幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 27-

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 2月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
 今回は北米大陸のヨーロッパと言っても過言では無いカナダより、凍てつく様な極寒の中で燃える様な熱情…或いは漆黒の闇の中を差し込む一条の光にも似たシンフォニックの雄“FM”に今再び焦点を当ててみたいと思います。

FM
(CANADA 1976~)
  
  Cameron Hawkins:key, Syn, B, Lead-Vo
  Nash The Slash:Electric-Violin, Electric-Mandolin, Per, Vo
  Martin Deller:Ds, Per, Syn

 北米大陸に於いて欧州的な感性とヴィジョン、そしてイマージュをも湛えた文字通り北米大陸の中のヨーロッパと言っても過言では無い国カナダ。
 広大な山脈を始め森と湖を有し、神秘的なオーロラといった、まるで北欧然とした佇まいを残し如何にもといった感の伝説と民族神話に彩られたお国柄を反映するかの如く、名実共に実力と技量を兼ね備えた幾数多もの名バンド…大御所のラッシュやサーガを筆頭に、モールス・コード、マネイジュ、アルモニウム、クラトゥー、単発組でもポーレン、オパス5、エト・セトラ、スロシェ、90年代から21世紀にかけてはヴィジブル・ウインド、ネイサン・マール、ミステリー…etc、etcが輩出されたカナディアン・プログレッシヴシーン。
 今回紹介されるFMも、一連のカナディアン・プログレッシヴに括られながらも、そのバンドネーミングに相応しいレトロSF的にして未来派感覚のスタイルを有する、一種異彩を放つ稀有な存在だったと言えまいか…。

 バンドの詳細なバイオグラフィーに関してはある程度判明しているところで、1976年にラッシュを輩出したトロントにてバンドの要とも言えるCameron Hawkins、そして初代ヴァイオリニストのNash The Slashによるデュオからスタートしている。
 Cameron自身少年時代から学校のオーケストラやトロントの室内楽団にて腕を磨き、ビーチ・ボーイズからビートルズ、果てはワルター(ウェンディー)・カーロスの“スイッチト・オン・バッハ”に触発されて、クラシカルとロックとの融合を試み始め、折りしもリアルタイムにクリムゾンやイエスといったプログレッシヴに触れた事が彼の人生を大きく左右する事となる。
 相方でもあったNashは、Toronto's Royal Conservatoryにて音楽を学び、ヨーク大学でナショナル・ユース・オーケストラに所属する一方、70年代に入ると彼自身が最初に所属したプログレッシヴ・バンド“ブレスレス”にてヴァイオリニストとして参加している。
 その後、CameronもNashも数々のバンドで経験を積みながら、1976年に参加したクリアなるバンドで二人とも意気投合しFM結成へと歩み出す。
 当初はドラムレスで、Cameronのキーボードとベース、Nashのエレクトリック・ヴァイオリンとエレクトリック・マンドリンのみといった変則スタイルで時折ドラムマシンを導入するといった具合で、地元トロントのラジオ局はじめテレビのオーディション番組に出演し、その異色にして出色なサウンドスタイルで話題と評判を得るまでに、そう時間を要しなかったのは言うまでもあるまい。
 彼等のサウンドはエレクトリック系の楽器とシンセサイザーを多用した独自の作風でありながらも、ジャーマン系にありがちな観念的な瞑想感云々は微塵も感じられず、ホークウィンドに触発された部分も散見出来るスペイシーで少々ダークなトリップ感覚を兼ね備えた、ジャズィーでクロスオーヴァー感を湛えた重厚なシンフォニック・ロックであると共に、何よりもポピュラーでヒット性も予見できるヴォーカルだった事が大きな強みだったのも特色と言えるだろう。
 そんな彼等の盟友にしてバンドの支援・理解者でもあった電子音楽家兼アートプロデューサーDavid Pritchardの全面協力の下、彼等は76年11月トロントのAスペース・アートギャラリーにてテレビ放映を兼ねた初のワンマンライヴを行い成功への切符を手にするのであった。
 こうして翌77年2月、David Pritchardの作品を通じて旧知の仲だったドラマー兼シンセサイザーのMartin Dellerを迎えてトリオ編成へと移行する。

 順風満帆で軌道の波に乗り始めた彼等は、カナダ国営放送CBCからの援助を得てメールオーダーのみの限定500枚プレスで実質上のデヴュー作に当たる『Black Noise』をリリースする。
 当初はモノクロ写真で撮られたマンホールの蓋がプリントされたという…下手なジョークや笑い話にもならない位、お世辞にもとても上出来とは言い難い地味な装丁だったとの事で、私自身ですらもまだ一度もお目にかかっていないのが何ともはやではあるが、良い意味で初出の音源として捉えれば貴重で高額なプレミア物ではあるが、悪い意味で捉えれややもすればタチの悪い冗談として見られかねないのが悔やまれる(苦笑)。
 本デヴュー作『Black Noise』は(お粗末なジャケットを抜きに)大いに評判を呼ぶと同時に即完売し、ライヴ活動でも各方面から絶賛され、このまま上り調子で行くのかと思いきや、バンドをここまで牽引し自らが為すべき事は全て出し尽くしたと悟ったNashがFMを抜け、彼自身も後年ソロ活動と併行して数々のプロデュース、ソロパフォーマーとしての道を見出していく事となる。
 デヴュー間もないにも拘らず突然の窮地に立たされたFMではあったが、その一方で大きな吉報が彼等の許に届けられた。アメリカ大手のプログレッシヴ専門レーベルPASSPORTからワールドワイド仕様でプレスされる事となり、紆余曲折の末に一介のカナダのローカルバンドから漸く世界進出への足掛かりを掴み、残されたCameronとMartinは再びバンド再興に奮起し、抜けたNashの後任獲得へと奔走するのであった。
 そのアメリカPASSPORT盤が皆さん御存知の『Black Noise』である。
 看板に偽り無しと言わんばかりな作品タイトルに相応しいダークなSF感覚を想起させる意匠は、まさしくFMというバンドカラーにとって面目躍如と言っても過言ではあるまい。
 

 ワールドワイド盤リリースと時同じくして1978年、バンドは共通の友人達の伝を通じて新たなヴァイオリニスト(兼マンドリン)のBen Minkを迎えて、次回作の為のリハーサルに入るものの、トロントのオーディオ関連会社の依頼で半ば急遽リハに近い形で、スタジオライヴ一発録り30分強という制限時間の中で製作された実質上の2作目『Direct To Disk』を極限られた流通経路でリリースする。
 前デヴュー作での経験を活かしたジャズロック的な側面が更に強く押し出されたインプロヴィゼーションに重きを置いたジャムセッション的な趣を感じさせつつも、前任のNashに負けず劣らずBenが奏でるヴァイオリンの流麗な旋律に、メンバーチェンジ後の遜色なんぞ一切無縁な彼等の真摯な創作精神と情熱に只々驚嘆する思いである…。
 あたかもハヤカワSFノベルの表紙を思わせる意匠に、個人的には『Black Noise』よりも彼等の世界観を代弁しているかの様で非常に好感が持てる。
    
 ちなみに余談ながらも…本作品『Direct To Disk』にあっては幾つかの逸話があって、当初こちらの方が幻のデヴュー作であると紹介された事もあって、私自身も目白にあった某プログレ廃盤・中古盤専門店にて店長からアナログオリジナルLP原盤を見せてもらった事があって、幻のデヴュー作とすっかり鵜呑みにしてしまった若さ故の青臭い経験があって、あの時点で参加メンバーのクレジットをちゃんとしっかり確認すれば良かったものの、これがいかんせん原盤そのものにメンバークレジットが記されてなかったものだから全く以って困ったものである(苦笑)。
 ネット時代の今だからこそこうして正確な情報が伝達され“これが彼等の2作目です”とハッキリ認識出来るものの、思い起こせばFMというバンド自体も誤認情報やら不明瞭な活動経歴云々で振り回され散々な憂き目を見たのではと思うと、時代の推移に隔世の感を覚えると共に、アーティスト側に非こそ無いが作品製作に携わった当時のスタッフ達の曖昧模糊で且つ適当で無責任な発言に改めて憤りすら禁じ得ない。
 僅かな収録時間と限られたプレス枚数であるにも拘らず『Direct To Disk』は売れに売れ、プレスの増産でジャケット違いの出直し作品が何度か出回ったりHeadroomと作品タイトルが変更されたりと、相も変わらず下世話な話題に事欠かない状況ではあったが、そんな余計な顛末なんぞ意に介さず彼等は創作活動と新作の為のリハーサルに没頭し、翌1979年ある意味に於いて頂点に達したと言わんばかりな最高傑作『Surveillance』をリリース。
 この時期アメリカのPASSPORTレーベル倒産を機に、3rdリリースはアメリカのアリスタが一手に引き継ぐ事となり、カナダでも大手のキャピトルがデヴュー作(ジャケットは変わらず)と3rdをセールする運びとなった。
    
 イエスの“究極”を思わせる様なイントロに導かれるオープニングの“Rocket Roll”を始め、『デンジャーマネー』期のUKを彷彿とさせる(やはり意識していたのだろうか)良質なポップスのセンスが遺憾無く発揮された好ナンバーが続き、売れ線を意識した作風を覗かせながらもプログレッシヴなエッセンスとメジャーな産業ロックとのバランスが上手く調和し非常にまとまった整合性すら感じさせる好作品に仕上がっている。
 メジャーな流れの作風を完成させ80年代に突入した彼等ではあったが、折しも時代はテクノ/ニューウェイヴ全盛期に差し掛かり、時代に抗いつつもプログレッシヴは様々なアプローチを試みて生き長らえているといった様相で、FMも御多聞に漏れずアメリカの大御所シナジーこと(後にゲイヴリエルのバックで大活躍する)ラリー・ファストのプロデュースで時代の空気に呼応した4th『City Of Fear』をリリース。
 70年代の名残と言わんばかりなメロトロンの大胆な導入を始め、最新鋭の機材を多用した幾分ニューウェイヴに歩み寄ったモダンなプログレを構築するも、もう如何にもといった感のジャケットの意匠が災いし、それが直接の原因とは言い難いものの古くからのファンや支持者の大半が離れていってしまったのは最早言うまでも無かった…。
 いやはやこれには私自身ですらも流石に手を出す勇気が無かったからね…。
 以降、FMは時流の波に乗った『Con-Test』や『Tonight』といった、おおよそプログレッシヴとは無縁に近い作風で立て続けに作品をリリースし新たなファンを得るものの、この当時…ドラマーの交代、ギタリストの加入、ヴァイリニストの交代とメンバーの流動は激しさを増し、オリジナル・メンバーのNashとジョイントで作品を発表したり…と混迷と紆余曲折、試行錯誤の繰り返しが続き、その間話題になった事といえばBen Minkが1982年にラッシュの『シグナルズ』で一曲ゲスト参加したという朗報が入ってくる程度だった。
 バンドとしての活動も長期のスパンが徐々に見受けられ、2001年以降からはテレビ始めフィルムミュージックの方面にシフトして、FMというバンドそのものも存在したりしなかったりといった状態が続いていた。
 しかし事態は急転直下し2006年に“NEARFest 2006”に招聘され、FMそしてCameron自身再びプログレッシヴへの情熱と創作意欲を取り戻し息を吹き返す事となる…。
 Cameronを筆頭にMartin Deller、そしてイタリア系アメリカ人Claudio Vena を迎えて往年の名ナンバーを披露し大勢の聴衆から熱狂的に迎えられ、その時の模様は昨年の2013年の夏にDVDでもリリースされているとのこと。こうしてFMの復活劇は見事大成功を収めプログレッシヴ・フィールドに再び返り咲いた次第である。
    

