幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 59-

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 10月最初にして…いよいよ毎週掲載スタイル最終回直前の「夢幻の楽師達」は、80年代ブリティッシュ・ポンプムーヴメントから波及した俗に言うジェネシス影響下スタイル=メロディック・シンフォニックの源流とも取れるルーツ的存在にして、80年代後期から90年代への橋渡しを担った類稀なる存在と言っても過言ではない…ユーロ・ロック史に残る少数精鋭の逸材を輩出したスイスのシーンから彗星の如く現れ人知れず姿を消しつつも、現在もなお幾数多ものプログレッシヴ・ファンの記憶に刻まれた80年代の雄としてステイタスを築いた“デイス”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


DEYSS
(SWITZERLAND 1979~ ?)
  
  Giustino Salvati:Key
  Giovanni De‐Vita:G
  Jester:Vo
  Patrick Dubuis:B
  Paul Reber:G‐Syn

 70年代のSFF始めサーカス、アイランド、フレイム・ドリーム、そして80年代初期のドラゴンフライといった、前出の言葉通りユーロ・ロック史に大きな足跡を遺したまさしく少数精鋭とも言える逸材を輩出した永世中立国スイスのシーン。
 そんなユーロ・ロックの台風の目とも捉えられる時代背景を一身に受けて、本編の主人公とも言えるデイスが初めて世に現れたのは1985年。
 言わずもがな、世界的規模で70年代の名作の発掘と再発が波及していた当時のプログレッシヴ・ムーヴメントに於いて、80年代という同時代性を纏っていた次世代を担う逸材はエニワンズ・ドーターやノヴェラを筆頭格に、マリリオン、IQといったブリティッシュ・ポンプ勢、ブラジルのサグラドやハンガリーのソラリス、そして我が国のフロマージュとアウター・リミッツ、ページェント…等が顕著なところと言えるだろう。
 その些かマリリオンを意識したかの様な彼等のデヴュー作の意匠に、当時はメイド・イン・スイス=高水準なシンフォニックに大きな期待を寄せる者、或いは“ああ、どうせマリリオンみたいなポンプの類でしょ”と冷ややかに一蹴一瞥する者との賛否両論こそあれど、80年代の中盤に於いてまだアナログLP盤(+シングルジャケットが一般的だった)が主流で、しかも贅沢に見開きジャケットとくれば誰しもが迷いもせずに諸手を挙げて賞賛するのは必然ともいえよう。
 彼等の結成からそれ以降の活動経緯等のバイオグラフィーにあっては、誠に残念ながら私自身の手元にも詳細な資料等が不足がちという関係上、よって手元にある2枚のアナログLP盤と乏しい資料を頼りに従って本編を綴るしかない(苦笑)。
 2ndの傑作名盤『Vision In The Dark』の、写真のコラージュと年代が刻印されたレコードの内袋から察するに…1978年スイスにて、ハイスクールの学友同士だったGiustino Salvati(Key)とGiovanni De‐Vita(G&Key)の2人のイタリア人に、ドラマーにNicolas Simonを加えたトリオ編成で、デイスの母体となるバンドが結成される。
 フロント・ヴォーカリストはまだ不在ながらも、ジェネシス影響下の強い完全インストオンリーのスタイルで翌79年自主製作カセット作品『The Dragonfly From The Sun』(2000年にムゼアからCD化)をリリースし、細々としたデヴューにしてその未熟な感と未完成で荒削りな部分を残しながらも要所々々に将来性を秘めた期待感と光るものを伴って、以後デイスという正式バンド名が確立される1985年までの間、幾度かのメンバーチェンジやら紆余曲折と試行錯誤を経て、正式なヴォーカリストとドラマーが不在のまま、GiustinoとGiovanniを中心にベーシストのPatrick Dubuis、ギターシンセのPaul Reberという2人のスイス人を加えた変則的な4人編成でスタートを切る事となった。
    
 1986年、ヴォーカリストにPatrick Patrick Fragnere、そしてMatt《The Traveller》なる国籍年齢不詳のドラマーと2人のトランペッターをゲストサポートに迎えて、スイス国内のみの自主製作リリース『At King』でデイスは遂に念願のデヴューを飾り世に羽ばたく事となった。
 自主製作レベルながらも見開きジャケットという豪華版で、ややデヴュー期のマリリオンを意識したかの様な稚拙な印象さえ感じられるイラストレーションに微笑ましさを覚えつつも、良い意味で手作りさとアマチュアな感覚をも大切にした…ヨーロッパ人ならではの大らかにして懐の広いデヴュー作ではあるが、肝心要の音楽性の内容たるやジェネシス影響下にしてマリリオンみたいに極端なポンプ寄りに染まっていない、そこにあるのは70年代ヴィンテージ感覚と伝統的なユーロ・ロックの旋律とロマンティシズムを踏襲した、早い話…強烈なまでの“ジェネシス愛”に満ち溢れ憧憬・リスペクト云々をも超越した、夢と理想に少しでも近付きたいという感情の発露が瑞々しく反映された秀作に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。
 バンクスをも彷彿とさせるオルガンにメロトロンをサンプリングした当時最新鋭のイーミュレーター、ミニモーグ…etc、etcといったアマチュア・レベルを完全に凌駕した豊富で贅沢なキーボード群に、ギターシンセを含めたツインギターのハーモニーに、ベースはプログレッシャー必携ともいえるリッケンバッカーというのも実に心憎い。
 厳かで緊迫感漂うオープニングの小曲の効果的な使い方に、80年代らしい打ち込み感覚なリズムとドラムマシンを使った2曲目はまあほんの御愛嬌とも言えよう。
 バンドスタイルによる抒情的なバラードナンバー“After And After”の泣きのメロディーラインに、ツインギターとサンプリング・メロトロンが奏でる美しいインストナンバー“Chinese Dawn”、ツイントランペッターを配した力強く勇ましい行進曲風の“March Of Destiny”、アルバム・タイトルでもあるラストの大曲“At King”にあっては、壮大なイマジネーションをも想起させ初期ジェネシスに相通ずるリリシズムを高らかに謳った、当時のマリリオンでは到底辿り着く事が出来なかった万人のジェネシス・ファンの欲求を満たすくらい納得出来る領域にまで踏み込んでしまっている。
 余談ながらも、ゲストヴォーカリストの歌唱法がゲイヴリエルらしくないという嫌いこそあれど、却って逆にそれが新鮮で良いという意見もあるから、そこは敢えて聴く側の感性と判断に委ねたいと思う(私自身個人的には“OK”ではあるが…)。

 『At King』の成功と評判の興奮冷めやらぬ翌87年、バンドの上がり調子と順風満帆を物語るかの様に気運の上昇に伴ってリリースされた、名実共に彼等の最高傑作にして80年代の名作としても数えられる『Vision In The Dark』をリリース。
 正式なドラムが定まらず2人のゲストドラマーを迎えつつも、本作品より国籍年齢本名不詳のJester(=道化者の意)なるヴォーカリストが正式に加入した5人編成でレコーディングに臨んでいる。
 自主製作リリースながらも、前デヴュー作で感じられた変なアマチュア臭さと録音レベルの素人っぽさが抜けて、完全なまでのプロ意識に則ったバンドとしての一体感に加え強固なまとまりと連帯感と思い入れを強く色濃く意識した…あたかも世界的規模なマーケットをも視野に入れた意欲的な野心作へと昇華し仕上げている。
 エイジアっぽい作風でノリの良い曲調のカッコ良さが素晴らしい“Take Yourself Back”のエッジの効いたダイナミズムといい、2部構成による音の迷宮さながらにして後年のメロディック・シンフォの源流すら予見させる“Untouchable Ghost~The Crazy Life Of Mister Tale”、そしてラストの17分強の大作“Vision In The Dark”にあっては、最早シンフォニック云々をも超越した音のうねりとコラージュが滝の如く押し寄せる圧倒的な構成力には圧巻にして脱帽ものと言えるだろう。
  
