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06,2020
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『幻想神秘音楽館』4月新年度に突入すると共に、今月最初の栄えある「夢幻の楽師達」は今もなお80年代に於けるシンフォニック・ロック復活の口火を切ったと言っても過言では無い、名実共にフレンチ・リリシズムのパイオニアでもありエポック・メイキング的象徴でもある名匠“アジア・ミノール ”に改めて焦点を当ててみたいと思います。
そして…毎週「夢幻の楽師達」と「一生逸品」でお送りする週2回ペースの連載で始まった『幻想神秘音楽館』のセルフリメイク&リニューアルも、今月でいよいよ折り返し地点となった事を機に、今までの週一で同じ国籍同士連載していたスタイルから一旦離れて、今月と来月の2ヶ月間「夢幻の楽師達」と「一生逸品」を毎週違う国籍同士の競合によるシャッフル企画と銘打ってお届けいたします。
今秋の完全リニューアル再開という目標に向けて『幻想神秘音楽館』も、コロナウイルス災禍にめげず前向きに躍進して参りますので何卒宜しくお願い申し上げます。
Setrak Bakirel:Vo, G, B
Lionel Beltrami:Ds, Per
Eril Tekeli:G, Flute
Robert Kempler:Key, B
70年代末期を境に世界的なプログレッシヴ・ムーヴメントは一時的な沈滞・衰退期に入り、1980年前後にあってはイエス、フロイドといった極一部の有名どころを除き、ますますアンダーグラウンドな位置へと追いやられてしまった感が強い。
イギリス始めイタリア、アメリカ然り、御多分に漏れずフランスとて例外ではなかった。マグマは別格として…大御所のアンジュに、アトール、ピュルサー、モナ・リザ、ワパスーといった70年代の代表格の殆どが、時代相応に合わせた音作りを余儀なくされ、試行錯誤に低迷期、活動停止に陥ったのはよもや説明不要であろう…。
“ロック・テアトル”が最大のウリでもあり謳い文句にしていたフレンチ・プログレッシヴは、ムゼア発足までの暫く7~8年間は本当にアンダーグラウンドな範疇にて厳しい冬の時代を迎えていたのが正直なところである。
そんな状況下において、自主制作ながらもアラクノイとテルパンドル始め、ウリュド、ステップ・アヘッド、シノプシス、オパール、ウルタンベール、ファルスタッフ、ラ・ロッサ…等、活動期間は短命ながらも高水準な逸材・名盤が多数輩出し、僅かながらもフレンチ・シンフォは生き長らえる事が出来たのである。
その当時のシーンに於いて、フランス国内外で一歩抜きん出た存在として絶大的な支持を得ていたのが、今回の主人公アジア・ミノールである。
我が国で初めて紹介された当初は“アジア・マイナー ”なる名称で呼称されていたものの、徐々にバンドの実態、バイオグラフィー等が解明されていくのと波長を合わせるかの如く、名前の呼び方もフランス綴りに従ってミノールと呼ぶようになったとか…真偽のほどは定かではないが!?
バンドのルーツを遡ると、二人のトルコ人でもあるSetrak Bakirel(1953年、イスタンブール生まれのアルメニア系)とEril Tekeliの両名が、1973年に建築関係と音楽の勉強の為に渡仏した事からスタートする。
二人ともハイスクール時代から、ジェスロ・タル始めシカゴ、マハビシュヌオーケストラ等を愛聴し勉学と同様に音楽活動でも意気投合した旧知の仲でもある。
そして程無くして渡仏以降に後のドラマーとなるLionel Beltramiと合流し、75年アジア・ミノールは産声を上げる事となる。
79年のデヴュー作『Crossing The Line 』のリリースに至るまでの長い期間、彼等3人は仕事と学業に追われつつも、所有している機材の脆弱さの悩みこそあれど、精一杯ライヴ活動をこなしながら演奏から曲作りの面で力を付けていき、徐々にバンドとしての頭角を現していく。
こうして…バンドはサポート・キーボードを迎えて録音に臨み、自主盤デヴュー作を初回1000枚でプレスし、プロモートに400枚配布しライヴ会場でも300枚近く売り上げて、口コミ・人伝を経由してますます評価を高めていった次第である。
デヴューアルバムの成功と実績を得た彼等は、翌年正式に4人目のメンバーとして、Robert Kemplerをキーボード奏者に迎え入れ、あの名作・名盤にして80年代の傑作の一枚『Between Flesh And Divine 』をリリースする。
前作での反省を踏まえて当初は500枚プレスしたものの、イギリス始めカナダのプログレッシヴ専門店並びプレス関係からの熱心な後押しで初回は瞬く間に完売という快挙を成し遂げ、暫くの間はプレスしてもプレスしても売り切れるといった状態が続き文字通りのベストセラーになったと同時に、文字通り80年代のプログレッシヴ・シーン復活の起爆剤的役割として、幸先の良い契機となったことは一目瞭然である。
余談ながらも…我が国のキングのユーロ・コレクションのリリース予定候補の中にも彼らの1stと2ndがリストアップされていた事も特筆すべき点である(それ故に彼等が当時において、頭ひとつ抜きん出た逸材であった事が証明出来よう…!) 。
彼等の作品の魅力をズバリひと言で言い表せば…フレンチ・ロック特有の憂いと哀愁を纏いつつも、力強い演奏の中にミスティックで且つ抒情味たっぷりな旋律が堪能出来るというところであろうか。
勿論、70年代の数ある大御所バンドからの影響をかすかに感じさせながらも、敢えて“何々風に似ている”といったカラーを出さなかったのも強み・身上とも言えよう。
バンド自体もこのまま上がり調子で行くのかと思いきや、理由は定かではないが様々な諸事情でアジア・ミノールは結成から7年…国内外の多くのファンから惜しまれつつその活動に幕を下ろした。
バンド解散後、リーダーのSetrakはフランス国籍を取得し、トルコ映画『Le Mur』のサントラ製作に携わる。
Erilは母国トルコに帰郷し音楽活動をも止めてしまい、ドラムスのLionelは幾つかのハードロックバンドやポップス系へと渡り歩き現在までに至っている。
キーボーダーのRobertは後にIBMの正社員に就いたとのこと。
Setrak自身今でもフランス国内にて創作活動を継続しており、実は…88~89年頃にムゼアからの提案と後押しでアジア・ミノールを一度再編しようと思い立ったこともあるとの事で、メンバーもSetrak、Lionel、Robertの3人に女性ベーシストを加えた4人編成で再スタートの青写真が出来つつあったものの、結局あと一歩のところで、IBM社員だったRobertが長期海外出張やら何やらの理由でポシャってしまい、以後Robertに代わるキーボーダーが見付からなかったことやら諸般の事情で、残念ながら再編計画が御破算になってしまった経緯である。
アジア・ミノールが世に現れ出てから早30年余。今となっては“名作”として遺された2枚の作品は、幸運な事にプラケース仕様のリマスターCD、そして紙ジャケット仕様のSHM-CDで(良い意味で)簡単且つお手軽に入手可能で耳にする事が出来る。
まだ未聴の方も然る事ながら、今までフレンチ・シンフォニックは苦手で敬遠(まあ…フランス語の独特のイントネーションとか一種クセのある音色等で今一つ好きになれないリスナーの方々が未だにいるみたいなので)されていた方々も、もしこのブログを御覧になって興味を持たれたら、どうか是非とも好みの差異は問わずに心をまっさらにして接して頂きたいと願わんばかりである。
そこには決して名作・名盤という形容詞のみだけではない、ユーロ・ロックの持つ伝統的な美意識と浪漫、そして束の間の夢が思う存分堪能出来る筈であろうから…。
幸運というか運命の巡り会わせとでも言うのだろうか…私自身の話で恐縮だが、昨今当のアジア・ミノールのリーダーでもあるSetrak BakirelとFacebookを経由して親交を持つ事となり、かねてから噂になっていたアジア・ミノール完全復活作のリリースに向けて、Setrakを中心に21世紀の今もなお精力的且つコンスタンスに創作活動並びライヴ、レコーディングを着々と進めているとのこと。
おそらく今年か来年にはファン待望のアジア・ミノール復活作が満を持してリリースされる事となるであろう。
アジア・ミノール、否!Setrak御自らが我々の前で謳い奏でる神憑りにも似た眩惑の音世界、21世紀の今…期待を胸にしかと受けて立とうではないか。
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09,2020
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4月新年度最初の「一生逸品」をお届けします。
先日告知した通りの2ヶ月間シャッフル企画と銘打って、今週は「夢幻の楽師達」にてフランスのアジア・ミノール、そして今回の「一生逸品」は70年代後期のブリティッシュ・プログレ珠玉の一枚に数えられる秘蔵級の存在と言っても過言では無い“ストレンジ・デイズ ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
STRANGE DAYS/ 9 Parts To The Wind(1975)
1.9 Parts To The Wind
2.Be Nice To Joe Soap
3.The Journey
4.Monday Morning
5.A Unanimous Decision
6.18 Tons
Graham Word:Vo, G
Eddie Spence:Key
Phil Walman:Vo, B
Eddie Mcneil:Ds, Per
70年代中盤から後期にかけて、プログレッシヴ・ロック・ムーヴメントはひとつの大きな分岐点を迎えつつあった。
74年のクリムゾンの終焉を契機にフロイドを始めイエス、EL&Pがそれぞれ活動休止状態に陥り、フィル・コリンズ主導のジェネシスを筆頭にキャメル、ジェントル・ジャイアント、ルネッサンス…等の精力的な活動に加え、ヨーロッパ諸国でもイタリアのPFM、バンコ、フランスからはアンジュ、タイ・フォン、オランダのフィンチ、スウェーデンのカイパ、アメリカのカンサス、オーストラリアのセバスチャン・ハーディー…etc、etcがこぞって台頭し独自のムーヴメントを形成していったのは、よもや説明不要であろう。
プログレッシヴ・ムーヴメントのメインストリームとも言うべき本家イギリスも御多分に漏れず、5大バンドに続けとばかりに1975年を皮切りにキャメルやエニドといった後の大御所に追随するかの如く、ケストレルを始めドゥルイド、イングランドにアフター・ザ・ファイアー…等といった前途有望なバンドが続々とデヴューを飾った次第である。
