幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 31-

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 3月最初の「夢幻の楽師達」は、知的でクールでジェントリーな英国カンタベリーサウンドの気概と心象風景を日本の神戸という異国の地で脈々と継承し紡ぎ奏でる唯一無比の存在にして、関東のケンソーと共にジャパニーズ・プログレッシヴジャズロックの両雄・両巨頭の片翼を担っていると言っても過言ではない、関西きってのカンタベリーマスターの称号に相応しい“アイン・ソフ”に、今再び眩い光明を当ててみたいと思います。

AIN SOPH
(JAPAN 1977~)
  
  山本要三:G
  鳥垣正裕:B
  名取 寛:Ds, Per
  服部眞誠:Key

 60年代末期、日本国内を席巻した世にいうGSブームが終焉を迎え、米英からのサイケデリック・ムーヴメント、アートロック台頭の余波で、有名無名問わず幾数多ものGSバンドが足並み揃えてサウンドスタイルの変化と転身を余儀無くされ、(プログレッシヴ・ロックのフィールド限定で恐縮ながらも)1970年フロイドの“牛”のジャケットが旗印の如くプログレッシヴ・ロック元年と歩調を合わせ、ワンオフながらもエイプリル・フール始めフード・ブレイン、ピッグ、ラヴ・リヴ・ライフ+1が世に輩出され、以降ブリティッシュ・オルガンロックないしEL&P人気に触発されたストロベリー・パス→フライド・エッグ、日本人なりのスペースロックへの見事な解釈・回答ともいえるファー・ラウト→ファー・イースト・ファミリー・バンド、70年代中期~後期にかけてはコスモス・ファクトリー、四人囃子、新月、ムーンダンサー、スペース・サーカスが果敢に時代に挑み、インディーズ・フィールドからも観世音、グリーンといった逸材も忘れてはなるまい。
 時代は1980年…かのたかみひろし氏の鶴の一声で、大手キングレコードにて発足された日本から海外へと視野を広げた初の洋楽セクションの新興レーベル“NEXUS(ネクサス)”は、日本のプログレッシヴ・ロック史に於けるルネッサンスでもあり新たなる時代到来を告げるに相応しいセカンドインパクトとなったのは言うには及ぶまい。
 音楽産業のメインストリームともいえる東京とはまた違った形で、独自のミュージックシーンを形成していた関西圏のロックグループ達…後にノヴェラへと発展し今日までに至るジャパニーズ・プログレッシヴのスタイルと礎を築いたシェラザード始め、今回本篇の主人公でもあるアイン・ソフの前身でもあった天地創造、そしてカリスマ、ラウンドハウス、だててんりゅう、フロマージュ、夢幻といった80~90年代にかけて一気に花開いた百花繚乱なる逸材が犇めき合い、キング/ネクサスにとってはまさしく金の卵の宝庫にも似た願ったり叶ったりなお膳立てと好条件が揃ったと言わざるを得ない、そんな日本のプログレッシヴの将来を占う上でキング/ネクサスのスタッフは寝ても覚めても孤軍奮闘の日々を送っていた事であろうと想像してしまう。

 悪い癖の如く前置きがついつい長くなってしまったが、本篇の主人公でもあるアイン・ソフに話を戻したいと思う。
 遡る事1971年、バンドで唯一のオリジナルメンバーでもあるギタリスト山本要三を中心に神戸で結成された前身バンドの天地創造で、当初は山本のギターとリズム隊によるトリオ編成のハードロックでスタートし、その後はヴォーカリストを加えた4人編成へと移行(かのシェラザード=ノヴェラのアンジーこと五十嵐久勝も一時的ながらも参加していたのは有名な話)。
 その後度重なるメンバーチェンジを重ね、ヴォーカリストに笠原和彦、山本と共に大学時代から天地創造のサウンド面を支えた名キーボーダー藤川喜久男、1stデヴューにて名を連ねたベーシストの鳥垣正裕とドラマーの名取寛の充実した5人編成で、キャラヴァンやブリティッシュカンタベリー系に影響を受けたプログレッシヴ・ジャズロック寄りへと変遷を遂げた次第であるが、1976年暮れヴォーカリストの笠原の脱退を機に、完全にヴォーカルレスのインストゥルメンタルオンリーのサウンドスタイルとして確立させ、キャメル、ソフト・マシーン、ハットフィールド&ザ・ノース、エッグといったブリティッシュ・ジャズロック系を嗜好する唯一無比のサウンドは、当時の関西圏のシーンでもカリスマ、だててんりゅうと並ぶ異色の存在として認知され、まだクロスオーヴァーやらフュージョンといったジャンルネームが登場する以前のこと周囲から“ロックなんか?ジャズなんか?ようわからん”といった具合に奇異の眼差しで見られ、当時関西のロックフェスや音楽イヴェントの出演に於いても彼等のサウンドに首や頭を傾げる聴衆が多く、バンドメンバーサイドもなかなか自らの音楽像の理解が得られず大なり小なりの苦労を味わったそうな(苦笑)。
 それでも彼等は臆する事無く、ツインキーボードスタイルになったりサックス奏者を加えたりと試行錯誤を繰り返し、精力的なライヴ活動に勤しむ一方で一念発起とばかり東京のたかみひろし氏に自らのデモテープを送り、彼等の飽くなき音楽探求心とプログレッシヴへの求道にいたく感激したたかみ氏と意気投合したメンバーは、たかみ氏の助言とアイディアで1977年にバンド名をアイン・ソフ(“最高のものを求める人々”という意)へと改名。
 翌78年、カリスマから発展したエレクトリック・ユニットDADA(ダダ)と共にジョイントライヴを敢行し、たかみ氏の力添えで東京公演にも進出するも、長きに亘るライヴ活動による心身の疲弊でドラマーの名取が倒れ、更にはバンドの要でもあった藤川が一身上の都合でバンドを離れる事となり、アイン・ソフは暫し活動停止を余儀なくされる。
 2年間の活動停止(活動休止)を経て、迎えた1980年春…キングのネクサス発足と時同じくして漸くアイン・ソフも活動再開させる運びとなり、名取の復帰に加えて、抜けた藤川の後任として関西圏でのライヴで顔馴染みだっただるま食堂並び増田俊郎&セプテンバーブルーでキーボードを務めた服部眞誠(ませい)が加入し、アイン・ソフは漸く満を持してネクサスより待望のデヴューアルバムに向けレコーディングに臨む為のリハーサルを開始する事となる。
 …が、デヴュー作に辿り着くまでの産みの苦しみとはよく言ったもので、製作期間中のレコーディング・スタジオといったら、不安と緊迫、前途多難と一触即発、紆余曲折とメンバー間の軋轢といった日々の繰り返しが続き、力の入り過ぎで熱くなってエキサイトしてしまいスタジオからメンバーが出て行く事なんて日常茶飯事、喧嘩寸前の掴み合いなんて事もあったが故に、ディレクターを兼任するたかみ氏でさえもメンバーを落ち着かせなだめながらも、レコーディングとは異なった意味で精神面での疲弊が続いていたとの事。
 新たなメンバーとなった服部自身に限った話、音楽性の差異・違和感に加えて年齢的にも山本や鳥垣よりも若かった分自己主張が強いというか幾分(若さ故の)尖っていた性分が災いし、加入してまだ間もない服部にとってはバンドの和(輪)に馴染めなかった、所謂コミュニケーション不足を解消するにはまだまだ時間が足りなかったのかもしれない…。
 そんな一歩間違えればデヴュー完成前にバンド崩壊をも招かれかねないといった人間関係含めた危ういバランスとピリピリとした張り詰めた空気の中、彼等はただひたすら真摯に自問自答を繰り返しながらややもすれば突貫作業にも似た録音作業に臨み、1980年6月5日難産の末に待望のデヴューアルバム『A Story Of Mysterious Forest(妖精の森)』をリリースする。
          
 そのあまりに日本人離れした超絶で卓越した演奏技量に、アルバムタイトルでもある組曲形式の大作「妖精の森」の圧倒的な世界観に、数多くもの洋楽プログレッシヴ一辺倒だったファンやリスナーは言葉を失い驚愕したのは言うに及ぶまい。
 無論ごく一部からは「単なる洋物プログレッシヴの真似事」なんぞと揶揄され陰口を叩かれた事が多々あったものの、「これってキャメルの新作!?」と驚いた輩もいた位で、ミステリアスで幻想的な意匠の効果と相まって、先陣切ってデヴューを飾ったノヴェラの『魅惑劇』と並んでアイン・ソフのデヴュー作も予想を遥かに上回る大成功を収める事が出来、こうしてキング/ネクサスの果敢なる飽くなき挑戦は商業第一主義の日本の音楽業界に一石を投じ勝利を手中に収めた次第である。
            
 だがデヴューアルバムの成功とは裏腹に、音楽性の相違を含めメンバーとの溝を埋める事が出来なかった服部は結局バンドを去る事となり、幸先の良いスタートを切ったと同時にアイン・ソフは不運にも予期せぬ活動休止に陥ってしまう。
 余談ながらもアイン・ソフのデヴューのみならず、これは不思議な連鎖とでもいうのだろうか…過去に於いてもジェネシスの『眩惑のブロードウェイ』、イエス『海洋地形学の物語』、果てはフロイド『ザ・ウォール』といったプログレッシヴ・ロック史上に残る素晴らしい作品が、実はレコーディングの過程上メンバー間の反目、軋轢、衝突の末、世に送り出されているというのだから業界不変のあるある話とはいえ何とも実に皮肉な限りである。

 アイン・ソフと袂を分かち合った服部はその後御周知の通り、ウェザー・リポートを始めとするアメリカン指向のジャズ・ロック(クロスオーヴァー)を目指した99.99(フォーナイン)を結成。
 残されたメンバーの内、ドラマーの名取までもがバンドを離れ、実質上アイン・ソフは「素晴らしいデヴューアルバムをリリースした」という肩書きのまま開店休業の状態で長きに亘り暫し沈黙を守り続ける事となる。
 時代は流れキング/ネクサスの功績の甲斐あって、その波に乗じてマーキーのベル・アンティークを始めメイド・イン・ジャパンといったプログレッシヴ・ロック専門のインディーズレーベルが一気に活性化し、フロマージュ、ネガスフィア、夢幻、アウター・リミッツ、ページェントが世に躍り出た時同じくして、その余波を受けキング/ネクサスが企画したジャパニーズ・プログレッシヴコレクションを機にスターレス、ケネディ、ブラック・ペイジ…等が雨後の筍の如くデヴューを飾る事となり、そのコレクションのラインナップの中に6年振りの新譜2ndを引っ提げて再びシーンに返り咲いたアイン・ソフの名前にファンの誰しもが一様に驚いたのは言うまでもあるまい。
 下手すれば『妖精の森』たった一枚のみ遺してシーンの表舞台から姿を消したと思われていたが故に、ジャパニーズ・プログレッシヴ隆盛期と見事にリンクしたとはいえ、まさに青天の霹靂とも言える見事な復活劇にファンや周囲は驚愕と拍手喝采を贈らんばかりであった。
 何よりも長年バンドと苦楽を共にしてきたキーボーダー藤川喜久男の復帰にファンは歓喜の涙を流した事であろう…。
 ドラマー名取の後任として、兄弟的存在のプログレッシヴ・バンドだったベラフォンの名ドラマーとして関西圏では早くから注目されていたタイキこと富家大器の加入はアイン・ソフにとって心強い存在となったのも特筆すべきであろう(ベラフォンが唯一遺したアルバムには鳥垣がベースで参加しているのも縁である)。
    
 6年振りの新作2nd『Hat And Field(帽子と野原)』は、まさに読んで字の如し彼等が敬愛して止まないハットフィールド&ザ・ノースへのオマージュとリスペクト(パロディーな要素も含めて)が精一杯込められた渾身の力作にして会心の一枚となり、改めて天地創造時代の頃の原点回帰に立ち返ったかの様なカンタベリーサウンドは前作の『妖精の森』とはまた違った意味合いで、幾分リラックスした環境と雰囲気の中、漸く本来のアイン・ソフらしいサウンドカラーを打ち出せた文字通り面目躍如ともいえる傑作へと昇華した。 
 その後は山本を筆頭に鳥垣、藤川、富家という不動の4人のラインナップで地道で牛歩的ながらもマイペースでライヴと創作活動を継続し、5年後の1991年にはメイド・イン・ジャパンより天地創造時代の楽曲を再構築したアンソロジー的な趣の3rd『Marine Menagerie(海の底の動物園)』、前後してマーキー/ベル・アンティークからは同じく天地創造時代の録音で発掘音源ながらも初のライヴ・マテリアルとなる『Ride On Camel(駱駝に乗って)』、そして翌92年当初はキングからリリース予定だったものの諸事情が重なって結局メイド・イン・ジャパンからリリースとなった4th『5 Or 9 / Five Evolved From Nine(五つの方針と九つの展開)』がリリースされ、コンスタンスなペース維持と順風満帆な軌道の波に乗って、このまま上り調子で行くものであると誰もが予想していた…。
          
 1995年の春にマーキー/ベル・アンティークからリリースされる筈であった、まだタイトル未定の5thアルバムのインフォメーションが伝えられ、少年少女の2人の妖精が描かれたジャケットアートも決定し否応無しに期待が高まる中、あの未曾有の大災害が全てをなし崩しにしてしまった…。

          1995年1月17日 阪神・淡路大震災発生。

 あの当時の事は本文を綴っている私自身でさえも二度と思い出したく無い位、20世紀末最大にして最悪な自然災害でもあり、高速道並びJR線、阪急線三宮駅周辺の倒壊、ことごとく崩壊し焼け野原となった神戸の街並みとビル群、多くの尊い人命が失われてしまった悲劇と悲惨な光景はテレビ画面を通じて未だに鮮明に自身の目と脳裏に焼き付いて離れないのが正直なところでもある。
 そんな災禍の中、彼等の録音・リハーサルスタジオとて滅茶苦茶になったのを想像しただけでも言葉が出なくなってしまうのはいた仕方あるまい…。
 アイン・ソフのみならず同じ地元のクェーサーも甚大な被害に見舞われ、あの震災発生から数日経っても空虚な心の痛みと傷は癒える事無く、数多くの神戸のロック・バンドが音楽どころではない位に活動休止状態へと追い込まれ、先の見えない不安感だけが重く圧し掛かるばかりであったのは言うに及ぶまい。
 しかしそれでも一年また一年経過していく毎に、アイン・ソフを含めた多くの神戸のロック・バンド達が災害に屈する事無く立ち上がり、復興と復活の為に前を向いて再び歩き始め“がんばろう神戸!”を合言葉に息を吹き返し、哀悼の祈りを込めて各々が謳い奏で始めたのである。
 アイン・ソフも5thアルバムのマテリアルが立ち消えて白紙にこそ戻ったものの、彼等4人は生き長らえた生命をそのまま音楽への情熱に置き換えて20世紀…そして21世紀へと駆け巡り、今日に至るまで不定期ながらも国内外数多くものプログレッシヴ・フェス並びライヴに出演し未だその健在ぶりを強く大きくアピールしている(2004年には吉祥寺にてかの憧れ的存在リチャード・シンクレアとの共演をも果たしている)。
           
