夢幻の楽師達 -Chapter 70-
夏真っ盛りの7月終盤、晴れたり降ったり曇ったりと先の読めない不安定な空模様に加え、各地で頻発している線状降水帯の影響下によるゲリラ雷雨、記録的な豪雨、そして予期せぬ竜巻といった異常気象に頭を抱え憂鬱な気持ちに滅入ってしまいそうな今日この頃です…。
それに加えて世は実に3年振りの様々な夏の祭典やら音楽フェスが再開されつつも、これに相反するかの如く皮肉というか新型コロナ第7波とおぼしき全国規模の爆発的な感染増加が更なる拍車をかけ、まさに自由と不安とが背中合わせな薄氷を踏む危うさすら覚える…そんなコロナ禍3年目の今夏になったと言わんばかりでしょう。
今やインフルエンザと同等の扱いといった感すら窺わせる新型コロナウイルスではありますが、根絶と収束こそ難しいものの、各々がワクチン接種やらPCR検査といった感染防止の意識に努めながら共生共存の道を歩みつつ、引き潮の如く沈静化するのを待つしか術が無いといった、良くも悪くも半ば諦めにも似た感覚に移行しているのもまた正直なところでもあります。
不穏と困惑に満ちた2022年の今夏ではありますが、そんな昨今の現状を憂いながらも慈愛の眼差しで見守りつつ、今回お送りする「夢幻の楽師達」は久々の70年代ブリティッシュ・シーンから、デヴューから栄光の一時代を築きつつも、賛否両論を含め試行錯誤と暗中模索の連続を経て解散後の今もなお、中堅バンドと揶揄されながらも根強い支持と称賛を得ている、大英帝国の紺碧の空を飛翔する珍鳥(!?)こと“レア・バード”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
RARE BIRD
(U.K 1969~1974)


