幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 46-

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 6月最後の「夢幻の楽師達」は、バンド結成から40周年以上のキャリアを誇りつつ、ジャパニーズ・プログレッシヴの生ける伝説という域をも超越し今もなお現役の第一線バンドとしてその崇高にして荘厳なるシンフォニックワールドを紡ぎ続けている名匠に相応しい“ネガスフィア”に、改めて今一度焦点を当ててみたいと思います。


NEGASPHERE
(JAPAN 1976~)
  
  川崎薫:Key
  菅野詩郎:Ds
  矢田透:Key
  真嶋宏佳:G, Vo
  徳武浩:B

 70年代後期に世界中を席巻したパンク・ニューウェイヴ台頭の余波は当然の如く閉塞と停滞感を帯びていたであろう当時のプログレッシヴ・ロック冬の時代到来に更なる拍車を掛け、ブリティッシュ並びイタリアンを始めとする北欧・東欧を含むヨーロッパ圏、果ては北米・中南米に於いて有名無名を問わず幾数多ものプログレッシヴ系のバンドが時代相応にポップなアレンジ強化を図ったり、極端な場合大幅な路線変更をも余儀なくされるといったまさしく悪夢そのものといった様相を呈していたのは周知の事であろう…。
 当時の我が国日本のシーンも御多聞に漏れず、相も変わらず歌謡曲やらニューミュージックばかりがもてはやされ、プログレッシヴを含む日本のロックシーンは(あまり認めたくはないが)やや格下級な扱いで苦汁と辛酸を舐めさせられていたのが現状であって、洋楽ロックは素晴らしいが日本のロックは今一つなんぞと抜かしていたあの当時の馬鹿共ばかりな音楽評論家達の無責任極まる戯言に、今更ながらも恨み節の一つでも吐き出したいのが正直なところである。
 ファー・イースト・ファミリーバンド解散後、キーボード高橋正明は喜多郎と改名しマインドミュージックなソロ作品のヒットを連発する一方で、コスモス・ファクトリーがHR路線に転向し、四人囃子がポップな路線を強め、2枚の好作品を残したスペース・サーカスが静かに表舞台から去っていき、70年代後期ともなると地道に活動を継続してきたプリズムの他は新月とムーン・ダンサーがたった一枚きりの素晴らしい作品をリリースしているのみという何とも寂しい限りな日本のプログレッシヴシーンであった事が実に何とも悔やまれてならない…。

 そんな悪しき時代に終止符を打つべくアンダーグラウンドな範疇ながらも我が国に於いてフールズ・メイトやマーキームーンといったプログレとユーロの専門誌が刊行され、1980年に入り新たな時代の幕開けと同時にたかみひろし氏の鶴の一声でキングレコードから日本のプログレッシヴ専門という試みでネクサスレーベルが発足され関西のノヴェラ始めアイン・ソフ、ダダがオーヴァーグラウンドに浮上し人気と話題を博すという、21世紀の今日までに至るプログレッシヴ再興の波の源流は…イギリスのポンプロック登場以前より既に日本から気運が高まっていたと言っても異論はあるまい。
 そんなネクサスの動向に呼応するかの様に、インディーズ=所謂当時で言うところの自主製作のレーベルも続々と発足され、ケンソーを支援してきた町田市のレコード店PAMを始め、後年アウターリミッツを始めとする80年代ジャパニーズ・プログレッシヴ牽引のメインストリームとなるメイド・イン・ジャパン(発足当初は前出のファー・イースト・ファミリーバンドに在籍していた深草アキが結成した“観世音”も擁していた)、マーキームーン誌との傘下・連携でプログレッシヴ、チェンバー、エクスペリメンタル系といった多ジャンルのサウンドを網羅していたLLEが軒並み参入し、日本発信のプログレッシヴ復興の狼煙は高らかに幕を開ける事となる…。