 彼等のリリースした数多くもの作品がCDリイシューないしリニューアル化され、更には未発のライヴマテリアルまでもがリマスタリング紙ジャケットCD化されるといった、もはや何時でも復活・復帰に向けてのお膳立てが整いつつあるさ中、迎えた2018年12月…アイン・ソフを長年支え続けてきたたかみ氏始め多くのファンと支援者、キング/ネクサスを含めた周囲のスタッフとクルー共々、皆一丸となって力を合わせて世に送り出した待望の新譜『Seven Colours』こそ、名実共に期待を一身に背負って世に問うであろう…まさしく「お帰り!アイン・ソフ…待ってたよ」の賛辞と合言葉に相応しい、満を持しての最高傑作となったのは言うに及ぶまい。
    
 最新作を引っ提げて21世紀プログレッシヴシーンへの復活凱旋を果たした彼等が、この先如何なる展開を見せ化学反応を起こし、日本のみならず世界中のプログレッシヴと向かい合い活性化させていくのだろうか…と、下世話ながらも期待と痛快感の入り混じった不思議な余韻とでもいうか威風堂々たる彼等の気概と姿勢に心の奥底が熱くなってしまう今日この頃ですらある。

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一生逸品 BLACK PAGE

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 3月最初の「一生逸品」は、今は亡き関西プログレッシヴ界の重鎮にして日本のロック・キーボーダーの第一人者でもあった小川文明氏に改めて哀悼の意を表するという意味合いを込め、1985年彗星の如き衝撃的デヴューから僅か一年足らずでキング/ネクサスより唯一作でもあるアルバムをリリースし、当時吹き荒れていたジャパニーズ・プログレッシヴブームに於いて一躍時代の寵児になったと言っても過言では無い、70年代のスペース・サーカスと並ぶ今もなお日本のテクニカル・プログレッシヴのマストアイテムとして数えられる“ブラック・ペイジ”に再び焦点を当ててみたいと思います。


 在りし日の小川氏の功績を振り返りつつ、ほんのささやかながらも魂の供養になれれば幸いである。

BLACK PAGE/Open The Next Page(1986)
  1.Go On !/2.A Stick & The Moon Man/3.Lap Lap/
  4.From A Long Distance/5.Elegy (Ode To S.I.)/
  6.Suite:A Story Of Music Stone/
   A)Prelude
   B)Looking For (Drum Solo)
   C)A Long Journey
   D)So Long Mz
  7.Paranoia/8.Interlude/9.Oyasumi
  
  小川文明:Key,Vo
  小川逸史:G
  小嶺恒夫:B
  菅沼孝三:Ds

 日本のロック…ことプログレッシヴ・ロックという一種特異な分野にとって80年代は大きな転機ともいうべきターニングポイントとなった事は最早言うまでもあるまい。
 80年代の夜明け前ともいえる1979年にリリースされたムーン・ダンサーや新月を皮切りに、キング/ネクサスの発足を機にノヴェラ、アイン・ソフ、ダダ、美狂乱、ケンソーが輩出され、そんな時代の流れの空気に呼応するかの様に、84年プログレッシヴ専門誌として再出発を図ったマーキー主宰のベル・アンティークからフロマージュ、イースタン・ワークスから夢幻、LLEからはネガスフィアがこぞってデヴューを飾り、以後85年のメイド・イン・ジャパンからアウター・リミッツ、ページェント…等が登場すると同時に、(一時期とはいえ)日本のロック・シーンはメジャーやインディーズを問わずジャパニーズメタルと並んで、あたかもブリティッシュ・ポンプ勃発時を思わせるかの如く、百花繚乱さながらを思わせるプログレ一色に染まったと言っても異論はあるまい。
 これを綴っている私自身ですらも、当時は仕事の傍ら大なり小なりそれらジャパニーズ・プログレに関わる執筆に携わっていた時分でもあったので、懐かしい云々の一語ではそう簡単に片付けられない懐旧の思いを巡らせているのも事実本音ではあるが(苦笑)。
 そんなバンド側とレーベルを運営する側、そしてそれらの動向を伝える雑誌媒体を含めて様々な思惑が交錯する当時のシーンのさ中、ライヴ関係者の口コミやらプログレミニコミ誌を経由して“お世辞抜きで凄いバンドが現れた!”と一躍話題の的となったのが今回の本編の主人公ブラック・ペイジであった。

 ブラック・ペイジ=小川文明氏の詳細なバイオグラフィーに関しては、キング/ネクサス関連の再発シリーズやウィキペディアでも触れられているので、ここでは重複を避ける意味を踏まえ事細かに触れず簡略的に綴っていきたい。
 1960年7月に地元大阪で生を受けた小川文明は5歳の頃からピアノのレッスンを始め、クラシックからビートルズに至るまで幅広い音楽素養を身に付けつつ、73年の中学一年生の頃NHKの『ヤングミュージックショウ』で目にしたEL&Pに衝撃を受け触発された彼は、キース・エマーソンを大いなる目標に掲げて以降音楽の世界で人生を生きていく事を決意する。
 高校時代にシェーンベルク、バルトーク、ライヒといった現代音楽にも傾倒し、その飽くなき音楽への探究心と巌の様に堅い志を胸に抱きつつ大阪芸術大学音楽学科作曲専攻に進学。
 4年間勉学に励む傍ら自らが理想とするプログレッシヴな音楽スタイルを目指して研鑽に勤しむ日々を送り、大学卒業と同時期に後年日本の名ドラマー・パーカッショニストとして名を馳せる元99.99(フォー・ナイン)の菅沼孝三と運命的な出会いを経て、実弟の小川逸史(当時は兄文明と共にスパイラルを組んでいた)そして知人の伝で紹介された元ドラゴンズ・バクの小嶺恒夫を迎えて、1985年フランク・ザッパの数ある代表曲の一つからバンド名を冠したブラック・ペイジが結成される。
 御大ザッパからの影響も然る事ながら、やはり小川文明の根底でもあるキース・エマーソン、果てはクリムゾン、UKといったプログレッシヴからの要素と、ウェザー・リポート、日本のカシオペアといったフュージョン&クロスオーヴァーからのエッセンスとの融合といった感は無きにしも非ずではあるが、個人的な見解で恐縮ではあるが…日本のプログレッシヴ・ジャズロックという視点からすれば、同じ関西圏のアイン・ソフや関東圏のケンソーに決して準ずることの無い、独自の路線と方法論で自らのスタイルを確立させたと捉えるべきであろう。
 本場イギリスのカンタベリー系に有りがちな難解さとは無縁な、ファンタジックなカラーを湛えつつもあくまで都会的に洗練されたライトでポップな感性を纏った、良い意味でジャズィーとシンフォニックな両面性を兼ね備えた唯一無比のサウンドスカルプチュアのみが存在している。

 彼等の唯一作でもある86年リリースの『Open The Next Page』は、インストオンリーが6曲と歌物3曲によるトータル9曲で構成されており、7曲目を除いて殆どが小川文明のペンによるものである。
 軽快でリズミカルなややアジアンテイストな小気味良いキーボードが印象的なオープニングを飾る1曲目に於いて、もう既にブラック・ペイジのアイデンティティー全開が堪能出来よう。
 小川氏の日本語調っぽい英語のヴォーカルに好みの差が分かれるところではあるものの、それを差し引いても日本的なイマージュとカラーが反映されたセンス・オブ・ワンダーな曲想は、素人臭さ皆無な彼等にしか出来ない熟練技=プロフェッショナルな仕事っぷりが存分に垣間見える…まさに挨拶代わりといったところであろうか。
          
 摩訶不思議な印象を抱かせるジャケットのイメージをも想起させるオールインストゥルメンタルの2曲目は、まだまだ本領発揮するには早過ぎると言わんばかりな硬派で重厚感満載なテクニカル・シンフォニックが聴き処。
 決してエコヒイキという訳では無いが…全曲とも素晴らしい中で、この2曲目と大作の6曲目だけを目当てにブラック・ペイジに触れて頂けるだけでも“買い”であると声を大にして言いたい。
          
 3曲目は1曲目に準ずる歌物パートであるが、オープニングとは打って変わってアップテンポなバラード調で夜の帳が下りたイルミネーション瞬く都会の片隅の物語といった、あたかも男のダンディズムにも似た美学が光る佳曲とも言えるだろう。ゲスト参加のスキャット調の女性Voが曲に美しいアクセントを添えているところも聴き逃せない。
 4曲目の喜多郎を思わせる悠久なイマージュと、アンビエントで瞑想的なシチュエーションのシンセに身を委ねつつ、遠くから鳴り響く物悲しげでエモーショナルなギターに導かれてまさにタイトル通りの5曲目の“哀歌”へと繋がる展開と絶妙なまでの間が何とも筆舌し難い。
 まさしく曲想のイメージとしては男と女の別れでもあり、刹那的でアダルトな風合いながらも曲の終盤にかけて悲しみの雰囲気の中に一筋の新たな希望の光が見出せる様な、マリオ・ミーロにも相通ずる哀愁漂う泣きのギターが何とも素晴らしい。さしずめオリジナルアナログ盤のA面ラストを飾るに相応しい劇的な瞬間であるとも言えよう。
 本作品の呼び物と言っても過言では無いプログレッシヴ・マインド全開な6曲目は、小川氏の音楽性とメンバーの力量が存分に発揮された7分強の4部組曲形式の大作で、バッハのオルガン曲を彷彿とさせるオープニング始めドラムソロ、ボレロのフレーズを盛り込んだりと、終盤にかけてのドラマティックな大団円を思わせる展開が感動を呼ぶ。
 ギタリストの実弟小川逸史氏のペンによる7曲目は、後期クリムゾン+UKへのオマージュが全面的に打ち出された唯一ヘヴィなナンバーで、『太陽と戦慄』『レッド』をも匂わせるフレーズアプローチに思わずニヤリとする方々も多いことだろう。
           
 7曲目がいきなり断ち切られたと同時にインサートされる、美しくも甘く切ないデジタルキーボードによるヴァイオリンとオーケストレーションが厳かに響き渡る小曲の8曲目に導かれ、ラスト9曲目のヴォーカルナンバーはまさにタイトル通り小川氏の言葉を代弁するかの如く“僕達の音楽を聴いてくれてありがとう、おやすみ”と言わんばかりな感傷的で寂寥感漂う、月夜の響宴は静かに幕を下ろしたというエピローグに相応しいスローバラードに仕上がっている。何よりも小川氏と女性Voとの対比が素晴らしい…。

 鳴り物入りで堂々とリリースされた『Open The Next Page』の評判は上々で、アイン・ソフと並ぶ新たな関西プログレ・ジャズロックの新鋭として期待されるものの、関東関西で数回のギグを経たその後はメンバー各々が多忙を極めバンド名義の活動としては、2年後の1988年メイド・イン・ジャパンからリリースされたジャズロック・オムニバスアルバム『Canterbury Edge』に収録された秀作「Just A Little Dream」がバンドとして最後の作品となってしまったのが何とも惜しまれる限りである。
          
 小川氏自身は1990年の『Open The Next Page』初CD化に際し、インナーのレヴューにて“そろそろ新譜も出さないとね…”と語っていたものの、メンバー各々が個々の活動で多忙を極めていたが為に開店休業状態もしくは自然消滅に近い形で、バンド名と唯一作の素晴らしい高評価ばかりが独り歩きのまま時間と時代だけが静かに過ぎていくばかりだった…。
 21世紀を迎え既にブラック・ペイジに終止符を打った小川氏自身は、昭和音楽大学の講師として教壇に立ちながらも、一音楽家或いは一創作者として自らの理想の音楽に向かって邁進し、地元で親交のあったROLLYに誘われすかんちのキーボードに参加する一方で様々なジャンル違いのアーティストやアイドル等(SMAP始め筋肉少女帯、モーニング娘。、松浦亜弥、真心ブラザース…etc、etc)のレコーディングに参加したりライヴステージのサポートに立つなどして、ますます音楽家としての地位を築きつつあった。
 が、運命の神様は時として残酷な試練をお与えするものであり、2014年の4月から体調を崩して休養していた小川氏自身、病魔との闘いも空しく同年6月26日に容態の急変により逝去してしまう。
 享年53歳、病名不明、逝くにはまだまだ早過ぎるとしか言いようがない…。

「4月末より入院、闘病しておりました小川文明ですが、6月25日未明より容態が急変し、午後永眠いたしました。音楽に囲まれながらの安らかな最期でした」※小川文明公式サイトより原文ママ。

 私自身もFacebookの友人を経由して小川氏の訃報を知った次第であるが、同年春にバンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモ氏が不慮の交通事故で逝去されて以後…精神的にもショックが癒えてない時分だったもので、寝耳に水の如き続くプログレ関係者の訃報に、天を仰いではつくづく運命の神様がいるのなら恨みつらみや呪いの言葉すらも叫びぶつけてやりたい気分に駆られたものである。
 逝去前の6月5日には、小川氏からのメッセージが更新され「突然の体調不良で、ひと月前に入院することになり、多くの方々にご迷惑、ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。おかげさまで現在は落ち着いております。また皆さんと笑顔で逢えるように、僕も今度こそ焦らずじっくりと治療に専念したいと思います」、と復帰を目指していただけに、私自身返す々々も悔やまれてならないのが正直なところである。
  
 生前、小川氏の創作精神を継承するであろう新進女性キーボーダー小川真澄の2010年のデヴュー作『Asterisk*』に対し大いなる賞賛を贈っていたのが非常に印象に残っている(下世話な話で恐縮であるが…同じ小川姓という事で当初は何らかの血縁関係者ではないかと思っていた。結局はたまたま同じ小川姓というだけであったが)。
 小川真澄、そして関東のLu7に受け継がれ、天国の小川氏の魂と高らかな創作精神という唯一無比の音楽財産は今でもなお生き続けている…その事を思うだけで感慨深く胸が熱くなる。
 聴き手である側の我々も小川氏の心と魂に精一杯応える為にも、プログレッシヴ・ロックの未来を担う後継者や新進達を育て見守り続けていこうではないか!
           