 こうして2015年、Cameronを筆頭にPaul DeLong (Ds) 、Edward Bernard(Violin, Viola, Mandolin, Vo)、Aaron Solomon (Violin, Vo) を迎えた4人編成で、あたかもデヴュー期の頃に立ち返ったかの様なSFマインド&テイスト満載な作風と意匠を思わせる、現時点での通算7枚目の新作『Transformation』をリリースし今日までに至っている次第であるが、21世紀というリアルタイムに再び息を吹き返した彼等がこの先私達にどんなサウンド・アプローチを打ち出し、インテリジェントで且つアイロニカル…或いはクールでスタイリッシュなスペイシーサウンドを聴かせててくれるのだろうか?
 いつかまた数年後にリリースされるであろう新譜に大いなる期待を寄せつつ、彼等が遥か遠いこの日本の地でライヴをする日もそう遠くないであろう…そんな見果てぬ夢物語を信じて止まない今日この頃である。

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一生逸品 POLLEN

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 今月最初の「一生逸品」は、昨今の暖冬でも厳寒でもない…そんな曖昧模糊とした如月の空模様を爽快に払拭する様な魔法の音楽そのものと言っても過言では無い、あたかも万華鏡を覗き見る様な唯一無比の眩惑に彩られた“極彩色の音宇宙”を創作し、今なお名作と称えられ高い評価を得ている…まさしくカナダのイエスという称号に相応しい“ポーレン”に、今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


POLLEN/Pollen(1976)
  1.Vieux Corps De Vie D'ange/2.L'eteile/
  3.L'indien/4.Tout L'temps/
  5.Vivre La Mort/6.La Femme Ailee
  
  Jacques Tom Rivest:Vo,B,Ac-G,Key
  Richard Lemoyne:El & Ac-G,Key,B
  Claude Lemay:Key,Flute,Vibraphone
  Sylvain Coutu:Ds,Per,Vibraphone

 同国のモールス・コードと共に“カナダのイエス”という誉れ高き称号を得ているポーレンは、1976年にバンド名と同タイトルでもある唯一の作品を遺している。
 先にも述べたが北米大陸のヨーロッパというイマージュと大自然の雰囲気とパノラマを湛えたカナダというお国柄、アメリカンな文化とは一線を画したプログレッシヴなムーヴメントが確立されても何も不思議ではあるまい。
 全世界的にビッグネームとなった英語圏トロント出身のカナディアン・プログレハードの雄でもあるラッシュやサーガは例外ながらも、フランス移民が大半を占めるフランス語圏ケベック出身のモールス・コード、オパス5、エト・セトラ、マネージュ、アルモニウム、そして今回の主役ポーレンは、決してアメリカで売れたい云々とかセールス、ヒットチャートを意識する事無く、良くも悪くもアメリカの音楽産業を見限った独自の流通と作品発表の場を70年代後期に擁立しつつ、自国のプログレ・ムーヴメントの礎たるものを築き上げたと言っても異論はあるまい。
 
 話の前置きが小難しくなったが、そんな時代背景の中でポーレンというバンドは自らの足跡を残すために精力的に演奏活動と録音をこなしていた、良い意味で至福の時間を過ごした事であろう。
 アナログLP原盤では詳細なバイオグラフィー等は一切不明であったが、CDという御時世はインナーに歌詞のみならずバンド結成の経緯やら活動の歩みといった詳細までもが綴られているのだから何とも実に有難い事だ…。
 ただいかんせんフランス語による文章だから、少々読み難く判別しづらいのが難点であるが故、どうかそこは御了承願いたい。
 バンドの歩みを簡単に触れておくと…1972年、2人の若者Jacques Tom RivestとRichard Lemoyneによって、ポーレンの前身とも言うべきバンドが結成され、翌73年になると地元の有名ミュージシャンやアルモニウム関連の人脈らとライヴで共演するようになり、その人伝でキーボード奏者のClaude Lemayが加わり、2年後の1975年にはバンド間の知人を介してドラマーのSylvain Coutuを迎え、バンド名も正式にポーレンとなった次第である。
 ちなみにポーレンとはフランス語で“花粉”を意味し、彼等のジャケットアートを踏まえた音楽的ヴィジュアルな面でも幻想・夢想感を与えて良い相乗効果を生み出しているのも特筆すべきであろう。
 なお…フランス語の正式な読み方では“ポラン”なのであるが、長年プログレ愛好者からはもうポーレンという名で通っているが故、そこはどうか寛大にお許し願いたい(苦笑)。

 先にも触れた様に、彼等の創作する音楽とジャケットアートワークとの相乗効果によって何度も言及してきた事なのだが、作品を何度も耳にする度に万華鏡(カレイドスコープ)を覗き込んだかの如き変幻自在なイマージュとトリップ感覚にも似た浮遊感を感じてならない…それこそまさしく“不思議の国の音楽”そのものと言えよう。
          
 イエスやジェントル・ジャイアントに多大な影響を受けながらも、メロトロンやソリーナ系は一切使用しておらず、ハモンドとモーグ、アープ系のシンセ、エレピ、クラヴィネット等による楽曲の綴れ織りと、同郷のアルモニウムに触発されたかの様なアコギによるアンサンブルとの融合による変幻自在で目まぐるしい楽曲の中にも、カナディアン特有の自然の美を湛えたかの様な哀愁と抒情感をも兼ね備えた両面性を有する、マーキー・ベルアンティークが謳ったキャッチコピー“極彩色の宇宙”さながらの音世界を繰り広げている。
          
 重厚なシンセによるイントロに導かれたオープニングから押しと引きが絶妙なバランスで交互に奏でられ、続く2曲目はカナダの深遠な森の調べを彷彿とさせるリリシズム溢れるフルートとアコギのアンサンブルが美しい。3曲目もアコギによるバラード調のトラディッショナルなナンバーだが、雪原に降りしきる粉雪の様な繊細で儚い寂寥感漂うムーディーな陶酔感が印象的である。
 4曲目以降からは打って変わって幾重にも織り重ねられ畳み掛ける様なキーボード群の活躍が著しいナンバーが続き、エレピ系のハープシコードをフィーチャリングしたGGさながらの軽快な楽曲に、5曲目ともなるとミスティックなオルガンが高らかに鳴り響くイエス風のシンフォニックと多岐に亘るのが実に小気味良くて嬉しい。
 ラストの10分超の大曲は、もうポーレン・サウンドの集大成といっても差し支えない位、アコースティック調から徐々に雄大なシンフォニックへと雪崩れ込んでいく様は、静から動へと楽曲とテンションがせめぎ合い大団円へと帰結していく、音宇宙の終着点さながらと言えよう。

 これだけ高水準な作品を創り上げながらも何故バンドが消滅したのかは今となってはもう知る術が無いが、良い意味で解釈すれば、ポーレンというバンド活動を区切りに、お互いそれぞれ来るべき別の道を歩もう…と、ひょっとしたらメンバー間で暗黙の了解が交わされていたのかもしれない。
 まあ、あくまで推測に過ぎないが…。
 仲違いや喧嘩別れによるバンド解散なら、後にリーダーのJacques Tom Rivestの78年のソロ作品にメンバー全員が参加する事は無かっただろうから、バンド活動に於いては割と円満な人間関係だった筈に違いない。
 まあ、それこそ下世話な話で申し訳ないが…。
 Jacques Tom Rivestはその後1980年にもう一枚の素晴らしいソロ作品をリリースした後、現在は自身のオフィスを設立しケベック州の多数のアーティストの楽曲を提供したり、自身もスタジオ・ワークに参加して多忙を極めている様だ。
 Richard Lemoyneも長年の盟友となったJacques Tom Rivestに協力し、後進の育成に携わりながらも楽曲の提供やスタジオ・ワーク並びギグにも参加している。
 Claude Lemayは、現在地元テレビ局にて音楽製作や、舞台音楽の監督として手腕を発揮しており、あのセリーヌ・ディオンとも一緒に仕事をしたそうな。
 Sylvain Coutuもテレビ局関係の音響の仕事に就いており、自身でも会社を運営しているとの事。
          
 彼等の短命な音楽活動そして歩みにおいて、時代の運に見放されたとかプロダクション云々に恵まれなかったなんて言葉は愚問に過ぎないであろう。
 勿論この手のバンド活動にありがちな…よく言われる話、若い時分の青春の一頁的なノリだとか記念に作りましたなんて事も微塵に感じられないし、それこそ一笑に付されるであろう。
 ポーレンというバンドの軌跡は、彼等の真摯な姿勢と精神、揺るぎ無い創作意欲と絶対的で確固たる自信の賜物と言っても過言ではあるまい。
 “自分たちの歩んだ道と音楽に触れて、何かを感じ取ってくれたら…”それは彼等の音楽を愛する者と、彼等の足跡に続くであろう後進のプログレッシヴ系アーティスト達への静かなるメッセージなのかもしれない。
 どうか今宵は改めてポーレンが遺してくれた音楽に心から乾杯しようではないか。

夢幻の楽師達 -Chapter 28-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、70年代イタリアン・ロックの第一次黄金時代に於いてニュー・トロルスやオザンナと共に名門大手のフォニット・チェトラレーベルの一時代を支え、ヒッピーカルチャームーヴメントの申し子だったデヴュー期から、紆余曲折を経て自らのスタイルで時代を切り拓きつつプログレッシヴへの信条と真髄を貫いた、唯一無比なる孤高の個性派集団“デリリウム”に再びスポットライトを当ててみたいと思います。

DELIRIUM
(ITALY 1971~)
  
  Ivano Fossati:Vo, Flute, Ac‐G, Recorder, Harmonica 
  Mimmo Di Martino:Ac-G, Vo
  Marcello Reale:B, Vo
  Ettore Vigo:Key
  Peppino Di Santo:Ds, Per, Vo

 イタリア音楽界老舗大手のリコルディ始めヌメロ・ウーノ、果ては外資系のポリドール・イタリアーナ、数々のレアアイテムを輩出したRCAイタリアーナ…等を含め、有名無名大なり小なり数々のレコード会社からの後ろ盾で、イタリア国内から長命短命を問わず幾数多ものプログレッシヴ・バンドが世に躍り出て、文字通り70年代のイタリアン・ロックの栄華と隆盛は前述のレコード会社とレーベルが貢献した(ひと役買った)と言っても過言ではあるまい。
 前出のリコルディやヌメロ・ウーノに引けを取らず、数々の傑作級名盤を世に送り出したワーナー傘下の老舗フォニット・チェトラも然り、ニュー・トロルスやオザンナ、果てはRRRといった現在もなお現役バリバリで精力的に活動しているアーティストを抱え、第一次イタリアン黄金時代の片翼を担った役割は大きいと言えるだろう。
 当時チェトラレーベルが擁していたニュー・トロルス、オザンナと並ぶ人気バンドで、実力と演奏技量、知名度共に申し分無く、イタリア国内では今もなお絶大なる根強い人気を誇っている今回本篇の主人公デリリウムも、チェトラ・レーベルが持つ多種多才な音楽色に更なる彩りを与えた存在として、その名を克明に刻み付けているのは周知の事であろう。
 イタリアとの温度差とでも言うのだろうか…日本ではトロルスやオザンナと比べると今ひとつパッとしない印象は拭えないのが正直なところであるが、多分にクラシカル・ロック、カンタウトーレ、ジャズといった様々な素養を内包しつつ、良い意味でオールマイティーにソツ無くこなしており…悪い意味でどっち付かずな散漫な印象を与えているのかもしれない。
 まぁ…良し悪し抜きにそれこそがデリリウムらしいスタイルと言ってしまえばそれまでであるが(苦笑)。

