幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 FOOD BRAIN

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 今月最後にお送りする「一生逸品」は、名実共にジャパニーズ・プログレッシヴ黎明期の旗手にして夜明け前と言っても過言では無い、1970年の昭和元禄という時代背景の空気を漂わせ、ヘヴィサイケでアヴァンギャルドな申し子として日本のロック史にその名を刻み異色の存在として、今なお時代と世紀を越えて語り草となっている稀代の名匠“フード・ブレイン”に改めて栄光の光明を当ててみたいと思います。


FOOD BRAIN/Social Gathering~晩餐~(1970)
  1.That Will Do
  2.禿山
  3.M.P.Bのワルツ
  4.レバージュース自動販売機
  5.河馬と豚の戦い
  6.目覚し時計
  7.片思い
  8.穴のあいたソーセージ
  9.バッハに捧ぐ
  
  陳信輝:G
  加部正義:B
  柳田ヒロ:Key
  つのだひろ:Ds

 時代を遡る事1970年、草原に戯れる一頭の牛の写真のみといった…鮮烈な印象を与えたジャケットで世界中を席巻したピンク・フロイドの『原子心母』と同年、我が日本でもフロイドの牛に対抗したのか否かは定かではないが、草原を我が物顔で闊歩する“象”といった如何にもインパクト大なジャケットでフード・ブレインは華々しく世に踊り出た次第である。
 70年代の日本の音楽シーンにあっては、当然の如く歌謡曲偏重主義みたいな状況下にあって、“ロック”と名の付くジャンルは当時においてまだまだ格下に見られがちな傾向があり、60年代末期にあれだけ一世を風靡したGSによってあたかも市民権を得られたかの様に見られつつ、“長髪でエレキ・ギターを携えて演奏する=不良で悪”といった見方・考え方がまだまだ根強かった、そんな誤解だらけで困難にまみれた…今となっては笑い話みたいな荒唐無稽且つナンセンスで滑稽な時代でもあった。
 そんな頑固一徹を絵に描いた様な、戦後の焼け跡から逞しく生き抜いてきたオヤジ達の心配やら非難、ロック蔑視なんぞ物ともせず、1970年を境に歌謡曲とは全く一線を画した日本のオリジナリティー溢れる音楽シーンを模索・試行錯誤した素晴らしい逸材を多数輩出したのは言うまでもあるまい。
 空前の一時代を築いたGSブームが過ぎ去り、アイドルの押し着せみたいな扱いから脱却すべく、所謂芸能人様のままで役者稼業に留まる者もいれば、本格的な創作活動且つアーティスティックな路線を見出す者と多種多様に拡散していったあの当時、はっぴいえんど、頭脳警察、フラワー・トラヴェリン・バンド…等と共にフード・ブレインは“ニューロック”の先陣を切って70年10月にポリドールからデヴューを飾った。

 横浜でヤードバーズのナンバーを得意としていたミッドナイト・エキスプレスのメンバーだった陳と加部、そこにGSバンドのフローラルを経て細野晴臣と松本隆と共にエイプリル・フールにKeyとして参加していた柳田(因みに細野と松本はその後はっぴいえんどを結成)、数々のジャズ・バンドで経験を積みあのジャックスにも参加していたつのだが集結しフード・ブレインは誕生した。
 バンドのネーミング然り、ジャケット・ワークから各曲のタイトルに至るまで、英米のロックに追随するかの如く日本の歌謡曲重視の音楽シーンへの挑戦・挑発とも取れる…まさしく人を喰ったかの様な内容で埋め尽くされた怪作(快作)という称号に相応しい本作品。
 見開きジャケットの内側にもそこはかとなくブリティッシュ・ロックへの敬意とリスペクトを感じさせる意匠で、あたかもビートルズの『サージャント・ペパーズ』或いはツェッペリンの『Ⅱ』へのパロディーというかオマージュを意識した点でも興味は尽きない。
          