惜しむらくは…当時これだけの新鋭達が出揃いながらも、時同じくしてイギリスに台頭したパンク・シーンやNWOBHMによって、尽く表舞台の片隅へと追いやられてしまい、以後、80年代初頭のマリリオンを筆頭とするポンプ・ロック・ムーヴメント勃発までの間、文字通り誉れ高き大英帝国のプログレッシヴ・ロックは沈静・停滞化し陽の目を見ることすらもままならなかったのが正直なところである。
そんなワンオフ的で短命ながらも、ブリティッシュ・プログレッシヴ史に燦然と輝く珠玉の名作・名盤を遺したケストレルやイングランドと共にもうひとつ加えられるべき隠された至宝にして、70年代後期におけるブリティッシュ・プログレッシヴの良心にして最後の砦ともいえるストレンジ・デイズ。
マーキー刊の「ブリティッシュ・ロック集成」にたった一度だけ紹介された以外、彼等唯一の作品は噂が噂を呼び良質なブリティッシュ・ポップスフィーリングに裏打ちされた、ジェネシス、イエス、10CCにも相通ずる伝統的且つエレガントなプログレッシヴを演っているといった内容と触込みで瞬く間に高額なプレミアムが付き入手困難な一枚となったのは言うまでもない。
個人的な話で恐縮だが…筆者は一度、西新宿の某廃盤専門店で彼等のLP原盤と御対面した事がある。試聴した直後一気に購買モードになりつつも、とにかく当時にしてン万円代であったが故泣く泣く諦めたという苦い経験がある…。
彼等、ストレンジ・デイズの4人の詳しいバイオグラフィー並び各メンバーの経歴に至っては、毎度の事ながら誠に申し訳なくも(本当に今回ばかりは申し訳なくも!)一切合切が不明で皆目見当がつかないのが現状である。
何年か前に音楽誌ストレンジ・デイズ(奇しくもバンド名と同じだが)からリリースされた、紙ジャケット仕様CDのライナーノート上でさえも、全くのお手上げ状態でメンバーの所在度・認知度からいったらイングランド以上に深い霧に包まれて困難を極める云々しか記されていない位だから、バンド解散以降の各メンバーの動向なんて当然の如く雲か霞を掴む難解なレベルであると言っても過言ではあるまい。
唯一判明しているのは原盤LPの発売元であるリトリート・レーベルがイギリスEMI傘下であることから、バンドそのものは決して一朝一夕で出来たレベルのバンドではないということくらいだろうか…。そういった類似点ではアリスタから唯一作品を遺したイングランドとも共通しているのが何とも皮肉ですらある。
収録されている全曲共に共通して言える事だが、プログレにして明るい曲想とポップなフィーリングながらもやはりそこは英国的センスの陰りや湿り気がちゃんと隠し味になっているところがミソであろう。それは、御大ジェネシス然りケストレル、イングランド…等にも共通している、ある種のお決まり(?)みたいな要素なのかもしれないけど。
メロディアスなピアノに導かれ、キーボードとギター、リズム隊が幾重にも織り重なってイエスを思わせる様なイントロからポップ感溢れる明るい曲調へと展開する1曲目なんて、まさにオープニングに相応しくも彼等の身上とブリティッシュ・ポップスの伝統に裏打ちされた気風をも如実に表しているかのようだ。
クラシカルで魅力的なハモンドに導かれる(偶然にも共にシングルカットされた)2曲目並び4曲目の力強い演奏は、往年のブリティッシュ・プログレの王道ここに極まれりといった感で聴く者を圧倒し溜飲を下げる事必至と言えるだろう。両曲ともシングルカットされたヴァージョンの素晴らしさも然る事ながら、長尺にして素晴らしい演奏がダイレクトに聴ける本作でのオリジナルヴァージョンをここは是非推しておきたいものだ。
3曲目のどこか寂しげでムーディーな雰囲気を醸し出した冒頭…あたかも朝靄の中に木霊するかの如きバラード調から、一転してアップテンポで軽快な曲風に変わり、更には後半部にかけての抒情的で泣きのリリシズムが綴れ織りする辺りは、流石というかやはりイギリス人だからこそ出来る曲想と言えよう。
5~6曲目の流れともなると、あたかも『フォクストロット』から『月影の騎士』の頃のジェネシスの幻影を彷彿とさせ、単なる影響を受けたリスペクト云々の次元をも超越した、それこそ80年代初期の同じジェネシス影響下の凡庸なポッと出のポンプロックなんか軽く一蹴されるであろう、そんな気概と気迫に満ちていると言ったら言い過ぎだろうか…。
ただ、個人的な意見で恐縮ではあるが…本作品に於いてプログレ必携アイテムともいえるメロトロンが使用されていないのが何とも惜しまれるところである(誤解の無い様に付け加えておくが、メロトロンの有無で作品の評価を決めるというのは個人的には懐疑的でもあるし、使用されてなければそれはそれで決して作品そのもののクオリティーや評価が落ちるとか劣る訳でもないからね)。
でも…もし本作品にて大々的にメロトロンがフィーチャーリングされていたら、それはそれで大なり小なりまた違った好評価が与えられていたと思う。小生意気な様で恐縮であるが…機会あらばプログレ業界の有識者の方々の御意見を是非聞いてみたいものである(苦笑)。
たった一枚の作品を遺し長きに亘り忘却の彼方へと追いやられ、封印が解かれたかの様に近年漸く(SHM-CD化を含めて)紙ジャケット仕様でCD化され、こうしてまた改めて再評価が高まりつつある彼等ではあるが、それは決して“幻の逸品”だとか“秘蔵の一枚”といった骨董級のレベルでは収まりきれない、プログレやユーロ・ロックのファンのみならず、もっと万人のロックファンの為に在るべき作品ではなかろうか。
往年のブリティッシュ・スピリッツに酔いしれたい方々始め、長年プログレッシヴ・ロックを愛し続けファンであった事に改めて喜び誇れるような、そんな素敵な出会いをも保証する充実感に満ちた魅力ある一枚であろう。
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14,2020
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今週の「夢幻の楽師達」を飾るは、長年の実績を誇る大ベテランにして年輪を積み重ねた今もなお現役としての第一線と貫禄を保持しつつ精力的に活動し気を吐いているオーストラリアの巨星“セバスチャン・ハーディー ”に、改めて栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
SEBASTIAN HARDIE
(AUSTRALIA 1975~)
Mario Millo:G, Vo
Peter Plavsic:B
Alex Plavsic:Ds, Per
Toivo Pilt:Key
この場でも何度か言及している通り、1973年に端を発したオイルショックはイギリス、イタリアを始めとする世界各国の音楽業界・レコード会社にも大なり小なりの余波と悪影響を与え、所属バンドの契約打ち切りやら見直し…規模の縮小、製作費等の削減(70年代半ば~後半にかけて見開きジャケットが少なくなり、シングルジャケットが台頭しつつあった事も考慮すれば頷ける)で、御多分に漏れず70年代を席巻したプログレッシヴ・ムーヴメントにも暗い影を落とし陰りの兆候すら囁かれる様になったのは言うまでもあるまい。
そんな当時の世相と不安感をも孕んだ1975年、ささやかながらもフランス出身のタイ・フォンのシングル盤“シスター・ジェーン”が巷で評判を呼び、スウェーデンのカイパ、オランダのフィンチ、そしてアルゼンチンのクルーチスといった…所謂演奏主体の様式美へとシフトしつつあった次世代プロ
グレッシヴが輩出され、そんな時代の追い風を受け南半球はオーストラリアからもセバスチャン・ハーディーが彗星の如く鮮烈で華々しいデヴューを飾ったのも丁度この頃だった…。
彼等のバイオグラフィーに関しては、御大の伊藤政則氏を始めとするプログレ関係の権威あるライターの方々からも多方面にて詳細等が綴られているので、ここではあらまし程度で恐縮ながらも極簡単に触れておきたいと思う。
60年代末期のイギリスを席巻していたブリティッシュ・ブルースロックに触発されたシドニー生まれの2人の若者…現在に至るまでセバスチャン・ハーディーのオリジナルメンバーとなるベーシストのPeter Plavsicと初代ギタリストのGraham Fordが中心となって1967年に結成したセバスチャン・ハーディー・ブルース・バンドが全ての始まりである。
当時はまだ一介の学生バンドの域でしかなく、大学のパーティー会場が演奏の場であった事に加えて音楽嗜好と方向性の違いから、バンドとしてのキャリアは僅か一年足らずで空中分解という憂き目を見る事となる。
それでも決してめげる事無くPeterとGrahamの両名は、新たな気持ちで翌68年にバンドを再結成しセバスチャン・ハーディーと短く改名。
Peterの弟Alexをドラマーに迎え、更にはPeterのハイスクール時代の級友で当時既にセミプロ的な活動を行っていたJohn English(Vo)、大学の学友だったAnatole Kononewsky(Key)を迎えた5人編成で、シドニーを拠点にクラブやパブでオーティス・レディング始め、ストーンズ、ビートルズといったカヴァー曲の演奏といった地道な活動を積み重ね、後々に於いてオーストラリアの有名アーティストのバック・バンドを務めるまでに成長していった。
しかし程無くして翌69年にはKononewskyが学業に専念する為バンドを去り、暫くはキーボード不在の4人編成で活動を継続するも、今度はヴォーカルのJohn Englishが当時話題になっていたロック・ミュージカル“ジーザス・クライスト・スーパースター”のオーストラリア版公演で主役オーディションに合格し舞台の世界へと転向してしまった事がきっかけで、1972年セバスチャン・ハーディーは再び活動停止に陥ってしまう。
活動停止から暫くしてドラマーのAlexが同じくシドニーのバンドだったタペストリーに加入し、そこで出会ったキーボード奏者のSteve Dunneと意気投合し、タペストリーの解散と同時に再び兄のPeter、そしてGrahamを呼び寄せ、セバスチャン・ハーディーは1973年3度目の再結成を果たす事となる。
この頃ともなるとカヴァー曲に加えて、時代の追い風を受けイエスやEL&Pに触発されて書き溜めたプログレッシヴなオリジナル・ナンバーを演奏する様になっていった。
しかし73年秋に長年苦楽を共にしてきたGraham Fordが音楽的な意見の食い違いと心身の疲労が重なり脱退…。後任ギタリストは人伝を頼りにシドニー在住のイタリア人Mario Milloが抜擢され、彼こそセバスチャン・ハーディーの後の運命と音楽的方向性をも決定付ける最大のキーマンとなっていくのは言うまでも無かった。
Marioを迎えたセバスチャン・ハーディーはこれを機に更なる音楽的発展を遂げ、地元シドニーのみならずメルボルン始めオーストラリアの各都市のクラブやロック・フェスでも評判と絶賛を浴び、73年末には待望のシングルデヴューを果たす事となる。
翌74年、キーボード奏者のSteve Dunneが脱退し、後任としてマリオに次いでバンドの方向性を大きく決定付けたToivo Piltが加入、ここにセバスチャン・ハーディー黄金のラインナップが揃う事となった。