 デリリウム結成当時のオリジナルメンバー兼リーダー格でもあり、21世紀の今もなおイタリア音楽界の重鎮にしてカンタウトーレ界の大御所と言っても過言では無い大ベテラン中の大ベテランIvano Fossati。
 デリリウム結成前夜ともいえる60年代末期、Ivano Fossatiは自身の出身地ジェノヴァにて後にニュー・トロルスのメンバーとなるNico Di Paloと共にザ・バッツなるバンドで経歴をスタートさせる事となるが、バッツ時代は主にストーンズや自国のディク・ディクのカヴァーを中心に活動するも、後にニュー・トロルス結成へと向かうNicoと袂を分かち合い、Ivanoは旧知の間柄でもあったMimmo Di Martinoを始めとする4人のメンバーと共に、射手座を意味するI SAGITTARI(イ・サジッターリ)なるバンドを結成し、その後理由は定かではないが程無くしてIvanoの提案でデリリウムへと改名、同年の1971年ラジオ・モンテカルロ主催のロック・コンテストで優勝を獲得し、その後数々のロック・コンテストで立て続けに入賞を連発させる。
 ちなみにこの時のオリジナルデヴュー曲に当たるタイトルはバッツ時代にNicoとの共作でもあった「Canto Di Osanna」で、改めて思うにこの当時からトロルス始めオザンナ、デリリウムも既に見えない運命の糸で結び付けられていたかの様な、不思議な縁とでもいうのか繋がりを感じてならない…。
 デリリウムの人気と知名度が一気に高まり、バンドサイドもその追い風を受けて漸く軌道に乗り始めた時同じくして、フォニット・チェトラ側のフロントマンの目に留まった彼等は、チェトラとの契約を交わし1971年『Dolce Acqua』で堂々たるデヴューを飾る事となる。
          
 Ivanoの優しくも憂いを帯びたヴォーカルとタル影響下を彷彿とさせるフルートに追随するかの如く、ロック、ジャズ、クラシック、カンタウトーレといった音楽的素養を内包した抒情的なメロディーラインが彩る独特の音世界は、同時期にリリースされたPFM『Storia Di Un Minuto』、オルメ『Collage』、そしてオザンナのデヴュー作と並んでチャートを争う事となり、結果セールス面で4位を獲得するというデヴュー作にして大健闘を成し遂げたのは言うに及ぶまい。     
 明けて翌1972年、イタリア国内外で異例の大ヒット曲となった「Jesahel(ジェザエル)」を引っ提げてサンレモ音楽祭に出演したデリリウムは聴衆からの絶大なる喝采を浴び、音楽祭以降も様々なロック・フェスティヴァルに出演し彼等自身の人気はますます鰻上りに上昇し一躍スターダムへの座へと上り詰めた次第である。
          
 が、そんな上り調子のさ中Ivanoが一時期の間イタリア軍の兵役に就かなければならなくなり、リーダー格でもありフロントマンを欠いたデリリウムはデヴュー間もなく大きな岐路と転換期を迎える事となる。                 
 余談ながらも、デヴュー作で描かれた摩訶不思議で一種独特のアートワーク…さながら当時世界中を席巻していたヒッピーカルチャーと神への帰依を示唆した様なユートピア志向も然る事ながら、改めてYoutubeで72年当時のサンレモ音楽祭でデリリウムが謳った「Jesahel」の画像を見直してみると、バックコーラス隊のインディオ風ないでたち=ヒッピームーヴメントの片鱗というか、時代の大らかさと空気感が窺い知れて非常に興味深い。

 話は戻って兵役の為デリリウムを去ったIvanoではあったが、音楽への情熱は決して冷める事無く程無くして軍楽隊に所属しフルート奏者として活躍した後、兵役を終えて除隊後の活躍は既に御存知の通りカンタウトーレとして大成功を収め、現在もなおソロシンガーとして20枚以上ものアルバムをリリースし、イタリア国内の様々なアーティストに楽曲を提供、プロデュースからアレンジャーと多方面で活躍し現役バリバリに活躍している。
 一方のデリリウムは72年Ivanoの抜けた後釜としてイギリス人のサックス兼フルート奏者Martin Griceを迎え、曲によってメンバー全員が代わる々々々持ち回りでヴォーカルを担当するというスタイルへと移行し、同年2ndの『Lo Scemo E Il Villaggio(愚者と村)』、そして間を置いて同メンバーで1974年に3rd『Delirium Ⅲ:Viaggio Negli Arcipelaghi Del Tempo』という2枚の素晴らしい好作品をリリース。
 前者の2ndはオーケストラパートを一切配せずあくまでバンドオンリーの演奏が主体となっており、デヴュー作では幾分抑え気味だったハモンドやメロトロンといったキーボードパートが2枚目の本作品ではかなり前面的に押し出した形でフィーチャリングされ、新加入のMartin Griceの白熱の演奏も聴き処満載である。
    
 後者の3rdはデリリウムとオーケストラパートが渾然一体となった、より以上にドラマティックでシンフォニック・ロック色を強めた作風で、さながらニュー・トロルスの『Concerto Grosso』シリーズやRDMの『Contaminazione』とはまたひと味もふた味も違った、ロックとオーケストラとの融合美と更なる可能性、或いはバンドの意欲的な姿勢すら垣間見える秀逸な一枚に仕上がっている。
                   
 しかし悲しいかな…バンドサイドの思惑とは裏腹に、Ivanoというフロントマン無き後決して臆する事無く心機一転+脱ヒッピーカルチャーを目指してリリースした2ndと3rdも、楽曲の素晴らしさとは相反するかの如く予想外にセールスが伸び悩み、彼等の果敢な努力も空しく敢え無く失敗に終わってしまう(早い話、素晴らしい音楽が決してヒットと好結果に結び付くとは限らないという事であろう、実に悔しい限りではあるが…)。
 2ndと3rdリリース時にシングルカット向きの曲を出さなかった事も一因している向きもあるが、安易にシングルを売りにする様な生温い姿勢のままでは流石に彼等とて我慢ならなかったのかもしれない。
 結局彼等デリリウムは恩義を受けたフォニット・チェトラの面子を潰したくなかったが故に自主的にレーベルを離れる事となり、以後は新設されたばかりのAGUAMANDAなるレーベルに移籍しアルバムを製作する事無くシングルヒット向きのナンバーをリリースしバンドの起死回生を図るものの、結局は成功とは程遠く深い痛手を負うばかりの失意と不遇の日々を送るという憂き目に遭ってしまう。
 そして迎えた1975年、サウンドの要ともいえるキーボーダーEttore Vigoの脱退を機に、櫛の歯が一本ずつ抜け落ちるかの様にバンドは空中分解し、70年代末のイタリアン・ロック衰退期と時同じくしてデリリウムはこうして幕を下ろす事となる…。
 皮肉な事にバンドは解散しても遺された作品群ばかりが後年再び見直されて、プログレッシヴ・ファンないしイタリアン・ロックの愛好家達から高い評価を受け相応な高いプレミアムで市場に出回る頃ともなると、フォニット・チェトラサイドからは1978年にシングルヒットした「Jesahel」を含めたベストアルバムがリリースされ、日本国内でもキングレコードのユーロ・ロックコレクションに於いて、ワーナーから一時的に権利が離れたチェトラレーベルの作品群(ニュー・トロルスやオザンナ)が大挙リリースされる運びとなるものの、惜しむらくはデリリウムの国内盤LPが遂にリリースされなかった事が何とも恨めしい(候補にはちゃんとしっかり挙がってはいたのだが…)。

 後年マーキーのベル・アンティークやワーナー・ミュージックジャパンから国内盤CDがリリースされる時同じくして、イタリア国内でも80年代イギリスのポンプロック勃発から10年経過した90年代に再び巻き起こったイタリアン・プログレッシヴリヴァイバルに呼応する形で、70年代のレジェンド達がこぞって再結成・復活を果たし、御多聞に漏れず1999年デリリウムもドラマーPeppino Di SantoとベーシストMarcello Realeのオリジナルメンバーのリズム隊に加えて新メンバーのRino Dimopoli をキーボードに据えたトリオ布陣でヒット曲の「Jesahel」を含めた再録と新曲による復帰作『Jesahel』で久々にイタリアン・ロックシーンに返り咲く事となる。
 まあこの頃ともなるとチェトラレーベルを含む様々な各方面よりデリリウム関連の編集盤、ベストコンピ企画物が大挙出回るという背景もあっていろいろと情報整理するだけでも至難の業である(苦笑)。
 結果的には一時的な復帰作『Jesahel』も企画物系の一環として、正式な復帰とは程遠い体裁であるのが正直なところであろう。
 が…イタリアン・ロック復興という時代の流れを追い風に、21世紀を迎える頃ともなるとデリリウムのメンバー周辺が俄かに慌しくなってくる。
 ドラマーPeppino Di Santoの鶴の一声よろしくの呼びかけで、ミュージカルや舞台関係で手腕を発揮してきたEttore Vigoを始め、Martin Griceが再び集結し、新たなギタリストとベーシストに加えて、一曲のみのゲスト参加として長年苦楽を共にしてきたMimmo Di Martinoという布陣で、2009年かのダーク・プログレッシヴ系を多く抱えるBlack Widowからの招聘で遂に正式な再復活作『Il Nome Del Vento』をリリースし、並み居る70年代レジェンド・イタリアンの復活劇に於いて強烈なインパクトを与えたのは最早言うには及ぶまい。
                 
 6年後の2015年にはEttoreとMartinの2人を核に新たなドラマーとギタリスト、そして(現時点では正式なメンバーか否かは定かではないが)ラ・マスケーラ・ディ・チェラよりヴォーカリストのAlessandro Corvaglia を迎えた6人編成で最新作の『L'Era della Menzogna』をリリースし、翌2017年の8月12と13の両日プログレッシヴ・ライヴの殿堂川崎クラブチッタにて開催の“ザ・ベスト・オブ・イタリアン・ロック サマー・フェスティヴァル 2017”にて遂に待望の初来日公演を果たした次第である。
 デリリウム初来日公演から早いもので3年が経とうとしているが、現時点に於いて彼等からの新作リリースに関する情報やらアナウンスメントが聞かれなくなって実に久しい限りである(ネットやらSNS全盛という御時世であるにもかかわらず…)。
 あたかもそれは新たなる動きへの予兆なのか、或いは熟考と熟成を重ねた更なるデリリウムの進化系としてリハーサルとレコーディングの真っ只中なのか、それを知る術は誰しもが皆目見当付かないのが正直なところではあるが、確実に言える事は…今はただ彼等を信じて待ち続けるしかないという言葉に尽きるであろう。
 そしていつの日かまたシーンに返り咲きその雄々しき姿を現すまで、彼等が目指す飽くなき挑戦を我々は長い目で見守り続けていこうではないか…。

一生逸品 IL PAESE DEI BALOCCHI

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 今週の「一生逸品」は、イタリアン・ロック史において「名作」「傑作」といった枠を超えた、硝子細工の様に繊細で詩情豊かな至高の一枚として誉れ高い“イル・パエーゼ・ディ・バロッキ”に、今一度輝かしき光明の灯を当ててみたいと思います。
 
IL PAESE DEI BALOCCHI
  Il Paese Dei Balocchi(1972) 
  1.Il Trionfo Dell'A Violenza,Della Presunzione E Dell'Indifferenza/
  2.Impotenza Dell'Umilta'E Della Rassegnazione/
  3.Canzone Della Speranza/4.Evasione/
  5.Risveglio Visione Del Paese Dei Balocchi/ 
  6.Ingresso E Incontro Con I Balocantt/7.Canzone Della Carita'/
  8.Narcisismo Della Perfezione/9.Vanita'Dell'Intuizione Fantastica/
  10.Ritorno Alla Condizione Umana 
  
  Fabio Fabiani:G 
  Marcello Martorelli:B 
  Sandro Laudadio:Ds, Vo 
  Armando Paone:Key, Vo