 バンドリーダー兼メロディーメーカーでもあるGiustinoのスキルとコンポーザー能力の高さ、曲作りの上手さも然る事ながら、ヤマハのDX7にプロフェット5、ミニモーグ、ハモンドに本物のメロトロン、イーミュレーターⅡ、そして当時の最高機種の花形でもあるフェアライトCMI…etc、etcを使用している辺りなんかは、よもやアマチュアレベルを通り越し贅を尽くした機材の豊富さに、聴き手の側のみならずもう日本のプログレ系ミュージシャンですらも嫉妬と羨望と逆上必至といわんばかりであろう(苦笑)。
 初期ジェネシスの『Nursery Cryme』と『Foxtrot』の世界観を足して2で割った様な、殺伐と喧騒と狂気に満ちたイラストワークの素晴らしさに加え、前作と同様の見開きジャケットという徹頭徹尾なこだわりの強さに頭の下がる思いであるが、2枚組アナログLP盤の内のSideD面はよく見ると曲の溝が刻まれていない完全にツルツルの状態というのが何とも勿体無いというか呆気に取られるというか…。(今なら1stと2nd共に、ムゼアからのCD化で完全仕様であるが…)
 流石にもうここまで来ると、ヨーロッパ人の大らかさと懐の広さ云々を抜きに、王侯貴族独特な損得勘定無関係なお戯れにも似た娯楽の延長線上、良家の金持ちのボンボンの趣味と実益すらも勘ぐってしまう位だ…。

 そんな順風満帆に思えた彼等が90年代を境にプッツリと表舞台から姿を消して、もう早20年以上経った次第であるが、その後の彼等の動向にあっては(現時点で)一切合切が皆無で不明というから困ったものである…。
 ムゼアからリリースされたCD群の冊子類を拝読すれば、それなりに手掛かりが掴めると思うのだが、現時点でデイスのCD関連は全て入手困難というのが実に痛いところであり悔やまれるところでもある…。
 バンドの消息不明と活動休止(開店休業か?!)の理由は定かでは無いが、元ジェネシスのアンソニー・フィリップスの様に、王侯貴族の気紛れよろしく“機材車やらトラックの大荷物と一緒のツアーが嫌になったから”という何とも俄かに理解し難い理由で休止したのか…?今となっては理由を知る術やら真相は藪の中といったところであろうか。
         
 バンドの消息不明とはお構い無しに、その後ムゼアから次回作の為の準備で書き下ろした(であろう)新曲のデモと未発アーカイヴを収録した『For Your Eyes Only』を92年、デヴュー前のカセットテープ作品をCD化した『The Dragonfly From The Sun』を2000年にリリースし、それ以後デイスの新作関連のアナウンスメントやニュースは完全に聞かれなくなって久しい限りでもあるが、そんなさ中の1994年、デイスでギターシンセを担当していたPaul Reber主導による新たなるシンフォニックバンドDREAM DUSTが結成され、現在進行形で今なおメンバーチェンジを重ねながらも数枚の作品をリリースし、スイスのシーンで活躍中であるのが実に嬉しくも喜ばしい限りである。

 90年代以降から21世紀までに至るスイスのプログレッシヴ・シンフォニック系は、メロディック系のクレプシドラから、70年代ヴィンテージ系を踏襲したシシフォスやドーンといった新たな世代へと引き継がれているものの、かつてのデイスが持っていた熱い位の期待感と熱気がやや感じられなくなってしまったのは、やはり心なしか寂しい限りでもある。
 かつては猫も杓子もジェネシス影響下が合言葉のプログレ・シーン=メロディック・シンフォであったが、デイスの様にジェネシスのファンであるという事に迷いや後ろめたさが微塵に感じられない、正々堂々と胸を張ってジェネシスのリスペクト系であるという事を誇りと勲章にし、それを無上のプライド・喜びとしていたバンドというのが今となっては実に懐かしくもあり、そんな気概と意固地さを謳い文句にしているバンドがもうそろそろ再び現れても良い頃ではないのかと思う今日この頃である…。

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一生逸品 LEVIATHAN

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 毎週掲載スタイル最終回直前…今週の「一生逸品」は久々の北米大陸から、70年代アメリカン・プログレッシヴの胎動期にその名を轟かせた眠れる巨獣でもあり孤高にして唯一無比の伝説的存在と言っても過言では無い、ブリティッシュ・ロックスピリッツを継承したアメリカン・ヘヴィプログレッシヴの雄“リヴァイアサン”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

LEVIATHAN/Leviathan(1974)
  1.Arabesque 
  2.Angela 
  3.Endless Dream 
  4.Seagull 
  5.Angel of Death 
  6.Always Need You 
  7.Quicksilver Clay
  
  Wain Bradley:B, G, Vo
  Peter Richardson:Organ, Vo 
  Don Swearingen:Piano 
  John Sadler:Mellotron 
  Grady Trimble:G
  Shof Beavers:Ds

 レアアイテム級高額プレミアム扱いだったマッカーサーの幻の1stが正規にCDリイシューされ、更には国内盤紙ジャケットSHM‐CDでリイシューされたアトランティス・フィルハーモニック、更には念願のオリジナルジャケットデザインで待望のリイシュー(こちらも国内盤紙ジャケットSHM‐CD仕様)と相成ったイースター・アイランド…と、ここ数年もの間俄かに70年代アメリカン・プログレッシヴの大いなる遺産ともいえる名作がこぞって見直され再発されるという嬉しくも喜ばしい朗報が舞い込んで、書き手でもある私自身ですら改めて感慨深い思いに浸っている今日この頃である。

 何度もこの場で言及してきた事と思うが、兎にも角にもブリティッシュやユーロ・ロックシーンと同等、海を越えた北米大陸アメリカ合衆国のプログレッシヴ・ムーヴメントの層の厚さたるや、我々の想像を遥かに超えた…あたかも広大な砂漠から宝石を探し出すかの如く困難が付きまとう(苦笑)。
 全世界きってのショービズ大国にして音楽産業大国でもあるアメリカの音楽シーンに於いて、多種多彩なジャンルに枝分かれした複雑且つ乱立した門戸解放にも似た間口の広さで、古くからのカントリー&ウェスタンを始め、R&B、ヒットチャートを賑わすAORから昨今のラップ、ヒップホップといったダンスミュージック、肝心要のロックに至っては過去を遡ればハードロックからプログレッシヴと多岐に亘り、70年代ほどではないにしろ21世紀の今も尚その系譜と伝承は脈々と受け継がれて今日までに至っている。

 アメリカン・プログレッシヴ黎明期というにはやや語弊があるかもしれないが、ザッパのデヴューを皮切りに俗に言うアメリカン・サイケデリックの代名詞ともいえるドアーズ、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン(後年ジェファーソン・スターシップへと改名)、キャプテン・ビーフハート、そして時代の申し子ともいえるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの台頭、その一方でサイケデリアとは違う系譜に於いてアイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッジ、イッツ・ア・ビューティフルデイ、アフター・オール、タッチ…といった後々のアメリカン・プログレッシヴへと繋がる流れが確立された60年代末期。
 70年代に移行してからは、初期に於いてプログレ時代のビリー・ジョエルが結成したアッティラ、ヴァニラ・ファッジ解散後オルガニストのマーク・スタインを中心に結成されたブーメラン、EL&P影響下を思わせるポリフォニー、大手映画会社パラマウント直営のレコード部門から唯一作をリリースしたバクスター、謎のバンドでもあるアミッシュ、更にはマイク・クワトロ、スティックスのデヴューといった顔ぶれが列挙されるが、事実上アメリカン・プログレッシヴ全盛期を飾るのは紛れもなく1974年以降からで、カンサス、アメリカン・ティアーズ、スタードライヴのデヴュー、翌75年以降ともなると、ジャーニー、アンブロージア、ファイアーバレー、ボストン、パブロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、イーソス、イエツダ・ウルファ、スター・キャッスル、エンジェル、シナジー、加えて単発系の唯一作をリリースした前出のアトランティス・フィルハーモニック、シャドウファックス、ザズー…等が登場し、70年代後期ともなるとカテドラルやイースター・アイランド、マッカーサー、バビロン、クィルというアメリカン・プログレッシヴ史に燦然と輝きを放ち続ける高額プレミアムな名作・名盤が世に踊り出たのは周知であろう。
 80年代の一時的な沈静化と停滞期を経てドリーム・シアターやスポックス・ビアードの登場を契機に、アメリカのプログレッシヴシーンは90年代以降の再興期から今日までに至る21世紀プログレッシヴへと現在進行形で長らく生き続けていると言っても過言ではあるまい。
 余談ながらも…特筆すべきは我が国でも商業的に大成功を収めたカンサス、ボストン、スティックスは、77~78年を境に“アメリカン・ニューウェイヴ”というややもすれば誤解を招きそうな、あまり有り難く無い様な代名詞でもてはやされた事を未だに記憶に留めている(苦笑)。
 