 改めてこの場をお借りして、今は亡き小川文明氏の御霊に慎んで御冥福をお祈り申し上げます。
 そして素晴らしい作品と思い出を有難うございました、合掌。

 小川さん…どうか天国からプログレッシヴ・ロックのこれからの将来を見守ってて下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 32-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、幾多もの困難と辛苦、そして挫折を乗り越えて21世紀の現在もなお孤高の輝きを放ち続けているブリティッシュ・ポンプ~メロディック・シンフォ界きっての燻し銀を思わせる漆黒のマエストロの称号に相応しい“パラス”に焦点を当ててみたいと思います。


PALLAS
(U.K 1981~)
  
  Euan Lowson:Vo        
  Nial Mathewson:G 
  Ronnie Brown:Key 
  Graeme Murray:B 
  Derek Forman:Ds

 ここ近年の傾向として、80年代初頭にデヴューを飾った当時の新鋭=所謂ブリティッシュ・ポンプムーヴメントの屋台骨となった主要バンドが、結成30周年云々を機に(記念する意を含めて)続々と燻し銀の光沢を放つ作品をリリースするといった動きが顕著に見られる様になった。
 ポンプシーンの先導役となったマリリオンを筆頭に、IQ、ペンドラゴン、ソルスティスといった第一世代が結成以降…紆余曲折やら暗中模索といった繰り返し等を経て、活動30周年という節目を契機に今までの総括といった自らの集大成的な意味合いを含めて、あるバンドは原点回帰に立ち返ったかの如く、またあるバンドは今の時代に則した(決して時流の波に乗るという意味ではなく)新たなアプローチのシンフォを試みる…etc、etcと枚挙に暇が無いが、過去に何度も言及されてきた“プログレッシヴの歴史に悪しき汚点を残したA級戦犯”などと揶揄され嘲笑を浴びせられたかつてのポンプ・
ロックも、何だかんだ言っている内に世界各国に大勢のファンを増やしつつ、更にはその第一期ポンプシーンの洗礼を受けた世代からフォロワーバンドが続々と世に輩出されるといった今日にまで至っている次第である。
 70年代のブリティッシュ5大バンドに影響を受けた世代とはまた違った方向で、独自に進化(深化)しファンやリスナーと共に成長し、ネットの時代と上手く同調する事によって自らのスタイルと運営方針をも確立させたポンプエイジの申し子達。
 それはいつしかネオ・プログレないしメロディック・ロック(メロディック・シンフォニック)と呼称される様になり、21世紀のプログレッシヴ・ムーヴメントを形成する上で一つの流派として周知・認識されていると言っても過言ではあるまい。
 そんな百花繚乱な活況と様相を呈している全世界規模の21世紀プログレッシヴに於いて、一度は夢敗れて表舞台から消え去ったものの、自らの充電期間と併せて音楽の熟成を信じ待ち続けて起死回生の復活を遂げ今日まで独自のスタイリッシュな路線とストイックなまでの創作意欲と姿勢を貫き通し続けているブリティッシュ・ポンプ孤高の雄パラス。

 リッチーがパープルに見切りを付けレインボー結成へと至った1976年、ブリティッシュ・プログレッシヴも当時席巻しつつあったパンクロックやニューウェイヴといった勢力に押され、かつての勢いに翳りが見え隠れしつつあった同年、スコットランドの港湾都市アバディーン出身の5人の若者達によってパラスの歴史は幕を開ける事となる。
 前述のパープルを始めユーライア・ヒープ、イエス、ジェネシス…等といった70年代の大御所からの洗礼を受けた若い彼等にとって、時流の波に背を向けて王道たるブリティッシュ・ロック本来のスタンスで臨みつつも、その前途は多難続きであった事と思える…。
 時代遅れの音楽だのと悪口雑言叩かれて、過去の遺物的な音楽に見向きする者なんぞ皆無に等しいプログレッシヴ斜陽化が叫ばれつつあった当時のブリティッシュ・シーンに於いて、肩身の狭い思いをし苦汁と辛酸を舐めさせられながらも、それでも彼等は決して臆する事も卑屈に陥る事無く地道にイギリス国内のライヴハウスやクラブを転々とサーキットしつつ、徐々に理解と支持、知名度を得ながら“その時が来るまで”虎視眈々と機会を待ち続けるのだった。
 余談ながらも結成当初は、かの切り裂きジャック+レイプ犯をモチーフにした「The Ripper」が、ライヴで人気の呼び声が高いレパートリーだったものの、ハードコアパンクバンドも真っ青になる位にコスチュームとパフォーマンス、歌詞を含めてあまりに内容が過激だった為に会場側が演奏の自粛を申し入れた事がしばしばあったそうな(彼等なりのパンクとニューウェイヴに対する皮肉とアンチテーゼが込められていたのかもしれない。当然「The Ripper」は録音されていない幻の名曲(迷曲)である。もし出していたら当然発禁処分だった事だろう)。
     
 そして機は熟し…時代は80年代激動期を迎えパンク・ニューウェイヴが衰退・停滞期に差し掛かる頃と前後してミュージックトレンドはNWOBHMが主導権を握り、時同じくしてあの熱き70年代ロックスピリッツとプログレッシヴ・ロックの復権・再興の気運と呼び声が高まりつつある中、1981年パラスは満を持してスコットランドにてライヴ収録したプレデヴューライヴ盤『Arrive Alive』で世に躍り出る事となる。ちなみに同期バンドでもあるトゥエルフス・ナイトも同年ロンドンのマーキークラブにて収録したプレデヴューライヴ『Live At The Target』をリリースしており、CDやDVDがまだ無かったあの当時はデモカセット作品よりもアナログ盤の魅力に加えてダイレクトに自らのサウンドスタイルをアピール出来る格好の手段だった事が頷けよう。
          
 アナログ盤時代は白地に銅版画を思わせる意匠が施されているが、後年はデジタルリマスタリングでCD化され音質がより向上しアートワークも大幅にリアレンジされて、ドイツのSPVを経て現在はアメリカINSIDEOUTから入手可能なので彼等の初期の時代に触れてみたい方は是非とも一聴して頂きたい。
 思い起こせば…19歳の頃地図を片手に一人単独で上京した時のこと、右も左も分からず東新宿のディスクユニオンへふらりと足を運んだ際に、壁に掛かっていた新譜コーナーのパラスのライヴ盤と初めて出会った時の事を鮮明に記憶している。
 マリリオンのデヴュー作に意気消沈しポンプロックなるものに些か懐疑的な思いを抱きつつも、騙されたつもりで今再びといった気持ちでパラスのライヴ盤に針を落とした時の興奮と衝撃は今でも忘れられない。
 確かに70年代の大御所勢から比べると見劣りやら荒削りな演奏と今一つな音質は否めないが、当時久しく忘れかけていたロックの醍醐味と熱気が呼び覚まされた懐旧な思いだけが両耳を通じて脳裏に響鳴していたのを、まるで昨日の出来事の如く覚えている…。
 嗚呼、そういえば同じ頃に買った歌物哀愁シャンソン風12インチシングル『Paris Is Burning』もなかなかの異色にして佳作だったことも付け加えておかねば…。

 プレデヴューの『Arrive Alive』リリース以降、知名度が大きく浸透し期待感に注視される中でも彼等は地道に牛歩なペースを崩す事無く黙々と演奏活動に没頭していく日々であったが、3年後の1984年『Arrive Alive』が予想を上回るセールスを伸ばしているという事を嗅ぎつけたイギリスEMIは、既にメジャーデヴューを果たしているマリリオンに次ぐ二匹目のドジョウを世に送り出さんと早急に契約を持ちかけてくる。まあ…俗に言われるポンプロックの青田買いみたいなものである(苦笑)。
 プロデューサーには往年のイエスやEL&Pといった数多くの名作を手掛けた名匠エディー・オフォードを迎えてパラスのメジャーデヴュー戦略に向けたお膳立ては全て整ったかの様に思えたが、早くもデヴューアルバムの根本的なコンセプトやら作品の方針やら方向性を巡ってバンド側とプロデューサーと会社側とで喧々諤々な衝突が繰り返されたそうな…。
 曲の尺の短縮やらコマーシャリズムな曲の追加を命ぜられたり、ややもすればイエスの物真似的なサウンドアプローチを持ち掛けられたりと、よく言うギャップジェネレーション、考え方の相違と相まってバンド側と名匠エディーとの関係は決して円満良好では無かったと思える。
 試行錯誤と難産の末に漸くリリースまでに漕ぎ着けた待望の記念すべきフルレングスのメジャーデヴュー作『The Sentinel』は、ロジャー・ディーンと並ぶファンタジックアーティストのパトリック・ウッドロフ(残念ながら彼自身2014年に突然の病で急逝している)を起用したアートワークはモロにイエスワールドを拝借したかの様な意匠に賛否が分かれるところであるが、出来栄えやクオリティこそ決して悪くないもののバンド側やファン、レコード会社共々どこかしらしっくりと来ない言葉に出来ないしこりみたいな後味の悪さが残る作品になった事だけは否めない。
          
 特に日本のプログレリスナーの間では、とてもエディーが手掛けた仕事とは思えない…なんて否定的な意見まで飛び出る始末だったから、印象的なジャケットとは裏腹に何とも割に合わない皮肉な話でもある。
 あの当時アルバムに収録された楽曲以外にもまだまだ収録済みであるにも拘らずお蔵入りになってしまった未発の楽曲があったものの、後年バンド側とSPVレーベルの手でリマスタリング完全収録版(但しエディーの名前はしっかりと外されている)という形でリイシューされているが、儲け優先とセールス至上主義だったあの当時のEMIに2枚組大作のデヴューリリースなんて無論馬の耳に念仏みたいな話であって、パラスのメジャーデヴューは不本意にして理想と現実の狭間であがきながら悩み苦しむという残酷な洗礼そのものだったに違いない。
 バンドの思惑とは裏腹にライヴは常に満員御礼で拍手喝采を浴びるという様相を呈していたが、そんな虚飾にまみれた日々の生活にほとほとうんざりし嫌気が差したヴォーカリストのEuanがバンドを去り、パラスは2作目のレコーディングに向けて新たなヴォーカリスト探しに奔走する事となる。
 Euanに代わる新たな後釜として人伝を頼りにバンド間の旧知の間柄でも会ったアベルガンズのヴォーカリストだったAlan Reedを迎え入れて製作された1986年の2nd『The Wedge』は、前デヴュー作での何かしらスッキリとしないモヤモヤ感が完全に払拭された、良い意味で漸くパラスらしさが開花した、一聴すると開き直りとも取れそうな脱ポンプロックを狙ったかの如く多少のコマーシャリズムを加味した小曲集的な趣の作品に仕上がっている。
    
 …にしても、あの何とも安っぽいアートワークだけは何とかならないものか!と激昂したくなる位の当時のデザインの劣化には辟易してしまうのが正直なところでもある(苦笑)。
 21世紀の今だからこそ笑って許せてしまう部分もあるが、あの当時は如何にも大衆受けを狙った安作りなデザインに頭を抱えたくなる思いに何度苛まれた事だろう…。
 多くのプログレファンはもはやこの時点でパラスは終わりを迎えつつあると予感していたに違いあるまい。
 正直なところ、マリリオンを除いてパラスやペンドラゴンは契約先のEMIから事実上の解雇に近い形で放出されるという憂き目に遭っており、改めて思うに商業主義やら儲け優先の音楽会社なんて所詮血も涙も無い卑劣でロクなもんじゃないと悟ったのもこの時であろう。

 こうして…一時的ながらもあれだけ隆盛を誇っていたポンプロックシーンは、80年代半ばから後期にかけてあっという間に尻すぼみの如く表舞台から遠ざかり、マリリオンを除くポンプバンドの大半が消滅ないし路線変更したり、一時的に消息を絶って隠遁に近い状況へと追いやられてしまった次第である。
 この時を境に多くの痛手を受けたポンプロックバンドが得た結論と教訓は「大手メジャーなレコード会社なんぞ信用出来るか!」ということ…。
 この意識の変革と自我の目覚めは、後年プログレッシヴ・ロックを新たな時代へと繋げる為に創り手側、専門のファンジン+メディア、世界各国の大勢のファン、そしてプログレ専門に門戸開放したインディーズレーベル側が一致団結し、今日の21世紀プログレッシヴムーヴメントの根幹へと押し上げていった起爆剤の様に思えてならない。
 IQ始めペンドラゴン、ソルスティスといったポンプ第一世代が逆境を乗り越えて、90年代に自主レーベルを立ち上げトップクオリティーを維持しながらシーンをのし上がり、今日までの大躍進と確固たる地位と栄光を築き上げているのは言うに及ばず、第一世代に追随するかの如くギャラハド、ジャディス、果てはマジェンタやモーストリー・オータム、シーヴス・キッチン、クレドといったリアルタイムで活躍している世代が台頭している昨今、CD売り上げ不振に悩む大手レコード会社を尻目に、プログレないしメタル系を専門とする各々のインディーズ系ばかりが着々と業績を伸ばしているという逆転の現実に、筆者である私自身も筆舌し難い感慨に耽ってしまうのはいた仕方あるまい。
 話が横道に逸れてしまったが、肝心要のパラス自体も『The Wedge』の売り上げ不振でEMIから放出された後も、決してただ黙って凋落していた訳ではなく、いつかまた何年か後に再起動するため自らを敢えて冬の時代へと沈黙し長きに亘る充電・冬眠期間を要さなければならなかった。
 その間もメンバー間同士で密に連絡を取り合い、本来の生業を兼ねながらセッションやらサポートメンバーとして参加したり、パラス再開の為のリハーサルを重ねながら力量を蓄えていったのである。
          
 そして消息を絶ってからおおよそ13年後の1999年、20世紀が終わりを迎えつつあり、そして彼等パラスがすっかり世間から忘却の彼方へと追いやられつつあった中、10年以上もの沈黙を破って当時新興だったプログレッシヴ専門レーベルSPV+INSIDEOUTからリリースされた待望の復活作『Beat The Drum』は、まさに彼等の起死回生に相応しい会心の一作として再び世界各国の多くの聴衆達から喝采と賞賛を受けるのだった。
 Graeme Murrayを筆頭にNiall Matthewson、Ronnie Brownのオリジナルメンバーに加え、2代目ヴォーカリストAlan Reed、そして新たなドラマーにColin Fraserを迎えた新たな布陣で『Beat The Drum』から、21世紀以降の2001年に『The Cross & The Crucible』、そして4年後の2005年フィドル奏者と3人の女性ヴォーカルをゲストに迎えたコンセプト大作『The Dreams Of Men』といった素晴らしい好作品を立て続けに発表していく。
    
 99年の活動再開以降…その荘厳で且つ冷徹な感すら抱かせるクラシカル・シンフォニックさとブリティッシュロックの王道を地で行くヘヴィ&ハードな側面とが同居した、ドラマティックでダークなヴィジュアルを湛えた揺るぎ無い世界観は、もはやかつての80年代で痛手を受けたジレンマとカタルシスを完全に払拭する位、10年以上ものブランクなんぞ感じさせない威厳と風格をも取り戻し、幾数多ものシンフォニック・バンド、メロディック・ロックバンドの追随をも許さない一線を画したストイックなスタイルと、時流の波やトレンドとは一切無縁な妥協の無い研ぎ澄まされた頑ななまでのアーティスティック・スピリッツで第一線に返り咲いたのである。
 このまま順風満帆な上り調子で継続していくのかと思われたが、ツアーや精神面での度重なる疲弊に加えてパラスでの自らの役目は終えたとばかりに程無くしてヴォーカリストのAlanが5年後の2010年に脱退してしまう。
    
 長年苦楽を共にしてきたAlanというフロントマンが脱退という出来事はパラスの面々に大なり小なりのショッキングと暗雲をもたらすが、臆する事無く前進あるのみを決めた彼等は度重なる選考の末、新たにPaul Mackieをヴォーカリストに迎えて、翌2011年メジャーデヴューの際のアートワークにもなった半馬人型のメカロイドを再登場させ、まさしく『The Sentinel』の後日譚にして続編的なカラーを持たせた『XXV』をリリースし(発売元も心機一転アメリカのMascot Musicからリリースされている)、Alan脱退を含む過去の因縁との決着・訣別を意識したかの様な、今までの思いの丈を込めた集大成的なカラーと趣が存分に詰め込まれた久々に会心の一作となったのは言うまでも無かった。
     
 そして3年後の2014年の暮れにリリースされた通算第7作目の『Wearewhoweare』は、メカニカルでカタストロフィーなイメージが強かった前作から一転して、ロシア人アーティストが手掛けた(キモ可愛いと言うには程遠いかもしれないが)何とも摩訶不思議にして奇妙で不気味なクリーチャーが用いられた意匠のイメージ通り、ダークで仄暗いエモーショナルなモダンヘヴィ・シンフォニックに仕上がっており、全曲のイマジネーションを想起させる40ページに及ぶデジブックスタイルの初回限定版はパラスのファンならずとも、プログレッシヴを愛する方なら願わくば是非とも直接手に取ってお聴き頂きたい(今回の本作品から念願の自主レーベルによるリリースでもある)。
 さながらダーク・ゴシックな雰囲気漂う妖しいフェアリーテイルといったところだろうか。
 ちなみに今年2020年にはプレデヴューの『Arrive Alive』から2014年の『Wearewhoweare』に至るまで、彼等の全作品の中から10曲がチョイスされリアレンジと新録音が施されたレトロスペクテブ・アンソロジーな趣の『The Edge Of Time』がリリースされている事も付け加えておく。

