのエデンの園、そして宇宙創生の物語が違和感無く融合した一大シンフォニック絵巻に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。
 後述で恐縮だが…何よりもデヴュー作と本作品におけるDirkのコンポーザー、アレンジャーとしての手腕は白眉の出来と言うには余りにも恐れ多い力量を発揮しており、ヴァイオリニスト兼キーボーダーとしてのスキルの高さは、かのブラジル・シンフォの筆頭格サグラドのマルクス・ヴィアナと対等に亘り合えるであろう、そんな数少ないうちの一人であると断言出来よう。

 バンドとしての活動は順調ではあったものの、それに比例するかの如く各メンバーの正業が多忙を極め、エデンは次第に表立った創作活動や演奏もままならない状態が頻繁に回を重ねる様になる。
 Dirkは翌1981年に苦肉の延命策(Lordとの契約履行も考慮して)としてデヴュー以前の1974年~1976年にかけて収録されたデモ音源と未発表曲を集め再編集盤として『Heimkehr』(“帰省”という意)という意味深なタイトルでリリースし、エデンの変わらぬ健在ぶりをアピールするが、作品として好評価は得られるものの相反するかの様にメンバーのモチベーション低下は止まること無く、結局僅か数年の活動期間を以ってエデンは敢え無く解散の道へと辿ってしまう。
     
 ちなみに『Heimkehr』という作品自体、バンドサイドからも“これは3rdアルバムに非ず”と触れられているが、デヴュー以前の創作意欲に満ちていた初々しさが際立って、デヴューと2作目の両作品から比べると確かに見劣りこそ否めないが、聖書を題材としながらも後々のバンドスタイルとしての骨子が垣間見える、決して貴重なもの珍しさ云々だけで片付けられないエデン・ミュージックの原点が存分に堪能出来る妙味を忘れてはなるまい。
 バンド解体から2年後の1983年、エデンの元ヴォーカリストだったMarkus Eggerがソロアルバム『Lebenstanz』をリリースし、バックにDirkを始めエデンの面々も参加しているが、音楽性がエデン時代と異なった商業路線のポップス作品であったが為に余り話題にはならなかったみたいだ。
 だがDirkはこのMarkus Eggerのソロでの経験を糧に、再び一念発起し翌1984年エデン・サウンドの流れを汲むシンフォニック系の新プロジェクトとしてYAVANNA=ヤヴァンナ(“果実をもたらす者”の意)を結成。
     
 唯一作となった『Bilder Aus Mittelerde』(ミドルアースの創造者)は、かのトールキンの「シルマリリオン」から着想したトータルアルバムとなっており、Dirk自身の冴え渡るヴァイオリンプレイも然る事ながら、時代相応に当時のデジタルキーボード(オーヴァーハイムからYAMAHAのDX7等が使用されている)を縦横無尽に駆使した、エデン時代の作風と趣を偲ばせる、まさしく80年代初期のジャーマン・シンフォに於いてトップクラスと断言出来る素晴らしい出来栄えと内容を誇っている。
 特筆すべきは純白の白地のジャケットに施された樹木を模したレリーフの美しさは、アナログLP盤時代ならではのプログレッシヴ・ファンにとって最高の贈り物として他ならないと言えるだろう。
 惜しむらくは唯一のCD化に際し若干手が加えられ筆が入れられてレリーフの面影の微塵すらも感じられず、オリジナル原盤を知っている者としては些か中途半端でぞんざいな扱いに些か残念な限りでもある。
 私を含め世界中のプログレッシヴ・ファンがヤヴァンナの今後の動向に注視せざるを得ないと期待と予感を抱いていたものの、ファンの思惑とは裏腹にDirk自身ヤヴァンナでの活動を最後にバンドスタイルという形での創作活動から一時的に身を引いてしまったものの、喜ばしい事にここ数年彼自身ソロ・プロジェクトに近い形で地道にマイペースで音楽活動を再開させ今日までに至っている。
          
 本文の締め括りとして、FaceBookでDirk Schmalenbachと入力して検索するも、たしかにそれらしき人物が何人かヒットこそするものの、果たしてそれが本当にあのエデンを率いたDirkなのかと思うと、確証が無いままコンタクトするのは早計だと思い躊躇と同時に歯がゆい思いをしている今日この頃である。
 とは言え、エデンの園の住人…天上界の楽師達はやはり伝説としてこのままそっとしておいた方が、元メンバーだった彼等達にとって穏やかで幸福なのかもしれない。
 エデンの楽師達が奏でる饗宴は、貴方(貴女)達の心の中で未来永劫光り輝き、そして至福に満ちた思い出と共に生き続ける事だろう…。

一生逸品 IVORY

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 今週の「一生逸品」は古今東西世界各国の21世紀プログレッシヴ・ロックバンドに今もなお多大なる影響を与えているであろうジェネシス…その息子達(チルドレン)の先駆け的存在となったと言っても過言では無い、かのポンプロック勃発=マリリオン登場以前に於いて、80年代ジャーマン・シンフォニック新時代の幕明けでもあり最高峰となった、名実共にジェネシス・フォロワー系の最右翼として絶大なる支持と賞賛を得ている“アイヴォリー”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。

IVORY/Sad Cypress(1980)
  1.At This Very Moment
  2.In Hora Ultima
  3.Sad Cypress
  4.Time Traveller
  5.My Brother
  
  Ulrich Sommerlatte:Key
  Thomas Sommerlatte:Key
  Christian Mayer:Vo,G
  Goddie Daum:G
  Charly Stechl:B,Flute
  Fredrik Rittmueller:Ds,Per

 アイヴォリーの結成は1970年代半ばの75~76年頃と推定されるが、恐らくはプログレ・ユーロロック史上において最高齢のアーティストであろう、音楽家にしてベルリンの市民オーケストラの指揮者を長年務めていたUlrich Sommerlatte(1914年10月21日生まれ)を筆頭に当時まだ医学部の大学生だった息子Thomas Sommerlatteとその学友達による6人のメンバー編成で78年頃までアイヴォリーの母体とも言うべき音楽活動を行っていた。
 Ulrich自身、70年代当時オーケストラ指揮者とは別の側面で既に地元ベルリンでは結構名が知れていた音楽家兼アレンジャーとして活躍していた一方で、息子のThomas自身も友人達と共にベルリンやミュンヘン郊外で数々のアマチュアバンドで腕を磨いていた音楽経験者でもあった。 
 そもそもアイヴォリー結成の動機たるや、1974年のイエスのヨーロッパ・ツアーのドイツ公演を息子のThomas共々と観に行ったUlrichが感動し、本業と併行させながらプログレッシヴ・バンドをやってみたいと、まさに一念発起の思いだったのだろう。
 74年当時にして60歳 !? いやはや…誠にあっ晴れなパイオニア精神とはこの事であるが、ちなみにこの日を境にUlrichはイエスのみならずジェネシスやジェントル・ジャイアントといったブリティッシュ系のプログレを熱心に聴きまくっては自分達のサウンド・スタイルの模索に日々時間を費やす事となる。
 
