幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 51-

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 いつも通りならば例年通り盛夏のさ中に、ジャンルを問わず国内外に於いて多種多彩なライヴ・フェスが開催され大いに盛り上がっているところですが、今夏は新型コロナウイルス禍の影響で全面的にライヴ関連が中止に追い込まれ、個人的にも些か寂しい限りであるのが正直なところです。
 数年前に70年代イタリアン・ロック界を飾った大御所勢がこぞって大挙来日を果たし、文字通りイタリアン・ロックのライヴの聖地でもある川崎クラブチッタで公演を行った奇跡(軌跡)…PFM、バンコ、オザンナ、ニュー・トロルス、ラッテ・エ・ミエーレ、マクソフォーネ、チェルベッロ、果てはRRRといった俄かに信じ難いイタリアン・ロック史の一頁に名を馳せた生ける伝説達による、まさしく神憑りにも似た荘厳なるパフォーマンスに聴衆たちは歓喜熱狂し酔いしれた日々が今となっては遥か遠い思い出の様な出来事に思えてなりません。
 一日も早くコロナウイルス禍が沈静収束化し、またあの時と同じ様にライヴの熱気が体感出来る瞬間が再び巡って来る事を切に願わんばかりです…。
 前述したバンド勢も然る事ながら、未だ来日公演を果たしていないであろうレ・オルメと同様…過去から現在まで時代と世紀を超越し現在(いま)もなお燻し銀の如く孤高の輝きを放ち続ける煉獄と冥府の申し子達と言っても過言では無い、もはや名実共にイタリアン・ロック界唯一無比の存在と言っても過言では無い“メタモルフォシ”に、8月最初を飾る「夢幻の楽師達」として今一度栄光の焦点を当ててみたいと思います。

METAMORFOSI
(ITALY 1972~)
  
  Jimmy Spitaleri:Vo, Flute 
  Enrico Olivieri:Key, Vo
  Roberto Turbitosi:B, Vo 
  Mario Natali:Ds, Per
  Luciano Tamburro:G

 2016年のラッテ・エ・ミエーレとスカルツィ兄弟によるニュー・トロルスファミリー公演から早いものでもう4年の月日が経つが、あの時の鮮烈なまでの熱気と興奮が入り混じった感動は未だ言葉では言い尽くせない位…未だに瞼と脳裏に克明にしっかりと焼き付いて離れていないのが正直なところである(苦笑)。
 そんな(良い意味で)生きている現在進行形のイタリアン・ロックに接する事の出来た幸運と至福のひと時が味わえた数年振りの上京と時同じくして、まるで運命の糸に手繰り寄せられたかの如く西新宿の某プログレッシヴ・ロック専門店にて、先のラッテ・エ・ミエーレやトロルスファミリーと同様に現在(いま)を生きるイタリアン・ロックの一片を垣間見せてくれる大ベテランクラス12年振りの新譜と出会う事になろうとは…。
 今やカンタウトーレというソロの側面でも実績を収め、近年ではオルメを抜けたAldo Tagliapietraの穴を埋めるべく(一応ゲストという扱いではあるが)参加したDavide “Jimmy” Spitaleri (本文以後はJimmy Spitaleriと呼称)率いる、もはや70年代イタリアン・ロックの伝説という域をも超えた生ける匠という地位に辿り着いた感すら抱かせる、その名はメタモルフォシ。

 現在時点で判明しているバンドのバイオグラフィーによれば、1969年にバンドの母体ともなった所謂ビートロック系のI FRAMMENTIにJimmy Spitaleri(余談ながらも彼の出身地は柑橘類の産地で名高いシチリア島である)が参加した事によってメタモルフォシ激動の歩みはここに幕を開ける事となる。
 Jimmyが参加しバンドネームがメタモルフォシに改名していた頃ともなると、既に首都ローマを拠点に移し様々なギグやフェスティバルに参加して腕を磨きつつ経験値を上げていたのは言うまでもあるまい。
 但し…その時点ではまだプログレッシヴと呼べるには程遠く、傾向からすればサイケ寄りでポップなアートロックと捉えた方が正しい向きかもしれないが。
 1972年にビートロック系のアーティストを多く擁するVedetteレーベルから、前71年にデヴューを飾ったパンナ・フレッダに次いでメタモルフォシは『…E Fu IL Sesto Giorno』で華々しくもデヴューを飾る事となる。
 デヴューという観点を考慮すればプログレッシヴ前夜ともいえるサイケ&アートロック寄りで、ラヴ&ピース、フラワームーヴメント、イタリア人特有のニヒリズムが反映された内容であるが、既にこの時点に於いてJimmyそして現在まで長きに亘ってバンドの女房役を務める事となるキーボードの
Enrico Olivieri の才能の萌芽は開花寸前だったと言っても異論はあるまい。
 特に反戦反核+アメリカへの皮肉が込められた初期の名曲「Hiroshima(ヒロシマ)」は彼等なりの面目躍如が際立ったアイロニーなシニカルソングとして、ある意味に於いて次回作の名盤『Inferno』へと繋がる片鱗すら感じるというのも頷けよう。
 ちなみに5人編成のデヴュー当初、バンドメンバーの風貌からして皆相当にひと癖ふた癖もあり気な曲者揃いといった感は当たらずとも遠からずといったところではあるが、Alan Sorrentiの『Aria』よろしくといった感を漂わせたJimmyのいでたちに後々のカンタウトーレ路線に移行する彼なりの反骨精神が仄かに窺えるというのは考え過ぎだろうか…。
         
 
 明けて翌73年、世界的規模に席巻したプログレッシヴ・ムーヴメントの波は第一次イタリアン・ロックへの追い風となり、そんな時代背景に後押しされるかの如くPFM、バンコ、ニュー・トロルス、オルメ、オザンナ、フォルムラ・トレ、アレア、果てはムゼオ・ローゼンバッハ、チェルベッロ…等のバンドがこぞってユーロ・ロック史に燦然と輝く名作・名盤を世に送り出したのは周知の事であろう。
 御多聞に漏れず概ね好評だったデヴュー作での後を受けてメタモルフォシも前作以上にJimmyとEnricoを先導とした本格的なプログレッシヴ路線のカラーを強めていく次第であるが、この時点に於いてオリジナルメンバーだったギタリストのLuciano TamburroとドラマーのMario Nataliがバンドを抜け、ギターのパートはベーシストのRoberto Turbitosiが兼任する事となり、新たなドラマーとしてGianluca Herygersを迎えた4人編成で、メタモルフォシ70年代の最高傑作にして名作と名高い2nd『Inferno』への製作に臨む事となる。
          
 バンコやラッテ・エ・ミエーレに追随するかの様な重厚且つ壮麗なキーボード群の活躍も然る事ながら、イルバレやムゼオにも匹敵する邪悪な闇の旋律(戦慄)を謳い奏でる様相は、ダンテの『神曲』さながらの煉獄が目の当たりで 繰り広げられるかの様な錯覚にすら陥ってしまいそうで、名実共
に彼等の代表作・代名詞になったのは言うに及ぶまい。
 この本作品での地獄譚である種の感触と確信を得たJimmyとEnricoであるが、それが後年の21世紀に於いてライフワークへと繋がっていくとはあの当時では到底思いもよらなかった事であろう。
    
 蛇足みたいな話で恐縮ではあるがVedetteレーベル時代のデヴュー作と2ndについて、イタリアン・ロックのファンの方々なら既に御承知の通りデヴュー作の製造番号(規格番号)がVPA 8168、そして2nd『Inferno』の製造番号がVPA 8162という番号順違いで、日本に紹介された当初は『Inferno』がデヴュー作ではないかといった誤った情報が先走ってしまって大なり小なりの混乱が生じたとの事だが、レーベル側の単純なナンバリングミスだったのか、それともよく有りがちなプリントミスだったのか、果ては会社側とスタッフによる思い違い・勘違いだったのかと取れる向きもあるが、今となっては真相は藪の中の言葉通り知る術もままならないというのが大筋の見解みたいだ(苦笑)。
 蛇足ついでに…個人的な意見で申し訳無いが、1983年にマーキー誌(当時はマーキームーン)のVol.012のイタリアン・ロック特集で、メタモルフォシの2nd『Inferno』が初めて紹介された時のレヴューを拝読した時の感想といったら、あまりの無責任さ丸出しの文面に思わず閉口してしまったのを今でも記憶している…。
 その一部を抜粋するが…“バンコやラッテ・エ・ミエーレに魅せられたことのある人がこの音を聴けば、きっと溜め息が出てしまうに違いない。この文章を読んだ時、あなたは一体どうすれば良いのか。札束を握りしめてレコード店に駆け込むのか。あるいは微力ながらも、日本発売を望む声をレコード会社やマーキー・ムーンに寄せるか。それとも端から諦めて知らんぷりを決め込むか。どれを選ぶもあなたの自由だ。とにかく、よく考えていただきたい。”(原文ママ)
 先人の書き手の方には申し訳無いが、これほどまでに蛇の生殺しにも等しい読み手やリスナーに向けて丸投げしたかの様な責任転嫁めいた文面に辟易した事は無かったと、この場をお借りして改めて問い質したいのが率直なところでもある。
 まるであたかもゴリゴリのコレクター目線+廃盤マニアの上から目線で物申すかの如く、レアアイテム自慢を見せつけられている様で憤懣やるせない気持ちでいっぱいになってしまい、悲しいかなメタモルフォシの『Inferno』となるとすぐさまマーキー誌の無責任レヴューを連想してしまうから正
直困ったものである…。
          
 話が横道に逸れたがメタモルフォシというバンドにとって一大傑作アルバムとなった『Inferno』も、当時のイタリアン・ロックムーヴメントの波に乗るべく世に躍り出た次第であるが、ビートロック系が売りのVedetteレーベル自体が『Inferno』の作風にに難色を示したからなのだろうか、あまり積極的とは言い難い様なプロモート不足が災いし、バンド側の予想に反し思った以上にセールスが伸び悩み、結果的にバンドとレーベル側との間に大きな溝と軋轢が生じ関係は悪化…よくある話ではあるが売り上げの成果が見込まれない以上は無用のお荷物と言わんばかりにVedetteはメタモルフォシを放出。
 JimmyとEnricoは『Inferno』以降の3rdアルバムを計画し、作曲とリハを重ね録音の準備に取りかかっていた矢先に不本意な頓挫という憂き目に遭い、メタモルフォシにとって最悪の70年代はここで敢え無く幕を下ろす事となる…。
 Jimmyの気持ちを代弁するという訳ではないが、心の奥底から“この恨みは決して忘れないからな…”と言わんばかりに、彼自身の反骨精神に益々拍車が掛かった事だけは確かな様だ。
 メタモルフォシ解散後Jimmyは単身渡米し、イタリアでの悪夢を払拭すべくいくつかのバンドを渡り歩きつつ孤高の道をひたすら歩み続け、心身ともにリハビリを済ませて70年代後期に漸く帰国の途に着き79年Deltaレーベルより彼のニックネームを冠した『Thor』、そして翌80年にCiaoレーベルより『Uomo Irregolare』(マウロ・パガーニが全面的にゲスト参加している)という2枚のソロ作品のリリースへと至る。

 実質上プログレッシヴから完全に遠ざかった形で時代相応のカンタウトーレ系ポップシンガーとして再出発を図りイタリアのミュージックシーンに返り咲いた訳であるが、彼自身母国イタリアにて牛歩的なマイペースで創作活動を行う一方、イギリスのポンプロック・ムーヴメントから波及したプログレッシヴ・リヴァイバルの動きがじわりじわりとイタリア国内にも飛び火している事を察知した彼の心の奥底に再びプログレッシヴへの情熱に火が付いたのは言うまでもなかった。
 皮肉とも言うべきか…80年代半ばに降って湧いた様なブリティッシュ・ロックとイタリアン・ロックのレアアイテム級の名作・名盤(メタモルフォシの『Inferno』も然り)が、ブート紛いという形で録音の良し悪しやら出来不出来を問わず多数もの不正規の再発盤として世に出回り新たなファンや
プログレッシヴの継承者に大きな影響を与えたのも大きな追い風となった次第である。
 80年代中期から90年代全般にかけて勃発したイタリアン・ロック復権の狼煙は結果的に70年代のバンドが改めて見直され、解散に追い込まれた数多くのバンドが徐々に復活再結成の動きを見せ始め、加えて雨後の筍の如く続々と新たな世代のバンドの登場で、今日の21世紀イタリアン・プログレッシヴへと繋がる再興の礎となったのは紛れも無い事実と言えるだろう。
 90年代ともなるとJimmyはこの機に乗じてメタモルフォシ解散以後も親交のあったEnricoを再び呼び寄せ、セルフプロデュースによるソロコンサート+メタモルフォシ・リユニオンギグを敢行。
 自身のソロアルバムのパートのみならず、70年代メタモルフォシ期のナンバーを織り交ぜた多彩なレパートリーで多くの聴衆を魅了しつつ、少しずつ小出しにしながら幻の3rdのパートを再構成した新曲をも繰り広げていくのである。

 そんなJimmyとEnricoの熱意に絆され、2人の新メンバーLeonardo Gallucci(B&G)、Fabio Moresco(Ds, Per)が加わり、21世紀初頭にめでたくメタモルフォシは復活再結成を遂げ、長い間寝かされ続け熟成された感の幻の3rdを甦らせるべく当時のプログレッシヴ専門の新興レーベルPROGRESSIVAMENTEより、2004年…実に何とも足かけ31年振りの新譜として煉獄シリーズ第二章ともいうべき3rd『Paradiso』をリリースし、新旧のイタリアン・ロックファンの度肝を抜くと共に瞬く間に復活を祝す喝采と歓声を浴びる事となった。
      
 70年代にてバンドの解散前夜に曲想とアイディアが既に熟考され練られていたとはいえ、時代と世紀を越えてブランクや遜色すらも感じさせず、良い意味で何一つ変わっていない…これぞメタモルフォシ!ともいうべきめくるめくイタリアン・シンフォニックの世界が聴く者の脳裏に色鮮やかに響鳴する様は、世界各国のイタリアン・ロックを愛する者が驚嘆感涙したに違いないだろうし、最早地獄の迷宮巡りをも超越した感動以外の何物でもあるまい。
      
 時を経て2011年、レ・オルメ通算17作目の『La Via Della Seta』にJimmyがゲスト参加した以外、これといった新譜情報やら公式なアナウンスメントが聞かれないままメタモルフォシは再び長き沈黙を守るが、彼等はひたすら長い時間を費やして我々の知らないところで着々と新譜の準備を進めていたのだった。
 2016年、12年振りの煉獄シリーズ第三章ともいうべきファン待望の新譜4th『Purgatorio』がリリースされ、かつて栄光と挫折との狭間で揺れ動き悩んでいた彼等が21世紀の現在もなお現役バリバリにイタリアン・ロックの第一線で活躍しその逞しさと健在ぶりを全世界にアピールしている真摯な姿勢に、改めて不思議な感慨深さと隔世の感をも覚えてしまう…。
    
 『Paradiso』に引き続きJimmyとEnricoを主導とした不動のラインナップで紡ぎ織り成す重厚且つ荘厳な音楽回廊に、改めて70年代から繋がっているイタリアン・ロックの王道と伝統を頑なに守り続けている誇り高きプライドと職人芸の域をも超越した匠の気概すらも禁じ得ない。
 ひと昔前こそ70年代イタリアン・ロックの幾数多もの偉大なる音楽遺産は良くも悪くも時代の遺産・置き土産的な見方でしか捉えられず、私を含めて多くのファンが“所詮彼等は手を伸ばしても届かない雲の上の存在”でしかなかった訳であるが、21世紀の現在(いま)となっては年に何度かイタリアン・ロックのレジェンド達がこぞって来日を果たし、70年代の名曲から昨今の新曲に至るまでファンの為なら惜し気も無くステージで白熱の演奏を魅せてくれるという、伝説というベールを取り払いステージ上でオーディエンスの目線に立って自らの音楽を堂々とアピールしている…そんなアーティストとファンとの地続きの幸運な時代であるという事を今一度噛みしめなければならないと思えてならない。
 大御所PFM然り、過去にはバンコが、ニュー・トロルスが、オザンナが、ラッテ・エ・ミエーレが、マクソフォーネが…etc、etc。
 私達がイタリアン・ロックを未来永劫愛し続ける限り、彼等はいつだって期待に応えてくれる事をこれからも信じ続けて後世に繋げていこうではないか。
 Jimmy、コロナウイルスが沈静収束した暁には来日のお膳立ても万全だ!いつでもステージは整っているし、あとは貴方達のスケジュール次第、日本のファンの皆が期待して待っているよ!