不動の黄金ラインナップで同74年2枚のシングルをリリースし、彼等の人気は益々確固たるものとなりその自信の表れは遂に70年代プログレッシヴ史に残る名作にして名盤の『Four Moments 』へと結実していく事となる。
かつての初期セバスチャンのメンバーにして盟友だったJon English(彼自身、ミュージカルで名実共に成功を収めた後、数々のミュージカル作品で舞台に立つ一方、ソロアーティスト、音楽プロデューサーそして映画音楽の分野でも成功を収め、現在でもMario Milloのソロ関連にて大きく携わっ
ている)をプロデューサーに迎え、連名で製作に臨んだ屈指の名作『Four Moments』は、オーストラリアという異国情緒・エキゾチックさと相まって、黄昏時の抒情性を描いたかの様なジャケットの意匠…そして何よりも(我が国の)プログレッシヴ・ファンへの購買意欲を駆り立てる「哀愁の南十字星 」という邦題タイトルが、彼等の音楽性と世界観をも雄弁に物語っており、ジャケットの意匠を含め期待に違わぬその抒情的なシンフォニーと程良いポップス・フィーリングとの見事なまでのコンバインは、世界中のプログレッシヴ・ファンの心をも鷲掴みにし、オーストラリアにセバスチャン・ハーディー在り!!と言わしめんばかり、その名を不動のものとするには十分過ぎるインパクトを伴っていたと言っても過言ではあるまい。
オーストラリアの広大で且つ雄大な大自然を彷彿とさせるメロトロンの荘厳な響きに、Marioの甘美で流麗なギターワーク、そしてPlavsic兄弟の強固なリズム隊が奏でる眩惑の音宇宙に、イエスの『海洋地形学の物語』、キャメルの『ムーン・マッドネス』、果てはサンタナの『キャラヴァン・サライ』に相通ずる悠久の時の流れと流星群にも似た星々の乱舞を想起させる事だろう。
ブリティッシュ・プログレからの洗礼を受けヨーロッパ的な旋律と様式美を纏いながらも、(失礼ながら…)極端なまでの理屈っぽさや堅苦しさが感じられず、初期のカンサスと同様の知性を秘めながらも突き抜けたかの様な開放感を持った自然体な作風とスタイルこそが彼等の身上(信条)と言えないだろうか…。
鮮烈のデヴュー作が世界各国で大いなる賞賛をもたらし、オーストラリア国内でも数々の賞を獲得した事で、彼等自身も順風満帆な気運に乗ってこれからの明るい未来と成功が約束されたかの様に思われたが、時代は最早プログレッシヴから売れ線偏重の産業ロックないしパンク/ニューウェイヴとい
った時流の波に乗った軽薄短小な主流へと移行しつつあり、どんなに素晴らしい音楽であろうとも決して売れるとは限らない…そんなプログレッシヴ・ロックにとっては受難にも等しい哀しい時代が訪れつつあったさ中、翌76年にリリースされた待望の2作目『Windchase 』は、セバスチャン・ハーディーらしさが少しも損なわれていない、前デヴュー作と同様の素晴らしいシンフォニー大作が奏でられ、オーディエンスからの評判も上々だったにも拘らずその予想とは裏腹なセールス不振に加えてレコード会社やラジオ局側がプロモートに消極的だった事が拍車をかけ、栄光の階段から転げ落ちるという表現にしては余りにも惨々たる結果に終わり、バンド自体も音楽的意見の食い違いと肝心要な経済状態の悪化で心身ともにすっかり疲弊してしまい、セバスチャン・ハーディーは人知れず分裂→解散への道へと辿って行ってしまったのであった…。
実質上はMarioとToivo、そしてPlavsic兄弟との二派に分裂してしまったと見る向きが正しいのかもしれないが。
バンド分裂後、MarioとToivoの両名はセバスチャン解散という憂き目に臆する事無く、失地回復を目論み名誉挽回にとばかり、翌77年にセバスチャン2作目のアルバムタイトルをそのまま冠した“WINDCHASE ”というバンド名義でストリングス・セクションとの共演による『Symphinity 』という唯一作にして好作品をリリースし、そのSFチックなジャケットの意匠とは相反するかの様なセバスチャン時代の路線を踏襲した極上のシンフォニック大作で話題を集めるもセールス的な成功とは程遠く、結果…バンド解体後MarioそしてToivoもそれぞれ独自の創作路線へと歩んで行った次第である。
その後のMarioにあっては既に皆さん御承知の通り、オーストラリア国内のテレビドラマや映画音楽で成功を収めつつ、WINDCHASE解散直後に発表された『Epic Ⅲ』を始め『Human Games』といった素晴らしいソロ作品も立て続けに成功し、オーストラリア国内でも指折りの音楽家として数えられるようになり現在にまで至っている。
ToivoもMarioと親交を保ちつつ、テレビCM関連、ドキュメンタリー音楽、環境音楽等の製作で現在でも尚精力的に活動し、2007年にはToivo自身が主導となってTRAMTRACKSなるバンドを結成し『See』を始め、2008年『Rain』、2010年『You』をリリースしている。
片や一方のPlavsic兄弟の方はと言うと、兄のPeterはRCA→ポリグラムのA&Rマンも兼ねて音楽活動を継続し、弟のAlexはワーナー/チャペルの音楽出版関連を経て、レコードショップとレストランの経営で成功を収めて安泰といったところである。
このまま各人がバラバラのまま平穏な時間が過ぎていくものと誰もが思っていたその矢先、4人にとって…否!セバスチャン・ハーディーにとっても急転直下の大いなる転機が訪れようとは誰しもが夢にも思わなかったであろう。
セバスチャン解体から18年を経過した1994年。アメリカはロサンゼルスで開催されたPROG‐FESTに特別枠として招聘されたMario、Toivo、そしてPlavsic兄弟が再びセバスチャン・ハーディーとして顔を合わせ、あのかつての黄金のラインナップのまま…あたかも魔法の時間が訪れたかの如く、大勢の聴衆の前で“Four Moments”を奏でる様に、全ての聴衆・観客が息を飲み歓喜と感動、熱狂で包まれたのは最早言うに及ぶまい。
演奏のミスやらPAの不調といったマイナス面こそ否めないが、この伝説的な模様は『Live In LA』というタイトルでCD化が成され、文字通りこれを機にセバスチャン・ハーディーは復活の狼煙を上げたと言っても差し支えあるまい。
そしてあの伝説的な復活劇から18年間(その間、マリオの新譜ソロのプロモート活動を兼ねて、セバスチャン・ハーディー名義として2003年初来日公演をも果たしているが)、彼等は再び沈黙を守り続け各々の仕事に携わる一方で、密かにマリオのスタジオで新作の録音に没頭し、2011年その長きに亘る製作期間を費やして…まあ、文字通りの満を持してリリースされた実に37年振りのスタジオ収録作品となった新譜『Blueprint 』こそが、まさしく21世紀版セバスチャン・ハーディーとして結実した時代と世紀を超えた素晴らしい贈り物となった事に、無上の喜びを感じてならない。
私自身恥ずかしながらも…彼等の熱い思いの丈が込められた新譜リリース当時、暫し目頭が熱くなってしまった事を昨日の事の様に今でも記憶している。
(余談ながらも…本作品の収録曲と内容は同じながらも、装丁の方はオーストラリア盤と国内リリース盤とではセバスチャン・ハーディーのシンボルマークの有る無しで若干違う事 を付け加えておきたい)。
昔の某青春ドラマの台詞の一節ではないが…まさしく“信は力なり!”の言葉通り、Marioを始めToivo、Plavsic兄弟、そして彼等の創る音楽を愛し信じていた世界各国の大勢のファンの気持ちが一つとなった結晶そのものであると、今こそ声高々に謳いたい気持ちである。
彼等セバスチャン・ハーディーの長い軌跡は決して無駄では無かった。
2012年の『Blueprint』から実に9年が経過し、そろそろ新譜リリースのアナウンスメントが待ち遠しいところではあるが、ここはただひたすらに“信は力なり!”の言葉を信じて我々も気長に待つ事としようではないか…。
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17,2020
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今週の「一生逸品」は、アメリカン・プログレッシヴ史上において金字塔の如く燦然と輝き、今もなお至高の名作の称号として誉れ高い奇跡の最高傑作を世に送り出した“生ける伝説”的存在の“カテドラル”に、今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
CATHEDRAL/ Stained Glass Stories(1978)
1.Introspect
2.Gong
3.The Crossing
4.Days & Changes
5.The Search
Paul Seal:Vo
Rudy Perrone:G, Vo
Mercury Caronia Ⅳ:Ds, Per
Fred Callan:B, Vo
Tom Doncourt:Key
21世紀の今にして思えば…前世紀の更にひと昔前におけるアメリカン・プログレッシヴの随分と偏見じみた扱われ方と言ったら、余りにも笑い話では済まされない、“プログレッシヴ=イギリスとヨーロッパ諸国”みたいな特権音楽とでも言うのか、それこそ口汚い言い方で申し訳ないが“アメ公なんぞに…”といった妄信や愚考が横行して、カナダを含めた北米大陸のプログレッシヴ・シーンについては今ひとつ関心が薄くて、全貌が明らかにされず終いであったのが正直なところであろう。
勿論、70年代において大メジャーで大御所のカンサスやスティックス…等が素晴らしい作品を世に送り出して頑ななプログレ・ファンからも高い評価を得てそれなりの認知もされ、イーソス始めハッピー・ザ・マン、ディキシー・ドレッグス、スター・キャッスル、パブロフズ・ドッグも、その追い風に追随するかの如く精力的にアメリカン・プログレッシヴの一端を担ったのは最早言うまでもあるまい。
80年代に入るとマーキー誌の尽力の甲斐あって、さらにアンダーグラウンド且つマイナーな範疇ながらも…ペントウォーター、バビロン、アルバトロス、イースター・アイランド…等の名作級が次々と発掘され、それを境にネザーワールド、ノース・スター、レルムといった新進勢も登場し、90年代以降~21世紀は言わずもがなドリーム・シアター始めスポックス・ビアード、エコリン…等、時代の移り変りと共に高水準なバンドが輩出され、全米の各地で開催されているプログフェストの貢献で、プログレ・ファンのアメリカ産のバンドに対する認識も驚くくらいに変わったと言っても過言ではなかろう。