 ここまで駆け足ペースでパラスの足跡を辿っていった次第であるが、今日までに至る道程は決して平坦でもなければ順風満帆でもなく、むしろデヴュー当初から幾多もの困難と矛盾に苛まれ、事ある毎に挫折や葛藤の繰り返しで、10年以上もの活動休止期間というブランクを経てもなお“己”を信じ続
けて見事に甦り、そのストイックなまでの鬼気迫る精神とがむしゃらで真摯な創作意欲を堅持し続けて、現在も飽くなき探求心で貪欲に孤高のプログレッシヴ・フィールドを歩み続けている彼等に、心から拍手を贈るなんて見え透いたお世辞めいた事なんぞ所詮無用であろう。
 我々が出来る事は…彼等の構築する世界というフィルターを通じて現実を凝視すること、そして彼等のこれから目指すべきヴィジュアルとは何か?彼等がこれから何を見据えて歩んでいくのか…それを私達はしかと見届けていかねばなるまい。
 パラス…まさしく彼等こそプログレッシヴという無限大の荒野を彷徨う崇高な夢織人そのものと言っても過言ではあるまい。
 彼等に問いかけ、そして挑み続けることこそ最大の賛辞にして礼儀であろう。
 それはおそらく初心者マーク的な若い世代のプログレッシャーにとっては、少しかじって聴きました程度だけでは到底理解出来ない迷宮的な奥深さが待ち受けている事だろう。
 彼等の飽くなきプログレッシヴの挑戦をこれからも私は受けて立とうと思う…。

一生逸品 BRAM STOKER

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 今週の「一生逸品」はつい最近めでたく通算3枚目にして待望の再々復活作をリリースし、世界的規模で大いに話題と評判を呼んでいる、ブリティッシュ・ロックシーンきっての隠された至宝にして類稀なる秀逸な存在と言っても過言では無い“ブラム・ストーカー”に今再び焦点を当ててみたいと思います。

BRAM STOKER/Heavy Rock Spectacular(1972)
  1.Born To Be Free/2.Ants/3.Fast Decay/
  4.Blitz/5.Idiot/6.Fingals Cave/
  7.Extensive Corrosion/8.Poltergeist
  
  Tony Bronsdon:Key
  Pete Ballam:G
  Rob Haines:Ds
  John Babin:B

 60年代末期から70年代全般に於ける…まるで蟻の巣の如き厚い層を形成しているブリティッシュ・プログレッシヴ・ムーヴメントの中で、今回取り挙げるブラム・ストーカーはまさに知る人ぞ知る存在と言っても異論はあるまい。
 あくまで推察の域ではあるが、おそらくリーダー兼KeyのTony Bronsdon自身、昔も今も自身のキーボードヒーローでもあるキース・エマーソンに触発されてこのバンドを結成したのではあるまいか…。
 ホラー小説の祖にして古典的怪奇小説『ドラキュラ』の作者でもあるブラム・ストーカーをバンド名に冠したものの、おどろおどろしさ全開の悪魔崇拝的な恐怖感に彩られたヘヴィサウンドとは皆無にして真逆な…所謂ブリティッシュ・オルガンロックの範疇ではあるが、ヴァーティゴやネオンレーベル系の作品にありがちな変に英国独特の陰りや情緒感に彩られた泥臭さというかブルーズィーな感触が幾分抑えられた、アクやクセの無い…まあ比較的ストレートでクリア、構築的で親しみ易くスンナリと耳に馴染む稀有な好作品だと言えるだろう。
 良い意味で人懐っこく取っ付き易くも、悪い意味で英国情緒薄味な(ワールドワイドな作風を目指したのか?或いはあくまで自国に根付いた作風だったのか?)どっち付かずでも無い中途半端さがマイナス面といったところではあるが、いずれにせよ1972年に唯一作でもある『Heavy Rock Spectacular』は、40年以上を経た21世紀という今日まで根強い支持を得て名作・名盤という確固たる地位を保持しているのは紛れも無い事実と言えよう。

 バンドの結成やバイオグラフィーに関しては誠に申し訳無くも、ここ数年間私自身の貧相な脳細胞やら思考回路を駆使し、あらゆるネット関連で検索しても兎にも角にも全くと言って良い程の解らずじまいであったものの、極最近になって判明した事として…バンドは1969年にキーボードのTony 
Bronsdonを中心に結成され、ロンドンの老舗マーキークラブを拠点に様々なロックフェスやギグに出演、果てはイギリス国内そしてオランダの大学の学園祭等で精力的に活動し、早くからその類稀なる音楽性で高い評価と話題を集めていたとの事。
 そして1972年イギリスはロンドンのWINDMILLなるマイナーレーベルから、ブルーを基調に女性とおぼしき頭部のみがグラデーション化された、その何とも形容し難い印象的なジャケットに包まれた『Heavy Rock Spectacular』をリリースする。
 ただ…いかんせん困った事にオリジナルLP原盤にはバンドメンバーのクレジットが無いという体たらくな有様が何とも腹立たしく思えてならない(当時の製作者と責任者を呼べ!と声高に叫びたくもなる)。
 その結果(良い意味で)謎と秘密のベールに包まれた伝説のバンドという、プログレ・ファンやブリティッシュ・ファンなら間違い無く飛び付く事必至ともいえる名誉(!?)な称号を得たまま、後年高額プレミアムな一枚として世に出てしまい…ブリティッシュ・ロックの造詣に深い有識者ですらもますます頭を悩ませ混迷を極めてしまうのだから全く以って世話は無い(苦笑)。
 しかし幸いかな…今世紀ネットとSNS隆盛で様々な情報と検索ワードが飛び交う昨今、多種多様なジャンルのCDリイシュー化の波及でブラム・ストーカーも御多聞に漏れず、今まで数々の知られてなかったバンドの秘話やらバイオグラフィー、アーカイヴに至るまでが多くのロックファンに知られる事となり、2008年ドイツ国内でプレスリイシューされた(お粗末な装丁ながらも)デジパックCDを皮切りに、2014年のマーキー/ベル・アンティークから未発音源CD付豪華2枚組仕様+詳細なる経歴まで網羅された紙ジャケットリイシューまでもがリリースされ、かつての幻・伝説的存在から徐々に21世紀シーンへの再浮上への追い風となったのはもはや言うには及ぶまい(ただ未だにヴォーカルを誰が担当しているのか解らないが困り者であるが)。
          
 冒頭1曲目のいきなりパーカッシヴなハモンドと心地良く軽快なメロディーラインに思わず惹き込まれる事だろう。ヴォーカルの力量は平均的なれど決して下手な部類ではあるまい。
 むしろこの手のオルガン・プログレには適材と言えるヴォーカリストではなかろうか。それでもオープニングを飾るに相応しいダイナミズムを感じずにはいられない。
 2曲目と3曲目はインストゥルメンタルナンバーでここでもTonyのハモンドは絶好調に冴えまくっている。
 彼のオルガンワークを支えるメンバー誰一人前面に出しゃばる事無く、あくまでアンサンブルを重視したサウンドワークに徹した姿勢が端々に垣間見える。3曲目の中間部にバッハのフレーズが出てくる辺りは御大のキースやジョン・ロードをも意識しているのだろうか…なかなか堂に入った演奏で思わずカッコイイの言葉すら出てきそうな、改めてブリティッシュ・ロックの奥深さが窺い知れる好ナンバーと言えるだろう。
 不穏な雰囲気を醸し出す空襲警報めいた厳かなサイレン音と重々しいハモンドとベースに導かれる4曲目は唯一のバラードナンバーで、英国の湿り気を帯びた白い曇り空と広大な田園風景が目に浮かぶ様だ。
 Vo入りの5曲目、そしてオールインスト6曲目にかけての流れも実に素晴らしい出来栄えで、この辺りともなるとブリティッシュ系の音というよりも、むしろダッチ系プログレ…初期のフォーカス或いはブラスセクションを抜いたエクセプションの面影すら垣間見える作風で、イギリスのバンドでありながらも海峡を越えて更なるヨーロピアンな感性と様式美との融合を意欲的に試みている、バンド的にもひと味違った側面すら窺い知れよう。
 やはり彼等も当時のロックシーンを席巻していたオランダ勢の流れというものを意識していたのだろうか…。
 軽快で疾走感溢れるギターとテクニカルなオルガンとの応酬が印象的な7曲目に至っては、中間部でのさり気ない管楽器パートの導入やピアノが初めて顔を覗かせたり、伝統的なブリティッシュ・フレーバーの流れが堪能出来る秀逸さが光る好ナンバーと言えよう。
 オカルティックな題材にインスパイアされた8曲目は、物憂げでミスティックなイメージと緊迫感溢れるスリリングさとが同居した、ライト感覚ながらもブラム・ストーカー流のオルガン・シンフォニックが縦横無尽に繰り広げられ、まさにラストのトリでありつつも彼等の音世界のフィナーレを飾るに相応しい真骨頂で締め括られる…。

 このまま順風満帆な波に乗ってマイナーレーベルから一気に大手メジャーな流通へ…という周囲からの期待を他所に、彼等はたった一枚きりの作品を遺し理由を告げぬままブリティッシュ・ロック史の表舞台から姿を消し、前述の通り製作スタッフからバンドメンバーに至るまでのクレジットが伏せられたまま、まったく謎だらけのベールに包まれた不名誉な称号を背負った高額プレミアム作品として世に出て、それ以降各々のメンバーの消息やらその後の足取り等は掴めぬまま、作品の素晴らしさだけが一人歩きしつつ21世紀を迎えるまでに至った次第である。

 しかし、プログレッシヴ・ロックの神様はそういとも簡単にお見捨てにはなさらなかった…。

彼らが唯一作を遺してから40年余、時代は好転し世界各国から次々と70年代の栄華を彩った名グループ達がカムバックを遂げ、ブラム・ストーカー自体も御多聞に漏れずリーダーTony Bronsdonを中心に2013年実に40年余振りの待望の新作『Cold Reading』で見事に復活を遂げ、今や世界的規模に達したプログレッシヴ・ムーヴメントの第一線に華々しく返り咲いたのは最早既に周知の事であろう…。
    
 ブラム・ストーカー解散後…Tony Bronsdon自身、ジュリアン・レノン、ロジャー・ダルトリー、サイモン・タウンゼント、ヴィサージュ、ペット・ショップ・ボーイズ、フィル・ラモーン、トーヤ、ジョン・フォックスといった名立たる面々との共同作業といった長年に及ぶ数々の音楽的経験や、新たな盟友にして現ESPプロジェクトを主宰するTony Loweとの出会いを経て、紆余曲折、試行錯誤、自問自答の果てに漸く辿り着いたブラム・ストーカーへの帰還は、まさに原点回帰に立ち帰るばかりでは無く、彼=Tony Bronsdon自身の思い描く音楽の存在意義と自己証明をも問うた第2の新たなる挑戦であったと言っても過言ではあるまい。
 当初はTony自身のソロプロジェクトの発展進化形とも取れるスタイルだったブラム・ストーカーであったが、このまま顔見せ程度のワンオフ的な復活劇で終わるのではといった危惧があったのも正直なところで、次回作なんて果たしていつの事になるやらと静観していた…そんな我々の下世話にも似た余計な心配を他所に、Tonyを中心に新たな3人のメンバー(女性ベーシスト兼ヴォーカルJosephine Marks、ギタリストNeil Richardson、ドラマーWarren Marks)を迎えた布陣で、2019年名は体を表すの言葉通りドラキュラ伯爵らしき妖しげな人物が描かれた6年ぶり通算3枚目にして現時点での新
譜『No Reflection』をリリースしたのは記憶に新しいところである。
       
 アートワークこそややもすればゴシックメタル風な意匠といった感こそ否めないものの、肝心要のサウンド面にあってはかつてのデヴュー作や復活した前作から一転して、往年のカーヴド・エアないしエニドばりの正統派ブリティッシュ・シンフォニックへと完全シフトに成功した好作品に仕上がっているのが実に驚きである。

 現在こうしてバンドスタイルとして再復活を遂げた新布陣の彼等が、いつの日か…或いは遠い将来かは定かではないが、我が国日本のステージの壇上で白熱のライヴ・パフォーマンスを繰り広げてくれるであろう、そんな夢物語にも似た他愛の無い妄想を頭に思い描いただけでも期待に胸が熱くなってしまう。
 そんな感慨深い衝動を抑えつつ、彼等の新旧3枚の作品を何度も何度も繰り返し聴いている自分がそこにいる今日この頃である…。

夢幻の楽師達 -Chapter 33-

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 3月もいよいよ半ば、今週の「夢幻の楽師達」は70年代ジャーマン・ロックシーンの一時代を駆け抜けていった唯一無比にして孤高の音楽集団でもあった“ヴァレンシュタイン”に今一度栄光の光を当ててみたいと思います。


WALLENSTEIN
(GERMANY 1971~1982)
  
  Jürgen Dollase:Key, Vo
  Harald Grosskopf:Ds, Per
  Jerry Berkers:B, Vo
  Bill Barone:G

 長きに亘るユーロピアン・ロックの歴史に於いて、70年代に於いてその頭一つ飛び抜けた音楽性と創造力でイタリアのシーンと共に人気を二分してきたドイツのシーン。
 ジャーマン・ロックを語る上で必ずといって良い位に引き合いに出されるであろう、複雑怪奇に絡み合う雑多で様々なキーワード…サイケデリック、アヴァンギャルド、エレクトリック・ミュージック、トリップミュージック、クラウトロック、メディテーショナル、エクスペリメンタル、ドラッグカルチャー、LSD体験、フラワームーヴメント、ヒッピー&コミューン、ラヴ&ピース、etc、etc。
 各方面でもう既に何度も語られてきた事であるが、ジャーマン・ロックはそのドイツ人らしい国民性と感性が反映された、知的探究心と観念の音楽そのものと言っても過言ではあるまい。
無論ドイツのロックシーンは決してそれらの精神的解放と革命を謳った系統ばかりだけではなく、ゲルマンのロマンティシズムとリリシズム溢れるシンフォニック・ロック、或いはブリティッシュ・ハードロックからの影響と流れを汲んだ大御所スコーピオンズやハロウィーンを輩出したジャーマンHR/HMとて、ジャーマン・ロック史の一時代を形成してきた上で見過ごす訳にはいかないであろう…。

 70年代初頭、ジャーマン・ロック黎明期ともいえるその幕開けに呼応するかの如くその独特なサウンドカラーと個性、創造力を彩った3つのレーベルが産声を上げた。
 耳のマークで数々の名作を世に送り出したOHR(オール)、そのオールに相反する音楽性に加えジャーマントラディッショナルとフォークタッチで牧歌的な素晴らしい作風を誇り、後年のシンフォニック系にも相通ずるキノコのマークでお馴染みのPILZ(ピルツ)、そしてオールとピルツそれぞれ良質なエッセンスを吸収し融合した短命ながらも数々の忘れ難い作品を輩出したKOSMISCHE(コスミッシェ)こそが、後々のジャーマン・ロックの根幹を位置付ける役割を担い一時代の形成にひと役買った事は最早言わずもがな周知の事であろう。

