夢幻の楽師達 -Chapter 49-
空前の社会現象ともなった最高視聴率の大ヒットドラマ『半沢直樹』(第1シーズン)を先日久々に拝見している内に、ふと頭の中(脳裏)を過ぎったこと…それは70年代初期に於ける音楽会社+レコード会社とプログレッシヴ系アーティストとの関わり合いやら軋轢、衝突、希望と挫折…等、諸々の時代背景を見据えた上で、考えあぐねた結果…今こそ思いの丈を存分に吐き出すべきではなかろうかと、今週お届けする「夢幻の楽師達」は、ふと真っ先に思い浮かべたのがブリティッシュ・ロック史上に於ける名実共にまぎれも無い正真正銘の名作に相応しく、紆余曲折と幾多の挫折を味わいつつも現在もなお燦然と神々しい輝きを放ち続ける、職人芸の域にも近い匠の中の匠“グレイシャス”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
GRACIOUS
(U.K. 1970~1971)


Alan Cowderoy:G
Paul Davis:Vo, G, Per
Martin Kitcat:Key, Mellotron
Tim Wheatley:B
Robert Lipson:Ds
今を遡る事30年以上も前、時代は80年代半ばの真っ只中。現在の様な当たり前の様に世界的なネットやらオンラインが無かった頃…そう、あの当時のプログレッシヴ・ユーロ・ロック関連のディーラーとの音信のやり取りは専らファックスかエアメールだけが頼みの綱だったアナログな時代での事(苦笑)。
自分自身も20代前半の若いガキみたいな時分お堅い身分の本職の傍ら、プログレッシヴ関連に携わる業界に於いて、右も左も解らないまだまだポッと出の駆け出し…所謂プログレ・ライターの卵というか雛っ子みたいな存在で、何の予備知識も持たず若さと情熱だけを頼りにプログレッシヴ・ロックという大海原に挑んでいった、若気の至りとでも言うのか恥ずかしくも初々しいそんな懐かしい時代でもあった。
あの当時の西新宿界隈やら目白…等のプログレッシヴ関連の中古廃盤専門店といったら、若い頃の自分にとっては宝の山みたいな敷居の高い存在であって、壁に掛かった一枚数ン万円の高額プレミアムのオリジナル・アナログ原盤を溜め息まじりに見ているしか術が無かったのが関の山であった。
イタリアン・ロックは天井知らずな高値の花といった感が強かったのを今でも記憶している。その次にジャーマン系、フレンチ系といった順当で、肝心要なブリティッシュにあってはまさしく通好みな玄人愛好家がこぞって購入していくといった具合であった。
アフィニティーを始め、ビッグ・スリープ、T2、クリア・ブルー・スカイ、マースピラミ、ニドロログ、コーマス、トントン・マクート、ウェブ、ドクターZ、ケストレル、イングランドといったブリティッシュ・プログレッシヴの名立たる逸品が犇めき合う中で、70年代初期のインディアン・サマー、スプリング、サーカス『One』、クレシダ『Asylum』と共に本編の主人公グレイシャスの『Gracious!(“!”というタイトルを推す説もあるが)』もブリティッシュ高額5大名盤の内の一つとして掲げられると言っても過言ではあるまい。
遡る事…60年代半ばから後期にかけてロンドン南西部のエイシャーという地区にて、スクールバンドのSATAN'S DISCIPLESで活動していたAlan Cowderoy、同じく学友だったPaul Davisを中心に、Martin Kitcat(下世話な話だがお菓子みたいな名前だ…)、Tim Wheatley、そしてRobert Lipsonを加えた5人編成でグレイシャスは産声を上げる。
1968年、グループ結成から程無くしてハーモニーバッキング・ヴォーカル兼パーカッションのKeith Irelandを迎えた6人編成でドイツ公演をサーキットし、前後してデヴュー間も無い頃のキング・クリムゾンと共演するなど、ニューロック~アートロック勃発期の多種多彩なアーティスト達と交流を深めつつ、SATAN'S DISCIPLES時代から続いていたヒットソングのカヴァーレパートリーを一切断ち切り、クリムゾンに触発されてメロトロンの導入を決めた彼等はドラマティックでアーティスティックな曲想を身に付けた音楽性へと転身。
その後一身上の都合によりKeith Irelandが抜けて(但しグレイシャスのデヴュー作には協力者としてクレジットされている)再び5人編成へと戻った彼等はポリドールの担当プロデューサーに見出され、1969年にシングル「Beautiful/What A Lovely Again」でデヴューを飾るも、シングルたった一枚のみの契約で不満だったのか、或いは周りの環境を変えて更なる心機一転を図りたかったのか…真相は定かではないものの、翌1970年に当時新興のレーベルとして注目を集めていたヴァーティゴと契約を交わし、同レーベルのベガーズ・オペラやクレシダと共にブリティッシュ・プログレッシヴ・ムーヴメント黎明期の真っ只中へと身を投じ一時代を築いていく事となる。