 そして今回登場の主人公でもあるリヴァイアサンも、1974年に唯一作をリリースしアメリカン・プログレッシヴ勃発期の片翼を担った立役者として、今もなおその名を聴衆の心に深く刻み込まれている事は言わずもがな…。
 大航海時代の遥か昔、大西洋に生息し商船を襲っては人間を喰らう伝説の巨大海蛇の名前(別名シーサーペントとも呼ばれている)をバンド名に冠した6人組は1972年アーカンソー州のリトルロックで結成され、それ以前より各々のメンバーが音楽的なキャリアと経験をかなり積んでいた実力派揃いであると推測される。
           
 メンバー編成を御覧になってお解り頂ける通り、6人中の3人がそれぞれオルガン、ピアノ、そしてメロトロンと専属に担当し、エマーソンないしウェイクマン果てはモラーツの様なマルチキーボーダーなスタイルとは異なった、至ってシンプル且つ単純明快な(ある意味オーソドックスな意を踏まえて)ロックキーボードの立ち位置たるものを各々熟知しているところが実に面白い。
 下世話な話かもしれないが、もしもリヴァイアサンにシンセ専属担当者がいたら、それはそれでまたどんな風に音楽性が変わっていた事だろう…なんて想像するだけでも興味は尽きない。
 各方面に於いて「宮殿時代の初期クリムゾンばりメロトロンの洪水が堪能出来る」という触れ込みと宣伝文句ばかりが独り歩きしている様な感を思わせるものの、決してそればかりが売りで無いことだけは全曲通してお聴き頂ければ一目瞭然。
 彼等が創造する楽曲から察するに、アメリカンな風貌や要素は殆ど皆無に等しい(ヴォーカルの歌唱法がややアメリカ独特の節回しを匂わせるが)、あくまでブリティッシュナイズされたヘヴィ・プログレッシヴな作風とカラーが根底にあって、ユーロ・ロック調のロマンティシズムをも彷彿とさせる幻想的なジャケットの意匠も一役買っている事も見過ごしてはなるまい。
 アメリカン・アートロック先駆者のヴァニラファッジからの影響も然る事ながら、70年代のブリティッシュのみならず全世界規模で席巻していたツェッペリン、パープル、ユーライア・ヒープ、果てはイエスやクリムゾンからの多大なる影響も収録曲の端々で散見出来て、誰一人前面に出てくる事無くただひたすら楽曲のアンサンブルとハーモニーの構築を重視に徹しているという事も特筆すべきであろう。                 
 バンド結成から程無くして、彼等のホームタウンでもあるアーカンソー州リトルロック、そしてテネシー州メンフィスを拠点に南西部地方にて多数ものライヴ活動を精力的にこなし瞬く間に人気実力バンドとして注目され、1974年USAロンドン・レコード傘下のMACHレーベルよりバンド名と同タイトルでめでたく待望のデヴューを飾る事となる。
 ちなみに当時は日本国内盤LPもリリースされており、余談ながらも個人的な話…知人宅の引越し手伝いの際、飼い猫の悪戯でビニールの外袋ごと爪で滅茶苦茶引っ掻かれてボロボロになったリヴァイアサンの国内盤ジャケットを見た瞬間思わず閉口してしまった事を未だに記憶しているから困ったものである(苦笑)。
          
 深遠且つ荘厳なメロトロンが高らかに響鳴する冒頭1曲目のイントロダクションに導かれリヴァイアサンの音宇宙が静かに幕を開ける。
 儀式にも似たアコギとエレクトリックギターによるミスティックな旋律が追随し、3rd期のイエスを思わせるタイトなメロディーへと転調後は、ヘヴィさとアップテンポさが加味されたアーティスティックな曲調に神秘的なメロトロンに小気味良いハモンドが色を添えていき、この当時ゴロゴロと存在していた単なる凡庸なハードロックとは一線を画す、アートロックやブルースロックといった概念をも超越した彼等独自のアイデンティティーとオリジナリティーを表明するには申し分の無い出来栄えを誇っている。
 1曲目の終盤から子供達の遊び声のSEをブリッジに2曲目へと移行し、ここでもリリシズム溢れるメロトロンに瑞々しくも美しいピアノが大活躍する辺りは後のイーソスにも相通ずるアメリカン・シンフォの歌メロと醍醐味が存分に堪能出来るだろう。
 3曲目冒頭の幾分緊迫感を伴ったベースラインに思わず日本のストロベリー・パスの「I Gotta See My Gypsy Woman」(柳ジョージ!!)を連想させられるが、ブルーズィーな雰囲気を漂わせながらも2曲目と同傾向のメロディーラインに哀愁と抒情に彩られた泣きのピアノとメロトロン、ハモンドが被さり、中盤近くでヘヴィロック調に転ずるとブリティッシュ・スピリッツ全開の燻し銀の如き渋さと陰りが脳裏をよぎる全収録曲中、10分近い長尺の大曲にプログレを愛する聴き手の欲求と渇望は否応無しに満たされて、兎にも角にも素晴らしいの一語一句に尽きる事しきりである。
 ネイティヴなアメリカン・ロック調のギターリフに導かれるトータル形式の4曲目から5曲目にかけては、ツェッペリンやユーライア・ヒープ影響下を思わせるメロディーラインがソフィスティケイトされた、ダイナミズムとリリシズムが互いにせめぎあうブリティッシュシンパシー溢れるアメリカン・プログレハードの真骨頂ここにありと言わんばかりな秀作に仕上がっている。
 ここでは何よりも3人のキーボーダーがそれぞれの役割分担とパートをしっかりと的確にこなし会心のプレイを奏でており非常に好感が持てる(個人的には一番好きな曲でもある…)。
 全曲中唯一3分弱の6曲目は、多分おそらくシングル向けに書かれたと思われる小曲だが割合ポップな印象をも孕んだ明るめの曲想ながらもここでもメロトロンの活躍が効果的で素晴らしく、ケストレルの作風と雰囲気が似ていると言ったら言い過ぎだろうか…。
 ラストを締め括る7分半近い7曲目は、女性コーラスをゲストに迎えメンバー全員一丸となってプログレハードなバラード調の大団円を繰り広げており、夕日が沈む黄昏時の情景が目に浮かぶ様な何とも心洗われる感動的なエピローグが胸を打つ。
 総じて評すれば、オープニングからラストナンバーまで徹頭徹尾メロトロンの洪水で溢れ返っている、まさしく看板に偽り為しと絵に描いたかの如く、あのカンサスと同様に正真正銘ブリティッシュ・プログレッシヴの気概と精神を北米大陸で受け継いだ伝承者そのものであったと言っても異論はあるまい。
 収録された全曲に於いても一切の無駄と蛇足感が無く、聴き手を飽きさせない曲作りと展開の上手さに加え、コンポーズ能力とスキルの高さも窺い知れて、聴く度毎に新たな発見と驚きに満ちている紛れも無く名盤の名に恥じない屈指の一枚と言えるだろう。
 バンドはその後次回作予定として既に『The Life Cycle』なるタイトルも決まってリリースの為の準備とリハーサルに取りかかるも、メンバー各々がそれぞれ理想とする音楽性の追求やら方向性の相違といった諸事情が重なり、これからの矢先であったにも拘らずリヴァイアサンは敢え無く空中分解への道を辿り、後に栄華を極めるアメリカン・プログレッシヴの表舞台からも自ら幕を下ろしその活動に終止符を打つ事となる。
 一説によると『The Life Cycle』なる2ndマテリアルはバンド解散間際まで収録され、何とか寸前にリリースまで漕ぎ着けたものの、デヴューとは打って変わって余りにも大幅な路線変更で別物バンドみたいな音楽性になってしまい、現在のところ2ndそのものの所在すらも在るのか無いのか一切不明というのが何とも嘆かわしい限りだ。
 現在映像関連の音楽畑で活躍しているかつてのリーダー格Wain Bradleyを除き、ネットやSNSが隆盛の21世紀の昨今ですらも、その後の残されたバンドメンバーの消息や動向すらも全く解らずじまいで個人的にも途方に暮れるばかりである…。