 今を遡ること…キングレコードのユーロ・ロック・コレクション第8弾目に登場した本作品。
 高校卒業前後に馴染みのレコード店にて出会ってから、もうかれこれと20年以上もの長い付き合いになるが、バロッキが遺した唯一の珠玉の名作とも言える一枚。自分自身の年齢と共に21世紀経った現在でも尚、古臭さを感じさせる事無く…勿論、その魅力と味わい深さ、映像的イマジネーションを想起させる感傷的で涙ものの旋律と魔法ですらも決して色褪せる事無く、一輪挿しの花の様な淡い色合いと白昼夢の如き儚さを湛えた愛聴盤として心の中に留めている。 
 それはあたかも…唯一童心に帰れる=子供の目と心で感じる事の出来る、憧れ、不安、夢、希望、悲しみ、訣別それら全てが凝縮された束の間の夢・御伽噺にも似通っている。
 そして何よりも…彼等の音には陽光の下の陰りや、ひっそりと咲く草花の香り、木々の温もりすら感じ取れる。
 この素敵で美しく物悲しい夢を紡いだ4人の楽士の詳しい経歴・バイオグラフィー、並びバンド結成の経緯から活動経歴に至るまでは、概ね1971年頃にまで遡る。
 バンドの母体とも言うべき“UNDER 2000”名義で1971年、クエラ・ベッキア・ロッカンダの1stをリリースしたレーベルで知られるRCAイタリアーナ傘下のHELPより、現時点で確認されている唯一のデヴューシングル『Preghiera Dlamore/Tagilia La Corda』をリリースしている。
 お恥かしい話…筆者自身は未聴なれど、イタリアン・ロックに詳しい筋からの詳細によると、2分弱という収録時間にも拘らず、本作品にも相通ずる怒涛の如きオルガンと泣きのギター、荘厳なるコーラスで埋め尽くされた、71年というイタリアン・ロック黎明期という時代に相応しい…所謂隠れた名作の一枚と数えても何ら異論はあるまい。願わくば、何らかのコンピレーション企画物CDでもあれば是非共聴いてみたいものである(苦笑)。
 HELP時代での短い活動期間を経て、如何なる経緯でバンドを改名し、当時イ・プーを擁していたイタリアCBS傘下のCGDへと繋がっていくのかは、残念な事に私自信何も皆目見当が付かず解らず終いといったところであるが、1972年のアルバム・デヴューと前後した同年、地元音楽誌Ciao 2001主催の、あの有名なヴィラ・パンフィリのロック&ポップフェスにてバンコ、ニュー・トロルス、オザンナ、果てはクエラ・ベッキア・ロカンダ、セミラミス…etc、etc幾数多ものバンドと共に参加している事から、当時は(失礼ながらも)それ相応に鳴り物入りでかなり期待と注目を集めていたに違いない。 
 余談ながらも…もしも、その72年のヴィラ・パンフィリのロック・フェスが何らかの形で映像等が残ってれば、是非DVD化されて観てみたいのがファンの心理と思うのだが如何なものだろうか? 

 劇的で怒涛の如きオルガンに導かれ、いきなり更に劇的なオーケストラが入ってくる辺りが何ともドラマツルギーに満ちた映像感覚を彷彿させるところであり、ジャケット内側のフォトにしてもドキュメンタリー・タッチな雰囲気を醸し出している。
      
 演奏の面においても誰一人として個人プレイに走ることなく、時にポエジーに時にブルーズィーに展開し、厳かに淡々と「子供達の国」そのものの世界観を損なう事無く物語は綴られていく。
 聴き様によってはこれほど地味な印象を与えるバンドも当時のイタリアのシーンの中では珍しくもあり、時折挿入される男性ヴォーカルもどことなく悲哀で憂いな情感が色濃く出ていて、あのマウロ・ペローシにも相通ずるところも感じられ、あたかも置き去りにされたオルゴールを思わせるかの様に寂しげに木霊するチェレステの響きも落涙ものである。
 本作品の締め括りに相応しい…夢の帰結を思わせるパイプオルガンの高らかなる響鳴は、現実の世界に引き戻された者達のやるせない悲しみそのものであろう。
 メロトロンやシンセ系を一切使わずにしてバンド並びオーケストラ共々が渾然一体となって、それぞれに聴く人の郷愁とノスタルジィを呼び覚ます至福に満ちた逸品であろう。 
 オーケストラ・アレンジャーを務めるクラウディ・ジッツィも、バカロフとはまたひと味違った手法で作品の音像に奥行きを与えているのも注目である。
          

 イル・パエーゼ・ディ・バロッキも栄華を誇った他のバンドと同様、御多分に洩れず結局のところ…後にも先にもこの御伽草子の如き素敵な一枚の音楽作品を遺し、バンドやメンバーそのものも表舞台から姿を消す事となった次第である。
 更に余談なれど、一時期多くのイタリアン・ロックファンに知られた話…7年後の1979年にDisco Texなるマイナーレーベルからイル・パエーゼ・ディ・バロッキ名義のシングル『Fantasia E Poesia/Amore Per Gioco』(後年、本作品のCD化に際してボーナス・トラックにも収録された)がリリースされるも、実は後年それは偶然というか運命の悪戯とでも言うのか…たまたま同名のバンドであった事が判明し、今回取り挙げたイル・パエーゼ・ディ・バロッキとは何の所縁も関係もないとの事である。
 ちなみに79年版バロッキは、プログレ色の薄い何とも甘く切ないラヴ・ロック路線であるとの事。

 ラッテ・エ・ミエーレの『Passio Secundum Mattheum』、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ、トリアーデをお聴きになって心の琴線を揺さぶられた方や、幼少の頃に読んだ童話『鉛の兵隊』『幸福の王子』に心を揺り動かされた方なら、本作品の持つ世界に共鳴し涙する事であろう。 
 私自身、年齢を重ねる度毎に彼等の作品に接すると目頭が熱くなってなかなか最後まで聴き通せなくなるのが正直なところでもある。
 ただ唯一言える事は、本作品こそ珠玉の名作の名に恥じない一枚云々といった枠を超越した、陽光降り注ぐイタリアの風土と情熱、オペラとバロックの国であるというアイデンティティーを体現した稀有な存在であったという事を決して忘れてはなるまい…。 

夢幻の楽師達 -Chapter 29-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、少数精鋭ながらも数々の名立たる名作・傑作を輩出しプログレッシヴ・ロック史に栄光の軌跡を刻んできたスイス勢から、先般取り挙げたサーカスやアイランドの登場以前にシンフォニックで崇高な音宇宙の空間を築き上げた、メイド・イン・スイスのロック・シーンに於ける伝説と栄光の象徴に相応しい“SFF”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

SFF
(SWITZERLAND 1976~1979)
  
  Eduard Schicke:Ds,Per
  Gerd Fuhrs:Key
  Heinz Frohling:G,B,Key

 「夢幻の楽師達」にてプログレッシヴ・トリオを取り挙げるのは、イタリアのラッテ・エ・ミエーレ、そしてカナダのFMに次いで今回のSFFが3番手になるだろうか…。
 キーボードを多用したプログレッシヴ・トリオといったら大方の見解として、当然とでも言うかEL&Pの名を挙げる方々が圧倒的であろう。まあ…プログレ・ファンによってはトリアンヴィラートとかレ・オルメ、トレース、レフュジー辺りを挙げる方もいるかもしれないが。
 兎にも角にも…ナイス→EL&Pが打ち出してきたサウンドスタイルは多種多様に全世界に波及してエマーソンのシンパ(リスペクト)とでもいうべきキーボーダー、そしてキーボード・トリオ系プログレを出来不出来に拘らず多数世に送り出してきた次第であるが、御多分に洩れず今回の主役とでもいうべきスイスのSFFも多かれ少なかれエマーソンのスタイルないし方法論、音世界に共鳴・共感したバンドであろう。
 私自身も大昔のまだ若い十代後半の時分に、初めてマーキー誌にてSFFなる存在を知った時は、極単純に“ああ…多分EL&Pみたいな類なんだろう”と高をくくって、そんなに興味を示した訳ではなかったのが正直なところである。
 その若さ故の先入観と浅はかな思いは、二十代前半にマーキー誌と関わってきた数年間ですらも変わる事無く、あるプログレ好きの知人が聴かせてくれた2作目の『Sunburst』のやや単調な作風に触れてからは、ますます余計に“このバンドのどこが凄いんだろう…?”と理解不能に陥ったから、今に
して思えば無知な青いガキみたいな思考回路で本当に困ったものであると恥ずかしくなる事しきりである(苦笑)。
 そんな若い時分の私の誤った認識と先入観を見事きれいさっぱり払拭してくれたのが、今はプログレ業界からすっかり足を洗った横浜の友人が聴かせてくれた彼等のデヴュー作『Symphonic Pictures』の圧倒的で重厚な音のうねりと波濤だったのは最早言うに及ぶまい。
 前置きがかなり長くなったが、SFFというバンドネーミングは言わずと知れたドラムとパーカッションのEduard Schicke、キーボードのGerd Fuhrs、ギターとベースそしてキーボードとマルチにこなすHeinz Frohling…といった3人の名うてのパーソネルの姓名の頭文字を取って命名された。

 バンドの結成に至る経緯は(私自身の乏しい語学力も加えて)現時点では定かではないが、おおよそ1975年を境とした辺りが有力であろうと思われる。
 まあ…手抜きという訳ではないがその詳細辺りはマーキー/ベル・アンティークがリリースした国内盤紙ジャケCDのライナーに譲る事にして、ここでは彼等がリリースした作品を年代順に追って私論めいた解説に留めておきたいと思う。
 彼等SFFが創作する音世界のバックボーンは、70年代ドイツ=俗に言うジャーマン・ロックから…エロイ、ノヴァリス、ポポル・ヴフ、ノイといったジャーマン・ロック史の一時代を築いた影響下が及ぼしていた。
 基より彼等の目指す方向性が、クラシカルな素養をベースにスペース・ロックとアヴァンギャルド、そしてエレクトリック・ミュージックをコンバインさせた唯一無比の世界観だったことが、76年の鮮烈なデヴュー作『Symphonic Pictures』を孤高にしてシリアスなシンフォニック・ロックへと集約させた要因と言っても差し支えあるまい。
  
 『Symphonic Pictures』以降から一貫してSFFサウンドを支えているのは、Schickeの多彩なパーカッション群に、クラシックの素養が遺憾無く発揮されたFuhrsの端整なピアノ・プレイにクラヴィネット、メロトロン、モーグのアンサンブルの壮麗さ、そしてFrohling奏でる流麗にして幽玄+エモーショナルなギターは、並み居るキーボード・トリオ系プログレとは一線を画す事をアピールする上で強力な武器にして自己主張を物語っているかの様ですらある。
 Frohling自身もメロトロンを弾きFuhrsを好サポートするポジションとして自覚しているのも好感が持てる。
 まあ…兎にも角にも何よりギブソン・レスポールとリッケンバッカーのベースとを半々にドッキングさせたFrohlingのオリジナル仕様には何度見ても感心するやら溜息が出るやら(苦笑)。

 荘厳でシリアス・シンフォニックな内容にも拘らずデヴュー作『Symphonic Pictures』の評判は上々で、ドイツ国内と母国スイスで精力的なライヴをこなしてきた甲斐あって12000枚ものセールスを記録し、翌77年にはデヴュー作を手掛けたブレイン・レーベルの名プロデューサーDieter Dierksを再び起用し、2作目に当たる『Sunburst』をリリースする。
 前作の荘厳且つシリアスで堅さの感じられた硬派な作風から一転して、肩の力を抜いて幾分リラックスした雰囲気と環境下すら伝わってくる2作目は、昔聴いた時分は今一つピンと来なかったものの、年齢的に成長して耳が肥えた今なら無難に聴ける、『Symphonic Pictures』のエッセンスを濃縮還元した、凝った作風から脱却したアーティスティックで渋味を感じさせる作風ながらも、曲の端々で緻密なリリシズムすら想起させる全曲オールインストながらもポエジーな側面をも垣間見せる、やや人間味溢れる内容に近付いたと言ったら言い過ぎだろうか。
 ちなみに本作品では、ベーシストにEduard Brumund-Rutherをゲストに迎えて最初で最後の4人編成で製作に臨んでいるが、Frohlingがギターオンリーに専念したかったのかどうかは定かではないが、SFF自体“ロックバンド”という意識に改めて立ち返って自己を見詰め直したかった意味合いも含まれているのだろうか…。
    
