幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 43-

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 今月最初の「夢幻の楽師達」は、70年代イタリアン・ロックシーンに於いて珍しくブルース系をバックボーンとしたその特異な音楽性と個性的なサウンドアプローチで独自の生きざまを貫きつつも、多々ある大御所クラスのバンドの陰に隠れてしまいがちで…なかなかこれまで正当な評価が得られていなかったであろう、唯一無比にして孤高なる存在感を今なお醸し出している“ジャンボ”に今一度焦点を当ててみたいと思います。


JUMBO
(ITALY 1972~)
  
  Alvaro Fella:Vo, Ac‐G, Per
  Vito Balzano:Ds, Per, Vo
  Sergio Conte:Key
  Daniele“Pupo”Bianchini:G
  Dario Guidotti:Flute, Harmonica, Ac‐G, Vo
  Aldo Gargano:B, Vo

 今を遡る事30年以上も前に、太陽と情熱の国イタリア国内に於いて先に名を挙げたPFM、オザンナ…等といったバロック音楽の伝統と血筋を脈々と受け継いだクラシカル・シンフォニック系、ユーライア・ヒープばりのハードでヘヴィな系列、果てはジェスロ・タル影響下を思わせるイタリアン・ロックお得意な唾吹きフルートをフィーチャーしたバンド…etc、etcが幾数多も犇めき合っていた、まさしく将来を嘱望された期待の有望株に混じって、数々のロック・フェスティバル・野外コンサートに於いて、その余りにもブリティッシュ・ブルース然としたひと癖もふた癖もある特異の音楽性と存在感を放っていたジャンボ。
 バンド名の由来は諸説あれども(アフリカ特有のスワヒリ語の挨拶からという向きもあるが…)、大方の見解でバンドリーダー兼ヴォーカリストのAlvaro Fella(見た目、野暮ったいロバート・フリップみたいな風貌である)のニックネームから取ったというのが有力だと思われる。
 ジャンボの母体は60年代半ばに結成されたラ・ヌオヴァ・エラ(奇しくも80年代にプログレッシヴ・フォーク系、90年代にヘヴィ・シンフォニック系の2つの同名バンドが存在するが、全く人脈的には関係無し)なるバンドが母体となっており、残念ながら作品そのものを遺す事無く解散してしまうが、当時は後にイル・ヴォーロのキーボードとして参加のVincenzo Temperaや、Alvaroと共にジャンボに加わるキーボーダーSergio Conteが在籍していた。
 ラ・ヌオヴァ・エラ解散後AlvaroとSergioは、Vito Balzano、後にマクソフォーネに参加するRoberto Giuliani等を誘いロ・スタート・ダニモなるバンドを結成。
 イギリスのブルース・ブームに乗じる形で、ブリティッシュナイズされたブルース系バンドへと活路を見出し、更にその後はブリティッシュ・アンダーグラウンドの洗礼を受けつつも、クリムゾンやフロイド、イエスといったプログレッシヴ・バンドがイギリス国内外で話題と評判を呼んだ1970年、時代の流れに敏感に呼応するかの様に…バンドは数回のメンバーチェンジを経てそのバンドネーミングをジャンボへと改名し大手ヌメロ・ウーノから“In Estate/Due Righe Da Te”と“Montego Bay/Due Righe Da Te”のシングルを2作リリース。
 時は前後してジェネシスやジェントル・ジャイアントがイタリア国内で絶大な人気を誇り、PFMやバンコ等がめきめきと頭角を表しつつあった1972年、イタリア国内に吹き荒れるプログレッシヴ・ムーヴメントに呼応するかの如くジャンボもフィリップス・イタリアーナから自らのバンド名を冠した1stデヴュー作の『Jumbo』をリリース。
 Alvaroのしゃがれた癖のあるヴォーカルにブリティッシュナイズされたブルース・フィーリングをベースとしながらも、彼等の後の名作『DNA』と『Vietato Ai Minori Di 18 Anni ?』に繋がるプログレッシヴで光る部分とが違和感無くコンバインされた、ボール紙であしらったペーパー・クラフトレリーフが意匠の一見地味ながらも何かしら予感させる未知数の佳作に仕上がっている。
    