 1978年末から若干のメンバーチェンジを経て概ね一年近くを費やして録音されたデヴュー作にして唯一の作品『Sad Cypress』は、プログレッシヴを見限り安易な産業ポップ路線に走った本家ジェネシスとは全く正反対に、ゲイヴリエルないしハケット在籍時の独創性豊かな気運と精神を脈々と受け継いだ作風で、同世代にして同国のもう一方のジェネシス・フォロワーのノイシュヴァンシュタンと共に一躍脚光を浴び、ポップ化したジェネシスに愛想を尽かし見切りを付けた大勢のファンからも大いに絶賛され歓迎されたのは言うまでもあるまい。           
 余談ながらもUlrichが所有する音楽スタジオ(リハからレコーディングも可能な)が無料同然で自由に使えた事と、Ulrichの人脈の伝でジュピターレーベル(配給元はアリオラ)からリリースがすんなり決まったといった好条件の甲斐あって、アイヴォリーは地元のラジオ局並び活字媒体と言ったメディアからの好意的な後押しで一躍脚光を浴びる事となる。
 それと同時期に1979~1980年にかけてジャーマン・シンフォは大いなる転換期を迎えており、エニワンズ・ドーターのメジャーデヴューによる台頭始め、エデンやルソーの登場といった活況著しいさ中に加えて、アイヴォリーを始めとする単発組の登場はシーンの活況に大いに拍車をかけたのは言うに及ぶまい。
           
 『月影の騎士』の頃を彷彿とさせる音像をもっと崇高なイメージで綴った冒頭1曲目を皮切りに、ラテン語のヴォーカリストをゲストに迎え高らかに鳴り響くカリオンが印象的な2曲目、アルバム・タイトルでもあり深遠な森の中を木霊するリリシズムが胸を打つ3曲目の素晴らしさといい、唯一のインスト・ナンバーにして時空間を疾走し時として陶酔感やトリップ感をも堪能出来る4曲目の小気味良さ、3曲目と並ぶ作品中のハイライトとも言える5曲目は、欧州というイメージと相まって崇高な荘厳さと抒情性が聴く者の心の琴線を揺さぶる大作にして秀作とも言えよう。
          
 ここまでがオリジナルLP原盤でのラインナップであるが、本来次回作の為のサンプルとして録られていたであろう未発のデモ音源4曲が後年の『Sad Cypress』CDリイシュー化に際しボーナストラックとして収録されているが、未発アーカイヴで寝かせておくには惜しい位に素晴らしく捨て難いものがある。
 特に6曲目の“The Great Tower”だけでもリイシューCDを買う価値はあるとはっきり断言出来よう。
 ラストナンバーの“Barbara”も、『Sad Cypress』の5曲目と並び負けず劣らず…おぼろげな月の光に照らし出された森と湖のヴィジョンを想起出来る、まさに彼等の音世界の終焉を飾るに相応しい涙ものの佳曲であろう。       
 ちなみに…ボーナストラックでのメンツは、UlrichとヴォーカリストのChristianのオリジナルメンバー2人に新加入のドラマーを加えた3人編成で臨んでいる(息子のThomasも間接的に協力しているが…)。
 バンドそのものは唯一の作品を遺し、僅かたった数回のギグを行っただけで、バンドメンバーそれぞれの諸事情も重なり、Thomasは医師の道へ進み、各々が銀行員や弁護士、教師といった職業に就くと同時に自然消滅に近い形で解散するものの、リーダーのUlrichはその後、自分名義のソロ作品集を86年に一枚、そしてキーボードによる多重録音物で(女性Voと合唱隊をゲストに迎えた)アイヴォリー名義の2作目『Keen City』を90年代にリリースするが、それを最後に以後の活動等に関するコメントやニュースは一切聞かれなくなってしまう…。
            
 案の定とでも言うのだろうか…Ulrich自身も高齢に加えて病床での生活が長くなり、結果的には2002年に鬼籍の人となってしまったのが実に惜しまれる、享年88歳。
 だが、はっきりと言える事として、たとえUlrichの肉体は滅んだとしても、作品という形で気高い精神と崇高な魂だけは未来永劫残り続け、そして後年まで語り継がれていくに違いないだろう…私はそう信じたい。

夢幻の楽師達 -Chapter 22-

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 2019年今年最後にお送りする「夢幻の楽師達」は、数々の栄光と伝説の名作を世に送り出した70年代イタリアン・ロックシーンに於いて、伝説の中の伝説にして名匠の中の名匠と言っても過言では無い、21世紀の今もなおその神々しさと大御所たる貫禄でイタリア音楽界の重鎮として存在感を示しているであろう…かつての名うての実力派プレイヤー達が結集した文字通りイタリアン・ロックきってのスーパーバンドとして一時代を築き上げた“イル・ヴォーロ”に今再び栄光のスポットライトを当てて一年を締め括りたいと思います。


IL VOLO
(ITALY 1974~1975)
  
  Alberto Radius:G, Electric Sitar, Vo
  Mario Lavezzi:G, Electric Mandolin, Vo
  Vincenzo Tempera:Key
  Gabrile Lorenzi:Key
  Roberto Callero:B
  Gianni Dall'Aglio:Ds, Per, Vo

 古今東西の長きに亘るロックシーンに於いて、いつの時代でも俗に言う“スーパーバンド”なるものは必ずといっていい位に存在(登場)するもので、ことプログレッシヴ・ロックのフィールドでは、(産業ロックにカテゴライズされるものの)かのイアン・マクドナルドを擁していたフォリナーを皮切りに、初期UK然りエイジアそして近年ではトランスアトランティックも忘れてはなるまい。
 かく言う私自身も記憶に留めている限りのバンドを挙げた次第ではあるが、掘り下げればもっともっとスーパーバンドクラスの存在が発見出来る事だろう。

