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06,2020
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5月最初にお届けする「夢幻の楽師達」は、70年代フレンチ・シンフォニックの雄にして大御所アンジュと共にロックテアトルというカテゴリージャンルに大きな軌跡と足跡を残した“モナ・リザ ”に再び焦点を当ててみたいと思います。
MONA LISA
(FRANCE 1974~?)
Dominique Le Guennec:Vo,Flute,Syn
Pascal Jardon:G
Jean‐Paul Pierson:Key
Jean‐Luc Martin:B,Vo
Francis Poulet:Ds,Per,Vo
70年代のフレンチ・プログレッシヴシーンにおいて、シアトリカルなステージングと奇抜なライヴ・パフォーマンスで“ロック・テアトル”なる一ジャンルを確立し、日本でも「フランス版ジェネシス」という当たらずも遠からずな称号を得ている(苦笑)大御所アンジュと共にその片翼を担ったもう一方の雄モナ・リザ。
バンドのルーツは66年まで遡り、出身地のオルレアンにてFERNANDO'S GROUPに在籍していたJean‐Paul Pierson、Francis Poulet、そしてJean‐Luc Martinの3人が結成したTHE THUNDER SOUNDなるバンドが母体となっている。
程無くしてモナ・リザの初代ギタリストとなるChristian Gallasが加入し、ヴォーカリストにJean-Jacques Foucherを加えたTHE THUNDER SOUNDは、地元オルレアンのクラブにてブリティッシュ・ロックやR&Bに触発された、ツェッペリンやパープルばりのヘヴィロックなサウンドで徐々に知名度と注目を集め、当時オルレアンの人気バンドだったN.S.U.と共に一時代を築いていった。ちなみにそのN.S.U.に在籍していたのが後にモナ・リザのフロントマンとなるヴォーカリストDominique Le Guennecである。
激動の70年代に突入すると、幾数多に及ぶフランス国内のロック・バンドにとって、フランス語によるアイデンティティーとオリジナリティーが真に問われる時代となったのは周知の事実(サンドローズやタイ・フォンといった成功例は別として…)。
オルレアンのシーンとて例外では無く、先のTHE THUNDER SOUNDやN.S.U.も時代の波と変革に倣えとばかりフランス語の歌詞によるオリジナル・ナンバーが多くなるのにそんなに時間を要しなかった。時の流れと変革はTHE THUNDER SOUNDの作風のみならず、新たなる方向性への模索を込めてバンド名をモナ・リザと改名するに至った。
Jean‐Paul、Francis、Jean‐Luc、Christian、Jean-Jacquesの5人はバンドの改名を機に71年初頭まで積極的に演奏活動、リハ、作曲を積み重ね、更にはオルレアンでアンジュのライヴに接した彼等は、今後の自らの創作活動、音楽的方向性に強い確信を得て徐々に青写真を描きつつあった。
翌72年に各メンバーが兵役義務に就かなければならない関係上、一年間活動を休止・中断を経て、73年の春に活動を再開する頃には、初代ヴォーカリストのJean-Jacquesが抜け、と同時にN.S.U.解散後モナ・リザへ新たな活路を求めてDominique Le Guennecが正式に加入。
モナ・リザは今まで以上にリハと作曲に時間を費やす一方で、オルレアンの地元小劇団への楽曲も提供し、この経験が後にアンジュと双璧を成すシアトリカルなステージ・スタイルへと活かされたのは言うまでも無かった。
地道で堅実な活動が実を結び、73年秋にはアンジュのマネージャーからワーナー傘下の新興レーベルArcaneを紹介され、Dominiqueの友人でもあったアンジュのギタリストJean-Michel Brézovarのプロデュースで74年12月にデヴュー作『L'escapade 』をリリース。この頃になると先輩格のアンジュやアトールといった飛ぶ鳥をも落とす勢いのあるアーティストと同じステージに立つ機会が多くなった。
『L'escapade』はもう一人のギタリスト、Gilles Solves(録音終了直後に脱退)を迎えた唯一6人編成で臨んだ意欲作だったが、様々な効果音を配しシアトリカルな側面やら中世古謡、ハードロックといった側面をいろいろと詰め込み過ぎたきらいこそあるが、今なら難無く聴ける良質な作風ではないかと思う。
…が、皮肉な事にデヴューは商業的な成功とは程遠い結果で終わってしまい、翌75年の2作目『Grimaces 』リリースまでの間、バンドは前作での反省を踏まえた形で単独ライヴとツアー、そして作曲活動、演劇用の楽曲提供に明け暮れた。
こうした試行錯誤、自問自答の末に製作された『Grimaces』は、前デヴュー作以上に演奏と曲構成が向上し、前作を上回る成功と評価を得るが、漸く順風満帆な軌道に乗ろうとしていた矢先、今度はJean‐PaulとChristianの口論と対立がきっかけでバンドは一時解散という憂き目に遭う始末である。
Jean‐Paul、Francis、Jean‐Lucの3人はバンド解体後暫くは様々なセッション活動やらバックバンドを経て生活を凌いでいたが、やはり自分達にとってモナ・リザは必要不可欠であるという事を改めて悟り、Dominiqueに再び声をかけバンド再編の賛同を得るも、Christianだけは頑として首を縦に振らず、結果セッション活動時期に運命的に出会った2代目ギタリストのPascal Jardonに白羽の矢を立ててモナ・リザは再び甦った次第である。
このPascalとの出会いがバンドにとって大きなターニング・ポイントとなったのは言うまでも無かった。事実…所属していたArcaneレーベルがCrypto に改名した時同じくして、まるで呼応するかの様に77年から78年にかけてモナ・リザの絶頂期と言っても過言では無かった。
77年にリリースされた通産3作目の『Le Petit Violon De Mr Grégoire 』は、名実共に彼等の最高作・代表作となったと同時に、70年代のフレンチ・シンフォニックシーンを語る上で欠かせぬ名作として数えられる様になった。
翌78年には更なる音楽性が向上した秀作『Avant Qu'il Ne Soit Trop Tard 』をリリースし、最早この時点で“フランスのジェネシス”とか“アンジュの二番煎じ”といった余計な肩書きなど不必要と言わしめる位のポテンシャルと地位を確立させつつあった。
が、そんなバンドの上り調子とは裏腹に、モナ・リザというバンドにとってまたしても大きな危機を迎える事になろうとは…誰が予想し得たであろうか。
ロード生活にほとほと疲れ果てたベースのJean‐Luc抜けJean Betinに替わった事を皮切りに、バンドは一挙に様々なアクシデントに見舞われる事となる。
78年夏に予定されていたパリのオリンピア劇場での公演前に、長年の過労がたたってJean‐Paulが倒れた事を機に、ツアーのキャンセル並びバンド自体も活動意欲が失速し、結果長年苦楽を共にしたDominiqueが抜け、更には個人的な諸事情でPascalも脱退。
Jean‐Paulが闘病生活を経て退院した頃には、モナ・リザのオリジナルメンバーはとうとうJean‐PaulとFrancisの2名のみとなってしまう。
Francisをメインヴォーカリストに据えて、Jean‐Paul、Jean Betin、そしてPatrick Morinière、Michel Grandetを迎えた新体制で臨んだ79年の通産5作目の『Vers Demain』は、当時のプログレッシヴ・シーンが皆こぞってやや商業路線に走った背景になぞらえるかの様に、アンジュやアトールが親しみ易い作風に移行した便宜上の理由と同様に演奏こそ従来のモナ・リザらしさを留めているが、時流の波に乗ったポップなアプローチは決して前2作の緻密な完成度を上回る事は出来なかったと言った方が正しいだろう。
作品のセールス不振とCryptoレーベルの閉鎖(倒産)と時同じくして、モナ・リザというバンド自体も自然消滅=解散という末路を辿ったのは言うに及ぶまい。
それ以後…フランスのプログレッシヴ&シンフォニックは、86年にムゼアが発足するまでの間、全くのアンダーグラウンドな範疇でしか生き長らえる事が出来なかった次第であるが、その当時に於いても大御所のアンジュ関連だけが孤軍奮闘していた感は否めなかった。
その後追随するかの如くアトールやピュルサー、タイ・フォンといった70年代選手が細々と活動を再開させつつ、90年代~21世紀現在までの礎ともいえる先導的役割を担った訳であるが、モナ・リザ関連の面々だけは残念な事にそれ以降の目立った活動が確認される事無く、シーンからも自然淘汰の如く静かに消え去っていく運命の様に思われていた。
…が、運命とはどこでどう転ぶか解らないもので、90年代初頭にデヴューを飾った新鋭のフレンチ・シンフォでアンジュとモナ・リザの正統的な後継者ともいえるVERSAILLES(ヴェルサイユ) のライヴ公演に、突如あのモナ・リザのヴォーカリストだったDominique Le Guennecが飛び入りでゲスト参加した事から運命はまたしても一変する。
ヴェルサイユ自体もヴォーカリストと他のメンバーとの間で音楽的な意見の相違・食い違いで揺れ動いていた時期だったが故に、かつての名ヴォーカリストのDominiqueが参加した事が渡りに舟でこれ幸いとばかり、ヴェルサイユというバンドもかつて憧れていたバンドにリスペクトするかの如く、Dominiqueを迎えた事で再びモナ・リザへと改名し復活を遂げた事は周知であろう…。
かつてのフレンチ・シンフォニック=ロック・テアトルの大御所アンジュにしろモナ・リザにしろ、前者にあってはChristian Décampsとその息子によって活動を継続中であり、後者にあっては不定期ペースながらもモナ・リザの一枚看板を背負ったDominique Le Guennecを主導に一応開店休業中ながらも活動を存続させている。
改めて思うに…フレンチ・プログレッシヴの心髄とは、こういった職人芸にも近い伝統と粋、頑ななまでのある種のこだわりあってこそなのだと痛感する次第である。
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08,2020
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風薫る初夏の雰囲気真っ只中、今月最初の「一生逸品」は、先般取り挙げたクロックベルク・オランジェと並ぶオーストリア出身の名匠に恥じない、ジェネシス・チルドレンの申し子或いはジェネシスフォロワーの代名詞にして、まさしく決定版ともいえる伝説的存在としてその名を高めている“キリエ・エレイソン ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
KYRIE ELEISON
/ The Fountain Beyond The Sunrise(1977)
