一生逸品 QUATERMASS
今年も例年の如く…というか毎年恒例とも言える(苦笑)、全国的規模で猛酷暑と異常気象に見舞われた2022年の夏。
8月も終盤に差しかかり、気付いたらいつしか朝晩とも9月の初秋を思わせる空気と雰囲気が感じられる様になりました。
不思議なもので、あんなに鬱陶しくも忌々しさすら感じていた暑い夏が終わりを迎える頃になると、何とも言えない感慨深い思いと寂しさを覚え、同時に今年も残すところあと4ヶ月であることに…まあ月並みな言葉ではありますが、一年経つのが本当に早いものであると痛感することしきりです。
狂おしい様な炎熱の夏を経て、いよいよ文化と芸術そしてプログレッシヴの秋本番の到来に喜びと期待は隠せないと共に、2022年の残る数ヶ月間…また更に新たなプログレッシヴ・ロックとの出会いが待っているのか、真摯に襟を正す気持ちで真っ向から受けて立とうと思います。
今月の「一生逸品」は去りゆく晩夏の余韻に浸りつつも、再び巡ってくるプログレッシヴの初秋に思いを馳せながら、1970年のブリティッシュ・プログレッシヴ黎明期に於いて、栄光こそ掴めなかったものの不世出の才能集団として認知され、プログレッシヴとハードロックの両方面から今なお絶大なる支持を得ている唯一無比なるロックトリオの金字塔“クォーターマス”が遺した一枚に焦点を当ててみたいと思います。
QUATERMASS/Quatermass(1970)
1.Entropy
2.Black Sheep In The Family
3.Post War Saturday Echo
4.Good Lord Knows
5.Up On The Ground
6.Gemini
7.Make Up Your Mind
8.Laughing Tackle
9.Entropy


Peter Robinson:Key
John Gustafson:B, Vo
Mick Underwood:Ds
1970年…ピンク・フロイドの『原子心母』の牛のフォトグラフが合言葉の如く、一躍にして時代のトレードマーク或いはシンボライズの象徴として、プログレッシヴ元年はめでたく幕を開けた次第であるが、時同じくして当時新進レーベルとして着目されていたハーヴェストから前出の『原子心母』と共にデヴューを飾っていたのが今回本篇の主人公クォーターマスであった。
ハリウッドSF映画でお馴染み『ジュラシック・ワールド』の世界観をも連想させる様な、高層ビル群を滑空する翼竜プテラノドンの群れが描かれた、『原子心母』と同様ヒプノシスのデザインによる超非現実的で印象的な意匠に、70年代という新たな時代の到来を感じる当時のリスナー諸氏も多々おられたのではなかろうか…。
クォーターマスの歩みは、ベーシスト兼ヴォーカリストのJohn Gustafsonの音楽人生そのものと言っても過言ではあるまい。
50年代半ばからリヴァプールにてマージービート系始めR&Bといった多種多様なバンドを渡り歩き腕を磨いてきた文字通り叩き上げのミュージシャンでもあるJohnが、1969年EPISODE SIXを抜けた…かのロジャー・グローヴァーの後釜として参加した事がきっかけとなっている。
そのEPISODE SIXに在籍していたキーボーダーのPeter RobinsonとドラマーのMick Underwoodとの出会いによって意気投合した3人は、折しも前出のロジャー・グローヴァーと共にイアン・ギランがディープ・パープルに引き抜かれて半ば解散状態に近かったEPISODE SIXでの活動に見切りを付け、バンド解散と同時期の1969年初秋にクォーターマスを結成。
余談ながらもドラマーのMick Underwoodは、既に御存知の方も多いと思うがかのリッチー・ブラックモアとは長年旧知の間柄でもあり、このことが後々クォーターマスとリッチーにとって縁浅からぬ関係性として後年語り草となるのだが、それは追々触れていきたいと思う。
キーボーダーのPeter Robinsonにあっては名門の英国王立音楽院を卒業後、クラシック畑という堅苦しいフィールドでの活動に相反するかの如く、真逆なロックとジャズといったポピュラーなフィールドに身を投じたアンチエリートでもある。
同年12月クォーターマスはロックの殿堂マーキークラブにてデヴューお披露目ライヴで一躍脚光を浴びる事となり、その追い風に乗じて翌1970年1月にハーヴェストと契約を交わしデヴュー作に向けてレコーディングを開始。
同年5月に自らのバンド名を冠したデヴュー作をリリースし、以降はドイツ始め北欧スウェーデンを経由したヨーロッパツアーを敢行し、同年12月にはブラック・サバスと共にアメリカツアーに同行し大勢の聴衆の前で鮮烈且つ劇的なライヴパフォーマンスで会場を沸かせる事となる。