 話は本編に戻るがそんなスーパーバンドクラスなるものをイタリアン・ロックシーンに限定した場合、先ず真っ先に思い出されるとなると十中八九の率で、今回の主人公でもあるイル・ヴォーロではなかろうか。
 彼等にまつわる個人的な思い出話みたいで恐縮であるが、高校2年の初夏の頃…件のキングレコードのユーロロックコレクションにてリリースされた彼等イル・ヴォーロのデヴューアルバムとの初めての出会いが思い起こされる。
 目の中の瞳が地球という(別な解釈で喩えるなら地球を見つめているといった方が妥当であろうか)一風変わった斬新な試みを思わせるジャケットに惹かれ、迷う事無く馴染みのレコードショップへ足早に駆け込んで、なけなしの小遣いを叩いて購入したのを昨日の事の様に記憶している。
 まあ今にして思えば、ユーロロック(+イタリアン・ロック)の予備知識を持たず右も左も分からない初心者マーク風情みたいな生意気盛りの若造だった時分、既にPFMやバンコ、ニュー・トロルスに触れていたとはいえ、肝心なフォルムラ・トレに触れずしていきなりのイル・ヴォーロなのだから、挑戦的というか冒険的というか些か怖いもの知らずで無謀だったよなぁと感慨深くなる事しきりである(苦笑)。
 前出のイタリアン3バンドでイタリアン・ロック=テクニカルで豪華絢爛なシンフォニック・ロックという荘厳な音世界といった先入観でしかなかったので、そういった類の音をイル・ヴォーロにも期待してはいたものの、印象的なジャケットとは裏腹に予想に反して地味めな音作りの渋い世界観に違和感を覚えてしまったのが当時の率直な感想だったものだから何ともお恥かしい限りである…。
 半年にも満たない内に結局イル・ヴォーロを市内の中古レコード店に売却し、その売ったお金を注ぎ込んで気になっていたオザンナの『パレポリ』へと走ったのだから本末転倒も甚だしい。
 しかし運命と縁とは不思議なもので、時間と歳月は人を変え成長させるの言葉通り、十代の時分に退屈感極まりないと感じてしまったイル・ヴォーロのデヴュー作がだんだんと懐かしく思えて、二十代の半ばにはまた再び聴いてみたいと考え直させてくれるのだから意外といえば実に意外である。
 市内の中古レコードフェアで一縷の望みを託して探しに探しまくった末、再会の思いで漸く買い直したイル・ヴォーロのデヴューアルバムは同時期に買った2ndアルバムと共に、その後紙ジャケットCDへとフォーマットが移行するまでの長い間、私自身のディスクライヴラリーに収まりずうっと愛聴してきた違う意味での思い出のアルバムとなった次第である。

 何だか若い時分の青臭くてお恥かしい限りの駄文みたいな書き出しになってしまったが、何はともあれイル・ヴォーロは今日までのイタリアン・ロックの長い歴史に於いて、紛れも無く名実共にスーパーバンドとしての実績はおろか、その確固たる地位と名誉と足跡を刻み付けた存在だった事だけは異論あるまい。
 今更何を言わんやとお叱りやらイチャモンを付けられそうだが、イタリアン・ロック黎明期の70年代初頭…フォルムラ・トレ始めカマレオンティ、ジガンティ、オサージュ・トリベ、ドゥエロ・マドーレ、果てはヌメロ・ウーノレーベルの設立者でもありブレーンでもあったルーチョ・バッティスティのバックバンドを経て腕を磨いてきた名うての実力派プレイヤー達が集結しただけに、バッティスティ含めバンド所属元のヌメロ・ウーノのみならず、当時イタリアン・ロック関連メディアの各方面がこぞって一世一代のスーパーバンド誕生に拍手喝采を贈り色めきたったのは言うに及ぶまい。

 1972~1973年にかけて一時の栄華を極めたイタリアン・ロックの黄金時代も、オイルショックで端を発した様々な諸問題の併発と同時にロックシーン自体も大なり小なり翳りの兆候が散見され始めた事を機に、多くのバンドがたった一枚きりの作品を遺して解散への道を辿り、世代交代の如く新たなバンドが輩出しては短命で解散への道を辿るといった悪循環の繰り返しさながらの様相だったのは御周知であろう。
 そんな時代背景のさ中、バッティスティとヌメロ・ウーノの(決してゴリ押しという訳ではないが)強力な後押しと尽力の甲斐あってフォルムラ・トレ解体後のRadiusとLorenziは意を決して、Lavezzi、Tempera、Callero、Dall'Aglioに協力を働きかけ、1974年まさしく“飛翔”の意の如くイル・ヴォーロと命名した新バンドとして世に躍り出て、バンド名を冠したデヴューアルバムをリリース。
 名うての強力なプレイヤーが結集しただけあって、各方面並び音楽関係のプレスでも評判は上々で過渡期を迎えていたイタリアのロックシーンに新風を巻き起こすだけの実力も然る事ながら、作品全体に漂っているカンタウトーレ風に歩み寄った楽曲と趣、イタリアのアイデンティティーに加味したある種のワールドワイドな視野をも見据えたであろう幾分開放的なイメージとポップスなフィーリングも雄弁に物語っていて実に興味深い。
 まあ、ひと言で言ってしまえば極端で土着的なイタリア臭さが稀薄になって、世界進出に成功したPFMに倣ったかの様なクールなスタイリッシュさとインテリジェンスを纏ったと言ったら分かりやすいだろうか。
                         
 デヴューアルバムに収録されている全曲とも概ね3~4分の小曲で占められてはいるものの、粒揃いの印象ながらも全曲の完成度とクオリティーは高く、前出の通りカンタウトーレ寄りな歌物風な趣に加えて非シンフォニックでジャズロックな彩りが与えられており、バンドのメンバーが長年培われてきた音楽経験とアイディアが濃密に凝縮され、文字通りイタリアン・ロックの新たな一頁を飾るに相応しい充実した出来栄えを誇っていると言っても過言ではあるまい。
          

 デヴューアルバムの上々な成果を得たバンドとレーベルサイドは、時代の追い風の上昇気流に乗ずるかの如く早々に次回作への構想と製作に着手する事となり、デヴューとは異なった作風で2作目を推し進めていかねばと奮起し、自らの創作意欲を鼓舞させてリハーサルと録音に臨んだ彼等6人は、翌1975年周囲からの期待を一身に受け『Essere O Non Essere ? Essere, Essere, Essere !』という何とも意味深なタイトルの2ndアルバムをリリースする。
    
 蒼一色の地中海と紺碧の天空というブルーカラーで統一された背景に、あたかもギリシャ神話のイカロス或いは鳥人間(鳥人)をも彷彿とさせる古代のハンググライダーの飛翔が描かれた紛れも無くバンドネーミング通りのアートワークに包まれた2作目は、前デヴュー作とは打って変って自国のアイデンティティーに基づいた地中海音楽風な原点回帰を目指したであろう、ヴォーカルパート入りの「Essere」を除き殆どがインストゥルメンタルに重きを置いた意欲的な試みが為されており、さながら同時期にデヴューを飾ったアレアやアルティ・エ・メスティエリの作風をも意識したアプローチすら垣間見えるといったら言い過ぎであろうか。
 本作品から思い切って導入したギターシンセの効果的な使用も然る事ながら、歌物的なデヴューから一転したメディテラネアンチックなサウンドカラーが徹頭徹尾に反映されたジャズィーでクロスオーヴァーな曲構成・展開に聴衆やリスナーを大いに戸惑ったものの、結果的には前デヴュー作に負けず劣らずな好評価を得る事が出来たのは言うまでもなかった。
            
 デヴューとは異なった方法論とサウンドスタイルで自らが持ち得るスキルとアイディアを思いの丈の如く存分に引き出し…有言実行通り夢幻の音空間に飛翔=IL VOLOを遂げた彼等6人ではあったが、各方面からの賞賛や好評価とは裏腹にマーケット市場での今一つな反応に加えてセールス面での伸び悩みにすっかり意気消沈してしまい、その後僅か数回のギグをこなした後、もはや自分達が演れるべき事はもうすっかり演り尽くしたと言わんばかりにバンドの解体を決意し、イル・ヴォーロも僅か一年弱という活動期間で短命バンドという道を辿ってしまう。
                 
