一生逸品 CIRKUS
2021年12月、昨年と同様コロナ禍に翻弄された激動の一年がもうじき終わりを迎えようとしています。
日に々々少しずつ来たるべき新たな時代に寄せる期待と不安が入り混じった、いつの間にかそんな心の声すら感じられる様になった今日この頃。
今年最後にお送りする「一生逸品」は、そんな2021年のフィナーレを飾るに相応しい、名実共に大多数もの秘蔵且つ至宝級の名作名盤が息づいている栄光のブリティッシュ(プログレッシヴ)・アンダーグラウンドから、昨年末に取り挙げたカーンと並んで、いよいよ満を持しての真打登場の如く名実共に栄光と伝説との背中合わせで語り草にもなっていた、真の英国プログレッシヴ・スピリッツたるものを頑なに守り続けつつ、21世紀の今日に至るまで名匠たる所以と風格こそ彼等自身の身上(信条)とライフワークそのものであると言っても過言では無い、伝説級の伝説“サーカス”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
CIRKUS/One(1973)
1.You Are
2.Seasons
3.April '73
4.Song For Tavish
5.A Prayer
6.Brotherly Love
7.Those Were The Days
8.Jenny
9.Title Track
a) Breach
b) Ad Infinitum


Paul Robson:Vo
Dog:Electric & Acoustic Guitar
Derek Miller:Organ, Piano, Mellotron
John Taylor:Bass
Stu McDade:Drums, Percussion, Vo
音楽あるある話みたいで恐縮だが、古今東西音楽のジャンルを問わず…バンドのネーミングにサーカスが用いられているのは、かなりというか結構見受けられるみたいで、ことプログレッシヴ・ロックに限定すると、クリムゾンやイエス影響下のスイス孤高のテクニカル集団でもあるサーカスを皮切りに、かのメル・コリンズを擁していた英国のサーカス、果てはイタリアの70年代アシッド・サイケが売りだったサーカス2000、我が日本のプログレッシヴ・ジャズロックのレジェンドスペース・サーカスを忘れてはならないだろうし、ごく最近ではカナダからIQ影響下のサーカスなるネオ・プログレッシヴバンドが精力的に活動しており、兎にも角にも或いは猫も杓子もというのか、サーカス団独特の華やかな曲芸と魔術が織り成す夢舞台の世界と、プログレッシヴ・ロックの持つ眩惑の音世界とは背中合わせの如く相通ずる共通点と関係性が切っても切れないが故に、(決して安易な発想という訳ではないが…) バンドネーミングにサーカスがかなり引用されるのは最早いた仕方あるまいといったところだろうか(余談ながらもクリムゾンの3rd『リザード』冒頭1曲目も“サーカス~カメレオンの参上”だったなぁ)。
些か微妙なこじつけみたいな書き出しで始まったが、今回本篇の主人公でもあるサーカス(ちなみに今更言うまでも無い事だが彼等のバンドネーミングのスペルはCIRCUSではなく、CがKに変ったCIRKUSである事を改めて補足させて頂きたい)とて御多聞に漏れず、栄光の70年代ブリティッシュ・プログレッシヴの一時代にその類稀なる秀逸な音楽性に培われたであろう唯一の音楽作品で軌跡と名前を遺した、まさしく80年代前後にフールズメイトやマーキームーン誌で発掘されるまでの間は、極端な話…ゴリゴリ筋金入りのブリティッシュ・ロックマニアないし愛好家でしかその存在が知られてなかった、名実共に幻や伝説級に匹敵する高額プレミア扱いで中古廃盤プログレッシヴ専門店ではクレシダの『Asylum』、スプリング、T2、チューダーロッジ等と並ぶ壁掛けお宝アイテムのレコードとして珍重され崇められていたのは言うには及ぶまい。