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一生逸品 RACCOMANDATA RICEVUTA RITORNO

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 8月最初の「一生逸品」は、70年代イタリアン・ロックシーンに於いてたった一枚の唯一作を遺しつつも、混迷と混沌の21世紀真っ只中の今もなお熱狂的にしてカリスマ的な支持と根強い人気を誇る邪悪なるイタリアンダークサイドとカオスを謳い戦慄(旋律)を奏で、麻薬の如き妖しき音色で聴衆を魅了する“ラコマンダータ・リチェヴータ・リトルノ”に、今一度眩い栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


RACCOMANDATA RICEVUTA RITORNO
 /Per…Un Mondo Di Cristallo(1972)
  1.Nulla 
  2.Su Una Rupe 
  3.Il Mondo Cade (Su Di Me) 
  4.Nel Mio Quartiere 
  5.L'Ombra 
  6.Un Palco Di Marionette 
  7.Sogni Di Cristallo
  
  Luciano Regoli:Vo, Ac‐G 
  Nanni Civitenga:G 
  Stefano Piermarioli:Key 
  Francesco Froggio Francica:Ds 
  Manlio Zacchia:B
  Damaso Grassi:Sax, Flute

 今から3年前の2017年の夏、日本に吹き荒れたイタリアン・ロックドリームの魔法と幻想の時間…70年代イタリアン・ロック全盛期の一時代に携わったレジェンド達、或いは巨匠にして猛者達だったチェルベッロ、デリリウム、セミラミス、そして今回本篇の主人公でもある通称RRRことラコマンダータ・リチェヴータ・リトルノが、あの当時の熱気と感動と興奮を引っ提げて我々の眼前で奇跡の公演を繰り広げようとはいったい誰が予想し得たであろうか。

 RRR結成への経緯に関しては現在もなお不明瞭なところが多々あるものの、概ね判明されているエピソードとしてヴォーカリスト兼アコギのLuciano Regoliが、かのゴブリンないしチェリー・ファイヴの伝説的前身バンドだったIL RITRATTO DI DORIAN GRAYに在籍しClaudio Simonettiと共に
活動していたとの事。
 その後Lucianoはバンドと袂を分かち合い、IL RITRATTO DI DORIAN GRAYはSimonetti主導でEL&Pに触発されたキーボードトリオスタイルに移行するも惜しむらくは一枚も作品を遺す事なく解散したのが悔やまれる。
 話は戻ってIL RITRATTO DI DORIAN GRAYを抜けたLucianoは、程無くしてRRRのリーダー格でもありブレーンでもあったギタリストNanni Civitengaに誘われるままフロントヴォーカリストとして加入し、こうしてRRRは1972年正式なるスタートを切った次第である。
 バンド名を直訳すると“到着返信書留郵便”という意で、私見ではあるが何やら思惑というか深い意味有りげでややもするとアイロニカルな匂いすら感じられ、(良い意味で)イタリアン・ロック特有のとても長ったらしい伊語綴りのバンドネーミングに思わず舌を噛みそうになるが、その辺りは2004年にストレンジ・デイズレーベルから紙ジャケット仕様でリイシューされた国内盤CDにて三輪岳志氏が詳細等を触れているので敢えて重複は避けたいと思う。
 RRRのデヴューと時同じくしてパレルモで開催された伝説的ロック・イヴェントVilla Pamphili Pop Festivalに、バンコ、ニュー・トロルス、オザンナ、ラッテ・エ・ミエーレ、トリップ、果てはイル・パエーゼ・ディ・バロッキ、クエラ・ベッキア・ロッカンダ…etc、etcといった当時飛ぶ鳥をも落とす勢いの精力的バンドが一挙に顔を揃えた中で、御多聞に漏れずRRRも参戦し熱狂的なオーディエンスに迎えられた彼等は、その時の刺激的な経験を追い風に発奮しニュー・トロルスやオザンナに追随するかの如く前出の2グループが契約していたワーナー傘下の大手名門フォニット・チェトラと程無く契約を交わし、同年初秋『Per…Un Mondo Di Cristallo(邦題:水晶の世界)』にてデヴューを飾る事となる。
           
 気合いの入ったデヴュー作にして完成度の高さも然る事ながら、彼等のデヴュー作はちょくちょくオザンナの73年作『パレポリ』と比較されたり、その世界観がおどろおどろしい邪悪でダークな佇まいと相通ずると喩えられたものだが、オザンナの持つ土着的な秘教+まじない師みたいな呪術風イメージとは相反し、RRRはあくまでイタリアン・バロックの壮麗さとアコギを多用した地中海の民族音楽な趣すら彷彿とさせるプログレッシヴ・ロックというフィールドに根ざしつつ、当時のロックカルチャーの風潮ともいえるアシッド&サイケフォーク、アートロック、アヴァンギャルド、トリップミュージック、構築と破壊、希望と絶望、狂騒と静寂を…等をも内包した熱気の籠った会心の一枚と言えるだろう。
 余談ながらも見開きジャケットの内側に描かれた、クエラ・ベッキア・ロッカンダやトリップのアルバムアートを手掛けたスタジオUp&DownのSFチックなアートワークに、ドイツのネクターのデヴュー作『Journey To The Centre Of The Eye』を連想したのは自分だけだろうか…。
        
 私自身の他愛の無い独白で恐縮だが…何十年か前の若い時分の頃、一時期キングのユーロシリーズにて国内盤リリースされたトロルスやオザンナといったフォニット・チェトラレーベル作品が全く受け付けなくなってしまい(後年CD化リリースされたデリリウムすらも何度か聴いたものの結局は受け入れられなかった)、当時話題となったRRRの国内LP盤リリース決定の報を知らされた時も何だか今一つピンと来なくて、切手に見立てたメンバー写真に紐で括り付けられた郵便物という至ってシンプルながらも、ややもすれば貧相な装丁のジャケットワークにそれほど期待を寄せておらず…過小評価というか聴かず嫌いだったのかは定かでは無いが兎にも角にも知らん顔を決めていたのが正直なところである(見た目同じ郵便物を模したカンタウトーレCiro D'ammiccoのデヴュー作や、紐で括り付けられている辺りなんてプロセッションの1stをも連想した位だ)。
 やっと受け入れられる事が出来たのは今を遡ること十数年前、改めて紙ジャケット仕様CDで買い直して以降、貪る様にトロルス、オザンナ、デリリウムそしてRRRを何度も何度も繰り返し反芻しながら聴き直し克服したという、今となっては笑い話みたいな告白として一笑に臥されるのがオチであるが、あの当時の若い時分にとっては理由こそ定かではないが何かの拍子でチェトラレーベルに対し苦手意識が生まれ、まるで一線を引くかの様に敬遠していたのかもしれない。
         
 私の過去の恥部にも似た思い出話でかなりスペースを割いてしまったが、意欲作でもあり野心作とも取れるRRR渾身のデヴュー作は、オープニングの冒頭1曲目から不穏な空気と緊迫感を孕んだ悲壮感漂うチャーチオルガン風のハモンドが高らかにけたたましく響鳴し、そのカオス渦巻く無間地獄巡りという迷宮回廊の幕開けを告げているかの様だ。
 ほんの一瞬の静寂から一転してフルートとアコギのアンサンブルによるイントロダクションに導かれる2曲目は、油断は禁物と言わんばかりに一気に雪崩れ込むヘヴィなジャズロックから地中海トラディッショナルな佇まいのアコースティックでダークチェンバーな曲想へと変化しLucianoの高らか
なヴォイスとが絶妙に絡み合い、ヘヴィ&ジャズィーなリフレインとが交互に顔を覗かせる二律背反な構成は紛れも無く圧巻という二文字しか形容出来ない。
 さながらオザンナのデヴュー作ないしチェルベッロが持つ妖しくも美しい世界観と相通ずるところがある…。
 続く3曲目もタランテッラを思わせる舞踊曲さながらに掻き鳴らされる12弦ギターの鮮烈さといったら、私自身何度も繰り返し聴く度毎に筆舌し難い思いに駆られてしまう。
 フォークタッチに転調したかと思いきやラテン民族の血が騒ぐかの様な民族調のパーカッションとフルートが絡み、不穏で不気味なコントラバスの登場にヴォーカルとオーケストラパートが追随し、更にはイルバレの『YS』ばりの狂気な女性スキャットが絡んでくる様は、タイトル通り落下してくる終末の世界を目の当たりにしている…そんな錯覚にすら襲われそうだ。
 場末の酒場の佇まいを思わせる様なデカダンな雰囲気の調子っ外れなトーンのピアノに何ともエロティックで艶めかしいテナーに導かれる4曲目は、聴き様によってはクリムゾンの『リザード』をも想起させるジャズィーでアップテンポな曲調である。
 中間部のヘヴィなギターにイルバレの『YS』の面影をも見い出せると思えるのは私の穿った見方だろうか(苦笑)。
 イタリアン・ロック特有の偏屈極まりない変拍子とも奇数拍子とも取れない…あたかも現代音楽風でアヴァンギャルドなピアノと不穏なハモンドが互いにせめぎ合うイントロの5曲目は、EL&Pの『タルカス』が歪になったかの様なコード進行と無秩序なメロディーラインにハイトーンヴォイスが絶妙に絡み合い、ヘヴィロックとアコースティックな側面とがテンポ良く交錯し、もうこの辺りともなるとリスナーの側もRRRの構築する麻薬の如き音世界にどっぷりと浸り切ってしまっている事だろう。
 牧歌的ながらもどこか物悲しげで陰鬱めいた抒情性すら垣間見えるアコギとフルートに導かれる6曲目にあっては、クラシカル、ジャズィー、ブルーズィー、フォーキーなサウンドエッセンスが違和感無く融合し合い、ハモンドエフェクトを効かせた無機質で不気味なモノローグ、仄暗いリリシズムを湛えたチェンバロの響き、怒涛の様に押し寄せるアコギにクリムゾンばりのヘヴィで狂暴な旋律(戦慄)が狂喜乱舞に応酬するといった、全収録曲中長尺なトータル10分強の大曲にしてクライマックスで聴き処満載な、RRRの面目躍如ここにありと言わんばかりな超絶級の好ナンバーと言えよう。
 混沌と狂騒の果て…あたかも嵐が過ぎ去った後の如く、軽快でアップテンポなアコギがひと筋の光明というイマージュをも抱かせるラスト7曲目、唯一明るめなポップチューンで締め括るのかと思いきや、そこは曲者RRRらしく暗雲垂れ込める不穏な空気と不安感をリスナーに煽り立てるかの如く、さながらもう少しだけ地獄巡りに付き合ってくれよと言わんばかりに不気味で緊迫感溢れるオーケストラパートを再びインサートしてくる様は、もはやサディズムをも超越した恍惚と陶酔感しかあり得ない…としか言い様があるまい。
 プログレッシヴ特有のテープルーピング早回しで終局へと向かい、レトロSF映画調を思わせる宇宙空間のSEをバックにアコギとピアノ、フルート、リズム隊、そして崇高で救済の眼差しをも彷彿とさせるたおやかなヴォーカルが大団円へと収束し、一抹の希望とも絶望ともつかないエンディングを飾る頃には、最早すっかり聴衆はRRRの仕掛けた巧妙な音楽の罠というか術中にはまっている事請け合いであろう。

 ロックフェスでの評判は上々、フォニット・チェトラという大手レーベルの後ろ盾の甲斐あって、決して完全とは言えないもののそれ相応に持ち得る渾身の力を最大限に注ぎ創り上げた最高の自信作と確信するデヴューアルバムではあったが、1972年当時のイタリアン・ロック隆盛期に於いてPF
M『Per Un Amico』を始めバンコ『Darwin !』、オルメ『Uomo Di Pezza』、ニュー・トロルス『UT』、オザンナ『Milano Calibro 9』、ラッテ・エ・ミエーレ『Passio Secundum Mattheum』、イルバレ『YS』、クエラ・ベッキア・ロッカンダ、イル・パエーゼ・ディ・バロッキ、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ…etc、etcといった強豪バンドが雨後の筍の如く世に躍り出た時期と重なり、良くも悪くも幸か不幸か運とタイミングが悪かったと言うべきなのか並み居る強豪バンド達の高レベルな完成度を有する作品群と、あたかも団栗の背比べの様な当時の尋常じゃないリリース競争率の前に、デヴューアルバムのセールスは予想外に伸び悩み思っていた以上の成果を得る事すら出来ず敢え無く完敗するといった辛酸を舐める事となる(あまり言いたくはないのだが…やっぱりジャケットのインパクトが弱かったのか!?)。
 フォニット・チェトラサイドは契約面等を考慮した上で改めて音楽路線変更を提示したものの、これにはRRRが真っ向から反発しバンドと会社側との間で軋轢と深い溝が生じ、結局失意を抱えたままRRRはデヴューから間もなく空中分解するという憂き目を辿ってしまう。
 バンド解体後中心核でもあったLuciano RegoliとNanni Civitengaの両名は試行錯誤と紆余曲折を重ねつつ様々なバンドを渡り歩き、 2年後の1974年テオレミやルオヴォ・ディ・コロンボの元メンバー達と共にサマディを結成し、フォニット・チェトラよりバンド名を冠したデヴューアルバムをリリース。 
 しかしこれもRRRと同様思った以上にセールスが振るわず、結局一年足らずでバンドは解散し、以後Luciano RegoliとNanni Civitengaの両名はイタリアン・ロックシーンの表舞台から完全に遠ざかってしまう。