 その後のメンバー各々の動向にあっては既に御周知の通り、イル・ヴォーロを支えた2人のギタリストAlberto RadiusとMario Lavezziの両名は、バンド解散以降カンタウトーレの大御所として多数ものヒット作を連発し、ことRadiusにあっては名作『Che Cosa Sei』始め、『Carta Straccia』、果てはアメリカ文化をおちょくった(皮肉った)かの様な『America Good-Bye』、1981年にはイル・ヴォーロ時代の回顧をも連想させる様な意匠の『Leggende』といった傑作名作を多数リリースし、後の1991年に自らの活動と同時進行する形でかつての盟友Tony Ciccoと合流しフォルムラ・トレの再結成を遂げ(当初はGabrile Lorenziも再結成に参加していた)『King Kong』始め、94年の『La Casa Dell'imperatore』、96年の『I Successi Di Lucio Battisti』をリリースした後に解散。
 そして21世紀を経て2004年に再びTony Ciccoと合流しフォルムラ・トレ再々結成を果たし『Il Nostro Caro... Lucio』をリリースする傍ら自らの活動も継続させて、今やイタリア音楽界の大ベテランとして今日までに至っている。
 一方のLavezziも『Iaia』を始め『Filobus』といった傑作ソロをリリースし、Radiusと並ぶ大御所として確固たる地位を築き上げている。
    
 再結成フォルムラ・トレに参加したGabrile LorenziもRadiusやCiccoと袂を分かち合った後は、裏方兼スタジオミュージシャンの第一人者として、イタリア国内の大多数ものシンガーやアーティストのバックとアレンジャーを務めて多忙に追われる今日を過ごしている。
 Vincenzo Temperaもイタリア音楽界での第一人者として重鎮的なポジションに就き、マエストロの称号を得た後はサンレモ音楽祭の常連としてコンダクターをも兼任している。
 リズム隊のRoberto CalleroとGianni Dall'Aglioも後進の育成に多忙を極めており、セミナーを開催してスクールの講師をも務めているそうな。
 ちなみにRoberto Callero自身今もなお現役ベーシスト兼チャップマン・スティックの名手として、各方面でのプロジェクトやバックバンドに参加して悠々自適な日々を送っているとのこと。

 栄えある未来と希望が期待されながらも、ちょっとしたボタンの掛け違いとでもいうのか…それぞれの思惑の喰い違いで、そのあまりに短い活動期間で幕を下ろしたイル・ヴォーロであったが、彼等が70年代のイタリアン・ロックシーンに刻み付けた軌跡と楽曲は今もなお時代と世紀を越えて全世界の聴衆に愛され続け語り継がれていく事であろう。
 たとえ彼等が「あれはもう過去の事だから…」と一蹴したとしても、あの時の彼等6人は未来ある青春期と栄光という時間の真っ只中にいた事だけは確かに紛れも無い事実である。

 あの日あの時創った音楽こそが僕等の全てなんだ…という事だけは静かに受け止めてあげたいし信じて願わんばかりである。

一生逸品 CELESTE

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 2019年今年最後の「一生逸品」をお届けします。
 今年最後を締め括るのは、70年代中期~後期イタリアン・ロック隆盛という一時代を駆け抜けて、自らが思い描く純粋無垢で清廉潔白なる音楽世界に情熱と青春を捧げつつ、さながら白馬に乗った王子の様に夢幻(無限)の地平線を目指して21世紀の今もなお歩み続ける、イタリアン・ロックシーンが生んだ静謐で稀有な創意の象徴と言っても過言では無い“チェレステ”に、今再び栄光と軌跡のスポットライトを当ててみたいと思います。

CELESTE/Celeste(1976)
  1.Principe Di Giorno/2.Favole Antiche/ 
  3.Eftus/4.Giochi Nella Notte/ 
  5.La Grande Isola/6. La Danza Del Fato/
  7. L'imbroglio
  
  Mariano Schiavolini:G, Violin, Vo
  Leonardo Lagorio:Key, Flute, Sax, Mellotron, Vo
  Giorgio Battaglia:B, G, Per, Vo
  Ciro Perrino:Per, Flute, Recorder, Mellotron, Vo

 コルテ・ディ・ミラコリ、そしてピッキオ・ダル・ポッツオといった前衛的にして創作意欲に富んだ栄光のグロッグ・レーベルを代表する2アーティストを取り挙げた後にふと思ったこと…ここまで来たらもう絶対真打級のチェレステに御登場願うしかないと決意を固め、遂にと言うかいよいよと言うべきなのか…ここに満を持して待望ともいえる名実共にイタリアン・ロックが生んだ純白にして純粋無垢なる魂の結晶チェレステ降臨と相成った次第であるが、静謐なる白地のジャケットにCELESTEというバンド名のみが印字されただけの、一見からして極めてシンプル・イズ・ベスト、或いはビートルズの『ホワイト・アルバム』を意識した推察すらも出来るが、あたかも印象派寄りの現代アートにも通ずる白地にバンドネーミングという意匠そのものこそ、実にインパクト大で効果的ではないかと思えてならない。
 悪く言ってしまえば手抜きだの、アイディア不足だの、果ては印刷ミスだのと他方面からは散々な言われようで、多種多彩にして絢爛豪華なる配色のジャケットアートが主流だった70年代初頭期の幾数多ものイタリアン・ロックのジャケットアートと比較しても、相応のインパクトながらもさほど印象は弱く繊細過ぎるきらいがあるというごもっともな意見も否めないが…。

 技巧派で実力派クラスのPFMやバンコ、邪悪で奥深い闇のパワーを放つムゼオやビリエット…etc、etcといった70年代イタリアン・ロックの歴史を飾ってきた王道の路線とは全く異なる、彼等チェレステはあくまで一線を画した地道で牛歩的な我が道を歩むタイプとして、自らの信条とアイデンティティーで音楽世界を紡いできた存在ではなかろうか。
 チェレステの幕開けは、60年代末期から70年代初頭の所謂イタリアン・ロック黎明期にかけて活動していた、それこそチェレステの母体とも言うべき伝説的バンドIL SISTEMAにまで遡る。
 ドラムとフルートを兼任し、後々から21世紀の今日に至るまでチェレステの要にしてブレーンをも務めるCiro Perrino、そしてサックス兼フルートとピアノのLeonardo Lagorioという2人の主要メンバーによって、まさにチェレステ夜明け前ともいうべきヒストリーが始まろうとしていた。
 余談ながらもIL SISTEMAのギタリスト Enzo Merognoはバンド解体後、袂を分かつかの様にムゼオ・ローゼンバッハ結成へと歩むのは、イタリアン・ロックファンなら既に後周知の事であろう(ちなみに、前出のCiro PerrinoとLeonardo LagorioもEnzoに誘われムゼオの初期メンバーとして一時期在籍していたのは有名な話)。
 70年代初頭、ニュー・トロルス、オルメ、フォルムラ・トレ、そしてトリップ…等が時代の波の流れに感化され、これまでのビートロック系からサイケデリック・ムーヴメントに後押しされるかの如く、プログレッシヴ黎明期を予見させるであろうサウンドスタイルへ移行したのと時同じくして、イタリア国内最大の音楽祭で御馴染みの都市サンレモにてIL SISTEMAは結成され、サイケデリックな様相と雰囲気を漂わせながらも、かのニュー・トロルスよりも先にムソルグスキーの「禿山の一夜」をロックアレンジしたナンバーを手掛けていたり、結成当初から時代を先取りしていたアーティスティックで且つクラシカル&プログレッシヴな類稀なる音楽性で周囲から注視され、数多くものデモ音源(おそらくは自主製作に近い形で)を録音してはいたものの、当時はなかなか運の巡り会わせというかチャンスとタイミングに恵まれず大手レコード会社の目に留まる事無く、デモ音源はお蔵入りするという憂き目に遭ってしまい、重ねてメンバー間の音楽性の相違でIL SISTEMAは不幸にも解散への道を辿ってしまう。

