幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 MELLOW CANDLE

Posted by Zen on   0 

 7月最後の「一生逸品」を飾るは、汗ばむ真夏の熱気ですらも一服の清涼剤の如く優しく穏やかに包み込み、抒情美と癒しの旋律が高らかに木霊する、あたかも英国の森に宿る精霊達のハーモニーすら想起させるであろう、文字通りブリティッシュ・プログレッシヴフォークのレジェンドという誇り高き称号に相応しい“メロウ・キャンドル”の純粋無垢な夢が込められた、かけがえの無い一枚に再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


MELLOW CANDLE/Swaddling Songs(1972)
  1.Heaven Heath
  2.Sheep Season 
  3.Silver Song
  4.The Poet And The Witch 
  5.Messenger Birds
  6.Dan The Wing 
  7.Reverend Sisters
  8.Break Your Token  
  9.Buy Or Beware
  10.Vile Excesses 
  11.Lonely Man
  12.Boulders On My Grave 
  
  Clodagh Simonds:Vo, Key 
  Alison Williams:Vo 
  David Williams:G, Vo
  Frank Boylan:B
  William Murray:Ds

 冒頭から今更何を言わんやと思われそうで恐縮だが、ひと口に“フォーク・ミュージック”という代名詞に於いて、国や風土、文化、習慣、それこそ見方考え方といった人生観の違いで、あたかも網の目の如く複雑怪奇に枝分かれし細分化されてしまう音楽というのも稀有とは言えないだろうか…。
 同じヨーロッパ圏のフォーク・ミュージックでも国によって多種多様で、マザーグースや中世の騎士道の世界観を窺わせるイギリス、カンツォーネをベーシックとしたイタリアのカンタウトーレ、トルヴァドールさながらの大道芸的な雰囲気を醸し出したフランス、東洋的なイマージュとLSD体験、ヒッピーカルチャーにサイケが雑多に融合したドイツ、北欧の伝承民謡が根付いたスカンジナヴィア圏、カントリー&ウエスタン、ブルーグラスが根底のアメリカ、そして我が国日本に於いては70年代の昭和枯れすすきを思わせる清貧なイメージの…俗に言う四畳半フォーク(かぐや姫の「神田川」とか)、学生運動から派生した反戦フォーク、果ては岡林信康、友川かずきの謳う労働者への憐れみ、階級社会への糾弾、世の不条理への怒りがバックボーンの闘争とアジテーションへの象徴といった幾数多もの様相を呈しており、フォークミュージックひとつ取っても解釈次第ではプログレッシヴ・ロックと同等な可能性と飛躍を秘めていた、まさしく楽器と肉声で“”を語る音楽と言っても過言ではあるまい。
 前置きから長々とまるで音楽の教科書みたいな書き出しになってしまったが、先日の「夢幻の楽師達」で取り挙げたトゥリーズの流れを受けて、今週の「一生逸品」はヴァーティゴからのデヴュー作が今もなおレア扱いとなっているチューダー・ロッジ、そしてかのスパイロジャイラの最高傑作3rdと共に、79年代ブリティッシュ・プログレッシヴフォークの3大最高傑作の片翼を担う、幻の存在でありながらも決して幻で終わらせてはならない純粋無垢な魂の結晶ともいうべきメロウ・キャンドルの御登場と相成った次第である。