だからと言って決して物珍しさだけで終止する事無く、90年代にバンドが復活再結成を遂げ21世紀の今日に至るまで地道且つコンスタンスに作品をリリースされている事を踏まえれば、我々の下世話にも似た予想とは裏腹に、1973年の唯一作リリースから一時的な解散を境に現地イギリスでは彼等サーカスに対し一種カルト的な根強い人気が存続していたのは驚嘆に値する事象であろう。
CIRKUS…通称“Kのサーカス”のバンド結成までに至る詳しい経緯は、現時点で判明してる限り70年代初頭イギリスの地方都市サンダーランドを拠点にバンドのキーボーダーでもあるDerek Millerを中心に、Dogというニックネームのギタリスト、ヴォーカリストにPaul Robson、ベースJohn Taylor、そしてドラマー兼バンドの全曲を手掛けるメインライターをも兼ねるStu McDadeの布陣で結成されたもので、サーカス結成以前からDerek自身クリムゾンやイエス影響下のプログレッシヴ系バンドを何度か組んでは解散するといった繰り返しで文字通りの試行錯誤の連続だったとのこと。
1972年を境に前述のメンバーと邂逅し意気投合した末、度重なるギグやロック・フェスティヴァルへの出演という経験値を重ねデヴューアルバムのリリースという大きな目標を掲げ曲作りとリハーサルの為に月日を費やし、翌1973年地元サンダーランドのSound Associates/Emison&Air Studiosにてストリング・アンサンブルをバックに配し、アレンジャー兼コンダクタにTony Hymasを迎えて、漸く念願のデヴューアルバム『One』をリリース。
僅か1000枚のみの自主製作という限定プレス枚数にも拘らず、レコードショップ並びライヴ会場で飛ぶ様に売れ僅か一年にも満たない内に概ね完売してしまった事は彼等の評価を更に高めたのは言うまでもあるまい。
何よりも自主製作レコードによく有りがちな音質の悪さや録音技術の甘さが微塵にも感じられず、演奏技量から音楽性、果ては楽曲の構成力に至るまで、当時イギリスのヴァーティゴ始めネオン、ドーンといった幾数多ものレコード会社のレベルにも引けを取らないまさしく第一級レベルのクオリティーに、リスナーや音楽プレスやラジオ局関係者は言葉を失うばかりであった。
穿った見方かもしれないが、自主製作という手段と1000枚限定プレスに彼等が敢えて踏み切った背景には、当然大手レコード会社との契約面含め製作費やら予算云々も関連しているのだろうが、おそらく胡散臭い様な名刺を差し出す音楽関係者を名乗る輩やメディアなんぞに一切目もくれず信用すらしていなかったという、彼等なりに臍曲がり的というか猜疑心みたいなものがあったのかもしれない。
まあ、上手い話には必ず裏があるといった彼等なりの賢さに加えて、セールス不振で挙句の果てにアホみたいな負債なんぞ抱えたくなかったという安全策も考えていたのかもしれないが (苦笑)。
制約や規制が皆無な自主製作という利便性はジャケットアートにも反映されており、あたかも旧約聖書の一節さながらの人類の誕生をも想起させる…母なる地球という母体から赤ん坊の如き臍の緒が付いた全裸の男が産まれ出るという一種卑猥で猥褻に近い意匠には誰しもが面喰う事だろう。
1986年にUK EDISONの企画によるユーロロック・コレクションの第一弾としてサーカスの『One』がLP盤でリイシューされた際には全裸男の局部にややボカシがかかっていたものの、結局数年後のCD化に際しては違和感があるとの理由でボカシ無しのプリントで元に戻ったというのが何とも笑える(苦笑)。
21世紀の今日に至っては紙ジャケットCD並び再発アナログLP盤でも完全ボカシ無しのオリジナル仕様でちゃんと流通している事も一応付け加えておきたい…。
軽快なハモンドとギターが間髪入れずに切り込んで来るオープニング1曲目から、彼等のブリティッシュ・ヴィンテージでシンフォニックなチューンスタイルが窺い知れよう。