1.Out Of Dimension
2.The Fountain Beyond The Sunrise
a)Reign
b)Voices
c)The Last Reign
d)Autumn Song
3.Forgotten Words
4.Lenny
Gerald Krampl:Key, Vo
Karl Novotny:Ds, Per, Vo
Michael Schubert:Vo, Per
Manfred Drapela:G, Vo
Norbert Morin:B, Ac-G
昨今の21世紀プログレッシヴ・ムーヴメント…その源流を遡るとメロディック・シンフォ或いは80年代のポンプ・ロックをも内包し経由しているとはいえ、やはりその大元でもあり根底とは言うまでも無くフロイド始めクリムゾン、イエス、EL&P、そしてジェネシスといったブリティッシュ・プログレッシヴの大御所、所謂“ブリティッシュ5大バンド”であると言っても異論あるまい。
それら5大バンドを核(コア)に根幹を伸ばし枝分かれしつつプログレッシヴ・ムーヴメントは細分化を辿り、各国のアイデンティティーとトラディッショナルとを巧みに融合させつつ、その国々相応にマッチした作風を確立しリスペクトとフォロワーという形で継承・踏襲を積み重ね、今日に至るまでプログレッシヴ・ロックは伝統を絶やさず生き続けていったと思えてならない…。
今や世界各国に輩出された多種多様にして多彩な顔ぶれとも言えるであろう、プログレッシヴの代名詞と言っても過言ではないジェネシス影響下のフォロワーバンドとて例外ではあるまい。
初期並び中期ジェネシスが持っていたロマンティシズム、リリシズム、中世寓話趣味…等といった様々な要素を独自に解釈・咀嚼し、自らの音楽性と作風に反映させたイングランド、アイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、デイス、バビロンといった70年代~80年代にかけての単発系ジェネシス・チルドレン達。
今回の本編の主人公キリエ・エレイソンも御多聞に漏れず、ゲイヴリエル在籍時のジェネシスから洗礼を受けつつも、プログレ停滞期に差し掛かっていた悪夢の前兆とも言うべき70年代後期に於いて、出来の良し悪しを抜きに自主製作というスタンスを保持し自らの音楽世界を構築していった孤高の存在と言えるだろう。
キリエ・エレイソン(「主よ、憐れみたまえ」という意)は、オーストリアの首都“音楽の都”ウィーン出身でクラシック音楽の教育を受けたキーボーダーGerald Kramplを中心に彼の学友でもあったバンドの初代ドラマーKarl NovotnyとFelix Rausch(G)の3人によって1974年に結成され、前後してWolfgang Wessely(Vo)とGerhard Frank(B)を迎えて活動を開始。
地道にリハを積み重ね、曲作りから地元でのギグをこなしつつ、翌1975年にはMichael Schubert(Vo)、Manfred Drapela(G)、Norbert Morin(B)にメンバーが交代し、キリエ・エレイソンはこうして正式なラインナップが集う事となる。
各メンバー個々が嗜好する音楽性もジェネシスのみならず、VDGGからコロシアム、アモン・デュール、果ては同国のイーラ・クレイグ、オパスと多岐に亘り、大昔マーキー誌にて初めて彼等の作品が紹介された当初は“『怪奇骨董音楽箱』や『フォックストロット』期のジェネシスを彷彿させる作風ながらも、いかんせん自主製作に有りがちな詰めの甘さに加えて音が割れている” と、散々な言われようではあったが、今にして思えば…ただの単なるジェネシスの模倣・物真似的サウンドに陥る事無く、敢えて類似性を避けた点でも逆にプラスの方向に作用したと思えるのだが如何なものだろうか。
1976年に入ると彼等はシアトリカルなプログレッシヴをコンセプトテーマに、様々な人伝を頼りにデヴューアルバムの製作に奔走するが、自主盤デヴューで既に実績を持っていたイーラ・クレイグがフィリップスからメジャー再デヴューを飾ろうとして以外は、殆どの大手レコード会社は時代の空気に呼応した商業主義に移行…方針・方向転換を図っていた当時、誰しもが見向きする事なんぞ当然望むべくも無く、以前当ブログでも取り挙げたクロックベルク・オランゲが自費で製作した自主盤さながらのマスターテープをウィーンのCBS支社へ持ち込んで漸くプレスに漕ぎ着けたという事を、彼等自身も間接的に耳にしていた事を踏まえれば、大手メジャーへの不信感を募らせると共に、泣く泣く辛酸を舐める覚悟で製作に臨み、否応も無しに自主流通という手段に踏み切った事も頷けよう。
失礼ながらも…21世紀の現在ならたとえどんなプロはだしのアマチュアバンドやセミプロ・ポジションのバンドでも、最新デジタルの録音器材でいとも簡単にレコーディングし自らがプロ顔負けにミキシング編集出来るから、そんなひと昔前ふた昔前の自主リリースの苦労なんて浦島太郎の如き遠い昔話の様な隔世の感を抱いてしまうのは、我ながら綴っている自分自身ですらもそれだけ歳を取ってしまったという事だろうか(苦笑)。
ヨーロッパ大陸ならではの神がかったバンドネーミングも然る事ながら、アーサー王伝説に登場する魔術師マーリンの名を冠したセルフレーベルMERLINを発足し、ハミルの『Fool's Mate』を想起させる意匠にしてロジャー・ディーンとポール・ホワイトヘッドを足して2で割った様な摩訶不思議な魔法と神秘の世界を描いた、もう如何にもといった感のプログレッシヴ・ファン好みのアートワークに包まれた、待望のデヴューアルバム『The Fountain Beyond The Sunrise 』は、幾多もの苦難を乗り越えた末1977年の年明け1月早々にリリースされた。
冒頭1曲目の畳み掛けるように小気味良いギターのイントロに導かれメロトロンとリズム隊の哀愁を帯びたメロディーライン、そして極端なまでにゲイヴリエルを強く意識したヴォイスが絡み、最初こそ淡々と地味めな印象の曲調ながらも、徐々に聴き手をもグイグイ引き込んでいく説得力溢れる展開は彼等ならではの妙味すら抱かせる。
アルバムタイトルでもある組曲形式の大作2曲目は、物悲しさ漂うメロトロンチェロ(実際Gerald自身が弾いているチェロかもしれないが…)と乾いた音色のアコギに導かれ、徐々にバンクスさながらなオルガン始めキーボード群が奏でる圧倒的な音の洪水が最大の聴き処で、アルバム全曲中のメインとも言うべき好ナンバーに仕上がっており、Michael Schubertのゲイヴリエル愛に満ちた語りとも歌とも付かないヴォイス・パフォーマンスも面目躍如よろしくとばかりに冴えまくっている。
吹き荒れる夜の嵐のSEと寂寥感に彩られたピアノが切々と奏でられMichaelの悲哀の歌唱が印象的な3曲目も聴けば聴き込むほど陰影と深みを増していき、本家の“ファース・オブ・フィフス”とまでにはいかないにせよ、それに迫るかの様な泣きのリリシズムが際立っている佳曲と言えるだろう。
4曲目の大曲ラストナンバーも前出の大作2曲目に負けず劣らずなサウンド・スカルプチュアを構築・展開しており、まさしくラストナンバーに相応しい…演劇的に喩えるなら大団円とエンディングさながらの全編ジェネシス愛に満たされた本家へのリスペクトに終始応える様な頑なな姿勢とこだわりが何とも微笑ましい。
録音の質は今一つというマイナス面こそ否めないものの、自主リリースデヴューに甘んじながらも国内外で高い評価を得た彼等は、それを自信に励みとし次回作への準備を推し進めるが、ここで長年苦楽を共にしてきたオリジナルメンバーだったドラマーのKarlが脱退、更にはギタリストのManfredもバンドを去ることとなり、翌1978年に新たなドラマーOtto SingerとギタリストのGerhard Ederを迎えて活動を継続。
国内で数回ギグをこなしつつ2ndアルバムに向けた新曲作りに勤しんでいたが、結局ヴォーカリストMichael自身様々な諸事情でバンド活動を辞めざるを得なくなり、それを機にバンドは活動休止を余儀なくされ結果的にキリエ・エレイソンは表舞台から遠ざかり、あえ無く解散の道を辿る事となる。
その後キーボーダーのGeraldはもう既に御存知の通り1982年キリエ・エレイソンの流れを汲むINDIGOを結成し、再びプログレッシヴ・フィールドに返り咲き90年代半ばまで活動を継続するものの、2000年以降からは愛妻と共に設立発足したニューエイジ・スピリチュアルのプロジェクトAGNUS DEIで複数に及ぶCDをリリースし、以後クラシック、シリアスミュージックに原点回帰すると共に、ネオクラシカル・アンビエント、エレクトロニック室内音楽を作曲しつつコンポーザーとして国内外で高い評価を得て現在に至っている。
ちなみにGerald以外の他のメンバーのその後の動向にあっては、残念ながらネット社会という今日でありながらも現時点で全く分からずじまいで消息すらも掴めなかったのが何とも悔やまれる…。
余談ではあるが…現在、キリエ・エレイソン並びINDIGO、そしてGerald Krampl名義の作品は、1984年以降に発足した、Gerald自身のセルフレーベルINDIGOMUSICによって流布されており、加えて2004年にはイスラエルのMIOなるレーベルから24ビットデジタルリマスターが施された1000枚限定BOX仕様(当時のステージ/メンバー写真、歌詞、ジャケット、バイオ・グラフィー/INDIGO時代を含めたディスコグラフィー、ファミリー・トゥリー、Gerald Kramplによる回想録を掲載した詳細なブックレットが添付された豪華仕様)で『The Complete Recordings(1974 - 1978) 』がリリースされるも、現在は既に完売し入手困難となっている。
キリエ・エレイソン、クロックベルク・オランジェ…そしてオーストリアの代表格でもあったイーラ・クレイグがプログレッシヴ・シーンの表舞台を去り、以後オーストリアは巨匠とも言えるガンダルフのみが孤軍奮闘し、次世代を担うニューフェイス、ニューカマーの登場が待たれて幾久しくなるものの、近年漸くイーラ・クレイグ影響下のブランク・マニュスクリプト 、そして昨今注目株の若手ホープでもあるマインドスピーク といった新たな次世代の登場に、21世紀のオーストリアのプログレッシヴ・シーンは再び活気を取り戻しつつあるみたいだ。
心無い一部の輩からは“ただの一発屋”だとか“下手ウマB級プログレ”なんぞと誹謗中傷され、何とも不遇にして不遜な扱われ方見方をされてきたキリエ・エレイソンではあるが、そんな戯言やら陰口悪口に臆する事も怯む事も無く、今もなお名盤・名作として賞賛を得ているのは、きっと古き良き時代にあった温かみのある”手作り感覚あってこそのプログレッシヴ ”という名残を大事に留めているからではなかろうか。
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11,2020
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今週の「夢幻の楽師達」はポーランドの大御所にして唯一無比、ハンガリーのオメガと共に東欧プログレッシヴ黎明期の草分け的存在にして、共産主義という政治体制と闘いつつも自由たるものを求道し孤高の道程を辿った、プログレッシヴの鉄人“SBB(エス・ベー・ベー) ”を取り挙げてみたいと思います。