 唯一遺された彼等リヴァイアサンのアルバムは2004年にイタリアのAKARMA、そして4年前の2012年北欧スウェーデンのFLAWED GEMSよりCDリイシュー化されているが、後者のFLAWED GEMS盤にあっては、アルバム未収録だった「Why Must I Be Like You」と「I'll Get Lost Out There」の秀逸2曲がボーナストラックに収められたファン垂涎の一枚となっている。
 大海の幻獣は今や伝説となって海の深淵へと身を潜め深き眠りについている…そんな逸話やダークファンタジーの如く、アメリカン・プログレッシヴ胎動期のレジェンドと化した彼等が、またいつの日にか深き眠りから目覚め今日の21世紀プログレッシヴの大海原に再びその巨体を現す時は果たして巡ってくるのだろうか?
 何が起こってもおかしくない今世紀のプログレッシヴ・シーンであるが故に、一縷の望みであれ奇跡や希望、果ては一夜限りの束の間の夢物語でも構わないから“伝説降臨”を合言葉に、聴衆である我々の眼前にその雄姿を甦らせてくれる事を願っているのは決して私だけではあるまい…。

夢幻の楽師達 -Chapter 60-

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 毎週掲載スタイルながらも過去のリメイク&リニューアルで再出発を図った『幻想神秘音楽館』。

 思えば早いものでセルフリメイクを始めてから一年とちょっと経過し、気が付いたらあっという間に60回目を迎え、遂に栄えある最終週を飾る事となりました。
 そして来月からは以前の月イチペースの掲載でお送りする…奇数月に「夢幻の楽師達」、そして偶数月に「一生逸品」という以前のスタイルに戻ります(「Monthly Prog Notes」は今まで通り併行して月イチ掲載ですが)ので、どうか今後とも『幻想神秘音楽館』を御愛顧頂き何卒宜しくお付き合い頂けるようお願い申し上げます。
 掲載60回目にして今回で最終週の「夢幻の楽師達」は、現在(いま)の21世紀プログレッシヴに於いて、以前ここでも取り挙げたイタリアのラ・マスケーラ・ディ・チェラやスウェーデンのムーン・サファリと共に肩を並べるであろう、中米随一の共産主義国家でもあるキューバの代表格にしてその一点の曇りも無い確固たる信念と真摯な創作精神で純音楽的感動を我々に沢山与えてくれた、まさしく真の夢幻の楽師達…そして“天界の楽師”と呼べる称号に相応しい偉大なるマエストロ集団の“アニマ・ムンディ”に改めて焦点を当ててみたいと思います。

ANIMA MUNDI
(CUBA 1996~)
  
  Roberto Diaz:G, Vo
  Virginia Peraza:Key, Vo
  Emmanuel Pirko-Farrath:Vo
  Yaroski Corredera:B
  José Manuel Govin:Ds

 以前「夢幻の楽師達」でアルゼンチンのミアを取り挙げた際にも触れたと思うが、我が国に中南米のプログレッシヴ関連の情報が入ってくる様になったのは、多分1980年代の初頭の頃ではなかろうか…。
 当時フールズメイトのディスクユニオンの広告欄にてチャック・ムールやカハ・デ・パンドラ…等といった一部のメキシコ勢が入荷するようになり、その数年後の1984年の春頃になると当時のマーキームーン誌にて南米ブラジルのバカマルテやクオンタム、サグラド、南米の欧州アルゼンチンからは前出のミア、クルーチス、アラス、エスピリトゥが大々的にクローズアップされ、85年以降になると最早周知の通り中南米系の主要アーティストの大半がプログレファン・愛好家達に認知されるまでとなり、決してキワモノではなく欧米や日本のプログレッシヴと同等に扱われ、レアな入手困難盤は鰻上りに高額なプレミアムが付くまでとなったのは言うに及ぶまい。
 そんなラテンアメリカンのムーヴメントが吹き荒れる中で、アルゼンチンやブラジルから比べるとメキシコを始めとする中米のシーンは幾分若干の見劣り(層の薄さも加えて)は否めなかったのが正直なところで、中米の80年代はメキシコのイコノクラスタ、ニルガール・ヴァリス(+アルトゥール・メザ)が良質な作品で健闘していたのが関の山と言えるだろう。
 そんなさ中に降って湧いたかの如く、中米唯一の社会主義共和国のキューバというプログレ未開の地より登場したグルッポ・シンテシスの『En Busca De Nueva Flor』から感じられる欧州のリリシズムとイタリアン・ロックにも似た高貴でクラシカルな格調高い旋律と香りに触れた時の衝撃と驚愕・感動といったら今でも忘れる事は出来ない。
 プログレとユーロロックがもたらす波及の奥深さと世界の広さに、改めて溜飲の下がる思いというか脱帽せざるを得ない素直な気持ちになれたのもシンテシスの作品あってこそと言っても過言ではなかった。

 そして時代は90年代…未知なる可能性と宝探しにも似た興奮と感動が再び巡ってくる事に、さながら“キューバの夢物語よ今再び!”と言わんばかりな期待感を寄せつつも、シンテシス以降キューバからの新たなるインフォメーションはさっぱりと音信不通になってしまい、シンテシスが国民的な大御所ポップスバンドに成長を遂げたのと反比例するかの様にプログレッシヴサイドは完全に事切れてしまって、私を含めて誰しもがあれはキューバの一時的な奇跡の賜物だったと断念せざるを得ないと、自らに言い聞かせるしかなかった。
 アルゼンチン、ブラジル、チリ、そしてキャストの登場で一気にシーンを盛り返したメキシコにも完全に差が開かれる様な形で、プログレ・ファンの誰しもがキューバのシーンに対する関心が薄れ、もう半ば諦めにも似た徒労と不信感に包まれつつ忘却の彼方へと気持ちが傾きつつあった。
 …が、そんなプログレ・ファンの疑念や焦燥感とは裏腹に、時代の流れに呼応するかの如くキューバ国内では来たるべき新時代に向けての新たな息吹きが芽生えつつあったのを我々はまだ知らなかった。
 首都ハバナ出身の類稀なる2人のミュージシャン…ギタリスト兼コンポーザーでもあるRoberto Diazと、才色兼美の文字通りの才媛キーボーダーVirginia Perazaを中心に、1996年大御所のイエスやジェネシスから多大なる影響を受け、リアルタイムにスポックス・ビアードやフラワーキングスから触発された形で、アニマ・ムンディ(ラテン語で“宇宙精霊”の意)は結成される。
 バンド結成以降、RobertoとVirginiaを核にメンバーの入れ替わりこそあったものの、地道に国内でのライヴ活動とデモ音源の製作を皮切りに、ラジオの音楽番組出演やデヴューに向けてのリハーサル・曲作りに精進を積み重ね、2002年待望のデヴュー作『Septentrion』をリリースする。
 ちなみに御存知の事と思うが、当初国内オンリーでリリースされたデヴュー作であったが、その数ヵ月後イタリアのMellowレーベルを経由してジャケットアートの装いも新たにワールドワイド盤仕様でリリースされた事も付け加えておきたい(2012年にはデヴュー10周年を記念して限定プレスで国内オンリーのオリジナルデザイン仕様デヴュー作がリイシューされている)。
    
 シンテシス以来のキューバ発プログレッシヴという事に、私自身何の迷いや不安感を抱く事無く鮮やかなクリアブルーの意匠に彩られたデヴュー作をCDプレイヤーのトレーに乗せた時の感動と興奮は今でも克明に記憶している…。
 シンテシスの遥か数十倍をも上回る音楽的感動…さながら全盛期のイエスが持っていた天空を駆け巡る様な高揚感に、ケルト音楽やニューエイジミュージックが融合した悠久の地平線を疾走する爽快感が得られる様は、変な理屈っぽさと数年間ものカタルシスをも超越した、正統派プログレッシヴ・シンフォニックの醍醐味ここにあり!と高らかに謳った一大叙情詩に心から拍手喝采を贈っていたのだった。
 ハウからの多大なる影響を物語るRobertoのギタープレイに、ウェイクマンやモラーツ果てはダウンズといったイエスのバンド史にその名を連ねるキーボーダー達からの良質なエッセンスが集約されたVirginiaの流麗なキーボードプレイ…etc、etc、中南米最高峰の牙城とまでいわれたブラジルのサグラドですらも凌駕するくらいに目くるめく展開する様は、まさしく21世紀ラテンアメリカン・シンフォここに極まれりと声高に宣言出来る…申し分無い位なイエスイズムに溢れ返っている様相は一聴した方ならきっとお解り頂ける事だろう。
 国内外での予想を遥かに上回るデヴュー作の反響の大きさたるや、RobertoやVirginiaを含めアニマ・ムンディに携わったメンバーや関係者をも驚かせ喜びと共に困惑をも招いたが、彼等は決して臆する事無く次回作に向けての大きな指針を打ちたてて、より高次な音楽宇宙への構築と創造に発奮するのだった。
    