時代性を反映したサウンドながらも、70年代初頭で感じられたある種古色蒼然で野暮ったい一連のブリティッシュ・サウンドから一歩抜きん出た、クラシカルなエッセンスを纏ったハードなロックンロールは次世代への橋渡しに相応しい爽快さと疾走感が曲の端々から滲み出ており、ストリング・アンサンブルとの融合も絶妙の域に達している。
“You are, You are, You are, You are~♪”とリフレインされるヴォーカルフレーズが何とも小気味良いのも特筆すべきであろう。
荘厳なるオルガンの調べに導かれ印象的にはオーソドックスなブリティッシュ・サウンドスタイルながらも、メロトロンとストリング・セクションとも区別が付かない位のオーケストレイションとロックバラードとの調和が季節感の儚さを切々と謳い上げる2曲目も素晴らしく、後半部のドラマティックな展開には何度も耳にする度に心の琴線に染み渡る。
タイトル通り73年の春に書かれたと思われる3曲目にあっては、デヴュー期から3rd期のイエス影響下を窺わせるメロディーラインが実に微笑ましくて、寄せては返す波の如くヘヴィ・ロックとオーケストレイションとの楽曲の応酬が聴く者の胸を熱くし感銘の余韻に誘ってくれる事だろう。
アコギのイントロダクションに導かれるフォークロック調の4曲目も聴き処満載で、ストリング・アンサンブルとメロトロンとのシンフォニーのせめぎ合いに加えて、牧歌的でリリシズム溢れるアコースティック・チューンとヴォーカルラインが由緒正しき英国のロマンティシズムを紡いでいる。
2曲目に次いでチャーチ風なオルガンが英国ファンタジーを色鮮やかに醸し出している5曲目(アナログLP原盤ではA面ラストに当たる)は、幾分ムーディーズの『Days Of Future Passed』或いは『In Search Of The Lost Chord』の頃の作風にやや近いところがあるが、肝心要の歌詞にあっては(自主製作だからこそ出来たのだろうが)、ゲイや同性愛者を扱った過激というか物議を呼びそうな内容との事で、そういった側面からも彼等なりの反骨精神とでもいうのかニヒリズムすらも禁じ得ない。
スペイシーなメロトロンのイントロダクションに導かれハードにシンフォニックにドライビングする6曲目のカッコ良さとソウルフルなヴォイスも然る事ながら、個人的には収録されている全曲中一番好きな感傷的なギターと歌メロがリフレインされる7曲目のややサイケデリックがかった作風が、サーカスというバンドの面目躍如っぷりを如実に表しており、この曲だけでも好感触に満ち溢れてならない。
バンドメンバーの誰かの恋人でも謳ったのだろうか、女性名が冠された8曲目の淡いラヴソングとリリカルな美しいメロディー・ライン、そして終盤にかけてのコーラスパートが印象的で、8曲目のフェードアウトの流れを受けて、いよいよラスト9曲目2つのパートに分かれた大曲に至ってはバンドとオーケストレイションとが渾然一体となってプログレッシヴ色がより一層強まった、押しと引き、剛と柔、動と静、リリシズムとアグレッシヴ…といった様々な要素と概念とが見事にコンバインした、まさしくサーカス晴れのデヴュー作という大団円を飾るに相応しい秀逸なナンバーで締め括られる。
自主製作によるセルフリリースながらもギグと併せて売れ行き上々という好評価を得て、さあいよいよこれからという矢先、1975年一身上の都合によりヴォーカリストのPaul Robsonがバンドを離れる事となり、後任のヴォーカリストにサックスも兼ねるAlan Roadhouseが加入し、翌1976年にはマイナーレーベルによるシングル“Melissa”をリリースするも、『One』の頃の名残こそ若干留めてはいるもののプログレッシヴな作風は完全に後退しセールス的にも伸び悩むと暗澹たる結果を呈してしまう。
翌1977年にはロック・ミュージカルの演劇用ユニットFuture Shockという変名で、ユニット名と同タイトルの舞台でツアーを敢行し、サントラ盤もリリースするもそう大した話題にも上らず(ちなみにFuture Shockではバンドのメンバーが作詞作曲に一切携わっていない)、結局78年イギリス国内のロックバンドの寄せ集め的オムニバスアルバムにて“I'm On Fire”一曲のみを提供した後、バンド自体が低迷と限界に瀕していた事を機に1980年サーカスは敢え無くその活動に幕を下ろす事となる。