Józef Skrzek : Vo, Key, Syn, B
Apostolis Anthimos : G
Jerzy Piotrowski : Ds, Per
1969年、共産主義真っ只中の首都ワルシャワにて、Józef Skrzek、Jerzy Piotrowski、そしてギリシャ人の血筋を持つApostolis Anthimosの3人の若者達の出会いがSBB誕生の契機となった。
70年代東欧のプログレッシヴ・シーンにおいて、ハンガリーのオメガと並んでその一時代を築いたSBB。彼等の歩みこそ波乱に富んだポーランドの歴史と地続きだったと言っても異論はあるまい。
結成当初のバンド名の意、SBB=シレジアン・ブルース・バンド だったことから、当時のポーランド国内において西側諸国の退廃の象徴とも取られた“ロック”という言葉、代名詞の全てが制圧且つ弾圧されていた事も考慮して、極端な話…西側の情報が入って来る事もままならない状況下、彼等3人はブルースとジャズを演るグループとして自らを偽りつつも苦汁と辛酸を舐めさせられた次第である。
無論、彼等とて結成当初からブルースなんぞ演るつもりは毛頭無かったのは今更言うまでもあるまい。
結成してから2~3年近くは、一介のブルース・バンドとして、本来自らが目指す音楽への自問自答、試行錯誤を繰り返しつつもブルースという枠から逃れられない事への苛立ち・焦燥感に苦悩する反面、バンドの方向性への確立、模索・追求に費やされた。
幾数多のポーランド国内のシンガー系アーティスト、ジャズ・ミュージシャンとの共演、バック・バンドとしての活動に追われつつも、彼等にとって決定的な分岐点となったのは、ポーランド国内の絶対的存在にして東欧のボブ・ディランことCzesław Niemen(04年没) との劇的な出会いが運命を大きく変えたのは言うまでもあるまい。
彼等3人は2年間Niemenの専属バックとしてツアーにレコーディングに多忙を極め更なる時間を費やす事となるが、73年にNiemen自身からの助言で独立。
翌74年にワルシャワにて念願の単独ライヴを収録した『SBB 』でデヴューを飾る次第である(後年、母国ポーランドのMetal Mindなるレーベルから、デジパック仕様で再発されるが、通常リリース盤ともう一つ、完全にライヴを収録した2枚組CDによるスペシャル盤が現時点で確認されている)。
そして同時に彼等SBBはシレジアン・ブルース・バンドという意から…S EARCH(探求)、B REAK(破壊)、B UILT(構築) という3つの言葉を結合させた意へと変貌を遂げたのである。
ただ悲しいかな…記念すべきデヴュー作もジャズ、ブルース、エレクトロニクスといった様々な音楽要素を詰め込み過ぎて統一感に欠けるといった嫌いがあるのも事実だった。
翌年、初のスタジオ収録作となる2nd『Nowy Horyzont 』にて、前作の無駄な部分を削ぎ落とし更なる進歩の跡を見せ、続く3rd『Pamięć 』で漸く独自のSBBサウンドの礎たるものを確立させ、ポーランド国内外でも確固たる地位を築く事に成功する。
そして翌77年に妖精物語をモチーフにした彼等の初期の傑作『Ze Słowem Biegnę Do Ciebie 』をリリース以降は文字通り彼等の黄金時代の到来である。
翌78年には旧チェコスロバキアのみリリースされた5th『SBB 』にて改めて初心表明の如き原点に立ち返ったアプローチを試み、同年旧西ドイツに渡りインターコードよりワールドワイド向けに6th『Follow My Dream 』と立て続けにリリースする次第である。
が、実質的なワールドワイド成功の王手を決めたのは、続く79年同じくインターコードよりリリースされた『Welcome 』であるのは最早言うまでもあるまい。若干ダークな雰囲気で一見した限り引いてしまいそうな装丁ではあるが、SBB70年代の総決算にして頂点とも言える最高傑作と言っても差し支えあるまい。
ここまでの作品に至るまで、終始一貫してSkrzekの力強くもどこか幽玄的で儚い哀愁感漂うシンフォニックなキーボード・ワークに、Anthimosの刻むどこかしら異国情緒とエキゾチック感溢れるギター、Piotrowskiの堅実且つ的確なテクニックに裏打ちされたドラミングといった、強固で絶対的にして絶妙なバランスのトライアングルで歩み続けて来た彼等のスタイルは、同じトリオ編成のEL&P、トリアンヴィラート、オルメ、SFF、ラッシュ…等とはまたひと味ふた味も違ったロック・ミュージックの醍醐味とダイナミズムをも堪能させてくれた事は紛れもない事実である。
しかし…80年代に入ると、SBBにも大きな変革の波が押し寄せて来る。Anthimosに次ぐ新たなギタリストSławomir Piwowar加えた4人編成で臨んだ久々の母国ポーランドでの録音となった8作目『Memento Z Banalnym Tryptykiem 』は80年代を迎えた最初の作品で、意欲作且つ傑作にして渾身の一枚ながらも、事実上彼等の信頼関係にある種の破綻をきたした最終作となった次第である。
それと前後して中心人物のSkrzek自身のソロ『Pamiętnik Karoliny』(1979)と『Ojciec Chrzestny Dominika』(1980)が国内外にてセールス好調であった事も一因していた。
こうして『Memento~』にて自分達の演りたい事は全て出し尽くした感を悟った彼等はバンドの解体を決意。
Skrzekはその後国内にてソロ活動と併行して映画や舞台の音楽製作に携わる傍ら、ポーランド国内のアーティストとのコラボ、後進アーティストの育成と指導に尽力を注いでいた。
Anthimosはポーランドとアメリカを股にかけECM系のアーティスト並び、パット・メセニー・グループとの共演で独自のソロ活動に移行。
PiotrowskiはSBB解散後、SBBとは全く畑違いなポップ系のバンドを渡り歩き商業ベースな路線へと活路を見出したとの事。
そして…ポーランド国家自体も永きに渡る共産・社会主義時代が崩壊し終焉を迎え、民主主義の道へと再び歩み始めると同時に、プログレッシヴ・シーンもコラージュの一派(サテライト、ビリーヴ…等)を始めとする、リザード、クィダム…etc、etcといった新世代のメロディック系シンフォが続々と台頭し活況著しい昨今となった事はよもや説明不要であろう…。
90年代に入ってからは、SBBの過去のライヴ含むアーカイヴ音源が続々と発見され、Skrzek監修の許で雨後のタケノコの如く続々とCD化が進められつつも、一方でSkrzekの脳裏にSBB再編という青写真も出来つつあった。
それに呼応するかの様に、ギタリストのAnthimosが再びSkrzekと合流し、新たなドラマーにパット・メセニー・バンドと併行するPaul Werticoを迎えて、22年振りの2002年大手のポーランドEMIに移籍して、再結成第一弾『Nastroje 』を発表し21世紀版SBBサウンドを確立させ、更に3年後の2005年『New Century 』をリリースし益々脂の乗った円熟味と大ベテランの域の滋味たるものを感じさせ、その健在ぶりをアピール知らしめ、ヨーロッパとアメリカにてツアーを敢行し大盛況のもと成功を収めている。
しかし…これだけ恵まれた製作環境が整ったにも拘らず、ポーランドEMIからリリースされた新たなアプローチを試みた筈の新路線が思っていた以上の評価が得られず、流石にこれにはSkrzekとAnthimos、並び長年の多くのファンの間では“ダイナミズムに欠けるきらいがある”といった不満が鬱積し、それ以後EMIとの契約も切れ加えて新ドラマーのPaulが抜けてしまった事がバンド休止に更なる拍車を掛け、SBBは再び2年近く沈黙を守る事となる。
相も変わらず蔵出しのライヴ・アーカイヴ音源に至っては立て続けに好セールスを上げるものの、肝心要のバンド本隊は停滞気味といった感で、正直もはやこれまでか?といった憶測も流れるといった始末である。
が、そんな暗中模索と自問自答の如き停滞は、新たなドラマーであるGabor Nemethを迎え、2年後の2007年に新興のMetal Mindからリリースされたバンドの原点回帰を彷彿とさせる、ヘヴィ&シンフォニックに立ち返った『The Rock 』で新たな光明を見い出す事となる。
(ジャケットから察するに、岩=Rockとロックを掛け合わせた…まさしく我々はロックバンドである!という初心表明の表れと思っても差し支えはあるまい)
以降09年の『Iron Curtain 』、『Blue Trance 』(2010)、『SBB 』(2012)、そして2014年にオリジナルドラマーのJerzy Piotrowskiが再び合流してからは『Za Linią Horyzontu 』(2016)、『FOS 』そして『Sekunda 』(両作品とも2019年リリース)という破竹の勢いで意欲的な作品を立て続けにリリースし、特筆すべきは3人のオリジナルメンバーが集結して以降は、作風並びアートワーク総じてあたかも原点回帰を思わせるスタイルに立ち返った姿勢は(失礼ながらも)老いても尚創作意欲の衰えを感じさせない確固たる信念と情熱でポーランドのシーンをリードしている生き様と健在ぶりに、私自身心から拍手を送りたい次第である。
結成・デヴュー、一時的な解散…そして再編を通して実に40年以上ものキャリアを誇るSBBではあるが、70年代のあの政治体制に拮抗するかの如く熱く燃えていた彼等ではあるが、あの当時が音楽を通した闘いであったならば、現在の彼等は精神性こそ不変ではあるが、セールス云々を抜きに心の底から音楽を楽しみ創造しようという…良い意味でベテランのロックおじさん的な、自由・平和を勝ち取った者でしか味わえない、余生への楽しみというのは少々穿った言い方であろうか…。
あとは…少なからずも私自身、否!他の大勢のSBBファンにとって彼らの来日公演を是非共切望したい限りである(そうでしょ!?クラブチッタさん)。
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14,2020
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今週お送りする「一生逸品」は、アメリカン・プログレッシヴの隠れた至宝として、かのカテドラルやイエツダ・ウルファと共に隠れた名作・名盤として誉れも高い、深遠なる抒情と荘厳なる幻想を謳い奏でる北米大陸随一のロマンティシズムの申し子“クィル ”を取り挙げてみたいと思います。
QUILL/ Sursum Corda(1977)
1.First Movement
i)Floating/ii)Interlude/iii)The March Of Dreams/ iv)The March Of Kings/
v)Storming The Mountain/ vi)Princess Of The Mountain/
vii)Storming The Mountain-Part II
2.Second Movement