1970年にリリースされた待望のデヴュー作『Gracious !』は、ありきたりなロックンロールやら極端なまでなサイケデリアに染まる事無く、彼等の初々しくも理想ともいうべき音楽世界が遺憾無く発揮された渾身の一作とも言えるだろう。
彼等の音楽性は70年代当時に顕著だったハモンド・オルガン一辺倒で押しまくるタイプとは正反対な、ハープシコード等の多彩なキーボード系+メロトロンを多用したイギリス本来の伝統美とクラシカルな旋律に裏打ちされた、煌びやかで華やかなカラフルさを纏いつつもヘヴィでサイケな部分はちゃんとしっかり活かされている、まさしく正真正銘の大英帝国クラシカル・プログレッシヴの雛形であると言っても過言では無い。
冒頭1曲目で聴けるクリムゾンの「21世紀の精神異常者」を意識したかの様なメロディーラインに加え、ベートーヴェンの「月光」や果てはビートルズの「ヘイ・ジュード」のフレーズまでもが飛び出してくる大盤振る舞いにも似た一種御愛嬌に微笑ましさを感じつつ、肝心要のジャケットも見開き仕様で白地のエンボス紙のド真ん中に感嘆符“!”のみが大きく印字された、その意表を突いたシンプルさはまさしく人を喰ったかの如く痛快極まりない事この上無い…。
表面上のシンプルさに相反するかの様に、見開きジャケット内側は何ともエロティックなサイケで毒々しさ全開といった猥雑な構図に思わず目を奪われる事だろう。

が、ヴァーティゴの期待を一身に受けて鳴り物入りで飾ったデヴュー作は、その素晴らしい音楽性と内容に相反するかの様な…悪い意味で余りに貧相なジャケットデザインが災いしたのか、イギリスのレコード市場でもさっぱりと話題にも上らずセールス的にも不振を極めるという手痛い船出となってしまったのは言うまでもあるまい。
同時期にリリースされた2枚目のシングル「Once On A Windy Day/Fugue In D Miner」(A面はアルバム未収録曲、B面はアルバム収録曲のショートヴァージョン)及びアメリカセールス向けのプロモーションシングル(キャピトル側がアルバム収録曲“Heaven”をシングル向けにPart1と2に分けて編集したもの)ですらも売り上げが伸びず、結果的には惨敗という憂き目に遭ってしまう。

しかし、デヴュー作のセールス不振という不運の洗礼を受けつつも、彼等は臆する事無くその失敗を糧にし翌1971年ロンドンのオリンピック・スタジオにて、タイトル未定ながらも次回作の為のレコーディングに取り掛かる。
既に御存知の方々も多いと思うが、前デヴュー作の延長線上ながらもより以上に成長著しい跡を窺わせる…彼等の全曲中1、2位を争う素晴らしい組曲形式の大曲“Super Nova”がレコーディングされている。
大曲の“Super Nova”を含め他の収録曲も甲乙付け難い素晴らしい内容で占められており、彼等自身も納得のいく会心の出来栄えにして、前デヴュー作の失地回復とも言うべき自信作としてリリース出来るものと信じていた。
だが、運命とは皮肉なもので彼等グレイシャスの思惑とは裏腹にヴァーティゴ・サイドはデヴュー作でのセールス不振を理由に(信用失墜行為と言わんばかりに)、首を縦に振る事無くセカンドリリースを頑として認めずこれを拒絶。
バンド側にしてみれば“今度こそ!!”と並々ならぬ意気込みでアルバム製作に臨んでいただけに、その一瞬にしてどん底に突き落とされた様な喪失感、失意と絶望、落胆ぶりは想像するにも酷過ぎると言えよう…。
レーベル側が突き出した解雇+最期通告にも等しいペナルティー(にしては余りにも酷である)は、余りにもムゴい仕打ちであり、バンド側も理不尽な契約不履行でヴァーティゴを訴えなかった事が逆に不思議に思う位である。
結果的にヴァーティゴに裏切られた形でセカンドのマスターテープがお蔵入りという憂き目に加えて、ライヴ活動の激減やら周囲への疑心暗鬼が重なって、バンド側はすっかり意気消沈し音楽活動にも消極的になり周りを取り巻く全てに嫌気が差し自暴自棄に近い状況へと陥ってしまう。
櫛の歯が抜け落ちるかの如く、ドラマーのRobert Lipson、そしてバンドの要ともいうべきMartin Kitcatが脱退し、最期のあがきという訳ではないが…その後ヴォーカリストのPaul Davisがドラムやキーボードを兼ねたり、新たなドラマーを迎えてバンドの建て直しを図るものの、結局その熱意と涙ぐましい努力の奮闘空しく、同1971年の夏に惜しくもグレイシャスは解散してしまう。