 IL SISTEMA解散後の翌1972年、参加したムゼオの音楽性に馴染めずバンドから離れたCiro Perrinoは旧知の友人でもあり、後々チェレステのメンバーとなるギターのMariano SchiavoliniとベースのGiorgio Battagliaを誘い便宜上なのか暫定的なのかは定かでは無いがチェレステというバンドネーミングで細々とした創作活動を開始する。
 それはIL SISTEMAないし一時的に在籍したムゼオでの経験を踏まえつつも、決して過去の焼き直しやら模倣では無い、あくまで過去を振り返らず断ち切った形で、更なる違った音楽性を模索し構築するという途方も無い時間と日数を費やす事となるのは言うまでもなかった…。
 そうこうしている内に、かつてのバンドメイトだったLeonardo Lagorioがムゼオを抜けて再びCiroと合流し、更にはMarco Tudiniが加わったチェレステは漸く軌道の波に乗り始め、何本かのデモ音源を各方面の音楽関係者に足繁く通って持ち込んだ甲斐あって、1974年映画監督Enry Fioriniの目に留まった彼等はEnryが監督する映画(タイトルは不明)のサウンドトラックを手掛ける事となり、これがチェレステにとって最初の音楽作品の仕事となった次第である。
 しかし悲しいかな、サントラとして録音されたマスターテープこそ残ったものの肝心要なレコード化がされぬまま、何と18年後の1992年にMellowレーベルからチェレステ名義のアンリリースド・アイテムとしてCD化が成されるまでの間、ずうっと倉庫に寝かされたままだったのが何とも勿体無いというか惜しまれてならない…。
         
 後述で重複するが、サントラ製作の傍らチェレステ76年のデヴューアルバムに収録される“Favole Antiche”と“Eftus”の原曲ともいえるデモ音源を収録していたのも、ちょうどこの頃である。
 前後してMarco Tudiniが一身上の都合でバンドを抜け、サントラのレコード化という夢と願いこそ果たせなかったものの、その一方で各方面にてデモ音源を売り込んでいた功が奏してチェレステの特異なる音楽性はイタリアン・ロック停滞期に差し掛かっていた時期ながらも次第に注目される様になる。
 偶然とでもいうのか時代の流れの変化を察し、早くからチェレステの存在に着目していたグロッグレーベル始め発起人でもあったAldo De Scalziは、レーベルの今後を象徴する目玉的存在に成り得ると確信し、ピッキオ・ダル・ポッツォやコルテ・ディ・ミラコリよりもお先にグロッグの2番手として世に送り出すべく、契約に着手する事となる。
 こうしてサントラの録音から程無くして、同年の1974年グロッグレーベルのStudio Gにてチェレステの4人に加えAldo De Scalziをゲストに迎えた布陣で、デヴューアルバムに向けたレコーディングに臨み、2年の歳月と膨大な時間を費やし、1976年純白のジャケット地にバンド名を冠しただけの至ってシンプルな装丁ながらも漸く待望のデヴューを飾る事となった次第である。

 意匠こそ(良い意味で)単純明快且つ聡明で清廉潔白であるものの、見開きジャケットを開けば更に彼等に対する印象が一変する事だろう。
 白馬に乗った王子が従者と共に理想郷目指して旅立つといった感の、あたかも名匠ビアズリーの絵画をも彷彿とさせる線画の素描で埋め尽くされたアートワークにリスナーの誰しもがきっと心揺り動かされる筈であろう。
 まさしくチェレステの表現したい世界観を雄弁に物語っており、派手さやらテクニカル云々とは全く無縁な聴く者達の心に浸透していくメロディーとハーモニー、あくまでアンサンブルの綴れ織りを重視したスタイルは徹頭徹尾終始一貫しており、ややもすれば退屈極まりないだの軟弱だのと陰口を叩く輩もいるのだろうが、そんな愚輩がいたとしたらチェレステはおろかイタリアン・ロックを聴く資格すら無いのかもしれない。
 まあ…些か感情的な書き方になってしまい恐縮至極ではあるが、個人的な私見ながらもチェレステはイル・パエーゼ・ディ・バロッキ始めマクソフォーネ、ロカンダ・デッレ・ファーテと同系列な気質というか匂いを感じてならない。
          
 冒頭1曲目から初期クリムゾンや初期ジェネシスばりの厳かで抒情的…尚且つ遥か彼方から残響の如く木霊するメロトロンをイントロダクションに、後を追いかけるかの様にヴァイオリン、アコギとピアノ、そして味わい深いヴォーカル、フルートが切々と畳み掛けながら展開する様はもはやチェレステ・ワールド全開と言わんばかりである。
 仄かに明るくそしてどこか切ない序盤と中盤を経て終盤は憂いと寂寥感に満ちたアコギとフルート、そしてサックスに荘厳なるメロトロンで締め括られる展開は何度聴いても感銘を呼び起こされ心打たれる秀逸なナンバーである。               
 アープシンセサイザーが奏でるカリカチュアな音宇宙に導かれる2曲目も大作志向の印象的なナンバーで、不穏なコーラスワークと牧歌的なメロトロンが被さる一見アンバランスな危うさこそ感じるものの、クリムゾンの宮殿ばりのメロトロンで一気に集約され、しゃがれたヴォーカルと感傷的なアコギとフルートで高らかに謳われるフォークタッチな曲想はリリシズムの中にほろ苦さが感じられ、子供達の囁き…集落に住む人々の息づかいにも似た効果音と相まってメルヘンの中にも奥深さが感じられ、パイプオルガン風なシンセ(エミネント)によって演劇でいう場面展開が変わって、かのイル・パエーゼ・ディ・バロッキの唯一作にも似通った…再び現実の厳しい世界に引き戻された様な虚しさと寂しさすら禁じ得ないと思うのは私だけだろうか。
 アナログLP盤でいうA面最後を飾る3曲目の小曲も意味深な佇まいの曲想で、アコギと幽玄なコーラスそしてフルートによって希望と虚無感が切々と謳われ、壮麗なメロトロンとアープによる転調を合図にアコギとベース、フルートが聴く者の脳裏に再び一筋の光明を与えてくれる事だろう。
              
