夢幻の楽師達 -Chapter 51-
いつも通りならば例年通り盛夏のさ中に、ジャンルを問わず国内外に於いて多種多彩なライヴ・フェスが開催され大いに盛り上がっているところですが、今夏は新型コロナウイルス禍の影響で全面的にライヴ関連が中止に追い込まれ、個人的にも些か寂しい限りであるのが正直なところです。
数年前に70年代イタリアン・ロック界を飾った大御所勢がこぞって大挙来日を果たし、文字通りイタリアン・ロックのライヴの聖地でもある川崎クラブチッタで公演を行った奇跡(軌跡)…PFM、バンコ、オザンナ、ニュー・トロルス、ラッテ・エ・ミエーレ、マクソフォーネ、チェルベッロ、果てはRRRといった俄かに信じ難いイタリアン・ロック史の一頁に名を馳せた生ける伝説達による、まさしく神憑りにも似た荘厳なるパフォーマンスに聴衆たちは歓喜熱狂し酔いしれた日々が今となっては遥か遠い思い出の様な出来事に思えてなりません。
一日も早くコロナウイルス禍が沈静収束化し、またあの時と同じ様にライヴの熱気が体感出来る瞬間が再び巡って来る事を切に願わんばかりです…。
前述したバンド勢も然る事ながら、未だ来日公演を果たしていないであろうレ・オルメと同様…過去から現在まで時代と世紀を超越し現在(いま)もなお燻し銀の如く孤高の輝きを放ち続ける煉獄と冥府の申し子達と言っても過言では無い、もはや名実共にイタリアン・ロック界唯一無比の存在と言っても過言では無い“メタモルフォシ”に、8月最初を飾る「夢幻の楽師達」として今一度栄光の焦点を当ててみたいと思います。
METAMORFOSI
(ITALY 1972~)


Jimmy Spitaleri:Vo, Flute
Enrico Olivieri:Key, Vo
Roberto Turbitosi:B, Vo
Mario Natali:Ds, Per
Luciano Tamburro:G
2016年のラッテ・エ・ミエーレとスカルツィ兄弟によるニュー・トロルスファミリー公演から早いものでもう4年の月日が経つが、あの時の鮮烈なまでの熱気と興奮が入り混じった感動は未だ言葉では言い尽くせない位…未だに瞼と脳裏に克明にしっかりと焼き付いて離れていないのが正直なところである(苦笑)。
そんな(良い意味で)生きている現在進行形のイタリアン・ロックに接する事の出来た幸運と至福のひと時が味わえた数年振りの上京と時同じくして、まるで運命の糸に手繰り寄せられたかの如く西新宿の某プログレッシヴ・ロック専門店にて、先のラッテ・エ・ミエーレやトロルスファミリーと同様に現在(いま)を生きるイタリアン・ロックの一片を垣間見せてくれる大ベテランクラス12年振りの新譜と出会う事になろうとは…。
今やカンタウトーレというソロの側面でも実績を収め、近年ではオルメを抜けたAldo Tagliapietraの穴を埋めるべく(一応ゲストという扱いではあるが)参加したDavide “Jimmy” Spitaleri (本文以後はJimmy Spitaleriと呼称)率いる、もはや70年代イタリアン・ロックの伝説という域をも超えた生ける匠という地位に辿り着いた感すら抱かせる、その名はメタモルフォシ。
現在時点で判明しているバンドのバイオグラフィーによれば、1969年にバンドの母体ともなった所謂ビートロック系のI FRAMMENTIにJimmy Spitaleri(余談ながらも彼の出身地は柑橘類の産地で名高いシチリア島である)が参加した事によってメタモルフォシ激動の歩みはここに幕を開ける事となる。
Jimmyが参加しバンドネームがメタモルフォシに改名していた頃ともなると、既に首都ローマを拠点に移し様々なギグやフェスティバルに参加して腕を磨きつつ経験値を上げていたのは言うまでもあるまい。
但し…その時点ではまだプログレッシヴと呼べるには程遠く、傾向からすればサイケ寄りでポップなアートロックと捉えた方が正しい向きかもしれないが。
1972年にビートロック系のアーティストを多く擁するVedetteレーベルから、前71年にデヴューを飾ったパンナ・フレッダに次いでメタモルフォシは『…E Fu IL Sesto Giorno』で華々しくもデヴューを飾る事となる。
デヴューという観点を考慮すればプログレッシヴ前夜ともいえるサイケ&アートロック寄りで、ラヴ&ピース、フラワームーヴメント、イタリア人特有のニヒリズムが反映された内容であるが、既にこの時点に於いてJimmyそして現在まで長きに亘ってバンドの女房役を務める事となるキーボードの
Enrico Olivieri の才能の萌芽は開花寸前だったと言っても異論はあるまい。
特に反戦反核+アメリカへの皮肉が込められた初期の名曲「Hiroshima(ヒロシマ)」は彼等なりの面目躍如が際立ったアイロニーなシニカルソングとして、ある意味に於いて次回作の名盤『Inferno』へと繋がる片鱗すら感じるというのも頷けよう。
ちなみに5人編成のデヴュー当初、バンドメンバーの風貌からして皆相当にひと癖ふた癖もあり気な曲者揃いといった感は当たらずとも遠からずといったところではあるが、Alan Sorrentiの『Aria』よろしくといった感を漂わせたJimmyのいでたちに後々のカンタウトーレ路線に移行する彼なりの反骨精神が仄かに窺えるというのは考え過ぎだろうか…。
明けて翌73年、世界的規模に席巻したプログレッシヴ・ムーヴメントの波は第一次イタリアン・ロックへの追い風となり、そんな時代背景に後押しされるかの如くPFM、バンコ、ニュー・トロルス、オルメ、オザンナ、フォルムラ・トレ、アレア、果てはムゼオ・ローゼンバッハ、チェルベッロ…等のバンドがこぞってユーロ・ロック史に燦然と輝く名作・名盤を世に送り出したのは周知の事であろう。
御多聞に漏れず概ね好評だったデヴュー作での後を受けてメタモルフォシも前作以上にJimmyとEnricoを先導とした本格的なプログレッシヴ路線のカラーを強めていく次第であるが、この時点に於いてオリジナルメンバーだったギタリストのLuciano TamburroとドラマーのMario Nataliがバンドを抜け、ギターのパートはベーシストのRoberto Turbitosiが兼任する事となり、新たなドラマーとしてGianluca Herygersを迎えた4人編成で、メタモルフォシ70年代の最高傑作にして名作と名高い2nd『Inferno』への製作に臨む事となる。

