一生逸品 MAXOPHONE
7月最初の「一生逸品」をお届けします。
今回は70年代中期~後期のイタリアン・ロックシーンを彩り、ほんの僅かながらも一時代を築き上げた…名実ともに“生命の故郷”という音楽理想郷の申し子にして夢織り人という名の楽師達と言っても過言では無い“マクソフォーネ”に今再び焦点を当ててみたいと思います。
MAXOPHONE/Maxophone(1975)
1.C'E Un Paese Al Mondo
2.Fase
3.Al Mancato Compleanno Di Una Farfalla
4.Elzeviro
5.Mercanti Di Pazzie
6.Antiche Conclusioni Negre


Alberto Ravasini:Vo, B, Ac‐G, Flute
Sergio Lattuada:Key, Vo
Roberto Giuliani:G, Piano, Vo
Sandro Lorenzetti:Ds
Leonard Schiavone:Clarinet, Flute, Sax
Maurizio Bianchini:French Horn, Trumpet, Vibes, Per, Vo
本ブログにてもう既に幾度と無く言及してきた事だが、1972~1973年にかけて百花繚乱の如く活気に湧いていたイタリアン・ロックが、オイルショックの余波を受けて陰りの兆候が見え始めた頃の1975~1977年にかけて、グロッグ・レーベルのチェレステ、そして70年代イタリアン・ロックの終焉を飾った最後の煌きロカンダ・デッレ・ファーテと共に時代の一頁に大きな足跡と名前を刻んだ本編の主人公マクソフォーネ。
その至高の極みとも言える高い音楽性と類稀なる才能を持った彼等の歩みは1973年にまで遡る。
以前取り挙げたジャンボの前身バンドだったロ・スタート・ダニモに在籍していたギタリストRoberto Giulianiを筆頭にヴォーカリスト兼ベースのAlberto Ravasini、そして兵役を終えたばかりのドラマーのSandro Lorenzettiの3人が中心となってマクソフォーネの骨子となるべきバンドがミラノで結成される。
御多分に漏れず極ありきたりなポップスやロックに甘んじる事無く、PFMやバンコ、ニュー・トロルスといった当時の先駆者達に触発され独創性豊かなイタリアン・ロックの担い手になるという道を選択した彼等3人は、曲作りの多忙の合間を縫ってメンバー探しに奔走する事となる。
人伝を頼りに幾度かの困難と試行錯誤を重ねた結果、ミラノ音楽院の出身者でもあったSergio Lattuada、Leonard Schiavone、そしてMaurizio Bianchini(かのジャンボのギタリストDaniele Bianchiniとは兄弟関係に当たる)の3人を迎えて、ここで正式にマクソフォーネ名義としてのキャリアをスタートさせる。
程無くして彼等はミラノ郊外の廃屋同然の鶏舎(農作業小屋?)や、メンバーのLeonard宅の地下室でリハーサルを重ねてバンドの持ち曲の大部分を完成させる。
ちなみに彼等のサウンドのバックボーンは自国のクラシック始めオペラ、国内外のジャズやらアメリカのソウルミュージック、R&B、果てはイエス、ジェネシス、GG、パープル、ユーライア・ヒープにクイーン…etc、etcと兎に角多種多彩であって、これらの音楽的背景と素養があってこそ、あの高度にして緻密で繊細・崇高なロック・シンフォニーが成し得たというのも頷ける。
そして1975年の始めカンタウトーレのColorado Castellariのアルバムにてバックとして参加し、これを契機に同年大手リコルディ傘下の新興プロデゥトリ・アソシアティ・レーベルより念願のレコードデヴューを果たし、デヴュー作からカットされたシングルも同時期にリリースされる。尚、前述のColorado Castellariとの共演が縁でColorado作の歌詞が2曲(オープニングとラスト)提供されているのも特筆すべきであろう。