 雨音を連想させる様なアコギとピアノに導かれ、ベース、パーカッション、コーラス、アープ、ヴァイオリン、フルート、リコーダーメロトロンが矢継ぎ早に幾重にも折り重なる大曲志向の4曲目も実に素晴らしい。
 同レーベル所属のピッキオ・ダル・ポッツォにも似たアコギの感傷的なアンサンブルに喧騒的なサックスの乱舞、そしてメロトロンが被さる様は何度聴き返しても理屈云々なんて抜きに筆舌し難い感動と溜息しか出てこない…。
 ピアノにメロトロン、アコギ、ドラム、そしてアープによるスペイシーな空間と静寂によって収束されたかと思いきや、ここで初めて登場のエレクトリックギターで一変してカンタウトーレ風な歌物へと転調する流れに、改めてチェレステ・ワールドの引き出しの多さに、兎にも角にも感服する事しきりである。                 
 4曲めのフェードアウトをブリッジに前触れもさり気も無くアコギとヴォーカルが入ってくる5曲目も秀逸である。
 Ciroの巧みなパーカッション・ワークにメロトロンとアープが厳かに被ってくる絶妙なメロディーラインと落涙必至なリリシズムに筆者である私自身言葉が出てこないから困りものですらある(苦笑)。
 鈴を主体としたパーカッション群の摩訶不思議な雰囲気に包まれた6曲目は、次第にアープによる神秘的な音色をバックにベースとアコギ、フルートが追随し、抒情で牧歌的なイタリアン・フォークが陽光の匂いを伴ってハートウォームに謳われる佳曲と言えよう。
 ラストを飾る7曲目はチェレステらしい意外性を伴った僅か1分少々の小曲で、アコギをバックにしみじみと謳われながらも、フルートとパーカッションによるコミカルでユーモラスなリズムとアクセントが付けられた、さながら蚤の市でのコントなやり取りの一場面をも想起させ、全曲聴き終えた時にリスナー諸氏はきっとオーディオシステムの前で拍手喝采を贈る事だろう。

 こうしてチェレステの記念すべきデヴューアルバムは、内容の素晴らしさも手伝ってグロッグレーベルサイドによる懸命な販促の甲斐あってか、セールス的にも4000枚前後売り上げるというまずまずの成果は上げたものの、スタジオワークのみという想定だったが故にステージライヴ活動が行えないといったジレンマがチェレステの面々を悩ませたのは言うまでも無かった
 そういったデヴュー作での反省点を踏まえ、次回作はデヴューとは全く異なったサウンドスタイルでライヴでもしっかりと演れる作風で行こうと発奮し、翌1977年セカンドアルバムの着手に取り掛かり、新たにドラマーとしてFrancesco Dimasi を迎えた5人の布陣で心機一転ジャズロックなアプローチを試み録音に臨んでいたものの、不運にもレコーディングを終えたと同時にStudio G並びグロッグレーベルの閉鎖(倒産)で、完成したマスターテープ自体も宙に浮いたままお蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
 レーベルとスタジオの閉鎖ですっかり意気消沈してしまった彼等は心身ともに疲弊しきっていた事も重なって、次第にシーンの表舞台から遠ざかる様になり、チェレステはあたかも櫛の歯が一本々々抜けていくかの様に空中分解への道を辿ってしまった次第である。
 あれだけ我が世の春を謳歌し黄金時代という栄華を築いたプログレッシヴ・ロックやイタリアン・ロックシーンも、オイルショックから端を発した音楽業界の様変わりに加えて、商業路線やら産業ロックに右倣えとばかり時流の波に乗って、結果イタリアのみならず全世界中のプログレッシヴ・ムーヴメントは完全に停滞期に入ってしまい、今にして思えば純粋無垢なチェレステの解散と時代的にぴったりリンクしているみたいで、さながら滑稽とでもいうのか何とも皮肉な思いがしてならない…。

 そんな悪夢の様なプログレッシヴ低迷期+アンダーグラウンド移行期を思わせる80年代初頭から徐々にイギリスのポンプロック勃発を皮切りに、プログレッシヴ・リヴァイヴァルの気運が一気に高まり、80年代中盤ともなるとイタリアにもプログレッシヴ復興の兆しが訪れ、極僅かにテープ作品のリリースで生き長らえていた次世代の台頭と共に70年代イタリアン・ロックが再び見直され、アナログLPないしCDへと移行した再発、90年代ともなるとプログレッシヴ専門のレーベルが軒並み発足され新旧のバンドが揃って店頭に並ぶなど、イタリアン・ロックは70年代と同じ位の熱気と創意を取り戻し再び息を吹き返して21世紀の今日までに至っている次第である。
 イタリアン・ロック復活の思いと気運は当然チェレステサイドにも大きな転機と変化を及ぼし、グロッグレーベル閉鎖と共にお蔵入りしていた2ndアルバムが、時を経て1991年Mellowレーベル前身のM.M. Records Productionsより、実に14年振りに『Celeste II』として陽の目を見る事となり、翌1992年にはMellowレーベル(Mellow発足と創設にあっては、かのCiro Perrino自身も大きく関わっていたのは有名な話)より前出の1974年に録音された映画のサントラ用音源も未発アイテム系の一環として『I Suoni In Una Sfera』というタイトルでCD化され、その後は矢継ぎ早にチェレステのデヴュー作もイタリア盤或いは日本盤でCDリイシュー化へと見事に繋がった次第である。
     
 当初アナログLPのみのリリースだった『Celeste II』も、2006年ジャケットアートの変更と共に装い新たにボーナストラックが収録された『Celeste Sec』としてリイシューされ、更には2010年リーダーCiro Perrino監修と編さんによるIL SISTEMA時代含めチェレステ、そしてバンド解散後にCiro自身が参加していたSt. Tropez期の音源が4枚組CDとして収録された『Celeste:1969-1977: The Complete Recordings』までもがマストアイテムとして世に出る事と相成って、いつしか自然と本家チェレステとしての復活を願う声が囁かれる様になったのはもはや言うには及ぶまい。
 Ciro自身も若い時分、時代に翻弄されていたとはいえ2ndアルバムを良くも悪くもあの様なサウンドスタイルで創ってしまった事は不本意であったと思っていたに違いない。
 心の中で葛藤し何とかして自らの心の中のわだかまりを消し去るには、自らが納得した形と音楽環境で明確な答えを出さなければならないと決意し、こうしてCiro自身孤軍奮闘の日々が始まり、自身以外のメンバー全てを刷新した10名近い大所帯でチェレステは復活再結成され、2019年の新しい年の始まりと共に届けられた、1976年のデヴューアルバムに続く正統の流れと作風を汲んだ、実に43年振りの実質上の新作『Il Risveglio Del Principe』を今こうして何度も繰り返しては聴いては感動の大海に身を委ねている今日この頃である。
 宣伝めいた書き方で些か気恥ずかしさを感じているが、お陰様で日本盤SHM=CD並びイタリア輸入盤CDとLPも大変嬉しい事に今もなおロングセラーを記録している昨今である。
     