 ちなみにギタリストのDaniele Bianchiniは、前述した前身バンドのロ・スタート・ダニモに参加したRoberto Giulianiが後に加わるマクソフォーネにて、管楽器を担当したMaurizio Bianchiniと兄弟という血縁関係であり、ジャンボとマクソフォーネ共に縁浅からぬ関係である事が判明している。
 地味な装丁ながらもなかなか渋味を感じさせる好作品でデヴューを飾りつつも、バンドの創作意欲は止まる事を知らず、同年末に更なるプログレッシヴ色を強めたジャンボの全作品中に於いて1、2を争う名作の2nd『DNA』をリリースする。
 ペーパー・クラフトがやや地味な印象だったデヴューから一転して、場違いで不釣合いなド派手メイクで洒落込んだ老婦人が振り返る、見た目悪趣味丸出しながらもタイトルが意味深な本作品は、あたかも72年当時のイタリアン・ロック全盛期の空気を象徴した…ラッテ・エ・ミエーレ、イル・バレット・ディ・ブロンゾ、イル・パエーゼ・ディ・バロッキ、フォルムラ・トレ、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ、デリリウム…等といった当時に於いて新進気鋭な熱い連中が続々と秀作を発表していた時期に追随するかの様に、デヴュー作で感じられたブルース・フィーリングの面影を残しつつも、イタリアン・プログレッシヴらしさが更に際立った傑作へと仕上がっている。
 何よりも特筆すべきは当時においてまだ一般に浸透していなかった“DNA”という遺伝子配列を表記した言葉を、作品タイトルに採用した点にあっても先鋭的であるという事。
 21世紀の今でこそ医療関係、犯罪捜査、遺伝子関係といった分野で浸透している単語を、よもやあの当時に堂々と列記していた事に意外性は隠せない…。(私を含めて大半のイタリアン・ロックファンの方々は、初めて本作品を目にした時は“ドナ”と読んだのではなかろうか?)
          
 ブルース+プログレッシヴなアプローチへの転換に成功したジャンボの躍進は、翌1973年発表の3rdにして彼等の最高傑作でもある『Vietato Ai Minori Di 18 Anni ?』で一気に開花する
 読んで字の如し…直訳すると“18歳未満お断り”という意ながらも、20代始めにマーキー誌のイタリアン・ロック・カタログで紹介された当時、白黒で遠目から見ても解らない位小さく不鮮明なジャケット写真にちんぷんかんぷんで何を意図したデザインなんだろうと疑問に思ったものの、実際にプラ
ケースないし紙ジャケットCDを手にして思わず苦笑いしたくなる位、プログレッシヴな作品にしては…どことなく卑猥でエッチな妄想心を駆り立てるやや不謹慎丸出しなデザインに、御年配や若年層の女性のプログレ・ファンが見たら思わず赤面すること必至であろう(苦笑)。
    

 そんな余計な下世話にも拘らず、作品の内容たるやブルース色はやや後退しつつも、かのFranco Battiatoを始めとする当時名うてのゲストプレイヤーを数名迎え、モーグ・シンセサイザーやメロトロンもところどころに配した、文字通りプログレッシヴ・スピリッツ全開で流石名作・傑作に相応しい至高なる最高な一枚であると言っても過言ではあるまい(不動とまでいわれた6人のメンバーだったが、本作品ではドラマーがVito BalzanoからTullio Granatelloに交代している)。
          