話は些か横道に逸れたが、(良くも悪くも…)MTVやら巨大な音楽マーケットを誇る産業音楽大国のアメリカにおいて、長きに渡る試行錯誤と紆余曲折の道を辿ったアメリカン・プログレッシヴシーンで、特異中の特異の存在とも言える彼等カテドラル(カシードラルと呼称する向きもある)の結成から活動の経緯、解散、各メンバーの経歴等に至るまでの詳しいバイオグラフィーに関しては、これはもう…本当に残念な事に!全くと言っていい位に解らず終いで、SYN-PHONICレーベルからの再発CDのインナーでも触れられておらず、これといった資料や記事すらも発見には至らなかったのが正直なところである。
78年にDelta なるマイナーレーベルより唯一リリースされた作品に収録されている全5曲共、イエス始め初期ジェネシス、そして『宮殿』の頃のクリムゾンからの影響を窺わせつつも、アメリカン・プログレによくありがちな突き抜けるような明るさとは程遠い。
アメリカ風な趣や雰囲気を極力控えめに、ヨーロッパ的な幻想・抒情性にリリシズムとイマジネーションを重視した静粛で且つ荘厳な、バンド・ネーミングに相応しくも恥じない位の緻密で繊細な音の構築美を物語っている。あたかも教会の大聖堂というマクロコスモスと人間の持つ内面性・心象風景というミクロコスモスとのせめぎ合いを目の当たりにしているかの様ですらある。
メンバー誰一人としてリードを取ること無く、バランス良く役割を担って創り上げる各一曲々々がまるでパズルのピースを埋めていくかの如く、5人の修道士が一枚のステンドグラスを描いていく様は崇高にして厳粛でもある。
特にオルガンやメロトロンを操るTomの技量も然る事ながら、Mercuryのドラミングにパーカッション群の効果的な配し方・使い方には音楽的な素養の深さと幅広さが至るところで滲み出ていて好感が持てる事に加えて、物悲しげなPaulの歌唱も聴きものである。
バンドそのものの活動期間はアルバムリリースを含めて概ね1年弱と思われるが、何度かのロック・フェスでの活動を経て、次回作の為の録音やマテリアル・作品化されなかったマスターを何本か残しつつも、様々な諸事情が原因で解体したものと思われる。
バンド解体後、メンバーの中で唯一ギタリストのRudyが、81年に『Oceans Of Art 』というアンソニー・フィリップスやスティーヴ・ハケットに触発された、アメリカンなイマージュとヨーロピアンなリリシズムに彩られた素晴らしいソロ好作品をリリースし、我が国でも後年限定枚数で入ってきたがそれ以降の再プレスもなされていない寂しい状況である(改めて是非CD化を望みたい!)。
ちなみにこのRudyのソロ作品にはカテドラルのメンバーも全面的にバックアップで参加している為、ある意味カテドラルの2作目みたいな向きをも感じさせる。
カテドラルが残した唯一の作品は、その後Syn-Phonicより、90年にジャケットを改訂したLP盤、翌91年にオリジナル・ジャケデザインに戻しバンドロゴとタイピングを改訂したCDでリイシューされ、21世紀以降は2010年と2019年にマーキー/ベル・アンティークより二度に亘る紙ジャケット仕様SHM-CD化が成され、今では容易に入手が可能であるが、それでも尚オリジナルのLP原盤は相も変わらずプレミアム価格が5桁~6桁へと上がり調子である。
まあ…皮肉といえば皮肉なものであるが(苦笑)。
彼等が残したユーロマンな趣と嗜好(志向)性は後年、ザムナンビュリスト、クルーシブル、パペット・ショウ、アドヴェント…等といった現在の精鋭達に脈々と受け継がれているが、実は…天上の神々はそう簡単に彼等カテドラルを見捨てたりはしなかった。ここ数年イギリスのイングランド始め、アメリカでもペントウォーター、スター・キャッスルが再結成された動きに呼応して、右に倣えという訳ではないにしろ青天の霹靂よろしく2007年の10月…ギタリストがRudy PerroneからDavid Doig(ギターからシンセ、サックス、チェロまで手掛ける)に交代し、それ以外はオリジナルメンバーが再び集結するという新たなラインナップで実に29年振りの新作『The Bridge 』という好作品をリリースし復活を遂げたのは御周知の事であろう。
再結成当時アメリカ国内にて様々なプログフェスに出演し賞賛を浴びたのも然る事ながら、キーボーダーでもあり工芸作家でもありアメリカ自然史博物館の学芸員の肩書きを持つTom Doncourt(過去に日本の京都にも何度か訪れている)も自身のレーベルよりソロワークを展開し、2014年『The Mortal Coil 』そして翌2015年に『The Moon Will Rise 』を発表しその健在ぶりをアピールするものの、残念ながら持病の悪化で特発性肺線維症を併発し2019年3月20日ニューヨークのブルックリンにて鬼籍の人となる。
こうしてカテドラルの物語は静かに幕を下ろした次第であるが、長年プログレッシヴを愛し信じていればこそ必ず奇跡は起こる…そんな言葉では決して一括り出来ない位にカテドラルとその作品、そしてバンドに携わった者達の軌跡と人生こそ、紛れも無く生ける伝説として未来永劫語り継がれ、大聖堂のステンドグラスの眩い輝きの如く神々しく人々の脳裏に刻まれていく事であろう。
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21,2020
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今週の「夢幻の楽師達」は、セルフリメイク改訂版に移行してから初めて取り挙げるであろう…南米の欧州ことアルゼンチンから、1984年当時マーキー誌を通じて初めて紹介された大御所のミア始め、アラス、エスピリトゥと並ぶ70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期の立役者にして、今もなお絶大なる人気を誇り根強いファンや愛好者を獲得している、文字通り伝説的存在の称号に相応しい匠の集団でもある“クルーシス ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
CRUCIS
(ARGENTINA 1974~1977)
Gustavo Montesano:B, Vo
Pino Marrone:G, Vo
Anibal Kerpel:Key
Gonzalo Farrugia:Ds, Per
改めて思うに、年月と時間の経過に不思議な余韻というか感慨深い回想に捉われてしまう…。
話は思いっきり過去に遡るが、1984年の20歳の時分…もうその頃ともなるとプログレッシヴ&ユーロロックにどっぷりと浸かりきっていた時期で、若かりし頃の自分自身プログレッシヴ・ロックの持つ見果てぬ無限(夢幻)の世界に思いを馳せていたまだまだ青い若僧で、ちょうど折しもアンダーグランド宣言でプログレッシヴ専門誌となったマーキー(当時マーキームーン)との邂逅でプログレッシヴ熱がますます加速し燃えていた、ある意味に於いて情熱と青春真っ盛りだった頃と記憶している。
リアルタイムの同時期にマーキー誌面上ではバカマルテやサグラドといったブラジル勢始め、ミアを始めとするアルゼンチン勢をメインとした中南米プログレッシヴが大々的に発掘され始め盛り上がっていた頃で、失礼ながらも海のものとも山のものとも付かない当時まだまだ未開のシーンに対し期待半分懐疑的な思いを抱いていたのが正直なところで、中南米=サンバやルンバといった太陽燦々で陽気なイメージといった浅はかな先入観しか抱いてなかったものの、時間が経つにつれて車が走り旅客機が飛んでいるところにはちゃんとロックを始めとするポピュラーミュージックだってあることをそれ相応に理解していたが故、いつの間にか中南米プログレッシヴに対する抵抗感はおろか許容し受け入れるまでに時間も要しなかったのだから、この時ばかりは柔軟な思考力も大切であると痛感した次第である(決して“ちゃっかり”という訳ではないが…)。
前後して少しずつ中南米のシーンが発掘解明され、その全貌が明らかにされると同時に70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期を飾ったミアを始め、今回本篇の主人公でもあるクルーシス、そしてアラス、エスピリトゥが四本柱か四天王の如く紹介され、その高水準な完成度とハイレベルなクオリティーで少数精鋭ながらも瞬く間に注目された後、追随するかの様にパブロ・エル・エンテラドール、ラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス、ブブ、エイヴ・ロック…etc、etcまでもが後発的に取り挙げられ、海を越えたイタリアやスペインといった同じラテン系に負けず劣らずアルゼンチンのプログレッシヴシーンはまさしく百花繚乱の様相で活気付いたのはもはや言うには及ぶまい。
クルーシス結成までの経由に至っては詳細こそ明らかではないが、1974年に中心人物でもあり実質上バンドリーダーでもあったGustavo Montesano、そして先に挙げたラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス解散後ベーシストだったJose Luis Fernandezの両名を中心に結成され、アルゼンチン国内で精力的にギグを積み重ねながらも、リーダーGustavoを除いてメンバーが何度も入れ替わったりで(余談ながらも結成当初ギタリスト兼ヴォーカリストだったGustavo自身も、Joseの脱退後にベーシストへ転向)前途こそ多難であったが、1976年にかのRCAアルゼンティーナと正式契約を交わす頃にはGustavoが目指すべく理想的で強固なラインナップとなって、結成2年目にして漸くアルバムデヴューを飾る事となる。
ちなみにクルーシスのデヴューに至るまでの間、彼等にとって大いなる助力でもありサジェスチョン的な役割を担ったであろう、アルゼンティーナ・プログレッシヴ界の実力者にして立役者にしてスイ・ヘネリスやラ・マキナのキーボーダーをも務めたCharlie Garcia の存在を抜きには語れない事も付け加えさせてもらいたい(Charlie自身、クルーシスのデヴュー作でモーグのプログラミングをも担当している)。
1976年に自らのバンド名を冠して鳴り物入りでデヴューを飾り、イエス始めナイスやEL&P、果てはフォーカスから多大なる影響を受けた、そのブリティッシュナイズ+ヨーロピアンな佇まいすら想起させるであろう、純然たるプログレッシヴ・サウンドスピリッツ全開なヘヴィでメロディアスなコンセプトに、アルゼンチン国内の熱狂的なロックファンから絶大なる称賛が寄せられると同時に、同年Microfonレーベルからデヴューリリースしたエスピリトゥと共に今後への大きな期待と注目を集めるのは言うまでもなかった。
特筆すべきはクルーシスのデヴュー作が特殊なジャケットであった事が大きな話題となり、古今東西世界中のプログレッシヴ・ロック界広しと言えど…見開き含めて様々なギミックやら変形ジャケット、初回特典やらオマケつき等が数多く存在する中で、サディスティックな女王様が描かれた幾分倒錯的でSMチックなジャケットから中を引っ張ると、何ともう一枚…広重か北斎を思わせる鷲(鷹?)が描かれた日本画調のジャケットが出てくるといった凝った趣向となっており、彼等の幸先の良いスタートに繋がる上でも大きな要因となっている。