バンコやラッテ・エ・ミエーレに追随するかの様な重厚且つ壮麗なキーボード群の活躍も然る事ながら、イルバレやムゼオにも匹敵する邪悪な闇の旋律(戦慄)を謳い奏でる様相は、ダンテの『神曲』さながらの煉獄が目の当たりで 繰り広げられるかの様な錯覚にすら陥ってしまいそうで、名実共
に彼等の代表作・代名詞になったのは言うに及ぶまい。
この本作品での地獄譚である種の感触と確信を得たJimmyとEnricoであるが、それが後年の21世紀に於いてライフワークへと繋がっていくとはあの当時では到底思いもよらなかった事であろう。

蛇足みたいな話で恐縮ではあるがVedetteレーベル時代のデヴュー作と2ndについて、イタリアン・ロックのファンの方々なら既に御承知の通りデヴュー作の製造番号(規格番号)がVPA 8168、そして2nd『Inferno』の製造番号がVPA 8162という番号順違いで、日本に紹介された当初は『Inferno』がデヴュー作ではないかといった誤った情報が先走ってしまって大なり小なりの混乱が生じたとの事だが、レーベル側の単純なナンバリングミスだったのか、それともよく有りがちなプリントミスだったのか、果ては会社側とスタッフによる思い違い・勘違いだったのかと取れる向きもあるが、今となっては真相は藪の中の言葉通り知る術もままならないというのが大筋の見解みたいだ(苦笑)。
蛇足ついでに…個人的な意見で申し訳無いが、1983年にマーキー誌(当時はマーキームーン)のVol.012のイタリアン・ロック特集で、メタモルフォシの2nd『Inferno』が初めて紹介された時のレヴューを拝読した時の感想といったら、あまりの無責任さ丸出しの文面に思わず閉口してしまったのを今でも記憶している…。
その一部を抜粋するが…“バンコやラッテ・エ・ミエーレに魅せられたことのある人がこの音を聴けば、きっと溜め息が出てしまうに違いない。この文章を読んだ時、あなたは一体どうすれば良いのか。札束を握りしめてレコード店に駆け込むのか。あるいは微力ながらも、日本発売を望む声をレコード会社やマーキー・ムーンに寄せるか。それとも端から諦めて知らんぷりを決め込むか。どれを選ぶもあなたの自由だ。とにかく、よく考えていただきたい。”(原文ママ)
先人の書き手の方には申し訳無いが、これほどまでに蛇の生殺しにも等しい読み手やリスナーに向けて丸投げしたかの様な責任転嫁めいた文面に辟易した事は無かったと、この場をお借りして改めて問い質したいのが率直なところでもある。
まるであたかもゴリゴリのコレクター目線+廃盤マニアの上から目線で物申すかの如く、レアアイテム自慢を見せつけられている様で憤懣やるせない気持ちでいっぱいになってしまい、悲しいかなメタモルフォシの『Inferno』となるとすぐさまマーキー誌の無責任レヴューを連想してしまうから正
直困ったものである…。