 そんな時代の潮流と追い風を受けるかの様に、1971年…当時アートスクールの学生だったJürgen Dollaseを筆頭にドラマーHarald Grosskopf、オランダ人ベーシストJerry Berkers、そしてアメリカ人ギタリストBill Baroneの4人編成でヴァレンシュタインの前身でもあるBLITZKRIEG(ブリッツクレイグ=電撃戦)なるバンドが結成される。
 バンド結成以降数々のライヴイヴェントに参加し腕と経験を磨きつつ、幼少期からバッハやベートーヴェンといった自国のクラシックに馴れ親しみ音楽教育に研鑽していたJürgenのリリカルで瑞々しいピアノを主軸としたその独特な音楽世界観が発足間もないPILZレーベルの関係者の目に留まり、まるで互いに引き合うかの如くバンドとレーベルサイドとの共鳴と思惑が一致し程無くして契約までに辿り着けたものの、折しもイギリス国内でBLITZKRIEGなる同名バンドが既に存在していたが為、バンドサイドは急遽シラーの戯曲でオーストリア傭兵隊長の名前で物語の主人公でもあるヴァレンシュタインへと改名し、同年末にかけてレコーディングされたデヴュー作はかつてのバンド名だった『Blitzkrieg』を冠してリリースされる運びとなる。
             
            Albrecht Von Wallenstein (1583-1634)

 英語の歌詞をメインにJürgenの素晴らしいキーボードワークに加えて、ギタリストBillのアメリカ人ならではのヘヴィでゴツゴツとした硬質なギタープレイとが相まって、フォークタッチなカラーが謳い文句なPILZレーベルの作品には珍しく幾分ハードロック寄りな作風に仕上がっており、当時ドイツ国内のバース・コントロール、ネクター、フランピーといったジャーマン・ハードロック黎明期のバンドに準ずるところが多々感じられる。
    
 デヴュー作が概ね好評でドイツ国内サーキットでも既に大きな実績を得ていた彼等は、翌72年早々と2作目の製作と録音に録りかかる事となる。
 全4曲大作指向だったデヴュー作に於いて彼等自身も大なり小なり抱いていた不満とも言うべき散漫な感と粗削りな編集を改めて反省材料とし、2作目の録音では時間をかけて編集を積み重ね作風と曲をきちんと整然にまとめて、より以上に親近感を抱かせる傑作へと昇華させていった。
 そして同年夏にリリースされた2ndは『Mother Universe』として世に送り出され、初期ジャーマン・シンフォニックの傑作としてバンド共々確固たる地位を築き上げ、ドイツ国内でのヴァレンシュタイン人気を決定付ける契機となったの最早言うには及ぶまい。
 ドラマティックで時に感傷的な激情すら思わせるピアノにメロトロン、オルガンを奏でるJürgenの素晴らしさはデヴュー作以上に冴え渡り、Jürgenの曲想を支えるメンバーの好演も見逃してはなるまい。
 ちなみに今では有名な語り草となっているが、ジャケットワークに起用された高齢の御夫人の写真のモデルはバンドリーダーでもあるJürgenの祖母で撮影はドラマーのHaraldによるもので、何ともアットホームな温もりを感じさせる手作り感が微笑ましい限りである。
 余談ではあるが、2ndリリースと前後してJürgen自身が主宰するコミュニティー“オルガニザツィオーン・ヴァレンシュタイン”が発足したのもちょうどこの頃で、音楽のみならず芸術関連、文学、科学の分野にまで幅広く活動範囲を広めていき、昨今のSNSといったネットワークツールが無かった
当時、もう既にそれらの先駆的な一歩を試みていたというのが何とも驚きでもある。
 下世話な推測かもしれないが、奥ゆかしくも意味深なタイトルに加えてJürgenの祖母を起用した素朴な感のジャケットデザインに、多少なりともPILZレーベル側の意向にバンドサイドが沿ったと思えるのは私自身の考え過ぎであろうか…。
          
 『Mother Universe』はドイツ国内外でも高い評価を受け、当時フランスの音楽誌BESTでも月間ベストアルバムに選出され、ヴァレンシュタインも意気揚々と志を高めていくものの、同年秋にオリジナルメンバーだったベーシストのJerry Berkersがソロ活動に専念する為バンドを脱退する(ちなみにJerryのソロ作品にはJürgenとBillがバックで参加している)。
 残念な事にソロに転向したJerry Berkersは後年LSDの過剰摂取で端を発した精神的な疾患に悩まされ、ソロ作品を録音中に病から併発した不慮な事故がもとで他界してしまう、改めて合掌。
 Jerry脱退後ヴァレンシュタインは後釜ベーシストを入れず、暫くの間はトリオ編成で活動しアリス・クーパーばりのド派手メイクでドイツ始めスイス、フランス国内のツアーサーキットを敢行し大きな話題と評判を呼ぶ事となる。

 翌73年ともなるとヴァレンシュタインを取り巻く環境が大きく動き出し、先にも触れたKOSMISCHEレーベルが主催する“アシッド・パーティー”なるセッション活動に招聘されPILZとの契約満了と時同じくしてKOSMISCHEへの移籍を快諾。
 新たな空気を取り入れるべく心機一転後釜ベーシストとしてDieter Meierを迎え、更にはヴァイオリニストにJoachim Reiserを加えた鉄壁を誇る5人編成となって、同年『Mother Universe』と並ぶジャーマン・プログレッシヴ史に燦然と輝く金字塔とも言える最高傑作『Cosmic Century』をリリース。
    
 製作環境が新しくなった事が幸いしたのか、今まで培われた経験と実績が思う存分如何無く発揮され、Jürgenそしてバンドの思いの丈がギッシリと詰め込まれた縦横無尽に繰り広げられる幻想音楽物語は、まさしくアナログLP時代のA面丸々費やした“The Symphonic Rock Orchestra”と銘打った組曲大作を含め全収録曲のどれもが一切の無駄や妥協が微塵も感じられず、Jürgenのキーボード群の活躍に加えて、Billの力強いギターに、新加入のJoachimの目を瞠る様な素晴らしいヴァイオリン、強固なリズム隊といった全てが集約され渾然一体となった燻し銀の如き至高と珠玉の芸術品に相応しい一枚に成り得たと言っても異論はあるまい。
 勿論、芸術性が光る中にも程良いポップスなセンスと垢抜けたような明るい開放感、力強いロックな手応えも忘れてはなるまいが…。

 鳴り物入りでリリースされた3rd『Cosmic Century』は国内外でも高い好評価と上々の評判を呼び鰻登りにセールスを伸ばしていくものの、レーベルの思惑とは裏腹にバンドサイドではベーシストのDieter Meierがリリース直後に脱退するといったゴタゴタが巻き起こっており、予定していたツアーがままならない状態に陥ってしまった。
 程無くして後釜ベーシストにJürgen Plutaを迎えるも、メンバーの心身の疲弊が積み重なってしまったが為にヴァレンシュタインは半年近く活動を休止。
 その間Jürgen Dollase発案によるプログラム・ミュージックなるアイディアを基に翌74年通算第4作目にしてプログレッシヴ・ロック時代最後の輝きを放つ『Stories, Songs & Symphonies』をリリースし、ロック、クラシック、ジャズとの融合を試みるというコンセプトを明確に打ち出したものの、ファンタジックなアートワークに相反するかの如く休止期間が災いしたのかバンドのパワーダウンは否めないといった有様で、セールス的にも伸び悩みバンド結成以来の挫折と失敗を味わってしまう。
    
 決して出来は悪くないがデヴューから前作『Cosmic Century』までに感じられた豪快さと重量感に欠ける嫌いは正直頷けよう…。
 肯定的に綴ってしまえば『Cosmic Century』ばりの高度な完成度には及ばないが、楽曲の繊細さと実験的な試みばかりが際立っている佳作と言った方が正しい向きなのかもしれない。

 4作目の商業的失敗に加えて同時期に於いて不運にもKOSMISCHEレーベルが経営難を含めた諸事情で消滅するという憂き目に遭い、ヴァレンシュタインというバンドとしての結束力は徐々に綻び始め、翌75年長年苦楽を共にしてきたドラマーのHaraldとギタリストのBillが揃って脱退し、ヴァレンシュタインのオリジナルメンバーはとうとうバンドリーダーJürgen Dollaseだけとなってしまい、Jürgen自身もバンドの建て直しを図るために止む無く一時的な解散を下す事となる。
 翌76年後任のドラマーとしてNicky Gebhard、ギターにGerb Klockerを迎えるものの、バンドの方向性に疑問を抱いていたヴァイオリニストのJoachim Reiserが抜けてしまい、最早この時点においてヴァレンシュタインはプログレッシヴ・バンドから訣別していたと言っても異論はあるまい。
 Jürgen Dollase、Jürgen Pluta、Nicky Gebhard、Gerb Klockerの4人編成で77年新生ヴァレンシュタインが始動し、過去での実績が買われて大手のRCAに移籍後かつてのプログレッシヴ期の名残を留めつつもエレクトリック・ポップ色を強めた『No More Love』をリリース。
 皮肉にもSF的でポルノチックなアダムとイヴのフォトグラフを起用したジャケットワークが、当時かなりの話題を呼んだとの事だが、いかんせんここでの新生ヴァレンシュタインはもはや別バンドとして捉えた方が賢明だと思う。
 以後、Jürgen Dollaseを残しメンバーの総入れ替えやら増減を繰り返し、当時世界的規模で席巻していたディスコティック路線を意識した『Charline』(1978 )を始めとし、『Blue Eyed Boys』(1979 )、『Fraüleins』(1980 )、『Ssssssstop!』(1981 )と1982年の解散に至るまでコンスタンスに作品をリリースするも、よもやヴァレンシュタインはゲルマンのロマンティシズムやリリシズムを完全に捨て去った、シングルヒット連発のコマーシャリズムと商業路線重視のポップスバンドとして成功を収め、かのスコーピオンズと共にヨーロッパツアーをサーキットするが、ラストとなった『Ssssssstop!』がセールス不振で不発に終わり、Jürgen Dollase自身もミュージシャン活動からきれいさっぱり足を洗い引退を宣言し、バンド結成から11年後の1982年ヴァレンシュタインはその長きに亘る活動から静かに幕を下ろす事となる。

 ヴァレンシュタイン解散後のメンバーのその後の動向として現在判明している限りでは、先ず音楽的リーダーでもあったJürgen Dollaseは音楽を含めた創作活動から完全に退き、現在はドイツ国内にて料理評論家として名を馳せて大成功を収め、今もなおグルメ業界の第一線の現役として精力的に東奔西走の日々を送っているとの事。
 ヴァイオリニストのJoachim Reiserは現在メンヒェングラートバッハにて居を構え、そこの地元音楽学校にてヴァイオリン講師として今もなお勤続しており、80年代半ばにはロックとオーケストラとの融合の為に多数ものスコアを書き下ろし、それら一部の楽曲が母国ドイツの音楽出版社による編さんで楽譜集として刊行されており、営利目的では無い流通手段を通じCDとしてもリリースされている。
 ちなみに一部ではJoachim Reiserは多量のアルコール摂取による健康障害で亡くなってしまったと報じられているが、それは全くの誤りで…極度のアルコール依存症に陥ったのはJoachim Reiserではなく2代目ベーシストのDieter Meierであって、1986年にメンヒェングラートバッハの病院で逝去したというのが正しい。
 アメリカ人ギタリストのBill Baroneはヴァレンシュタインから離れた後、母国アメリカに帰国しそこでいくつかのバンドでプレイした後、フィラデルフィアにて土建業の重機関係の仕事にも携わる様になり今も何人かの社員を雇って忙しい日々を送っている。
 ちなみにBill自身、初代ドラマーのHarald Grosskopfとは現在も親交があり、インターネットを経由して互いに近況の連絡を取り合ったり、ドイツとアメリカを行き来している間柄であるとの事。
 その初代ドラマーHarald Grosskopfと3代目ベーシストのJürgen Plutaの両名が現在もなお音楽業界の第一線として活躍しており、特にHarald Grosskopfにあってはヴァレンシュタインから離脱後はクラウス・シュルツ始めアシュラに参加し、80年代全般ともなるとニューウェイヴ関連やテクノポップの分野にて後進の育成やらプロデュース業に貢献し、21世紀の今もなお併行して自身のソロ作品で精力的に活動しているのが嬉しい限りでもある。

 ヴァレンシュタイン解散から早30年以上が経過し、プログレッシヴ・ロックを巡る世界的規模の情勢も大きく様変わりしている昨今、今や外野的な立場としてプログレッシヴのOB的な視点で、現在(いま)を生きる21世紀のプログレッシヴの担い手に対し、かつてヴァレンシュタインのメンバーだった彼等の目にはどう映っているのだろうか…。
 もし、仮に何らかの機会でSNS等のネットにてかつてのリーダーだったJürgen Dollaseに、開口一番“『Cosmic Century』はプログレッシヴ・ロックの歴史に残る名盤で最高傑作でした!”と切り出したら、“あれはもう過去の事”と一蹴ないし苦笑されるのがオチなのだろうか…。

一生逸品 AMENOPHIS

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 今週の「一生逸品」は四季折々の表情を見せるドイツのロマンティック街道…或いはゲルマンの森をも彷彿とさせる、荘厳にして崇高なる幻想世界を高らかに謳い上げたジャーマン・シンフォニック随一の抒情派の申し子と言っても過言では無い、近年奇跡ともいえる復活劇で各方面から今再び注視されている“アメノフィス”に改めて焦点を当ててみたいと思います。

AMENOPHIS/Amenophis(1983)
  1.Suntower
  2.The Flower
   a)The Appearance
   b)Discovering The Entrance In The Shadow Of A Dying Bloom
  3.Venus
  4.The Last Requiem
   a)Looking For Refuge
   b)The Prince
   c)Armageddon
  
  Michael Rößmann:G, Key
  Stefan Rößmann:Ds, Key
  Wolfgang Volmuth:B, G, Key, Vo

 イタリアと共にユーロロック人気の片翼を担ったと言っても過言ではないドイツのシーン。
 先般綴った「夢幻の楽師達」のエニワンズ・ドーター編でも触れているが、70年代のドイツが東西に分断されていた西ドイツ時代。
 当時ジャーマン・ロックとひと口に言っても、その全容はアヴァンギャルド+エレクトリック系を始め、サイケデリック、メディテーショナル、アシッド、トリップ、或いはプログレッシヴの定番ともいえるシンフォニック、果てはストレートなジャーマン・ハードロック…等といった多岐に亘る、まさしくイタリアに負けず劣らずな百花繚乱の様相を呈していたのは言うに及ぶまい。
 その一種独特なコミューンやらヒッピーカルチャーにも相通ずる異彩と個性を放っていたジャーマン・ロック栄光の時代も、70年代後期から80年代にかけて世界的規模を席巻していたディスコミュージックやヒットチャートを賑わす英米の産業音楽といった余波を受けて、ドイツも御多聞に漏れず多くのレコード関連・音楽配給会社が大幅に路線を変更し、アーティスト側もある者は時流の波に乗ってテクノに移行したり、売れ線狙いのポップ化に路線変更したりと、世界的に成功を収めていたタンジェリン・ドリームやカン、確固たる自己プロデュースとレコード会社との連携体制でシンフォニックの一時代を築いたエニワンズ・ドーターを例外として、ジャーマン・プログレッシヴはその大半が停滞・低迷に瀕した状態で、多くのシンフォニック系のプログレバンドがマイナーレーベルと共にアンダー・グラウンドへと移行し、自主リリースという道に甘んずるしか術が無い厳しい冬の時代を迎えていたと言っても過言ではあるまい。
 無論、それはそれで大手レコード会社から干渉・制約される事無く、機材にスタジオ、運営からマネジメント、果ては金銭関係といった経済面等でハンデこそ抱えていたものの、セルフプロデュースながらも自由な雰囲気と環境でそれ相応に素晴らしい作品が世に輩出された事もまた事実ではあるが…。
 アイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、マディソン・ダイク、セレーネ、タンタルス、ヴァニエトゥラ、エデン、ルソー、イスカンダー、アナビス…等といった80年代前後を境とする秀逸な存在に追随するかの様に、今回本編の主人公であるアメノフィスもジャーマン・アンダーグラウンドシンフォニックという時代の潮流の真っ只中を生き抜いた、ほんのひと握りの輝く原石にも似た崇高なまでの“匠”と言えまいか…。