彼等の人気を受け日本でも過去にUKエジソンから後にも先にもたった一度きりではあったが、国内盤仕様でデヴュー作と2ndの2作品をアナログLPでリイシューされた事があったものの、流石に鷲の描かれたジャケットまでには到底及ぶべくもなく、SM女王様ジャケットどまりだったのが何とも惜しまれる…。
こうしてデヴュー作の成功に気を良くした彼等は、その気運を追い風にデヴューライヴ活動と併行して、次回作の為のリハーサルを行い休む間も無く勢いに乗って間髪入れず矢継ぎ早に同年の半年後、2nd『Los Delirios Del Mariscal 』をリリース。
ややもすれば突貫工事めいたやっつけ仕事にも似た強行レコーディングを思わせながらも、ジャケットアート含めてサウンドワーク的にも前作と並んで甲乙付け難い、決して遜色の欠片すら微塵も感じさせない最高の仕上がりを見せる奇跡の偉業を彼等は難無く成し遂げる事となる。
サウンド的にはフォーカスの『Mother Focus』、フィンチの3rd、そしてセバスチャン・ハーディーの2ndにも匹敵するであろう、前デヴュー作以上にソリーナ系のストリング・アンサンブルとエレピを多用した広大な音の広がりとメロウで甘美なメロディーラインをフィーチャリングした、名実共にアルゼンティーナ・プログレッシヴ史に残る傑作へと昇華する。
こうしてデヴューから僅かたった一年で2枚もの最高傑作をリリースした彼等は、翌1977年の1月にブエノスアイレスのルナパーク・スタジアムで開催されたロック・フェスティバルに参加し、満員熱気に包まれた聴衆の前で全身全霊を込めた最高のライヴパフォーマンスを繰り広げ、その輝けるステージを最後に…あたかも演れるべき事はもう全て演りきったと悟ったかの如く、クルーシスとしての活動を一切停止し程無くしてバンドの解体を決意。
バンド解体後Montesano自身はソロ活動に入り、同77年にはかつてのクルーシスのバンドメイト始めCharlie Garcia、かつて苦楽を共にしたJose Luis Fernandez、アラスやその他大勢のアルゼンチン・プログレッシヴバンドから多数ものゲストを迎えて、実質上クルーシスの3枚目と捉えても差し支えない位の素晴らしいソロアルバム『Homenaje 』をリリースする。
そして3年後の1980年には同国のプログレッシヴ・フォークデュオのパストラルからAlejandro de Micheleを迎えたMontesanoによるプロジェクト・デュオのメルリン(Merlin) 名義でラテンフレーヴァー溢れるプログレッシヴ・ポップス『Merlin 』をリリースし、以後Montesanoは活動の拠点をスペインに移し幅広く様々なサウンドスタイルで活躍して今日までに至っている。
肝心要のクルーシスの2枚の作品に至っては、前述の通り過去に日本盤仕様のシングルジャケットでリイシューされたアナログLP盤が確認されているが、それ以降ともなると正式な形でのCDリイシュー化はなされておらず、1995年にリリースされたベストアルバム形式の『Kronologia』は例外としても、アルゼンチンやベルギーでプレスされたリイシューCDですらもデヴュー作と2ndとの2in1形式による些かコンパクトでまとめられた…さながら一枚で二度美味しいといった安易なお得感しか残らない何ともトホホといった実情である。
それでも昨年末に発掘音源ながらもリリースされたアーカイヴ・ライヴ音源の『EN VIVO ENERO 1977』の予期せぬ突然の到着は、ファンにとってはこの上無い朗報でもあり最高の贈り物となった事であろう。
この流れが良い方向に向いてくれれば、近い将来マーキー/ベル・アンティークないしディスクユニオンから正規盤で完全オリジナル仕様に忠実に再現された紙ジャケットCDとしてリイシューされる事も夢ではあるまい…。
それはもしかしたら決して叶わない夢であるかもしれないが、一縷の望みを託して今はただ奇跡を信じて待ち続けたいと思う。
まさにそれこそがプログレッシヴ・ファンとしての冥利に尽きる事なのだから…。
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24,2020
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今週の「一生逸品」を飾るは、ブラジリアン・プログレッシヴ黎明期だった1970年、その独特で且つ唯一無比な世界観と、斜に構えてアイロニカルな毒気をも含んだサイケデリック、ヘヴィロック、スペース&アートロックといった多彩(多才)な音楽的素養を内包した、21世紀の今日までもなおそのカリスマ性を湛えつつカルト的な神々しさを放ち続ける、ブラジリアン・プログレッシヴ随一の伝説的存在と言っても過言では無い“モドゥロ1000(ミル) ”に、今再び輝かしい栄光の光明を当ててみたいと思います。
MÓDULO 1000/ Não Fale Com Paredes(1972)
1.Turpe Est Sine Crine Caput
2.Não Fale Com Paredes
3.Espêlho
4.Lem - Ed - Êcalg
5.Ôlho Por Ôlho, Dente Por Dente
6.Metrô Mental
7.Teclados
8.Salve-Se Quem Puder
9.Animália
Luiz Paulo Simas:Key, Vo
Eduardo Leal:B
Daniel Cardona Romani:G, Vo
Candinho Faria :Ds
南米ブラジルのプログレッシヴ・ムーヴメントが瞬く間に注目されたのは、1984年にマーキー誌(当時はマーキームーン)がプログレッシヴ専門誌としてアンダーグラウンド宣言を提唱した頃とほぼ同時期であろう。
リアルタイムにPFMフォロワーとして一気に話題を集めたバカマルテを皮切りに、クァントゥム、そして80年代プログレッシヴの代表作となったサグラド、更に時代を遡って70年代のブラジリアン・プログレッシヴを紐解いていくと、ミュータンテス、オ・テルソ、カサ・ダス・マキナス、GG影響下の素晴らしいデヴュー作のテッレーノ・バルディオ、パトリック・モラーツとも交流のあったゾム・ノッゾ・デ・カーダ・ディア、ブラジルきっての繊細で研ぎ澄まされた知性の申し子故マルコ・アントニオ・アラウヨ…etc、etc、兎にも角にもと枚挙に暇が無い。
フロイドの『原子心母』が世界中を席巻した、文字通りプログレッシヴ元年とも言っても過言では無い1970年、英米のロック&ポップスに触発されつつも自国のアイデンティティーとラテンのフレーバーが融合した様々な試みが世に送り出されたブラジリアン・ロック黎明期のさ中、前述のミュータンテスと同期バンドでありながらもワン・アンド・オンリーのたった一枚のみの類稀なる作品を遺してシーンの表舞台から去っていった、今回本篇の主人公でもあるモドゥロ1000(ミル)は、ほんの瞬く間の栄光と理不尽な抗議や誹謗中傷との狭間で自らの青春を謳歌し葛藤を繰り広げてきた、改めて思うに…その一種特異な音楽性がほんの少しだけ時代の先を行っていたが故、幸か不幸か登場するにはあまりにもやや時期尚早な存在だったのかもしれない。
2016年南米初で開催されたリオ・オリンピックも然る事ながら、何よりも大規模なサンバ・カーニバルで世界的にも名高いブラジル第二の巨大都市リオデジャネイロにて、ブラジリアン・ロック夜明け前の1969年4人の若者達によってモドゥロ1000は結成される。
ちなみにモドゥロとは英語訳でモジュールの意である事を付け加えさせて頂きたい。
バンド結成の経緯等にあっては(毎度の如く)残念ながら資料の乏しさに加えて知識不足で全くと言っていい位に解らずじまいではあるが、ある程度判明している点でバンドの音楽性に多大なる影響を受けた素養として、ツェッペリン始めサバス、ステッペン・ウルフ、ピンク・フロイド、クォーターマス、果ては同国のミュータンテスであるとの事。
彼等ならではのヘヴィなファズギターとチープで無機質がかったオルガンで構成されたサウンドを何度も繰り返し聴く度に、サイケデリック、アートロック、ヘヴィロック、スペースロック、トリップ、アシッド…等の様々なスタイルがあたかもゴッタ煮の如く内包している様は、同年代のブリティッシュ・アンダーグラウンドやアメリカン・サイケデリック、ジャーマン・サイケデリックをも凌駕し、南米の異国情緒とがコンバインした唯一無比の音楽世界は、ブラジル・ロックシーン黎明期の新たな方向性をも模索した特異な存在として、彼等が遺したアルバムが45年以上経った現在でもなおカルト的に賞賛されているというのも頷けよう。
ちなみに彼等のアルバムタイトルでもある『Não Fale Com Paredes』を英訳すると“Don't Talk to Walls(壁に相談するな) ”という、何ともアイロニカルで意味深なタイトルではなかろうか…。
なるほどグレーカラーの下地にSFムービー風なレタリングのみという至ってシンプルな意匠に、実は灰色の壁に見立てたジャケットに語りかけても無駄という深い意味が…実に何とも皮肉な洒落が効いているではないか(苦笑)。
1972年リリース(1970年リリースの説もあるが各方面での関係筋によれば、やはり1972年リリースが正しいと思われる)当時、リアルタイムに彼等と同傾向の作品は数あれど、ここまでブッ飛んだ内容に匹敵する作品を挙げるとなると、私自身の乏しい知識で恐縮なれど日本ロック黎明期の傑作にして問題作のファーラウト或いはフードブレインと肩を並べる怪作ではなかろうか。
オープニングを飾る1曲目から彼等の摩訶不思議で形容し難い、天からの啓示とおぼしきメッセージ性を孕んだ何とも奇ッ怪でミステリアスなメロディーラインが印象的ですらある。
さながら“ラヴ&ピースでラリって決めてハイになって宇宙人と友達になろう ”と言わんばかりな、宇宙との交信をも思わせるサイケでハッピーなカルトミュージック全開の様相を呈しており、イコライザー処理を施した無機質なヴォイスに、金属質でヘヴィなギターの残響、シンセサイザーやメロトロンを使う事無く、エフェクトを多用したハモンドオルガンのみでこれだけ神秘的でスペイシーな広がりを持たせた曲は他に類を見ない。
さながらウルトラQの石坂浩二氏のナレーションの如く、これから30分間貴方の耳は貴方の心と身体を離れて不思議な時間と音楽の世界へと入っていくのですと言わんばかりである…。
初期のサバスに触発されたかの様なヘヴィで混沌としたエッセンスと、オープニングに引き続きスペイシーでトリッキーなサウンドとが違和感無く融合したアルバムタイトルでもある2曲目、ブリティッシュ・アンダーグラウンド然とした『神秘』期のフロイドにも相通ずる重々しくて陰鬱なヴィジョンを醸し出すアコギとウィスパー調なヴォイス、ややクラシカルな趣のハモンドにサイケデリックなギターが存分に堪能出来る“鏡”を意味する3曲目も実に素晴らしい。