 その原動力は次なる名作2nd『Jagannath Orbit』へと繋がり、より強固なるミュージシャンシップの団結力と素晴らしく快適な音楽創造環境への希求に6年間もの歳月を費やす事となる。
 イタリアのMellow(契約期間が切れたと思われるが)からフランスのMUSEAに移籍したのもまさに渡りに舟と言わんばかりな幸運であったとも言えよう。
 Roberto、VirginiaそしてドラマーのAriel Valdesを除くメンバーの殆どを一新し、2008年の次なる頂とも言える最高傑作『Jagannath Orbit』は、さながら神秘のエナジーとオーラに満ち溢れんばかりな太陽の塔をも彷彿とさせる、天空への懸け橋の如き超古代文明的な象徴が描かれた意匠に、全世界のプログレ・ファン誰しもが感動に打ち震え言葉すらも失った。
 期待を決して裏切らないその頑ななまでの真摯な姿勢に、全世界中のプログレッシヴ・ファンが色めきたち共感を覚え共鳴し、バンドサイドのみならず彼等の創造する天上世界の音楽に心酔する聴衆達は更なる最高潮への極みへと上り詰めていくのである。
    
 奇跡の名作『Jagannath Orbit』によって世界的な大成功と名声を得て、更なる快進撃の止まらぬ彼等ではあったが、それでも決して勢いに飲まれたり、慢心する事も驕り高ぶる事も無く常に平常心を保ちつつ、その高みを目指す情熱を次なる作品へと注ぎ込んだ。
 2年後の2010年リリースの待望の3rd『The Way』は、エメラルドグリーンを基調に睡蓮の花と戯れる女神が描かれた美しくも印象的な意匠というイメージと寸分違わぬ広大な音宇宙を創造し、まさしく東洋の極楽浄土とギリシャ神話のミューズとの融合・調和といった、互いの思想・宗教観・精神的なミクスチャー(というと語弊があるかもしれないが)を試みた、かつてのイエスの『海洋地形学の物語』にも相通ずるリスペクト云々とはまたひと味違った趣の意欲作に仕上がっている。
 この3rdの本作品にて彼等は、前作並びデヴューの前々作よりも更なる格段の成長と自己進化(深化)を遂げ、イエスやジェネシスへの憧憬やリスペクトをも超越し、自らのアイデンティティーに基づいたアニマ・ムンディたる音楽像を確立させる事となる。
    
 デヴューからの持ち味だったケルティックな要素が幾分後退しつつも、それを補うかの如くイギリスのエニドやIOアースばりに強化されたシンフォニック・オーケストレーションで、ドラマティックで重厚な音楽世界を構築し、その流れと系譜を維持したまま次回作へと繋げていく。
 この頃には流動的だったメンバーが漸く固定化され、RobertoとVirginiaを中心に、前作で参加したヴォーカリストのCarlos Sosaとベーシスト Yaroski Correderaが正式メンバーとなり、ドラマーがAriel ValdesからJosé Manuel Govinに交代し、5人編成の布陣(+ゲストプレイヤー)のスタイルに移行している。
 世界的な評価と名声が更に高まると共に、国内外のメディアを含め活動の場とキャパシティーが拡大の一途を辿りつつあるさ中、2年後の2012年はまさしくアニマ・ムンディにとっては多忙の一年となった。
 前出にも触れたデヴュー10周年を記念して、オリジナルのキューバ盤仕様デザインのデヴューアルバムを限定リイシュープレスし、更には念願だったヨーロッパツアー公演を行い、各国の公演先に於いて大熱狂と興奮で迎えられ聴衆を感動と熱気の波で埋め尽くしていったのは言うまでも無かった。
 その時の模様は2枚組ライヴCD『Live In Europe』に約2時間近い長尺で収録され、併せてライヴCDと同タイトルのライヴDVDもリリースされたので、自分の部屋に居ながらにして彼等のライヴでの雄姿が存分に堪能出来る素晴らしい内容に仕上がっている。
 ヨーロッパツアーが大成功に終わり帰国してからも彼等の飽くなき創作意欲と探求心は枯渇する事無く、その思いと熱意は続く次回作へと着々と向けられていった。
 が、ここで長い間苦楽を共にしてきたヴォーカリストのCarlos Sosaが、ツアーでの心身の疲弊が重なりバンド活動に限界を感じて抜ける事となり、新たなヴォーカリストとしてEmmanuel Pirko-Farrathを迎え、バンド自体もムゼアでの契約期間終了(!?)を機に改めて心機一転と一念発起で初心に戻り自らのセルフレーベルを興して、翌2013年ファンタスティック・イラストレーターEd Unitskyの手によるカラフルな極彩色で描かれた、ネイチャーな神々しさと野性味溢れる素晴らしい意匠の通算4作目のスタジオ作『The Lamplighter』をリリース。
          
 クラリネット奏者をゲストに迎え、従来の重厚で壮麗なシンフォニックサウンドの中にも、現代というリアルタイムに沿ったアップ・トゥ・デイトに裏打ちされたタイトでメロディックなサウンドワークに加えて、端整で甘いルックスのEmmanuel Pirko-Farrathの若々しい感性の繊細で瑞々しい歌唱力の上手さも手伝って、アルバムセールスもうなぎ登りのベストセラーになった事も然る事ながら、あたかもアニマ・ムンディ新たなるステージ第二の幕開けといった感の幸先の良いスタートになったと言っても過言ではあるまい。

 しかし…彼等が思い描く理想の音楽像や思惑とは裏腹に、母なる星“地球”を蝕む様々なる病巣…政情不安、サイバーテロ、民族紛争、牙を剥く自然災害の猛威、etc、etcが蔓延する混沌且つ混迷の21世紀の今日という現実に直面する事によって、アニマ・ムンディのサウンドスタイル自体も変革を余儀なくされ、その結果『The Lamplighter』から3年後の2016年にリリースされた通算5枚目の『I Me Myself』、その2年後の2018年にリリースされた続編ともいうべき『Insomnia』にあっては、青と赤に彩られた両手という何とも意味深で陰鬱な意匠を象徴するかの如く、今までの人間愛や神への礼賛といったテーマとは打って変わって、かつてのフロイドの『狂気』や『ザ・ウォール』にも相通ずるであろう社会不安やら疑問や矛盾を突いた…あたかも人間の深層心理や心の奥底に潜む深い闇・暗部といった題材にダークでほろ苦い曲想で占められており、時代の推移或いは彼等なりの自己深化とでもいうのか、改めて現実世界に真正面から向かい合った自問自答ともいうべき2枚の問題作を発表し今日までに至っている。
 ちなみに『I Me Myself』からドラマーがJosé Manuel GovinからMarco Alonsoに交代し、ヴォーカリストがMichel Bermudezにチェンジ、更には『Insomnia』ではまたしてもヴォーカリストが変わり現在はAivis Prietoが担当している。
         
 幾分駆け足なペースで彼等の歩みを辿ってきたが、彼等アニマ・ムンディ始め以前取り挙げたムーン・サファリにしろ、あくまで21世紀プログレッシヴ・バンド特有の同時代性を兼ね備えながらも、巌の如き頑ななまでの信念と信条がほんの僅か数ミリでもブレる事無く今日まで長らく維持出来ているという事に驚嘆すると共につい感慨深い思いになってしまう…。
 20世紀代のプログレ冬の時代…困難との闘いや紆余曲折の繰り返し、試行錯誤と自問自答の連続だった頃の時分と違い、大袈裟な書き方で恐縮だが彼等21世紀プログレは時代に恵まれ時代に愛されいる、自ずと思い描く理想の音楽たるものを追い求め続ける夢織人といった感をふと思い描いてしまう。
 ネット社会が蔓延し人間関係が希薄になり世界規模での混迷すらも禁じ得ない、先の見えない不安感と殺伐とした21世紀という迷える今日に於いて、バンドのコンポーザーにして類稀なるリリシスト(ポエト)でもあるRoberto Diazが見据える世界の先の果てには、これから何が待っているのだろうか。
 聴き手の側でもある我々もRobertoが思い描く崇高で且つ慈愛に満ちた世界観を、これからも末永く温かく見守り続け、次の新たなる宇宙精霊の輪舞する世界に足を踏み入れてみようではないか…。