 そして1978年、SFFは今までの思いの丈をぶつけるかの如く…創作意欲と自己の活動の集約を意識していたかの様な3作目に取り掛かり、Dieter Dierksを再びプロデューサーに迎えて実質上のラストアルバム『Ticket To Everywhere』をリリースする。
    
 好みの違いと差こそあれど、前作並び前々作に負けず劣らず彼等の音楽的素養が存分に活かされ発揮された素晴らしい完成度であるという評価を得ている一方で、商業ベースに乗ったとか垢抜け過ぎてSFFらしくないといった苦言を呈する輩がいたのもまた然りであった。
 結果的に本作品リリースを最後に、SFFは(音楽的な方向性の相違も含めて)解体し、Schickeはヘルダーリンの後任ドラマーとして参加し、残ったFuhrsとFrohlingは“Fuhrs & Frohling”というデュオ形態へと移行し、よりアーティスティックで且つアコースティックで内省的な方向性の作風を
目指し、SFF解体の同年『Ammerland』をブレインからリリース。以後、同傾向な作風の『Strings』(79年)、『Diary』(81年)をリリースした後、ブレイン・レーベルの路線変更も重なって)人知れず表舞台から姿を消し以後消息を絶った次第である。
 …が、そんな終息期の真っ只中、一時はSFFの評判を聞きつけた生前のフランク・ザッパが一緒にコラボレート・セッションしないかと持ち掛けられた事もあったそうな。
 残念ながら契約面といった諸問題が絡んで結局実現までには至らなかったが、もしもこの時点でザッパと何らかのセッション等の機会に恵まれていたならば、SFF自体も今後の展望に向けて何らかの新たな活路を見出せたのではと思うのだが…。
 加えて…1992年11月にキーボーダーのFuhrsが逝去する(死因は不明)という不幸に見舞われ、この事でSFFはもう実質上消滅したと言っても異論はあるまい。

 SFFという存在が無くなった現在、彼等が遺した3枚の作品は国境やレーベルこそ転々としつつも、時代と世紀を超えて何度もリイシューされては新たなファンをまた増やしつつあるみたいだ。
 3人の男達が歩み築き上げた軌跡こそ伝説となってこれからも語り継がれていくだろうが、伝説は決して伝説のままで終わらないだろう…。
 彼等の生き様と魂がプログレッシヴを愛する者達の心に生き続ける限り、SFFはこれからも未来永劫神々しく輝き続けていく事だろう…私はそう信じたい。

一生逸品 DRAGONFLY

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 今週の「一生逸品」は少数精鋭を誇るスイス・シンフォニック勢から80年代のユーロ・シンフォニックの名作・名盤と言っても過言では無い“ドラゴンフライ”が遺した唯一作に、今一度焦点を当ててみたいと思います。

DRAGONFLY/Dragonfly(1982)
  1.Behind The Spider's Web 
  2.Shellycoat 
  3.You Know My Ways(I Belong To You) 
  4.Willing And Ready To Face It All 
  5.Dragonfly 
  
  Markus Husi:Key 
  Marcel Ege:G 
  Rene Buhler:Vo,Per 
  Klaus Monnig:B 
  Beat Bosiger:Ds 

 この1枚の珠玉なる作品が初めて我が国に紹介された80年代初頭の当時、マーキー誌のアンダーグラウンド宣言を皮切りにインディーズながら各国からも70年代物に負けず劣らず秀でた作品が紹介され始めた頃であった。
 その一方でイギリスはマリリオンを筆頭とするポンプロックが台頭するも…当初はまだまだ未熟な感のあったポンプ・ムーヴメントに往年のファンは失笑せざるを得なかったのが実情であった(後にIQ始めソルスティス、ペンドラゴン…等がポンプロックの汚名と失地回復に大いに貢献したが)。
 加えて70年代のレア物の再発(我が国のキングのユーロ・コレクション始め、世界各国でも再発ラッシュの嵐が吹き荒れたことを今でも記憶している)、果ては未紹介レア物の発掘に…挙句の果てがブート紛いみたいな粗悪・劣悪な再発盤までが出回る始末であった(80年代半ば頃、特にブリティッシュ系とイタリア系はこの海賊盤再発物で多大なる被害を被って、信用失墜までに陥った)。
 そんなこんなの80年代初頭、マーキー誌を通じてスイス出身のバンドと作品がかなりの数に渡り紹介された次第である。アイランド、サーカス、フレイム・ドリーム、リザード、カシミール、ケダマ、後にスイス出身と判明したSFF等がほぼ第一世代であれば、ドラゴンフライは同時期に紹介されたアガメムノン、エロイテロンとともに第二世代前半組に該当するであろう。因みに第二世代後半のデイス以降、90年代はクレプシドラ、そして現在はシシフォスあたりがスイス勢の顕著な存在と言えるだろう。 
 ドラゴンフライはチューリッヒ近郊に住む学友のキーボードのMarkus HusiギタリストのMarcel Egeを中心に、70年代初頭にその母体となるバンドからスタートした。
 当時からイエス、GG、EL&P、PFM…等から多大なる影響を受けていた二人は、学校卒業後コミューン生活をスタートさせ幾つかのローカル・バンドにて活動を続ける一方、既に多数の曲を書き貯めていた。
 学生当時からMarkusはイエス並びEL&Pのピアノ・スコアを数多くこなし、Marcelはイエスのスティーブ・ハウに心酔し“ザ・クラップ”や“ムード・フォー・ア・デイ”といったアコースティック・ナンバーを難なく習得し実績を誇っていた。
 75年当時において既に20分以上の曲を多数作曲し、50以上もの異なる多彩かつ複雑なコードを組み合わせては、本作品に収録された何曲(ボーナス・トラック含む)かも既に礎が完成していたとの事。
 二人はその後…ドラゴンフライと正式なバンド名でスイス国内にて数多くのギグをこなしながらも、アイランド、サーカスといった第一世代バンドとも交流し協力し合いながらも、理想のバンドメンバー探しに奔走し、79年漸く本作品リリース時のラインナップが揃う。
 80年のモントルーのフェスティバル出演を機に、彼等はアルバム・リリースの実現に向けて動き出すも、82年のデヴューに至るまでは様々な困難と障害、紆余曲折が待ち構えていたのは言うまでもなかった。
 が、それでも彼等は理想の作品目指して臆する事なく歩み続けた。そして、多数の友人から資金援助と協力を得て遂に待望のマスターテープを完成させ、スイス国内及び旧西ドイツ国内の大手メジャーレーベルに持ち込むもことごとく拒否され、やむなく自主レーベルの“Highfly”を興して本作品リリースに至った次第である。
          
 オープニング1曲目から彼等が紡ぐ音世界の幕明けに相応しいエッジな切れとノリの良いプログレッシヴ・ハードなナンバーに圧倒されるであろう。
 曲の起伏と緩急の使い方が絶妙で、決して一本調子に陥る事無く寄せては返す波の様に幾重にも畳み掛けるキーボードとギター、リズム隊のアンサンブルは何度も耳にする度毎に決して色褪せる事の無い感動に包まれて、兎にも角にも至福の溜め息が出てくる思いですらある。
 2曲目はどことなくコミカルなメロディーラインを感じさせつつも、かつてのPFMの“セレブレイション”を彷彿とさせるメロディーラインが印象的な好シンフォニック・ナンバーで、この一曲だけでも彼等の音楽的素養と多才さとサウンドルーツの奥深さが垣間見える事必至であろう。
 打って変わってリリシズム溢れる落涙必至なメロディーラインにして、どこかノスタルジックさを感じさせる美しくも流麗なピアノが印象的なシンフォニックなスローバラードの3曲目の懐の広さには溜飲の下がる思いで、アルバム全体の中で一服の清涼剤にも似た良いアクセントになっていると言っても申し分はあるまい。
 冒頭1曲目と双璧をなす何ともカッコいいハード&ヘヴィ・シンフォナンバーの4曲目に至っては、当時ポッと出で見切り発車気味だったイギリスのポンプロック勢に彼等の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい位のダイナミズムとプログレッシヴ・ロックを創作するという潔さが窺い知れる真摯な姿勢と気概さに感服する事しきりである。
 旧LP盤のB面全面を費やした大曲“Dragonfly(ドラゴンフライ組曲)”は文字通り本作品中最大の呼び物の最高傑作にして、前半~中盤にかけてのピアノとアコギによる瑞々しくも美しいアコースティックパートの“静”から、天空を突き抜けるかのような疾走感と高揚感がせめぎ合うシンフォ・ハードエッジな“動”へと展開する様はまさに圧巻かつ爽快の一言に尽きる。
          
 …とここまでがオリジナルLP原盤に収録された曲のラインナップであるが、後年リイシューされたCD化に際しボーナストラックとして収録された未発表曲も、実に誠あっ晴れなクオリティーと出来栄えを誇っており、“Humdinger(高級品)”はどことなく意味ありげなタイトルながらもEL&P、トレース、果ては数多くのイタリアン・キーボードトリオスタイルを思わせる秀作で、片や一方はMarcelのアコギが全編に渡って響き冴え渡るアコースティックな趣の大作“The Riddle Princess(謎の王女)”は、オリジナルに収録の“Dragonfly”にも匹敵する、何とも筆舌し難いシリアスムードで物悲しさが全編漂う神秘的且つミステリアスな雰囲気香る隠れた名曲で、個人的にもこの一曲だけでリイシューCDを買う事を躊躇する事なくお勧めしたいの一語に尽きる。
          
 バンド自体は…この本作品以降、MarkusとMarcel両名によるプログレ路線推進派とコマーシャリズム路線傾倒派とが対立し、あれだけ世界各国のファンから絶賛されつつも、バンド自体は泣く泣く自然消滅への道を辿って行き、Markusは現在はスタジオ・ミュージシャンとして恐らくはスイス国内のテレビやCF等で活躍していると思われる。
 一方のMarcelに至っては完全にロック界から身を引きクラシック/フラメンコ・ギタリストとして現在もなお精力的に活動し作品も多数リリースしているとのこと。 
 ドラゴンフライ…80年代において類稀なる才能を開花させながらも、一瞬の輝きを放ち静かにその幕を閉じた彼等。
 彼等のデヴューがもしもあと3年遅ければ、あのポンプ・ロックシーンよりも更なる上昇気流に乗って輝きを増して何枚かの作品を残せたのではなかろうか…と、改めて今返す々々思えば思うほど、時代の運気とチャンスに見放された事がつくづく悔やまれると共に伝説という称号のまま終止符を打たせるには誠に惜しい存在であったと思えてならない。

夢幻の楽師達 -Chapter 30-

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 今回2月最終週の「夢幻の楽師達」で数える事連載30回目に達しました。
 これも単に支持して頂いている皆さんあってのお陰です。
 改めて本当に有難うございます…。
 これからも臆する事無く常に前向きで、自分が続ける限り精一杯綴っていきたい所存です。
 今後も慌てず焦らず自らのペースを保持しつつのんびり気長に続けていければと願わんばかりです。
 連載30回記念を飾るのは、先週のスイス勢と同様少数精鋭の感が強いヨーロッパ中部はオーストリアから、数少ない実力派にして、ある意味オーストリアのプログレッシヴ・ムーヴメントの礎を築いたと言っても過言では無い孤高の道程を辿ったであろう、正真正銘…夢幻の楽師達という言葉に相応しい“イーラ・クレイグ”に今一度焦点を当ててみたいと思います。

EELA CRAIG
(AUSTRIA 1971~ ? )
  
