夢幻の楽師達 -Chapter 65-
晩夏でもあり初秋でもあった…そんな残暑の名残を肌で感じつつ、些か曖昧模糊とした気候と空模様の9月から日に々々陽の傾きが早く感じられる様になった今日この頃ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
本格的な季節の移り変わりに呼応するかの如く、感傷的で且つ芸術の秋にしてプログレッシヴの秋到来を告げるであろう今回の「夢幻の楽師達」は、今や北米大陸のヨーロッパと言っても過言では無いカナダから、シーンの代表格にして大御所のラッシュやサーガとは全く真逆な印象とインテリジェンスを湛えた、アーティスティックでアカデミックな作風と音楽性が身上の、時節柄に相応しいまさしく職人芸の域と極みに達した真の楽匠に相応しい“マネイジュ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
MANEIGE
(CANADA 1975~1983)


Alain Bergeron:Key, Flutes, Recorder, Piccolo Flute
Vincent Langlois:G, Alto Sax,
Denis Lapierre:B, Ds, Per
Paul Picard:Per
Gilles Schetagne:Glockenspiel, Tubular Bells
Yves Léonard:Per
冒頭の前置きでも触れたが、同じ北米大陸という地続きで尚且つショウビズ大国アメリカに隣接しながらも、ハードロック並びプログレッシヴ総じて独自のロックムーヴメントを形成してきたカナダのシーン。
ことプログレッシヴ関連に関しては、詩人ニール・パートの逝去を機に惜しまれつつ解散への道を辿り今なお神格化されている大御所ラッシュを皮切りに、地道ながらも現役バリバリのキャリアを誇るサーガ、70年代の栄枯盛衰を経験しながらも見事に復活を遂げたFM。
これら有名処に準じて…一時期ビートルズの覆面バンドとまで揶揄されたクラトゥー、プログレッシヴ・フォークタッチの名匠アルモニウムとカノ、モールスコード・トランスミッション時代からイエス風のサウンドへとシフトに成功したモールス・コード、果てはジャズ・ロック系のスローシェにコントラクション、単発バンド系ではカナディアン3大名作に数えられているポーレンにオパス5(サンク)、そしてエトセトラ、更にはアングルヴァン、ミルクウィード、シンフォニック・スラム、ジャッカル、ル・マッチ、ヴォ・ヴォワザン、90年代に発掘復刻されたナイトウインズも忘れてはなるまい。
80年代を経て90年代以降から21世紀の現在に至るまでネイサン・マール始めヴィジブル・ウインド、ミステリー、近年のヒュイスにドラックファーベン…etc、etc、今なおカナディアン・プログレッシヴの系譜と伝承は脈々と息づいていると言っても過言ではあるまい。
カナディアン・プログレッシヴのユニークな特色として、アメリカン・ミュージックに極めて近い英語による作風に加えて、フランスからの移民による入植で仏語という公用語に文化、風習といった極めてヨーロッパ寄りの地域となったケベック州を拠点とした作風…顕著なところで(重複するが)モールス・コードの3部作、アルモニウム、スローシェ、ポーレン、オパス5、エトセトラ、アングルヴァン、そして今回本篇の主人公マネイジュといった流れを汲んだ2つの主流(流派というか)に分かれているところであろうか…。
まあ…この場でカナダの歴史、民族やら文化史、公用語云々といった堅苦しい内容は敢えて触れないでおくが、カナディアン・プログレッシヴの根底と基盤を紐解く上で頭の片隅に留めておいて頂けたら幸いである。
遡る事1969年、ケベック州はジャズ・フェスティバルのメッカで名高いモントリオールを拠点に活動していた、クラシック畑出身で初期マネイジュの音楽的リーダーでもあったJérôme Langlois、そしてジャズに触発されて音楽活動を始めたAlain Bergeronによる互いに畑違いの両者をメインに、マネイジュの前身バンドにして当時のサイケデリアとアートロックの要素を兼ね備えたジャズロックバンドLASTING WEEPで幕を開ける事となる。
当時、多種多彩な数々の音楽フェスティバルへの精力的な参加に加え、フィルムミュージックの製作にも携わっていた彼等であったが、1972年音楽性の発展的解散を前提にJérômeとAlainは前出のLASTING WEEPにゲスト参加経験のあるGilles Schetagneと、Alain自身の音楽学校時代の旧友だったYves Léonard、更には大掛かりで多量のパーカッション群を導入せんが為にGillesの伝でPaul Picardを招聘し、Jérômeの実弟でもあるVincent Langlois、そして旧知の間柄でもあったDenis Lapierreを加えた、7人編成という大所帯でマネイジュは70年代カナディアン・プログレッシヴ全盛期真っ只中にその産声を上げる事となる。
許よりLASTING WEEP時代からジェスロ・タル始めソフト・マシーンに傾倒していた作風が、時代の推移と共にザッパの方法論やGGの掲げたクロスリズムやサウンドアンサンブルといった構築手法をも積極的に取り入れた彼等は、以前にも増して精力的にギグへの参加で場数と経験をこなしつつ、それらと併行して創作活動・リハーサルに勤しむ様になり、こうした彼等のひたむきな努力の積み重ねが実を結ぶ事となり、アルバムデヴュー前であったにも拘らずかのオランダのエクセプションとのジョイント公演を成功させ、彼等の名声はこれを機に一気に高まっていく事となる。

1975年、以前からマネイジュの動向に着目していた大手のキャピタル・レコードからの打診で、傘下レーベルのハーヴェストから、バンドネームを冠した念願のデヴュー作、そして同年姉妹編ともいえる2nd『Les Porches (寺院の門) 』の2枚をリリース。


