一生逸品 SANDROSE
8月第二週目の「一生逸品」をお届けします。
昨日は暦の上では“立秋”を迎えたものの、猛り狂ったかの如く連日真夏の猛酷暑が続くさ中、皆様如何お過ごしでしょうか…。
秋の兆しはまだまだ拝めそうもないものの、枯れ葉舞い散る晩秋の光景に思いを馳せながら、今週は古のセピアとモノクロームカラーに染まったフレンチ・ロック黎明期の申し子“サンドローズ”に焦点を当ててみたいと思います。
SANDROSE/Sandrose(1972)
1.Vision
2.Never Good At Sayin'Good-Bye
3.Undergraund Session(Chorea)
4.Old Dom Is Dead
5.To Take Him Away
6.Summer Is Yonder
7.Metakara
8.Fraulein Kommen Sie Schlaffen Mit Mir


Rose Podwojny:Vo
Jean-Pierre Alarcen:G
Christian Clairefond:B
Henri Garella:Org,Mellotron
Michel Jullien:Ds,Per
サンドローズのエピソードへ入る前に、この場をお借りしてちょっとした個人的な思い出話にお付き合い頂けたら幸いである…。
もうかれこれ20年以上も前に遡るが、当時自分が入り浸っていた地元新潟市内のカフェバーにて、以前から気になっていた一冊の写真集との出会いがあった。
その写真集のタイトルは「エルスケン巴里時代 1950~1954」(リブロポート刊)。