  Hubert Bognermayr:Key,Vo
  Fritz Riedelberger:G,Piano,Vo
  Hubert Schnauer:Key,Flute
  Gerhard Englisch:B,Per
  Harald Zuschrader:Key,Flute,G
  Frank Hueber:Ds,Per
  Alois Janetschko:Mixing Engineer

 ヨーロッパ中部に於いて、音楽の都というアカデミックな佇まいが現在もなお色濃く根付いている首都ウィーンを擁する国オーストリア。
 印象的には…さぞやクラシックに根付いたプログレッシヴ・バンドが数多く存在していると言いたいところではあるが、各専門誌でも過去に何度も触れられている通り、オーストリアというお国柄然り一種独特にして特異な音楽芸術環境の下ではプログレッシヴを含めてなかなかロックというジャンルが育ち難いというのが現状である。
 今回取り挙げるイーラ・クレイグ始め、ヴィータ・ノーバ、アート・ボーイズ・コレクションといったサイケデリア色の強い黎明期を皮切りに、ジェネシス影響下のキリエ・エレイソン→インディゴ、オパス、クロックワーク・オランゲ、そしてスティーヴ・ハケットとの度重なるコラボで21世紀の現在も尚精力的に活動している大御所ガンダルフ…といった具合で、同じ少数精鋭の隣国スイスのシーンと比べてみても小粒な頭打ちで印象がやや薄いのは正直否めない(苦笑)。
 自国のオーストリアそしてヨーロッパ近隣諸国に於いて、相応の知名度と実力、そしてその秀でた唯一無比の音楽性で現在も尚根強い支持を得ているイーラ・クレイグ。
 知名度と認知度こそあれど、我が国ではどうも今一つ正当な評価が為されておらず、悪く言ってしまえば…所謂B級止まり(断っておくが私自身余りA級だB級だとかいった扱いが好きではない)の不遇な扱いのままで終始している様な気がしてならない。
 何度も触れるが…そもそもイーラ・クレイグとの最初の出会いからして最悪と言わざるを得なかった。
 言わずと知れた事だが、80年代にキングに倣えとばかり日本フォノグラムが手掛けたユーロ・コレクションのお粗末っぷりと言ったら、ジャケットの裏がモノクロ印刷でそのままライナーノーツになっていたという、一瞬見た目“これって廉価版!?”と疑いたくもなる様な俄かに信じ難いセールス手法で、今ならさしずめ非難轟々責任者を呼べ!とでも言いたくなる装丁で、今回のイーラ・クレイグ然り、オルメにアンジュもこれで皆泣かされたのが何とも手痛いというか口惜しい限りである。
 そんなややトラウマに近い事もあってか、折角のイーラ・クレイグ日本デヴューも手抜きジャケットのお陰で肝心要の音楽も全体像も殆どが散漫で印象がボヤけてしまったのが非常に悔やまれる(零細企業の日本フォノグラムさんは、あの当時のポリドール・イタリアンロック・コレクションの精神を大なり小なり見習ってほしいものである)。
 お恥かしい話だが…当時高校卒業間近な私ですらも、あんな手抜きジャケットのユーロ・コレクションをライブラリーに加えるのだけは絶対許せなかっただけに、イーラ・クレイグ始めアンジュ、オルメの手抜き国内盤を全部2週間後には売却処分してしまったという、そんな悲しい思い出ばかりが今でも記憶の奥底にヘドロの如く残っている。
 イーラ・クレイグなんてたった数回針を落としただけで手放したのだから最大の痛恨でもあり、その後も彼等の名前をユーロ専門店で目にする度に、本当につくづく申し訳無いという気持ちと共に、あの当時の嫌な思い出が甦るのだから困ったものである…。
 前置きがかなり長くなったが、彼等イーラ・クレイグに話が及ぶといつもあの手抜き国内盤の悲しい思い出が、まるで昨日の事の様に甦ってくるのだから本当に始末に悪い(苦笑)。
 CD化時代の極最近ですらも、どこぞの訳の解らないブート紛い的レーベルから2nd「One Niter』と3rd『Hats Of Glass』の2in1形式で、ジャケットの装丁も『One Niter』の裏ジャケットのバンド写真を引き伸ばしただけというお粗末極まりない扱いだから、不遇扱いの連鎖続きに辟易しているのも事実である。
 まあ…宣伝というわけでは無いが、数年前にマーキー・ベルアンティークから紙ジャケット・オリジナル仕様の完全復刻盤CDがリイシューされているから、彼等の苦労と不遇な時間も少しは報われたのではなかろうか。

 イーラ・クレイグの歩みは、遡る事1970年…オーストリア中北部はドナウ川に面した地方都市リンツで産声を上げた2つのバンド…ビートルズのカヴァー・バンドMELODIAS、そしてサイケデリック・ポップスがメインのTHE JUPITERSとの出会いから幕を開ける。
 地元テレビ局主催のジャムセッション番組での出会いを機に、MELODIASからHorst Waber(Ds)、Harald Zuschrader(Org,G,Flute,Sax)、THE JUPITERSのHeinz Gerstmair(G,Org,Vo)、Hubert Bognermayr(Key)、Gerhard Englisch(B)の5人が意気投合しイーラ・クレイグは結成された。
 彼等も御多分に漏れずクリムゾン始めフロイド、プロコル・ハルム、果てはジェントル・ジャイアントといったブリティッシュ・プログレッシヴに触発・影響されつつ、そのサイケデリアな時代性を纏ったジャズィーにしてブルーズィー、クラシック、エレクトリックとが渾然一体となったプログレッシヴな息吹を感じさせる特異な音世界を見出していき、バンドは更なるサウンド強化の為ヴォーカリスト兼サックス奏者Wil Orthoferを迎えた6人編成へと移行する。
 程無くして数ヵ月後にはオーストリア国営放送局ORFの音楽番組に出演し、オーストリア国内でも大いに賞賛され期待の新星として話題と評判を呼び、デヴュー作に向けて大いなる一歩を踏み出していった。
 バンドのマネジメントも当時国内で前衛音楽家として名を馳せ博士号を持っていたアルフレッド・ペシェク氏が担当する事となり、アルフレッドの存在と助言が後々バンドにとって大きなサジェッションとなり、翌71年リリースされるバンド名を冠した幻とも言うべきデヴュー作に於いて大きな刺激と影響力を及ぼしたのは言うまでも無かった。
 なお…もう一人のバンドメンバーと言っても過言では無い、イーラ・クレイグの専属サウンド・ミキシングエンジニアAlois Janetschkoも、バンド結成と同時期に行動を共にしているという事も付け加えておきたい。
 ロールシャッハ試験を思わせるやや不気味な意匠の見開きジャケットのデヴュー作(当初1500枚のみのプレスだった)は、そのアヴァンギャルドな意匠のイメージと寸分違わぬサイケデリアな空気に支配された重々しい曲想で、クラシカルなオルガンにヘヴィなギターとリズム隊、時代感が色濃く反映されたフルートとサックス、ブルーズィーな佇まいのヴォーカルに、耳をつんざく様な悲鳴の効果音…等がふんだんに鏤められたカオス一色のサイケなヘヴィ・プログレッシヴが繰り広げられている。
 リリース当時オーストリア国内では同年にリリースのEL&P『タルカス』以上に評価を受け、彼等イーラ・クレイグは瞬く間にカリスマ的人気を得て世に躍り出たのであった。
 後々の『One Niter』以降のクラシカル・シンフォニック色とは雲泥の差を感じさせ、初めて彼等の音楽世界に触れられる方なら、この幻にして衝撃のデヴュー作は余りに的外れな感を受けるか、面食らって言葉を無くし呆然とするかのいずれかであろう。
 ただ…逆に返せば、このカオスでヘヴィなデヴュー作に触れた事で個人的には彼等のサウンドの根源やらバックボーンを知り得た様な気持ちに立ち返って、怪我の功名という訳では無いが改めて彼等の音楽世界に再び足を踏み入れるきっかけに成り得たのが実に幸いだった。
    

 衝撃のデヴューから翌1972年、バンドメンバーの間で音楽性の相違と食い違いが徐々に表面化し、結果ブルース路線に活路を見出すべくHorst Waber、Heinz Gerstmair、Wil Orthoferの3人が抜け、残されたHarald Zuschrader、Hubert Bognermayr、Gerhard Englischの3人でイーラ・クレイグを継続する事となり、時代に呼応する形で彼らもサイケ色から大幅にプログレッシヴ・シンフォニックへとシフトしていく。
 同年Joe Droberを新たなドラマーに迎え、4人編成で「Irminsul/Yggdrasil」というシングルをリリースし、デヴュー作の延長線上ながらも、より以上にプログレッシヴなアプローチを押し出していく。
 同年秋にはオーケストラとのジョイントで彼等の地元リンツとスイスのチューリッヒでギグをこなしつつ、次なる方向性への模索を積み重ねていく一方、同年末にHarald Zuschraderが一身上の都合でバンドから離れ、翌73年バンドはその後釜として新たにギターとキーボードを兼ねるFritz Riedelbergerとフルート奏者にHubert Schnauerを迎えた5人編成でリハーサルとギグを こなしつつ、翌74年シングル「Stories/Cheese」をリリース。
 この頃ともなるとメロトロンやシンセサイザーを導入し、音的にも幅が広がり温かい親しみ易さを持った上質なポップス感を身に付けていく。
 地道な演奏活動と努力の積み重ねが実を結び、国営放送ORFラジオでの音楽番組でコンスタンスなレギュラー出演への切符を手にするまでに至るが、ここで再びドラマーが交代し新たにFrank Hueberを迎え、更にはバンド活動から離れていたHarald Zuschraderが復帰し、イーラ・クレイグは再びミキシング・エンジニアを含めた7人編成の大所帯となって第二の快進撃時代を迎える事となる。
 1975年大手のヴァーティゴと契約し、5年振りの新譜製作に向けて彼等は精力的に情熱を注ぎ、思いの丈を込めて新たなサウンドスタイルを身に纏ったイーラ・クレイグとして再び世に降臨した。
 翌76年リリースの待望の新作2nd『One Niter』は、期待に違わぬ上々の仕上がりを感じさせる素晴らしい完成度で各方面から賞賛され、ヨーロッパ近隣諸国に於いても瞬く間に注目の的となったのは言うに及ばず。
          

           
 イマジネーションとリリシズム豊かなクラシカルでシンフォニックなカラーの中にも、ジャズィーでファンキーな要素と、良質なポップスのフレーバーが加味された、夢見心地な至福のひと時を約束してくれるには余りある位に充実した内容となっている。
 とりわけブラス系メロトロンと生のブラスセクションのコンバインによるオープニングのファンファーレで心を鷲掴みにされた方々が果たして何人いる事だろうか。
 シンフォニックロック・オーケストレーションとひと口に言っても、決してエニドとかマンダラバンドの様なクラシカル寄りな荘厳さや趣とは異なる、しいて挙げるならキャメルやセバスチャン・ハーディーにも相通ずるメロディーラインをより以上にムーディー且つメロウでポップなシンフォニックで加味したと言えばお解り頂けるだろうか。
 かく言う私自身も最初はエニドばりのシンフォニックを期待していたクチだったのだが、その結果は本文の書き出しで触れた通りの惨めな結果に終わったものの、今ならば無難に納得出来る極上のプログレッシヴ・ポップスとして聴けるのだから、人間の音楽嗜好の成長とはつくづく素晴らしいものである…。
 余談ながらも、ジャケット裏面の屋外で使用機材を並べて御満悦に写る彼等の写真を眺める度に、『ウマグマ』期のフロイド…或いは日本のファー・イースト・ファミリー・バンドをモロに意識しているのが(良い意味で)痛いくらいに伝わってくる。