 1967年にアイルランドはダブリン近郊(そもそも正確には彼等はイギリスではなく隣国アイルランドの出身)の小さな町の修道院に通う、当時14歳の少女だったClodagh Simonds、そして同じ学友だったAlison O'Donnell (後のAlison Williams)、そしてMaria Whiteの女の子3人組によるスクール・ガールバンドTHE GATECRUSHERSを前身にメロウ・キャンドルの物語は幕を開ける事となる。
 ビートルズ旋風が全世界を席巻していたほぼ同時期に、スウィンギン・ロンドンを賑わせていたアメリカン・モータウンのヒットチャートの余波は、当時憧れでもあったスプリームスみたいになりたいという彼女3人を大いに刺激し、Clodaghの弾くピアノで3人が歌うという至ってシンプルなスタイルではあったが、勉学に勤しむ傍らヴォーカル・レッスン並び曲作りを積み重ね、時には学園祭やパーティーで披露し人気を博し、まさしく青春真っ盛りを謳歌していた十代だったとのこと…。
 様々なアーティストのカヴァーを取り入れつつ、既にClodagh自身が12歳の時分に書き上げメロウ・キャンドルの本デヴュー作にも収録されている“Lonely Man”をレパートリーに数多くのデモテープを製作し、当時彼女達が熱心にエアチェックしていたラジオ局の音楽番組関係者の目に止まり、人伝を経由にあれよあれよという間にレコーディングまでの話が進み、程無くして1968年バンド名をTHE GATECRUSHERSからメロウ・キャンドルへと改名し、SNBレコードからサイケデリアな時代に呼応したポップソングを収録したシングル「Feeling High/Tea With The Sun」でデヴューを飾る事となる(余談ながらも、デヴューシングル曲は後年メロウ・キャンドルのCD化に際し、ボーナストラックとして収録されている事も付け加えておきたい)。
 ラジオ局でも全面的にバックアップし頻繁にシングル曲がオンエアされたものの、決定的なヒットには繋がらず彼女達3人は初めての挫折を味わい、再び学生生活に舞い戻る事を余儀なくされる。
 修道院系女学校を卒業後、Clodaghはイタリアへ留学、Maria Whiteは大学へと進み音楽から完全に離れて卒業後はそのまま社会人として就職。
 残るAlison O'Donnellだけが卒業後も音楽活動の道を歩み、BLUE TINTOなるグループのメンバーとして参加しナイトクラブやアイリッシュ・パブ、ダンスホール等でシンガーとしての実績を積み重ね、バンドのギタリストだったDavid Williamsと婚姻を結びAlison Williamsとして姓を改める。
 1970年、留学を終えてアイルランドに帰国したClodaghの許へAlisonとDavidのWilliams夫妻が合流し、プログレッシヴ元年に呼応するかの如くトラディッショナル・フォークをベースにサウンドスタイルを一新したメロウ・キャンドルとしての再編を持ちかけてくる。
 旧知の間柄だったベーシストを迎えたドラムレスの4人編成でメロウ・キャンドルは再出発を飾り、リハーサルと曲作りを繰り返す一方(前後してサウンドの強化を図る上で、ベーシストにFrank Boylanを迎え、ドラマーとして5人目のメンバーにケヴィン・エアーズとの共演経験があるWilliam Murrayが加入)、概ね2年近くは数多くのロック&フォークフェスティバル始め、ベテラン・ミュージシャンやバンドの前座として出演し実績を経験を積み重ね、漸くバンドの認知度と功績が認められた彼等は、71年春大手老舗のデッカミュージック傘下デラムとの契約を結ぶチャンスを得る事となる。
 こうして彼等は名匠デヴィッド・ヒッチコックをプロデューサーに迎え、翌1972年4月バンドの思いの丈が込められた待望の“再”デヴュー作『Swaddling Songs(抱擁の歌)』、そして同時期にアルバム収録曲でもある「Silver Song/Dan The Wing」をシングルカットでリリースし、ブリティッシュ・プログレッシヴロック隆盛期真っ只中の時代の荒波に乗り出した次第である。
          
 一見ユーモラスでイギリスらしいウィットに富んだ、漫画チックで何とも不思議で味わい深いアートワークに包まれた渾身のデヴューアルバムは、古のブリティッシュ・トラッドが持つ伝承的旋律に裏打ちされながらも、70年代という時代の手法と現代的な解釈が違和感無く融合した好例であると共に、前出のチューダー・ロッジやスパイロジャイラと共にブリティッシュ・フォーク新時代の到来を告げる礎へと成り得た最高傑作として世に知らしめたのは紛れもあるまい。
 収録された全曲概ね3~4分台の小曲揃いながらもヴァラエティーに富んでおり、バンドの素養ともいうべき様々な側面と表情が垣間見えて、捨て曲一切無しで飽きを感じさせないのも特色と言えよう。
 オープニング1曲目からイギリス伝承民謡の色合いと旋律が全開の、まさしくメロウ・キャンドルの音楽世界への入り口さながらといったファンタジックさを醸し出しており、森の精霊の如きAlisonの歌唱に加えClodaghが奏でるハーモニウムやハープシコードが実に素晴らしい。
 全曲中唯一5分弱の長尺でもある2曲目は幽玄で朧気なイマージュを湛えたメロディーラインが印象的で、遥か彼方から木霊するAlisonのヴォイスも然る事ながら、Clodaghの歪んだハモンドに夢見心地なピアノとメロトロンが絡む様は良い意味で時代の空気感をたっぷりと含んだ出色の出来栄えを誇っている。                 
 続く3曲目も冒頭のメロトロンのイントロに“おっ!”と溜飲の下がる思いに捉われてしまい、切々と謳い奏でられるヴォイスとピアノ、そしてギターを耳にする度個人的に目頭が熱くなるのは実に困りものである(苦笑)。
 海鳥達の囀りの効果音がドラマティックな4曲目にあっては、バンドが一丸となった力強い歌と演奏が堪能出来て、小気味良い転調とリフレインが何とも魅力的ですらある。
 瑞々しくもクリスタルな光沢を思わせるピアノに彩られたリリカルで且つララバイな5曲目、快活でかなり初期のイエスに近いイメージのラヴソングの6曲目、慈愛と哀れみを帯びた悲しげなピアノの旋律が胸を打つ7曲目といい…聴き手に感嘆と憂い、筆舌し難い恋情をも抱かせる構成と展開が実に心憎い限りである。
 スクールガールバンド時代の名残を感じさせるコーラスワークが見事な8曲目と9曲目は、若き日の彼女達へのオマージュではなかろうかと思えるのは些か穿った見方であろうか。
 9曲目の中盤から10曲目の曲展開にかけては、かなりイエスやGGからの影響を思わせるのはやはり当時リアルタイムに接していたが故の彼等なりのリスペクトなのだろうか。
 Clodagh自身が12歳の時分に作曲した代表作ともいうべき11曲目は、やはりペンを取った当時の空気が色濃く反映されているのだろうか、かなりロック色の濃いストレートなナンバーで、ややもすれば異質になりがちではあるが、名うてのプレイヤー達がしっかり脇を固めている分メロウ・キャンドルらしさが少しも損なわれていない稀有な好曲と言えるだろう。                
 ラスト12曲目にあってはClodaghとAlisonが育んできた友情と信頼関係の賜物と言わんばかりピアノとコーラスワークの絶妙さが群を抜いて輝きを放っている、名実共に『Swaddling Songs』の大団円とカーテンコールを飾るに相応しいエンディングと言っても過言ではあるまい。
            