アートロック、ヘヴィロック、R&B、クラシック…等といった多種多様な音楽的素養が渾然一体となった、名実共に1970年の幕明けに相応しい強烈な一打となったクォーターマスのセンセーショナルなデヴュー作は、冒頭1曲目からあたかも教会の大聖堂での厳粛で静謐なるチャーチオルガン風のハモンドに導かれ、伝統的な重みすら感じさせる旋律の余韻に浸る間も無く突如ノイズィーで乱調気味なシンセサイザーが乱入し、構築と破壊を絵に描いたかの様なイントロダクションという意表を突いた展開で怒涛で劇的な2曲目へと雪崩れ込む様は、これぞブリティッシュ・オルガンヘヴィロックの醍醐味と王道が垣間見える傑出で最高のナンバーですらある。
実はこの2曲目「Black Sheep Of The Family」にあっては、先にも触れたリッチー・ブラックモアがこの曲を惚れ込み過ぎて、何と!よりによってパープルでもこの曲をカヴァーして新譜に収録しようと話を持ちかけたものの、メンバー4人 (おそらく特にジョン・ロードからは) から猛反発を喰らってしまい、この一件を機にすっかりバンドから孤立してしまったリッチーはパープルから脱退し、1975年自らが立ち上げたRitchie Blackmore's Rainbowのデヴューアルバムで、念願だった「Black Sheep Of The Family」のカヴァーを収録したそうな。
良し悪しを抜きに、ロック史に名を刻む名ギタリストの心をも揺り動かし鷲掴みにし、バンドとの訣別さえも厭わない位の魅力というか魔力の大きさと強さに、たった一曲でも各々の運命をも左右させる物語があるという事実に改めて感服する思いですらある。
イタリアのオルメの『Collage』オープニングをも連想させる3曲目にあっては、高らかに鳴り響くハモンドに魂の高揚感を覚え徐々に遠ざかっていく楽曲を見送りつつも、唐突にジャズィーで且つブルーズィーな雰囲気と趣に転調した、まさに時代の空気感相応の筆舌し難い渋くて味わい深い音空間が、さながらパブのカウンターで美酒に酔いしれる心地良さにも似通っている。
クラシカルで壮麗なチェンバロの美しい音色と、ジェントリーなJohnの歌心が心に染み入る落涙必至な4曲目も、プロコル・ハルムに相通ずる英国的な泣きの佇まいが感じられて素晴らしい。
ストリング・アンサンブルをバックに配して劇的に展開する様は、同年の『原子心母』とはまた違った英国風の情景が目に思い浮かぶかの様ですらある。
5曲目のストレートなハードロックチューンなナンバーも悶絶必至な出来栄えで、改めてキース・エマーソンやジョン・ロードとはひと味もふた味も違う (差別化を図る意味合いを含めて) 、Peterのオルガンの使い方や奏法にあっては、強いて例えるならばドイツのフランピーのJean-Jacques Kravetzのセンスに近いと思えてならない。

6曲目に炸裂するヘヴィ&ロックン・ロールなナンバー、感動的で重厚感満載なシンフォニックバラードな7曲目の素晴らしさを存分に堪能した後に待ち受ける8曲目は、収録された全曲中10分超の長尺なヴォーカルレスのインストナンバーで、ジャズィーに粛々と刻まれるベースのリフとリズムから徐々にプログレッシヴでクラシカル&シンフォニックなストリング・アンサンブルが被さって、緊迫と弛緩の狭間で寄せては返す波の様に幾重にも紡がれる重厚感溢れる旋律、ドラムソロを間に挟みピアノと調子外れなストリング・アンサンブルとの不協和音が奏でられアヴァンギャルドでダークな雰囲気が醸し出す世界観は、さながらジャケットに描かれたモノクロな虚空の下…高層ビル群を飛び交う翼竜達の哀歌にも似通っている。
こうして不思議な余韻を残しつつ、オープニングの厳粛なイメージを踏襲したラストの小曲へと繋がって、50分超に及ぶクォーターマスの驚愕なる旋律 (戦慄) の音世界は幕を閉じるのである。
デヴュー作の評判も上々、このまま上向きの気運に乗って次回作の準備に取りかかろうとしていた矢先キーボーダーのPeterが体調を崩してしまい、次回作の製作中断と同時にバンドも活動休止状態に陥り、Peterの復帰と同時にドイツへのツアーで活動再開を図ろうとしていたものの、結局活動休止中に各々の気持ちと意欲が低下してしまい、クォーターマスは一年弱の短い活動期間ながらも秀逸なる唯一作を遺し1971年の春に人知れず時代の表舞台から去る事となる。
バンド解散後のメンバー各々の動向にあっては、John Gustafsonはハードロック路線に活路を見い出しハード・スタッフを結成を経て、以降はセッションミュージシャンとして音楽活動を継続。
Mick Underwoodも数々の名立たるアーティスト達と数多くのセッションを経て今日までに至っており、バンドの要でもあったPeter Robinsonはモーリス・パートと共にサン・トレーダーでの活動、その後ブランドⅩへの参加を経てセッションミュージシャン、果ては舞台、テレビ、スクリーンミュージックへと活躍の場を広げて今なお創作活動に精力的である。
ちなみにバンド解散から26年後の1997年、ドラマーのMick Underwood主導でクォーターマスが期間限定で再編され『Quatermass II: Long Road』なるアルバムがリリースされるものの、JohnとPeterの不在で音楽性が変わった事に加え、これといったセールスポイントが無かった事も災いしたのか大きな話題にも至らず終止するといった、かつてのデヴュー期での重厚でエネルギッシュな面を総じ大部分で精彩を欠いているといった点は否めず何とも寂しい限りである…。
虎は死しても毛皮を残すという言葉があるが、クォーターマスの存在が失われてもたった一枚の名作だけが21世紀の今もなお燻し銀の光沢と輝きを放ち続けている。
それはあの彼等の唯一作に描かれた高層ビル群を飛び交う翼竜を凝視する様な幻夢体験だったのか…或いは70年代ブリティッシュ・ロック黎明期が見せた (魅せた) うたかたの夢であったのだろうか。
いずれにせよ彼等が遺した素晴らしき音楽遺産並び伝説と軌跡は、時代と世紀を越えて未来永劫これからも語り継がれていくのであろう、私はそう信じたい。
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