 時代は流れて…70年代末期~80年代前後に勃発した高額プレミアムな値が付いたイタリアン・ロックの廃盤発掘を契機に、キングのユーロロックコレクションの火付け役となるべくイタリアン・ロックの名作名盤が続々と多数日本の市場に出回り始め、時同じくしてキングレコードより国内盤仕様のアナログLP盤を含めリマスターCD化によって多数もの名作と並んでRRRの再評価が高まり、更には世界的に評判の呼び声が広がりつつある中、母国イタリアにて著名なフレスコ画家に転身し画壇でも多大な成功を収めていたLuciano Regoliの耳にもRRRの素晴らしさが再評価されている旨が知れ渡り、これを機にLuciano自身再び音楽への情熱を取り戻しRRR再興へと駆り立てられた次第である。
 盟友となったNanni Civitengaを再び招聘し、更にはIL RITRATTO DI DORIAN GRAY時代から親交の深かったClaudio Simonetti、果てはオザンナのLino Vairettiといったベテラン勢達からの協力と賛助の下、21世紀の2010年実に38年振りの新譜にしてあたかもLucianoの私小説をも思わせるコンセプトで製作された『Il Pittore Volante(邦題:空飛ぶ画家)』が満を持してリリースされたのは未だ記憶に新しいところであろう。
    
 再結成と第一線への復活劇による気運は追い風となって、あれよあれよという間に再スタートへのステージが用意され、それに伴いバンドネーミングも装い新たにヌオーヴァ・ラコマンダータ・コン・リチヴィータ・デ・リトルノ(NUOVA RACCOMANDATA RICEVUTA RITORNO)として生まれ変わり、同年ローマにて開催された復活ライヴには何とフォーカスのTHIJS VAN LEERをサポートに迎え、その白熱を帯びたライヴパフォーマンスに聴衆は暫し時を忘れて感動と興奮に酔いしれたのは最早言うには及ぶまい。
          
 2013年のイタリア国内でのライヴ(2015年イタリア盤でその模様を収めたCDとLPがリリース)を経て、2017年の夏には満を持して日本のプログレッシヴ・ライヴの殿堂川崎クラヴチッタへ初来日公演を果たす事となる…。             
 辛酸と苦汁を舐めさせられ一度は大きな失意と挫折を味わったRRRが21世紀の現在(いま)不死鳥の如く甦り、今もなおこうして世界中から絶大なる支持を受け多くの愛好者やフォロワーを輩出しているという、あの70年代からは到底想像もつかなかった事が決して伝説のままで終わる事無くリアルタイムで進行しているという現実に直視し、聴衆である我々も気を入れて挑み真摯に向き合わなければなるまい。
 まさしくジョークみたいな締め括りではあるが“戦慄とカオスは続くよどこまでも…” と言っても過言ではあるまい。

夢幻の楽師達 -Chapter 52-

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 今週の「夢幻の楽師達」は、イタリアン・ロック第一次黄金時代だった70年代に於いて、一種独特で異色な存在ながらもワールドワイドな視野でロックシーンを見つめ続け、ブリティッシュ・プログレッシヴの王道と作風を継承し、世界進出という見果てぬ夢を追い求めていた、かの御大PFMの兄弟的存在だった伝説と栄光の“アクア・フラジーレ”に、今再び輝かしきスポットライトを当ててみたいと思います。


ACQUA FRAGILE
(ITALY 1971~)
  
  Bernardo Lanzetti:Vo, G
  Gino Campanini:G, Vo
  Maurizio Mori:Key, Vo
  Franz Dondi:B
  Piero Canavera:Ds, Ac-G, Vo

 長きに亘り今もなお栄華を誇っているイタリアン・ロックの歴史に於いて、70年代という輝かしくも物悲しい栄枯盛衰な背中合わせの一時代は、まさに個性と個性のぶつかり合い、多くの才能同士のせめぎ合い…果ては乱暴な言い方で恐縮だがバンドやカンタウトーレ達が音楽人生の生き残りを懸けたしのぎの削り合いそのものだったと思えてならない。
 ジェネシスないしGG、EL&Pといったブリティッシュ・プログレッシヴからの多大なる影響の余波は、イタリアが持つルネッサンス古来の様式と伝統美、バロック音楽、地中海伝承民謡、ヨーロピアン・ジャズといったエッセンスが複雑且つ雑多に融合した、一種独特の音楽=ロック文化を形成しPFM始めバンコ、ニュー・トロルス、イ・プー、オルメを世に送り出し、ロックナポリターナの合言葉で土着的で独自の方法論を見い出したオザンナ、チェルベッロ、RRR、イタリアン・ロックの常套句とまで言わしめた邪悪で闇のエナジーが迸るムゼオ・ローゼンバッハ、イルバレ、ビリエット、セミラミス、ジャズィーでアヴァンギャルドな道を拓いたアレア、クラシカル且つシリアスで一種の毒っぽさを秘めたオパス・アヴァントラにヤクラ…etc、etc、etc、兎にも角にも枚挙に暇が無いのが正直なところと言えるだろう。
 そんな多種多才で世界的な成功と栄光を夢見たイタリアン・ロックの第一次黄金時代に於いて、一種独特にして異色なカラーとポジションに位置し、PFMやイ・プーよりも以前に世界進出への視野を見据え果敢なる挑戦に臨んだ類稀なる存在にして、ブリティッシュ・プログレッシヴ直系のサウンドカラーとスタイルでワールドワイドを目指した唯一無比の彼等こそ、今回本篇の主人公アクア・フラジーレである。

 アクア・フラジーレ(英訳綴りならアクア・フラジャイル→“水濡れ厳禁”と言えよう)、バンドのネーミングからしてイエスからの影響が大なり小なり散見出来るが、それ以上に御大のジェネシス、GG、果てはアメリカのCSN&Yからの影響を窺わせるのは言うには及ぶまい。
 イタリアン・ロックらしからぬ爽快感を伴った突き抜ける様なサウンドワークとコーラスパートにハーモニー、それら全てが渾然一体となってアクア・フラジーレの世界観を雄弁に物語っていると言っても過言ではあるまい。
 アクア・フラジーレの物語は、バンドのリード・ヴォーカリストにしてフロントマン的な役割を担ったBernardo Lanzettiの歩みそのものといっても異論はあるまい。
 イタリア出身で母親がポーランド人、18歳までアメリカのテキサス州で青春時代を過ごしたBernardoにとって、必然的というかごく自然な感覚でロックとは英語で歌うものと身体に染み付いていたのかもしれない。
 そんなワールドワイドな感覚と素養を身に付けて1971年Bernardo自身イタリアに帰国後、程無くしてバンドメイトとして意気投合したPiero Canavera(アクア・フラジーレの殆どの楽曲を手掛けたのも彼である)を筆頭に、Gino Campanini 、Franz Dondi、そしてMaurizio Moriの5人編成でアクア・フラジーレの船出は幕を開ける事となる。
 結成以降イタリア国内の様々なロック・フェスティヴァルへ積極的に参加し、当時飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった名うてのバンドやアーティストと共演を重ねる一方、ジェネシス始めGG、ソフトマシーンといったブリティッシュ・プログレッシヴの大御所等がイタリア国内で公演を行う際、これを絶好の機会にとばかり自らを売り込んで何度もオープニングアクトの座を務め、アクア・フラジーレの知名度と注目度は日増しに高まっていく。
 彼等の特色はイギリスのプログレッシヴとアメリカのフォークソングから多大なる洗礼を受けつつも、決して“そのまんま”な音楽性を模倣で終始することなく、あくまでイタリア人のバンドという誇りとアイデンティティーを頑なに保持しつつインターナショナルな感性と語法を身に纏ったバンドという立ち位置に留まっていた稀有な存在と言えるだろう。
 デヴューまでに至る概ね2年間は自らの腕と技量、感性を磨きつつ、正式デヴューという目標を掲げ曲作りに明け暮れる日々であったが、そんな彼等の評判と噂を聞きつけてイタリア国内の大手レコード会社が注視の眼差しを向けるさ中、真っ先にデヴューに繋げる白羽の矢を立てたのは、かのヌメロ・ウーノレコードに加え名プロデューサーとして名を馳せていたクラウディオ・ファビ、そして先輩格のバンドでもありヌメロ・ウーノの看板的存在でもあった大御所PFMの面々が手を差し伸べた事で、彼等アクア・フラジーレの面々にとっては願ったり叶ったりな気持ちよりも、青天の霹靂の如く思いがけない展開…予想だにしていなかったサプライズに驚愕し感銘し、まさしく天にも昇る様な心境だったに違いあるまい。
 こうしてアクア・フラジーレは名匠Claudio FabiとPFMとの共同プロデュースの許で、1973年6月に自らのバンドネームを冠した念願と待望のデヴューを飾る事となる。
          
 ブリティッシュ・プログレッシヴの王道を継ぎ、アメリカのCSN&Yが持つ陽的でアーティスティックなパッションを鏤め、収録された全曲の曲名と歌詞が英語ながらもさほど違和感すら感じられないといった具合で、まさしくPFMの世界進出よりも先んじてワールドワイドなヴィジョンを強く意識した作風は、シュール+カリカチュアで摩訶不思議なジャケットデザインの秀逸さも手伝ってイタリア国内でも大きな話題を呼んだものの、ヒットに結び付くには程遠いセールスで、バンドサイドにとってはあまり幸先の良いスタートではなかったのが実に惜しまれる…。
          
 売れ行きこそ振るわなかったものの、同年期のイタリアのバンドにはあまり無かったであろう、明るい開放感、爽快な佇まいが作品全体から感じられて、イタリアらしい陽光の煌めきとたおやかな雰囲気、更には陽気さと抒情性が隣り合ったポップス感覚ながらも繊細で緻密な曲構成の巧みさに新鮮な驚きは禁じ得ない。
 デヴュー作がセールス不振という反省材料を糧に、彼等並び製作サイド布陣は臆する事無く心機一転とばかりヌメロ・ウーノの親会社に当たる大手リコルディへと移籍を決意し、新たなる製作環境の許で直ぐさま次回作への構想に取り掛かる事となる。
 翌1974年12月にリリースされた待望の2nd『Mass Media Stars』は、前デヴュー作と同様タイトルから歌詞に至るまで全曲英語を用いたスタイルが継続され、BernardoとPieroによる作詞と楽曲、Claudio FabiとPFMとの共同プロデュースと、良い意味で開き直りににも似た延長線上のスタイルとなったものの、より以上に感じられるのがジェネシスやGG影響下から脱し、アクア・フラジーレというバンドの自我をも模索したであろうオリジナリティーを追求した、ストレートさとシンプルさが明確になったサウンドワークが堪能出来、彼等自身にとっても会心の一枚となったのは言うまでもあるまい。
    
 が、バンドサイドの思惑とは裏腹に本作品の2ndリリース直後、キーボーダーでバンドの要的存在でもあったMaurizio Moriが、心身の疲弊と自身の諸事情が重なった理由でアクア・フラジーレから抜けてしまい、その後釜として何と!かの大物バンドで解散したばかりだったトリップからJoe Vescoviが加入。
 以前より鍵盤系の音色がやや弱かった感が否めなかったバンドにとって、Joeの重厚でパワフルなサウンドワークはまさに渡りに舟の如くサウンドをより以上に強化する上でも必要不可欠となり、2ndリリース以降のライヴ・パフォーマンスに於いても圧倒的な存在感を放ち、アクア・フラジーレにとっても大きな貢献と助力となったのはもはや説明不要であろう。
 しかし…1975年、当時既に世界的規模で大成功を収めていたPFMから、更なる高みを目指して世界進出を含めた成功への足掛かりにどうしてもBernardoの歌唱力が必要不可欠という、かねてからの加入要請で、アクア・フラジーレというバンドにとって終焉へと繋がる運命の時を迎える事となる。
 当のBernardo本人にとっては嬉しい気持ちよりも長年苦楽を共にしてきた仲間達との別離の方が辛く苦しく思い悩んでいた時期だった事だろう。
 Bernardoの気持ちを思い察したアクア・フラジーレのメンバー達は、高みを目指すならPFMに行くべきであると諭し、バンドメンバーの苦渋の後押しで袂を分かち合うかの様にBernardoはアクア・フラジーレを去る事となり、これを機にドラマーPieroの鶴の一声でバンドの解体を決意。
 アクア・フラジーレはイタリアン・ロックの表舞台から静かに去って行き、その短いバンド生命に一旦幕を下ろす事となる。

 ここから駆け足ペースで進めていくが、Bernardoをメインヴォーカリストに迎えたPFMは1975年アメリカに拠点を移して『Chocolate Kings』をリリースし、そして1977年『Jet Lag』をリリース後マンティコアとの契約解除と時同じくしてワールドワイドな活動に終止符を打ち、1978年原点回帰の如く再び活動拠点をイタリアに戻し、当時新興のレーベルだったZOOと契約を交わし『Passpartù』をリリースするも、目指すべき音楽性の相違でBernardoはPFMを離れ、以降は地道なソロ活動とイタリアン・ポップス界の裏方的役割に回ってサポートに徹するも、2002年突如MANGALA VALLISなる、21世紀イタリアン・ロックバンドを結成し1st『The Book of Dreams』、そして2005年に2nd『Lycanthrope』をリリース。
 このまま順風満帆にMANGALA VALLISを継続していくのかと思いきや、いつしかBernardoの心の片隅にアクア・フラジーレの再編への思いがよぎる様になり、昨今のムゼオ・ローゼンバッハ、メタモルフォッシ、マクソフォーネ、アルファタウラス、チェリー・ファイヴといった70年代イタリアン・ロックバンド再結成の気運はBernardoの心を大きく突き動かし、意を決した彼はアクア・フラジーレ解散以後も親交のあった、バンドのコンポーザーPiero Canaveraにコンタクトを取り、時同じくしてベースのFranz Dondiとも合流。
 MANGALA VALLISを離れたBernardoに、かつてのアクア・フラジーレのリズム隊だったPiero CanaveraとFranz Dondiのトリオで2017年アクア・フラジーレは復活再結成を果たし、楽曲によって取替え引替えでギタリストとキーボーダーを含めた多才なゲストサポート陣を迎え、実に43年振りの新作3rd『A New Chant』をリリース。
      
