一生逸品 REALE ACCADEMIA DI MUSICA
今週お送りする「一生逸品」は、名実共に栄華を極めた70年代イタリアン・ロックにおいて、燻し銀の如き秘宝にして今もなお眩い輝きを放つ至高の名作・傑作と誉れ高い“レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ”が遺した、純粋無垢なまでの素朴さと牧歌的な佇まいを秘めたデヴュー作に改めて焦点を当ててみたいと思います。
風薫る初夏から本格的な夏へ…木々の緑が陽光に映える時節柄に相応しい、イタリアという風土と自然の香り、優しい空気の中に時折憂いを帯びた魂の調べに触れて頂けたら幸いです。
REALE ACCADEMIA DI MUSICA
/Reale Accademia Di Musica(1972)
1.Favola
2.Il Mattino
3.Oguno Sa
4.Padre
5.Lavoro In Citta
6.Vertigine


Federico Troiani:Key,Vo
Nicola Agrimi:G
Pierfranco Pavone:B
Roberto Senzasono:Ds
Henryk Topel Cabanes:Vo
冒頭で触れた通り、栄華を極めた黄金時代の70年代イタリアン・ロックシーンにおいて、1972年は特に大きな転換期を迎えた非常に重大な意味を持つ時期だった様に思う。
現在でも尚大御所のPFM始めバンコが華々しくデヴューを飾り、フォニット・チェトラからはニュー・トロルスの『UT』、オザンナの『Milano Calibro 9』、更にはデリリウムの『Lo Scemo E Il Villagio』といった珠玉の傑作が誕生し、当時の活況著しいシーンの熱い流れに呼応するかの如くラッテ・エ・ミエーレ『Passio Secundum Mattheum』、イル・バレット・ディ・ブロンゾ『YS』、RDM『Io Come Io』、オルメ『Uomo Di Pezza』、果てはクエラ・ヴェッキア・ロカンダ、イル・パエーゼ・ディ・バロッキ、RRR…etc、etcが次々と輩出され、後年から現在までに至るイタリアン・ロックの脈々たる流れ・礎ともなるべきアイデンティティーが確立されたと言っても過言ではあるまい。
今回本編の主人公レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカも、そんなイタリアン・ロック黎明期の熱い時代に、華々しさとは無縁でありながらも、ひっそりと佇む一輪の花の様にデヴューを飾った名グループと言えよう。
1970年にリコリディから唯一のシングルを遺したプログレ・ハード系でイルバレや初期RDMに近い、I FHOLKSのKey奏者だったFederico Troianiを中心に結成され、72年に同リコルディからバンド名を冠したデヴュー作をリリース。
ちなみに当時はプロモート用の宣材にカラーフォトも撮られ、後述でも触れるがイタリアの音楽誌CIAO 2001の表紙を飾った事から、リコルディサイドの並々ならぬ期待感と一押しの力の入れようが窺い知れる。