 更に喜ばしい事に、Ciroが1970年代後期に作曲として携わったSOLAREなる音楽プロジェクトの未発テープ音源が、装いも新たにCiro自身のソロワークプロジェクト「PLANETS(SOLARE)/ EARLY TAPES」として復刻CD化されるという吉報までもが舞い込んで、近年のCiro並びチェレステ周辺はまぎれもなく活況著しく賑やかであるといった今日この頃である…。
   

 あの日夢見た純白の世界の白馬の王子が再び大勢の聴衆の前で帰還する日が来る事を願って止まないと共に、昨年突然のメッセージを送ってくれたCiro Perrinoとの友情と信頼に何とかして応えてやらねば…そんな思いが日々募る2019年末12月の暮れの空の下である。

Sono sinceramente grato per la mia amicizia e fiducia con Ciro Perrino.
Grazie mille.

Monthly Prog Notes -December-

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 2019年、今年最後の「Monthly Prog Notes」をお届けします。

 今回は2019年の終わりに相応しい、まさしく秀逸で珠玉なるラインナップ3作品が出揃いました。
 先ずは旧チェコスロバキアの共産圏時代、その一時代を牽引したと言っても過言では無いスロバキアの大御所“フェルマータ”がバンド名義としては実に14年ぶりの新譜リリースと相成りました。
 東欧独特のエキゾチックなイマージュとエモーショナルなリリシズムを湛えた、21世紀相応のソリッドにして硬派で流麗なシンフォニック・ジャズロックは、黄金期に負けず劣らずなダイナミズムが聴く者の心を必ず鷲掴みにする事必至です。
 バルト三国随一にして最大のロック大国エストニアから、3年前のセンセーショナルなデヴュー作が全世界で大いなる話題を呼んだ“ポージャ・コーン”待望の2ndが満を持して到着しました。
 漫画タッチながらも何やらヤバそうで深読み出来そうな意匠に包まれた本作品は、往年の伝説の大御所イン・スペのリマスター&リイシューに呼応する形で、バンドとブラスセクション、ストリングアンサンブル、コーラス隊との共作による新曲+イン・スペのカヴァーを取り挙げた意欲的な内容に仕上がっています。
 そしてイタリアからも久々に心躍り胸が熱くなる様な期待の新鋭“イ・モディウム”の素晴らしいデヴュー作が届けられました。
 70年代イタリアンのビッグネーム…PFM始めバンコ、オルメ、アレア影響下のイディオムとシンパシーを脈々と継承した、これぞ王道イタリアンの音を21世紀に甦らせたと言わんばかりな気概と作風に、リスペクト云々といったカテゴリーをも超越した敬意と愛溢れる最良の一枚と言えるでしょう。
 去りゆく2019年に様々な思いを馳せ、来るべき2020年に新たな期待と希望を寄せながら、一年間の終焉を飾るであろう荘厳なる旋律の調べに、ほんのひと時でも酔いしれて頂けたらと思います。

 そして…近日発表公開される“2019年 プログレッシヴ・アワード”へと繋がる布石或いはイントロダクションとして捉えて頂けたら幸いです。
 年末の最後まで、どうか乞う御期待下さい!
 
1.FERMATA/Blumental Blues
  (from SLOVAKIA)
  
 1.Booze Night/2.Ladies Of Avion/3.Blumental Blues/
 4.The Pigeons Of St.Florian/5.Last Dance At The Firsnal Place/
 6.The Copper Cock/7.Hommage A Marian/8.Stupid Morning/
 9.The Breakfast At Stein/10.First Morning Tram

 バンド結成当初からのオリジナルギタリストFrantisek Griglák主導による2005年の再結成復帰作(半ばFrantisekのソロ・プロジェクトに近い形ではあるが)から実に14年ぶりの新譜リリースとなる、まさしくこれぞ実質上フェルマータ名義の再出発作と捉えても異論はあるまい。
 今回オリジナルメンバーの初代キーボーダーTomás Berkaとの再会・合流を機に再々結成による復活劇を経て新たな若手のリズム隊を迎えて製作された本作品、70年代の名作群に負けず劣らずなダイナミズムと迫力が全曲の端々で満ち溢れており、クロスオーヴァー、ジャズロック、シンフォニック…等の要素を内包した、ただ単に冗長気味なムーディーさに決して流される事の無い各楽曲とも剛と柔や押しと引き、メリハリをつけて決して聴く者に飽きを感じさせない、都会的に洗練されたセンスとヨーロピアンな美意識とが互いにせめぎ合いつつ、テクニカルな巧みさの中にアーティスティックな感性が光っていて、徹頭徹尾プロフェッショナルな意識とプライドが随所で垣間見える、文字通り長年の勘と経験が雄弁に物語っている大ベテランらしい粋が存分に堪能出来る秀逸で神々しい一枚と言えるだろう。
 共産圏時代の紆余曲折と、ロックそのものが拒絶された困難な時代を生き抜いたからこそのリアリティな説得力がやけに胸を打つ…。
          

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2.PÕHJA KONN/Hetk.Inspereeritud Tüürist
  (from ESTONIA)
  
 1.Avamäng 2020/2.Üksi Olemise Hurmav Oõv/
 3.Igavik/4.Väike Eestimaine Laul/5.Taandujad/
 6.Isamaa/7.Pillimees on Alati Tragi/8.Päikesevene/
 9.Antidolorosum/10.Hetk/11.Uus ja Vana

 バルト三国きってのロック大国エストニアから、3年前のセンセーショナルなデヴュー作で一躍全世界中のプログレッシヴ・ファンの度肝を抜かし、瞬く間に脚光を浴びる事となった21世紀エストニアン・シンフォニック期待の新鋭ポージャ・コーン
 3年ぶりに満を持してのリリースとなった2ndの本作品は、あたかも故手塚治虫氏の漫画ないし、見た目スパイダーマンの敵キャラをも連想させるトカゲ男が何やらドラッグを摂取しラリっているといった体で、ややもすれば意味深且つ不謹慎でケシカラン意匠に包まれながらも、肝心要の内容たるやあの秀逸なるデヴューから更なる格段のスケールアップと強化が図られ、前デヴュー作と同様イエス始めジェネシス、GG影響下を強く感じさせながらも、本作品と同時期にリイシューされた同国のレジェンド級イン・スペの唯一作に呼応するかの様に、新曲にプラスする形でイン・スペの未収録曲のカヴァーが収録され、更にはバンドとオーケストラ、チェロトリオ、男女混声コーラス隊との共演で、文字通りロック、クラシック、チェンバーといった音楽的素養が渾然一体となった圧巻ともいえる壮大なる意欲作に仕上がっている。
 3年という年数と月日はバンドをここまで成長させるのかと改めて溜飲の下がる思いであると共に、イン・スペからポージャ・コーンへと…時代と世紀を越えたプログレッシヴ・スピリッツの橋渡しが受け継がれた趣すら禁じ得ない。
          