一生逸品 ZINGALE

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 毎週掲載スタイルの「一生逸品」のリメイク&リニューアルも60回目を迎えて遂に今回が最終回となりました。

 先日の「夢幻の楽師達」最終回アニマ・ムンディでも申し上げた通り、「一生逸品」も従来の偶数月の月イチ掲載に戻りますが、どうかこれからも御愛顧頂きますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
 今回のリメイク・フィナーレに相応しく…激動の20世紀から混迷なる21世紀までに至り、現在もなお紛争や武力衝突が絶える事の無い中東情勢に於いて音楽と芸術という創作表現を武器に自由と平和を高らかに謳い奏で、伝説の称号とその名を轟かせ数多くの賞賛を得ている、名実共に中東きってのロック大国イスラエル至宝の存在と言っても過言では無い“ツィンガーレ”で締め括りたいと思います。
 
ZINGALE/Peace(1977)
  1.Heroica
  2.Help This Lovely World
  3.Carnival
  4.Love Song
  5.7 Flowers Street
  6.One Minute Prayer
  7.Lonely Violin Crying For Peace
  8.Stampede
  9.Soon The War Is Over
  
  David "Hofesh" Bachar:Vo, Harmonica
  Yonathan "Johnny"Stern:Vo, 12‐st Guitar
  Ehud "Udy" Tamir:B
  Efrayim Barak:G
  David Shanan:Ds
  Ady Weiss:Key
  Tony Brower:Violin, Mandolin
  David "Doody" Rosenthal:Syn, Per, Effects
  Yaacov Bachar:Manager

 昔、キングのユーロロックコレクションでハンガリーのオメガが初めて紹介された時に、名前は忘れたが某音楽ライターが記した「今や、車の走っているところにロックやポピュラーミュージックは必ずある」の言葉が忘れられない。
 10代後半の若い時分、ロック…プログレッシヴ・ロックはイギリス始めイタリア等の西欧諸国、北米大陸にしか存在しないものであると、今だったら余りに視野の狭い陳腐な考え方に多くのプログレ業界関係の有識者の方々が目にしたら絶対に失笑を買われるかもしれないが、先のオメガをきっかけに東欧を知り、ノヴェラをきっかけに日本を見直し、自身の成長と共にマーキー誌に触れ中南米のシーンを知るといったファクターを経て、時代と世紀を越えて数多くのプログレッシヴムーヴメントと出会い今日までに至っている次第だが、自身の年輪の積み重ねと共に新旧のプログレッシヴを掘り下げれば掘り下げる程、その底無し沼の如き根底の奥深さに改めて圧倒させられる思いを日々痛感している昨今である。
 
 今回の主人公でもあるツィンガーレに至っては、我が国に初めてその存在が明らかにされたのが今を遡ること28年前の1986年、マーキー誌のコレクターズ・コーナーにて紹介されたおそらく初めての中東諸国からのプログレッシヴだったのではなかろうか…。
 21世紀の今でこそ中東イスラエルのプログレッシヴ・ロックは全容が明らかにされ、70年代のシシット、アトモスフェラ、ノーネームズ並びそれらバンド関連の個々のアーティスト、21世紀に入ってからはトレスパス、テリオフ、サンヘドリン、ムジカ・フィクタ、シンポジオン…etc、etcが世界レベル級の傑作シンフォニックを世に送り出しているという活況著しい昨今ではあるが、隣国シリアとの対立を始めとする一触即発な中東情勢を考慮しても、失礼を承知で綴らせて頂ければ…過去を遡っても中東諸国で連想される事といったら、イスラムの戒律やら武力紛争、民族衝突、テロ、ゲリラといった、あまりに有難くも無い出来る事なら余りお近づきになりたくもない危険で野蛮なキナ臭いイメージしか想起出来ないのが正直なところで、先のツィンガーレに話が戻るが、あの当時に中東からプログレ到来と紹介されても今一つピンと来なくて、何やらキナ臭い預言というか啓示めいた暗くドロドロした陰鬱で重た過ぎるメッセージ性を孕んだ危なく怪しげな作品ではなかろうかと、今だったら一種の笑い話で終止するところだが、まさに若い時分の私にとってツィンガーレは“障らぬ神に祟り無し”みたいな禁忌に近い感情を抱いていたに違いない。
 無論、後年に於いて友人経由で渡されたカセットテープにダビングされた彼等の音世界に触れて、今までの無礼とも言うべき浅はかな先入観やら誤解だらけな認識は、僅かほんの数秒で一蹴されたが(苦笑)。

 ツィンガーレの詳細なバイオグラフィーに至っては、現時点で判明しているところで1973年に勃発した忌まわしき悲劇の第四次中東戦争が及ぼした辛く悲しい思い出に触発されて結成されたとの事。
 事実、ツィンガーレの一部のバンドメンバーの中には件の中東戦争で身内、親戚、友人を戦火で失ったとも記されている。
 愚かしくも悲しむべき戦乱に真っ向から立ち向かうべく、世界平和を大々的にアピールした詩世界と音楽を創作するべく彼等は銃火器ではなく楽器を手に取り、戦時下の軍や政府の統制化に挑戦すべく1974年に「Why Didn't I Win Lottery/Everything Will Be OK」(ヴォーカルはヘブライ語)でシングルデヴューを飾る事となる。
          

 ロック/プログレッシヴ・ロックにとって最大の難敵でもある当時の政府当局との検閲等を巡る闘いと葛藤、試練は、かつてのスペイン、ポルトガル、ギリシャ始め東欧の旧チェコスロバキア時代と同様、それはまさしく運命ないし宿命付けられているとでも言うのだろうか…。
 彼等ツィンガーレも御多聞に洩れず、戦禍で傷付き疲弊していた若者達から絶大なる熱狂的支持を受け創作活動という大いなる挑戦への一歩に足跡を残しながらも、あえなく当局からの発禁処分と市場回収という憂き目を見る事となる。
 とどのつまり当時の政府のお偉いさんが言わんとするのは、ロックだ芸術だ自由だ平和だなんぞにうつつを抜かす暇があるくらいなら武器を手に取って闘えとでも言いたかったのだろうか…。
 つくづく時代やら世紀がどんなに移り変わろうとも、やれ軍事強化だ革命だ独裁国家などといった戯言を公明正大に謳っている国ほどロクなものじゃないという事をこの場を借りて声を大にして言わせてもらいたい。
 話がややお堅い方向へ横道に逸れてしまったが、デヴューシングルが市場回収という憂き目に遭ったにも拘らず、ツィンガーレは意気消沈する事も臆する事も無く、政局の圧力なんぞどこ吹く風とばかりに、2年後の1976年に2枚のシングルを立て続けにリリースし、政情不安な当時のイスラエル国内に於いて最も精力的に活動するバンドとして国内外でも認知される様になり、その気運の追い風を味方に更なる創作活動に弾みを付けた彼等はレコーディングスタッフが懇意にしている強力なパイプとコネを通じて、イギリスの大手デッカレーベルからインターナショナルなマーケットを視野に入れたアルバム製作へと着手する事となる。
 それが名実共にイスラエル・プログレッシヴ史上の名作へと高みを極めた1977年作の『Peace』へと繋がるのである。
 結局のところ政府側の横槍でイギリスデッカからのアルバムリリースは叶わなかったものの、インターナショナルを目指した作風と英語のヴォーカルで生命への賛歌を高らかに謳い上げた、まさしく彼等が身上(信条)とする理想と希望ともいうべき“平和”そのものが念頭に置かれた、音楽という創作フィールドで開花した類稀なる奇跡の一枚へと昇華していったのは最早言うには及ぶまい。
 イエス、PFM、アルティ・エ・メスティエリといったブリティッシュとイタリアン・ロックの大御所からの影響がふんだんに感じられ、聴き様によってはアルゼンチンのクルーシスやエスピリトゥにも相通ずるメロディーラインをも彷彿とさせる全収録曲トラック間が切れ目無しのトータルアルバムに仕上がっているのも特色であろう。
 プログレ必須アイテムともいえるハモンドやメロトロンは一切使用されておらず、アコースティックピアノの端整な調べとフェンダーローズの残響を活かしたキーボードワークとシンセ系のアルペジオと早弾きパッセージとの応酬には、長年ブリティッシュ系やユーロロックを聴き込んでこられた耳の肥えたファンですらも溜飲の下がる思いに捉われる事必至であろう。
 クラシカル&シンフォニックな趣を湛えたテクニカルなヴァイオリン、スクワイアからの影響の大きさを骨太に聴かせるゴリゴリなベース音、ユーロロックイズムな語法を身に纏ったギタリスト…etc、etc、欧米の名だたるプログレッシヴの名作と比較しても何ら遜色の無い完成度を誇る最高傑作の一枚であると共に、兎にも角にも出身国がイスラエルであることなんぞもどこか遥か遠くに吹き飛んでいってしまう位にスリリングでエキサイティング…尚且つドリーミーでリリカルなサウンドファンタジーに、感動の余韻と至福のひと時に包まれて暫し時が経つのも忘れてしまう。
 仮にもしもプログレ初心者にバンド名と出身国を伏せて覆面テストで聴かせたら、10人中10人全員がきっとイタリアのバンドと答えるのではなかろうか。