 バンドの始まりは1977年にドイツ南西部の地方都市で、音楽と共に青春時代を謳歌していた二人の若者Michaelと弟のStefanによるRößmann兄弟と、その学友だったWolfgang Volmuthの3人で結成したスクールバンドから幕を開ける事となる。
 翌78年エジプトのファラオの一つからヒントを得てバンド名を正式にアメノフィスとし、当時の彼等の憧れでもあったイエス、ジェネシス、キャメル、果ては同国のグローヴシュニット、当時から既に話題をさらっていたデヴュー前のエニワンズ・ドーターに触発された純粋無垢なまでのプログレッシヴ・サウンドを志す事を決意する。
 選任キーボーダーが不在で、メンバー全員がキーボードを兼任するという変則トリオ編成で、ライヴの時にはサポートKeyやサイドギターを迎えて演奏に臨んでおり、曲作りやアイディアこそ豊富に備えていたものの、まだ学生であるという身分に加えて肝心要の機材があまりに貧弱だった事もあって、全世界共通なれど彼等もまた御多聞に漏れず借金をして楽器並び音響・録音機材関係を補充強化して、以後バンドメンバー各々が音楽活動に勤しむ一方で借金返済の為のバイトに明け暮れていたそうである(苦笑)。
 地道な音楽活動が実を結び、学校内での演奏活動から徐々に街のイベントやら祭典、小規模ながらも様々なロックイベントでも頻繁にプレイする機会を得た彼等は、音楽活動とアルバイトの二重生活を送り苦労を重ねながらも次第に演奏とアレンジ面でめきめきと力を付けて、そろそろちゃんとしたアルバムとしての形を実現させねばと本腰を上げ始める。
 事実この時期に於いて資金繰りといったバンドの運営面でもかなり困窮・逼迫した状況で、下手すれば機材の売却という憂き目をも避けられない止むに止まれぬ裏事情もあったが故に、彼等は薄氷の如くギリギリな綱渡りのやりくりの中で、ここで何としてでもアルバムである程度の成功を収めねばと躍起になっていたというのも正直なところだった。
 そして迎えた1983年、彼等自身のセルフプロデュースでオルガン奏者とフルートのゲスト2名を迎えて自主リリースされたバンド同名のタイトルを冠したデヴュー作は、セルフリリース系のジャーマン・シンフォが俄かながらも活気付いていた時期に、幸運にもめでたく流通に乗せる事が出来た次第である(但し…日本に入ってきたのは遅れること4年後の1987年であるが)。
          
 満月の夜に舞う蝙蝠の如き幻獣と燭台を思わせる炎の塔(!?)が描かれたミステリアスな意匠に包まれた彼等の初出作は、彼等自身が影響を受けたジェネシスやキャメルといった大御所へのリスペクトを含め、先人達への返礼とバンド自らの回答にして憧憬と敬意の念が込められた、デヴューながらも音楽性の総決算とも取れる意味合いすら感じられよう。
 インストナンバーである冒頭1曲目は、エニド或いはイタリアン・ロックを思わせる様なクラシカルで端整な美しいピアノの調べに乗って、荘厳なソリーナ系のストリングアンサンブルと抒情性を帯びた泣きのギターが覆い被さって、軽快なメロディーラインの中にリリシズムとロマンティシズム溢れる曲調へと転じ、スパニッシュ調のアコギが矢継ぎ早に綴れ織りの如く奏でられる様は、まさしくタイトル曲通りの輝く“太陽の塔”そのものを思わせる神々しさだけが存在している。
 ヴォーカル入りの2曲目はジャーマン・シンフォニック独特のリリカルな趣を湛えたラティーマーばりの繊細で美しい静と動の両面を兼ね備えたギターワークが聴きもので、ギターに呼応するかの様に森の木霊を思わせるソリーナに眩い煌きを放つシンセの音色が実に良い効果を生み出しており、四季折々に咲き乱れる花々のイマージュを色鮮やかに描写している。
 エモーショナルな曲想の3曲目はゲストプレイヤーのフルートとソリーナに導かれて、ヴィーナスの感情の起伏をも想起させる様な目まぐるしい雰囲気と変拍子を効果的に活かした、アナログLP盤A面のラストを飾るに相応しい秀作と言えよう。
 本作品中最大の呼び物といっても異論の無い4曲目24分強の大作は、アナログLP盤のB面全てを丸ごと費やした3部構成の組曲形式となっており、厳粛な深き森の調べ…流麗なる大河の波濤…怒涛の如き戦乱の嵐…冥府への光る城門といったイマジネーションが渾然一体となった、それこそ過去の名作級でもあるイエスの「危機」、ジェネシスの「サパーズ・レディ」、フォーカスの「ハンバーガー・コンチェルト」、或いはエニワンズ・ドーターの「アドニス」にも迫る勢いの一大シンフォニック絵巻となって、聴く者の耳と脳裏に深い感動と興奮の余韻を残す事だろう…。
 私論で恐縮であるが、この大曲を聴かずしてアメノフィスの存在を軽んじて今まで無視を決め込んでいたのであれば、それはプログレ人生にとって余りにも膨大な時間の喪失でもあり、当然の如くジャーマン・シンフォニックの真髄は語れないであろう…。
           
 余談ながらも日本に初めてアメノフィスが紹介された当初、あのオランダのコーダと並ぶ…否!コーダをも越えたなどという意見もチラホラ聞かれたが、まぁ…コーダを越えた云々は聴く人それぞれの御判断にお任せするにせよ、コーダと並ぶ作品に位置付けられるのも然りだが、個人的にはフランスのアジア・ミノールに一番近い線を感じてならないのが正直なところと言えよう。
 なお、YouTubeでも御拝聴の通り本作品の1992年CDリイシュー化に際し、デヴュー当時お蔵入りとなっていた未発表5曲がボーナストラックとして収録されており、こちらも諸般の事情とはいえ埋もれさせるにはあまりに惜しい素晴らしい出来栄えである事を付け加えさせて頂く。

 念願のデヴュー作で、ある程度の知名度を得た彼等ではあるが、時代が悪かったせいなのか予想に反して思った以上にアルバムの売れ行きは伸び悩み、結局機材等を売却せざる得ない状況に追い込まれ、加えてアルバム製作とライヴ活動等の精神的疲弊が重なり、長年苦楽を共にしてきた弟のStefanがバンドを抜けてしまった事を機に、アメノフィスはあえなく解散という最悪の結果を招いてしまう。
 が、アルバムの完成度の高さを評価したインディーズの関連筋からのオファーで、残されたMichaelとWolfgangの両名は心機一転して新たなドラマーと選任キーボーダー、そして女性Voを迎えた5人編成で再結成し、4年後の1987年に『You & I』をリリースするものの、ロマンティックで幻想的な印象を湛えた意匠に相反して、デヴュー時の高貴で荘厳な作風から随分とかけ離れた、プログレッシヴな感触と名残こそあるものの時流の波に乗ったポップ感覚満載な売れ線狙いのただのロックに成り下がってしまい、この事が仇となり悲しいかなデヴュー時以上にさっぱりと売れず(日本でもある程度の枚数が入荷したが、全くと言っていいくらいに売れず、しまいには話題にすらも上らなくなった)、結局2度目の挑戦も敢え無く失敗に終わりバンドは再び解散してしまう。
 MichaelとWolfgangもほとほと音楽活動に限界と疲労を痛感し、以後は音楽業界からきれいさっぱり足を洗って、音楽とは距離を置いた職種に就くと共に、暫くはプログレッシヴとはおおよそ無縁な生活を送る事となる。

 …が、運命とはつくづくどこでどう転ぶか分からないもので、21世紀に入るや否や事態は思いも寄らぬ急展開を迎え、ムゼアからリイシューされたデヴュー作がプログレ史に残る名盤として世界的に認知されると、作品の評判を風の便りに聞き世界各国の大勢のプログレファンからのラブコールを受けたMichael自身、2010年再び一念発起でオリジナルメンバーだったWolfgang Volmuth、そして『You & I』期のキーボーダーKurt Poppeを呼び寄せ、新たな3代目ドラマーとしてKarsten Schubertを加えた4人編成でアメノフィスは再々結成の運びとなる。
     
 過去の迷いを全て断ち切り、機材とテクノロジーの向上に加えて、熟練者ならではの深い人間味と経験が活かされた、今年2014年…実に27年振りの新作『Time』は砂時計が描かれた意匠の如く“時”がテーマという実に意味深なタイトルを引っ提げて、アメノフィスが再び世に一石を投じる実に挑戦的な意欲作へと仕上がっている。
 時代のアップ・トゥ・デイト感に裏打ちされた21世紀スタイルのジャーマン・シンフォへと自己進化・成長を遂げた彼等は聴衆に問いかけるであろう。

 「夢を捨ててはいけない。夢を諦めてはいけない。夢を見ること、夢の様な音楽を創る事を決して忘れてはいけない…。」

 人生の深みと円熟味を増した彼等の紡ぎ出す音楽に耳を傾けつつ、これから先もまだまだアメノフィスと共にプログレッシヴの理想郷を目指して探訪の歩みを踏みしめていかねばなるまい。
 アメノフィスの面々、そして私自身の終わりの無い旅路はこれからまだまだ続くであろう…。

夢幻の楽師達 -Chapter 34-

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 3月最後の「夢幻の楽師達」を飾るのは、イタリアン・ロック界きっての超個性派集団にして、かのレジェンドクラスな大御所アレアにも匹敵するであろう、ジャズロック、アヴァンギャルド、そしてカンタベリーサウンドをも内包し、唯一無比なる音楽世界を築き上げながら今もなお根強いファンや支持を得ており、同じグロッグレーベル出身のチェレステやコルテ・ディ・ミラコリとは趣やら音楽世界観が異なりながらも燻し銀の如き孤高なる輝きと風格を放ち続けている“ピッキオ・ダル・ポッツォ”に、今再び栄光と名誉ある輝かしい光明を当ててみたいと思います。

PICCHIO DAL POZZO
(ITALY 1972~?)
  
  Aldo De Scalzi:Key, Per, Alto Sax, G, Vo
  Paolo Griguolo:G, Per, Recorder, Vo
  Giorgio Karaghiosoff : Woodwinds, Flute, Per, Vo
  Andrea Beccari:B, Horn, Per, Vo

 今を遡る事39年前…1981年11月、ある冬空の下の晩秋の日の事。
 地元の高校2年生の時分、あの当時は今と大いに違って自身の周りでプログレッシヴ・ロックといったら大概はフロイドないしクリムゾン、イエス、EL&P、そしてジェネシス…許容範囲を広げてムーディーズ、キャメル、ルネッサンスといった有名どころがもてはやされ、VDGGやらキャラヴァン、GGなんて凡そ余程の通好みでないと話題にすら上らなかったのが常であって、何とも勿体無いというか寂しい様な…もどかしい様な…悲しい様なそんな有様だった(苦笑)。
 ユーロピアン含め諸外国勢にあっても門戸を開放した先導的役割を担ったPFMやフォーカス、タンジェリン、後にはタイ・フォンやセバスチャン・ハーディー、カンサス…etc、etcが時折話題に上ったり、NHKのFMでオンエアされるのが関の山であって、何度もこのブログにて言及してきたが…ことイタリアン・ロックに限定した話ともなると、キングレコードがたかみひろし氏先導と企画による「ユーロピアン・ロックコレクション」という鶴のひと声が無ければ、ある意味(良くも悪くも)正真正銘ドが付く位のマニアックなコレクターだけしか知り得ないディープなジャンルのまま埋もれてしまう寸前だったのは明白であって、キング洋楽セクションのスタッフ尽力の甲斐あって、ユーロピアン・ロックはこうして名実共に門戸が開放され市民権を得る事が出来たと言っても異論を挟む者は皆無であろう。
 かく言う私自身ですらも1981年当時の若い時分、ミュージックライフの告知欄で既にユーロピアン・ロックコレクションを知り得ていたと言いつつも、いかんせんユーロロックの右も左も皆目見当が付かないまだまだ若僧の青二才だったが故、海の物とも山の物とも要領を得ない…さながら中古品・骨董品専門店の店先で飾られている高尚で手が出せないお宝を羨望の眼差しで見つめるかの如く、まあ…大関善行、十代という多感なる時期と自身のユーロロック夜明け前を躊躇し戸惑いつつ右往左往しながら及び腰のまま、なかなかその一歩を踏み出せないもどかしさに悩み迷っていたのだから、実に初々しくも可愛げのある経緯であったと、今でも赤面する事しきりである(苦笑)。
 及び腰のままなかなかユーロコレへと踏み出せず、もどかしさとも焦燥感とも付かない苛立ちを抱えながらいたずらに時間が過ぎ去っていくさ中、とある晩秋の日に馴染みのレコード店の店主から手渡されたキングレコード発行の告知チラシを目にした瞬間、頭の中にまたしても多くの?????なる疑問符が湧き上がって来たから困りものである。

 「キングユーロロック・コレクション快挙!遂にマグマとグロッグレーベルの発売権を獲得!!」

 そのチラシの一文を見ただけで、まだユーロロックのフィールドへ完全に足を踏み入れていない時分、何の事やらさっぱり理解出来ず頭の中はちんぷんかんぷんだったのは言うに及ばず。
 そのチラシの一文を見ただけで、まだユーロロックのフィールドへ完全に足を踏み入れていない時分、何の事やらさっぱり理解出来ず頭の中はちんぷんかんぷんだったのは言うに及ばず。
 さながら若葉マークの付いたユーロロック一歩手前な当時の私自身、それでもミュージックライフで一時期特集が組まれた"ユーロロック紀行 フランス編"で覚えていたマグマが一瞬頭に思い浮かぶものの(爆)、それは全くの見当違いでイタリアン・ロック史に於ける最重要級のマイナーレーベルの事
だと知ったのは帰宅してベッドに寝そべりながら数分後の事だった。
 数日経って期末試験休みに自宅で寛ぎながらNHKFMの「軽音楽をあなたに」(懐かしい…)を耳にすると、偶然とは不思議で恐ろしいもので…チラシで告知されていたマグマとグロッグレーベルを中心としたイタリアン・ロックの特集が組まれた形で、ニュー・トロルスの“コンチェルト・グロッ
ソⅡ”を始め、メディテラネア、ラッテ・エ・ミエーレ“パヴァーヌ”、そしてかのグロッグレーベルからはチェレステと今回本篇の主人公ピッキオ・ダル・ポッツォがオンエアされており、ある意味PFMに出会って以来の本場のイタリア語によるイタリアン・ロックとの邂逅を果たした記念すべき一瞬だったのを今でも鮮明に記憶している。
 トロルスやラッテミ、チェレステで荘厳なるイタリアン・ロックの調べに深い感動と興奮を覚えつつも、肝心要のピッキオ・ダル・ポッツォに至っては、あの若かりし当時耳にした第一印象としては“難解!”という言葉が真っ先に思い立ち、あたかも催眠術にも似た呪文の如きリフレインされるアコギとパーカッションに加え奇妙なコーラスによる“Merta”が自身の耳を通じて思いっきり脳裏に焼き付いてしまったのだから、またまた困りものである(苦笑)。
 2曲目の“Cocomelastico”に至っては、あたかもジャケットに描かれている小人の兵隊(一団)がじわじわと攻め寄せて来るような…不安定ながらも不思議な浮遊感に包まれたオルガンとブラスセクションとのせめぎ合い、酒場というかバルでのはしゃぎ声やら、コップの水でうがいするといった様
々なSEがコラージュされた何ともアヴァンギャルドで掴み処の無い摩訶不思議な強い印象を受けた、これが正真正銘若い時分のピッキオ・ダル・ポッツォ初体験だった…という、冒頭の書き出しから延々長い思い出話みたいになってしまった事、どうか御容赦願いたい。