Steve Gould:Vo, B, G
Dave Kaffinetti:Electric Piano
Graham Field:Hammond Organ
Mike Ashton:Ds, Per, Vo
既に何度も言及されてきた事ではあるが、60年代末期から70年代全般にかけて幾数多もの有名無名、或いは長命短命問わず百花繚乱という言葉の如く全世界をも席巻してきたブリティッシュ・ロック・ムーヴメントの層の厚さたるや、その複雑怪奇で枝分かれに形成されたアーティスト各々のファミリーツリーを探求しようものなら、膨大なる資料やら当時のプレスや音楽誌と首っ引きで格闘の末…果たして何年かかる事やらと思わず頭を抱え込みたくなってしまうだろう (苦笑)。
1968年~1970年にかけての所謂ブリティッシュ・プログレッシヴ黎明期に於いて登場した…言わずと知れたブリティッシュ・プログレッシヴ5大バンド始め、ムーディー・ブルース、ソフト・マシーン、VDGG、プロコル・ハルム、ジェスロ・タル、BJH、キャラヴァン、GGといった世界的な人気と知名度を得た存在とて、まさにデヴュー当初は自らの立ち位置とでもいうべき、バンドのカラーと音楽スタイル、個性や方向性…等が山積といった手探りに近い状態だったのは言うに及ばず、要は早い話如何にして自らとオーディエンスに対して強くアピール出来るかが勝負の分かれ目だったのではなかろうか…。
その一方で世界的な成功を収めて上り詰めた側とは対照的に、良くも悪くも世界的な成功にまでは及ばずとも名作名盤を遺して知名度と人気を得た存在とて決して忘れてはなるまい。
俗に言うブリティッシュ・アンダーグラウンドに位置するグレイシャス、クレシダ、ジョーンズィー、ベガーズ・オペラ、マースピラミ、果てはワン・アンド・オンリーの記憶に残る単発作をリリースしたアードバーク、アフィニティー、インディアン・サマー、スプリング、ツァール、ビッグ・スリープ、コーマス、T2、クォーターマス…etc、etc、兎にも角にも枚挙に暇が無い (そこにフォークサイドからともなると更に収拾が付かなくなるので、それはまた別の機会に譲りたいと思う)。
今回本篇の主人公でもあるレア・バードも御多聞に漏れず、上記に挙げたバンド共々ほぼ同年期を過ごし生きてきた、ブリティッシュ・ロック史に於いて決して忘れ難い存在としてその名を留めていると言っても過言ではあるまい。
遡る事1968年、イギリス国内の某音楽誌のバンドメンバー募集欄にてGraham Fieldが“ピアノ或いはエレクトリック・ピアノの奏者求む!”と告知掲載したことからレア・バードの物語は幕を開ける事となる。
こうして何十通もの応募者の中から、Dave Kaffinettiなる者の音楽的嗜好始め方向性とアイディアに共通性を見い出したGraham自身、同年秋にDaveと初顔合わせした際お互いが目指すべきバンドの音楽性と方向性について何時間もじっくりと熟考し話し合った末、ツイン・キーボードを主体としたアートロックなバンドでやって行こうと決意。
翌1969年の夏にメンバー募集の告知欄を通じSteve Gould、Mike Ashton、そしてChris Randallの3人が合流し、レア・バードの母体ともいうべきTAPESTRY (別の資料ではLUNCHというバンドネームだったという説もあるが真偽の程は定かでは無い) が結成される。
彼等5人はGrahamのアパートメントにてリハーサルと曲作りに没頭し、同じキーボード系を主軸としていたサウンドスタイルのナイスやアードバークといった類似化を避ける為、クラシカルで且つR&Bの要素を内包した…彼等がリスペクトすべき目標のプロコル・ハルムを意識した、敢えて派手さを抑えあくまでもヴォーカルパートを重視した方向性へと心がけていく事に邁進していった。
こうして地道に堅実な過程を経て、いくつかのクラブにてギグを積み重ねていく内にTAPESTRYの評判と口コミは瞬く間にロンドン市内で広まる事となり、当時先鋭的な音楽性を有するバンドが数多く出演し、ブリティッシュ・ロックシーンの最先端を担っていたと言っても過言では無かったマーキークラブ、果ては5ポンドという高額のギャラでTilbury Working Mens Clubに半ば独占契約に近い形で出演していた事が契機となり、当時設立されたばかりのカリスマレーベルのオーナーでもあったTony Stratton Smithの目に留まる事となる。
が、それと前後してバンドの方向性にある種の食い違いを感じていたChris Randallが、たまたま出演していたギグにて電気配線のミスによる感電事故に巻き込まれてしまい、この事がきっかけで残りの4人との間に溝が生じてしまい、カリスマレーベルとの契約目前にしてバンドから離れてしまう事となる。
別に厄介払いという訳では無いにしろ、GrahamとDaveの両者とも当初から4ピースバンドを目論んでいたが故、Chris Randallの参加は想定外だった事もあって5人編成の布陣に於いてはかなりバンド内でのやりくり等に相当悩んでいたそうな。
Chris Randallが担当していたベースのパートは、ヴォーカリスト兼ギターのSteve Gouldがそのまま引き継ぐ事となり、こうして棚ぼたの如く4ピースバンドという当初のプランに収まり落ち着いた彼等は、デヴュー目前を契機にバンド名をレア・バードに改名し、1969年カリスマレーベルよりリリースの第1号バンドとして華やかな脚光を浴びる事となる。
自らのバンド名を冠したデヴューアルバムは、同時期にシングルカットされプログレッシヴ・ロック史上に於いてムーディー・ブルースの「サテンの夜」と並ぶ名曲として名高い「Sympathy」と共に大いに注目を集めたものの、セールス的には母国のイギリスよりむしろ、フランス始めドイツ、オランダ、他のヨーロッパ諸国でシングルヒットチャート1位を記録し、アメリカに於いてもデヴューアルバムがマイナーヒットを記録するなど、カリスマレーベルにとっては予想外な好成績で大成功を収め、多額な収益を得た事でレーベル自体の経営基盤も更に強固となり、レア・バードは新人バンドとしては異例で破格な扱いを受ける事となる。
ちなみに余談ながらも「Sympathy」は1992年、かのマリリオンによってシングルカヴァーされ、当時かなり話題になった事も付け加えておきたい。
個人的にも「Sympathy (=共感)」がリリースされた当時の時代背景 (ベトナム戦争始め東西の冷戦、米ソの対立) を思えば、重々しい深読みなテーマがかなり散見出来るが故、昨今のウクライナ戦争始め、 朝鮮半島の南北対立、中国台湾間の対立、アメリカの分断…といったコロナ禍と並ぶであろう世界に蔓延する愚かしい病と病巣に対し、21世紀の今日だからこそ改めて再度繰り返し聴き直してみたくもなるのが正直なところである。
「Sympathy」のメガヒットという手伝いもあって、ジェントリーで英国情緒満載な粒揃いの小曲集といったイメージながらもデヴューアルバムのセールスは上々という、まさに順風満帆で上向きの好成績を収めた彼等は、この気運を追い風に次回作の構想へ着手する事となる。
ツインキーボードであるが故のサウンド面…特にインストパートでの弱さが指摘され、バンドにとってもアキレス腱にも似た欠点が露呈してしまうものの、彼等は臆する事無く弱点やマイナス面を逆手に取って、前デヴュー作での反省点を踏まえつつ音楽性を更に深化発展させた形で、翌1970年のプログレッシヴ元年、自らのバンドネームレタリングを堂々と大きくあしらった、シンプルイズベストな2ndアルバム『As Your Mind Flies By』をリリースする。