だが…気まぐれな運命の神様がそう簡単にバンドをお見捨てになる訳が無く、その後サーカス周辺を巡って80年代半ばから90年代にかけて大きな転機を迎える事となる。
1986年の日本のUK.EDISONからのLP盤再発を機に評価と関心が再び高まり始め、それに乗ずるかの如く当時オリジナルアナログ原盤が高額プレミアムで売買されているといった話が、遠い海を越えてイギリス現地のDerek Millerの耳に入るのは到底時間の問題であって、真偽の程は定かでは無いが“ああ、そうなんだ…。じゃあ活動再開するしかないよな”といったDerekの気持ちに火が付いて、長期に亘る年数を費やして…1994年Derek Miller主導によるサーカス名義の実に21年ぶりとなる第2作目『Two - The Global Cut』なるタイトルでリリースと相成る。
決してポップ化に転じたという訳ではないものの、時代相応のプログレッシヴな曲想と語法を身に付けたサウンドは多くの聴衆から支持され、2ndの好評価が足掛かりとなってイギリス国内では絶版廃盤扱いになっていた『One』が新たにリマスター(+リニューアル)化された『One Plus』としてめでたくリイシューへと繋がった次第である。
2nd並び『One Plus』での収益を元手に4年後の1998年には『III - Pantomyme』をリリースし、この本作品にてかつてのオリジナルメンバーでドラマーのStu McDadeを呼び戻し、多種多才なるゲストプレイヤーを迎えサーカスは実質上再びブリティッシュ・プログレッシヴのフィールドへと返り咲く事となる。
地道に且つ自らの活動方針と製作ペースで牛歩的に歩みながらも、決してコマーシャリズムには染まらないといった頑なな反骨精神で、暫しの間再び沈黙を守り続ける事となるが、21世紀に入り昨年の2017年漸く沈黙を破って19年ぶりとなる4作目『IV - The Blue Star』を発表。
この4作目では遂にオリジナル・ヴォーカリストのPaul Robsonが合流し、3rd同様に多くのゲストを迎えまさしく原点回帰を目指した意欲的な作風へと戻りつつあるのが実に喜ばしい限りでもある。



以降は地道に自らのマイペースな姿勢を保持しながらも、コンスタンスに作品をリリースし、2020年には朽ち果て捨てられた人形のフォトグラフが何とも意味深で些か不穏で不気味さすらを醸し出している通算5枚目の『Cirkus V: Trapeze』、そして今年2021年には日本の (多分京都辺りだろうか) 稲荷神社の林立した鳥居のフォトグラフが印象的な『Page 12 on the Right』を発表し、昨今のネオ・プログレッシヴムーヴメント云々とは一線を画した独自の創作路線と、頑ななまでの音楽スタイルと姿勢に、改めてブリティッシュ・ロックの本懐というか高潔なプライドの表れに只々感服する思いですらある…。



ブリティッシュ・プログレッシヴというスターダムへの夢を目指し見つめながらも、メジャーな流通やら商業路線に異を唱え反旗を翻し自らの進むべき道を模索しながら、時に疑心暗鬼となり時に試行錯誤と紆余曲折を繰り返し時代と世紀を超えて今日まで生き長らえてきた彼等サーカスの、文字通り旅芸人の彷徨すら想起させる無限(夢幻)の旅路はまだまだ果てしなく続く事だろう…。
サーカス『One』は今もなおCD(プラケース或いは紙ジャケット含め)、そして昨今見直されているアナログLP盤で何度もリイシュー化され、その度毎に評価を高めつつあるが、彼等は決して伝説的だとか幻の存在ではなく現代をリアルに生きている唯一無比の終わり無き孤高の楽師である事を忘れてはなるまい…。
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