i)The Call/ii)Timedrift/iii)Earthsplit/iv)The Black Wizard/ v)Counterspell/
vi)The White Wizard/vii)The Hunt/viii)Rising/ ix)The Spell/
x)Sumnation/xi)Finale
Jim Sides:Vo,Ds, Per
Ken Deloria:Key
Keith Christian:B, Ac-G
21世紀の今日…イギリス含むヨーロッパ諸国と肩を並べる位のプログレッシヴ・ロック大国となった感のある北米大陸アメリカ。
今なら躊躇したり迷う事無く声を大にして言える文節ではあるが、これがもうひと昔ふた昔前の前世紀ならユーロ・ロック偏重主義めいた熱狂的信者達(所謂マニアックでコアなファン)から確実に“何を血迷った馬鹿な事を!”と袋叩きに遭っているかバッシングの雨嵐に晒されていた事だろう(苦笑)。
それこそ何度もこの本ブログで言及してきたので恐縮だが「アメ公なんぞにプログレなんか出来っこない!」と、あたかも差別主義丸出しの如く偏った認識と誤解で、アメリカン・プログレッシヴ(当時でいうアメリカン・ニューウェイヴ)が貶められていた…否!二番煎じみたいな過小評価をされていたと言った方が正しいだろうか。
そんな受難めいた時代も今となっては遥か遠い昔の思い出話の様に一笑に伏されるのだから不思議なものである。
前置きが長くなったが、カナダを含む北米大陸のプログレッシヴ・ムーヴメントは、1975年を境に大メジャーな商業系流通ルートに乗じて一躍時代の寵児になった感のカンサスやらボストンを皮切りに、スティックス果てはHR系のファンから支持を得ていたラッシュに準じて、大きな知名度を得ながらも自国のレーベルから地道に作品をリリースしていたイーソス、パヴロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、スターキャッスル、ディキシー・ドレッグス、カナダからはモールス・コード、マネイジュ、サーガといった、本家ブリティッシュ並びヨーロピアンの洗礼を受けながらも北米大陸という自国のアイデンティティーとイマジネーションが融合・昇華した独自のスタイルと礎が漸く結実した、文字通りアメリカン・プログレ真の出発点だったと言えないだろうか…。
そんな1975年から1978年までのアメリカン・プログレ隆盛期のさ中、アンダーグラウンドな規範で自主リリースせざるを得なかったイエツダ・ウルファ始め、バビロン、カテドラル、ペントウォーター、イースター・アイランドといった単発組と同期的存在だった本編の主人公クィルは、1975年カリフォルニアでドラマー兼ヴォーカリストのJim Sides、キーボーダーのKen Deloria、ベーシストのKeith Christianの3人によって結成された。
プログレッシヴ・ロックの定番ともいえるキーボード・トリオスタイルの彼等が創作する音楽世界には、彼等が生まれ育ったホームタウンとも言うべき…太陽が燦々と降り注ぐ陽気なイメージがすっかり定着した感のカリフォルニアという街には(良い意味で)余りにも似つかわしくない、当時の商業路線やら売れ線音楽とは一切無縁な、EL&P始めジェネシス、イエス…といったブリティッシュの先人達から受けた多大なる影響を物語るかの様に、ユーロピアンナイズに裏打ちされたロマンティシズムとトールキンの『指輪物語』にも相通ずるファンタジック・ノベルをも彷彿とさせる壮大にして幻想的、抒情、耽美、リリシズムといったプログレには必要不可欠な要素が完全揃い踏みの、頑ななユーロ・ロック偏愛な愛好家の方々にも有無をも言わせぬ位に納得出来るだけのインパクトを与えるであろうと言っても過言ではあるまい。
作風そのもの自体もEL&P系のフォロワーというよりも、やはりゲイヴリエル在籍時の初期ジェネシスから強い影響を感じさせ、キーボーダーのKenのスタイルは御大のキース・エマーソン影響下というよりも、むしろリック・ウェイクマンやトニー・バンクス辺りのセンスに近く、オルガンプレ
イひとつ取ってもキースの様な熱血ゴリ押し力技的な体育会系では無く、音楽世界の繊細な物語を紡ぐ文学系でアカデミックなトニー・バンクスの奏法をも彷彿させる。
歌うドラマーという点では大半はフィル・コリンズを連想されるかもしれないが、歌唱法においてはやや線は細いがやはりゲイヴリエルを意識したところが散見出来て同国のバビロンに近いシンパシーを覚えつつも、敢えてシアトリカルな要素を極力抑えた辺りに同じジェネシス影響下バンドながらも差別化を図っているところが面白い。
余談ながらも彼等の作風と路線は後々に登場する同国のノース・スターに受け継がれていくという事も付け加えておかねばなるまい。
地元カリフォルニアを拠点にロッククラブやライヴ・スポットでの地道な演奏活動が実を結び、彼等3人は76年末から77年初頭にかけて、現時点での唯一作『Sursum Corda 』(Lift Up Your Heartという意 )をレコーディングするが、まあ…この当時のプログレッシヴを巡る業界のよくある話、本来リリースする予定だった配給元の様々な諸事情で結局とどのつまりがテストプレス1枚のみ製作されただけでマスターテープは長年お蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
旧アナログLP時代のA面とB面を偲ばせるかの様に、“First Movement”と“Second Movement”といったそれぞれ組曲形式の全2曲という大作主義を貫いている辺りに、ブリティッシュとヨーロッパのプログレッシヴが持つ浪漫と美意識に少しでも近付きたいという並々ならぬ意欲すら感じ取れるのが何とも意地らしい。
リリシズム溢れる端整で瑞々しいピアノの調べに導かれ英雄物語を思わせる幻想絵巻は幕を開け、イエスの“ラウンドアバウト”を思わせるイントロの2曲目では最早アメリカンな要素は殆ど皆無なジェネシス+エニドをも彷彿とさせるシンフォニックな怒涛の波に、聴く者の脳裏はいつしかハリウッ
ドのファンタジームービーさながらのイマジネーションに魅入られている事だろう。
『Sursum Corda』がお蔵入りになったという憂き目に遭っても、彼等は決してめげる事無く精力的にライヴサーキットをこなし、78年初頭に続く2作目の予定作として『The Demise Of The Third Kings Empire』をレコーディングし、時代の波の移行と共に商業路線のヒットポップスやらディスコミュージックばかりがもてはやされる厳しい時代に於いて、年に20回以上ものライヴを懸命にこなしていくものの…バンドは80年代という新しい時代を迎える事無く79年の秋に活動の限界を迎え、未発の2作品のマスターテープを残しつつ泣く泣くバンド活動の無期限停止を余儀なくされるのであった。
その後、JimとKenは大手オーディオ・メーカーのアポジィとして、Keithは楽器ショップ勤務という各々がそれぞれの仕事に就きつつひたすら地道に各個別の創作活動を続けていくものの、まさしくバンド時代の頃とは比べ物にならない位の地味で目立たない活動に移行し、恐らく彼等3人とも表面では平静を装ってはいたものの内面では相当なフラストレーションが蓄積していたのではなかろうか。
時代は再び移り変わり…80年代後期を境にアメリカのプログレッシヴ・ムーヴメントは大きな転換期を迎えつつあった。自主リリースよるニューカマーの台頭及び、プログレッシヴ専門のレーベルSyn-Phonicの発足でイエツダ・ウルファやカテドラルといった稀少なレアアイテム級の名作再発を皮切りに、アメリカン・プログレ再興の波はそのまま一挙に怒涛の如く90年代へと雪崩れ込み、アメリカのみならず世界各国のプログレッシヴ・ファンにとって大きな力強い礎へと躍進して行ったのは言うには及ぶまい。
その同時期にクィルのドラマー兼シンガーでもあったJimの結婚で、KenとKeithが再び祝いの席にてめでたく再会となり、彼等のテストプレス止まりの唯一作だった『Sursum Corda』も、めでたくSyn-PhonicレーベルからCD化再発が決定し、この二重の喜ばしい出来事を契機に3人は再びバンド再結成へと動き出す。
ちなみに再発CDリリースに先駆けて初回特典は限定500枚プレスの見開きLP盤サイズの紙ジャケットにブックレット付きというプログレ・ファンなら泣いて喜ぶ大盤振る舞いと言えよう。
そして、かねてからSyn-Phonicサイドからの要請で1993年5月にUCLAのRoyce Hallで開催されるプログレッシヴ・フェスへの出演依頼を快諾し、カラバンはじめナウ、ジャム・カレット、シタデル、エコリンといった当時の新進気鋭達との競演を果たし、聴衆からの大喝采を背に受けて見事に復活劇を果たす事となる。
…と、ここまでが私自身把握しているクィルの全容といったところである。
本来であれば、この後彼等は同1993年秋頃にお蔵入りになっていた2nd『The Demise Of The Third Kings Empire』を再レコーディングするという予定まで組まれていた筈なのだが、21世紀に入った現在…20年以上経っても未だ新作リリースのアナウンスメントすら聞かれない今日この頃である(苦笑)。
彼等と同様に作品が発表されないまま表舞台から消えていったハンズも、90年代半ばの再発リリースを機に再結成し現在でも精力的に活動し、右に倣えとばかりにイエツダ・ウルファやペントウォーターといった70年代の単発組までもがこぞって再結成~活動再開を遂げ、あの悪夢の様な当時苦汁と辛酸を舐めさせられたアメリカのかつてのベテラン勢の躍進には兎にも角にも目を見張るものがある…。
今この北米大陸で起こっている沈黙の如き静かで大きなプログレ再興の波に乗じて、再びクィルが幻想物語を語る日が来る事をただひたすら信じて待ち続けたいところだが、それこそ何度も言及している通りまさしく“神のみぞ知る”といったところだろうか…。
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18,2020
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今週の「夢幻の楽師達」は、70年代スカンジナビアン・ロック黎明期の雄でもあり、ノルウェーのロック史にその名を刻むまさしく伝説という称号に相応しい、今もなお絶大且つ数多くもの根強い支持を得ている“アント・マリー ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
AUNT MARY
(NORWAY 1969~)
Bjørn Kristiansen:G,Vo
Svein Gundersen:B,Piano,Vo
Kjetil Stensvik:Ds,Per,Vo
Bengt Jensen:Key
ノルウェーの伝説的且つスカンジナヴィアン・ロック黎明期の草分け的存在でもあるアント・マリー。