 しかし…あれだけ順風満帆で軌道の波に乗っていた当時に於いて、これからの躍進が期待されていたにも拘らずジャンボは最高傑作の3作目を最後に、プッツリと表舞台から消息を絶ってしまう。
 理由は定かではではないが、所謂プログレッシヴ業界の不文律の法則の如く…ライヴアルバムを出すと次回作は必ず作風が変わると同様に、ノルウェーのアント・マリーやオランダのフィンチ然り、サードアルバムで最高の極みに達した傑作は即バンド解散をも意味しているという事と同じなのであろうか。
 程無くしてジャンボ解散直後、リーダーのAlvaro Fellaはプレネスタム・ブロッコ452を結成し、ユニヴァーサルからシングル数枚と唯一のアルバムを発表するも、後年プレネスタムでの在籍期間はたった数ヶ月のみで直接バンドそのものには関与していなかったと明言している。
 その後Alvaroは心機一転しアリエスを率いてPDUレーベルから2枚のシングルをリリースするも、惜しくもアルバム製作までには至っていない。
 その一方でアリエスでの活動と併行して、かつてのジャンボのメンバーだったDaniele BianchiniとDario GuidottiそしてAlvaroの3人でジャンボ名義で76年、数年振りの新曲シングル一枚を発表し、更に数年後の1983年の前述の3人ジャンボ名義で、スタジオ新録音源に未発ライヴをカップリングし
た『1983 Violini D'Autunno』をリリースし、時流の波に寄ったポップなアプローチで健在ぶりをアピールするも流石に主要なメンバーを欠いているだけに、やや説得力に欠ける嫌いもあるから要は好みの違いが分かれるであろう。
 そして7年後の1990年、フランスはパリで開催されたライヴ・フェスにて収録されたライヴ音源(大部分が名作3rdを中心とした選曲!!)が2年のインターバルを経て1992年Mellowレーベルからリリースされた以降、Alvaroを始めとするジャンボの足取りはもうここで消息不明になったのかと思いきや、何と!2016年Alvaro Fella自身思いもよらぬ形で21世紀のイタリアン・ロックシーンへ現役第一線に復帰する事となった次第であるが、それは次週の「夢幻の楽師達」で取り挙げる通称CAPことCONSORZIO ACQUA POTABILEで改めて触れたいので乞う御期待願いたい。
 更に補足すると、2007年には『Anthology Live - Due salti nel passato』なるDVDまでもがリリースされ、つい昨年2019年には期間限定ながらも再結成を果たしており、バンド結成周年記念形式の如くリユニオン・ライヴを開催し拍手喝采と大歓声に包まれてその健在ぶりを大々的にアピールしているのが実に喜ばしい限りである。
     

 イタリアン・プログレッシヴという大きなムーヴメントの波で黄金期の一時代を築き、まさに走馬灯が駆け巡るかの如く青春時代を謳歌した、唯一無比にして孤高で異色な存在とまで言わしめたジャンボ。
 ジャンボについて大半のイタリアン・ロックのファンに尋ねると即座に“ああ、あれはブルース系でしょ”と即答で一蹴され、それ程の評価が正当に得られていないのが正直なところであろう。
 かく言う筆者である私自身もいかんせん“ブルース”という言葉が引っかかって、正直なところ数年前までは余り聴く気になれなかったのが本音である(ゴメンナサイ…)。
 が!しかし…いざ改めて心の中を空白にして聴き直してみると、違和感あり気なブルース・フィーリングが逆に心地良くフィットし、1stを含めた全作品の完成度の高さに、つくづく考え方が浅はかな自分に対し猛省する事しきりで、私が言うのも何だが…イタリアン・ロックに一度でも魅入られた方々も、今一度心を真っ白にしてジャンボの音に接して頂きたいと願わんばかりである。

 もうここまでくれば…Alvaro Fellaの復帰といい、ジャンボの再編成といい、一切合財まるごとひっくるめて夢と奇跡よ今再びと言わんばかりジャンボのサプライズな初来日公演すらも期待して止まないと思うのは私だけであろうか(苦笑)。
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Zen

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