ちなみに本デヴュー作にあっては、メンバーに加えてハープ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスの数名をゲストに迎えて製作されている。
冒頭で触れたオイルショックが引き金となってイタリアン・ロック沈滞期に差し掛かっていたにも拘らず、レーベル側の彼等に対する期待の入れ込み方は生半可なものでは無く、デヴュー作リリース時にはバンドのロゴがプリントされた布製ワッペンがグリコのおまけよろしくとばかりに付されていたのはちょっとした御愛嬌とも言えよう。
アレアとのジョイントでイタリア国内での精力的な演奏活動が功を奏し成功を収めた事を足掛かりに、翌1976年…夢の晴れ舞台ともいえるスイスはモントルーのジャズ・フェスティバルへと参加の切符を手にした彼等は、アメリカのウェザー・リポートと共に同じステージに立って多くの聴衆の前で演奏という快挙を成し遂げ、バンドは更なる絶頂期を迎えたのは言うまでも無い。
同年には国外での販促をも視野に入れた英語の歌詞ヴァージョンによるインターナショナル盤がドイツとアメリカでリリースされ、彼等自身も漸くPFMに次ぐ大きな逸材(バンコやオルメが海外進出失敗だったことを考慮すれば)として世界へ羽ばたこうとしていた。
余談ながらも…英詞ヴァージョン盤はオリジナルイタリア盤と同様見開きジャケットでデザインも変更は無いが、唯一の違いは外側が光沢コーティング仕様という何とも贅沢な仕上がりになっている。とは言うものの、曲順の違いはともかくとして見開き内側のフォトグラフが何枚か割愛されているのと写真が一枚上下逆さまという痛い箇所があるのは何ともはやである(苦笑)。
個人的にアメリカプレス盤は一度だけ新宿の某中古アナログ盤専門店でお目にかかった事があるが、ドイツプレス盤にあっては未だお目にかかってはいない。
余談ついでに、プログレ専門誌時代のマーキーの賀川氏の弁で、昔原宿のメロディーハウスにファクトリーシールの破れかかったマクソフォーネのイタリア原盤が比較的長い間売れ残っていたそうで、今となっては何とも信じられない様な勿体無い話ではなかろうか…。
冒頭1曲目…クラシカルで物憂げな感を湛えながらも劇的で美しいピアノの旋律に導かれマクソフォーネの“生命の故郷”は幕を開ける。寄せては返す波の如くヘヴィでテクニカルなパートと牧歌的でリリカルな曲調とのアンサンブルに加え、陽気でジャズィーな側面とクラシカルで希望に満ちたホーンセクションとが交互に顔を覗かせる辺りは、カラフルなジャケットをそのまま音楽で象徴しているかの様で早くもマクソフォーネの世界観が全開の名曲と言えよう。蛇足的な見解で恐縮だが、イタリア語で歌っている分にはさほど感じられないものの、一度英語によるヴォーカルで聴いた時はまるで一瞬フィル・コリンズが歌っている様な錯覚を覚えたくらいだ(苦笑)。
ジェントル・ジャイアント影響下であることを強く意識した唯一のインストナンバーである2曲目の出来栄えも素晴らしい。ロック+ジャズ+クラシックという渾然一体となったまさしくプログレッシヴの雛形を垣間見る思いで、若い時分この曲を聴く度に“たった一枚のアルバムで終わらせるには惜しい!”と何度悔やんだ事だろうか…。
感動と劇的な余韻は静まる事無く3曲目へと繋がり、アコギとピアノ、フルートといった抒情のさざなみが気持ちを静めていきながらカンタウトーレ調に謳い上げつつも、怒涛のハモンドで一気に畳み掛けながら力強く転調し静寂な後半へと収束する流れは白眉のひと言に尽きる。

4曲目(アナログ盤ではB面の1曲目)は、今までとは打って変わってカトリシズムを湛えたチャーチオルガン風のハモンドに導かれゲイヴリエル風な劇的で切々とした歌い回しが印象的だ。あたかも現実と理想の狭間で揺れる人間の心情を代弁するかの様に、ブラスロックとシンフォニックとの応酬が絶妙で尚且つ美しさすらも際立っている。
