夢幻の楽師達 -Chapter 42-
5月最終週にお送りする「夢幻の楽師達」は、80年代ジャパニーズ・プログレッシヴシーンの牽引を担ったと言っても過言では無いネクサスレーベルから世に躍り出たノヴェラ、アイン・ソフ、ダダ、美狂乱、ケンソー、ジェラルドに追随するかの如く、90年代にクライムレーベルへ移行してからの立役者として栄光の一時代を築き上げシーンを駆け巡っていった唯一無比なる存在として、21世紀の今もなお絶大なる支持を得ている“ヴィエナ”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
VIENNA
(JAPAN 1988~1989)


藤村幸宏:Vo, G
塚本周成:Key
永井敏巳:B
西田竜一:Ds, Per
全世界規模に於けるプログレッシヴ・ロックにとってあの80年代という時代は、栄光に輝かりし70年代の呪縛から未だ逃れられない…文字通りヴィンテージ系の名作・名盤ばかりがもてはやされ見直されながらも、原盤・廃盤のプレミアム高騰で、結果キングのユーロ・ロックコレクションを始めとする再発ラッシュの波が一気に押し寄せた、所謂良くも悪くも“再発に始まり再発で明け暮れた80年代”とまで揶揄されるまでになったのは流石に否めない(苦笑)。
誤解の無い様に断っておくが、私は時代や年代・世紀を問わずプログレッシヴと名の付く良い作品素晴らしい作品なら、嘘偽りの無い賛辞で称えてはいるが、まあ…あの80年代当時は未だに70年代の名作・名盤に慣れ親しみ…どっぷりと骨の髄まで味わった筋金入りリスナー=まさに時が止まったままのマニアクラスにとっては、80年代とは食い足りない物足りなさというか歯応えはおろか味も素っ気も無い、優しく喩えればプログレ・ファンにとってはまだまだ空寂しい一時代だったのかもしれないが。
そんな再発ラッシュの嵐が吹き荒れる片やその一方で、80年代は“プログレッシヴ・リヴァイヴァル”というイギリスのポンプ・ロック勃発を契機とするプログレ再帰(再起)と復興、まさしくそれは21世紀の今日までに繋がり至るプログレの可能性ともいうべき試金石にして大いなるターニングポイントともなった、とても重要な意味合いを含んだ時代だったのではなかろうか…。
前置きが長くなって申し訳無いが…昔も現在もプログレッシヴ・ロック最大のマーケットともいえる我が国日本に於いても、80年初頭キングレコードから発足したネクサスレーベルを契機に、新たなジャパニーズ・プログレッシヴ・ムーヴメントの新たなる第一歩は、イギリスのポンプ・ロック勃発とはまた違った独自のシーンを形成し、後にフランスのムゼアレーベルと共に一時代を築いたベル・アンティークやメイド・イン・ジャパン、そして前出のネクサス→クライムへと移行していったレーベルからも多種多彩な秀でた逸材を輩出するまでに至った次第である。
ノヴェラを始めそこから枝分かれして派生したジェラルド、メイド・イン・ジャパンの顔ともいえるアウターリミッツ等といった当時名うての存在だったバンドから選りすぐりの才能が結集し、80年代末期…80'sジャパニーズ・プログレッシヴの絶頂期にして、昭和から平成へと年号が変わる激動の時代の真っ只中に今回の主人公でもあるヴィエナは産声を上げた。
以降はかのたかみひろし氏のライナーの記述と重複するかもしれないが、恐縮なれどどうかお許し願いたい次第である(苦笑)。
ヴィエナ結成の経緯はノヴェラ解散後に西田がジェラルドの永川敏郎と藤村に(お遊び程度ながらも)ラッシュのコピーバンドへ誘いを持ちかけた事から始まる。
前出のたかみひろし氏の音頭と仲介もあって、ネクサスとメイド・イン・ジャパンの両方のファンとリスナーに強くアピール出来る本格的なバンドを目指そうという意向もあり、キングの新レーベル“クライム”発足と併行して大々的に世に送り出そうと水面下で着々と準備が進められていたものの、ジェラルドと掛け持ちでアース・シェイカーに参加するため永川が離脱し、その後任に人伝を介してアウターリミッツからメロディーメイカーとして塚本が参加。
ヴィエナの核ともいえるラインナップが出揃う中、それでもデヴュー前の難産とでも言うのか試行錯誤は更に続き、音楽的な趣味嗜好の違いから、ベーシスト候補としてテルズ・シンフォニアの井上やアウターリミッツの荒巻隆の名が出たり、ページェントの中島一晃氏をギタリストに迎えてリハーサルまで行うも結局私生活を含めた諸事情で不参加になったりと、ヴィエナ(…だけに限らず、国を問わずどこのプログレ系バンドでも似た様な話だが)の船出は前途多難で兎にも角にも難航を極めつつあった…。
数々の紆余曲折を経て、某ライヴ会場でアフレイタス(テープ作品のみリリースして解散)のギグに接した西田がベーシストの永井の演奏に惚れ込んで、半ば強引にバンド加入要請で説得し漸くめでたくベースが正式に決まってからはあの前途多難がまるで嘘の様に順調にレコーディングは進められ、1988年5月遂にヴィエナは『Overture=序章』で華々しくデヴューを飾る。
デヴュー当初、私自身“企画物スーパーバンド”的な匂いが感じられて、あの当時は正直余りピンと来なかったのだが、今改めて何度も繰り返し聴いてみるとバンドのメンバー全員が長年の実績と演奏経験が豊富なだけに、UKをモダンでタイトな感じにした様な的確で且つ強固な演奏技量とテクニックで、ししどあきら氏の幻想的なイラストデザインも手伝って、世界的なレベルからしても遜色無く堂々と亘り合える安心して聴ける高水準な作品だったと声を大にして言いたい。