 何やら怪しげでタダナラヌ雰囲気漂うアラビアンな祈祷師(預言者!?)が煙草(マリファナ或いはハシシ!?)を咥えているという意味深なアートワークから受ける陰鬱で重々しい印象からはとても想像出来ない位、本作品に漂う希望に満ちた明るい曲想とメロディーラインに思わず面食らってしまうが、収録されている全曲のタイトルを御覧になってお解りの通り、「愛」「祈り」「戦争」といったキーワードが至るところに鏤められており、イスラエルという中東国家ならではの避けては通れない命題やテーマが要所々々に見え隠れしているのも忘れてはなるまい。
 さながらスパニッシュ・ロック調の宴をも想起させる3曲目に至っては、陽気で楽しげなイメージ通りの…まさに抑圧された当時のエルサレムの民衆のフラストレーションが一気に爆発したかの様な狂騒ぶりすらも垣間見えよう。
 今となっては些か稚拙で時代錯誤な常套句かもしれないが、ツィンガーレの創作する音楽のバックボーンとなっているのは他ならぬジョン・レノンの言葉ではないが“Love & Peace”そのものではなかろうか。
 見開きジャケット内側に描かれた、透明人間的なフォルムの靴を履いた精霊(或いは修験者)が錫杖を手に、太陽が光輝く世界に向かって荒地を歩むイラストこそ、戦乱で荒廃した世界を越えて希望と理想郷を目指して行きたいという他ならぬバンド側の意向と願いが込められていたに違いない。
        
 
 しかし…そんな彼等が一縷の望みを託した唯一作は、またもや当局側の越権行為とおぼしき横槍で市場回収という理不尽な憂き目に遭ってしまう。
 その頃ともなると、ツィンガーレのみならずイスラエル国内の多くのミュージシャンやバンドが当局側の検閲やら何やらで市場回収ないし販売中止させられるといった、まさしく言われの無い弾圧を受け、80年代に差しかかる頃にはイスラエル国内のポピュラーミュージックの大半が解散ないし活動停止に追い込まれ、御多聞に洩れずツィンガーレ自体ですらもアルバムの発売中止と市場回収といった余波が尾を引き、ほとほとそんな現状にウンザリと嫌気が差した彼等は数年後若干のメンバーチェンジを経て、シングルやアルバム製作すらもままならない閉塞的な状況の中でバンド活動を温存させるも、結局1981年にツィンガーレは自然消滅して活動の表舞台か去っていってしまう。
 悲しむべきことにツィンガーレを支えていたであろう2人のヴォーカリストDavid "Hofesh" BacharとYonathan "Johnny"Sternが原因は定かではないが両名とも鬼籍の人となってしまったのが惜しまれる…。
 その数年後の1986年に海外コレクター経由でマーキー誌にてその存在が取り挙げられ、ツィンガーレはあたかも神格化するかの如くオリジナル原盤のみが高額なプレミアムを呼び、気付いた時にはもう既に遅しだったというのも何とも実に皮肉な話であるまいか…。
 見てくれは平静と平和を取り繕っていたイスラエル国家であったが、他の中東国家との軋轢やら武力衝突(特に90年代の湾岸戦争)といった政情不安や治安の停滞といった苦難の連続と繰り返しだった80年代全般から90年代半ばに於いて、ポピュラーミュージック然りプログレッシヴ系のアーティストが生き長らえるには余りに厳しい時代だったのかもしれない。
 そんなさ中にツィンガーレの『Peace』がCDリイシュー化されたのを契機に、再びイスラエル国内に於いてプログレッシヴ復興・復権が声高に叫ばれる様になり、イスラエル国内も一応の政情安定が見受けられる様になった頃の21世紀を境に、雨後のタケノコの如く前述の新世代イスラエル・プログレッシヴの新鋭達がこぞって登場し、周囲の状況含め文化・芸術の面でも大きな変貌を遂げる事となる。
 そんな21世紀真っ只中の2009年、突如として舞い込んだビッグニュース…ツィンガーレが2人のオリジナルメンバーだったギタリストのEfrayim BarakとベーシストEhud "Udy" Tamirを中心に新たなドラマーを迎えて再結成され、実に32年振りの新作『The Bright Side』で、不死鳥の如くプログレッシヴのフィールドに返り咲いたのである。
    
 キーボード並びヴォーカルパートもEfrayim BarakとEhud "Udy" Tamirの両者が担当し、歌詞も前作と同様に英語で歌われており、ツィンガーレの音楽世界観は不変であるという事を如実に物語っている、実に意欲的にして新たな挑戦ともとれるアプローチを打ち出して、32年間の空白を埋め合わせするに相応しい充実した内容に仕上がっており今日までに至っている…。 

 ここまで駆け足なペースでツィンガーレを綴ってきたが、イスラエルのプログレッシヴが認知され確固たる地位とポジションをも確立したであろう今世紀に至ってもなお、それらに相反するかの様に…テレビのスイッチを入れると否応も無しに映し出される中東情勢の軋轢や不安、イスラエルとシリアとの対立と武力衝突、様々なイスラム原理主義組織側のテロ行為と国際的な挑発劇、更には記憶に新しいところで最も過激にして活発な破壊行動を明示してきたイスラム国といった、数え切れない位の病巣を抱える中東国家の現状を思うと、やりきれない憤りを覚えると共に心が痛むばかりである。
 私は別に政治の論客ぶった事を言える立場でも無いし軍事アナリストでもないが、プログレッシヴ・ロックというフィルターを通して世界を見ているという事に大きな差異はあるまい。
 数年前の2014年ノーベル平和賞を受賞した当時若干まだ17歳のマララ・ユスフザイさんにこれからの未来への期待を託したいと願うと同時に、中東諸国を救済するという茨の様な苦難な道が待ち受けている事に加えて、世界中を震撼させたイスラム国並び様々なイスラム原理主義組織への対応と牽制を願わんばかりである。
 先にも触れたが、中東の若者達に対して今こそ声高に言いたい事は、人間を殺め傷つける武器を手にする事より、楽器やペンを手に取って自由や未来を切り拓いてほしいと改めて願わんばかりである。

Monthly Prog Notes -October-

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 10月終盤の「Monthly Prog Notes」をお届けします。