 1977年、時代の波はパンク・ニューウェイヴやらディスコ向けの売れ線ポップスが巷を席巻しつつあった。
 プログレッシヴ・ロックにとっては、まさにこの当時こそ肩身の狭い思いをひしひしと感じていた受難の時代ではなかろうか…。
 彼等イーラ・クレイグも御多分に漏れず、時代の厳しい波の到来に戸惑いを覚えつつも、時流に抗うかの様に彼等なりの上質なポップさとシンフォニックなエッセンスとカラーを身に纏ったプログレッシヴを構築していった。
    
 同77年、かつてのオリジナル・メンバーだったWil Orthoferがヴォーカリストとしてバンドに復帰し、(ミキサーを除いて)新たな7人編成という大所帯で臨んだ3rd『Hats Of Glass』は、レトロSFムービー風な意匠とは相反するかの様に、幾分リラックスした製作環境が良い具合に反映された親近感溢れる穏やかな印象のプログレッシヴ・ポップスな好作品に仕上がっている。
 続く翌1978年の4th『Missa Universalis』も、時流の波を意識したかの様なジャケットではあるが、音的には前作の延長線上とも言うべき彼等ならではの“美しい透明感”が際立ったサウンドワークが成されており、英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語でミサを歌い分けるという意欲的で異色な
試みが功を奏し、70年代最後の作品にしてプログレッシヴ時代最後にして有終の美を飾る傑作として今でも語り継がれている。ちなみに本作品で特筆すべきはFritz Riedelbergerの泣きのギターワークが聴きものである事も付け加えておきたい。
    

 70年代の激動期を全力で駆け巡ってきたイーラ・クレイグであったが、80年を境に急転直下の大きな転換期が訪れた…。
 オリジナルメンバーで長年苦楽を共にしてきたメロディーメーカー的役割のHubert Bognermayrが音楽的な意見の相違で脱退し、Hubertに続きドラマーのFrank Hueberが難聴の疾患で音楽活動休止を余儀なくされバンドから去る事となった。
 バンドはヴォーカリストのWil Orthoferがドラマーも兼ねる形で5人編成へと移行し、長年住み慣れたヴァーティゴから心機一転アリオラに移籍し、1980年ポルノグラフィー的なアダムとイヴがジャケットに描かれた『Virgin Oiland』をリリースするも、主力的存在のHubert Bognermayrを欠いたマイナス面を補う事もままならずセールス的にも不振に終わってしまう。
 キングのユーロ・コレクションでも国内盤がリリースされたが、皮肉な事に正直なところ余り話題にもならず結局未だCD化もされずに今日までに至っている。
    

 バンドはこれを機に表立った活動から退き、プログレッシヴからは程遠い商業向けロック&ポップ路線へと活路を見出し数枚のシングルと1~2枚程度のアルバム製作だけに止まり、ライヴ活動を含めた表舞台から完全に遠ざかってしまう。
 1995年11月には母国オーストリアにてリユニオン・コンサートが開催され、その模様も録音されているとの事だが、それも未だにCDリリースされていないといった暗澹たる現状である。
 バンドから離脱したHubert Bognermayrに至っては、1982年にドイツの大手TELDECから自身のレーベルErdenklangを興し、当時最新鋭のデジタルキーボードの最高峰フェアライトCMIを駆使した、ニューエイジ・ミュージックの先駆けとも言うべきソロ作品『Erdenklang』(キングのユーロ・コレクションでも国内盤がリリースされている)を発表し、そのシリーズは断続的ながらも現在まで継続しているとの事。  

 駆け足ペースで彼等の歩みを綴ってきたが、イーラ・クレイグは現在表立った活動こそしてはいないが、かと言って正式な解散コメントも出ておらず、結局のところどっち付かずな印象は否めないのが現状と言えよう。
 環境音楽=ヒーリング・ミュージック畑の第一人者となったHubert Bognermayrを別としても、個々のメンバーに至っては残念ながら現時点で足取りこそ掴めなかったものの、今でも地道に音楽活動を続けているのか、或いはカタギの仕事に就いて自身が楽しみ為の音楽活動として割り切っているのか…いずれにせよ定かでは無いが、もしFacebookという手段で今後メンバーの誰かと繋がる事が可能であるならば、その時こそ21世紀のイーラ・クレイグ新章に大いに期待を寄せたいところではあるが、それはそれで誇大妄想にも似た私の我儘なのかもしれない…。

 大御所のガンダルフが一人気を吐いて孤軍奮闘しているといった感の余りにもお寒いオーストリアのシーンではあるが、嬉しい事にそんな現状を打破すべく…21世紀の今日に於いて、2008年に彗星の如くデヴューを飾ったBLANK MANUSKRIPT並び、2013年デヴューのMINDSPEAKの両バンドともその新人離れした完成度の高いシンフォニック・ワールドたるや、まさしく新世代のイーラ・クレイグとも言うべき伝統と作風を継承した期待の新進気鋭と言っても過言ではあるまい。
 イーラ・クレイグが残し築き上げた大きな足跡は、今でも尚こうして新たな若い世代へとしっかり受け継がれ、紛れも無く彼等の歩みと軌跡は決して無駄では無かったのというのが何よりも嬉しい限りである…。

一生逸品 KLOCKWERK ORANGE

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 2月最終週の「一生逸品」は、近年国内盤SHM-CDにてリイシューされめでたく陽の目を見る事となったオーストリアきってのカルト的存在でもあり、長い年月もの間…幻と謎のベールに包まれていた孤高にして珠玉のプログレッシヴ・バンド“クロックベルク・オランジェ”に今一度焦点を当ててみたいと思います。

KLOCKWERK ORANGE/Abrakadabra(1975)
  1. DuonyunohedeprincesR
  2. The Key
  3. Abrakadabra
   a) Abrakadabra
   b) Temple Sh.Thirty Five
   c) Mercedes Benz T 146.028
  
  Hermann Delago:G, Trumpet, Key, Vo
  Guntram Burtscher:B, Vo
  Markus “WAK” Weiler:Key
  Wolfgang Böck:Ds, Per

 先ず冒頭初っ端から、このバンドの名前にまつわる由来の誤りを正さねばなるまい…。
 クロックベルク・オランジェ…英訳読みに解せばクロックワーク・オレンジ、所謂かの故スタンリー・キューブリック監督のカルトSF映画の名作『時計じかけのオレンジ』からバンド名を採ったものと長年解釈されてきたが、ネット時代である昨今バンドリーダーにして中心人物でもあったHermann Delagoの言葉を引用すると…当時バンドで使っていたオレンジ色のドラムセットがバンドネーミングの由来との事。
 ドイツ語でいうKlocken=“叩く”+オレンジ色のドラムセットでクロックベルク・オランジェという訳である。
 名前の由来をお聞きになって幾分肩透かしを喰らった様な気持ちにもなるが、それ故に長年謎のベールに包まれていた存在というのも頷けよう。
 まあ、今となっては彼等が遺した唯一無比の素晴らしい音楽性の前では、キューブリックの映画であろうとドラムキットの色云々であろうとも、もうこの際どうでも良いのではと思えてならない(苦笑)。

 些か乱暴な書き出しから始まったが、ヨーロッパ大陸中部オーストリアの秘宝とも言えるクロックベルク・オランジェは、60年代末期から70年代前半にかけて地元チロルのハイスクールバンドから派生したSATISFACTION OF NIGHT、ORIJIN、そしてPLASMAといったサイケ系やビートロック系のバンドが母体となっている。
 当時は専らストーンズを始めフロイドのカヴァー等がレパートリーで、クロックベルク・オランジェへと移行してからは時代の空気に呼応するかの様にEL&Pやオランダのエクセプション等に触発された本格的プログレッシヴ路線へとシフトしていく事となる。
 当時の黎明期に於けるオーストリアのロックシーンは、隣国のドイツやイタリア、ハンガリーといった現在もなお脈々と続くユーロ・プログレ系譜の大国に囲まれた…実に条件的・環境的にも恵まれていたであろうにも拘らず、古くから根付いていたクラシック音楽の拠点ともいえる土壌が強かったが故に、認知度から支持率にあってもなかなかこれといった決定打に欠ける向きが無きにしも非ず、その封建的な雰囲気は今日に至るまで一向に変化が無いというのも実に口惜しい。
 日本の歌謡曲と同様、オーストリアの英才教育的クラシックの前ではロックやポップスなんぞは多かれ少なかれまだまだ格下だったのかもしれない…。
 それでも自主リリースでデヴューを飾ったイーラ・クレイグを始め、今やオリジナル盤が世界的な高額レアアイテムとなったヴィータ・ノーヴァそしてアート・ボーイズ・コレクションが俗に言う第一世代だとすると、彼等クロックベルク・オランジェやキリエ・エレイソンなんかは第二世代に当たると言えよう。

 クロックベルク・オランジェとは、ギターからトランペット、鍵盤系をマルチに駆使するHermann Delagoの特異な個性やら音楽性そのものが反映されつつも決してワンマンオンリーに陥る事無く、メンバー4人それぞれ互いの個性とが程良い具合に呼応し合って絶妙な音楽世界を醸し出している稀有な存在ではなかろうか…。
 バンド結成から程無くして、エルビゲナルプ地区で至極マイナーなれどスタジオ運営を兼ねたレーベル(イギリスのヴァージンよろしくと言わんばかりに)Koch Recordsを興したフランツ・コッホとの出会いによってバンドは更なる大きな転機を迎える事となる。
 そして1974年、フランツの運営するスタジオにて当時10代後半から20代前半だった彼等が、なけなしの貯金と全財産を投げ打って、魔法の呪文めいた意味深な記念すべき(最初にして最後の)デヴュー作『Abrakadabra』の録音に取りかかる。
 サウンドエンジニアはフランツが担当。そして妖しげな如何にも自主製作然といった感のカヴァーアートを手がけたのはドラマーのWolfgangとRoland(バンドのスタッフも兼ねる)のBöck兄弟という、まさに絵に描いた様なホームメイド指向で製作に臨んだ事が窺い知れよう。
          
 抒情と哀愁を帯びた物悲しげなトランペットと、クラシカルで荘厳なハモンドに導かれて幕を開ける記念すべきデヴュー作『Abrakadabra』は、フロイド、クリムゾン、EL&P、ジェネシス、果てはVDGGからGG、フォーカスといった名立たる大御所達をリスペクトした作風が色濃く反映されてて、惜しむらくはホームメイドな録音が災いして音質が今一歩といったマイナス面こそあれど、ユーロ・ロック史にその名を刻むに恥じない位の素晴らしいクオリティーを有している事を念押しで断言しておかねばなるまい。
 冒頭1曲目のタイトルの意に至っては、余りにも人を喰ったかの様な長ったらしい…あたかもジェネシスのゲイヴリエルを意識したかの様な言葉遊びの影響下すら思わせる。
 変拍子を多用したハモンドの響きとトランペットとのぶつかり合いと応酬、それを強固に支えるリズム隊の絶妙さが堪能出来る。
 お国柄を反映したかの様なシンセとハモンドの高らかなるファンファーレのイントロが好印象を与えている2曲目に至っては、フォーカス+フロイドを思わせる曲調に加えキーボードの早弾きのパッセージが目まぐるしい(個人的にはフランスのWLUDを連想した)秀曲である。
           
 そしてラストのトリを飾るアルバムタイトルでもある21分強の大曲の素晴らしさと言ったら…。
 緻密な曲構成に加えてスキルとコンポーズ能力の高さを耳にして、改めて単なる物珍しさだけでは無かった、幻の一枚と言われ続け今までロクに正当且つ真っ当な評価がされてなかった彼等の面目躍如ともいうべきこの大作だけでもかなり高ポイントな“買い”と言えるだろう。
 どうかキワモノ的な捉え方で彼等の音楽に接するのを一切合財止めて、今一度頭の中を空白にして彼等の描く音楽世界の細部に至る隅々まで聴いて欲しいと願わんばかりである。