アンソニー・フィリップス…果てはジョン・レンボーンを意識したかの様な牧歌的でアコースティックな5曲目も印象的だ。ほんの束の間の清涼剤的な位置付けの静寂さが、良い意味でラストの曲に向けたアクセントとなって引き締めている。ゲスト参加のハープも素晴らしい効果を醸し出している。
ラスト曲の何とも御陽気なブラスセクションのイントロに一瞬違和感をも覚え躊躇してしまいがちになるが、そこはやはりマクソフォーネならではの心憎い隠し味となっているのがポイントとも言えよう。
動と静或いは剛と柔とが交互に錯綜し、リリシズムとシニカルな風合いをも含ませたまさしくイタリアン・ロックの面目躍如といった感が色濃く滲み出ており、彼等の仕掛けた術中に嵌ったら最早最後まで抜け出せなくなる事必至と言えるだろう…。
これだけ高度な完成度を誇り世界進出をも視野に入れた大々的なプロモートを展開していたにも拘らず、結局は彼等も先人達と同様たった一枚のみのアルバムと2枚のシングルリリースのみに止まり、77年を境に表舞台から去っていってしまったのが返す々々も悔やまれてならない。
話は前後するが…それでも解散前夜の1977年にデヴューアルバムと同系統にして延長線的な彼等最後の名曲とも言える好シングル『Il Fischio Del Vapore/Cono Di Galato』がリリース出来たのは、まさしく奇跡に等しいと言わんばかりである。
CDというフォーマットの時代に移行してからもYoutubeを含めて必ずボーナストラックとしてカウントされているのが何とも有難くもあり、良い意味でプログレッシヴ=イタリアン・ロックのファンにとっては幸運に恵まれた時代になったものだと感慨深くもなる。
決して仲違いやら喧嘩別れだとかで解散した訳ではなく、バンドの消滅はあくまで物理的な要因とレコード関連を含む音楽会社全てがコマーシャル至上主義になった時代背景にあると、近年イタリア国内のプログレッシヴ専門プレスRockprogressoによるAlberto Ravasiniのインタヴューで明かされている。
バンド解体後のメンバーの動向にあっては、Alberto RavasiniとSergio Lattuadaは後述するとして、クラリネットとサックスを担当のLeonard Schiavoneは後年アヴァンギャルド系のジャズロックのストーミー・シックスに参加。ドラマーのSandro Lorenzettiは現在もジャズ畑のベテランミュージシャンとして活動を継続、ギタリストのRoberto Giuliani、そしてもう一人の管楽器担当のMaurizio Bianchiniに関しては第一線から完全に退いているものの、現在のマクソフォーネのメンバーとも頻繁に連絡を取り合っているそうだ。
80年代から90年代全般にかけて、オリジナル原盤の唯一作が高額プレミアムの付いたまま廃盤市場に出回り、その数年後には再発LP盤やらCD化で多くのリスナーの耳にマクソフォーネの素晴らしい音楽が届けられ、まさに一方通行とばかりにただ悪戯に時間ばかりが経過していくばかりであった。
そんな状況から一転し急展開を見せたのは21世紀を迎えた2005年、かつて少年期にマクソフォーネの音楽に触れてから…それ以降彼等を愛して止まなかった一人の男Marco Croci(現マクソフォーネのベーシストにしてバンドのプロモーターも兼ねる)の存在が、かつてのメンバーだったSergio Lattuada、そしてバンドの要ともいえるAlberto Ravasiniの心を動かした事が、マクソフォーネ復活の大いなる鍵となったのは最早言うまでもあるまい。
(運命とはどこでどうなるか分からないもので…この本編を綴る数年前、私自身Facebookを通じてMarco Crociと友達になったが、Marco自身からの友達申請だったので流石に嬉しさと共に驚きは隠せなかった。)