両作品ともまさしく甲乙付け難い彼等の初期の代表作にして、白を基調としたアルバムカラーに加えて意味深なるアートワークが、あたかもそのままサウンド全体に反映されたであろう、プログレッシヴ・ロックやジャズロック云々といったジャンルですら決して一括り出来ない位、崇高で神憑りにも近いイマジネーション含め、静寂と抒情を湛えた時にシリアス…時にチェンバーロックへのアプローチをも試みた意欲作に仕上がっている。
バンド自体この2枚の好作品を追い風に、一気に上り調子を保持したまま波に乗るのかと思いきや、この時点に於いて既にバンドは暗礁に乗り上げていた…。
音楽的なイニシアティヴを握っていたであろう、元来シリアスミュージック志向で大作主義を主張していたJérôme Langloisと、コンパクトな作風で外へ向けた音楽性を指向していた他メンバー間との音楽性の相違で、結果的にJérôme Langloisがマネイジュを去り、残された6人のメンバー達は臆する事無く逆に奮起しJérôme不在でもマネイジュの看板を守るべく、AlainとVincentを中心にデヴュー作と2作目で培われた音楽経験を踏襲し、多才なゲスト陣を迎えより以上にシェイプアップした明確で分かり易いプログレッシヴなアプローチを打ち出していく事となる。
1977年、6人の布陣で再出発を図ると同時にリリース許もキャピトルからポリドールへと移籍。
モロにロジャー・ディーンの作画タッチを意識した3rd『Ni Vent…Ni Nouvelle (御伽の国へ) 』は名実共に彼等の最高作へと昇華し、各方面から数多くもの称賛が寄せられる事となったのはもはや言うには及ぶまい。
従来のクラシカルな側面を留めつつも、GGばりのトリッキーでテクニカルなサウンドワークが顕著に表れた、ジャケットのイメージと寸分違わぬカラフルで開放的、尚且つコミカルな側面とSFテレビドラマ『トワイライト・ゾーン』をも想起させるフレーズが顔を覗かせたりと、大盤振る舞いもここまで来ると聴き手の側としても痛快極まりなく心地良いものである。
翌1978年にリリースされた4作目『Libre Service - Self Service (セルフ・サーヴィス) 』は、ジャケットアートこそ地味であたかも時代の流れに呼応したかの如く凡庸な装丁に、多くのファンやリスナーは不安や戸惑いを隠せなかった。
が…いざ蓋を開けてみると、クラシカルなサウンドワークは控えめになっているものの、前作以上にジャズィーでクロスオーヴァーなカラーが全面に打ち出された新たなるアプローチに、まあ…ジャケットこそ褒められた代物ではないにせよ、聴き手側は彼等の勇気ある英断と新機軸の方向性に惜しみない称賛とエールを贈るのであった。

時代への挑戦と自らの音楽性への壁を打ち破る事に勝利した彼等マネイジュは、今まで以上に精力的なツアーやギグをこなしつつ、翌1979年には初のライヴアルバム『Composite』をリリースし、流石に『Libre Service - Self Service』でのモノトーンタッチなアートワークを反省したのか、80年代以降ともなるとさながら時代の波に乗ったかの様なモダンながらも凡庸なジャケットデザインを反映した、所謂可も無く不可も無く無難なジャズロック路線に終止した『Montréal, 6 am』(1980)、若干のメンバーチェンジを経て『Images』(1983)といった2枚の作品をリリースするものの、彼等自身活動の限界を感じたのか或いはもはや演るべき事は全て演り尽くしたと悟ったのかは定かでは無いが、マネイジュの解体を決意した彼等は静かにシーンの表舞台から去っていき自らの活動に幕を下ろす事となる。

解散後各々のバンドメンバーの消息とその後の動向にあっては、SNSといったネットワーク隆盛の昨今に於いても残念ながら皆目見当付かないというのが正直なところで、唯一今なお現役バリバリの第一線で活躍しているのは初期バンドリーダーを務めたJérôme Langloisのみであり、シリアス系寄りのソロワークを展開し数枚にも及ぶ作品をリリースして今日までに至っている次第である。
肝心要のマネイジュのアーカイヴ関連に至っては、1974年と75年のモントリオールでのライヴを収録した『Live Montreal '74 / '75』が発掘され1998年に陽の目を見る事となる (余談ながらも2005年に『Live à l’Évêché 1975』も発掘リリースされている) 。
浮き沈みの激しい70年代~21世紀今日に至るまでのプログレッシヴ・ムーヴメントに於いて何度も言及するが、かのショウビズ大国のアメリカと地続きながらも決して安易に商業路線のカラーに染まる事無く、カナダという国民性とアイデンティティーを頑なに守り続け、独自の路線で今なお現在進行形で展開しているであろうカナダのプログレッシヴ・シーン。
それこそシンフォニック系からメロディック・ロック、プログ・メタル…等と多岐に亘るが、時折ふとマネイジュの様な感性にも似たアーティスティックな精神とフィーリング(ヒーリング系)で、心にじっくりと染み入る滋味にも似た“聴かせる”音楽と久々に巡り会いたいものだとささやかな願望すら抱いてしまう。
若い時分ならマネイジュの音楽性を、退屈極まりないとか性に合わないとばかりに知らん顔を決め込んでいたと思うが、流石に50代半ばの初老(苦笑)の域に達すると、とても心地良く聴けてしまうのだから、やはりその分歳を取った証なのだろうか…。
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