翌1972年、幸か不幸か、それとも喜ぶべきなのか皮肉と取るべきなのか…バンドが消滅し不在であるにもかかわらず、フィリップス・レーベルが手がける廉価盤インターナショナル・シリーズで、先に触れたお蔵入りのセカンドが突如急遽リリースされる運びとなり、タイトルも皮肉めいたもので『This Is…GRACIOUS !!』というから、廉価盤扱いという愚かしさも然る事ながら、怒りを通り越して涙すらも出てこない位に、余りにも屈辱的で侮辱めいた陳腐なジャケットに辟易してしまう。

!マークをベースとしたステンドグラスを模した意匠は皆さん御存知、言わずと知れたロジャー・ディーンではあるものの、余りにも前作をも上回る貧相なデザインアートに“…らしくない!”と御立腹される向きも多いことだろう。
おそらくロジャー自身ですらも納得のいかない、やっつけ仕事にしては余りに不甲斐無いと思っている事だろう。
付け加えてしまえば、同じくロジャーがデザインを手がけた、あのパトゥーの『Hold Your Fire』と並ぶ“ロジャー・ディーンらしくない…あり得ない駄作なジャケット・デザインシリーズ”の一枚として間違いなくカウントされることであろう(苦笑)。
2006年にデジタルリマスター化された紙ジャケット仕様CDを改めてよく見ると、シングルジャケット仕様の裏側が痛々しくも廉価盤のカタログみたいな装丁で頭が痛くなる事この上無い(理解に苦しむ…)。
ただ誤解無きように言えば、皮肉めいたアルバムタイトルにジャケットもお世辞にも褒められた代物では無いにせよ、やはり前述に触れた通り作品の出来栄えは素晴らしいし、手放しで褒められる事実だけは紛れも無い。
余談ながらも…アメリカのルネッサンスレーベルからリリースされたプラケース仕様の2nd復刻CDには、(廉価盤扱いだが)オリジナルアナログLP盤では収録時間の都合で大曲“Super Nova”から1パート分カットされ急遽B面に収録された“What's Come To Be”が、“Super Nova”の中で完全
版として収録されており、日本盤でリリースされた紙ジャケットCDと聴き較べてみるのも良いだろう。
ちなみに小ネタみたいな話で恐縮だが…ルネッサンスレーベルからリリースされた2ndCDにはシングルのみリリースされた“Once On A Windy Day”が“What's Come To Be”の穴埋め分として“C.B.S.”の次に収録されている。
小ネタ繋がりとして、イギリスのニワトリマークでお馴染みRepertoireから2004年にリリースされたオリジナルに忠実な紙ジャケット仕様の1stのリマスターCDにも、ボーナストラックとしてシングル曲の“Beautiful”、“What A Lovely Again”と共に“Once On A Windy Day”が収録されている。
余談が長くなってしまって恐縮だが、その後のバンドメンバーの動向にあっては、現時点で分かっている範囲内ではあるが…ベースのTim WheatleyはTAGGETTなるバンドを結成し、Paul DavisはSandy Davisに改名しソロアーティストに転向したとのこと。その他のメンバーも大手レコード会社のプロデューサーや裏方に回り現在も音楽業界に身を置いているそうな…。
驚くべき事に1996年にグレイシャスはTim WheatleyとRobert Lipson、そしてAlan Cowderoyによって一時期再結成を果たし25年振りの新作『Echo』をリリースするも、70年代のあの往年のサウンドとは全くかけ離れた別ジャンルのサウンドに変わってしまったのが惜しまれる…。
この本ブログで「夢幻の楽師達」を綴る度に思う事は…70年代に大手の有名レコード会社に所属していたプログレッシヴ系のアーティストにとって、当時のレコード会社やら音楽誌関係のマスコミとは神にも悪魔にもなり得る存在だったという事だろうか。
要は早い話…実力だとか優れて秀でた音楽性云々よりも、悲しいかな所謂成績・結果重視だという事なのであろう。
結果を残さなければ、トカゲの尻尾切りと言わんばかりに契約解除と会社追放が待っている訳なのだから、アーティストの側=創り手の側にとっては、ややもすれば針の筵の様な状態なのである。
あたかも冒頭でも触れた『半沢直樹』の音楽業界版をも見る思いになってしまうから困ったものである(苦笑)。
あの当時グレイシャスを始め多くの短命バンドが辛酸と苦汁を舐めさせられ、満足な結果を残せずに夢敗れてしまった次第だが、決して敗者に成り下がったという訳では無い事だけはどうか付け加えさせて頂きたい!
プログレッシヴ・ロック史に残る偉業を成し遂げ、時代と世紀を超えた名作を遺し現在でもなお世界中の多くのプログレッシヴ・ファンに愛され続け聴き継がれている事を思えば、これはこれで大いなる倍返し…否!100倍返しでもあり1000倍返しではなかろうか!
私自身願わくばそう信じたいものである…。
スポンサーサイト