初期のカンやクラウトロック風を思わせるメロディーラインに導かれ、チープでメカニカルなオルガンとギターが印象的なインストオンリーの4曲目はおよそ1分弱の小曲で終盤サイケデリックに破綻する展開には、当時のブラジリアン・ロック黎明期にこんな先鋭的な試みを演っていたバンドが存在していた事に改めて驚嘆の思いですらある。
小曲を挟んで「目には目を、歯には歯を」の意の5曲目はやや呪術めいたイントロに導かれ、幾分攻撃的且つ挑発的なシチュエーションを湛えたミスティックでヘヴィなナンバー。
兎にも角にもこのバンドあまりにも情報量というか引き出しが多過ぎて、様々な顔と側面をも垣間見せるから良い意味で実に困ったものである(苦笑)。
6曲目はタイトル通り…地下鉄に揺られながらあたかも冥府へと続くような白昼夢を見せられるような心理状態をヘヴィ&サイケに謳った、イタリアン・ヘヴィプログレにも似通った邪悪でダークなイマジンが一瞬脳裏をよぎる。
重々しいピアノをイントロダクションにLuiz Paulo Simasのキーボードソロが縦横無尽に繰り広げられるタイトル通りの7曲目の荘厳さは、1分半近い小曲と言えども70年代イタリアン・ロックとほぼ互角なダイナミズムとアーティスティックな感触をも禁じ得ない秀作。
7曲目の余韻も冷め切らないまま、怒涛の如く雪崩れ込む8曲目にあっては英国ヴァーティゴ・オルガンロックカラー全開のヘヴィでブルーズィーなリリシズムと男性的な力強さとがせめぎ合う様は、最早ラテンミュージックのフレーバーすらも微塵に感じられないくらい完全ブリティッシュナイズに染まった彼等ならではの英米音楽への見事な回答と言っても差し支えはあるまい。
ラスト9曲目はアシッドフォーク調で気だるさを帯びたアコギと中期クリムゾンのフリップ風エレクトリックギターとの応酬が絶妙な1分半超の小曲で、まさしく最後を締め括るに相応しい何ともほろ苦くて感傷的な余韻すら覚える実験色の濃いインストナンバーである。
概ね32分近い収録時間ながらも、全曲共に甲乙付け難い粒揃いな好作品をリリースしブラジル国内においても精力的なギグを積み重ねてきた甲斐あってかなりの好感触で支持を受けていた彼等であったが、いかんせん海を越えたスペイン、ポルトガルでの音楽事情と同様に、ロックが市民権を得ていなかった当時に於いて、彼等の謳うあまりに不健全極まる歌詞の内容に当局から検閲やらクレームの横槍が入って、地方によってはレコード店から強制的に回収され発禁扱いになるという憂き目に遭っているから、この当時自らの言葉と歌詞で勝負していた(ジャンルを問わずに)アーティスト達にとってはかなり至難な時代だった事であろう…。
そんな一部からの言われ無き理不尽な批判にもめげず彼等は精力的に活動を続け、1972年に解散するまでデヴュー時の強烈なまでの個性こそ薄まったものの、それに匹敵するくらいのサイケでポップでプログレがかったシングル曲に加えてブラジルの音楽誌ムジカ・ロコムンド主催のコンピレーション企画用に収録した計8曲のアンリリースドテイクを遺し、彼等はその短い活動期間に静かに幕を下ろす事となる。
解散後のメンバーの動向と消息は現時点で分かっているところでは、キーボーダーのLuiz Paulo SimasとドラマーのCandinhoの両名は本格的プログレッシヴ・バンドのVIMANA(ヴィマナ)を結成し、以降も精力的に演奏活動を続けるも結局たった一枚も作品を遺す事無く1977年に敢え無く解散し、Luiz Paulo Simasは交流のあったオ・テルソ関連の作品に参加し、現在も映像メディア関連や演劇といった多彩なジャンルにて創作活動を継続中。
ギタリストのDaniel Cardona RomaniとベースのEduardo Lealにあっては、72年のバンド解散以後の足取りが不明であったが、残念な事にDaniel Cardona Romaniは2015年4月に鬼籍の人となっているのが悔やまれる。
モドゥロ1000の唯一作にあっても90年代末期まで様々なすったもんだでリイシューもままならない状態であったものの、時代の推移と共に誤った認識が改められ1998年に漸くCDリイシュー化される事で陽の目を見る事となった次第である。
時代は21世紀に突入しても彼等の人気と評判はカルト並みに鰻上りとなって、遂にはジャーマン・サイケの本場ドイツから2004年にWORLD SOUNDレーベルを経由して、70年リリース時の三面開き変形アナログLP盤仕様を忠実に再現した紙製三面開き変形デジパックCD(ボーナストラック8曲収録)までもがリリースされ、6年後の2010年にはイギリスRPMレーベルからジャケットデザインを含め装いも新たにプラケース仕様ながらも、貴重な宣材向けライヴ写真と今は亡きギタリストのDaniel Cardona Romaniによる詳細なバイオグラフィーと解説等を網羅した豪華ブックレットが大いに話題を呼んだのは記憶に新しい。
余談ながらも、デヴュー作に当たる三面開き変形アナログLP盤は現在もなおウルトラメガレアアイテム級に扱われており、一枚辺り何とン十万円もの破格なプレミアムが付けられているから最早カルトを通り越して驚愕そのものと言わざるを得ない…。
80年代にブラジリアン・プログレッシヴが発掘認識され、21世紀の今もなおネオ・プログレッシヴの一端を担う新進気鋭が続々と輩出されている今日この頃、シンフォニック始めメロディック、プログメタル、ジャズロック…etc、etcと多岐に亘るが、ブラジリアン・プログレッシヴの今日があるのは、やはりモドゥロ1000を始めとする70年代初頭の黎明期が指し示した道程と指針があってこそと敬愛して止まない。
あの70年代当時のモドゥロ1000の若い時分の彼等が切り開いた飽くなきパイオニア精神とたゆまぬ実験的な挑戦…そんな遥か昔への憧憬とリスペクトを、混迷たる21世紀の今日に再び新たな甦りの息吹きとして与えてくれる存在がいつの日にか巡って来る事を私は信じて止まない…。
否!私自身…もう既に出会っているのかもしれないが。
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27,2020
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4月最終週の「夢幻の楽師達」は、北欧デンマークより60年代末期から70年代初頭にかけてブリティッシュ・ロック影響下ながらも、その特異で唯一無比な音楽性で神々しい光明を放ち続け、21世紀の現在もなお根強いファンと支持者を獲得している、名実共にスカンジナビアン・ロック黎明期の草分け的存在としてその名を刻み付ける“エイク ”に、今一度スポットライトを当ててみたいと思います。
ACHE
(DENMARK 1968~)
Torsten Olafsson:B, Vo
Finn Olafsson:G, Vo
Peter Mellin:Organ, Piano, Vo
Glenn Fischer:Ds, Per
西欧ドイツの隣国でもあり、海峡を挟んでスウェーデン、フィンランド、ノルウェーの北欧三大国に準ずる小国デンマーク。
デンマークのロックシーンと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、今やすっかり国民的バンドとして定着し世界的にもその名が認知されているサベージ・ローズであろうか。
ロジャー・ディーンが手掛けたイラストでお馴染みのミッドナイト・サンを始め、ジャズロックで名声を馳せたシークレット・オイスター、通好みであればサメのジャケットが印象的なザ・オールドマン&ザ・シーも忘れ難いだろう。
さながら70年代デンマークのロックシーンは、かつてのスイスのシーンよろしく負けず劣らず少数精鋭揃いといった感が無きにしも非ずといったところであろうか…。
遡る事60年代末期、全世界規模で席巻していたビートルズ人気の熱気と興奮は御多聞にも漏れずデンマークにも飛び火していたのは言うには及ぶまい。
その波及は首都コペンハーゲンを拠点に音楽活動をしていた2人の若者FinnとTorstenのOlafsson兄弟にも多大なる影響を与え、ロックンロールやブルース等をベースとしつつ新たなる時代へと向けた音楽表現への契機となった。
Olafsson兄弟を中心としたVOCESを始め、後にエイクのメンバーとなるPeter MellinとGlenn Fischerを擁していたTHE HARLOWSをルーツにバンドメンバーが集散を繰り返し、Torstenが加入したTHE HARLOWSそしてFinnが参加していたMCKENZIE SETの2バンドを母体に1968年エイクは結成される事となる。
1968年は折しもイギリスに於いてレッド・ツェッペリン始めディープ・パープル、そしてイエスがデヴューを飾った年でもあるのが何とも実に興味深い…。
音楽活動を始めてから早3年という実績も然る事ながら、エイクは異例の早さでフィリップス・デンマークと契約を交わし、国内のロック・フェスへの参加を始めテレビやラジオでの電波媒体にも積極的に出演し知名度を上げていく一方、彼等のヘヴィで独創的、時にシンフォニックな荘厳さを纏ったアートロックの音楽性に着目した地元の前衛舞踊団THE ROYAL THEATRE OF COPENHAGEN並びTHE ROYAL DANISH BALLET COMPANYの招聘と相互協力により、概ね一年半もの製作期間とリハーサルを費やして1970年にデヴュー作となる『De Homine Urbano 』をリリースする。
英訳すると“Urban Man ”の意となるが、その意味深なデヴュータイトル通り男女2人によるバレエダンサーのフォトグラフがコラージュされたジャケットアートは、当時主流だったドラッグ体験的なサイケデリックという向きよりも幾分趣が異なる、所謂…音楽、光と影、舞踊とが渾然一体となった総合芸術の域に留めている辺りが彼等の目指す方向性でもあり自らの身上とでも解釈すべきではなかろうか…。
古色蒼然とした所謂時代の音ではあるが、重厚でクラシカルなハモンドとヘヴィでブルーズィーな雰囲気を湛えたギターを核に、おおよそサイケデリックとは縁遠いアートロックとプログレッシヴの中間を行き交う、欧州の伝統とロマンティシズムに裏打ちされた彼等でしか成し得ない音楽だけがそこにはあった。
ロックミュージックと前衛バレエとのコラボレイションは、かのピンク・フロイドも当時『原子心母』でも試みていただけに、エイクもそういった時代の波に触発されて良い意味で上手く相乗効果に乗る事が出来た稀有のバンドとして実に幸先の良いスタートを切ったと言えるだろう。
デヴュー作『De Homine Urbano』の評判は上々で、すぐさま次回作への構想が持ち上がった彼等は2nd製作の準備に先駆けて初のシングル『Shadow Of A Gipsy』(2ndのB面にも収録されている)をリリース。