 今回本編の主人公でもあるネガスフィアは、前述の通り70年代後期のプログレッシヴ受難な時代と80年代初頭のプログレッシヴ復興期という狭間に於いて同時期リアルタイムに歩んできた生ける証として、当時の同期バンドでもあるケンソー、アウターリミッツと並ぶ関東圏3大プログレッシヴ・バンドとして大きく名を馳せる事となる。
 バンドの結成は意外と古く彼等ネガスフィアのFacebook経由で歴史を遡ると1976年11月にキーボーダー兼バンドリーダーでもある川崎薫を中心に結成されており、世界中のプログレッシヴ停滞期という不安な時期に於いて、イエスやEL&P更にはPFMから多大なる影響を受けた川崎自身揺るぎ無い信念を抱きつつも、疑問と葛藤…メンバーチェンジを含む試行錯誤と紆余曲折を繰り返しながら、80年代を迎える頃には漸くバンドとしてのまとまりと安定感が保持出来る様になったのは最早言うには及ぶまい。
 同時期にオープンし今や吉祥寺老舗のライヴハウスでもあるシルバーエレファントから後押し・バックアップの甲斐あって、前出のケンソー、アウターリミッツ、果ては観世音や新月、美狂乱、グリーン、スペース・サーカスと並んでコンスタンスにライヴ活動出来たのが何よりも幸いだった。
 1982年の年明け早々の1月には、広池敦氏率いるカトゥラ・トゥラーナ、パイディア等と共に先のLLEレーベルからオムニバスアルバムとしてリリースされた『精神工学様変容』にも参加しインストゥルメンタルな大曲にして名曲と名高い「No More Rainy Day」(この当時のメンバーは川崎を筆頭にギタリストの真嶋宏佳、ベースに坂野誠治、ドラマー佐藤亜希良という4人のラインナップ)を披露している。
 『精神工学様変容』での楽曲参加を経た後、川崎と真嶋の両名以外がバンドを抜け、その後釜としてベースに徳武、グリーンを抜けたドラマーの菅野を迎え、更なるサウンド強化を図る上で矢野を加えたツインキーボードスタイルの5人編成でネガスフィアは大きな転換期を迎える事となる。

 オムニバスの『精神工学様変容』での参加を契機に一気に注目の的となったネガスフィアは、大幅なメンバーチェンジ後も地道且つコンスタンスな活動を継続し、迎えた1984年…時代は大きく動き出しマーキー誌発足のベル・アンティークレーベルから京都のフロマージュがデヴューを飾ったのを皮切りに、呼応するかの如くネガスフィアも同年初秋にLLEから正式デヴュー作でもある『Castle In The Air(砂上の楼閣)』がめでたくリリースされる運びとなる。
 余談ながらも同年秋にはイースタンワークスから夢幻が、更にはLLEから斎藤千尋氏のラクリモーザもデヴュー作をリリースしている。
 私自身リリース当時のリアルタイムに接した率直な感想としては、『幻魔大戦』期のキースを思わせる荘厳で且つメカニカルな印象を与えるシンセ群と、当時の最新鋭マキシムエレクトリック・ドラムの導入に、キング/ネクサス一連の作風や他のインディーズ系のサウンドカラーとは全く異なった、同じジャパニーズ・プログレッシヴながらも差別化を図ったというか…どこか一線を画した別の次元で捉えた日本プログレッシヴの新しい側面を垣間見た様な気がしたのを今でも鮮明に記憶している。
 80年代に則した時代相応のプログレッシヴという見方が出来る一方で、更なる時代の最先端をも先取りした時期尚早なイメージが感じられたのもまた然りであろうか…。
 事実、不思議なもので今回改めて紙ジャケット仕様のリマスターCDに接してみて、あの当時の時代先取り感覚なサウンドが21世紀の現在になって最もフィットして心地良く聴けるという、実に新鮮な驚きだったと共に新たな発見を見い出した思いですらあった。
                        

 先鋭的なサウンドイメージも然る事ながら、視覚的なアートワークという側面でも見逃す訳にはいかないであろう…。
 ジャケットアートを手掛けたのは最早知る人ぞ知る説明不要なゴシック耽美派稀代の漫画家“千之ナイフ”氏である。
 SFヴィジュアルな世界観を湛えた要塞の如き空中浮遊城郭(宮殿)と、それを見据える性別をも超越した甲冑を纏った貴公子…ネガスフィアの創造構築する近未来的フォルムなシンフォニックワールドと相まって、作品を耳にするリスナー諸氏にとって様々なイマジネーションをも想起させるには申し分の無い出来栄えであった。
 自分がまだ若い時分、(男だから当然ではあるが)時折書店でアダルト系コミックを立ち読みしてた頃に初めて千之氏の漫画を拝見した時の鮮烈なまでの衝撃と感嘆は今でも筆舌し尽くし難い…言葉では言い表せないエロティックやら理屈云々をも超越した驚きと感動を覚えたのを今でも鮮明に記憶している。
 80年代のロリ系アダルトコミック全盛のさ中、千之氏だけが一歩二歩…否!十歩も抜きん出ていたそのクオリティーの高さに暫し酔いしれて、何年間は千之氏の追っかけよろしくみたいに読破したものだった。
 遥か昔…かのマーキームーン誌でもBook紹介コーナーにて山田章博氏と並んで千之ナイフ氏を推していたのも実に意外だったし、マーキー誌面でのネガスフィアのデヴュー作告知欄にて“ジャケットイラストデザインは千之ナイフ”という見出しに思わず“マジかよ!”と部屋で一人興奮で唸った、そんな初々しくも気恥ずかしい思い出を今でも記憶している。
                