彼等の結成の経緯は21世紀の今もなお定かではないものの、後年の公式ウェブサイトから察するに1969年2月に結成されたという以外は残念な事にバンド自体のバイオグラフィーに至っては少なくも乏しい資料しかないため細部に至るところまでは不明であるが、ある程度判明している事として…結成からアルバムデヴューに至るまでの間は、度重なるメンバーチェンジを始め、極々限られた運営資金を元手に北欧並び西欧果ては中東イスラエルといった遠方にまでギグを行い紆余曲折と失意と不遇の日々を過ごしたりと、まあ…枚挙に暇が無いと言った方が正解だろう(苦笑)。
無論バンド結成当初は所謂時代の流行に乗ったビート、サイケ、ソウル、ブルースをベースにしたポップ&ロックを演奏しており、おおよそガチガチのプログレ・シンフォ系のファンからすれば、下手すりゃそっぽも向きかねない作風ではあるが、 あの古き良き時代の独特の空気が好きな方々には好まれるサウンドではなかろうか…。
1970年のアルバム・デヴュー前にシングル『Did You Notice?/The Ball』(デヴューアルバムにも収録されている)をリリースし、その半年後に自らのバンド名を冠した1st『Aunt Mary 』で大手のポリドールからデヴューを飾る。
ちなみにデヴュー当初のラインナップはJan Leonard Groth(Key,G,Vo)、Per Iver Fure(Flute,Sax,Harmonica,Vo)、Svein Gundersen(B,Vo)、Bjørn Kristiansen(G,Vo)、Kjetil Stensvik(Ds,Per,Vo)の5人編成で、前述の通り時代を象徴したサイケデリック色の強いビート・ポップス&ブルース・ロックを演っていて、好き嫌いの差はハッキリと分かれると思うが、古色蒼然としたクラシカルな響きのオルガン、独特の浮遊感が漂うフルートに、オーケストラ、ブラスセクションをバックに配したデヴュー作にして豪華な内容になっている。
デヴューから程無くして彼等5人はノルウェー国内及び北欧諸国にてツアーを行うが、1年も満たないうちに音楽的な嗜好と意見の食い違いが生じ、結果的に同年秋にフルート兼サックスのPerが抜け、バンドは暫し残された4人で活動を継続しギグに明け暮れる事となる。
その後ディープ・パープル始めジェスロ・タル…等との共演を経て大いに触発された彼等は(リッチー・ブラックモアからのサジェッションが大いに拍車をかけたみたいだ)、サウンド面でも徐々にヘヴィロック、プログレッシヴなスタイルへとシフトしていく事となり、ノルウェー国内に於いても最強のロックバンドとして称賛され『Jimi, Janis And Brian 』そして『Rosalind 』といったヒットシングルを立て続けに連発していくが(ちなみに『Jimi, Janis And Brian』は薬物を礼賛しているからといったくだらない理由でイギリスBBCラジオが放送禁止ソングにしてしまったそうな)、もともと敬虔なクリスチャンだったキーボーダーのJan自身、音楽と自身のライフスタイルや信念を組み合わせるのはますます困難であると悟り1972年春にバンドを去る事となる。
余談ながらも当時この4人でスウェーデンのラジオ局の音楽番組に出演した際、この時収録されたスタジオライヴの音源が後年2009年にCDリリースされたのは既に御周知の事であろう。
残された3人は新たなキーボード奏者としてBengt Jenssenを迎え再出発を計り、ポリドールからフィリップスへと移籍し度重なるリハーサルを繰り返し、曲作りに没頭し72年に2nd『Loaded 』をリリースする。
作風自体もツェッペリン、パープル、ユーライア・ヒープといった当時のブリティッシュ・ハードロックに触発された、ややプログレッシヴ寄りの硬派なハードロックへと変貌を遂げており、事実2ndの本作品はノルウェー及び北欧諸国でベストセラーを記録し、本家本元のイギリス始めドイツやオランダからも注目され始めたのは言うまでもない。
現在でも北欧ロック史に残る最高傑作の一枚として、聴く人によっては第2期パープルにキース・エマーソンが加わった様なサウンドと評する向きもあるが、それは当たらずとも遠からじであろう。
上がり調子の彼等は慢心する事なく、バンド自体も更に創作意欲を高めて大々的にモーグシンセサイザーを導入し、翌1973年遂に文字通りの最高傑作にしてプログレッシヴとハードロック両方面のファンからも圧倒的支持を得ている、ヘヴィ・シンフォニックの不朽の名作にして今もなお名盤と名高い3rd『Janus 』をリリース。
クリムゾンの“21st Century~”を彷彿させるイントロダクションに導かれる12分強のヘヴィ・シンフォ組曲始め、バンコやEL&P、ナイスからの影響下を思わせるような曲…等、さらに多彩(多才)な面を強く打ち出した意欲作にして野心作でもある。このまま本格的に世界進出を果たすのかと思いきや「自分達のやるべき事は全てやりつくした…!」と言わんばかり、僅か数回のギグを経て何事も無かったかの如く静かに表舞台を去りアント・マリーは僅か4年の活動を経て自らの幕を降ろした次第である。
それ以降アント・マリー名義としての表立った動きこそ無かったものの、翌74年には2枚のベストアルバムがリリースされ、同年秋以降からは年に一度のペースでBjørn Kristiansen、Svein Gundersen、そしてKetil Stensvikによるトリオ編成でキーボード奏者不在ながらもリユニオンライヴを敢行し、1982年にはオリジナルキーボード奏者のJan Leonard Grothが再びバンドに合流してリユニオンなスタイルで年中行事の如く開催していくものの、2012年ベーシストのSvein Gundersenの引退を機にバンドは大きな変動を見せ始め、Sveinの後任に70年代同じく苦楽を共にしてきたベテランバンドHØST からBernt Bodalが加入し、翌2013年には癌が見つかったJan Leonard Grothが闘病の為バンドを辞める事となり後任にGlenn Lyseを迎えて活動を継続し、と同時に一時的な解散から実に40数年ぶりの新作リリースに向けたリハーサルとレコーディングに着手する事となる。
惜しむらくは翌2014年に癌との闘病の甲斐無くJan Leonard Grothが逝去し、新作録音準備のさ中にはドラマーKetil Stensvikにも癌が見つかり翌2015年4月にはKetil自身も帰らぬ人となってしまう。
それでもBjørn Kristiansen、そしてBernt Bodalを中心に亡き友への弔い合戦の如く不幸に臆する事無く新作レコーディングは着々と進められ、ヴォーカリストのGlenn Lyse、ドラマーにOle Tom Torjussen、キーボードにOla Aanjeを迎えた5人編成の布陣で2年の歳月をかけ2016年待望の新譜『New Dawn 』をリリース。
現在オリジナルギタリストのBjørn Kristiansenを筆頭にBernt Bodal、Ole Tom Torjussen、Ola Aanje、そして2018年春にヴォーカリストがGlenn LyseからMorten Fredheimに交代し、昨年2019年にはアメリカとメキシコのツアーを敢行し今もなお現役バリバリの第一線で気を吐き続けている昨今である。
こうなってくると俄然待望の初来日公演の可能性にも大いに期待したいところだが、先ず今は何よりも彼等に対する思いとして…決して諦めずに信ずれば夢と希望は必ず叶うという事であろうか。
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20,2020
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今週の「一生逸品」を飾るは、北欧随一の(ECM系含む)ジャズロックのメッカともいえるフィンランドより、自国のロックシーンを長きに亘り彩ってきた名うてのベテラン・プレイヤーの猛者達が集結した、北欧プログレッシヴ・ジャズロックの頂点にして至高の極みすら窺わせる、70年代後期のスカンジナビアン・ムーヴメントを飾る名作・名盤として誉れ高い、神髄にして真髄の唯一無比なる存在と言えるであろう“グループ ”に、今再び眩いスポットライトを当ててみたいと思います。
THE GROUP/ The Group(1978)
1.Thai
2.Ripple Marks
3.Berenice's Hair
4.Gado Gado
5.Annapurna
Olli Ahvenlahti:Key
Pekka Pohjola:B
Seppo Tyni:G
Vesa Aaltonen:Ds
さてフィンランドの一生逸品な一枚ものからセレクトしようと思い立ったは良いものの、大御所クラスのウィグワム始めタサヴァラン・プレジデンティ、ハイカラ、フィンフォレスト、果てはタブラ・ラーサといった割と名の知れた存在はユーロロックファンの間ではポピュラーな部類で流通しているものの、一枚っきり出して解散ないし停止したバンドともなると極々最近の発掘物を含めて些か複雑怪奇な様相だから、前述の言葉通り一枚ものを選ぶというのは兎にも角にも至難な業というのが正直なところである。
ニムバスを始めノヴァ、ファンタジア、カーモス、セッション、そしてスカパ・フロウ…概ねこの辺りがフィンランド一枚ものの秀作といった手合いであるが、考えあぐねた結果…それならば「一生逸品」でいつかは是非取り挙げねばと絶好の機会を窺っていたウィグワムを抜けた国民的音楽家Pekka Pohjola、そしてタサヴァラン・プレジデンティを経て一時期かのメイド・イン・スウェーデンにてドラマーを担当しフィンランドに帰国したばかりのVesa Aaltonenによって結成され、たった一枚の唯一作をリリースし解散した後にPekka Pohjola BANDへと発展形を遂げる礎ともなったグループに白羽の矢を当てた次第である。
ウィグワム在籍時と併行してソロマテリアル『Pihkasilmä Kaarnakorva』、そして『Harakka Bialoipokku』をリリースして以降、73年にウィグワムの4作目にして最高傑作『Being』を最後にバンドを抜けたPekka自身、最高作でもある『Keesojen Lehto』をリリースする一方で、ジャズロック・プロジェクトのUNI SONOで共演したキーボーダーOlli Ahvenlahtiを誘い、最後に選出したメンバーとしてPekka自身旧知の間柄で後にPekka Pohjola BANDのギタリストを務める事となるSeppo Tyniによる基本的な4人編成によるラインナップでスタートを切る事となる。
フィンランドを代表する名うての強者プレイヤー達が集結した…ある意味かの英国のUK(まあ後のエイジアも然り)を意識したかの如く、フィンランド国内の音楽プレス誌始め各方面のメディアはこぞって、名実共にスーパーバンドが誕生したと銘打って、グループに寄せる未知なる期待のみならず当時世界中を席巻していたプログレッシヴ・ムーヴメント停滞という負の連鎖を打破してくれる大きな原動力に繋げたい一心で、彼等を称賛し大々的な支援へと持ち上げたのは言うには及ぶまい。