 ピッキオ・ダル・ポッツォの歩みはイタリア最大の港湾都市ジェノヴァで1972年結成まで遡る。
 ちなみにバンドネーミングの意は“井戸からキツツキ”を表すもので、何とも人を喰ったというか茶目っ気たっぷりとでもいうのか(微笑)。
 70年代初頭ニュー・トロルスで既に中心人物的ポジションで頭角を表していたVittorio De Scalziを兄に持つ実弟Aldo De Scalzi自身、兄Vittorioのロック&ポップス、クラシカル嗜好とは真逆に、「兄貴、俺こっちの路線でいくわ…」と言ったかどうかは定かではないにしろ、フランク・ザッパ始めソフト・マシーン、ハットフィールズ&ザ・ノース…etc、etcのアヴァンギャルドとカンタベリー系ミュージックに傾倒し、イタリアらしいアイデンティティーとユーモアを加味してピッキオ・ダル・ポッツォ結成へと至る。
 前後してニュー・トロルス分裂劇で憂き目を見たVittorio De Scalziが設立したStudio Gを拠点とし前出にも触れたマグマとグロッグの両レーベルが発足されのを機に、弟Aldo率いるピッキオ・ダル・ポッツォにも白羽の矢が当てられ、1976年グロッグレーベル第3弾目リリース作品としてその鮮烈な
るデヴューを飾る事となる。
 基本的にドラムレスの4人でキャリアをスタートさせ、メンバー各々が多種多様マルチに楽器を持ち替えて演奏する辺りは幾分GGを意識しているふしが感じられるものの、彼等4人を支えるべくVittorio De Scalzi始め、同じグロッグレーベルのチェレステからもCiro PerrinoやLeonardo Lagorioが参加、結果的に総勢10名からなるゲストサポート陣の助力と好演も見逃してはなるまい。
 クラフトペーパー(方眼紙)にあたかも子供の落書きを彷彿させる様な、何ともヨーロッパらしい童話風なロマンティックさとメルヘンティックが同居した、小人の兵隊というか一団が街中に攻め寄せてくるといった幾分ブラックユーモアさえ想起させるアートワークのイメージと寸分違わぬ、まさしくピッキオ・ダル・ポッツォの音楽世界観を如実且つ雄弁に物語っていると言っても異論はあるまい。
          
 オープニングの“Merta”をブリッジに“Cocomelastico”という連作さながらな展開の巧みさも然る事ながら、収録曲中10分超の組曲形式の長尺“Seppia”の動と静、押しと引きのバランスが怒涛の如く絶妙なる展開はピッキオならではの面目躍如といったところであろう。

 小人の一団よろしくおもちゃ箱をひっくり返したかの様なカンタベリーサウンドで当時のイタリアのロックシーンに一石を投じて注目を集めた彼等は、その後数回のライヴやギグをこなし若干名のメンバーチェンジを経て、次回作の為のレコーディングに備えリハを兼ねたデモ音源を製作するものの、惜しむらくは経営難から端を発した
Studio Gの閉鎖やら何やらすったもんだの挙句、結局次回作の為のデモ音源はお蔵入りするという憂き目に遭ってしまう。
 それでもバンドサイドは臆する事無く、次回作を一旦白紙に戻した形で新たなる構想を基に地道に活動を継続し、アレアの故デメトリオ・ストラトスとのセッションを含めたライヴ活動で糊口をしのぎつつ新作リリースする機会を狙っていた。
 その地道なる活動の甲斐あってかデヴュー作から4年後の1980年、当時ストーミィー・シックスといったRIO系アヴァンギャルドを多く擁していたL'Orchestra(ロルケストラ)レーベルを通じて実質上の2ndアルバム『Abbiamo Tutti I Suoi Problemi』をリリースする。
    
 日本盤タイトル通りに解釈すれば「人それぞれに人生の問題を抱えているものさ」といった具合だが、なるほど2nd本作リリースまでに至る紆余曲折を自虐を交えてアピールした彼等なりのシニカルな毒舌と言っても差し支えはあるまい。
 前作がおもちゃ箱をひっくり返したカンタベリー風であれば、やはりロルケストラというレーベルが持っている作風と路線を踏まえた性質上、2ndはさながら様々な廃品やら鉄材を溶接したジャンクアートで、前作のリリシズムやらユーモラスを留めつつも狂騒とアヴァンギャルドさは更に際立っていると言っても過言ではあるまい。
 前デヴュー作でのアートワークに負けず劣らず、2ndの意匠も彼等なりのユーモア感が滲み出ておりこれはこれでピッキオの新たなる側面を開拓した傑作と言えるだろう。
                       
 2ndの本作品にてAldo De Scalziを筆頭にPaolo Griguolo、Andrea Beccariの3人に加え、次回作のデモ音源製作から参加しているドラマー兼パーカッショニストのAldo Di Marco、そしてサックスとフルートのRoberto Romani (彼は2ndのアートワークも担当)の両名を正式メンバーに迎え、エンジニアのRoberto Bolognaも6人目のメンバーとしてクレジットされている。
 本作品の内容と評判も上々で、これで漸くバンド自体も軌道に乗って次なる展望が見通せるであろうと誰しもが予想していたにも拘らず、理由や原因こそ不明であるが2ndリリース後突如として活動を停止しピッキオ名義としての全てのマテリアルや活動を放棄、80年代突入と同時にイタリアン・ロックシーンの表舞台から姿を消す事となる。
 Aldoを含むピッキオのメンバーその後の動向にあっては、カンタベリー系やアヴァンギャルドから距離を置いた形で他ジャンルでのセッションないしポピュラーミュージック畑で裏方として音楽活動を継続。
 80年代から90年代…そして時代はいつしか21世紀に突入し、70年代後期に低迷・停滞期という暗黒時代を迎えていたイタリアン・ロックも王道復古と復調をすっかり取り戻して、多くのニューカマーやかつての70年代黄金期で活躍していた(PFM、バンコ、ニュー・トロルス、オルメを除いて)多くのベテラン勢も復活再結成を遂げ、それに同調するかの如くピッキオ・ダル・ポッツォも復活の兆しを見せ始め、そんなAldo達メンバーの気持ちを察していたのか新興レーベルCUNEIFORMから前出で触れた1977年に録音の2nd準備用デモ音源が2001年『Camere Zimmer Rooms』という新たなタイトルで復刻され、更には2004年正式な再結成復帰作として『Pic_nic@Valdapozzo』という実に24年ぶりの新譜をリリース。
    

 本作品はAldo De Scalzi始めPaolo Griguolo、そしてかつてのドラマーAldo Di Marco(何ともカラフルで摩訶不思議なアートワークも彼の手によるもの)のメンツに加え、サックス奏者にClaudio Lugoを迎えた4人編成の布陣で臨み、生前ピッキオとのジョイントで収録されていたアレアのデメトリオ・ストラトスのヴォーカルパートのテープが発見され、デジタルリマスタリングで収録された事も嬉しい吉報となった。
 もはや二度と聴かれる事は無いであろう筈のデメトリオのヴォイスがまた再び巡ってこようとは…リスナーは感涙で目頭を熱くした事であろう。
 時代相応に沿った形ながらもジャズィーでアヴァンギャルドな21世紀スタイルのピッキオワールドを構築した彼等ではあったが、その後またしても暫しの沈黙を守り続ける事となるのが何とも実に惜しまれる…。
 今となっては単発的なのか気まぐれなのかは知る由も無いが、数年に一度ライヴ限定で復活してはかつての名曲を再演しては拍手喝采を浴びており、2008年11月にイタリアで開催された「AltrOck Festival 2008」で収録されたライヴマテリアルが2年後の2010年に初のライヴ盤『A Live』としてリリースされ、更にはスペシャルゲストとしてテナーサックス奏者にかつてのメンバーGiorgio KaraghiosoffとRoberto Romaniを迎えた2011年1月のライヴが収録されたDVD(2013年リリース)までもが流布しているといった具合で今日までに至っている。

 2004年のスタジオ作品を最後に、ピッキオ・ダル・ポッツォとして正規の新作は未だアナウンスメントされていない状況で、一部では活動終了やら単なるバンド休止といった無責任な情報やら悪戯な憶測が横行しており、実質上は開店休業に近い状態といった方が正しいのだろうか。
 唯一、2016年川崎クラブチッタでのラッテ・エ・ミエーレ来日公演で同行したVittorio De ScalziとAldo De Scalzi兄弟のステージでの雄姿を拝見した際に、ピッキオの名曲“Merta”を生で聴けたのが幸いだったと今でも鮮明に記憶している。
 2004年のピッキオ復活劇から早15年経つものの、バンドの再起動はもはやAldoの鶴のひと声よろしくないしAldoのみぞ知るといったところであろうか(苦笑)。
 夢物語みたいな締め括り方で恐縮至極であるが、いつの日かピッキオ・ダル・ポッツォ名義での来日公演を強く切望していると共に、再びまた小人の兵隊達がグルグルと頭の中を駆け巡る様な…良い意味でドキドキとワクワク感が堪能出来る、そんな新作が聴ける事を願って止まない今日この頃である。

一生逸品 CORTE DEI MIRACOLI

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 今月最後の「一生逸品」は、ニュー・トロルス関連含め過去10年間に亘り4度の来日を果たしているヴィットリオとアルドのスカルツィ兄弟。

 そんな彼等の栄光と軌跡の賜物と言っても過言では無い個性派揃いのグロッグレーベルに着目し、当ブログでも取り挙げた同レーベル出身のチェレステやピッキオ・ダル・ポッツオと並ぶ存在でもあり、唯一無比な音楽世界に加え非凡にして抜きん出ていた個性が突出していた、まさに伝説と秘蔵級ともいえる“コルテ・デイ・ミラコリ”に今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

CORTE DEI MIRACOLI/Corte Dei Miracoli(1976)
  1....E Verrà L'Uomo
  2.Verso Il sole 
  3.Una Storia Fiabesca
  4.Il Rituale Notturno
  5.I Due Amanti
  
  Alessio Feltri:Key
  Riccardo Zegna:Key 
  Graziano Zippo:Vo
  Flavio Scogna:Ds, Per 
  Gabliele Siri:B

 70年代から21世紀の今日に至るまでPFM、バンコ、オルメ、そしてオザンナ…といったイタリアン・ロック界の名立たる大御所達は英米のシーンと同様御多聞に漏れず、長きに亘る活動期間に於いて独自のファミリーツリーを形成し、自らの力と経験或いはスキルを伸ばすと共に互いが協力し合う事で激動の時代を生き長らえて来たと言っても異論はあるまい。
 かのニュー・トロルスとて前述のイタリアン・ロック界の大御所達と同様、自らの歩みと併行して独自のファミリーツリーを形成し、イタリア音楽界の様々な多方面に於いて影響を及ぼしながら自らも試行錯誤と紆余曲折を乗り越えた末に今日があるといった…歴史の重みと言うには些か大仰かもしれないが、バンドならではの経験値の大きさと深みを改めて窺い知る思いですらある。
 1967年の結成から『コンチェルト・グロッソ1』の成功以降順風満帆な軌道の波に乗ったかと思いきや、72年の『UT』で音楽的な衝突(喧嘩別れ?)で一時的に分裂し、フォニット・チェトラに残ったニコ、ジャンニ、フランク、マウリツィオは連名で?マークのジャケットアートの唯一作『Canti
d'innocenza, Canti d'esperienza...』をリリースしイビスへと改名する。
 イビス名義で74年に『Sun Supreme』をリリースするも、ギタリストのニコのみヴィットリオと和解合流し同年リリースされたニュー・トロルスのライヴ盤『Tempi Dispari』を皮切りに76年の『Concerto Grosso N. II』、そして81年にはプログレッシヴ・ポップの秀作『FS』で見事なバッテリーを務めている。
 余談ながらも先日の来日公演で『UT』から一曲も演奏されなかったのは、ヴィットリオにとってあの当時の辛い思い出…二度と思い出したくない過去があったからなのだろうか?
 当たらずも遠からず、いずれにせよヴィットリオ自身が抱えている当時のわだかまりが解消されていないのか、或いは彼なりの心の葛藤とこだわりがあるのかもしれないが…。

 分裂後たった一人残されたヴィットリオは実弟のアルドを伴って、自らが理想とする音楽の製作環境を追求せんが為に73年に地元ジェノヴァにてスタジオGの設立に伴い同年にマグマレーベル(配給元は大手のリコルディ、後にフォニット・チェトラに移行するが)、76年にはジェノヴァを含む周辺の新進気鋭なアーティストの為にグロッグレーベル(配給元はフォニット・チェトラ)を立ち上げる事となる。
 73年~79年という短い運営年数ながらも、ロック色の濃いマグマ経由でニュー・トロルス(正式にはニュー・トロルス・アトミックシステム名義だが)の看板を守り続け、アルファタウラスやメンバーチェンジ後のラッテ・エ・ミエーレの3rdを世に送り出し、実験的な試みの傾向を擁するグロッグからはチェレステを輩出し、実弟アルドが率いるピッキオ・ダル・ポッツオ、そして今回本編の主人公でもあるコルテ・デイ・ミラコリに助力しつつも、ヴィットリオは自らの高邁な精神と創作姿勢を頑なに守りながら、弟アルドと共に70年代のイタリアン・ロック史に於いて一時代を築き上げ、後のファミリーツリーへと繋がる基盤作りに着手していくのは最早言うには及ぶまい。

 前置きが長くなったが、話は再び73年に戻り…ヴィットリオ自身スタジオGの設立と新レーベル発足の為の準備で奔走していたさ中、リグーリア州中部の港湾都市サヴォーナで活躍していたとあるバンドと出会う事となる。
 ジェネシス、VDGG、PFMそしてバンコといった大御所に触発されて結成された、それが本編の主人公コリテ・デイ・ミラコリである。
 ちなみにバンド名の意はディズニーアニメ映画にもなった『ノートルダムの鐘』に登場する悪党集団のアジト“Court Of Miracles(奇跡の法廷)”から由来しているとの事。
 数々のバンドで腕を磨いてきたキーボーダー兼リーダーのAlessio Feltriを筆頭に、Michele Carlone (Key)、Graziano Zippo (Vo)、そしてGabliele Siri (B)とFlavio Scogna (Ds, Per)のリズム隊を擁するイタリアのバンドらしいギターレスのツインキーボードというユニークな編成で、ヴィットリオに見い出された彼等は設立間も無いスタジオGでのレコーディング契約を交わすという幸運に恵まれ、度重なるライヴ出演とデヴュー作に向けたリハーサルとデモ形式のレコーディングを着々と積み重ねつつあったさ中、本格的なレコーディングを前に音楽的な相違でキーボードのMichele Carloneがバンドを去り、その後任としてジャズピアニストとしてのスキルも兼ね備えていたRiccardo Zegnaを迎えて本デヴューアルバムの録音に着手。
 翌1976年バンド名を冠した待望にして記念すべきデヴュー作を、発足間も無いグロッグレーベルより4番目の作品としてリリースされこうして世に出る事となる。
          