ヨーロッパの哀愁と抒情を湛えた歌物系作品ではあるが、プロコル・ハルムばりのクラシカル・オルガンロックの真骨頂ここにありと言わんばかりな泣きのリリシズムがせめぎ合う秀作と言えるだろう。
翌1971年、前作での成功の流れを汲んだ前衛舞踊劇向けに製作された姉妹作にして彼等の代表作となる『Green Man 』をリリース(ちなみに下の写真がその『Green Man』を題材にした舞踊劇の一場面である )。
アメリカSFスリラーTVの草分けともいえる『トワイライトゾーン』に登場しそうな異星人風なテーマを思わせる、不気味でミスティックな雰囲気と寸分違わぬヘヴィ・オルガンシンフォニックが縦横無尽に繰り広げられており、イギリスのアードバークやインディアン・サマーに負けず劣らずな徹頭徹尾作品全体を埋め尽くしたPeter Mellinのオルガンプレイには目を瞠る思いですらある。
ここまで順風満帆且つ精力的に活動をこなしてきた彼等ではあるが、成功への階段を上りつつあるさ中の翌1972年…突如としてロックバンドとしてのエイクを休止して、Olafsson兄弟を中心としたアコースティック・ユニットへと移行。
メンバー間同士の精神面での疲弊が生じたのか、或いは舞踊団込みの劇バンであるというレッテルを貼られてしまいそうな危惧を恐れたのか、理由を知る術は定かでは無いが兎にも角にもロックというスタイルから一時的に離れた彼等は以降4年間は作品らしい作品をリリースする事無く、ただひたすら沈黙を守り続けて表舞台から遠ざかってしまう…。
そして1976年、Peter MellinとFinn Olafssonを中心にStig Kreutzfeldt(Vo, Per)、Johnnie Gellett(Vo, Ac‐G)、Steen Toft Andersen(B)、Gert Smedegaard(Ds)の4人の新メンバーを迎えた6人編成で、エイクはデヴュー当初の荘厳で硬派なアートロック+舞踊劇バンドといったイメージから一転し、(良い意味で)時代相応にアップ・トゥ・デイトされたロックバンドとして純粋なるヨーロピアン・フレイバーに根付いたクラシカル&プログレッシヴ・ポップスという新機軸を打ち出した通算第3作目に当たる『Pictures From Cyclus 7 』を大手CBSよりリリースし再出発を切る事となる。
ケストレル、カヤック或いは1st~2ndのタイ・フォンにも相通ずるシンフォニックでメロディアス、リリカルなポップス路線へと回帰した、あたかもこれが本来演りたかった音楽であると言わんばかりな人懐っこくて親近感溢れるサウンドへの変化に聴衆は驚きを隠せなかった…。
エイクは本作品で良くも悪くも全くの別バンドとして捉えられる様になってしまい、デヴュー時の重厚で厳ついイメージを期待していた向きには正直余り受けが良くなかったのもまた然りで、彼等の新たな船出は前途多難といった方が正しいのかもしれない(苦笑)。
とは言っても決して出来の悪い作品では無く、今の時代ならおしゃれに洗練されたメロディック・ロックさながらに聴けてしまう歌物プログレッシヴとして最上位に位置する秀作だと思えてならない(やはり時代と運が悪かったのだろうか…)。
未聴の方はデヴュー時のイメージを一旦置いて、どうか気持ちを新たに頭の中を真っ白にしてお聴き頂き、今一度彼等の斬新なサウンドアプローチを見つめ直して欲しい事を切に願わんばかりである。
そして翌1977年、Stig KreutzfeldtとJohnnie Gellettの2人のヴォーカリストが抜けてバンドは再びメンバーチェンジを迎え、何とTorsten Olafssonが再びベーシストとして合流し、Steen Toft Andersenが二人目のキーボーダーとして転向しバンドは更なるツインキーボードスタイルで、前作でのポップでキャッチーなサウンドアプローチにややプログレハードがかったエッセンスを加味した4枚目の好作品『Blå Som Altid 』をKMFなるローカルレーベルよりリリースする。
作品内容は実に素晴らしいものの、肝心要のジャケットが何とも貧相で地味な装丁だったのが災いしたのか、それほど話題に上る事無くセールス的にも伸び悩んだが、当時全世界規模を席巻していたパンク/ニューウェイヴの波にもめげる事無く、彼等は1980年まで我が道を進むかの如く自らのスタイルを貫き通し(その間に長年の盟友だったPeter Mellinが抜けPer Wiumへと交代)、以後エイク名義のシングル一枚とカセットテープオンリーの『Stærk Tobak』と『Passiv Rygning』の2作品をリリースし、Finn Olafssonのソロ活動(彼はエイク解散後も数枚のソロ作品をリリース)と併行させながらも、惜しまれつつバンドは自然消滅への道を辿っていく事となる(私的な意見で誠に恐縮だが、『Blå Som Altid』は確かにジャケットのお粗末ぶりこそ否めないものの、それでも内容としては従来のエイク・サウンドが楽しめる充実した内容であるが故に、本作品が未だCD化されてないのが何とも惜しまれる…)。
そして時代は1985年、Olafsson兄弟を中心にPer Wium、そして新たな面子にAlex Nyborg Madsen (Vo)とKlaus Thrane (Ds)を迎え、エイクは突如として8年振りにリバイバル・ライヴをデンマーク国内にて敢行。
バンドの復帰を待ち望んでいた多くの聴衆から盛大な喝采を浴び、熱気と興奮に包まれながらもたった一度きりしかないであろう彼等の復活祭にデンマークのロックファンは湧きに湧き上がった。
そして21世紀の現在…年輪を積み重ねた彼等は、2003年Olafsson兄弟を中心に発足したプロジェクト・チーム兼サウンド・コミュニティー“CHRISTIANIA (1976年にCBSよりリリースされたOlafsson兄弟によるデュオ作品タイトルから引用された)”の許で、エイク名義の作品の著作権管理やらライヴ活動、後進の育成・指導、デンマークの音楽業界の屋台骨的な役割を担い現在までに至っている。
CHRISTIANIAの許に集うは…ギターとプロデューサーも兼ねるFinn Olafsson、そしてベースのTorsten Olafsson、更にはかつての盟友Peter Mellinを筆頭に、Per Wium、Gert Smedegaard、Steen Toft Andersen、そしてJohnnie Gellettといったエイクの歴史をしかと刻んできた名うての面子に加え、新たな女性メンバー二人も創作活動に大きく携わっている。
デンマーク・ロックの祖として長きに亘り、今もなおこうして現役バリバリで精力的に活躍している彼等の逞しくも力強い真摯な姿勢を垣間見た…そんな思いに捉われると共に、理屈と感動をも越えた男のロマンティシズムに触れた私自身あたかも勇気付けられる思いにも似た「我々はまだ夢の途中…」と言わんばかりな、彼等の生粋なロックスピリッツに否応無しに共鳴してしまう今日この頃である。
CHRISTIANIA…或いはエイク名義の最新作が、いつの日にか我々の目の前に突如送り届けられるのもそう遠くは無い様な気がする。
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29,2020
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4月最終週の「一生逸品」は、名実共にシンフォニック・ロックの王道を地で行く北欧スウェーデン珠玉の名作にして現在もなおその類稀なる高水準な完成度を誇り、根強いファンはおろか新たなファンをも生み出している、かのカイパと共に70年代後期の至高の匠的存在である“ダイス ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
DICE/ Dice(1978)
1.Alea Iacta Est
2.Annika
3.The Utopia Suntan
4.The Venetian Bargain
5.Follies
a)Esther
b)Labyrinth
c)At The Gate Of Entrudivore
d)I'm Entrudivorian
e)You Are?
f)You Are…
Leif Larsson:Key,Vo
Orian Strandberg:G,Vo
Per Andersson:Ds,Per,Vo
Fredrik Vildo:B,Vo
Robert Holmin:Vo,Sax
個人的な思い出話みたいで恐縮ではあるが、86年秋にマーキー誌のコレクターズ・コーナーにて彼等=ダイスが取り挙げられてから、以来…自分の頭の中には、入手困難で99%手が届かず無理とは分かっていても、粗悪なテープ・ダビングでも構わないから是非聴いてみたい存在になったのは最早言うまでもあるまい。
誌面に掲載の白黒で不鮮明なジャケ写ながらも、“プログレッシヴ・ロック演ってます!”と言わんばかりのどことなく自信に満ちた、一見ロジャー・ディーンを思わせるようなファンタジックなイラストに、兎にも角にも大いに興味をそそられた22歳当時の若く燃えていた自分がそこにいた。
だが…運命とはどこでどう転ぶか分からないもので、彼等の唯一の作品との御対面は意外にも早く半年後の春に訪れるのである。マーキー誌のワールド・ディスク経由の稀少盤扱いで25,000~30,000円。当時の自分にとっては清水の舞台から跳び降りるかの如く結構高い買い物ではあったが、それでも値段が高いから云々なんてお構い無しに、夢にまで見た念願のダイスを手に入れた無上の喜びの方が大きかった。
恐る恐る盤をターン・テーブルに乗せ針を落とす…ダイス=サイコロの転がる音に導かれ、軽快なメロディーと共にオルガンとメロトロンが木霊した瞬間、あのドラゴンフライ以来久々に思う存分自室で感動の涙でむせび泣いた事を今でも記憶している。
ダイスの出発は1966年、スウェーデンの首都ストックホルムの進学校にて二人の少年Leif LarssonとOrian Strandbergの運命的な出会いで幕を開ける。
二人とも既に当時からクラシック音楽の正式な教育(Leifはピアノ、Orianはチェロ)を受けてはいたものの、当時の若者と同様このままありきたりな現状に満足する訳ではなく、お決まりの如くビートルズにのめり込み、その後は当然の如くプロコル・ハルム、ナイス、クリムゾン、イエス、EL&P、GG…等から多大なる影響を受け、まさにプログレ道一直線とばかりに、自分達でバンドを組み場所を問わずに幾多ものライヴ活動を積み重ね、互いの家を行き来しては作曲活動に明け暮れたとの事。
「今でもそうだけど、プログレッシヴな音楽を作り演奏する事に快感と喜びを覚えたんだ」 とは、当時を振り返ったLeifとOrianの弁であり、嗚呼…まさにプログレッシャーの鑑たる姿勢がここにある!