だいぶ以前に辛口な批評でイタリアン・ロックを語っていたプログレ仲間が、彼等のデヴュー作に対して“クラウス・ノミ(故人)みたいなマリオネット(!?)が印象的”と評しながらも、裏読みすれば実に印象的なイタリア然とした味わい深いカヴァーに彩られた本作品。
“プログレはジャケットが命”と同様、“カヴァーアートがバンドの音楽を表わす”の言葉通り…何とも摩訶不思議なイラストレーションが、彼等レアーレの描き出す音世界が醸し出す映像的な視覚効果に一役買っていると言ったら言い過ぎだろうか。
本作品の聴き処は、やはり何と言ってもKey奏者にしてバンドの要とも言えるFedericoの流麗にして劇的、リリシズム溢れる演奏の中にもヘヴィでブルーズィーな翳りと憂いさを湛えたピアノとオルガンに尽きると言えよう。
無論、ギターを始めリズム隊の堅実なプレイに、バンドの音色を鮮やかに彩るかの様に切々とした哀感が込められたヴォーカリストの歌いっぷりも忘れてはなるまい。
レコーディング時の6人のメンバー(デヴューアルバムのリリース前にギタリストの片割れPericle Sponzilliが脱退)に加え、ゲストギタリスト1名そしてストリング・セクションをバックに配し、約40分に亘るレアーレの音世界の旅は幕を開ける。
リリカルなアコースティック・ギターの重奏にオルガン、メロトロン、オーケストラが畳み掛ける様に優しい調べを奏でる冒頭1曲目に深い感銘を受け、作品中最も一番の聴き処ともいえる2曲目は、Federico奏でる劇的にしてイタリアの慕情、喜び、悲しみを絵に描いた様なピアノはまさしく落涙必至と言えよう。
この名曲“Il Mattino”無くしてレアーレは語れないと言わしめる位に、恐らくはイタリアン・ロックの名曲5本の指に入るであろうと誰しもが異論はあるまい。
3曲目は一転して仄かに明るめで純粋なイタリアン・ポップス感覚に裏打ちされた佳作、ここでもFedericoのピアノが聴きものである。
4曲目(旧LP盤ではB面1曲目に当たる)はVDGGを彷彿とさせる荘厳なクラシカルさとヘヴィでブルーズィーな哀愁を纏ったオルガンが胸を打ち、追随するかの様にヴォーカリストのHenrykの切々と語りかけるヴォイスも良い。
作品の中でも異彩を放つ5曲目は、抑揚の無い無感情なヴォイスとややアヴァンギャルドさが加味された前半と、カンタウトーレ的な歌物に相通ずる牧歌的な後半との対比が面白い。
飾るラストは元々プログレ・ハード系が出発点だったFederico自身の荒々しい心の側面をも強調した鍵盤系の演奏が素晴らしく、迫る不安と緊張感を暗示するかの様な、ミステリアスな雰囲気漂う展開はレアーレ=Federico Troianiの面目躍如とも言えよう。
馬の蹄が立ち去るかの様な得も言われぬ不思議な効果音で幕を閉じる、まさにほんの僅かな隙すらも与えない…牧歌的で郷愁と哀愁を湛えつつも、適度な緊張感を兼ね備えた珠玉の逸品と言えよう。
バンド自体はほんの僅かにしてたった数回のギグを行った後に、ギター、ベース、ヴォーカリストが去り、この当時の時点で実質レアーレはFederico TroianiとドラマーのRoberto Senzasonoの2名にとどまった次第である。
この二人によるレアーレは後の74年、カンタウトーレでギタリストのAdriano Monteduroとの連名共作でまたしてもイタリアン・ロック史に燦然と残る名作を遺す事となり、ここでもFedericoのピアノの調べは流麗で美しく奏でられている。
この共演作品を境にレアーレは僅か2年という短いサイクルで一旦その活動に幕を下ろし、残ったFedericoは77年に往年のレアーレを彷彿とさせる演奏とヴォーカルでカンタウトーレ系のソロ作品を発表する。
その他にも彼名義の作品が2枚確認されているが、流石時流に合わせたかの様な、これといって掴み処やハッとする様な印象は皆無みたいだ。
Federico自身も御多分に洩れず、スタジオ・ミュージシャンないしポップシンガーのバックを渡り歩くといった裏方へとシフトしていく一方、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカそのものは意外にもかつてバンドと共演したAdriano Monteduroの主導により血縁関係にあたるAntonello Monteduroをキーボードに迎え2008年に『R.A.M.:Il Linguaggio Delle Cose』でバンド復活を果たし、翌2009年には前作と同じラインナップで『R.A.M.:Il Linguaggio Delle Cose』と立て続けにリリースし、レアーレ事実上の復活劇は当時大きな話題となったのは御周知の事であろう。




しかし4年後の2013年レアーレは思いもよらない新展開を見せ、何とオリジナルヴォーカリストのHenryk Topel Cabanesを迎え、Federico Troiani、そしてドラマーのRoberto Senzasonoというかつてのオリジナルメンバーに、新たなギタリストとベーシストを迎えた布陣で『La Cometa』をリリースし、このままFederico Troiani主導のままバンドが継続されるのかと誰しもが思っていた…それから5年後の2018年には今度はオリジナルギタリストの片割れだったPericle Sponzilliの主導で、バンド史上初となる紅一点の女性ヴォーカリストErika Savastani始め新たなキーボーダーとリズム隊を擁する新布陣で『Angeli Mutanti』という近年稀の無い傑作アルバムをリリースしベストセラーをも樹立、大いなる話題と評判を呼び今日までに至っている。


締め括りの最後に…我々が思っている以上に70年代イタリアのワンオフ的な短命バンドは、その当時は(失礼ながらも)結構な話題と人気を博していおり、今回の主人公レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカも御多聞に漏れず、1972年発行のイタリアのロック&ポップス専門誌CIAO 2001の10月号で、ちゃんとしっかり子豚を抱いたバンドの面々が表紙を飾っているのが何とも微笑ましい。
与太話ついでに、皆さんは覚えてらっしゃるだろうか?洋式トイレの便座を模したジャケットが人気のHUNKA MUNKAの唯一作『Dedicato A Giovanna G.』も、一時期あれはFederico Troianiの変名ではないかという噂があった事も付け加えておきたい(本当はアノニマ・サウンド・リミテッドのKey奏者Roberto Carlottoの変名によるもの)。
今回「一生逸品」を綴ってて、そんな何とも笑い話じみた昔の思い出までもが甦って、改めて思い返せば昨今のネットやらSNSといった情報過多すら無かった、とどのつまりイタリアン・ロックの情報ひとつ取っても様々な思いを巡らせていたあの頃が本当に微笑ましくも懐かしくて良い時代だったと思えてならない…。
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