余談ながらもグループというバンドネーミングにまつわる…虚々実々というか真偽の程は定かではないものの、当初はPekkaを始めとするバンドメンバー4人の連名のみでリリースするか、或いはそもそも音楽を創作するチームにバンドネーミングって必要なのか?と芸術家肌なPekkaらしいごもっともな意見と疑問から名前無しバンドのままリリースしようという半ば悪い冗談めいた案すら提示されたものの、リリースサイド大許でもあるワーナー側がそれでは困るといった、まあそんなすったもんだの末…結局Pekkaサイドが折れて、半ばやっつけ仕事というかヤケクソ気味に極々単純明快にグループと命名したそうだが…その真実は如何にといったところである(苦笑)。
ジャケットアートも神秘な趣を湛えたピラミッドの頂点に輝く一筋の光明になりたいといった意味合いすら感じられるものの、一見するとジャーマン・エクスペリメンタル的にも見えるし、アメリカのフリーメイソンのシンボルっぽく見まがいそうな変な誤解感を与えてしまいかねない…出来る事ならジャケットの意匠はもうひと工夫欲しかったと思えてならないのは私を含めた聴き手側の我が儘なのであろうか。
本作品のサウンド全体としては、かつてのウィグワムないしタサヴァラン直系のプログレッシヴ・ジャズロックなフィーリングが根幹にあるのも然り、彼等が敬愛して止まないリターン・トゥ・フォーエバー、そしてウェザー・リポートといったクロスオーヴァーサウンドに追随するかの様なワールドワイドな視野をも見据えた…軽快で疾走感に溢れ、ECMにも相通ずる北欧ならではのイマジンとリリシズムが脳裏をよぎるといった、プログレッシヴ下火ともいわれた当時に於いて時代相応の表現と語法を身に付けたモダンなジャズ・ロックと捉えた方が差し支えあるまい。
所謂、当時で言われ始めた“フュージョン”系の部類ではあるが、商業路線に走りファッショナブルなムードミュージックへと地に堕ちた連中とは違い、彼等4人の音楽世界はあくまでプログレッシヴな方法論を守り続けたジャズ・ロック/クロスオーヴァーへと昇華していった事に他ならない。
実力全開でオープニングを飾る冒頭1曲目から彼等の面目躍如たる片鱗が垣間見え、軽快でスピード感満載なけたたましく強打されるドラミングに導かれ、ザ・グループの華々しいショータイムは幕を開ける。
タイトル通りの東洋的なオリエンティッドな空気と人々の雑多な息づかいすら感じられ、押しと引きのバランスといった緩急自在な曲構成と展開に圧巻・圧倒されると共に、当時そんじょそこらのポッと出の一介のフュージョン・バンドなんぞとは比べものにならない位の高水準なハイテンションとテクニカルさに、聴き手はあたかも先制のカウンターパンチに見舞われ溜飲の下がる思いに捉われる事必至であろう。
Olli奏でる詩情溢れるピアノの響きが印象的なイントロダクションの2曲目も素晴らしく、ジャズィーな趣を湛えながらもやはり時折ロックなスピリッツすら垣間見せ、スローテンポでメロウな雰囲気を醸し出しながらもアーバンな佇まいや北欧のナチュラルな映像美すらも想起させる本作品中ラスト曲と並ぶ聴き処満載な好ナンバーと言えよう。
Pekka のベースプレイも然る事ながら追随するかの様なSeppoの泣きのギターが実に冴えまくっている。
いきなり唐突に炸裂するサウンドの拡がりにややアメリカンな趣すら感じさせる3曲目は、一見ミスマッチを思わせる様な意外性を孕みながらもやはり要所々々で北欧のリリシズムというスパイスの効いた、ハートウォームでどこか人懐っこく、良い意味で陽気なファンキーさが隠し味になっていて、改めてPekkaとOlliの音楽嗜好の懐の幅広さとコンポーズ能力の高さには感服する思いですらある。
ある種の緊迫感すら伝わって来る4曲目にあっては、エッジの利いたバリバリ変拍子全開な硬派で骨太なこれぞ北欧ジャズロックの真髄たるものが存分に堪能出来る、オープニング1曲目と双璧を為す出来栄えを誇っている。
収録された全曲中、長尺なラストナンバーの大曲ともなると、もはやジャズロックだのクロスオーヴァー云々だのすらをも超越した、まさしく70年代北欧プログレッシヴ&ジャズロックの完成形にして頂点ともいうべき集大成さながらに、タイトル通りのネパールの山々の頂或いは神々の懐に抱かれ身を委ねるかの如き、聴き手の意識と感情は異国の山脈と紺碧の天空へ飛翔すると言っても過言ではあるまい…。
スタッフを含め周囲からの期待を一身に受け、鳴り物入りで堂々たるデヴューを飾ったグループであったが、プログレッシヴ・ロックなのか?フュージョンなのか?といった賛否やら物議を巻き起こしながらも、ウィグワム時代からの古いファンからはそっぽを向かれ、流行に敏感な新たなファンからは賞賛で迎えられるといった両極端な塩梅ではあったが、セールス面は上々の成果でリリース直後のフィンランド国内ツアーでは拍手と喝采を浴び、次回作への構想やら新曲の準備も併行して進められていたものの、聴衆や周囲のスタッフからの期待を余所にバンド自体は思惑とは裏腹にキーボーダーのOlliが精神的な疲弊に悩まされ、輪をかけるかの様にバンドを逼迫する財政難が彼等を追い詰め、結果的にOlli Ahvenlahtiが惜しまれつつバンドを去る事となり、残されたPekka始めSeppo、Vesaの3名はグループ名義での活動並びマテリアルの一切を放棄し、Pekka主導の許で心機一転Pekka Pohjola BAND にシフトして生まれ変わり再スタートを切る事となる。
その後のPekkaの活動にあっては御周知の通り、ベーシストのみならずマルチプレイヤーへと転向し…ロック、ジャズ、ニューエイジへとジャンルの垣根を越えた多岐に亘る創作活動で本領発揮とばかりに自ずと才気を発揮し(かつてのチームメイトSeppo並びVesa両名の出入りの変動こそあったものの)、『Visitation』始め『Urban Tango』、『Everyman』、『Space Waltz』そして『Changing Waters』といった屈指の傑作と名曲を多数を連発し、迎えた1995年にはフィンランド大使館賛助・協賛による最初で最後の初来日公演を行い大成功を収め(当時マーキー誌のインタヴューで、『Keesojen Lehto』のレコーディング中ゲスト参加したマイク・オールドフィールドと大喧嘩して以降犬猿の仲になってしまい、その話に及ぶや否や“アイツまだ生きてんのかよ!”といった悪態を突いてスタッフを凍りつかせたのは有名な話)、その後に於いても97年の『Pewit』、そして2001年の(最後の遺作となった)『Views』リリース後の翌2002年突如のPekka急逝の悲報が全世界中を駆け巡り、彼の栄光と伝説…そして音楽世界と創作の大海への長い旅巡りはこうして静かに幕を下ろす事となる…。
Pekka逝去から早18年、彼の遺した大いなる音楽遺産の素晴らしさは今もなお時代と世紀を越えて語り継がれ、今やフィンランド音楽界の偉人として讃えられている昨今、ウィグワム時代での名演含めソロアーティスト&バンドプロジェクト名義が殆どリイシューCD化され、肝心要のグループにあっては2017年に漸くリイシュー化され陽の目を見るといった吉報が届いたのは記憶に新しいところであろう。
ボーナストラックが収録されたCD2枚組仕様となっており、次回作の為に収録されたであろうシベリウス・アカデミーオーケストラとの共演による未発表曲が収められた、改めてPekkaファン垂涎のマストアイテムであると言っても異論はあるまい。
当時、時流の動向が好転に向かっていれば、グループとてまだまだ大いなる可能性と飛躍が見込まれていたと思うのだが、今となっては天に召されたPekkaと神のみぞ知るといったところであろうか…。
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26,2020
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5月最終週にお送りする「夢幻の楽師達」は、80年代ジャパニーズ・プログレッシヴシーンの牽引を担ったと言っても過言では無いネクサスレーベルから世に躍り出たノヴェラ、アイン・ソフ、ダダ、美狂乱、ケンソー、ジェラルドに追随するかの如く、90年代にクライムレーベルへ移行してからの立役者として栄光の一時代を築き上げシーンを駆け巡っていった唯一無比なる存在として、21世紀の今もなお絶大なる支持を得ている“ヴィエナ ”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
藤村幸宏:Vo, G
塚本周成:Key
永井敏巳:B
西田竜一:Ds, Per
全世界規模に於けるプログレッシヴ・ロックにとってあの80年代という時代は、栄光に輝かりし70年代の呪縛から未だ逃れられない…文字通りヴィンテージ系の名作・名盤ばかりがもてはやされ見直されながらも、原盤・廃盤のプレミアム高騰で、結果キングのユーロ・ロックコレクションを始めとする再発ラッシュの波が一気に押し寄せた、所謂良くも悪くも“再発に始まり再発で明け暮れた80年代”とまで揶揄されるまでになったのは流石に否めない(苦笑)。
誤解の無い様に断っておくが、私は時代や年代・世紀を問わずプログレッシヴと名の付く良い作品素晴らしい作品なら、嘘偽りの無い賛辞で称えてはいるが、まあ…あの80年代当時は未だに70年代の名作・名盤に慣れ親しみ…どっぷりと骨の髄まで味わった筋金入りリスナー=まさに時が止まったままのマニアクラスにとっては、80年代とは食い足りない物足りなさというか歯応えはおろか味も素っ気も無い、優しく喩えればプログレ・ファンにとってはまだまだ空寂しい一時代だったのかもしれないが。
そんな再発ラッシュの嵐が吹き荒れる片やその一方で、80年代は“プログレッシヴ・リヴァイヴァル”というイギリスのポンプ・ロック勃発を契機とするプログレ再帰(再起)と復興、まさしくそれは21世紀の今日までに繋がり至るプログレの可能性ともいうべき試金石にして大いなるターニングポイントともなった、とても重要な意味合いを含んだ時代だったのではなかろうか…。
前置きが長くなって申し訳無いが…昔も現在もプログレッシヴ・ロック最大のマーケットともいえる我が国日本に於いても、80年初頭キングレコードから発足したネクサスレーベルを契機に、新たなジャパニーズ・プログレッシヴ・ムーヴメントの新たなる第一歩は、イギリスのポンプ・ロック勃発とはまた違った独自のシーンを形成し、後にフランスのムゼアレーベルと共に一時代を築いたベル・アンティークやメイド・イン・ジャパン、そして前出のネクサス→クライムへと移行していったレーベルからも多種多彩な秀でた逸材を輩出するまでに至った次第である。
ノヴェラを始めそこから枝分かれして派生したジェラルド、メイド・イン・ジャパンの顔ともいえるアウターリミッツ等といった当時名うての存在だったバンドから選りすぐりの才能が結集し、80年代末期…80'sジャパニーズ・プログレッシヴの絶頂期にして、昭和から平成へと年号が変わる激動の時代の真っ只中に今回の主人公でもあるヴィエナは産声を上げた。
以降はかのたかみひろし氏のライナーの記述と重複するかもしれないが、恐縮なれどどうかお許し願いたい次第である(苦笑)。
ヴィエナ結成の経緯はノヴェラ解散後に西田がジェラルドの永川敏郎と藤村に(お遊び程度ながらも)ラッシュのコピーバンドへ誘いを持ちかけた事から始まる。