 原点回帰にとばかり描かれたであろう、さながらデヴュー作のアンソロジーないしオマージュとおぼしき摩訶不思議な意匠に包まれた意味深で新たなる決意表明にも似た、新生アクア・フラジーレの健在ぶりを窺わせるには十分過ぎる位の説得力と気概の籠った素晴らしい一枚に仕上がっているのが実に嬉しい限りである。
 オリジナルメンバー3人が年輪を積み重ねた分だけ円熟味と渋みが増して、筆舌し難い実に味わい深い良質で心打たれるイタリアン・ロック&ポップスの好作品であるのは紛れも無い事実と言えるだろう。
          
 アクア・フラジーレはもはやかつての水濡れ厳禁を揶揄する様な、蒼くて若き頃の脆くて壊れやすく硝子細工の様に儚い青年期から、年輪を積み重ねた今…水を得た魚の様に意気揚々と躍動し70年代と何ら変る事無く瑞々しくも初々しく青春を謳歌している。
 彼等の凛々しい雄姿がいつの日にか日本で観られるのもそう遠くない気がしてならない…。

一生逸品 ODISSEA

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 今週の「一生逸品」は、名実共に70年代イタリアン・ロック百花繚乱たる黄金時代に於いて、たった一枚の奇跡に値するかの如くほんの束の間の輝きにも似た秀作を残し、静かに自らの幕を下ろした隠れた抒情派“オディッセア”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


ODISSEA/Odissea(1973)
  1.Unione 
  2.Giochi Nuovi Carte Nuove 
  3.Crisalide 
  4.Cuor Di Rubino 
  5.Domanda 
  6.Il Risveglio Di Un Mattino 
  7.Voci 
  8.Conti E Numeri 
  
  Roberto Zola:Vo, 12st-G, 6st-G 
  Luigi“Jimmy”Ferrari:El-G, 12st-G, 6st-G 
  Ennio Cinguino:Key 
  Alfredo Garone:B, Vo 
  Paolo Cerlati:Ds 

 オディッセアが如何なる経緯で結成し、本作品リリースまでに至る道程を経たのかは…誠に残念ながら今現在の私自身ですらも知る術がないのが正直なところである。当然の事ながら、解散後の各メンバーのその後の消息すらも全くと言っていい位解らず終いである。 
 唯一判明しているのは…1973年に、イタリア大手のリコルディ系列の当時新興レーベルのRifiに自らのバンド名を冠した唯一作のアルバムと1曲目と4曲目をカップリングしたシングル一枚を残しているのみだけであるという事。
 彼等=オディッセアは、マーキーの「ユーロピアン・ロック集成」並び「イタリアン・ロック集成」において、演奏力から録音に至るまで良くも悪くも所謂“中堅処”に位置する存在としてある程度の評価を受けており、確かにPFMやバンコ、ニュー・トロルス、オザンナ、オルメ…等といったクラスには及ばないかもしれないが、唯一の身上として高く評価出来るところ、それは一連のカンタウトーレ系やラヴ・ロックにも相通ずる“純粋さ”そして“瑞々しい歌心”を始め、時折演奏の要所々々に感じられるハッとする妙味と巧みさ、哀愁の篭った感傷的なメロディーラインに、胸を掻き毟られる様な恋情にも似た欧州的叙情性に心を揺り動かされる方、心の琴線に触れるものを感じる方なら是非とも一聴をお奨めしたい、まさに逸品級の作品であろう。
 サウンド的なバック・ボーンとして察するに辺り、やはりジェネシスやイエス、PFMからかなり影響を受けていると思う。
 付随して当時のイタリア独特の香り・パッションも散りばめられていて、良い意味で如何にも万人受けするイタリアン・ロック初心者でも充分すんなりと受け入れられ易い好作品と言えよう。
 どっち付かずな散漫な印象といったマイナス面は確かに否めないが、あの当時1973年のイタリアン全盛期の真っ只中において、個性とアク(ムゼオ始めチェルベロ、RRR…等)の強さが強調されがちだった風潮の中、彼等は何物にも染まらない独自の色合いで清々しくもたおやかな爽風そのものがシーンを駆け巡っていったかの様な、まさしく“束の間の夢”そのものだった…そんな気がしてならない。 
          
 1曲目は端正なアコギとオルガンの調べに導かれ、けたたましくも劇的なストリング・シンセの高らかな響きにRoberto Zolaの渋くもしゃがれたヴォイスが切々と染み渡る、オープニングに相応しいナンバーで、途中の転調部はややイエス辺りからの影響をも窺わせる。
 2曲目は、遠く彼方から聴こえてくるアコギと小気味良いシンセにRobertoの優しさと力強さが同居した歌いっぷりが素晴らしくて、曲中間部はまさに全盛期のイタリアの音そのものである。
 唯一のインスト曲の3曲目は、今までオディッセアを聴かず嫌いだった方々をも唸らせるキーボードが大活躍の好ナンバーで、この曲だけでも、オディッセアを買って損は無いと思う。
 爽やかな海風を思わせるアコースティック・ギターの重奏が印象的な4曲目、優しくもどこか懐かしさを感じ心穏やかに癒されるメロディーと子供の語りが泣かせる5曲目、タイ・フォンの作風にも近い6曲目なんて心が締め付けられるかの様な感傷的でリリシズムな響きと歌いっぷりが素晴らしく中盤辺りなんて思わず一緒に口ずさんで熱唱したくなる位である。
           
 7曲目にあってはイタリアン・ラヴロックも顔負けの熱唱とキーボード・オーケストレーションが聴き物・涙物の秀曲で、続くラストの8曲目は如何にも終焉に相応しいリリカルでバラード風な味わい深さと、青春の残り香、ほろ苦さを感じずにはいられない。
 なかなか正当な評価が得られる機会も少なく、作品的・知名度的にもやや低い感(失礼!!)はあるものの、願わくば…どうか真っ白な画用紙の様に心を空っぽにして音に接してみて欲しい。
 其処には情熱的な喧騒の中にも人懐っこくてどこか寂しがりやなイタリア人の“生”の息遣いが伝わってくるかの様ですらある。ロカンダ・デッレ・ファーテ級とまではいかないもののそれに肉迫する心象すら秘めており、かのグルッポ2001、ブロッコ・メンターレ、アルーザ・ファラックス、アポテオジ…等と共にもっともっと評価されても良いのではと思う。 
 余談ながらもヴァイニール・マジックの2001年初版CD化に際し、マスターが紛失してしまったからか恐らくはLP音源で落としたものからかは定かでは無いが、正直お世辞にもあまり褒められたレベルの代物とは言えず音質自体やや劣っているのが正直なところであるが、却ってこれが逆に古き良きアナクロニズムを仄かに醸し出してて実に効果的ですらあるから面白いものである。
 個人的にもあんまり縁起でもない様な不謹慎な事を言いたくはないが、摩訶不思議なジャケット・ワークが何度見てもビルから投身自殺した現場にしか見えないから困ったものである…。
 余談ついでに本作品の使用楽器のクレジットにあってはメロトロンと堂々クレジットされてはいるものの、厳密に言うとソリーナか或いはエルカのストリング・アンサンブルである事を御容赦願いたい(苦笑)。

 彼等の唯一作が2001年にたった一度きりプラケース仕様でCDリイシュー化されてから早いものでもう20年近く経とうとしているが、そんなすったもんだあった不遇にも似た扱いから数年後にはマーキー・インコーポレイテッドの手により、デジタルリマスターでSHM-CD化され、よりクリアーで鮮明な彼等の音世界が私達の脳裏にまざまざと甦っていく事であろう。
 願わくば対訳された歌詞の一節々々にじっくりと目を通しながら作品を堪能して頂けたら嬉しい限りである。
 私のみならずイタリアン・ロックを愛する全てのファンにとって、オディッセアが遺した純粋無垢なまでの一枚の作品は至高にして至福な贈り物であると共に、彼等の生き様は決して安易に幻とか伝説なんて陳腐な表現では言い尽くし難い位に、これからも未来永劫新たな世代に聴き続けられる気高い魂の音楽として語り継がれてほしいと私は信じて止まない…。

夢幻の楽師達 -Chapter 53-

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 以前当『幻想神秘音楽館』にて「夢幻の楽師達」のアイズ・オブ・ブルー、そして「一生逸品」にてバンド改名し音楽的にも進歩を遂げたビッグ・スリープを前後篇形式で取り挙げた事がありましたが、今回久々にその前後篇形式の第二弾として、今週は「夢幻の楽師達」から“ウェブ”、そして「一生逸品」にてウェブから発展的進化(深化)を遂げた“サムライ”を取り挙げ、カンタベリーシーンとは異なったブリティッシュ・ジャズロック界に於いて、異端でカリスマ的ながらも長年伝説ともいえる存在としてその名をブリティッシュ・プログレッシヴ史の一頁に刻みつつも時代の荒波に抗ってきた苦難と闘いの男達の生き様に、今一度栄光という名のスポットライトを当ててみたいと思います。


THE WEB
(U.K 1966~1970)
  
  John L Watson:Vo
  Jon Eaton:G
  Tony Edwards:G
  Tom Harris:Sax, Flute
  Dick Lee-Smith:B, Per
  Kenny Beveridge:Ds
  Lennie Wright:Vibes, Per

 ビートルズの人気旋風が世界中を席巻していた当時、時同じくしてイギリスに於いてブリティッシュ・ジャズムーヴメントも黎明期真っ只中であったのは周知であろう。
 南イングランドはドーセット州の地方都市ボーンマスを拠点にしていた一介のジャズ系ローカルバンドSOUNDS UNIQUEを率いていたギタリストTony Edwardsと、かつてバンドメイトでもあったロック系ギタリストJon Eatonとの邂逅で、ブリティッシュ・ロックバンドの異端的存在ともいえるウェブは1966年その歴史の幕を開ける事となる(余談ながらも同じドーセット州のウィンボーンはかのロバート・フリップの出身地である事も忘れてはなるまい…)。
 まあ…実質上は“ヨーロッパへツアーしよう、レコードデヴューの話もある”と言ったTonyの言葉(口車!?)にJonが乗ってしまった様なものだが、いずれにせよSOUNDS UNIQUEはJonというもう一人のギタリストを得て、4ヶ月間にも及ぶヨーロッパ(フランス始め当時の西ドイツ、スイス含む)ツアーを敢行。
 それ相応の手応えと成果を得てイギリスに前途洋々帰国した彼等を待ち受けていたのは、大手ポリドールからのレコードデヴューの話が御破算白紙になったとの…一気に天国から地獄へ突き落とされた様な知らせにSOUNDS UNIQUEの面々は意気消沈するものの、気を取り直しいつか絶対に見返してやると発奮した彼等はボーンマスからロンドンへと活動拠点を移し、同時期に併行してロンドンのジャズクラブ界隈で注目を集めていたアメリカ出身の黒人シンガーJohn L Watsonを新たなヴォーカリストとしてメンバーに迎え、バンドネーミングも心機一転THE WEB(ウェブ)へと改名する。

 THE WEBとしてジャズ、ラテン、そしてソウルミュージックをも内包した独自の音楽世界観を保持しつつ、ロンドン市内の名立たるジャズクラブにて地道且つ精力的な演奏活動の日々に勤しむ内に、ロンドンのミュージシャンの仲間内及びレコード会社のトップクラスからも着実に注視され認知度を高めていった彼等に千載一遇のチャンスが訪れたのは1968年、かのブリティッシュ・ロック期のフリートウッド・マックを世に輩出した名プロデューサーMike Vernonの目に留まったTHE WEBはMikeプロデュースの下、オーケストラアレンジャーにTerry Noonan を迎え
大手老舗レコード会社デッカ傘下のデラムレーベルより『Fully Interlocking』をリリースし、華々しくも遂に念願のデヴューを飾る事となる。
 ただ…予め断っておくが、後年バンドの最高傑作となる3作目『I Spider』を聴いた後にデヴューアルバムに接した大半のプログレッシヴ・ファンの口からは、全く以って期待外れなジャンル違いの作品と酷評される向きも多々あるという事を肝に銘じて貰いたいという事であろうか(苦笑)。

 ブリティッシュ・ハードロックの大御所ディープ・パープルでさえデヴュー初期(第一期)にあってはプログレッシヴ寄りなアートロック志向だった事を踏まえれば、サイケカラーなソウル&ポップス系でデヴューしたウェブとて大胆なメンバーチェンジを経てプログレッシヴ・ジャズロックへと転化した事は何かしら必然的な変化と予兆を見据えていたと推測しても当たらずも遠からずと思えてならない…。
    
 兎にも角にもドギツイ様相の原色を多用した、お世辞にも美麗とは言い難い毒々しくもサイケデリアな時流を反映したジャケットアートで、名は体を表すの言葉通りソウルフルなラテンパッションを鏤めたジャズィーなポップミュージックで占められたデヴューアルバムであったが(組曲形式のラスト10曲目がプログレッシヴへの端緒というかアプローチが垣間見える)、イギリス国内ではさほど話題にならずセールス的にも成功とは程遠い結果となり、アルバムからシングルカットされた“Hatton Mill Morning/Conscience”も不発に終わり、ウェブはデヴュー早々から大きくつまずき改めて音楽業界の厳しい洗礼を受けてしまう次第であった。
 が、同年11月にTHE WEB with John L Watson名義でリリースされた2ndシングルが海の向こう側のオランダとベルギーを始めとするヨーロッパ諸国でヒットとなり、翌69年にリリースされた3rdシングルもヨーロッパ国内で好セールスを記録しウェブは実質上後年のジェネシスやGGよりも先駆けてヨーロッパで売れたブリティッシュ・バンドとして認知されたのは言うまでもあるまい(あくまでプログレとしてではないが…)。

