一生逸品 MURPLE
季節の移り変わりとは早いもので…いつしか晩夏の寂寥感から日に々々初秋の空気感へと変わりつつあるものの、未だ厳しい残暑の続く今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?
予想に反して多くの感動と熱気を巻き起こした東京五輪、そして昨今の東京パラ五輪…様々な意見や賛否両論こそあれど、世界中に蔓延するコロナ禍の現代(いま)に於いて、目に見えないウイルス感染の恐怖と不安に抗いつつも、大なり小なり着実に復活と復興に向けて人類が立ち向かう狼煙にも似た…一筋の希望の光明すら思い起こさせる、そんな8月であったと思えてなりません。
まだまだ前途多難ではありますが、今は兎に角止まない雨は無いの言葉を胸に、ただひたすら収束を信じて前向きに歩み続けたい所存です。
5月と6月の休載期間を経て、先月の「夢幻の楽師達」に引き続き、今月久々に再開の「一生逸品」は去り行く今夏に別れを告げ、初秋の足音が近付きつつある昨今の時節柄に相応しい…数多くもの名作・傑作を世に送り出したイタリアン・ロックシーンから、ある意味…かつて本当に極々一部の通好みというかコアなマニアにしか注目されてなかったであろう、知る人ぞ知るマイナー級な逸材ながらも隠れた名匠として、21世紀の今なお現役ベテランに位置しつつ、その名声を後世にまで刻み続け、名は体を表すの言葉通りペンギンの意を持つ“ムルプレ”に、今一度スポットライトを当ててみたいと思います。
MURPLE/Io Sono Murple(1974)
1.Antartide
2.Metamorfosi
3.Pathos
4.Senza Un Perche'
5.Nessuna
6.Murple Rock
7.Preludio E Scherzo
8.TraIFili
9.Variazioni In 6/8
10.Fratello
11.Un Mondo Cosi'
12.Antarplastic


Pier Carlo Zanco:Vo, Key, Contrabass
Pino Santamaria:G, Vo
Duilio Sorrenti:Ds, Per
Mario Garbarino:B, Per
「私はペンギン」という些かメルヘンチックながらもどこか人を喰った様なタイトルで74年に唯一作を残したムルプレ。
彼等も御多分に漏れず、一枚の作品を残して消息を絶った他のイタリアン短命ワンオフ・グループと同様の道を辿った訳であるが、ひと昔前ならイギリスもイタリアも、たった一枚限りのワンオフ的な活動のみで終止したバンドの消息を探ろうものなら、常套句かもしれないがまるで蜘蛛の子を掴む様な把握しきれない有様だったのだから気が遠くなる思いですらある。
そんな苦労と涙の徒労に終始したひと頃とは違い今やネット社会隆盛の時代…ワンクリック検索一発でいとも簡単に彼等の辿った道程やバイオグラフィーが明らかになるのだから、つくづく便利で良い時代になったものである(苦笑)。
1971年サンタ・チェチリア音楽学校の学友同士だったDuilio Sorrenti、Mario Garbarinoの両名を中心にPier Carlo Zanco、そしてPino Santamariaが集まり、ムルプレの前身バンドが結成される。
音楽スキルの高さや楽曲作りへの素養は然る事ながら、ロックバンド経験こそまだ浅く人伝もコネも皆無なティーン・エイジャーだった彼等は、イタリア国内のインターナショナルスクールにてギグをするのが専らな日々を送っていた次第であるが、イタリアン・ロック黎明期に於いて彼等の評判が口コミで広がるのはそう時間を要しなかったのが幸いし、彼等はこの頃からムルプレという正式なバンド名義でイタリア国内の様々なロックフェスティバルに参加、かのFranco Battiato始めClaudio Rocchiといったカンタウトーレ、並びオザンナやRDMといった名立たるバンドと競演する機会に恵まれ、それらの音楽経験が彼等を発奮させムルプレ改名前後に書き貯めた数々の楽曲も各方面の音楽会社・レコード会社のプロデューサーの目に留まる事となる。

余談ながらも彼等のバンド名ムルプレについてだが、真偽の程は定かではないものの…ある日いつもの通り某インターナショナルスクールにて演奏に向けた準備とリハを行っていたところ、アメリカ人でジョン・モースなる親しみやすいがどこか変わり者な男が訪ねてきて、ジョン曰く「僕、いつも身の丈2mの透明で全裸のペンギンを連れているんだ」と言わんばかり、ソウルメイトよろしくいつも見えないペンギンのお友達の分の座席を空けては見学し、その後は彼等の追っかけとして行動を共にしていたのだから、今ならさしづめアブない輩かちょっとブッ飛んでいる熱狂的なファンといったところだろうか…。