かのエイジアを意識したかの様なプログレッシヴにしてシンフォニック、程良いポップさが加味された、今でのジャパニーズ・プログレによく有りがちだった匂いや歌メロ等を極力排し、新たなる日本のプログレの模索に成功し大きな足掛かりを築いた傑作だったと思える。
何よりもメンバー4人の技量も然る事ながら、やはりアウター時代からの長い経験が活かされ存分に発揮された塚本の功績は大きいと言えよう。
そして同年末の12月、大好評だったデヴュー作からの流れをそのまま踏襲し…ジャパニーズ・プログレ史上類を見ない圧倒的にして奇跡とも言うべき完成度を誇る2nd『Step Into…』をリリース。
私自身、当時マーキー誌からの依頼で関係筋から渡された完成前のデモ音源カセットを聴いた時は、余りに圧倒的な音の壁と迫力、複雑にして構築美と抒情的な旋律に“凄い…!!”のひと言のみで言葉を失った事を今でも鮮明に記憶している。
個人的な見解で恐縮だが…特に3曲目の“シュベール”からLP時代の旧B面全面にかけての流れが素晴らしくて、ラストの“フォール・イン・アローン”は数々の名立たるジャパニーズ・プログレの名曲と堂々と並ぶ超絶テンションが聴きどころでもあり、このラストナンバーだけでも本作品は買いと言っても過言ではあるまい。
…しかし、あれだけ大好評だった2ndの素晴らしさを含め周囲から寄せられたこれからの期待とは裏腹に、バンド自体は既に疲弊の末期ともいうべき空中分解に近い状態へと陥り、翌89年1月早々にヴィエナは惜しまれつつ解散。
その後、アーカイヴ音源による『Progress/Last Live』がリリースされ、日本のプログレッシヴ・シーンも時代と共にフォーマット自体もLPからCDへと大々的に移行し、90年代を待たずして表舞台から去っていったヴィエナ以降のシーンは、テルズ・シンフォニア並びプロヴィデンス、ケンソー、アイン・ソフ、ジェラルド、ページェントファミリーといった一部を除き、90年代後期に21世紀へと視野に入れた新たなプログレッシヴ系レーベルのポセイドンが発足するまでの間、シーンは沈静・停滞という長き眠りにつくのであった(特に関西のプログレシーンにあっては95年の阪神大震災もあって、これがかなりの痛手となった事を付け加えておきたい)。

そして21世紀以降、今は無きポセイドンレーベル始め大阪のミュージック・タームの貢献度の甲斐あって、日本のプログレッシヴ・シーンは再びあの熱き80年代と並ぶ多種多彩(多才)なスタイルに枝分かれし、シンフォニック、ジャズロック、プログメタル、アヴァンギャルド、ポスト系…etc、etc
、枚挙に暇が無い位にアーティスト数が乱立し、今やかつてない位に盛り上がりと熱気を取り戻していると言っても過言ではあるまい。
そういった時代の流れに呼応するかの様に、関東始め関西、名古屋からは続々と期待の新鋭が登場してきている。
それらニューカマーの精力的な活動に応えるかの如く、往年の名手ノヴェラもシェラザードとして再結成復活し、ヴィエナやアウターリミッツも自身のレーベルを興して近年再結成を果たしているのが実に喜ばしい限りである。
何よりも彼等ヴィエナが遺したであろうプログレスピリッツとDNAが、時代の変化・推移と共にマウマウを始めマシーン・メサイア、アイヴォリー・タワーといった現在(いま)を生きる21世紀の担い手達ヘ脈々と確実に受け継がれているのである。
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