話が横道に逸れたがメタモルフォシというバンドにとって一大傑作アルバムとなった『Inferno』も、当時のイタリアン・ロックムーヴメントの波に乗るべく世に躍り出た次第であるが、ビートロック系が売りのVedetteレーベル自体が『Inferno』の作風にに難色を示したからなのだろうか、あまり積極的とは言い難い様なプロモート不足が災いし、バンド側の予想に反し思った以上にセールスが伸び悩み、結果的にバンドとレーベル側との間に大きな溝と軋轢が生じ関係は悪化…よくある話ではあるが売り上げの成果が見込まれない以上は無用のお荷物と言わんばかりにVedetteはメタモルフォシを放出。
JimmyとEnricoは『Inferno』以降の3rdアルバムを計画し、作曲とリハを重ね録音の準備に取りかかっていた矢先に不本意な頓挫という憂き目に遭い、メタモルフォシにとって最悪の70年代はここで敢え無く幕を下ろす事となる…。
Jimmyの気持ちを代弁するという訳ではないが、心の奥底から“この恨みは決して忘れないからな…”と言わんばかりに、彼自身の反骨精神に益々拍車が掛かった事だけは確かな様だ。
メタモルフォシ解散後Jimmyは単身渡米し、イタリアでの悪夢を払拭すべくいくつかのバンドを渡り歩きつつ孤高の道をひたすら歩み続け、心身ともにリハビリを済ませて70年代後期に漸く帰国の途に着き79年Deltaレーベルより彼のニックネームを冠した『Thor』、そして翌80年にCiaoレーベルより『Uomo Irregolare』(マウロ・パガーニが全面的にゲスト参加している)という2枚のソロ作品のリリースへと至る。
実質上プログレッシヴから完全に遠ざかった形で時代相応のカンタウトーレ系ポップシンガーとして再出発を図りイタリアのミュージックシーンに返り咲いた訳であるが、彼自身母国イタリアにて牛歩的なマイペースで創作活動を行う一方、イギリスのポンプロック・ムーヴメントから波及したプログレッシヴ・リヴァイバルの動きがじわりじわりとイタリア国内にも飛び火している事を察知した彼の心の奥底に再びプログレッシヴへの情熱に火が付いたのは言うまでもなかった。
皮肉とも言うべきか…80年代半ばに降って湧いた様なブリティッシュ・ロックとイタリアン・ロックのレアアイテム級の名作・名盤(メタモルフォシの『Inferno』も然り)が、ブート紛いという形で録音の良し悪しやら出来不出来を問わず多数もの不正規の再発盤として世に出回り新たなファンや
プログレッシヴの継承者に大きな影響を与えたのも大きな追い風となった次第である。
80年代中期から90年代全般にかけて勃発したイタリアン・ロック復権の狼煙は結果的に70年代のバンドが改めて見直され、解散に追い込まれた数多くのバンドが徐々に復活再結成の動きを見せ始め、加えて雨後の筍の如く続々と新たな世代のバンドの登場で、今日の21世紀イタリアン・プログレッシヴへと繋がる再興の礎となったのは紛れも無い事実と言えるだろう。
90年代ともなるとJimmyはこの機に乗じてメタモルフォシ解散以後も親交のあったEnricoを再び呼び寄せ、セルフプロデュースによるソロコンサート+メタモルフォシ・リユニオンギグを敢行。
自身のソロアルバムのパートのみならず、70年代メタモルフォシ期のナンバーを織り交ぜた多彩なレパートリーで多くの聴衆を魅了しつつ、少しずつ小出しにしながら幻の3rdのパートを再構成した新曲をも繰り広げていくのである。
そんなJimmyとEnricoの熱意に絆され、2人の新メンバーLeonardo Gallucci(B&G)、Fabio Moresco(Ds, Per)が加わり、21世紀初頭にめでたくメタモルフォシは復活再結成を遂げ、長い間寝かされ続け熟成された感の幻の3rdを甦らせるべく当時のプログレッシヴ専門の新興レーベルPROGRESSIVAMENTEより、2004年…実に何とも足かけ31年振りの新譜として煉獄シリーズ第二章ともいうべき3rd『Paradiso』をリリースし、新旧のイタリアン・ロックファンの度肝を抜くと共に瞬く間に復活を祝す喝采と歓声を浴びる事となった。