そんなジョン・モースも、父親が報道プレス関係に就いていた関係でイタリアでの任期満了に伴い家族共々帰国の途に着いてしまったが、その時の不思議で奇妙でおかしな体験をモチーフに、彼等4人は正式なバンド名でムルプレと名乗りだしたそうな。
話が横道に逸れたが、そんな新進気鋭な彼等に当初は大手RCAイタリアーナが契約交渉に乗り出してきたとの事だが、彼等自身アルバムデヴューの夢こそ抱いていたものの、あまりに想定外な会社がデヴューを持ちかけてきた事で及び腰になってしまい、結局宙に浮いたまま物別れで終わってしまうが、そうこうしている内にロックフェスで世話になったプロモーターやプロデューサーからの口添えで、クラシックとジャズを専門に扱っているドイツのBASFがロックとポピュラーミュージックを専門に扱うレーベルBasf-Fareを立ち上げ、ムルプレをその第1号アーティストに迎えたいとの意向で、程無くして彼等は周囲からの推しでBasf-Fare契約の許で、1974年『Io Sono Murple』で念願のアルバムデヴューを飾る事となる。
70年代中盤から後期にかけて登場したマクソフォーネ、チェレステ、ロカンダ・デッレ・ファーテといったクラスには及ばないものの、傾向から見ればオディッセアとかアポテオジ、ブロッコ・メンターレ、果てはアルーザ・ファラックスといったクラスと並ぶ好グループといっても差し支えはあるまい。
無論…イルバレとかムゼオ、ビリエットといったヘヴィ・プログレ系が熱狂的にお好きな方には多分不向きなサウンドであるかもしれないが、正統派イタリアン・ロックの響きと香り、心の琴線を揺さぶる様な旋律を守りつつも、74年という時代背景を考慮すればRDMの『Contaminazione』やイル・ヴォーロの一連の作品からも感じられた、やや世界的な視野に目を向けたかの様な隠し味的な雰囲気やらエッセンスがそこはかとなく漂っており、70年代初期に見られたある種イタリア臭いアイデンティティー全開な傾向から、どこかしら開放的で垢抜けたかの様なライト感覚が顕著に見られるのも70年代後期の特色でもあろう。
それは決して録音技術とか機材、テクニック、曲作り、アレンジ云々の差異を唱えているのではなく、73年以降のPFMの世界的成功を契機に自国のアイデンティティーを崩さず全世界にもアピール出来るという事を知り得たからこそ、極力“ワールドワイド”を意識した気風に移行したというのは穿った見方であろうか?

サウンドの中心はヴォーカル兼キーボードのPierとギターのPinoの二人に拠るところが大きく、幽玄な世界へ手招きするかの様なギターのリフと厳かなストリングス系シンセによるイントロダクションに導かれ、イタリア特有のオルガンの音色とパーカッシヴなドラムへの転調から軽快で疾走感溢れるリズムセクションに耳を奪われると、もうそこは完全にムルプレ・ワールド全開な面目躍如であろう。
大御所のオルメ始めラッテ・エ・ミエーレをも彷彿させる正統派なイタリアン・キーボードの大乱舞に荘厳なコーラスが響き渡り、変幻自在なギターと的確なリズムセクションがサウンドに色を添える様は、イタリアン・ロックの王道そのもので、1曲目から6曲目までがLP原盤の旧A面、7~12曲目までが旧B面に当たり、収録されている全曲共切れ目が無く作品そのものがトータル・アルバムを意図して製作されている。
7曲目の美しいピアノの調べに、“TraIFili~♪”と歌われるフレーズの小気味良さに、ユニークな響きのオルガンとシンセが楽しめる8曲目…etc、etc、押しと引き、動と静のバランスを保ちつつも渾然一体と化したサウンドがラストに向けて収束する様は、マイナーに位置する作品ながらも一連のイタリアン・ロックの名作と何ら遜色の無いレベルを物語っていると言っても過言ではなかろう。
この場をお借りして恐縮だが…過去我が国のプログレ専門誌の大家ともいえるマーキー誌上において、ムルプレの作品評において某氏曰く“手放しで誉められない作品”だとか“企画倒れ”、挙句の果てが“ギターのお粗末ぶりには目(耳)に余る…云々”と酷評していたが、私自身改めて何度も繰り返し聴いてみて、率直な意見で申し訳ないが“あんたホントにちゃんと聴いたのか!?”と疑問を投げかけたくもなる思いですらある。