写真を志した方なら一度はその名を聞いた事があるだろう。
Ed van der Elsken (1925~1990)、オランダ出身の稀代の名写真家にして映画監督でもあり来日経験も何度かあり、後年の写真家達に多大なる影響を与えたのは言うまでもあるまい。
当時24歳の若かりし頃の彼が、1950年から約5年間「芸術の都パリ」を創作活動の拠点にし、そこで生きる人々を被写体にファインダーを通して赤裸々なまでの“生”の姿を収めたモノクロームな時間だけが存在する記録写真集であった。
市井の人々始め当時の流行・風俗のみならず、彼…エルスケンを取り巻くボヘミアンな若者達(芸術家の卵を始め、彼の女友達、恋人、ヤク中にアル中といった怠惰な連中)はおろか、珍しくも貴重な一枚で女優の卵時代、若かりし頃のBB(ブリジッド・バルドー)も収められていたのが印象的だった…。
残念な事に、今はもうそのカフェバーは無くなったが、店をたたむ前にマスターからそのエルスケンの写真集を格安で譲ってもらったのが昨日の事のように鮮明に覚えている。
…ちなみにその店の名前も「エルスケン」だった。
サンドローズの音を耳にする度に、いつもエルスケンのモノクロームの時間が止まった写真を連想する。
そもそも、彼等の遺した唯一の作品…ペルシャ絨毯調なジャケット・デザインが目を引く、遥か昔それこそ一枚十ン万円の狂気乱舞でべらぼうなプレミアムが付いたオリジナル見開きLP原盤を開くと、メンバー5人のフォトグラフをぼかしてセピア色に彩られた装丁が実に印象的である。
私自身若い時分、マーキーの事務所にてたった一度だけ目にしたことがあり、先のエルスケンと同様今でも鮮明に記憶している…。
87年にムゼアを通じて再発されたLPも内側はセピア色ではなかったものの、5人のフォトグラフは白黒のモノクロ・トーンだった。
彼等のサウンドに色鮮やかなカラー写真は似つかわしくないだろうし、一度たりとも彼等のフォトグラフでカラーなものは一枚も確認されていない(母国でのレコード宣材用並びライヴ・フォトすらも…)。
早い話、サンドローズの写真で確認されているものは全部モノクロである。
エルスケンのパリでの5年間の創作活動から14年後…1968年、フランスはカルチェ・ラタンでの学生一斉蜂起(当時、日本にも学生運動の嵐が吹き荒れていた…)による「5月革命」を境に、国内でも新たな文化・芸術活動の息吹きが活発化しつつあった。
これまでのシャンソン、ジャズ、アイドル・ポップス主流だったフランス国内の音楽事情において、ロック・ミュージックが浸透するのに、そんなに時間を要とはしなかった。
70年以降…マグマ、アンジュの台頭でフレンチ・ロック黎明期の形成・席巻と同時期にサンドローズはその産声を上げた。
片や一方でサンドローズの母体とでも言うべきバンド“エデンローズ”も忘れてはなるまい。
1969年に唯一の作品『On The Way To Eden』を残しバンドは解体。
ギターのJean-Pierre Alarcen、オルガンのHenri Garella、ドラムスのMichel Jullienの3人に、
ガルラの推薦でベースにChristian Clairefond、そしてAlarcenのパリのクラブ時代の旧知を介し女性ヴォーカルにRose Podwojnyを迎え、72年大手ポリドールより自らのバンド名を冠したデヴュー作をリリースに至った次第である。
エデンローズはHenri Garella主導のポップがかった軽快なジャズ・ロックにして、当時においては高水準な秀作(フレンチ・ロック黎明期の名作でもある)であったが、サンドローズは紛れも無くJean-Pierre Alarcen主導で、ロック色を更に強めジャズィーな面とフォーク・タッチな面とが違和感無く融合したまさに“稀代の名作”という名に恥じない珠玉の一枚である。
エデンローズは全曲インストだったが、本作品ではヴォーカル入り5曲、インスト・パートのみが3曲の構成で、ヴォーカルは決してお世辞にも上手い部類とは言えないが、Rose嬢の英語による歌いっぷりには、フランス臭さというかモノクロな風景、一種独特なけだるさ・アンニュイさが漂っていて、時折女の恋情にも似通ったエロティックさをも想起させ、聴く側も一瞬ハッとせざるを得ないのが困りモンであるが…まあ、それは御愛嬌。
冒頭1曲目の“Vision”始め“Never Good At Sayin'Good-Bye”、“Old Dom Is Dead”、“Summer Is Yonder”などが顕著な例で、Rose嬢の哀愁と情感漂うヴォイスにAlarcenのどこかメランコリックでストイックなギター、Garellaのリリカルで時にクラシカル、時にジャズィーな趣のオルガンとメロトロン・ワークが絡む様は感動の一語に尽きる思いである。
“To Take Him Away”後半部にかけての白日夢を思わせる朧気ながらも幽玄なメロトロンの響きは絶品である。インスト・パート部ではやはり“Undergraund Session(Chorea)”の曲構成が圧倒的に素晴らしく、名実共にAlarcenとGarella…二つの音楽的才能が見事にコンバインした秀作である。
残るインスト曲“Metakara”と“Fraulein Kommen Sie Schlaffen Mit Mir”に至っては、前者はジャズ・ロックの名残を残したGarellaのオルガン・ワークが炸裂した佳曲、後者はオルガンとメロトロンのギミックなエフェクトを多用したややアヴァンギャルドな小曲で意外性な面が表れていて面白いと思う。
かのAlarcenは当時の事を振り返りながら「あの当時の音楽的背景にはキング・クリムゾンとジョン・マクラフリンの存在と影響が大きかった」と語っている。
しかし…ここまで順風満帆なバンドの思惑とは裏腹に、理由は不明であるがデヴュー作リリース直後にGarellaがバンドを去り、急遽Georges Rodiを加えるも僅かたった10回程度のギグを経てサンドローズは僅か1年足らずで解散への道を辿り幕を降ろした次第である。
解散後のメンバーのその後の動向は、Rose嬢は心機一転しRose Laurensと改名し、フレンチ・ポップス界にて近年まで多数のヒット作を世に送り出し多大な成功を収めているが、悲しむべき事に昨年残念ながら鬼籍の人となったのが実に惜しまれる…。
そして当のAlarcenはフランソワ・ベランジェ、ミッシェル・ザカ、ルノーといったシャンソン系ポップス界の大御所との共演・コラボを経てソロ活動も併行。
78年『Jean-Pierre Alarcen』、翌79年には本作品と並ぶフレンチ・シンフォニックの名作『Tableau N゚1』をリリースし再び高い評価を得るも、暫く沈黙を守り続けていたが、98年突然不死鳥の如く甦り20世紀末の傑作『Tableau N゚2』を発表するも、彼自身またもや沈黙状態に入り現在までに至っている。



Garellaを始めとする残る他のメンツの動向ですらも残念ながら消息を知る術は無い。
数々の賞賛を浴びつつも、度重なる不運続きで惜しまれつつも活動に幕を降ろしたサンドローズ。
サウンド的には、多少古めかしくも所謂時代がかった(良い意味で)骨董品級の音ではあるが、フロイドの『神秘』や『原子心母』と同様…趣や方向性こそ異なれど、サウンド自体のコピーは確かに可能かもしれないが、やはりその時代の空気・雰囲気まで再現出来ないのが唯一の強みである。
“珍しいだけでしかない骨董品!! 嗚呼…もういいや”
“ハイハイ…わかったわかった、時代の古臭い音でしょ”
“これが名作ゥ!!??ハッキリ言って金の無駄!!”
…と言う辛辣で罵詈雑言な意見の向きもあるにはあるが、だからと言って、ちゃんとまともに聴きもせずにCDラックへ無雑作に放り投げたままでは、これでは彼等5人の苦労と努力が報われないというものだ…!
もし…サンドローズの作品を未だに未聴の方がいるようであれば、どうか頭の中を空白まっさらににして作品と真正面に向かい合ってお聴き頂きたい。
紛れも無くそこには…不朽の名作・名盤だから云々を抜きに、“古臭い音”といった低次元さや時代性を遥かに超越した“心”がきっと見出せる筈である。
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