 冒頭1曲目からブギウギに倣ったかの様な軽快なナンバーからいきなりブリティッシュ・オルガンロック風に変調する超絶ナンバーが聴き物で、オルガンとギターの絶妙な掛け合いが実に見事の言葉に尽きる。
 アヴァンギャルドにしてコンテンポラリーな実験色の濃い2~3曲目から、サウンドギミックの面白さとサイケな疾走感が印象的な4曲目、パーカッション群のコミカルな使い方が可笑しさを誘う5曲目、オープニングと4曲目に次いでフード・ブレインの音世界たるものを知らしめるに充分な6曲目、タイトルに違わぬイメージ通りの一瞬イタリアン・ロックをも彷彿とさせるハープシコードのソロが美しい7曲目に至っては、私自身の私見で恐縮だが当時に於いて人気を博していた宇野亜喜良氏の妖しくも耽美的なイラスト世界を連想したのは言うまでもあるまい(ある意味宇野氏も時代の申し子だったのかもしれない)。
           
 そして…人を喰ったかの様な何とも卑猥なイメージというかエロティックさを想起させるタイトルにして、本作品最大の呼び物とも言えるドロドロと混沌とした暗黒のカオス以外の何物でも無い…音のうねりという表現が相応しい8曲目にあっては、あの当時にしてこんな凄い曲を演っていたのかと驚嘆する事だろう。
 不協和音的なゲスト参加のクラリネットに、ベースが不気味に唸る“葬送行進曲”やら“蛍の光”の一節が出てくる辺りパロディやらコラージュ云々では一口に片付けられない怖さすら感じる(苦笑)。
 ラストの小曲にあっては、もうここまでくるともはや実験音楽の範疇で語られるべきで、ある意味において名作・傑作でもあり、その余りにも前衛過ぎて且つ時代を先取りし過ぎて怪作・問題作扱いされてもいた仕方があるまい。
          

 バンドはその後当然の如くこれと言って主だった活動やギグをすること無く自然消滅同然に解散し、メンバーのその後の動向は…分かる範囲内でギターの陳信輝は再び加部と共にアメリカ人ドラマーのジョーイ・スミスを迎えてトリオ編成で“スピード・グルー&シンキ”を結成し2枚の好作品を残すも、72年に解体。
 その後は陳信輝グループとしてセッション・オンリーの活動に重点を置くものの、その後1975年を境にして音楽業界の第一線から退いている。
 加部はスピード・グルー&シンキ解散後、ジョニー・ルイス&チャーのベーシストを経て現在もなお現役にして第一線で活躍中である。
 柳田ヒロはソロ活動として『Milk Time』を始め5枚の作品をリリースする一方で、岡林信康のバックを務めつつ日本の音楽産業の裏方として支えつつも、現在は業界とは一定の距離を保ちながら現役の第一線で活躍中なのが嬉しい限りである。
 つのだひろにあってはもはや説明不要ながらも、フード・ブレイン解散後すぐに故・成毛滋と共にストロベリー・パスを結成し、そのままその流れで高中正義を迎えてフライド・エッグへと移行していく訳だが、その後にあってはカラオケの定番ソングとも言える“メリー・ジェーン”の大ヒットに続き、清水健太郎のデヴュー曲“失恋レストラン”を手掛けてまたもや大ヒットを飛ばし、今や音楽番組のみならずバラエティー番組にも進出している昨今である。

 ジャパニーズ・ロックの黎明期において、純然たるプログレッシヴなフィールドではないにせよ、ファー・イースト・ファミリー・バンドや四人囃子…等が登場する以前のあの当時において、よもやここまで恐ろしくも複雑怪奇且つ驚愕で高水準な作品が生み落とされていたとは、奇跡の賜物以外に何と表現出来ようか。
 21世紀の現在(いま)フード・ブレインが築き上げた創作精神とDNAは時代を超え形と姿を変えて新世代の啓示よろしくジャパニーズ・プログレッシヴの新鋭・若手達に脈々と受け継がれているのであろう。
 あの当時の彼等の弛まぬ創作意欲と前衛精神が生み出したかけがえの無い一枚こそが、日本のロック(=プログレッシヴ・ロック)にとって大いなる一歩でもあり、確固たる礎に他ならないと今こそ声を大にして言わねばなるまい。
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