70年代にてバンドの解散前夜に曲想とアイディアが既に熟考され練られていたとはいえ、時代と世紀を越えてブランクや遜色すらも感じさせず、良い意味で何一つ変わっていない…これぞメタモルフォシ!ともいうべきめくるめくイタリアン・シンフォニックの世界が聴く者の脳裏に色鮮やかに響鳴する様は、世界各国のイタリアン・ロックを愛する者が驚嘆感涙したに違いないだろうし、最早地獄の迷宮巡りをも超越した感動以外の何物でもあるまい。

時を経て2011年、レ・オルメ通算17作目の『La Via Della Seta』にJimmyがゲスト参加した以外、これといった新譜情報やら公式なアナウンスメントが聞かれないままメタモルフォシは再び長き沈黙を守るが、彼等はひたすら長い時間を費やして我々の知らないところで着々と新譜の準備を進めていたのだった。
2016年、12年振りの煉獄シリーズ第三章ともいうべきファン待望の新譜4th『Purgatorio』がリリースされ、かつて栄光と挫折との狭間で揺れ動き悩んでいた彼等が21世紀の現在もなお現役バリバリにイタリアン・ロックの第一線で活躍しその逞しさと健在ぶりを全世界にアピールしている真摯な姿勢に、改めて不思議な感慨深さと隔世の感をも覚えてしまう…。

『Paradiso』に引き続きJimmyとEnricoを主導とした不動のラインナップで紡ぎ織り成す重厚且つ荘厳な音楽回廊に、改めて70年代から繋がっているイタリアン・ロックの王道と伝統を頑なに守り続けている誇り高きプライドと職人芸の域をも超越した匠の気概すらも禁じ得ない。
ひと昔前こそ70年代イタリアン・ロックの幾数多もの偉大なる音楽遺産は良くも悪くも時代の遺産・置き土産的な見方でしか捉えられず、私を含めて多くのファンが“所詮彼等は手を伸ばしても届かない雲の上の存在”でしかなかった訳であるが、21世紀の現在(いま)となっては年に何度かイタリアン・ロックのレジェンド達がこぞって来日を果たし、70年代の名曲から昨今の新曲に至るまでファンの為なら惜し気も無くステージで白熱の演奏を魅せてくれるという、伝説というベールを取り払いステージ上でオーディエンスの目線に立って自らの音楽を堂々とアピールしている…そんなアーティストとファンとの地続きの幸運な時代であるという事を今一度噛みしめなければならないと思えてならない。
大御所PFM然り、過去にはバンコが、ニュー・トロルスが、オザンナが、ラッテ・エ・ミエーレが、マクソフォーネが…etc、etc。
私達がイタリアン・ロックを未来永劫愛し続ける限り、彼等はいつだって期待に応えてくれる事をこれからも信じ続けて後世に繋げていこうではないか。
Jimmy、コロナウイルスが沈静収束した暁には来日のお膳立ても万全だ!いつでもステージは整っているし、あとは貴方達のスケジュール次第、日本のファンの皆が期待して待っているよ!
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