ギターに限定した話、ムルプレの創作する音世界にはどうしてもこのギターの音色が相応しいのだから、別に目くじらを立ててどうこう言われる筋合いなんて無いと思うのだが。
そういった不特定多数の購読者がいるにも拘らず、作品評で偏った酷な烙印を押されて一生誤解されたままアーティストとその作品が貶められるという事が、あまりに見るに堪えられなかったからこそ、今回は敢えて彼等の名誉挽回と失地回復の機会にと本作品を選んだ意味合いがあった事も付け加えさせてもらいたい(まあ…それこそ聴き方の差異の違いもあるのかもしれないが)。
まあ、昔のプログレ関連のライターって“自分の書いた事こそ絶対!”って哀しくもおかしな傾向があったからこそ、何とも言えないけどね(苦笑)。
アルバムデヴューと同時期にリリースされたシングルカット『TraIFili/Murple Rock』で、シーンの真っ只中に躍り出た彼等ではあったが、アルバムの売り上げはまずまずながらも時既に遅しと言わんばかり前年のオイルショックから端を発した諸般の事情で、各々のレコード会社すらも規模の縮小と路線の変更やらを余儀なくされ、ムルプレも御多聞に漏れずリリース許の新レーベルBasf-Fareが閉鎖し、次回作に向けて準備していた新曲すらも宙に浮いた状態に陥り、この事がきっかけで彼等はほとほと音楽業界に嫌気がさし距離を置くと同時に、その後数回に亘るギグを経てバンドの解散を決意。
そもそも彼等自身デヴューの前後から、当時イタリア国内のロック・バンド(特にアレア)が旗印に掲げていた社会活動・政治的な運動との併合、芸術的なコミュニティーといった動きに付いていけなかった事で周囲からも存在が浮いていたばかりか、ソフト・マシーン果てはバンコとのジョイントライヴという貴重な経験を積み重ねながらも、音楽性の差異にジレンマとプレッシャーを抱え大きなハンデになったと後年メンバーの口から語られている。
早い話、純粋に音楽が楽しめなくなった事がムルプレ解散のもう一つの理由といっても過言ではあるまい…。
バンドの解散後、Duilio Sorrenti、Mario Garbarino、そしてPier Carlo Zancoは時折顔を合わせては、親会社のBASF所属のアーティストやシンガーのバックを務めて親交を深めていくが、前出の3人とは袂を分かち合ったPino Santamariaは路線変更しジャズ畑で活路を見い出していく。
Duilio、Pierはその後Angelo Branduardiとの共同作業とバックを務め、90年代にかけてはDuilio自身もイルバレのGianni Leoneと合流しキーボード・トリオのプロジェクトに携わる事となる。
21世紀ともなると70年代イタリアン・ロックの見直しと復興という追い風に後押しされるかの様に、イタリア国内のプログレッシヴ専門レーベルのMellow始めAkarmaからムルプレの唯一作がCDという形でリイシューされ、これを機にバンド再建の気運に心動かされたDuilio Sorrenti、Mario Garbarino、Pier Carlo Zancoは、2008年トリオ編成でムルプレを再結成し、一見かの玖保キリコ(懐!?)の漫画を思わせるユニークな意匠の復活作2nd『Quadri Di Un'Esposizione』で見事21世紀イタリアン・ロックシーンへと返り咲き、更なる6年後の2014年には女性ヴォーカリストのClaudia D'Ottavi、そして新たにギタリストMauro Arnòを迎えた5人編成で3rd『Il Viaggio』をリリースし、今なお現役第一線バンドとして今日までに至っている。



かつて時代に裏切られ、哀しみに翻弄され、自らの音楽世界をも諦めていた彼等であったが、作品の素晴らしさとクオリティーの高さは時代と世紀を越えて生き続け、時代が漸く彼等に追い着いた…まさしく奇跡の賜物以外の何物でもあるまい。
“信は力なり”の言葉通り、彼等は紛れも無く自らを信じ続け、困難な時代を生き続け時代に打ち勝った匠の気概に他ならない。
前作『Il Viaggio』から早7年経過しているが、コロナ禍という災厄と困難な時代に於いて彼等がこの先どんな新作・意欲作で再び私達の前に帰って来るのか、今は静かに心を落ち着けて待ち続けねばなるまい。
彼等もリスナー側である我々も夢の続きはまだまだ終われそうもない…。
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