 駆け足ペースで収録曲の全体像を述べてきたが、これだけの充実した内容と自信に満ち溢れんばかりのデヴューアルバム発表と併行し、当時大人気だったリンデスファーンやスティーライ・スパンとのジョイントツアーで聴衆達からの絶大なるオーディエンスに確固たる手応えを感じた彼等ではあったが、御多聞に漏れず…素晴らしい音楽作品が必ずしも大ヒット作へと繋がらないという哀しむべき法則と立ちはだかる現実の壁にメロウ・キャンドルも敢え無く敗れてしまい、セールス的にも予想を下回りその結果デラムとの契約解消に加えてバンドは放逐という憂き目に遭ってしまう。
 その後Frank Boylanの脱退で、新たなるメンバーを加えて心機一転を図るも結果的には翌1973年メロウ・キャンドルはその短い歩みを終えて静かに幕を下ろし、浮き沈みの激しいブリティッシュ・ミュージックシーンの表舞台から遠ざかってしまう。
 以後、80年代に於いてプログレッシヴ・ロックの廃盤コレクターやバイヤー達による尽力の甲斐あって、幾数多ものブリティッシュ・ロックとユーロ・ロックの名盤・名作と同様にメロウ・キャンドル唯一作の素晴らしさが認知され、中古廃盤プログレッシヴ専門店でも高額プレミアム扱いで壁掛けレアアイテムの仲間入りを果たし、CD化されるまでまさしく高値の花として垂涎と羨望の眼差しの存在だったのは言うには及ぶまい。
 バンド解散から23年後の1996年、イギリスのマイナーレーベルKissing Spellよりデヴュー作のレコーディング以前にスタジオリハーサルの模様が収録された『The Virgin Prophet』がリリースされ、デヴュー作『Swaddling Songs』にも収録されている10曲の元々の原曲も収録されていて、まだ磨かれる前の宝石の原石の如く初々しかった頃の彼等の貴重な音源が拝めるという意味で記憶に留めておくべきだろう…。

 バンド解体後、DavidとAlisonのWilliams夫妻はDavidの生まれ故郷でもある南アフリカに移住し音楽活動を継続させるも、離婚か遠距離別居か定かではないが現在Alisonはロンドンに拠点を移し、Davidはケープタウンにて音楽プロデュース業に勤しんでいるとの事。
 Clodagh Simondsにあっては、以前から親交のあったマイク・オールドフィールドのアルバム製作に協力し『Hergest Ridge』そして『Ommadawn』にコーラス隊で参加後、1976年かつてのドラマーだったWilliam Murrayと合流しニューヨークに渡って、かのフィリップ・グラスに師事し現代音楽とアートパフォーマー関連にも数多く携わる事となるが、その後袂を分かち合いWilliam Murrayは音楽畑から完全に足を洗いファッション・フォトグラファーに転身し大々的な成功を収め、Clodagh Simondsはニューヨークからロンドンへと活動拠点を移し、ブライアン・イーノの伝を通じてオーケストレイションと作曲学を修得し、現在は創作活動と併行してアイルランド文化の普及啓発活動に勤しみつつ今日までに至っている。

 英国プログレッシヴ・フォークのレジェンドとして青春期を捧げ、一時代を駆け巡って行ったメロウ・キャンドルが表舞台から遠ざかって早40年以上経過しているが、彼等が遺してきたであろう大いなる足跡は時代と世紀を超越しスタイルと形こそ変りつつも今もなお脈々と受け継がれ、新時代のプログレッシヴ・フォーク世代が台頭しつつある昨今である。
 そんなニュージェネレーション達と共に、いつの日にかきっとメロウ・キャンドル=今や残された中枢ともいうべきClodagh Simondsの新作が、もしかしたら我々の手元に届けられるのもそう遠くはないと信じ期待したいところである。
スポンサーサイト



Zen

Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation.

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。