前作の延長線上な箇所こそ散見出来るものの、本作2ndにあっては時代相応に合わせたかの如くプログレッシヴ寄りなアプローチと探求心、果ては冒険心すら垣間見える秀でた意欲作に仕上がっており、特にアナログLP盤時代の旧B面を全面的に費やした組曲風の大作「Flight」にあっては、畳み掛けるような曲構成と展開、同時期のフロイドの『原子心母』をも意識したかの様な男女コーラスパートの導入も、劇的な盛り上がりに一役買っている点で大いに評価出来よう。
セールス面でもかなりの収益を収めたとの事だが、いかんせんデヴュー時のイメージというか固定観念があまりに強過ぎたが故、多くのファンからはかなり敬遠されてしまったとの事。
この事でGraham自身の自我と独創性が覚醒されたのか、本作2ndリリース後にレア・バードと袂を分かち合い、バンドから離れた後の1971年、クリムゾンの『リザード』リリース後にバンドを離れたAndy McCulloch、そして当時新進で売り出し中だったAlan Barryを迎えたトリオ布陣で、自らのネームを冠したソロプロジェクト名義的な趣のFIELDS (フィールズ) をCBSよりリリースする。

ジャケットアートが鳥繋がりといった点を含め、レア・バードへの意趣返しといった点は否めないが、レア・バード時代から一転して目まぐるしく曲展開する攻撃的なキーボードワークに賛否こそあるものの、割り切って考えてしまえばこれはこれで素直に楽しめる好作品として一聴の価値はあるだろうと思える。
その一方でバンドとしてサウンドとしての片翼でもあり要でもあったGrahamが抜け、Dave Kaffinetti主導によるスタイルでSteve Gouldをメインヴォーカリスト、そしてドラマーがMike AshtonからFred Kellyへと交代した後、新たにギタリストとベーシストを迎えた5人編成のラインナップへと大きな変化を遂げたレア・バードは、今までの古巣だったカリスマから離れ心機一転大手のポリドールに移籍後、1972年『Epic Forest』、1973年『Somebody's Watching』、そして1974年バンド名義の最終作となる『Born Again』をリリースした後、潔くも人知れず静かにシーンの表舞台から去って行く事となる。



俗に言う後期レア・バードにあっては、カリスマ時代に聴かれた英国風のジェントリーでクラシカルな側面がかなり薄れてしまい、プログレッシヴな雰囲気こそ留めているものの、聴きようによっては凡庸なフォークロック、ファンキーさが増したハードロックだのと揶揄され、ポリドール移籍後から解散に至るまでの最終作に至っては散々な評判と言われ様であるのが些か残念な限りでもある (ジャケットアートが秀逸なだけに、その部分を差し引いても何だか悔やまれる…)。
カリスマ時代とは別バンドとして割り切って聴けば、それ相応に聴き処があって楽しめるが故に、もっと高評価が得られても良い位なのだが…。
ちなみに…『Epic Forest』と『Somebody's Watching』の両作品には元VDGGのニック・ポッターがパーカッションとベースで参加しており、『Somebody's Watching』には何と一曲だけジョン・ウェットンがギターでゲスト参加しているのが実に嬉しい限りである。
ただ…悲しいかな、SNS隆盛の昨今に於いてもレア・バードのメンバーのその後の動向が全く伝わって来ないのが何とも惜しまれる。

レア・バード解散から早48年…21世紀の今日に至るまで、彼等が時代に遺したアルバムの大半がCD化によってリイシューされ、未発アーカイヴ物含めベストアルバム形式からコンピ編集企画物、未発ライヴ音源含め、古くからのファンを含め新しく接する若手世代も、両方面総じて彼等の遺産に接する機会がますます増えていくであろうと切に願って止まないと共に、近年のメロディック・シンフォやネオ・プログレッシヴ台頭といった感のブリティッシュ系に相反するかの如く、かつてのブリティッシュ・ロック本来が持つ古き良き音色と旋律、ヴィンテージな伝統と王道復古が声高に叫ばれている昨今、21世紀の大英帝国の紺碧の空を舞う珍鳥の…そのニヒリズムにも似た鋭い眼差しの先には、ブリティッシュ・プログレッシヴの未来と行く末が果たしてどう映っているのだろうか?
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