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.I MODIUML'anno Del Contatto
  (from ITALY)
  
 1.L'anno Del Contatto/2.Sorona Dove Sei/
 3.Un Attimo Di Infinito/4.La Fabbrica Del Silenzio/
 5.Per Favore Musica(PFM)/6.L'altra/7.Piccoli Galli/
 8.L'anello Del Bufalo/9.Rifletto

 21世紀イタリアン・ロックシーンより、またしても聴く者の心を揺り動かすであろう素晴らしき期待の新鋭が登場した。
 ヴォーカル、ギター、キーボード、ベース、ドラムによる基本的な5人編成によるセルフリリースで本デヴューを飾る事となったイ・モディウムは、紛れも無くPFM(特に5曲目を御注目)始めバンコ、オルメ、果てはアレアからの影響を物語っており、正真正銘あの70年代イタリアン黄金期の伝統と王道を内包したヴィンテージサウンドやイディオムを脈々と継承し、21世紀イタリアンでありながらもどこかしこ古き良きあの70年代イタリアンな懐かしさをも垣間見せてくれる実に稀有な存在と言えるだろう。
 陽光の下の日向の匂いや石畳の街並み、碧き地中海の微風といったイマージュを湛えつつ、大らかで繊細ながらも牧歌的で爽快感溢れるサウンドは、俗に言う邪悪系イタリアン・ヘヴィプログレッシヴとは真逆な対に位置し、全曲から感じられる陽気で人懐っこくて職人肌にも似たアーティスティックな感性を持ったイタリア人らしい気質が要所々々で散見される素敵な贈り物に他ならない。
 ジャケットの意匠的にはインパクトこそ欠けるものの、月明かりに照らされた穏やかな大海原という幻想的なイメージこそ彼等のサウンドの身上(心情)そのものと言っても過言ではあるまい。
          

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Progressive Award 2019

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    プログレッシヴ・アワード2019扉Prog Notes Special "Progressive Award 2019"

 年末恒例、今年一年間のプログレッシヴ・ロックの総括…プログレッシヴ10選並び最優秀新人賞、そして久々に設けられた特別賞を含め、2019年の極々私的で個人的な見解で取り挙げた愛して止まない素晴らしい作品群に敬意を表すると共に、心から惜しみない賛辞と拍手を贈りたいと思います。
 今回エントリーされた数々の作品達…ベテラン勢から新鋭、復活した伝説クラスの大御所に至るまで多種多様且つ多種多彩(多才)なラインナップが出揃ったと自負しております。
 無論これを御覧になった方々の中には、人それぞれですから私とは全く違う意見やら違ったラインナップ、反論含め批判やらお叱り、抗議もあるかと思います(苦笑)。
 だから毎度の事で恐縮ですが…あくまで私の中の2019年アワードであって、御拝読された皆様も“これこそ大関自らが選んだ2019年のプログレッシヴなんだなぁ…”と捉えて頂けたら幸いです。

2019年プログレッシヴ・ロック10選
 Top 10 Progressive Rocks 2019

第1位 CELESTE/Il Risveglio Del Principe
第2位 MODERN-ROCK ENSEMBLE/Night Dreams & Wishes
第3位 IQ/Resistance
第4位 FLYING COLORS/Third Degree
第5位 MINDSPEAK/Eclipse Chaser
第6位 BLANK MANUSKRIPT/Krásná Hora
第7位 KARFAGEN/Echoes From Within Dragon Island
第8位 LOST WORLD BAND/Spheres Aligned
第9位 PÕHJA KONN/Hetk.Inspereeritud Tüürist
第10位  BRAM STOKER/No Reflection

             

   

   

   

次点 - Runner-up
HUIS/Abandoned
ON THE RAW/Climbing The Air
LATTE MIELE 2.0/Paganini Experience
LU7/3395
PROPORTIONS/Visions From A Distant Past

   

         

特別賞 - Special award
BANCO DEL MUTUO SOCCORSO/Transiberiana
PHOLAS DACTYLUS/Hieros Gamos
FERMATA/Blumental Blues

   

2019年最優秀新人賞 - 2019 Best Newcomer Award
STRATUS LUNA/Stratus Luna
IVORY TOWER/The Earth
OPRA MEDITERRANEA/Isole
MOON LETTERS/Until They Feel The Sun
VOYAGER IV/Pictures At An Exhibition
I MODIUM/L'anno Del Contatto

   

   

総括
 2019年…振り返ってみれば今年の『幻想神秘音楽館』は、革新或いは刷新とも言うべき大きな変動のあった一年だったと思います。
 長年住み慣れ愛着のあったNECウェブリブログの突然とも言うべきシステム変更で、概ね12年近く綴り貯めてきた自身のブログが文章の羅列に至るまで一切合財が滅茶苦茶になってしまい、あまりに御都合主義なNECサイドに対しほとほと愛想が尽き果ててしまい、これを機に新たな活路を求めてこのFC2という新天地に移行し、過去の「夢幻の楽師達」そして「一生逸品」の文章データを再度掘り起こしセルフリメイクと復刻リニューアルで毎週2回に亘る連載という形で今日までに至っている次第ですが、改めて今はNECに見切りをつけた大英断は正解だったと自負しております(惜しむらくは移行と再開までの間、久々に一ヶ月だけ休載したのは残念ですが…)。
 そんなこんなでまあいろいろと波瀾含みもありましたが、今年もこうして何とか地道に細々と運営出来て…早い話(ブログ環境の刷新を除いて)基本的には昨年と殆ど何ら大きな変化の無い充実した2019年だったと思います(苦笑)。

 今年のプログレッシヴ・シーン全体を総じて見ると、プログレ大国のイタリア始めイギリスの盛況も然る事ながら、数年前はあまりパッとしなかった印象だった欧州のオーストリアから2バンドも10選にランクインするという快挙には我ながら新鮮な驚きを覚えました。
 ウクライナ、ロシア、エストニア、アメリカ、ブラジル、そして日本…等、ベテランから大御所復活組、果てはニューカマーに至るまで、部門やランキング云々といった垣根を問わずそれぞれ十人十色の個性と音楽性で2019年を盛大に飾ってくれた事に心から感謝の念と共に敬意を払いたいと思います。
 改めて今年一年『幻想神秘音楽館』を御愛顧、御支援頂き心より厚く御礼申し上げると共に、感謝の気持ちを込めて本文を締め括りたいと思います。
 本年も有り難うございました。
 新しい年まであと数時間ですが、皆様どうか良いお年をお迎え下さい。
 来たる2020もまた引き続き宜しくお願い申し上げます。 

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