 千之氏が連載していた「レモンピープル」誌でも、(これは誠に申し訳無い話…)他の漫画家さんの作品は殆どすっ飛ばして千之氏の作品だけを目当てに読んでいたものである(改めてこの場をお借りして内山先生並びその他漫画家の皆様、誠に申し訳ございません!!!!!)。 
 ネガスフィアのデヴュー作リリースが告知されたのと時同じくして、前出のレモンピープル誌でも一頁丸々千之氏のジャケットデザインと共にネガスフィアのデヴュー作告知が掲載された時は、(良い意味で)してやったり感とでも言うのかロリ系アダルトコミック誌面に於いてまさに痛快極まる大きな足跡を残したと言わんばかり、ネガスフィアと千之氏の快挙に心から賞賛と拍手を贈ったものだった。

 話がすっかり千之氏寄りな横道に逸れてしまったが、80年代のジャパニーズ・プログレッシヴ復興期に新たな足跡と実績を残したネガスフィアは、その後ヴォーカルパートの強化を図り専属ヴォーカリストの新メンバーとして平田士郎を迎えた6人編成へと移行。
 以降この新布陣でライヴ活動をコンスタンスにこなしつつ次回作に向けた構想と準備に録りかかりながらも、元マーキー誌編集員だった中藤正邦氏が主宰で発足された新興レーベル“モノリス”からの要請で、関東と関西のプログレッシヴ・バンド競演によるオムニバスアルバム『Progressive Battle
s' from EAST/West』に参加し秀逸なる新曲の「Second Self Loser」を提供。
 デヴュー作に収録されたナンバーの延長線上を思わせながらも更に格段の成長と進化を遂げたサウンドスタイルに、ファンやリスナーは次回作への期待感をますます募らせたのは言うまでもあるまい…。
 翌1985年一身上の都合によりもう一人のキーボーダーだった矢田透が抜けてしまいネガスフィアは再び5人編成となり、新天地を求めるかの様にLLEレーベルから離れ新たにディスクユニオンが設立したDIWレーベルから新たなる飛躍と発展を託した形で待望の新作『Disadvantage』をリリース。
 DIWとの契約から程無くして一ヶ月間という僅かな製作期間という制約があったにも拘らず、全曲書き下ろされ録音から編集、マスタリングに至るまで…ややもすれば突貫工事にも似たやっつけ仕事をも思わせる強行スケジュールを乗り越え、バンド史上最高傑作になったと言っても申し分無い位2作目『Disadvantage』のクオリティーとテンションは最高潮に達し、モロにロジャー・ディーンからの影響を物語る美麗でファンタスティックなアートワークを始め、シンフォニックで且つヘヴィ、アコギのソロパート、そして組曲形式のラストナンバーの大作といった実にバラエティーに富んだ内容充実な、改めてバンドの懐の広さと幅広い音楽性、各メンバーのスキルの高さを物語る決定打と言っても異論はあるまい。
    
 その後はメイド・イン・ジャパンレーベル主導によるプログレッシヴ・バトルに参加し、関東関西勢のプログレッシヴ・バンドと競演しつつ地道なライヴ活動に精進しつつも、2ndリリースから程無くして音楽的志向と方向性の相違で川崎と平田を除くメンバーが次々と離脱してしまい、以後は同じプログレッシヴ・バンド誘精のベーシストで旧知の間柄でもあった現メンバーの手塚啓一が加入し、手塚の伝で誘精から堂免稔泰(Ds)、渡辺修(G)も参加の運びとなった。
 更にはキーボード奏者に藤本 法子を迎え再びツインキーボードの6人編成バンドとして起死回生を図り、一時期はジャーマン・プログレッシヴの大御所ノヴァリスの元ギタリストだったデトレフ・ヨープ(奥様は日本人で当時は夫婦共に横浜在住だった)をゲストに迎え、新生ネガスフィアは活動を継続。
 が…1986年、ギタリストの渡辺が抜け真嶋が再び復帰し、さあいよいよこれからという矢先に同年10月のライヴを最後に川崎自身の心身の疲弊が積み重なっていたのを機に、ネガスフィアは事実上解散に近い無期限の活動休止を余儀なくされてしまう。
 長きに亘る無期限の活動休止期間中、川崎自身音楽の世界から完全に遠ざかり自らの職務に邁進する日々を過ごしつつ、楽器を前にするのは極々身内や友人関係内での結婚披露パーティーかイヴェントで留める程度であったとの事。
 皮肉な事に川崎=ネガスフィアの活動休止を余所に、1991年にメイド・イン・ジャパンから『1985-1986』というタイトル通りのアーカイヴライヴ音源CDがリリースされ、ジャパニーズ・プログレッシヴ伝説級のサプライズな贈り物に多くのファンは歓喜し、徐々にではあるが川崎の許へネガスフィア復活の要望が寄せられる様になったのもこの頃であろうか…。
 以降、期間限定な範囲内でネガスフィア名義の活動を行いつつ、川崎、手塚、そしてKBBでの活動と併行して菅野が復帰しイエスのトリヴュートライヴを経て新メンバーが集まり、バンドメンバー内の不幸といった試練を乗り越え試行錯誤を重ねて、漸くシルバーエレファントのコンピレーションアルバムへ楽曲を提供するまでに落ち着きつつあった。
     