 …が、3rdシングルリリースから程無くして、所詮一過性に過ぎないポップソング人気である事を危惧したMike Vernonの鶴の一声で、彼等ウェブ本来の持ち味を活かしたソウルでジャズィーなサウンドカラーに戻した2ndアルバムリリースを提案される。
 初心に還ろうという意味合い含め…原点回帰、軌道修正、或いは仕切り直しといった様々な見方こそあれど、デヴューアルバムで妥協し多少無理していた部分があった事にメンバーの大半が大なり小なりのもどかしさを覚えていたのだろう、Mikeの提言に賛同した彼等は本当に演りたい音楽を演ろうという指針の下、同年暮れに2ndアルバム『Theraphasa Blondi』をリリース。
          
 デヴューアルバムで描かれた毒々しいサイケカラーな意匠から一転して、野鳥を捕食する大蜘蛛のフォトグラフを起用した悪趣味丸出しなジャケットアートに、ダークサイドなブリティッシュ・アンダーグラウンドの一端が垣間見えると好意的に捉えるファンもいれば、おおよそ虫嫌い(特に蜘蛛嫌い)な向きからは毛嫌いされそっぽを向かれるといったところだろうか。
 アルバムタイトルでもあるTheraphasa Blondiとは、南米生息の大蜘蛛“ルブロンオオツチクモ(別名ゴライアス・バードイーター)”の意で、バンド名でもあるウェブ=蜘蛛の巣に引っかけたもので、個人的にこんな事を述べるのは非常に申し訳無いが…LP盤サイズないしCDサイズ問わず大きさが変ろうと変るまいと、あまり目にしたくも無いし買うのも躊躇する事だろう(苦笑)。
 肝心要のサウンド面では前デヴュー作で感じられた多種多彩な音楽性を詰め込み過ぎな見切り発車的で、幾分消化不良な雑多な感は否めなかったが、2作目の本作品にあってはクリームのナンバーを取り上げたり、バーンスタインの作品をメドレーアレンジしたりと意欲的な試みが窺えながらも、自らの演りたい音楽性が如何無く発揮されたジャズィーでソウルフルに富んだ快作に仕上がっており、John L Watsonの力強くもジェントリーで且つダイナミズム溢れるヴォーカルが存分に活かされた、(悪趣味なジャケットを差し引いても)まさしく本領発揮と言わんばかりの意気込みすら感じられ、ある意味ロックバンドサイドに立ち返ったであろう改めて再出発に相応しい充実した内容を誇っている。

 しかし悲しいかな、全力投球し果敢に挑んでリリースした自信作もジャケット・アートが災いしたのか、本国イギリスのみならずヨーロッパでも決定的なブレイクするまでには至らず、セールス的にも伸び悩みこれをきっかけにバンドサイドとMike Vernonとの間に大きな隔たりが生じ、レコーディ
ング・チームも解消せざるを得なくなった結果デッカレーベルとの契約も終了という憂き目に遭ってしまう。
 デッカから離れた後、翌1970年のプログレッシヴ・ロック元年…人伝とコネを頼りに新天地を求め新たにポリドールへ移籍するも、長年のツアーサーキットで心身ともに疲弊していたベーシストのDick Lee-Smithがバンドを離れる事となり、それに呼応するかの様にヴォーカリストのJohn L Watsonもバンド活動での限界を感じ、かねてからソロ・シンガーの道を志していた事を理由にバンドから脱退。
 ウェブは心機一転の矢先バンド存続という大きな危機を迎えるが、臆する事無くJon Eatonのベーシスト転向に加えてサウンド面での強化を図るために、旧知の間柄でもあったDave Lawsonをキーボード兼リード・ヴォーカリストに迎え、60年代のTHE WEB時代に訣別するかの様にTHEを外し新たにWEBへと改名。
 ロック、ジャズのみならずクラシックにも造詣の深いDaveのキーボード・プレイ…ハモンドのみならず、ピアノ、メロトロンを大々的に駆使したスキルの高さはウェブにとっても新たに大きな原動力となったのは言うまでもあるまい。
 ポリドールという新たな製作環境でたった5日間(!?)という僅かな限られた録音期間という、あまりに過酷で切迫した日数を費やしながらも、まさしく奇跡の為せる業の言葉通り彼等の作品中に於いて最高傑作でもあり後年ブリティッシュ・プログレッシヴの名作・名盤として挙げられる通算3作
目にして快作(怪作)の『I Spider』は1970年の暮れにリリースされる運びとなる。
    
 ソウルフルだった一介のジャズロックから、Dave Lawsonという大いなる才能を得て見事にプログレッシヴ・ロックへとシフト・転身した充実ぶりはもはや説明不要と言っても過言ではあるまい。
 クリムゾンやVDGGばりのヘヴィでジャズィー、クラシカル・シンフォニックなエッセンスを鏤めながらも深く重くダークに畳み掛ける極上にして漆黒の音空間は、収録された全曲のスコアを手掛けたDaveのコンポーズ能力も然る事ながら、文字通り6人のメンバー全員の演奏力が渾然一体となった結晶そのものであると言っても異論は無かろう。
 2作目の悪趣味なジャケットで味を占めたのか、悪趣味な傾向のジャケットアートは更に拍車を掛け、動物の頭に見立てた影絵の様な手の形を動物や鳥類のボディに嵌め込んだ、悪趣味極まりないの言葉を通り越した不気味でダークな意匠も、一目見ただけで実に忘れ難い。  
 『I Spider』なるアルバムタイトルも、2作目の大蜘蛛のフォトグラフに倣ってインスパイアというか意趣返しみたいな感が見受けられ、あたかもデッカ時代への恨み節とでもいうか皮肉っぽさが込められていると思えるのは些か穿った見方であろうか…。
 余談ながらも個人的には、50年代ハリウッドの巨大化したタランチュラが暴れ回る(良い意味で)SFB級パニック映画テイストな不気味さと怖さすらも想起出来ると言うのは言い過ぎだろうか…。
          
 しかしまたしても悲しいかな…心機一転で臨んだ会心の自信作も、ポリドールサイドが期待していたセールスには到底程遠く、僅かたった一年足らずでウェブはポリドールとの契約が解除され放逐されるという憂き目を見てしまう。
 このブログでも何度か述べてきた事だが、古今東西世界各国いつの時代に於いても心打つ感動的な素晴らしい音楽が必ずしも売れて大成するとは限らない事は明白であって、ジャンルごとに専門分野のレーベルが細分化の如く数多く設立されている21世紀の今日とは違い、70年代の音楽産業は成果
と売り上げ次第で合否が決まるといった具合で、それはさながら喰うか喰われるかといった半ば悪魔との取り引きにも似た…ギャンブルめいた人生と運命の駆け引きそのものだったと思えてならない。
 無論レコード会社とて慈善事業の団体様では無いが故に、生活だって懸かっているから一方的に攻める訳にもいかないのだが…改めて打算的とでもいうか皮肉めいているというか。
 うっかり話が横道に逸れてしまったが、ポリドールとの契約解除で放り出されたウェブの面々に追い討ちをかけるかの様に、長年苦楽を共にしてきたサックス兼フルートのTom Harrisまでもがバンドを去っていき、ウェブは実質上Daveを始めTony、Jon、Kenny、Lennieの残された5人で継続させる事で落ち着き、失意に浸る間も無く新たなる存続への道を模索する事となり、決して開き直ったという訳ではないものの、もはやメジャーなレコード会社とは一旦断ち切ってインディーズでマイナーなレコード会社で起死回生と活路を見い出そうと逆に発奮し、自らの存在意義たるものを今一度証明したいが為に、心と決意新たに70年代という時代に真っ向から勝負を挑んでいく事を選択したのである。
 翌1971年、ウェブは一切合財の過去や栄光を捨てて、正真正銘の起死回生と心機一転でバンド名を改め士(もののふ)の精神で自らをサムライ(SAMURAI)と名乗り、百花繚乱なブリティッシュ・ロックシーンという名の戦場へと赴いて行くのであった。

…to be continued

※ 「一生逸品」SAMURAIの章へと続く。

一生逸品 SAMURAI

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 今週の「一生逸品」は先日の「夢幻の楽師達」で取り挙げた前篇のウェブの続きをお届けします。

ウェブ時代の最終作にして最高傑作として名高い『I Spider』で構築された、その一種独特なる音楽性の発展形ともいえるプログレッシヴ・スタイルの孤高なるバンドとして生まれ変わった“サムライ”を後篇に取り挙げ、大英帝国のロック黄金時代の幕開けにしてブリティッシュ・アンダーグラウンドという名の混沌と暗中模索に彩られた大いなる渦中に果敢なる闘いを挑んだ、時代の中でのほんのひと握りの栄光を夢見た誇り高き士(もののふ)達の生き様に、私達は今一度輝かしいスポットライトを当ててみたいと思います。

SAMURAI/Samurai(1971)
  1.Saving It Up For So Long 
  2.More Rain  
  3.Maudie James 
  4.Holy Padlock 
  5.Give A Little Love 
  6.Face In The Mirror 
  7.As I Dried The Tears Away
  
  Dave Lawson:Key, Vo
  Tony Edwards:G
  Jon Eaton:B
  Kenny Beveridge:Ds
  Lennie Wright:Vibes, Per

前回までのあらすじ ~ 
 ブリティッシュ・ロック及びブリティッシュ・ジャズシーンが新たなる時代の曙にして希望と夢に満ちた幕開けを迎えつつあった60年代中期~末期にかけて、南イングランドはドーセット州の地方都市ボーンマスを拠点にしていた一介のジャズ系ローカルバンドSOUNDS UNIQUEを率いていたギタリストTony Edwardsと、かつてバンドメイトでもあったロック系ギタリストJon Eatonとの邂逅で、ブリティッシュ・ロックバンドの異端的存在ともいえるウェブは1966年その歴史の幕を開ける事となる。
 百花繚乱と複雑怪奇な背中合わせの思惑が渦巻く当時の英国のミュージックシーンに於いて、ウェブのその後の道程と歩みたるや決して平坦で安穏とは言い難い、それはまさしく一握りの一夜の栄光と大いなる躓きと挫折の連鎖、希望と失意の繰り返しそのものと言っても過言ではあるまい。
 ヨーロッパでの成功に相反し本国イギリスでの予想外のセールス不振に加え、大手レコード会社並びスタッフへの軋轢と不信感の重なりは、音楽業界お決まりとも言うべき理想と現実のギャップを嫌というほど味わされ辛酸をも舐めさせられた彼等にとって重圧となってのしかかっていくが、メンバーチェンジと路線・方針転換によって一介のブラス&ジャズロックバンドから、70年代という時代相応に臨んだプログレッシヴ・ロックへシフトしていく事となる。
 ウェブは通算第3作目にして最高のクオリティーを誇る傑作『I Spider』をリリースし、自らの存在意義を改めて表明したものの、大手ポリドールからの期待に反しまたしてもセールス不振を招きレコード会社からも放逐という憂き目に遭ってしまう(後年『I Spider』が再評価され、ブリティッシュ・プログレッシヴの名作に数えられるというのも何とも皮肉な限りであるが…)。
 商業的な成功こそ収められなかったが、『I Spider』で参加したキーボーダー兼ヴォーカリストDave Lawsonという新たなメロディーメーカーにしてキーパーソンを得たウェブは、心機一転Daveを主軸とした5人編成(同時期にサックス&フルート奏者のTom Harrisが抜けた事も一因している)でバンドの立て直しを図り、メジャーなレコード会社とは一旦距離を置いた形でデッカレーベル傘下のマイナー系レーベルGreenwich Gramophone Companyで活路を見い出そうと決意を固める。
 こうして彼等5人はウェブ時代の過去と一切合財訣別し、正真正銘の起死回生でバンド名改め士(もののふ)の精神で自らをサムライ(SAMURAI)と名乗り、1971年…百花繚乱なブリティッシュ・ロックシーンという名の戦場へと再び赴いて行くのであった。  

 実質上はウェブの4作目と捉える向きも多々あるが、ウェブの『I Spider』で得られた音楽的経験とある種の手応えを弾みに、バンドの改名とサウンド面含めて大幅なステップアップと並々ならぬ向上心と野心すら抱かせる文字通り70年代初頭のブリティッシュ・アンダーグラウンド黎明期を飾るに相応しい好作品に仕上がっているのは最早言うに及ぶまい(クリムゾンの『宮殿』と『ポセイドン』同様、ほぼ姉妹的な作品であると関連付けても当たらずも遠からずといったところだろうか…)。
 ウェブ時代からの毒々しいサイケカラーのデヴューアルバム以降、野鳥を捕食する大蜘蛛、動物を模した影絵の様な手の形とガチョウ、キツネ、ウサギとがコラージュされた見た目不気味さ満載の悪趣味なオンパレードのアートワークが付きものの彼等ではあったが、これで味をしめたのかどうかは定かではないが…サムライ名義で再出発したにも拘らず、本作品でも悪趣味というか卑猥にして淫靡とでもいうのか、おおよそ美麗な意匠とは若干かけ離れた(まあ、よくあるパターンとでもいうのか)間違いだらけで勘違い甚だしい誤った認識なジャポニズムが描かれた、西洋人らしい浮世絵の解釈…あるいは春画っぽさも感じられる、見方を変えれば百鬼夜行にも似た冥土で情事に耽る男女の亡霊すらも想起させる独特の世界観を醸し出しており(サングラスしてハッパ=薬なのかLSDなのか煙草なのかを決めている男の指なんて完全白骨化というか木乃伊だもんな)、これが意外にも骨太で硬派なサムライのサウンドとイメージ的にもマッチングしているのだから、世の中何が幸いするのか実に不思議なものである…。
 余談ながらもパープル2代目ギタリストで今は亡きトミー・ボーリンのソロ・アルバムのジャケットを連想したのは私だけだろうか。
 アルバムの意匠はさて置いて、Daveを始めTony、Jon、Kenny、Lennieの5人のラインナップに、Daveとは旧知の間柄でもあったTony RobertsDon Fayの2人の管楽器奏者をホーンセクションに配し、ウェブ時代の混沌としていた感のサウンドから更に一層突き抜けた感+よりシンプルでストレートさを明確に打ち出した、ひと味もふた味も異なった重厚感とアンサンブルを構築し、メンバー間の音楽性とスキルの向上も然る事ながら収録されている全曲共に一切の無駄やら捨て曲が皆無な完全無欠で必聴必至な傑作に仕上がっている。
          