 2020年コロナ禍真っ只中の秋本番、思えば今年も残すところあと2ヶ月近くとなりました。
 燃える様な紅葉から落葉の晩秋へと、日に々々肌寒さが感じられる様になって気持ち的にも寂寥感をも覚えつつ、いつの間にか初冬への足音すら聞かれる様になって、改めて月日の移り変わりの早さに感慨深い思いに捉われます…。
 今回はそんな2020年の晩秋を飾るに相応しい、燻し銀の如き鈍い光沢を放つ…ある意味一筋縄ではいかない鮮烈且つ孤高の個性が際立っている曲者的な3アーティストによるラインナップが出揃いました。
 少数精鋭ながらも超個性派プログレッシヴを世に輩出してきたスイスのシーンから、もはやベテランクラスの頂に君臨していると言っても過言では無い“シシフォス”の4年ぶり通算5作目に当たる新譜は、GGやクリムゾンに触発されたであろう彼等従来の持ち味である70年代イズムのヴィンテージカラーが色濃く反映された、ダークでヘヴィなプログレッシヴが更に突出(傑出)した決定版といえる白眉の出来栄えとなってます。
 21世紀アメリカン・プログレッシヴから、2015年のデヴューから実に5年ぶりの新譜2ndをリリースした“ジオ”も要注目株です。
 サイバーパンクなシチュエーションとSF的なモチーフにジェネシス影響下のシンフォニックが違和感無くコンバインしたデヴュー作のインパクトも然る事ながら、今作でのバンクシー風なアートワークから連想させるアーティスティック+アイロニカルに加えて、モダンでタイトなアメリカン・シンフォニックの真骨頂が垣間見える秀逸さを御堪能下さい。
 イタリアからはブリティッシュ・カンタベリーから多大なる影響を受けたであろう超個性派ニューカマー“インスタント・カーテン”のデヴュー作が聴き処満載です。
 イタリアンな香りや佇まいこそ稀薄ではあるものの、ハットフィールズ&ザ・ノースやマッチング・モールといったカンタベリーの王道をリスペクトし、21世紀バンドらしくポスト的な趣をも加味した、かつてのピッキオ・ダル・ポッツオや昨今のホムンクルス・レスとはひと味もふた味も違う彼等ならではの唯一無比の音世界観に、イタリアン次世代の新たなる可能性と方向性を示唆する会心の一枚となる事請け合いです。
 抒情的でどこかしら去りゆく季節の寂しさにも似通った3枚の楽章に、物憂げな思いを馳せながら暫し現実から遊離して、晩秋のセンチメンタリズムとロマンティシズムに思う存分浸って頂けたら幸いです…。

1.SISYPHOSOcean Of Time
  (from SWITZERLAND)
  
 1.Ocean Of Time/2.Jogging For The Brain/
 3.Home?/4.Trying To Be Brave/
 5.A Rebel Is Not The Devil/6.The Uncertain/
 7.Keep Talking/8.Black And White

 81年にパンク・ニューウェイヴ系バンドとしてデヴューを飾り、後々に於いて時代相応の様々なサウンドスタイルへと変遷を辿り、1997年に漸くプログレッシヴにシフトして以降、牛歩的ながらも独自のペースで創作活動を継続し、今やスイスのシーンきってのベテラン格へと辿り着いた感のシシフォス
 本作品は2020年リリースのプログレッシヴにシフトした通算5作目に当たる4年ぶりの新譜で、遡れば1997年かのアイランドやサーカスにも匹敵する驚異的な演奏技量と完成度を誇る『Moments』以降、GG始めクリムゾン、VDGGを崇拝しつつも楽曲にちりばめられた、どこか斜に構えたニヒリズムというかシニカルな韻をも踏んだ独創的なサウンドスタイルは今作も健在で、単なる一介のヴィンテージ系プログレッシヴに括り切れない凄みと貫禄すらも彷彿とさせる。
 鉄壁不動の4人のメンバーに加えてヴァイオリンやヴィオラ、アコギのゲストを迎え、妖しくも陰影を帯びたダークでヘヴィなオルガンにメロトロン、アグレッシヴでエモーショナルな深く沈み込む様なギターワークとリズム隊、ハミルを意識したかの様なヴォーカルが織り成す、時にブルーズィーなヘヴィロック風に歩み寄ったかと思いきや乗りの良いロックンロール調に転じたりと、プログレッシヴを下地に変幻自在で八面六臂の如き側面をも垣間見せる、良い意味で掴み処の無い完全無欠な秀逸さを物語っており、まさしく齧り聴き厳禁の傑作と言えよう。
 ピアノをバックに切々と謳うラストパートは落涙必至で欧州の美意識とロマンティシズムを禁じ得ない…。
 余談ながらも彼等が所属しているMoonrecordsのみでしか公式サイトが無く、主流のSNSやYouTubeすらも一切公開していない辺り、如何にも彼等らしい頑固一徹な意固地さを感じてならない(苦笑)。

Sisyphos Official website
http://www.moonrecords.ch/index.php?cPath=6

2.THEOFigureheads
  (from U.S.A)
  
 1.Pathology/2.Man Of Action/
 3.The Garden/4.Portents & Providence

 かのバンクシーの壁画をも連想させる、何とも実に意味深なアートワークが印象的な21世紀アメリカン・シンフォニック期待の要注目株ジオの、今作は5年ぶりの新譜2ndである。
 2015年のサイバーパンク風なSFテイスト感満載な意匠に加え、中期ジェネシス系シンフォニックとの見事なコンバインのデヴュー作に鮮烈且つ斬新なる衝撃を受けたが、今回は前作から一転してアーティスティックでアイロニカルな雰囲気とカラーを湛えた、長尺4曲の構成による意欲に満ちた野心作に仕上がっている。
 ジャズ畑からポップス、プログレッシヴとジャンルの垣根を越えた多岐に亘る活動と併行してバンドのイニシアティヴを担うキーボード兼ヴォーカリストのJim Alfredsonを筆頭にリズム隊とギターによる基本的な4人編成(但しギタリストが曲によって交代していることから、バンドはキーボードトリオ+ギターであると思って差し支えあるまい)で、アメリカンなヴィジュアルとアイデンティティーに裏打ちされた、ジェネシス影響下の重厚でリリシズムが溢れつつも時代相応のモダンでタイトなシンフォニックが縦横無尽に繰り広げられており、ややもすればアートのイメージからして陰鬱な向きの曲想に思われがちであるが、そこはやはり曲作りの上手さが功を奏して力強く開放的で北米の大らかな空気感とハートウォーミングな佇まいが滲み出ており、他のポッと出のジェネシス影響下のバンドとは一線を画した、長年のベテランらしいキャリアとプライドが眩く光っている好作品であると言っても過言ではあるまい。
          

Facebook THEO
https://www.facebook.com/THEOPROG

3.INSTANT CURTAINLet Tear Us Apart
  (from ITALY)
  
 1.Reverse In The Sand/2.Tell The Tales, May I…/
 3.The Biginning/4.All White/5.And The Ship Battle Down/
 6.The Rest Divide Us/7.Safe As The World/8.Stay/
 9.April

 21世紀イタリアン・ロックシーンからメロディック系シンフォとは無縁な形で、久々にワールドワイドな視野をも見据えたであろう期待の新星インスタント・カーテンのデヴュー作がここにお目見えとなった。
 ややレコメン系を匂わせる様なアートワーク始め英詞のヴォーカルとサウンドスタイル、そのバンドネーミング総じて、イタリアン・ロック独特な香りや雰囲気が稀薄で、些かダイナミズムに欠ける物足りなさこそ否めないが、それらを補っても余りある位にニューカマーらしからぬ独特の音楽性の素晴らしさは折り紙付きであるといえよう。
 英国のハットフィールズ&ザ・ノースやマッチング・モールといったカンタベリー系に感化され、果ては王道のジェネシスから多大なる影響を受けた、そのブリティッシュナイズで21世紀ポストの持つクールな感触と風合いですらスタイリッシュに聴かせる演奏技量とコンポーズ能力には舌を巻く思いで、改めて次世代イタリアン・ロックの持つ大いなる可能性を示唆する意味で重要な一枚と成り得るであろう。
 キーボード、パーカッションを兼ねるベーシストに、ドラマー、専任ヴォーカリスト、そしてハモンド、メロトロン、フェンダーローズ、シンセをもマルチに弾きこなすギタリストの変則4人編成が織り成す、同じくカンタベリーの洗礼を受けたかつてのピッキオ・ダル・ポッツオないし昨今のホムンクルス・レスとはひと味もふた味も異なったサウンドスカルプチュアに、いつしか彼等の術中に嵌まって時が経つのも忘れてしまう魅力満載で曲者感が半端では無い、硬派ながらも良い意味で捻くれ度合いが突出した愛すべき一枚であると断言出来よう。
          

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