“90年の最初だったと思う。僕はもうSergio Lattuadaと面識があったんだ。妻の同僚でもあったし、音楽教師だった。でも、当時、Lattuadaはマクソフォーネの話をしたがらなかったんだ。で、2005年の再結成後、再度バンドは崩壊して、RavasiniとLattuadaでゼロから再建を始めたんだ。2人は信頼できる地元のミュージシャンを探し始めた。他にプロとして仕事をしていない人を。最初の候補はLattuadaの元同僚であったCarlo Montiだった。2人とも音楽教師だった。Carloはミラノ音楽院で8年間ヴァイオリンを専攻していたマルチ・プレーヤーだ。彼によって、昔のマクソフォーネのサウンドを甦らすことが重要だったんだ。また、新曲への道筋をつけたのもCarloだった。Lattuadaは冗談で、ミラノ音楽院にはいったときすでにCarloに目をつけていたそうだよ。2008年だったか、プログレのベースについての話題が出たんだ。Ravasiniは僕のプログレ・ベーシストの常にトップの存在だった。彼の奏でる美しいベース・ラインは、ホルン、クラリネット、ギターの中で品格を保って際立っていた。驚いたことに、僕はRavasiniから素晴らしい感謝の手紙をもらったんだ。そこには、いつか一緒にプレイできればいいね、と!”
(RockprogressoのブログからMarco Crociのインタヴューから抜粋)
Marco Crociの熱意にほだされ、Alberto RavasiniとSergio Lattuadaのオリジナルメンバー2人に、MarcoそしてCarlo Monti(Ds,Per,Violin)、Marco Tomasini(G,Vo)の名うてで実力派の新しいメンバーを迎えて、マクソフォーネは21世紀のイタリアン・ロックシーンに再び返り咲いた次第である。

更にはバンドの結成から40周年を迎えた2013年、川崎クラブチッタにてムゼオ・ローゼンバッハと共に初来日公演を果たし素晴らしいステージングを繰り広げたのは未だに皆さんの記憶の中に留めている事であろう。
翌2014年、初来日公演を収録したライヴ盤『Live in Tokyo』をリリース後、3年間の製作期間を費やして2017年にリリースされた実に42年ぶりの2nd新譜『La Fabbrica Delle Nuvole(邦題:雲の工場)』は、まさしく21世紀版マクソフォーネに相応しい素晴らしき最高傑作としてベストセラーになったのはとても喜ばしい限りで感慨深さすら覚えたものである。
が…新たなるマクソフォーネ第2のステージ開幕が期待されていたさ中に飛び込んできたキーボード奏者にして秀逸なるメロディーメーカでもあったSergio Lattuada突然の逝去、程無くして正式に報じられた青天の霹靂の如きバンドの解散声明に、イタリアそして日本を含め全世界中のマクソフォーネのファンと支持者は悲しみの涙にくれたのは言うに及ぶまい。

今こうして2013年に綴ったマクソフォーネのブログをセルフリメイクし加筆しつつも、返す々々本当に素晴らしい作品とスコアを遺し至福に包まれ天国へと旅立ったSergio Lattuadaに哀悼の意と心から感謝の気持ちを込めて手を合わせたいと思う…。
本編の締め括りとしてRockprogressoのブログから抜粋した、バンドのオリジナルメンバーでもありヴォーカリスト兼ベーシストだったAlberto Ravasiniの言葉をここに記しておきたい。
「プログレとは、たった2つの構成要素しかない。魂と文化だよ。」
今回本編の執筆に当たって、Rockprogressoのスタッフ並びマクソフォーネのメンバーそして盟友のMarcoに心から“素晴らしい音楽を有難う!”の言葉を贈ります。
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