前出のたかみひろし氏の音頭と仲介もあって、ネクサスとメイド・イン・ジャパンの両方のファンとリスナーに強くアピール出来る本格的なバンドを目指そうという意向もあり、キングの新レーベル“クライム”発足と併行して大々的に世に送り出そうと水面下で着々と準備が進められていたものの、ジェラルドと掛け持ちでアース・シェイカーに参加するため永川が離脱し、その後任に人伝を介してアウターリミッツからメロディーメイカーとして塚本が参加。
ヴィエナの核ともいえるラインナップが出揃う中、それでもデヴュー前の難産とでも言うのか試行錯誤は更に続き、音楽的な趣味嗜好の違いから、ベーシスト候補としてテルズ・シンフォニアの井上やアウターリミッツの荒巻隆の名が出たり、ページェントの中島一晃氏をギタリストに迎えてリハーサルまで行うも結局私生活を含めた諸事情で不参加になったりと、ヴィエナ(…だけに限らず、国を問わずどこのプログレ系バンドでも似た様な話だが)の船出は前途多難で兎にも角にも難航を極めつつあった…。
数々の紆余曲折を経て、某ライヴ会場でアフレイタス(テープ作品のみリリースして解散)のギグに接した西田がベーシストの永井の演奏に惚れ込んで、半ば強引にバンド加入要請で説得し漸くめでたくベースが正式に決まってからはあの前途多難がまるで嘘の様に順調にレコーディングは進められ、1988年5月遂にヴィエナは『Overture=序章 』で華々しくデヴューを飾る。
デヴュー当初、私自身“企画物スーパーバンド”的な匂いが感じられて、あの当時は正直余りピンと来なかったのだが、今改めて何度も繰り返し聴いてみるとバンドのメンバー全員が長年の実績と演奏経験が豊富なだけに、UKをモダンでタイトな感じにした様な的確で且つ強固な演奏技量とテクニックで、ししどあきら氏の幻想的なイラストデザインも手伝って、世界的なレベルからしても遜色無く堂々と亘り合える安心して聴ける高水準な作品だったと声を大にして言いたい。
かのエイジアを意識したかの様なプログレッシヴにしてシンフォニック、程良いポップさが加味された、今でのジャパニーズ・プログレによく有りがちだった匂いや歌メロ等を極力排し、新たなる日本のプログレの模索に成功し大きな足掛かりを築いた傑作だったと思える。
何よりもメンバー4人の技量も然る事ながら、やはりアウター時代からの長い経験が活かされ存分に発揮された塚本の功績は大きいと言えよう。
そして同年末の12月、大好評だったデヴュー作からの流れをそのまま踏襲し…ジャパニーズ・プログレ史上類を見ない圧倒的にして奇跡とも言うべき完成度を誇る2nd『Step Into… 』をリリース。
私自身、当時マーキー誌からの依頼で関係筋から渡された完成前のデモ音源カセットを聴いた時は、余りに圧倒的な音の壁と迫力、複雑にして構築美と抒情的な旋律に“凄い…!!”のひと言のみで言葉を失った事を今でも鮮明に記憶している。
個人的な見解で恐縮だが…特に3曲目の“シュベール”からLP時代の旧B面全面にかけての流れが素晴らしくて、ラストの“フォール・イン・アローン”は数々の名立たるジャパニーズ・プログレの名曲と堂々と並ぶ超絶テンションが聴きどころでもあり、このラストナンバーだけでも本作品は買いと言っても過言ではあるまい。
…しかし、あれだけ大好評だった2ndの素晴らしさを含め周囲から寄せられたこれからの期待とは裏腹に、バンド自体は既に疲弊の末期ともいうべき空中分解に近い状態へと陥り、翌89年1月早々にヴィエナは惜しまれつつ解散。
その後、アーカイヴ音源による『Progress/Last Live 』がリリースされ、日本のプログレッシヴ・シーンも時代と共にフォーマット自体もLPからCDへと大々的に移行し、90年代を待たずして表舞台から去っていったヴィエナ以降のシーンは、テルズ・シンフォニア並びプロヴィデンス、ケンソー、アイン・ソフ、ジェラルド、ページェントファミリーといった一部を除き、90年代後期に21世紀へと視野に入れた新たなプログレッシヴ系レーベルのポセイドンが発足するまでの間、シーンは沈静・停滞という長き眠りにつくのであった(特に関西のプログレシーンにあっては95年の阪神大震災もあって、これがかなりの痛手となった事を付け加えておきたい)。
そして21世紀以降、今は無きポセイドンレーベル始め大阪のミュージック・タームの貢献度の甲斐あって、日本のプログレッシヴ・シーンは再びあの熱き80年代と並ぶ多種多彩(多才)なスタイルに枝分かれし、シンフォニック、ジャズロック、プログメタル、アヴァンギャルド、ポスト系…etc、etc
、枚挙に暇が無い位にアーティスト数が乱立し、今やかつてない位に盛り上がりと熱気を取り戻していると言っても過言ではあるまい。
そういった時代の流れに呼応するかの様に、関東始め関西、名古屋からは続々と期待の新鋭が登場してきている。
それらニューカマーの精力的な活動に応えるかの如く、往年の名手ノヴェラもシェラザードとして再結成復活し、ヴィエナやアウターリミッツも自身のレーベルを興して近年再結成を果たしているのが実に喜ばしい限りである。
何よりも彼等ヴィエナが遺したであろうプログレスピリッツとDNAが、時代の変化・推移と共にマウマウを始めマシーン・メサイア、アイヴォリー・タワーといった現在(いま)を生きる21世紀の担い手達ヘ脈々と確実に受け継がれているのである。
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29,2020
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風薫る5月も終盤に差し掛かる今週の「一生逸品」は、北欧スウェーデンより80年代初頭~中期にかけて唯一の作品を遺し時代相応の彩りとディジタリィーな趣を湛えた、北欧特有のバンドカラーながらも良い意味でワールドワイドな作風を兼ね備えた“ファウンデーション ”を取り挙げてみたいと思います。
THE FOUNDATION/ Departure(1984)
1.Walking Down The Avenue
2.Crossing Lines
3.Migration Time
4.D‐Day Dawn
a) Forces On The Way
b) The Last Of All Battles
5.Final Thoughts,Departure
Johan Belin:Key
Jerker Hardänge:G,Cello,Vo
Roger Hedin:B, Stick
Jan Ronnerstrom:Ds, Per,Vo
北欧のプログレッシヴ・シーンの全容が紹介・解明されたのは、凡そ70年代末期から80年代初頭ではないだろうか…。当時にあっては、西新宿の『新宿レコード』で“今度、北欧からこんな作品が入荷します”といった程度扱いながらも、スウェーデンからはサムラ(ツァムラ)・ママス・マンナ始めボ・ハンソン、ケブネカイゼ、シンフォニック系の草分けでもあったトレッティー・オワリガクリゲット、ディモルナス・ブロ、フィンランドからビッグネームのウィグワム、タサバラン・プレジデンティ、ノルウェーからはアント・マリー、ルーファス、デンマークのサベージ・ローズ…位が関の山ではなかっただろうか。
後にマーキーを経由に、カイパやダイス、イシルドゥルス・バーネといった多数の名作・秀作を輩出した存在を発掘するまでに至る次第であるが、これらバンド・アーティスト(グループ然りソロ活動も含めて)の貢献は後々にまで多大な影響を及ぼし、21世紀の今日まで多種多彩な個性を持った創作者・創造者を世に送り出しているのは言うに及ぶまい。
そんな中…先に挙げた70年代のカイパ、80年代~現在のイシルドゥルス・バーネとの間(狭間)に輩出され短命な活動期間ながらも、独創的なスタイルで秀逸な作品を遺したアーティストも決して忘れてはなるまい。
アンデルス・ヘルメルソン始めミスター・ブラウン、カルティヴェーター、ミルヴェイン、ミクラガルド、オパス・エスト…等、前後してフィンランドのタブラ・ラーサやノルウェーのケルス・ピンクが発掘されたのも丁度この頃であった。
それら発掘組に混じって、80年代に登場したニューフェイスとして鳴り物入りで華々しくデヴューを飾った、マイク・オールドフィールド系の正統な後継者トリビュートと共に我が国に入ってきたのが本編の主人公ファウンデーションである。
後年ムゼアからのリイシューCDに付されていた詳しいバイオグラフィーを参照すると、バンドは1980年スウェーデンの小都市ノルコピンにて結成されたとの事。時期的にも筆者自身の青春時代と前後するから、個人的にも70年代のダイスと並んで80年代産のワンオフ的北欧シンフォニックの中では一番思い入れが強い(悪しからず…)。
彼等自身影響を受けたアーティストに、スティーヴ・ライヒ、クラウス・シュルツェ、マイク・オールドフィールド、ヴァンゲリス、ジェネシスにゲイヴリエル、ポリス、EL&P、果てはストラヴィンスキーと多岐に渉る。
バンド・ネーミングの意は“出発”或いは“財団”と二つの説があるが、後年バイオグラフィを参照すると、かのSF作家アイザック・アシモフの小説“The Foundation”にインスパイアされたとの事。いずれにせよ80年代のスタイリッシュな感覚を取り入れた時代相応の音色を得意とするバンドであるが故、まあなかなか的を得た命名であると言っても過言ではあるまい。
使用している楽器…特にシンセ系にあっては、ミニモーグ始めモーグソース、ヤマハのCS80(ドン・エイリーも愛用の!)に当時リアルタイムの名器とも言われたDX7、ローランド・ジュピター6といずれも筆者にとっても非常に馴染み深いものばかりで、そういった点でも親近感を覚える要因であったのもまた然りである(忘れてはいけない、チャップマン・スティックも)。
クールでモダンなシンフォニックを得意とする作風の中にも、そこはやはり北欧特有な抒情性と冷たくも爽やかな清涼感、天空を突き抜ける様な疾走感が見事に兼ね備わっていて、一朝一夕の新人バンドらしからぬ熟練ぶりが存分に堪能出来る事であろう。
当時のポンプ・ロックを意識したかの様なフィーリングをまぶしながらも、カイパの1stにも相通ずる非凡なセンスをも感じる1曲目始め、果てしない地平線を疾走する様な感覚のシンセとギター、リズム隊の活躍が素晴らしい大作の2曲目、北欧という風土と佇まいが香るチェロの響きが美しくも渋い小曲の3曲目、クラシカルで壮麗なシンセとアコギに導かれ構築と破壊、平和と闘争をテーマにした音の緩急のバランス対比が絶妙な4曲目、LP原盤時代のB面ラストを飾る5曲目の大作にあってはマイク・オールドフィールドの作風と精神を継承しつつも、当時でいうニュー・エイジ・ミュージックやマインド・ミュージック、ヒーリングサウンドに近い趣が、只々儚く朧気ながらも美しいの一言に尽きる。
改めてキーボーダーのJohanとギタリストのJerkerの非凡な才能と音楽スキルに裏打ちされた素晴らしい仕事っぷりには感服する思いである。
アルバムリリース後、次回作の為に収録されたであろう2曲のボーナストラック“Red Roses (and my very best wishes)”と“Don't Wake Me Up”の出来も誠に素晴らしく、スイスのドラゴンフライの時と同様この2曲の為にCDを入手される事を躊躇なくお薦めしたい。