 冒頭1曲目の不協和音とも変拍子とも取れないアグレッシヴめいたメロディーラインに裏打ちされた如何にもといった感のジャズロックテイスト全開で、コルテ・デイ・ミラコリの摩訶不思議にして白昼夢にも似た朧気な浮遊感に彩られた音宇宙が厳か且つ豪胆に幕を開ける、まさしくオープニングに相応しい柔と剛…静と動が混在したサウンド・スカルプチュアはまさしく圧巻の一語に尽きるであろう。
 この曲のみゲストで参加しているヴィットリオのフリーキーで切り込んでくるギターソロが実に印象的で、ヴォーカルパートが入ってくると一転してクラシカル・シンフォニックな部分が顔を覗かせて、さながら、『Collage』~『Contrappunti』期のオルメに相通ずるものすらも彷彿とさせるイタリアン・ロックならではの独特で抒情的な歌心に満ち溢れたリリシズムが私達の脳内に呼び覚まされるのだから、その奥深さには改めて溜飲の下がる思いですらある。               
 軽快なドラムのオープニングに導かれる2曲目にあっては、クラシカルとジャズィーな要素が綴れ織りの如くに奏でられる、さながら『受難劇』期のラッテ・エ・ミエーレの面影すらも垣間見える好ナンバー。
 スタジオG=ヴィットリオならではのこだわりと音楽的嗜好が存分に反映された音作りは流石としか言い様があるまい。
 イタリアン・ロック独特な美しいピアノにAlessioの多彩なキーボード群が絡み、Grazianoの繊細で且つ高らかな歌声が実に素晴らしい3曲目にあっては、特に後半部にかけての流れが同時期のマクソフォーネないしロカンダ・デッレ・ファーテにも共通する70年代中期~後期へのターニングポイントをも予見させるサウンドワークが垣間見えるという点でも忘れてはなるまい。
 センチメンタリックで切ない恋情にも似通った仄かに寂しげな曲想の4曲目は、彼等の全曲中で私自身が一番好きなナンバーである。
 エレピにソリーナ、オルガン、シンセに加えて手数の多いドラム、伸びやかに紡がれるベースラインが渾然一体となって寄せては返す波の如く、時に優しく時に激しくも切ないリフレインが心の中で木霊する様は、さながらニュー・トロルスの『アトミック・システム』での“Ho Visto Poi”や“Quando L'erbe Vestiva La Terra”、果てはラッテ・エ・ミエーレの『鷲と栗鼠』の“Vacche sacre - falso menestrello”にも匹敵するであろう、何とも言えない心地良さが全身と心の隅々にまで染み渡るのかと思いきや、けたたましい電子音と共に突如として断ち切られ混沌としたサウンドエフェクトと語りとも叫びともつかないヴォイスに被さるシンフォニックな大団円といった意表を突かれたかの様な終盤に気が抜けないのが困りものである(苦笑)。
           
 スリリングな緊張感を伴ったオルガンをイントロダクションに導かれる、全曲中11分超のラストの大曲はまさしくコルテ・デイ・ミラコリの面目躍如そのものと言っても過言ではあるまい。
 かのフェスタ・モビーレのラストと同じ位に仄暗い陰影を湛えた、幾分ダークサイドな佇まいすら感じられるタイトルに相反するかの如き意味深で一瞬心の闇を覗き込んだ畏怖すらも想起させる最大の聴かせ処と言えるだろう。
 終盤テープ回転を徐々に落としてフェードアウトしていく様は妖しくも官能的なエクスタシーすら覚えさせられる…。

 デヴュー作のセールスはまずまずといった感で、デヴューリリースと前後にギタリストのValerio Piccioliを迎えてギグへの精力的な出演を重ねバンドの強化を図るものの、次回作に向けてさあこれからという矢先にグロッグレーベル消滅(早い話が倒産)というアクシデントに見舞われてしまい、そ
れを機にバンド自体の創作意欲は一気に低下していき、結局コルテ・デイ・ミラコリは僅かたった一年足らずで活動を停止、バンドは自然消滅という憂き目を見てしまう。
 コルテ・デイ・ミラコリの解散後、リーダーのAlessioはベースのGabliele、そしてギタリストのValerioを伴い、コルテ・デイ・ミラコリの前身バンドだったIL GIRO STRANOの再結成を試みるが、イタリアン・プログレッシヴ衰退期に差し掛かっていた時期が災いし、サウンド自体もプログレッシヴから時代相応の商業路線ポップスへと否応無しに移行せざるを得なかったのが何とも皮肉である。
 セールス的にも成功とは程遠い結果に終わり、最終的にはEL&P風のトリオを踏襲したバンドスタイルで79年まで奮起していたものの、Alessio自身の交通事故と重なりバンドは敢え無く解散。
 その後のメンバーの動向は全くと言って良い位に消息不明となり、唯一入院生活から復帰したAlessioがサウンドエンジニア兼プロデューサー、作曲家に転身して80年代全般に活躍していた事しか判明していない。
 時代が90年代に移行すると同時に、イタリアン・ロックの貴重な未発マテリアル音源の復刻が頻繁となり、御多聞に漏れずコルテ・デイ・ミラコリも73年~74年の良質なデモ音源が発掘され、1992年Mellowレーベルより『Dimensione Onirica』というタイトルでリリースされ、最早忘却の彼方の存在でしかなかった彼等の貴重な音源に往年のファンや新しいイタリアン・ロックのファンは歓喜に沸いたのは言うまでもあるまい。
 2年後の1994年にはデヴュー直後の未発表曲を含めたライヴ音源も発掘され同じくMellowレーベルより『Live At Lux』としてリリースされるも悲しいかな現在は廃盤同然の状態なので、21世紀の今日に願わくば紙ジャケット仕様のSHM‐CDとしてリイシューに望みを繋げたいのが正直なところで
もある。

 21世紀の現在(いま)、70年代末期のあの悪夢がまるで嘘だったかの様にイタリア国内からは前途有望な新進気鋭が続々と輩出されているといった活況著しい様相を呈している。
 ひと昔前なら俄かに信じ難い様なイタリアン・ロック界の大御所達がこぞって来日公演を果たし更なる新たなファンを増やしているといった、混迷な世の中でも一筋の光明とひと握りの夢が体感出来るそんな至福なひと時が味わえて大勢のファンと共有出来るだけでも幸運と言わざるを得ない。
 70年代にたった一枚の作品だけを遺して儚くも短命に終わった多くのイタリアン・ロックバンド達の無念な思いを晴らすかの如く、2016年10月21日川崎クラブチッタで開催されたイタリアン・ロックフェス“ラッテ・エ・ミエーレ&デ・スカルツィ兄弟”による圧倒的なライヴ・パフォーマンスに接したあの日あの時…ヴィットリオとアルド、そしてラッテ・エ・ミエーレのメンバー達は、あの70年代当時のかつての“彼等”でもあり盟友達の様々な思いを背負ってステージ上で精一杯白熱のライヴパフォーマンスを見せて(魅せて)くれたに違いあるまい…私はそう信じたい。

Monthly Prog Notes -March-

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 今月最後の「Monthly Prog Notes」をお届けします。

 コロナウイルス肺炎の脅威と蔓延に翻弄され、不穏で暗澹たる時代の雰囲気に包まれ、兎にも角にも不安と恐怖に怯え苛まれた一ヶ月間だったと思えてなりません。
 この度のコロナウイルス災禍で日本及び世界中で尊い生命を落とされた方々、そして亡くなられた志村けんさんの御霊に際し、この場をお借りして心より慎んで御冥福をお祈り申し上げます。

 今回はコロナの猛威が吹き荒れるヨーロッパ大陸から、災禍に抗い闘うべく前途有望なニューカマー3バンドの揃い踏みとなりました。
 イタリアからは、70年代イタリアン・ヘヴィプログレッシヴの伝統と熱気を脈々と継承した期待の新星がまた一つデヴューを飾る事となりました。
 3年前にアンレアル・シティを抜けた女性ギタリストを中心に結成された“クエル・キ・ディセ・イル・トゥオノ”のデヴュー作は、初期フロイドばりのサイケな佇まいにムゼオとビリエットのダークさとヘヴィサウンドが融合した…もう如何にもといった感の、イタリアン・ファンの誰しもが想起するであろう、胸を掻き毟られる様なパッションとダイナミズムが存分に堪能出来る意欲作にして豪華な野心作、必聴作に仕上がってます。
 久し振りのポーランドからは、21世紀ポーリッシュ・シンフォならではの、メロディック・シンフォのエモーショナルさとクールな透明感を纏いながらも、ジャズィーな側面を湛えた昨年末デヴューを飾った“セグー”が登場です。
 女性キーボーダーが奏でる端整で瑞々しい感性が光るピアノをメインにギターとリズム隊が追随する、クリアでセンシティヴな旋律に時折UKばりの変拍子が垣間見える極上のシンフォニック・ジャズロックの真髄が熱い位に伝わってくる入魂作です。
 かのロジャー・ディーンを意識したであろうアートワークに包まれた…言わずもがなプログレッシヴ・スピリッツ全開のフランス出身期待のニューカマー“アパイリス”のデヴューも聴き処満載。
 ヴォーカリストに、ギター&ベース、ドラム&キーボードといった変則タイプのプログレッシヴ・トリオで、フレンチ・シンフォにはやや珍しいラッシュ影響下のシンフォニックからプログメタルの両方面に至るまで、世代を越えた幅広いロックエイジへ大々的に強くアピール出来る傑出の一枚と言えるでしょう。
 こんな仄暗い…まだ収束の先すら見えてこない悲愴感漂う現代(いま)の御時世だからこそ、音楽の未知なる力と可能性で希望を見い出し、強く明るく逞しく前向きに乗り越えられるよう、渾身の魂で謳い奏でる生命の楽師達のハーモニーに酔いしれ、過酷な現実を忘れて暫しの間ほんの少しでも夢想し、至福なるひと時に触れて頂けたら幸いです。

1.QUEL CHE DISSE IL TUONO
  /Il Velo Dei Riflessi
  (from ITALY)
  
 1.Il Paradigma Dello Specchio(Primo Specchio)
 2.Figlio Dell'uomo(Secondo Specchio)
 3.Chi Ti Eammina Accanto?(Terzo Specchio)
 4.Il Bastone E Il Serpente(Quarto Specchio)
 5.Loro Sono Me(Catarsi)

 2017年リリースの『Frammenti Notturni』を最後に、結成以降苦楽を共にしてきたアンレアル・シティを(一身上の都合で)辞めた女性ギタリストFrancesca Zanettaを中心に新たに結成された、70年代イタリアン・ヘヴィプログレッシヴの王道と伝統を脈々と受け継いだ正統派クエル・キ・ディセ・イル・トゥオノ衝撃的にして渾身のデヴュー作が遂にお目見えと相成った。
 単刀直入に申し上げるが…ハイクオリティーなレベルの完成度の素晴らしさも然る事ながら、以前在籍していたアンレアル・シティを遥かに凌駕し、数段上回るダークでサイケな音世界観に改めて溜飲の下がる思いですらある。
 前出のアンレアル・シティではバンド自体が未成熟な印象を湛えたまま、重厚感に欠ける嫌いに加え付け焼刃みたいな(早い話薄っぺらな)ダークさに正直なかなか感情移入出来なくて、Francescaのギターが全く活かし切れてなかっただけに、彼女自らが立ち上げた活躍の場が出来た分…漸く思い描いた通りのサウンドスタイルに水を得た魚の如く活き々々としたギターワークが縦横無尽に繰り広げられている事にやはり喜びと嬉しさは隠せない。
 そうかと言って決してワンマンバンドに陥る事無く、彼女を支える卓越したキーボードの活躍、ヴォーカルをも兼ねる力強いベーシスト、屋台骨的役割をも担っているドラマーに加え、フルートとバックコーラス等のゲスト参加が栄えあるデヴューに華を添えていると言っても過言ではあるまい。
 「私、こういう音が創りたかったのよ」と言わんばかりなFrancescaの気迫が満ち溢れていて、言わずもがな前のバンドを辞めた事は本当に正解だった思えてならない。
 彼女そしてバンドの彼等に輝かしい未来と幸あれ!心から祝福の拍手を贈ろうではないか。
          

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2.THE SEGUEHolograms
  (from POLAND)
  
 1.Segue/2.Questions/3.Torrent/
 4.Exosphere/5.Future Ways/
 6.Broken Mind/7.Time Space Illusion

 紅一点の女性キーボーダーを擁する、昨年末に待望のデヴューを飾ったポーランド期待のシンフォニック・ジャズロックの新星セグー
 21世紀ポーリッシュ・シンフォらしい陰影を帯びたメロディアスさとクリアな透明感、ドラマティックでエモーショナルな空気を伴ったサウンドワークながらも、かのUKをも彷彿とさせる変拍子を利かせたジャズィーでクロスオーヴァーな側面をも垣間見せるスタイリッシュさがバンドの身上と言っても異論はあるまい。
 艶麗にして才媛のKarolina Wiercioch奏でる端整で且つ瑞々しい感性が発露したピアノ(+エレピ、シンセ)の美しい響きに導かれ、テクニカルなギター、強固なバッテリーを組むリズム隊という4人編成でヴォーカルレスのオールインストで構成された、徹頭徹尾ヨーロッパ大陸のイマージュと美意識を湛えた…一見クールな感で冷徹ながらもヒューマンな温もりと熱気の籠もったパッションが各曲毎に滲み出ている好作品へと打ち出している。
 従来のポーランド出身らしい一本調子なメロディック・シンフォ路線に寄り掛かる事無く、あくまでただひたむきに自らの音とオリジナリティーを追い求め、純粋なまでに音楽的希求を物語っている燻し銀の様な光沢を放つ近年稀に無い傑出した珠玉のデヴュー作と言えるだろう。
          

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3.APAIRYSVers La Lumière
  (from FRANCE)
  
 1.Ritual
 2.La Machine
 3.Vers La Lumière
 4.Sur Le Bitume
 5.Recueil

 もう如何にもいった感のロジャー・ディーンないしパトリック・ウッドロフをモロに意識したアートワークに思わず惹かれてしまう、フランス出身プログレッシヴ・トリオのニューカマーアパイリスの2020年デヴュー作。
 ジャケットはイエス風ながらもサウンド的にはフランスではやや珍しいラッシュからの影響が窺えて、ヴォーカル、ギター&ベース、ドラム&キーボードという変則トリオスタイルのシンフォニックを構築しており、ゲディ・リーの様なハイトーンヴォイスよりもむしろ大御所アンジュのクリスチャン・デカンを思わせる典型的フレンチ・ロックスタイルの歌唱法に加え、ドラマーが弾くメロトロン、オルガン、エレピ、シンセ系も前面に出している辺り、そこは敢えて模倣を避けた差別化を図っているのかもしれない。
 彼等も本家ラッシュと同様、プログレッシヴとハードロック両方面のファンへのアプローチを試みている意図が見受けられ、近年の凡庸なメロディック・シンフォやプログメタルとは完全に一線を画し自らのアイデンティティーを打ち出した意欲的で秀逸な作品と言えるだろう。
 メンバー自体もヴォーカリストを除き、ギタリストとドラマーの両名だけが明確になっているので、実質上はバンドのサウンドスタイルとイニシアティヴは2人がメインになっているものと思われる。
 願わくばどうかワンオフな一枚で終わらない事だけを祈りたい(苦笑)。
          

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