 一年間かけて録音し完成した『Abrakadabra』のマスターテープを携えて、当初はドイツのベラフォンへのリリースアプローチを試みたものの、結局は無しのつぶてにも等しい返事しか得られず、結局Hermann自らが一念発起で遠路遥々首都ウィーンのCBSオーストリア支社へマスターテープを持参し直談判へと駆け込む。
 幸いチロルでのバンドの評判を耳にしていたCBSにとっては、まさに渡りに舟と言わんばかり願ったり叶ったりが舞い込んだものだから、即決1000枚プレスという条件付きでレコードディールを快諾し、1975年3月バンドは晴れて漸くデヴュー作のリリースに辿り着ける事が出来た次第である。
 店頭には少数しか出回らない関係上、地元チロルでのお祭り(付近の村祭りを含め)の際のライヴイベントやロックフェス等でメンバー達による直接の手売りが専らの流布手段であった。
 決して辛く苦しいとまでは言わないが、結構難儀な思いをしつつもそれなりにライヴ活動等を含めて楽しい青春時代を謳歌していたのではあるまいか…。
 メンバー4人とも当時はまだ学生という身分であったが故に、74年から解散までの76年の2年間地元チロルのみで概ね20回ものライヴしか出来なかったのが惜しまれる。
 その辺りはマーキー/ベルアンティークからリリースされた国内盤SHM-CDのライナーで宮坂聖一氏が事細かに詳細を記しているので是非とも御参照頂きたい。
 ピート・シンフィールドばりのライティング・ショウに加えて、消防関係者が読んだら思わず呆れて怒り心頭になる様な危険な化学実験ばりのライヴ演出に苦笑いせざるを得ないエピソード満載である(苦笑)。

 主要メンバー兼リーダーのHermannの進学とインスブルックへの転居を機にバンドはあえなく解散し、その後Hermannを含めメンバー全員音楽活動から離れたカタギの職業に就き、クロックベルク・オランジェは静かにその幕を下ろした次第だが、実は仕事の傍らHermannは地元オーストリアと東南アジアを股にかけ、如何にも才人らしい彼自身の創作活動が現在もなお継続進行中で、その延長線上と言わんばかり1994年にはバンド結成20周年ライヴなるものを開催し、カルト的バンドの復帰を祝ってヨーロッパ諸国始め世界規模のプログレ・ファンから熱狂的に迎えられたそうな…。
 そして現在、音楽活動を継続していたHermannとMarkusの2人に加え、オリジナルメンバーのリズム隊GuntramとWolfgangもめでたくバンドに合流復帰し2014年には久々の新作発表と併せて40周年記念のギグ等も多数企画されているとの事だったが真偽の程は定かではない(苦笑)。

 『キューブリックは天国に逝ったが、俺達はまだ終われない!』

 そんな軽いノリのジョークさえ聞こえてきそうな…まだまだこれから先も何かしらやってくれそうな彼等の今後に期待しつつ、気長に末永く見守り続け付き合っていきたいものである。

Monthly Prog Notes -February-

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 2月最後の「Monthly Prog Notes」をお届けします。

 新型コロナウイルス肺炎やらインフルエンザの蔓延が巷に不安の影を落としている昨今ですが、そんな暗澹たる空気と風潮をほんの少しでも…暫しの間だけでも(ほんの気休めでも)音楽の力で和んで頂けたらと思います。
 この場をお借りして、新型肺炎で生命を落とされた方々に慎んで心より深く哀悼の意を表すると共に、一日一刻も早い収束が訪れる事を願わんばかりです。
 今回は長い歴史を誇るであろう真の正統派ユーロ・シンフォニックたる王道と流れを脈々と継承したベテランとニューカマーによる強力ラインナップが出揃いました。
 今や大御所アンジュと並ぶであろう、フレンチ・シンフォニック界きっての吟遊詩人にして大道芸にも似通ったエスプリとトラディショナルを纏った至高の楽師へと上り詰めた“ミニマム・ヴィタル”の通算8作目の2020年スタジオアルバムは、改めてロックバンドとしての初心と原点回帰に立ち返った繊細さと豪胆さが同居した最高の充実作に仕上がってます。
 久し振りのスイスからは21世紀シンフォニックやネオ・プログレッシヴといった概念をも超越した、文字通りシンフォニック・ロック+オーケストラというプログレッシヴたる基本の雛型を、膨大な時間と日数を費やして実践した新鋭“スパイラル・オーケストラ”衝撃のデヴュー作は白眉の出来栄えと言っても過言ではありません。
 イエス、ジェネシス、クリムゾン、果てはスポックス・ビアードからアフター・クライングといったエッセンスに管弦楽と現代音楽までもが見事に融合した、ハイレベルにしてハイテンションな宇宙創生神話は必聴必至で感動と興奮以外の何物でもありません。
 北欧フィンランドからも名は体を表しているといった感で、さながらキャメルばりの抒情性と泣きを孕んだ眩い白夜の陽光と森の神話を謳い紡ぐ“サンヒロー”のデヴュー作がお目見えしました。
 21世紀北欧物というと漆黒の森の暗闇を思わせるクリムゾンばりのヘヴィでダークさが主流といった感が無きにしも非ずですが、そんな作風や佇まいとは全く真逆なヴァイオリンをフィーチャーした時にクラシカルで時にフォーキーな牧歌的で詩情溢れる世界観は聴く者の心を清らかに洗い流してくれることでしょう。
 冬からいよいよ春へ…季節の移り変わりを奏で告げる真摯で清廉なる音の匠達の響鳴に心震わせ、去りゆく冬に訣別の思いを馳せながら耳を傾けて下さい。

1.MINIMUM VITAL/Air Caravan'
  (from FRANCE)
  
 1.La Compagnie/2.Air Caravan'/
 3.Praeludium Tarentella/4.Tarentelle/
 5.King Guru/6.Le Fol/7.Sliman/
 8.Vole(Voyageur Immobile)/9.Jongleries/
 10.El Picador/11.Djin Alzawat/12.Nimbus/
 13.Hugues Le Loup

 1983年のバンド結成以降、実に30年選手のキャリアを誇るフレンチ・シンフォニックの雄ミニマム・ヴィタル
 本作品は数えて通算8作目となる2020年の新作に当たり、2015年の前作『Pavanes』ではPayssan兄弟にバンド結成当初からのオリジナルベーシストEric Rebeyrolによるトリオスタイルで2枚組という長尺なヴォリュームながらも重厚にして流麗、従来通りのヴィタルサウンドが存分に堪能出来た好作品であったが、今作は4作目『Esprit D'Amor』に参加していたドラマーのCharly Bernaが再びバンドに加わり、改めてロックバンドという意識に立ち返って…デヴュー作『Les Saisons Marines』始め『Sarabandes』、『La Source』の頃を彷彿とさせる様な、原点回帰と初心に戻るという意味合いが窺える変幻且つ緩急自在で一曲毎がヴァラエティーに富んだ力強い意欲作に仕上がっている。
 今までの彼等の作品と比べると些か似つかわしくない様な一見するとモダンでカラフルな意匠ながらも、さながらステンドグラスをも想起させるイメージ通り(見開きデジパック内側も彼等なりのユーモアセンスとジョークが微笑ましい)、フランスらしい小粋なエスプリと吟遊詩人(大道芸人)にも似通っているトラディショナルな趣が全面に押し出された粒揃いの小曲で占められており、聴き手を決して飽きさせる事無く曲作りの上手さと巧みさで惹き付ける彼等の持ち味は今回も不変で健在である。
 ラスト終盤でGGの『In A Glass House』のエンディングを連想させる流れに思わずニヤリとしてしまうのは私だけだろうか(苦笑)。
          

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2.SPIRAL ORCHESTRA/Atlas Ark
  (from SWITZERLAND)
  
 Part 1:
  I.Dawn
    1.Overture/2.Seven Parsecs From The Sun/3.Exodus Games
   II.Zenith
    4.Hesperides Gardens/5.Ghost Memories/6.Atlas Ark:Arrival
 Part 2:
  III.Twilight
    7.The Sephirot Artefact/8.Fractal Breakdown/9.Uprising
   IV.Midnight
    10.Voidseeker
       Artefact I/Artefact II/Artefact III/Hesperian Sunrise/
       Atlas Ark:Revival/Awakening Of The Voidseeker/
       The Battle Of Atlantis/Atlas Ark:Apotheosis/Epilogue

 昨秋辺りから大々的な触れ込みでリリースの告知がされてはいたものの、様々な諸事情で製作が遅延し年明けに漸くその全貌を現した21世紀スイス・シンフォニック期待の新鋭スパイラル・オーケストラ
 シンフォニック・ロックとオーケストラとの融合というプログレッシヴの定番にして鉄板という一度は避けては通れないであろう普遍的な命題に臆する事無く果敢に挑んだ本デヴュー作であるが、まさしく看板に偽り無しの…アートワーク総じてもう如何にもといった否応為しに期待感が高まる、広大な宇宙と悠久の神話世界をも想起させるイメージと寸分違わぬダイナミズムとスペクタクルが同居した重厚で深遠且つ荘厳で圧倒的な音の壁に、聴く者の心はいつしか鷲掴みにされ時間が経つのも忘れてしまう位にのめり込んでしまう事必至であろう。
 イエス、ジェネシス、クリムゾン、果てはスポックス・ビアードやアフター・クライングといったプログレッシヴ界の巨匠達からの影響下にクラシックと現代音楽がハイブリッドにコンバインした、ネオプログレッシヴやメロディック・シンフォすらも凌駕超越するであろうハイレベルな完成度を物語る音世界観に加え、ギタリストでもありバンドの中心人物でもあるリーダーThomas Chaillanの秀逸なコンポーズ能力が光り輝く、改めてプログレッシヴ・ロックを創作するとはこういう事であると言わんばかり、徹頭徹尾プロフェッショナルで素晴らしい仕事ぶりが存分に堪能出来る事だろう。
 作風の差異こそあれどウクライナのモダン・ロック・アンサンブルと互角に亘り合える逸材が登場した事に心から惜しみない拍手を贈りたい。
          

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3.SUNHILLOW/Eloise Borealis
  (from FINLAND)
  
 1.Intro/2.Eloise Borealis/3.No New Words/
 4.Beyond The Dreams/5.Out There/6.For A Moment/
 7.Kuovi

 白夜の国北欧フィンランドより新たなる抒情の調べが届けられた。
 あたかもジョン・アンダーソンのソロアルバムをも連想させるサンヒローなるニューカマーの2020年デヴュー作。
 心穏やかな陽光が降り注ぐ北欧の森を夢見心地に彷徨う…そんなイメージすら思い起こさせる、北欧プログレッシヴ伝承の旋律にキャメルばりの泣きのメロディーラインが実に素晴らしく美しい。
 男女混声ヴォーカルによるハーモニーの絶妙さも然る事ながら、ヴォーカルも兼ねる女性ヴァイオリニストのリリシズム高らかに奏でられる旋律に、ヴィンテージ感と相まってどこかしら懐かしさを感じさせるオルガンとエレピの残響、広大な草原の風を思わせるスカンジナビアン・フォーキーな佇まいにトラディショナルで温もりのある土臭さが聴く者の心を惹き付けるであろう。
 5人編成によるメンバー全員が過去にフィンランド国内幾つかのプログレッシヴ・ロックバンドで培われた音楽経験者であるが故、言わずもがな素人臭さ皆無のしっかりと安定した演奏力に私を含めリスナーの誰しもがいつしかゆったりと身も心も委ねてしまいたくなる。
 クリムゾン影響下のヘヴィでカオスなダークシンフォが主流といったイメージの昨今の北欧勢に於いて、幽玄且つたおやかに詩情と浪漫を謳う彼等の存在はノルウェーのウィンドミルと並んで今後も抒情派シンフォニックの重要なポジションとして注視される事だろう。
          

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