改めて返す々々も次回作の為にこれだけのクオリティーがあったにも拘らず、結局様々な諸事情で新譜が世に出る事無くバンドは自然消滅という道を歩む事となる…。
その後の各メンバーの動向にあっては現在でも音楽関係の仕事に携わっており、ドラマーのJanはバンド解体後、先に名前を挙げた同国のトリビュートと交流を深めつつも後年ドイツに渡り、そこを拠点に新たなKey奏者とサックス奏者と共にファンデーションをリスペクトしたクロスオーヴァーなバンドを立ち上げて音楽活動を継続中。
キーボーダーでサウンドメーカーでもあったJohanは解体してから3年間は音楽活動を完全停止するも、現在はストックホルムにて自身が運営する音楽事務所兼プロデュース業と併行して後進の育成に携わっている。
ギタリストのJerkerは同じくストックホルムのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックにて音楽教師として教壇に立ち、プライヴェートでもR&B系のバンドに参加したり自身のチェロ・リサイタルを催すなど多忙を極めているとの事。
残るベーシストのRogerは現在7人(!?)の子供の父親にしてストックホルムのスカラー・ミュージック・スクールにてコンテンポラリージャズ始めスウェーデンの伝承音楽を教える講師として多忙な毎日を送っている。
ファンデーションというバンドの物語は一応ここで幕を閉じるが、彼等4人の夢と物語はまだ終わってはいない。
それはあたかも唯一の作品に描かれた見果てぬ地平線へと目指す旅行者の如く…彼等もまた私と同様に終わりの無い旅路の途中なのかもしれない。
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30,2020
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5月もいよいよ終盤、風薫る初夏から日に々々本格的な夏へと季節は移り変わり、コロナウイルス禍で不穏に大きく揺れ動いた一ヶ月間…様々な不安要素こそ否めないものの、漸く全国規模で緊急事態宣言が解除され、新たなる前進と再生への一歩を歩み出したそんな感すら窺わせます。
ほんの僅かな明るい兆しの光明と背中合わせに、コロナウイルス蔓延第二波といった懸念と不安感が拭い切れない昨今ですが、こんな時こそ音楽の力を借りてでも更なる気持ちで臨み心身を引き締め、希望を胸に前向きに歩んでいかねばと願わんばかりです。
今月のラインナップは、今や21世紀イタリアン・ロックシーンに於いてラ・マスケーラ・ディ・チェラやイル・バシオ・デッラ・メデューサと並ぶベテランの域に達したと言っても過言では無いヘヴィ・シンフォの雄“ウビ・マイオール ”の実に5年ぶりとなる通算4作目の新譜が到着しました。
デヴューから一貫してリリシズムとミステックな雰囲気を湛えつつ、70年代ヴィンテージ・スピリッツを踏襲したダークエナジー迸るヘヴィサウンドは今作も健在で、更なる自己深化(進化)を遂げた極上で優雅なる音空間に暫し時を忘れる事必至でしょう。
久々のドイツからは嘘偽り無しの新たなる期待の新星現る…そんなフレーズすらも寸分違わぬ、アマチュア臭さ一切皆無な弩級のニューカマー“アンセストリー・プログラム ”のセンセーショナルなデヴュー作がお目見えです。
日本のSFコミック或いはジャパニメーションをも意識しつつエコロジーな視点すら垣間見える意味深なアートワークを含め、クリムゾン、GG、果てはスポックス・ビアードへのリスペクトをも予見させるヘヴィ・プログレッシヴに幾分ポスト的な雰囲気をも兼ね備えたハイブリッドさは、まさしく驚愕の新世代登場を告げる決定打と成り得るでしょう。
北欧スウェーデンからもムーン・サファリの元ドラマーを擁する要注目のニューカマー“ウインダム・エンド ”堂々のデヴュー作が登場しました。
ムーン・サファリの優しくも甘美で陽のイメージすら感じさせる音楽性とは真逆な、予測出来ない展開に加え起伏と陰影を帯びたドラマティックで北欧らしいイマージュとヴィジュアルが色濃く反映されたメロディック・シンフォは、かのIQにも匹敵するマインド感で徹頭徹尾埋め尽くされ、単なる一介のポッと出なメロディック系とは一線を画した醍醐味と充実さはリスナー誰しもが至福なひと時を味わえる事でしょう。
平穏な日常と清々しい開放感が徐々に戻りつつある今日この頃、新生活スタイルの浸透に相応しい2020年夏の到来を奏でる誇り高き匠達の荘厳且つ深遠なる調べに暫しの間耳を傾けて頂けたら幸いです…。
1.UBI MAIOR / Bestie, Uomini E Dèi
(from ITALY )
1.Nero Notte/2.Misteri Di Tessaglia/
3.Wendigo/4.Nessie/5.Fabula Sirenis/
6.Bestie, Uomini E Dèi
2005年のデヴューから一貫して、バレット・ディ・ブロンゾないしビリエット・ペル・リンフェルノ…等といった70年代イタリアン・ヘヴィプログレッシヴの系譜を脈々と継承し、かのラ・マスケーラ・ディ・チェラ始めイル・バシオ・デッラ・メデューサと並ぶであろう、ヴィンテージスタイルの21世紀イタリアン・ヘヴィシンフォニックの担い手として、ベテラン格という確固たる地位を築き上げたウビ・マイオール 。
2015年の3rd『Incanti Bio Meccanici』から実に5年ぶりとなる新譜4thとなるが、前作のメンバーチェンジで女性ギタリストMarcella Arganeseが加入し音楽的にも更なる幅が広がり格段の成長を遂げ、今作ではベーシストがGianmaria Giardinoに交代しリズム隊の強化を図った甲斐あってか、収録された全曲とも従来通りに大作主義の趣を留めつつもコンパクトで尚且つタイトに仕上がっており、曲毎によってリリシズムとミステリアスが同居した様々な表情と側面が垣間見られ、聴き手を飽きさせないグイグイと惹き付ける楽曲作りの上手さとその健在ぶりは嬉しくも頼もしい限りである。
ヴォーカリスト(+ヴァイオリンとトランペット)にしてフロントマンでもあるMario Moiの技量も然る事ながら、バッテリー的なポジションのキーボーダーGabriele Manziniのコンポーズ能力とスキルの高さがバンドの士気を高めていると言っても過言ではあるまい。
彼等の様な個性と存在あってこそ今日の21世紀イタリアン・ロックは支えられているのだろう。
世界的なコロナウイルス禍の暗澹たる昨今ではあるが、改めて今年も彼等の様な素晴らしき良い作品に巡り会えて幸せである。
Facebook Ubi Maior
2.THE ANCESTRY PROGRAM / Tomorrow
(from GERMANY )
1.Silver Intro/2.Silver Laughter/3.Pun Intended/
4.Another Way To Fly/5.Easy For Us/6.Tomorrow/
7.More To This/8.Tangerine Parties/9.Human Key/
10.No Chorus No Home/11.Ship To Shore
限定版デジブックCDを引っ提げて、2020年華々しくも力強いデヴュー作を飾ったジャーマン・プログレッシヴ期待の新星THE ANCESTRY PROGRAM=通称TAP ことアンセストリー・プログラム 。
バンドのネーミングも然る事ながら、『ブレード・ランナー』或いは『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』を意識したかの様なコンセプトに、エコロジカルな視点とSFジャパニメーションなヴィジュアルに満ち溢れた何とも実に意味深なアートワークに目を奪われてしまうのは決して私だけではあるまい。
豪華絢爛なジャケットのイメージに寸分違わぬ、ポストロック風な浮遊感とイマジネーションに加え、クリムゾン始めGG、果てはスポックス・ビアードから多大なる影響を受けたであろう変拍子全開で息つく暇すらも与えないくらい複雑且つ緻密に展開されるテクニカル・ヘヴィシンフォなアンサンブルの応酬が存分に堪能出来る事だろう。
メインヴォーカリスト始めギター、ベース、ドラムスの4人編成でヴォーカリストを除くメンバー3人がキーボードを兼ねるといった変則的なスタイルながらも、メインもサブの楽器パートどれ一つ取っても完全無欠で少しもクオリティーが落ちる事無く、70年代イズムを踏襲したハモンドとシンセの効果的な使い方が良い意味でドイツ的(プログレッシヴとハードロック両方面を内包した)なのも実に微笑ましい限りである。
もはやメロディック・ロックもネオ・プログレッシヴといった次元すらも超越した、ここにあるのは70年代イズムと21世紀イズムとのせめぎ合いが織り成す、唯一無比なる重厚でハイブリッドな音空間のみである。
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3.WINDOM END / Perspective Views
(from SWEDEN )
1.The Dream/2.Starless Sky/3.Walk This Way/
4.Within The Shadow/5.Revolution/6.Ghosts Of The Past
バンド結成以降…紆余曲折と試行錯誤を経て元ムーンサファリのドラマーを迎え、今年2020年に漸くめでたくデヴューを飾る事となった、北欧スウェーデンより要注目のニューカマーとして各方面から期待の注視を集めているウィンダム・エンド 。
ややもすればプロパガンダなタッチを思わせるジャンル畑違いなアートワークに些か躊躇してしまいそうにもなるが、そんな意匠云々の下世話な心配を他所に、21世紀プログレッシヴ・スタイルを地で行く正統派のメロディック系シンフォニックを創作しており、北欧らしい雄大なイマージュとエモーショナルさを兼ね備えた泣きの旋律からは、かのマリリオンやIQにも匹敵し追随するくらいのドラマティック&キャッチーなメロディーラインに加え鮮烈なまでのサウンドアプローチが要所々々で窺い知れて、同国のフラワーキングスやムーンサファリとはまたひと味違った意味でワールドワイドな視野を見据えた野心作に成り得ると言っても言い過ぎではあるまい…。
ワールドワイド規模のデヴューリリースに先駆け、日本盤のみ特典ボーナスディスク付の紙ジャケット仕様限定2枚組CDが先行リリースされ、本作品に収録された全曲も然る事ながら特典ボーナスディスクに収録された3曲の素晴らしさは落涙必至である。
良い意味で70年代のヴィンテージカラーとスタイルを継承したシンフォニック系が主流の21世紀スウェーデンのシーンに於いて、程良いポップスフィーリングに優美で陽のイメージが強いムーンサファリとは真逆な、時代相応に陰影を帯びた曲調、起伏とメリハリ感ある予測出来ないサウンド展開を紡ぐ彼等の真摯で妥協無き姿勢に、新たな次世代プログレッシヴの端緒に似通った感覚すら見い出せる様な思いである。
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