 アップテンポで小気味良いビートの連打を刻むベースとドラムに導かれ、ギターとハモンドが被さり、ノイズィーにイコライジングされたヴォーカル、そしてホーンセクション、ヴィヴラフォンが追随するという、寄せては返す波の如くプログレッシヴなアプローチが全面的に展開され、まさしく彼等の再出発でもありオープニングを飾るに相応しいストレートな曲調とメロディーラインは圧巻の一語に尽き、耳にする誰しもが魅了される事必至であろう。
 2曲目は打って変って、静的な雰囲気漂うメロウにしてリリカル…ラテンフレーバーとアフロミュージックのエッセンスをも内包した泣きのフルートとパーカッションの掛け合いが絶妙で、タイトル通りに雨空の憂鬱さと退屈さを醸し出しつつもフルートの音色が妙に艶っぽくエロティックで甘美なフィーリングが印象的ですらある。
 個人的には雨の黄昏時にグラス片手に独り静かに佇みながら物思いに耽りたくなる…そんな気分をも抱かせる好ナンバー。           
 ウェブ時代の『I Spider』の名残すら感じさせる3曲目のヘヴィでダークでメランコリックが混在した燻し銀の様な曲想に、あたかも男の哀愁と孤独感すら漂う悲しげなピアノとアコギ、サックスの共鳴が胸を打ち、さながらブリティッシュ・アンダーグラウンドの光明と陰影すらも照らし出しているかの様ですらある。
 続く4曲目も3曲めの流れを汲んだ曲調で『天地創造』や『ポーン・ハーツ』期のVDGGに追随するかの様に、同時代性のリリシズムとストイックさとが隣り合ったジャズィーなセンスが光る佳曲で、楽曲の転調とヴォーカルラインの節回しが絶妙であるが故に終盤フェイドアウトしていくのが何とも勿体無い限りである。
 ワウワウを利かせたヘヴィなファズギターのイントロダクションが効果的な5曲目も聴き処満載で、ストレートにロック&ブルーズィーを意識したアップテンポにしてパンチの効いた好ナンバー。
 4曲目と同傾向であたかもVDGGをもリスペクトしているかの様な6曲目の孤高で詩情溢れる曲の流れに加えて、プログレッシヴ特有なテープ逆回転ギターフレーズの導入が更なる深みを与えているのが何とも微笑ましい。
 深く沈み込むかの如く畳み掛ける様なヘヴィ・プログレッシヴなリフレインが圧巻のラストナンバーは、剛と柔、動と静、押しと引きといった曲調の均衡が存分に保たれ、ハモンド始めギター、リズム隊、ヴィヴラフォン、ホーンセクションとが終局に向かって渾然一体となった、まさしくこれぞサムライサウンドの聴かせ処にして面目躍如を物語っている8分越えの大曲には溜飲の下がる思いですらある。
 更に嬉しい事に近年YouTubeにアップされた画像配信には、未発表曲までもが収録された大盤振る舞いな内容となっているので必聴必至は言うに及ぶまい。

 デヴューリリースはセールス的にもまずまずの成果を上げ、ライヴフェスを含め数々のギグに参加し、サムライという存在の知名度も徐々に拡がりつつあったものの、運命の悪戯とはどこででどう転ぶか解らないもので…翌1972年、元コロシアムのTony Reevesから新バンド編成の話を持ちかけられたDave Lawsonは、『リザード』リリース後にクリムゾンを辞めたAndy McCulloch と共にDave Greensladeの下に結集。
 結果的にDave Lawsonのサムライ離脱でバンドは敢え無く解散への道を辿り、メンバー各々がそれぞれの道へと歩む事となる。
 肝心のDave Lawsonに至ってはもう既に御存知の通りグリーンスレイドの主要メンバーとしての座に収まり、解散するまでバンドのキーパーソンを務め上げる次第である。
 グリーンスレイド解散後のDave の動向は、かのスタクリッジに在籍したり、後年様々な映像作品やテレビ番組の音楽を手掛ける第一人者として確固たる地位を築き今日までに至っている。
 他のメンバーに関しては残念ながらその消息と動向は不明であるが、大半はおそらく現在もなお音楽畑に携わっているものと思われる。
        
 英国のロックシーン黎明期という大海の荒波に翻弄され数奇な運命を辿ったウェブ→サムライであったが、試行錯誤と紆余曲折の連続を積み重ねながらも、自らの進むべき道と存在意義を模索した彼等はセールス云々どうこうを抜きに、決して時代の敗者で終わる事無く…今風に言ってしまえばブリティッシュ・ロック史に大いなる“爪痕”を残し、その軌跡と栄光の証を私達の記憶にしっかりと刻み付けた、文字通りの侍=士(もののふ)の精神を異国の地で受け継いだ勝者に他ならないと、今こそ我等プログレッシャーは堂々と立ち上がって声を大にして讃えようではないか。

夢幻の楽師達 -Chapter 54-

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 8月最後の「夢幻の楽師達」、個人的にいつも初秋のこの時期ともなると時折CD棚から引っ張り出して聴きたくなる、英国ならではの抒情と牧歌的な趣を湛えつつ先鋭的で陰影を帯びたシニカルなメッセージ性すらも孕んでいる、唯一無比にして自らの音楽世界と信念で時代と世紀を歩んできた稀有な存在でもある“ジョーンズィー”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


JONESY
(U.K 1972~)
  
  John Jones:Vo, G, Syn
  Jimmy Kaleth:Mellotron, Piano, El‐Piano, Vo
  David Paull:B, Vo
  Jim Payne:Ds, Per

 70年代初期のブリティッシュ・ロックシーンに於いてデラム、デッカ、ヴァーティゴ、ネオン、そしてドーンといった多種多彩な新興レーベルの発足は、後年ブリティッシュ・レアマストアイテムとなって注目を集めるグレイシャス、クレシダ、インディアン・サマー、スプリング、アフィニティー、T2…etc、etc、俗にいう70年代初期のブリティッシュ・プログレッシヴ・アンダーグラウンドの一端を担う事となったのは最早言うには及ぶまい。
 当ブログにて何度も言及してはいるものの、60年代末期~70年代初期のブリティッシュ・ロックの全貌たるや…シーンの層の厚さに加えて人脈の複雑怪奇で雑多に情報が絡まり合った袋小路と迷路さながらといったところであろうか(苦笑)。
 フロイド、クリムゾン、イエス、EL&P、ジェネシス揃い踏みの俗に言う大メジャーな5大バンド、それに準じてソフト・マシーン、ムーディー・ブルース、BJH、キャラヴァン、VDGG、ジェントル・ジャイアント、ルネッサンス、キャメル…が続き、一縷の望みと夢を抱いた前途有望な逸材の大半が良くも悪くもブリティッシュ・アンダーグラウンドに留まったまま、イタリアン・ロックの名作群と比べると“高額なプレミアムの割に大した事ない…”なんぞと陰口を叩かれ、ブート紛いで音質も悪い廉価盤並みの再プレスが多数出回ったお陰で余計にブリティッシュ・レアアイテムの名作が過小評価のまま憂き目を見ているといった塩梅で、大なり小なり今でも時折そんな感すら覚えている今日この頃である。

 前置きが長くなったが、今回本篇の主人公でもある彼等ジョーンズィーは、そんな夢と希望と不安に満ち溢れていたであろう70年代初期のブリティッシュ・シーンに於いて、その非凡で一種独特の個性を保持し安易に流行の音に染まる事無く自我を貫き通した、唯一無比の異色の存在であったと言っても過言ではあるまい。
 バンドネーミングの由来は読んで字の如し、1971年に2枚のアルバムをリリースし既にシンガーソングライターとして確固たる地位を築いていたJohn Jonesと、彼のバックバンドを務めていたJimmy Kaleth(Key, Vo)、David Paull(B, Vo)、Jim Payne(Ds, Per)の3人が、時代相応の新たなるヴィジョンを見据えて4人編成のバンドスタイルへと移行したというのが大筋の見方である。
 ちなみにキーボーダーのJimmy Kalethがかのグレイシャスのオリジナルメンバーだった事はあまり知られていない(彼は“”の録音前にグレイシャスを抜けている)
 こうして心機一転ジョーンズィーとして生まれ変わった彼等は当時新興のレーベルだったドーンと契約を交わし、1972年John Jones主導によるプロデュースの下『No Alternative』で堂々たるデヴューを飾る事となる。
 以前より物憂げでシニカルな世界観をフォークタッチで謳ってきたJohn Jonesの音楽性が最大限活かされた…ジャケットアートひとつ取ってもお世辞にも美麗でファンタスティックとは言い難い、ロンドンのスラム街とでもいうか最下層の貧民街にバベルの塔の如き高層ビルが立ちはだかるといった、デヴューにも拘らず何ともアイロニカルでシニカルな批判と皮肉めいた意匠とアルバムタイトルといい、当時のロンドンのロックファンすらも“何だこれは!?”と言わんばかりに面食らった事だろう。
          
 彼等の音楽性でよく喩えられるデヴューから『リザード』までの初期クリムゾン影響下(亜流と揶揄する輩も多々いるが)のヘヴィ・ロックらしさが顕著に表れた、所謂一介のフォークロックからクリムゾンやイエスに憧憬を抱きメロトロンを駆使した壮大でアイロニカルなプログレッシヴへと転化した労作…或いは佳作と見る向きが正しいのかもしれない。
 良い出来の作品ながらも陰鬱なグレーを基調とした地味なジャケットが災いし音の整理や仕上げが雑…と見る向きや批評もあるにはあるものの、ドーンレーベルの寛大な庇護の甲斐あってジョーンズィーはデヴュー間もなく相応の実績を残し、メインライターでもあるJohn Jones自身もある種の達
成と充実感に満ち溢れんばかりであった事だろう…。
 とは言うものの、本デヴュー作に於いて音楽性の相違が表面化し、結果David PaullとJim Payneのリズム隊が脱退するという憂き目に遭ってしまう。

 が、デヴュー作での追い風を受けリズム隊脱退すらも臆する事無く、新たなベーシストとして10代の頃から音楽活動と苦楽を共にしてきたJohn Jonesの実兄Gypsy Jones、そして新たなドラマーとしてPlug Thomasを迎えた彼等は、更なるサウンドの強化と音楽性に幅を持たせる為にトランペット奏者として後々のバンドのキーマンとなるAlan Bownを加えた5人編成に移行し、翌1973年絞首台に吊るされた一輪の薔薇という何とも意味深でタダナラヌ雰囲気を帯びたフォトグラフの、名実共に彼等の最高傑作でもあり代表作と呼び声の高い『Keeping Up…』をリリース。
    
 前デヴュー作の流れを汲みつつも、Jimmyの劇的で感傷めいたメロトロンとピアノに、抒情的で寂寥感すら想起させるAlanのトランペットとの相乗効果が功を奏し、クラシカルなストリングセクションをバックに配しアイロニカルでペシミズムな佇まいの音世界にほんの束の間の刹那な一片のロマンティシズムすらも垣間見られる様になる。
 見開きジャケットの内側に淡いペン素描画で描かれたイギリスの片田舎の大きな農家屋と牛舎のイラストが実に味わい深くて如何にもといったブリティッシュ感に心が震える思いですらある。
        
 余談ながらも彼等の2nd『Keeping Up…』について、私自身の思い出話みたいで恐縮であるがほんの少しだけお付き合い願いたい。
 今を遡る事1985年、まだ20歳そこそこの駆け出しプログレッシャーだった雛っ子な若僧だった時分、当時マーキー誌の編集部で学生バイトながらも臨時の編集員を勤めていたT氏が、大学の卒業旅行を兼ねてイギリス含むヨーロッパにてアナログ中古盤の買い付けに行くとの事で、私も就職して一
年目年齢相応の手当てを支給されてはいたものの、高額プレミアムなレアアイテムは当時にしてみれば高値の花、それでも清水の舞台から飛び降りる気持ちで思い切って2万円の餞別を渡し、個人的にお土産がてらプログレのレアアイテムを買ってきてほしいと頼み、T氏が帰国後送られてきた梱包の中にはベガーズ・オペラの1st、レア・バードの2ndに混じってジョーンズィーの『Keeping Up…』が同封されており、10代後半の時分にフールズメイトで1、2回チラッと見かけただけの印象で“吊られた薔薇ってのも何だかなァ…”とそんなに大して気にも留めてなかったのが正直なところで、いざLP盤に針を落とし一聴した率直な感想としてはメロトロンとトランペットの好演で出来は悪くないが、あたかも『リザード』期のクリムゾン影響下のロック、ジャズ、クラシック、ポップスといった多種多彩な要素を内包した、良い意味で即興的な演奏と幅広い音楽性が楽しめる反面悪く取
ってしまうと結局のところどっち付かずなボヤけて中途半端な第一印象だったのを今でも鮮明に記憶しているから困ったものである(苦笑)。
 今にして思えばやや言い訳がましいが、あの時分まだ年齢が若過ぎたこともあって音楽的嗜好の成長が追い着いてなかったという理由もあるのだろうけど。
 でも要所々々で聴かせ処があって、数年間は時折思い出しては棚から引っ張り出し、決して愛聴盤とは呼べなかったにせよそれでもかなり大切に聴いていたのを覚えている。
 結局何らかのレア物とトレード交換して自分の手から離れていってしまったけど…。

 前デヴュー作と同様、本作『Keeping Up…』のイニシアティヴとプロデュースはJohn Jonesではあるが、その一方でキーボードJimmy Kalethの手による好ナンバーも顕著に表れているのが見て取れる。
 事実この作品に於けるJimmyの功績が後々バンドにとって大きな転換期・分岐点へと繋がるのだから運命とはどこでどう転ぶかつくづく解らないものである。
 Jimmyの創作意欲に歩調を合わせるかの如くトランペッターAlanの存在も徐々にクローズアップされバンド内でも重要なウェイトを占めつつあるのと時同じくして、翌1974年に名プロデューサーでもあるルパート・ハインを迎えて製作された通算3作目の『Growing』でジョーンズィーは今までのヘヴィで且つクラシカルな趣のシンフォニックな作風からガラリとイメージチェンジを図り、(ドーンレーベルからの意向も汲まれたのかもしれないが)明快明朗で思いっきりジャズィーでファンキーな切れのある作風へと移行していく。
    
 『Keeping Up…』期の同一メンバーに加え、セコンド・ハンドやセブンス・ウェイヴに参加していたKen Elliot、そしてブランドXにて頭角を表していたMaurice Pertをゲストを迎え、ストリング・セクションをバックに配し冴え渡るルパート・ハインの秀でたプロデュース能力…等、どれを取っても申し分の無い最高の布陣で製作された会心の一作と言っても過言ではあるまい。
 が、バンドサイドの思惑とは裏腹にアルバムセールスは予想外に伸び悩み、出来映えこそ決して悪くないものの、バンドがファンキー化してしまった時点で多かれ少なかれジョーンズィーにアイロニカルなロマンティシズムとリリシズムを求めていたファンやリスナーからそっぽを向かれ、多くの支持者達が彼等の許から離れていったのもまた事実と言えるだろう…。
 無論正反対にこの路線からジョーンズィーに好感が持てる様になったと言う輩がいるというのもまた然りではあるが。