本作品のデヴュー作に収録された殆どの曲、並び数年後未発マテリアルとして世に出る『The Four Riders Of The Apocalypse』の全曲とも1973年に既に完成させ、本格的なレコーディングに臨む為、知り合いの音大生でパーカッションを専攻し作詞作曲も出来るPer Anderssonを迎え、2年後の1975年には、楽器店に貼ったメンバー募集の告知を見て応募してきた、同楽器店員にして様々なローカル・バンドも経験してきたFredrik Vildoをベーシストに迎えて、ダイスのラインナップはほぼ整った次第である
この不動の4人編成で国内ツアーを行い、ライヴハウス始め野外コンサート、ハイスクールでの積極的なギグが次第に注目され、国営ラジオでもその模様がオンエアされ“カイパに次ぐ新星”とまで言われたとか。
その後メンバーの共同出資で自らのスタジオを設立し、決定的なヴォーカリスト不在ということを踏まえ、オーディションでサックスも吹けるRobert Holminを抜擢し、1978年インディーズながらも遂に自らのバンド名を冠した念願のデヴュー作をリリースする。
イエス、ジェントル・ジャイアントを彷彿とさせる変拍子全開にして変幻自在で煌くようなシンフォ・ナンバーの1曲目と4曲目、『ハンバーガー・コンチェルト』期のフォーカスを想起させる2曲目、ラグタイム・ピアノに導かれ軽妙且つコミカルな曲展開が微笑ましい3曲目、そして全曲中最大の呼び物、22分に渡る組曲形式の5曲目は、イエスの“危機”、ジェネシス“サパーズ・レディー”、フォーカス“ハンバーガー・コンチェルト”と並び負けず劣らずのシンフォニック大作で、不思議な余韻と感動を残して締め括られる。
しかし…バンド側は、音楽配給のパブリシング会社並びレコード会社側の方針に今ひとつ満足が行かず、デヴュー作以後は自分達の理想たる創作環境を求め奔走する一方で、後に未発マテリアルとして1992年満を持して世に出る事となる『The Four Riders Of The Apocalypse 』の録音並び新曲の製作にも着手するが、広い様で何かと狭い音楽業界に於いて交流・人脈絡みでジャンル違いなバンドやシンガーにも力を貸していくのである。
結果的には、バンド本隊は現在もなお開店休業状態で、バンドの各メンバーも著作権・版権関係の会社に就いたり、広告関係並びテレビ・舞台・映画音楽関係、ライヴ・エンジニア、セッションマン、ツアーミュージシャンとして現在もなお多忙を極めているとのこと…。(実は、有名なところで35年前の「つくば万博」にて、ギタリストのOrianのみが環境音楽家として一度来日を果たしているとのこと。ちなみにマーキーのワールド・ディスク経由で彼のソロも何枚か販売されたこともあるとのこと。)
開店休業状態ながらも、Leif始めOrian、Per、Fredrik、Robertの5人は現在も一生涯の友として強固な友情の元で定期的に顔を合わせ、お互いに仕事をし合ったりセッションに参加しているとのこと。
余談ながらも…LeifとOrianは1982年にお互いの妹さんと結婚し義兄弟になっている。
北欧諸国並び日本、世界各国でも根強いファンを獲得している彼等ではあるが、メンバー同士お互いの時間的余裕が作れて、周囲の状況が好転し次第、新作の準備に取り掛かれるとの事だが…果たして?
何が起こっても不思議ではない21世紀のプログレッシヴ・ロック業界…カイパ(+カイパ・ダ・カーポ)、トレッティオアリガ・クリゲットの再結成~現役復帰という奇跡を目の当たりにしている昨今の事であるから、不可能がいつ可能になってもおかしくはないのである。
一笑に伏されるかもしれないが、今はただ“奇跡はいつの日にか必ず”という事を信じて止まないばかりである。
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30,2020
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4月最後の「Monthly Prog Notes」をお届けします。
世界中に蔓延しているコロナウイルス感染は、一向に収束と衰えの兆しが見られず…日々感染者の増加や亡くなられた尊い人命の数が報じられ、さながら私達は先の光明すら見えない暗く長いトンネルの中を手探りで彷徨っているかの様な今日この頃です。
私を含め誰しもが挫折感や不安に苛まれ心折れそうになりますが、緊急事態宣言が継続されている今だからこそ辛抱、忍耐、我慢を合言葉に大なり小なりの希望を胸に抱き、前向きに困難を乗り越えねばならないと思います。
世界中のプログレッシヴの匠達が謳い奏でる“音楽の力 ”を糧に信じて待ち続けましょう!
今回はヨーロッパ諸国勢に負けず劣らずプログレッシヴ・メインストリームを誇るイギリス始め日本、そしてアメリカから強力なるラインナップが出揃いました。
イギリスからは実に3年ぶりの新譜3rdをリリースした“アイ・アム・ザ・マニック・ホエール ”に要注目です。
御大ジェネシス直系をも窺わせるであろう、往年の正統派ブリティッシュ・プログレッシヴの王道と伝承を堂々と受け継いだ、まさしく一点の曇りや迷いも無いジェントリーで力強く繊細なるシンフォニックワールドは今作も健在で、文字通りデヴュー作と前作をも上回る必聴必至な最高潮に達しています。
こちらも久々の日本からは、レヴューが遅くなって本当に申し訳ないと言わんばかりにお詫びするしかない…昨年秋にリリースされていながらも、新譜リリースされていた事すら知らなかった私自身の無知さ加減を恥じると共に、自戒と反省の念を込めて綴る東京きってのシンフォニック・ロックのトップへ上り詰めたと言っても過言では無い“マシーン・メサイア ”3年ぶりの新譜2ndも聴き処満載な最高作に仕上がってます。
アメリカからも今日の21世紀プログレッシヴを支えているであろう、名うての実力派バンドのメンバー達が結集した期待の新星“アミュージアム ”のデヴュー作も、イエス始め同国のスター・キャッスルといった流れと系譜を汲んだ、アメリカンらしい抜けの良いリリカルで且つキャッチーでファンタスティックなメロディーラインが聴き手の心の琴線を揺り動かすことでしょう。
季節は春から初夏へと移り変わり…コロナウイルス災禍に負ける事無く前向きに歩み続ける魂の楽聖達の饗宴に暫し耳を傾けながら、Stay Home の精神で心穏やかに過ごしましょう。
1.I AM THE MANIC WHALE / Things Unseen
(from U.K )
1.Billionaire/2.The Deplorable Word/
3.Into The Blue/4.Celebrity/5.Smile/
6.Build It Up Again/7.Halcyon Day/
8.Valenta Scream
2015年に衝撃のデヴューを飾って以降、上昇気流の波に乗るかの如く上向きのカーブを描き今や本家ジェネシス系譜を継承したビッグ・ビッグ・トレインと並ぶイギリスきっての正統派ブリティッシュ・シンフォニックの担い手となった感すら窺わせるアイ・アム・ザ・マニック・ホエール 。
本作品は前作2nd『Gathering The Waters』から実に3年ぶりとなる、まさしく満を持して期待の二文字を背負ってリリースされた3作目に当たるもので、看板に偽り無しの言葉通り期待に違わぬ…否!期待以上の素晴らしい出来栄えを誇るであろう、バンドの充実感と最高潮を物語る万人の期待を裏切らないリリシズム溢れジェントリーで且つ力強く繊細さが際立つハイクオリティーで時代相応にアップ・トゥ・デイトされたメロディーラインが徹頭徹尾繰り広げられている。
メンバー間のコーラスワーク含め、瑞々しくて繊細なピアノ始めハモンド、メロトロンといったヴィンテージカラー、ギターワークにリズム隊の安定感、フルートからストリングセクションの好サポートが光る最高の逸品に仕上がっており、耳にした瞬間心は躍りいつの間にか感動で胸が熱くなる事
必至であろう。
21世紀プログレッシヴでありながらも、要所々々でどこかしら懐かしさにも似たノスタルジックな空気感すら覚えてしまう、あきらかにネオ・プログレやらメロディック・シンフォとは一線を画した大英帝国本来のロックが持つ実力とプライドが垣間見えると言ったら言い過ぎであろうか…。
激動の2020年、今年のプログレッシヴ・アワードへと繋がる一枚がここにまた決まったと言っても過言ではあるまい。
Facebook I Am The Manic Whale
2 .MASHEEN MESSIAH / Another Page
(from JAPAN )
1.Turning The Page (Prelude)/2.Fanfare For The Eastern Feast/
3.Flying High (Learn To Be Afraid)/4.This Greatest Ride/
5.A New Beginning/6.I Will Hold On/7.Peace (Is The Word)/
8.Another Page
私自身言い訳がましい事をとやかく言うつもりはないものの、昨年秋にリリースされながらも私の許に情報が入ってくる事無く、つい最近漸く新譜リリースされた事に気付くという体たらくと無知さ加減に、遅くなったとはいえこの場をお借りして自戒と反省の念を込めて…バンドメンバー並び関係各位の方々に深くお詫び申し上げます。
嗚呼…兎にも角にもアートワークと収録された全曲総じて、何と劇的で崇高且つ荘厳なる音世界であろうか!
2016年にセンセーショナルなデヴューを飾って以降、その後の動向に多くの注視が寄せられていたマシーン・メサイア 、3年ぶり待望の2019年新譜2ndが今こうして届けられた事にやはり喜びは隠せない。
エマーソンを強く意識したオルガンにシンセ系、コーラスメロトロン系を配した深遠で重厚感溢れるキーボードワークのテクニカルな巧みさも然る事ながら、曲作りの上手さからコンポーズ能力、スキルの高さを物語るハードでシンフォニック、キャッチーなメロディーライン、フロントヴォーカリスト棚村のドラマティックな歌唱法とパーソナリティーとしての存在感、プロフェッショナルなギターとリズム隊の素晴らしい仕事っぷり、フルートを含めたゲストサポートの好演と相まって、オープニングからエンディングに至るまで申し分無い位の完成度を物語るマスターピースが、またここに一つジャパニーズ・プログレッシヴ史に堂々と刻まれる事となったのは言うに及ぶまい。
同じ関東圏の大御所ケンソー始めTEE、そしてユカ&クロノシップに続くワールドワイドな視野と焦点を見据えた、今まさに王手をかけそうな意気込みと期待感に綴り手でもある私自身も心が熱くなりそうだ。
余談ながらも、未聴の方はどうか先ず2曲目そして5曲目の大曲をお聴き頂けたら幸いである。
Facebook Masheen Messiah
3.AMUZEUM / New Beginnings
(from U.S.A )
1.The Challenge/2.Changing Seasons/
3.Birthright/4.Naysayer/
5.Shadow Self/6.Carousel
マース・ホロウ、ヘリオポリス…etc、etc、今日の21世紀アメリカン・プログレッシヴを担う名うての実力派バンドのメンバーが結集した、文字通りのスーパーバンドと言っても過言では無い期待の新星アミュージアム 堂々たるデヴュー作がお目見えとなった。
幻想的な佇まいながらもシンプルな印象のアートワークとは裏腹に、サウンドを拝聴して真っ先に思ったのは、メンバー全員が並々ならぬイエスへの愛情にも似たリスペクト精神に満ち溢れており、同国のスター・キャッスルばり…否それ以上に幾分アンダーソンを意識したかの様な歌いっぷり(決してそっくりな物真似レベルではないが)、ハウを敬愛して止まないギター、初期のケイやウェイクマンのセンスに近いオルガンやメロトロンを主体としたキーボードの活躍、均衡の取れた強固なリズム隊の絶妙な掛け合い…等、ブリティッシュなスピリッツにアメリカンなマインドが違和感無くコンバインしたハイブリッド・スタイルなシンフォニックと言えるだろう。
ネオ・プログレッシヴやポストロックといった現代風な流れとはあくまで真逆な、ヴィンテージカラーをも内包したプログレッシヴ本来の王道を踏襲した極めて純粋でファンタスティックな、北米大陸らしい抜けの良さと爽快感が体感出来る事だろう。
なるほど…ミキシングを手掛けたのはスクワイアの弟子にして現イエスのベーシストでサーカのリーダーでもあるビリー・シャーウッド、ここにもイエス愛が色濃く反映されているのも頷ける。
Facebook Amuzeum
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