 そして21世紀に入り…2012年以降にあってはFacebook等のSNSというネットツールを駆使し人伝を経由して、川崎=ネガスフィアの下へ再びかつてのメンバーや多くのファンやリスナーといった人々が集うようになり、日に々々ネガスフィア本格的な復活が実現へと繋がる気運は高まりつつあった。
 そして迎えた2016年11月23日、ネガスフィアは聖地巡礼の如く青春時代の情熱の舞台でもあった吉祥寺シルバーエレファントにてバンド結成40周年を記念を兼ねた復活ライヴを開催し、満員の観客と聴衆から拍手喝采を浴びた事は記憶に新しい。
 ネガスフィア結成40周年記念に呼応するかの様に、かつてリリースされた未発ライヴ音源含む3作品全てがディスクユニオンより紙ジャケット仕様リマスターCDとしてリイシューされ、前出の『精神工学様変容』に収録の「No More Rainy Day」と『Progressive Battles' from EAST/West』に収録の「Second Self Loser」が、デヴュー作『Castle In The Air』のボーナストラックとして収められ、ピタゴラスイッチ(!?)を思わせる様な意匠の未発ライヴ音源『1985-1986』も、再び起用された千之ナイフ氏描くゴシックロリータ風ジャンヌダルクを思わせる美少女のイラストで装いも新たになったのが何よりも嬉しい限りである(ボーナストラックとしてシルバーエレファントのコンピレーションアルバムに収められた2つの新曲も収録)。
     
 現在ネガスフィアのラインナップは…川崎、手塚、菅野、そしてジャズロックバンドQUIから参加した林隆史(G)、フィメールプログレッシヴ・ソロパフォーマーとして定評のあった未藍千紗(Vo)、そしてメンバー中最年少の女性キーボーダー木田美由紀を迎えた6人編成であるものの、今後新作リリース等を想定した場合にあっては参加メンバー自体若干の変動も考えられるであろう。
 一方で現在ネガスフィア本隊とは違うアプローチで川崎薫自身“アコースティック楽器によるネガスフィア時代の楽曲の再構築”というコンセプトの下、人伝を経由してKOW&東京キッチンにて活動していたアコースティック・ギタリスト兼ヴォーカリストのKOWこと曽我部晃と合流し、更には82年の『精神工学様変容』時にベーシストとして参加していた坂野誠治を再び加えたトリオ編成でNegAcoustika (ネガコースティカ) なる別働隊バンドを立ち上げているので、こちらも今後の動向には注視せねばなるまい。
 
 ここまで駆け足ペースながらも彼等の過去から現在までに至る道程と歩みを辿っていった次第であるが、彼等ネガスフィアの足跡は決して順風満帆且つ穏やかで平坦とは言い難い、自らが構築した砂上の楼閣に佇みながらも…紆余曲折と暗中模索、疑心暗鬼と試行錯誤、栄光と挫折、時に傷つきもがき苦悩しつつ音楽理想郷を求めて流浪する夢織人に他ならない。
 彼等の信ずる音楽が時代を先取りしていたのではなく、21世紀という時代が漸く彼等の音楽に追い着いたと言っても過言ではあるまい…。
 ネガスフィアの音楽が紙ジャケットCDのリイシューによって21世紀の今日に於いて改めて再び見直されているという昨今、自らの頑なな信念で時流に流される事無く邁進する彼等の真摯なる姿勢は真の楽聖たるプライドと気高さに満ち溢れんばかりである。
 結成40周年を経て未来のヴィジョンをも見据えたであろう彼等のこれからの音楽がどの様に進展するのか聴衆である側の私達もしかと見届けねばなるまい。
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Zen

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