 更なる悪循環は連鎖で重なるかの如く、バンド内で重要なポジションを占めていたフロントマン的存在John Jonesの存在が希薄になってしまい、バンドの主導権がJimmyとAlanの両名に掌握されてしまった事で(嫉妬とまではいかないにせよ)彼自身のプライドと心が傷付いてしまい、時折寂しい気持ちに襲われることもしばしばあったそうな。
 あたかもジェネシスというバンドで喩えたら、バンド内で対立が表面化し孤立無援で行き場を失ったゲイヴリエル、果てはサウンドのポジションで役割すらも奪われたハケットにも似た境遇を見る様な思いで何とも痛々しい…。
 そういったバンド内での陰鬱でギスギスした雰囲気を察したのかどうかは定かではないが、結果的にJimmyとAlan、そしてPlug Thomasの3人がバンドを離れる形となり、Jones兄弟を中心に、『Growing』にてゲスト参加していたKen Elliotが2代目キーボードとして正式に参加、Bernard Hagley(Sax)、David Potts(Ds, Per)を迎えた新たな布陣で次回作『Sudden Prayers Make God Jump』に臨む事となる。
 路線変更に差し掛かっていた前3rd『Growing』での失地回復と言わんばかり、再び2nd『Keeping Up…』の頃のヘヴィで陰影を帯びたプログレッシヴな作風への回帰を目指す意気込みで取り組んでいただけに、Jones兄弟を始めとする新たなメンバー全員が納得出来る会心の一枚になるべき筈が、悪運とは重なるもので肝心要の自らのホームグラウンドでもあったドーンレーベル1975年の閉鎖(経営難による倒産なのか?)の煽りを受けて、マスターテープこそ完成はしていたものの結果的に世に出る事無くお蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
 このレーベル云々のクローズとトラブル等でバンド自体すっかり意気消沈し、創作意欲はおろか目的意識すらも見い出せなくなった彼等は、知らず知らずのうちにバンド自然消滅という形で自らの幕を引き完全に時代という表舞台から去って行ってしまう。
 その後のバンドメンバー各々の動向は知る術が無く、それ相応に地道なセッションやらで生計を立てていた者もいれば、音楽業界から完全に足を洗って堅気の職に就いた者…と様々な見方が取れるであろうと思われる。

 こうして時代は流れ流れて80年代から90年代そして21世紀初頭へと移り変わり、ブリティッシュ・ロック始めプログレッシヴとユーロ・ロックを愛する多くのファン誰しもが記憶と脳裏から、ジョーンズィーの存在は最早過去のものとして忘却の彼方へと葬り去られようとしていた…そんなさ中の2003年突如バンドサイドからお蔵入りされた幻の4thアルバム『Sudden Prayers Make God Jump』復刻リリースの報に、長きに亘って陰ながらバンドを支援してきた全世界中のファンとリスナーは歓喜に色めきたったのは言うまでもあるまい。
    
 肝心なマスターテープが紛失し所在不明という痛手こそ被ったものの、災い転じて福と為すの諺通りフロントマンだったJohn Jonesの手元に幸運にもマスターから直接ダビングされたカセットテープ所有との知らせに、イタリアのNightwingsなるプログレッシヴ専門レーベルが音質良し悪し云々を抜きにリイシュー化へと乗り出し、ジョーンズィーの4作目は幻で終わる事無く、こうして実に27年振りに陽の目を見る事となった次第である。
 カセットテープからの音源で確かに音質こそ難ありという重箱の隅を突く様な指摘こそあれど、70年代の雰囲気をそのまま伝える混沌とした意匠を含め『Keeping Up…』期の頃を彷彿とさせるヘヴィでジャズィーな感触と牧歌的なリリシズムとが同居した唯一無比な音世界に多くのリスナーは溜飲の下がる思いだった事だろう…。
 このサプライズ的な出来事を境に、かつてのジョーンズィーだったメンバーサイドからもいつしかバンド再結成への思いが日に々々募り始め、同時期の2007年イギリスESOTERIC RECORDから未発表曲を含む2枚組ベスト編集盤『Masquerade: The Dawn Years Anthology』がリリースされた事が、彼等にとって復帰へと繋がる大きな追い風となり、John Jonesに代わって実兄Gypsy Jonesを中心としたジョーンズィー再結成を合言葉に、時同じくして袂を分かち合ったJimmy KalethとAlan Bown、そしてPlug Thomasと共に再び志が一つになった4人は2011年ジョーンズィー再結成と同時に自らのレーベルとサイトオンリーの流通で通算5作目現時点で新譜に当たる『Dark Matter (inner Space)』をセルフリリースし今日までに至っている(余談ながらも、2003年復刻リリースされた『Sudden Prayers Make God Jump』も新たに音源がリマスター化され、アートワークも改変されてセルフレーベルより再リリースされている)。
 混迷の21世紀に相応しい意味深でアイロニカルな世界観を投影した意匠通り21世紀スタイル版ジョーンズィー降臨を世に知らしめた決定打とも言えるだろう。  
 メロディック・シンフォの雄IQも2004年同名タイトルのアルバムをリリースしているが、作品と出来栄えこそ甲乙付け難いものの、洗練度と先鋭的なテーマという面ではフロイドの『鬱』や『対』にも匹敵するであろうスタイリッシュで硬派なダーク・プログレッシヴとして頭一つ抜きん出ているといったところだろうか。
    
 決して現代風な長尺の大作主義には偏らない、かつての70年代の気概と姿勢を踏襲した収録40分弱というのも彼等らしいといえば彼等らしい…。
 サックス奏者と数名ものギタリストをゲストに迎え、かつてのフロントマンだった弟John Jonesの穴を埋めるべく一曲毎にギタリストを変えてはその曲のテーマとイメージに合ったメロディーラインが堪能出来て、時代に則したバンドの新たな側面と魅力を伝える上で聴き処満載なのが喜ばしい限りである。

 バンドが再編復活してから今年で9年経過するが、そろそろ新作を含めた諸々の新たなる情報がアナウンスメントされてもいい時期ではなかろうか…?
 とはいえ、年齢云々の面やら創作意欲との比例を考えればスローペースになるのはいた仕方あるまい。
 彼等がこれからも生き続ける(行き続ける)限り、リスナー・聴衆の側である我々はひたすら静かに待ち続けるしかあるまい。
 彼等と彼等の音楽を待っている者との夢のまた夢はまだまだ果てしなく続く。

一生逸品 CZAR

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 今月最後の「一生逸品」は夏から秋へと季節の移り変わりに相応しく、陰影を帯びた晩夏の黄昏時の真下をも彷彿とさせる70年代ブリティッシュ・ロックから、当時のアンダーグラウンド・シーンの深淵と真髄をも垣間見せる隠れた名盤・傑作の称号を欲しいままにダークサイドの申し子として未だ揺るぎ無い位置に君臨し続けている、サイケ・ヘヴィプログレッシヴの寵児“ツァール”に今一度栄光の焦点を当ててみたいと思います。


CZAR/Czar(1970)
  1.Tread Softly On My Dreams
  2.Cecelia
  3.Follow Me
  4.Dawning Of A New Day
  5.Beyond The Moon
  6.Today
  7.A Day In September
  
  Bob Hodges:Key, Vo
  Paul Kendrick:B, Vo
  Mick Ware:G, Vo
  Del Gough:Ds

 今日の21世紀プログレッシヴを語る上で、時代相応の主流とも言うべきメロディック・シンフォニックに相対する形で、一方の対極に位置しているであろう…往年の70年代プログレッシヴが持っていた良さと旨味、或いは伝統や醍醐味を現代に継承した(妥当な言い方を許して貰えれば)ネオヴィンテージ・プログレッシヴが現在のシーンの一方の片翼を担っていると言っても過言ではあるまい。
 ユーロ・プログレの中枢でもあるイタリアに於いては、ラ・マスケーラ・ディ・チェッラを始めとする大多数もの70'sイタリアン・ロックの伝統とDNAを受け継いだ新鋭達。
 アングラガルド、アネクドテン、パートス、オペスといった王道復古の逸材を多数輩出したヴィンテージ系プログレ王国の北欧スウェーデン系、そしてスイスのドーンやシシフォス、果てはアメリカのビッグエルフ辺りがネオヴィンテージ・プログレの主だった筆頭格として数えられるであろう。

 言わずもがなこれら前述のネオヴィンテージ・プログレの共通点として挙げられるのは、プログレッシヴ必須アイテムでもあるヴィンテージ鍵盤のハモンドオルガンとメロトロンが、もう兎にも角にもこれでもかと言う位大々的にフィーチャリングされているところであろうか。
 こんな書き方をすると「それじゃあ単なるコピーや物真似の次元ではないか」と突っ込まれるかもしれないが、無論決して仏作って魂入れずみたいな…ちょっとヴィンテージ鍵盤を借りてきて入れてみました的なぞんざいな扱いではない、あくまで感謝と敬意の念を込めて“歴史を受け継ぎ、新たな時代の一頁を刻む”思いで現代の新鋭達が弾いているという事だけはしっかりと汲んでおかねばなるまい。
 前置きが長くなったが、現代まで脈々と受け継がれている70'sヴィンテージ・プログレッシヴスタイルの源流にして礎ともなった、本家イギリスの70年代ブリティッシュ・ロックシーンから、ワン・アンド・オンリーでアンダーグラウンドな範疇ながらも世に躍り出た伝説的存在のインディアン・サマー、スプリング、アフィニティー、コーマス…。
 そして同時期にサイケな時代の空気を反映し一種近寄り難いその燻し銀の如き雰囲気とオーラを纏った今回本篇の主人公ツァールも然りである。
 60年代後期ロンドンを拠点に活動していたサイケデリック・ポップスバンド“Tuesday's Children”が母体だった事を除いて、バンドメンバーの経歴・バイオグラフィーは全く解らずじまいという、我ながら何とも頼りない書き出しではあるが、ツァールとしての活動以前からある程度の知名度と演奏技量はあったと思われる。
 ジャケットのアートワークもまるで人を喰ったかの様に奇妙キテレツな装丁で、まるでン十年前の若き稲〇淳二に熊の霊が憑依したかの様なインパクト大のデザインであるが(苦笑)。
 …まあ冗談はさておき、印象的なジャケットも然る事ながらバンド名の由来はロシア帝政時代の皇帝の名前から取ったもので、なるほど…ロシア帝政の象徴ともいえる熊が冠を被って、トリップ感覚さながら朧気にコラージュされた理解不能なジャケットという意匠も頷ける。
 更にバンドメンバーに加えて共同プロデューサーだったDave VoydeとRoger Wakeの両名がノイズエフェクトを担当し、その一種独特なダークな質感と毒々しくも壮麗なサウンドに色を添えている。
 キング・クリムゾンが衝撃的なデヴューを飾った1969年、前身バンドだったTuesday's Childrenから改名(!?)移行した彼等は、Tuesday's Children時代にコロンビア、キング、パイといったレコード会社からシングルを何枚かリリースしてきた実績と経歴(それと多少のコネも活かし)、そして人伝を介して中堅レーベルのフォンタナと契約を交わし、プログレ時代突入とも言える翌1970年にバンド名を冠した唯一作をリリースする。
          
 作品の内容自体は出来の良し悪しやら各々聴き手側の好みの差を抜きにしても、1970年という時代の空気感と雰囲気に支配された、重苦しく陰鬱な世界観ながらも時折ハッとする様な束の間の華麗な煌めきすら感じさせ、重厚で金属質なヘヴィサウンドにドロッとした粘り気を帯びたメロトロンが絡むといった、まさしくアートロック、アヴァンギャルド、アシッド、サイケ、ヘヴィロック、プログレ、ブルース等が混在しカオスの如く渾然一体となった唯一無比の音楽世界を形成していると言えよう。
 もっとも…Tuesday's Children時代にイギリス国内のロックフェスやらクラブのギグでムーディー・ブルースやフロイド、クリムゾン、ナイス、キンクス、果てはザ・フーとも何度か接触し顔合わせしているが故に、大なり小なりの影響を受けているのは言うまでもあるまい。

 ギタリストMick Wareのペンによる6曲目を除き、あとは全てベーシストのPaul Kendrickによる作詞と楽曲で、オープニングの1曲目からもういきなりヘヴィでディープなカオスが全開である…。
 重々しい陰影と哀感を帯びたメロトロンに導かれ淡々と刻まれる呪術的なメロディーラインに、聴く者はあれよあれよという間に彼等の闇の音迷宮の入り口へと引きずり込まれてしまうだろう。
 同年期にデヴューを飾ったグレイシャスの1stのオープニングにも相通ずる、スローテンポながらもヘヴィでダークなリフの応酬と繰り返しに、クリムゾンの「21世紀~」の影響すらも散見出来て、まさに挨拶代わりと言わんばかりな彼等の身上と音楽性を雄弁に物語っている佳曲と言えよう。
 女性の名前から取ったであろう、ブリティッシュ・ロック然とした軽快なイントロに導かれる2曲目にあっては、演奏開始から僅か15秒で意表を突くかの如く再びダークで金属質なハープシコードとメロトロンのツァールサウンドへと転調する様は絶妙以外の何物でもない。
 英国らしいハープシコードが奏でる優雅さと狂暴なまでのギター、ハモンド、メロトロンとが醸し出す二律背反な破壊の美学が存分に堪能出来る。
 疾走感と哀愁に満ちたメロディーラインが印象的で少々純粋なポップス性が加味された3曲目、続くヘヴィでメロウなスローバラード風の4曲目共に、ややもすればシングルヒットも狙えそうな好ナンバーが続き、単なる一介のヘヴィロックとは一線を画した強かさすら感じさせる。
 シタールを思わせる東洋的なメロディーラインのギターにメロトロンとハモンドが絡む、サイケで夢見心地な浮遊感すら想起させる5曲目は個人的に一番好きな曲でもある。
 筆舌し尽くし難いトリップ体験とでも言うのだろうか、何とも摩訶不思議で束の間の白昼夢を見た後の余韻すら覚えてしまう…流石にこんな書き方をするとヤバイかな(苦笑)。
 アシッドフォーク調の6曲目にあっては、幾分歌物ナンバーとしての重きを置いた…実に味わい深くて夜明けの淡い陽だまりの窓辺に佇む女性をも思い起こさせる、全曲中唯一ピースフルな色彩を帯びたラヴバラードと言えるだろう。
 ラスト7曲目はカトリシズムな佇まいの壮麗なハモンドが高らかに鳴り響き、後を追うかの様にワイルドでサイケなギターとヘヴィ且つファンキーカラーなリズム隊が絡み、まさにタイトル通り…9月初秋の荒地の如く枯れた草原を彷徨うイメージを抱かせる、アルバムラストを飾るに相応しい暗闇の中から仄かな光明すら見出せる曲想に仕上がっている(曲終盤に流れる場末のサーカス小屋を思わせるフレーズが良い味を出しているのも聴き逃せない…)。
           
 プログレッシヴ元年の1970年にリリースした、まあ…最初にして最後の唯一作となったデヴューアルバムの売り上げは、まあ良くも悪くもトントンといった感は無きにしも非ずといったところだろうか。
 それでも、フォンタナ側とバンド側の双方は決して折れる事無く、気持ちを新たに翌71年のリリースを目標に新作の準備に取り掛かっていたものの、度重なるドラマーの交代とキーボーダーのBob Hodgesが脱退するという痛手を被ってしまい、デモテイクを5曲録っていたにも拘らずバンドとしての活動は完全に行き詰まり頓挫した彼等はとうとうバンドの解体を決意する。
 結果、遺された唯一作のみが後年鰻上りに高額のプレミアムが付いたまま、中古廃盤専門店の壁にかけられて展覧会の絵の如く垂涎の的となったのは言うまでもあるまい。
 ここで後述となってしまい恐縮だが…デヴューアルバム収録の途中にしてオリジナルドラマーのDel Goughが一身上の理由で抜けてしまい、唯一2曲目のみ後釜として‘Alan From Hampstead’なる謎の変名メンバーを迎えて収録されている。
 この時のメンバーチェンジが新たな良い刺激と経験になったのか、彼等は予想外の発奮とばかりに唯一のインストナンバーとして、スペインの音楽家Manuel de Fallaの原曲を下敷きにハモンドとメロトロンを大々的にフィーチャリングしたベガーズオペラばりの長尺な素晴らしい出来栄えのクラシカル・シンフォニックナンバー“Ritual Fire Dance”をレコーディングするものの、残念ながら収録時間の関係で泣く泣くお蔵入りする憂き目を見る事となるが、この幻の傑作曲は37年の時を経て2007年にイギリスはSunbeam Recordsなるレーベルより、10ページに及ぶ豪華ブックレット仕様(Bob HodgesとMick Wareのペンによる特別寄稿)で正規リイシューされたリマスターCDで遂に陽の目を見る事となる。
                 
 過去にも同様のリマスター再発で、AKARMAからのデジパック仕様やらPROGRESSIVE LINEからブートと見紛う様な装丁で出回った事があったものの、Sunbeam Recordsによる英国正規再発CDは、先に触れた未発テイクの“Ritual Fire Dance”を含む、ブラスセクションを迎えた少々ポップがかったシングルオンリー2曲(ドラマーはTony Mac)、そしてBob Hodges脱退後また新たにドラマーJohnny Parkerを迎えて新作準備の為に録られたデモテイク5曲(音質が今一つなのが惜しまれる)の計8曲のボーナストラックを加えた完全決定版となっているのが喜ばしい限りである。
 このSunbeam Recordsからのボーナストラック入り音源を元にマーキー/ベル・アンティークからも紙ジャケット仕様SHM‐CDがリリースされているので、是非こちらの方もお聴き頂けたら幸いである。
 ちなみに1971年に新作準備の為に録られた未発デモテイクから察するに、デヴュー時のカオスやサイケといったイメージから脱却を試みようとしたフシが見受けられ、キーボード不在という事もあってか、幾分リラックスした穏やかな雰囲気のフォークタッチな曲想に加えて、極ありきたりな単なる普通のロック&ポップスになってしまったのが何とも複雑ではあるが…。
 もしもフォンタナ側の意向で“Ritual Fire Dance”がデヴューアルバムに収録されていたとしたら、それはそれでサイケ・ヘヴィプログレ云々とはまた違った意味と観点で名作に成り得たのではと思うのは私だけだろうか。
 ツァール解散以後、その後のバンドメンバーの動向は全く解らずじまいで、先のSunbeam Recordsの尽力の甲斐あってBob HodgesとMick Wareの両氏の所在が明らかになったのが唯一の救いであったものの、残りのメンバーでもあるPaul KendrickやDel Goughの消息が未だ明らかになっていないのが惜しまれる。
 最もFacebookやらSNS全盛の御時世であるが故に、いつの日か何らかの形で所在が明らかにされるのもそう遠くはあるまい(…と思うが?)。
         
 ツァールが遺した唯一作には、私を含めて皆それぞれに思い出があることだろう。
 私みたいに中古廃盤専門店で高額な値が付けられ壁に掲げられたアルバムを垂涎と羨望の眼差しで眺め続けた方もいれば、清水の舞台から飛び降りるかの如く大金を払って買い求め未だ大切に聴き続けている方もいれば、その正反対にジャケットが気味悪いだとか、メロトロンが下品な音色だとか、大金払って損した輩もいれば、どこかの悪名高いプログレコミュの誰かさんみたいに単なるB級プログレだといとも簡単に切り捨ててしまう輩もいる事だろう。
 ただ…歴史に名を刻む名作・名盤は周囲の誰が何と言おうとも、戯言みたいな意見に左右されず絶える事無く生き続け、新たな聴き手との出会いと感動を求めながら時代と世紀を越えて不変不動に君臨しているのは確かであろう。
 今宵は名作を世に送り出したツァールに改めて敬意を込めて乾杯しよう…。

Monthly Prog Notes -August-

Posted by Zen on   0 

 8月の終盤、連日の残暑というにはあまりにも猛酷暑厳しいさ中、皆様如何お過ごしでしょうか…。

 コロナ禍真っ只中の2020年夏も残り僅か、暦の上では既に立秋を迎え季節の変わり目に伴い日に々々秋の気配が僅かながらも感じられる今日この頃、今月の「Monthly Prog Notes」はそんな初秋の訪れに相応しい力作・秀作揃いの素晴らしいラインナップが出揃いました。
 久々の南米ブラジルからは近年俄かに注目を集めつつ、かの御大サグラドの後継者へと繋がるであろう…そんな好評を博し名声を高めているクラシカル・シンフォニック・プロジェクトバンド“アルス・プロ・ヴィータ”2枚組の2nd新譜に要注目です。
 同時期に入荷した3年前のデヴュー作の素晴らしさも然る事ながら、戦争と平和という極めてアイロニカルな問題定義を孕んだ今作は、2時間20分強の収録時間とヴォリューム総じて一種のドキュメンタリーフィルムをも垣間見るかの様な美しくもシリアスで物悲しく、厳粛且つ神聖な調べは世代を越えた全てのプログレッシヴリスナーの胸と心を打つこと必至です。
 イギリスからもそのバンドネーミングに思わず興味がそそられるであろう、古色蒼然たるブリティッシュ・ロックの伝統と実力が窺い知れる期待の新鋭“スノーグース”のデヴュー作がお目見えです。
 大御所キャメル影響下は当たらずも遠からずながらも、70年代初期のイリュージョン=ルネッサンス、果てはペンタングルといったブリティッシュ・フォーキーな趣を湛えた、正真正銘な英国サウンドはヴィンテージ系云々といった概念をも越えた詩情と感動の結晶そのものです。
 アメリカからは、かのハッピー・ザ・マンないしディキシー・ドレッグスにも相通ずるシンフォニック・ジャズロックの王道を地で行くニューカマー“アイソバー”の堂々たるデヴュー作が到着しました。
 全編インストという曲構成でギター、ベース、キーボードのトリオに21世紀プログレッシヴ界最強の助っ人プレイヤーMattias Olssonをゲストドラマーに迎え、要所々々でホーンセクションを加えた硬派でインテリジェントな側面で抒情的なリリシズムが堪能出来る好作品に仕上がってます。
 待ちに待った「プログレッシヴの秋」到来を告げるであろう…至高なる匠達が謳い奏でる極上で豊潤な調べに、暫し晩夏の暑さを忘れて心穏やかに耳を傾けて頂けたら幸いです。

1.ARS PRO VITAPeace
  (from BRASIL)
  
 CD1:
 1.War Is Peace/2.Shut Up And Shout !!!/3.On Bibles And Cannons/
 4.The Yellow Cloud/5.A Handful Hope/6.Block 24, First Floor/
 7.The Mother Who Killed 150,000 Sons/8.Likasi/
 9.Sounds Of The Brave/10.Metus
 CD2:
 11.Decay/12.Curfew/13.Vital Signs/14.Children Of War/15.Mine/
 16.Drone/17.Hero/18.God Is Not Here Part I/19.Resolution 1004/
 20.White Helmets/21.God Is Not Here Part II/22.The March/
 23.P E A C E

 降り注ぐ放射能の黒い死の灰をバックに銃弾のシリアルナンバーを模した様な、何とも恐怖心を煽り立てる意味深なアートワークに言葉が出てこない…。
 2017年に奴隷の人生をテーマとしたコンセプトの衝撃的なデヴュー作『Minor』で、一躍21世紀ブラジリアン・シンフォニックシーンにて脚光を浴びる事となった要注目必至の新鋭アルス・プロ・ヴィータであるが、本作品は3年ぶりのリリースとなる文字通り2枚組というヴォリュームでトータル2時間20分超の大作も然る事ながら、作品全体の内容も「戦争と平和」「戦争の愚かさと醜さ」「戦争がもたらす狂気と混乱」といった、過去にイスラエルのツィンガーレ『Peace』やオランダのコーダ『What A Symphony』と並ぶであろう、モロに反戦主義を露にしたアイロニカルで陰鬱な重々しさに加えてインナーブックのフォトグラフを目にしただけで思わず目を覆いたくなる…そんな暗澹たるテーマながらもほんの僅かな一筋の希望の光をも見い出せる思いにも似た慈愛と救済の清い精神をも禁じ得ない。
 ハケット影響下のキーボード&ギターのみならずデヴュー以降のコンセプトデザインをも手掛けるVenegas兄弟を核に、元ルネッサンスのJon Camp始め同国のヴィトラルのメンバー、男女混成コーラス、ストリングオーケストラ等の多方面からの賛助を得て、シンフォニック、シリアス・ミュージック、ダークチェンバー、アヴァンギャルド、果てはウォール期のフロイドばりの効果音で織り成す、美しくも物悲しい厳粛で神聖なる旋律は決して齧り聴き厳禁な、まさしく人類史の暗部と闇を曝け出し混迷の21世紀という今日までに繋がる映し鏡の様に思えてならない。
 昨今のコロナ禍でブラジル国内を独裁者然とふるまうボルソナロ政権への当てつけというか皮肉とも取れるというのは些か考え過ぎであろうか。
 いずれにせよ本作品の根幹でもある“No More War”という気高い精神が際立っている事だけは紛れもあるまい…。
          

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2.SNOWGOOSEThe Making Of You
  (from U.K)
  
 1.Everything/2.Who Will You Choose/3.Hope/
 4.The Making Of You/5.Counting Time/6.Goldenwing/
 7.Leonard/8.Deserted Forest/9.The Optimist/
 10.Undertow/11.Gave Up Without A Sound

 良い意味で如何にも手作り感満載なモノクロカラーに彩られた3面開き紙ジャケット仕様のデヴュー作を飾った21世紀ブリティッシュ期待の新星スノーグース
 そのバンドネーミングに思わず興味をそそられるリスナーも多い事だろうが、大御所キャメルからの影響は当たらずも遠からずといった感で、作品と音世界観の印象からして70年代初期のイリュージョンそしてルネッサンス、果てはブリティッシュ・フォーク界の大御所ペンタングルからの影響下が大いに窺い知れる。
 麗しき歌姫Anna SheardにギタリストJim Mccullochの両名を中心に、ギター、キーボード、リズム隊、ハーモニカ…等の多種多才なメンバーが結集し、まさしく絵に描いた様な英国ファンタジー、フェアリーテイル、マザーグースといったイマジナリー豊かな調べに、改めて70年代から脈々と受け継がれている正統派のブリティッシュ・ロック&フォークという伝統と根底の奥深さに感服する事しきりである。
 ヴィンテージ回帰スタイル云々といった理屈や概念を抜きに、世代を越えてプログレッシヴ・リスナー問わず万人に聴かれるべき良心的な音楽の理想形がここにあると言っても過言ではあるまい。
 ブリティッシュ愛溢れる素敵な一枚、是非とも貴方(貴女)のライヴラリーに加えて頂けたら幸いである。
          

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3.ISOBARIsobar
  (from U.S.A)
  
 1.Weekend Of Mammals/2.Control Mouse/
 3.Major Matt Mason/4.Off The A6/5.Dinky Planet/
 6.Mais Daze/7.New Math/8.79¢/
 9.Dinner Ain't Ready/10.Elves Are Go!/11.AP Alchemy/
 12.Uncanny, The/13.Isobars

 あたかも人の横顔を模した抽象画を連想させる摩訶不思議な意匠であるが、読んで字の如く気象予報で用いられる等圧線の意であるアイソバーの堂々たるデヴュー作がお目見えとなった。
 ベースのJim Andersonを筆頭にMalcolm Smith(G)、Marc Spooner(Key)によるトリオ編成に加えて、今やアングラガルドでの活動にとどまらず、世界を股に架けて21世紀プログレッシヴ業界最大最強の助っ人プレイヤーでドラマー兼マルチプレイヤーとして名高いMattias Olssonの助力を得て完成された本作品であるが、Mattiasの協力が功を奏しているからであろうか、これでもかという位に大々的にフィーチャリングされたメロトロンが何とも絶妙で、アメリカらしさと北欧互い違いのサウンドスタイルがミクスチャーされ程良い具合にハイブリッドされた、まさしく国境を越えた極上の共演が縦横無尽に繰り広げられている。
 大らかで開放的なイメージを抱かせる絵に描いた様なアメリカン・プログレッシヴの持ち味がオールインストながらも躍動感に溢れつつ収録された楽曲全体に彩りと煌きを与えており、さながら往年のハッピー・ザ・マンないしディキシー・ドレッグスの系譜をも彷彿とさせるテクニカルで且つエモーショナルなシンフォニック・ジャズロックが、21世紀という時代相応にアップ・トゥ・デイトされたと言えば御理解頂けるだろうか…。
 ゲスト参加しているトランペットやサックスが楽曲の要所々々にインパクトやアクセントを与え、メンバー間との相乗効果を見事に醸し出しており、その曲毎に様々な異なった印象をリスナーに想起させる現在進行形なアメリカン・プログレッシヴが垣間見える事だろう。
 Mattias Olssonの偉業と功績にまた新たなる一頁が付け加えられそうだ。
          

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