一生逸品 ODISSEA
今週の「一生逸品」は、名実共に70年代イタリアン・ロック百花繚乱たる黄金時代に於いて、たった一枚の奇跡に値するかの如くほんの束の間の輝きにも似た秀作を残し、静かに自らの幕を下ろした隠れた抒情派“オディッセア”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
ODISSEA/Odissea(1973)
1.Unione
2.Giochi Nuovi Carte Nuove
3.Crisalide
4.Cuor Di Rubino
5.Domanda
6.Il Risveglio Di Un Mattino
7.Voci
8.Conti E Numeri


Roberto Zola:Vo, 12st-G, 6st-G
Luigi“Jimmy”Ferrari:El-G, 12st-G, 6st-G
Ennio Cinguino:Key
Alfredo Garone:B, Vo
Paolo Cerlati:Ds
オディッセアが如何なる経緯で結成し、本作品リリースまでに至る道程を経たのかは…誠に残念ながら今現在の私自身ですらも知る術がないのが正直なところである。当然の事ながら、解散後の各メンバーのその後の消息すらも全くと言っていい位解らず終いである。
唯一判明しているのは…1973年に、イタリア大手のリコルディ系列の当時新興レーベルのRifiに自らのバンド名を冠した唯一作のアルバムと1曲目と4曲目をカップリングしたシングル一枚を残しているのみだけであるという事。
彼等=オディッセアは、マーキーの「ユーロピアン・ロック集成」並び「イタリアン・ロック集成」において、演奏力から録音に至るまで良くも悪くも所謂“中堅処”に位置する存在としてある程度の評価を受けており、確かにPFMやバンコ、ニュー・トロルス、オザンナ、オルメ…等といったクラスには及ばないかもしれないが、唯一の身上として高く評価出来るところ、それは一連のカンタウトーレ系やラヴ・ロックにも相通ずる“純粋さ”そして“瑞々しい歌心”を始め、時折演奏の要所々々に感じられるハッとする妙味と巧みさ、哀愁の篭った感傷的なメロディーラインに、胸を掻き毟られる様な恋情にも似た欧州的叙情性に心を揺り動かされる方、心の琴線に触れるものを感じる方なら是非とも一聴をお奨めしたい、まさに逸品級の作品であろう。
サウンド的なバック・ボーンとして察するに辺り、やはりジェネシスやイエス、PFMからかなり影響を受けていると思う。
付随して当時のイタリア独特の香り・パッションも散りばめられていて、良い意味で如何にも万人受けするイタリアン・ロック初心者でも充分すんなりと受け入れられ易い好作品と言えよう。
どっち付かずな散漫な印象といったマイナス面は確かに否めないが、あの当時1973年のイタリアン全盛期の真っ只中において、個性とアク(ムゼオ始めチェルベロ、RRR…等)の強さが強調されがちだった風潮の中、彼等は何物にも染まらない独自の色合いで清々しくもたおやかな爽風そのものがシーンを駆け巡っていったかの様な、まさしく“束の間の夢”そのものだった…そんな気がしてならない。
1曲目は端正なアコギとオルガンの調べに導かれ、けたたましくも劇的なストリング・シンセの高らかな響きにRoberto Zolaの渋くもしゃがれたヴォイスが切々と染み渡る、オープニングに相応しいナンバーで、途中の転調部はややイエス辺りからの影響をも窺わせる。
2曲目は、遠く彼方から聴こえてくるアコギと小気味良いシンセにRobertoの優しさと力強さが同居した歌いっぷりが素晴らしくて、曲中間部はまさに全盛期のイタリアの音そのものである。
唯一のインスト曲の3曲目は、今までオディッセアを聴かず嫌いだった方々をも唸らせるキーボードが大活躍の好ナンバーで、この曲だけでも、オディッセアを買って損は無いと思う。
爽やかな海風を思わせるアコースティック・ギターの重奏が印象的な4曲目、優しくもどこか懐かしさを感じ心穏やかに癒されるメロディーと子供の語りが泣かせる5曲目、タイ・フォンの作風にも近い6曲目なんて心が締め付けられるかの様な感傷的でリリシズムな響きと歌いっぷりが素晴らしく中盤辺りなんて思わず一緒に口ずさんで熱唱したくなる位である。

7曲目にあってはイタリアン・ラヴロックも顔負けの熱唱とキーボード・オーケストレーションが聴き物・涙物の秀曲で、続くラストの8曲目は如何にも終焉に相応しいリリカルでバラード風な味わい深さと、青春の残り香、ほろ苦さを感じずにはいられない。
なかなか正当な評価が得られる機会も少なく、作品的・知名度的にもやや低い感(失礼!!)はあるものの、願わくば…どうか真っ白な画用紙の様に心を空っぽにして音に接してみて欲しい。
其処には情熱的な喧騒の中にも人懐っこくてどこか寂しがりやなイタリア人の“生”の息遣いが伝わってくるかの様ですらある。ロカンダ・デッレ・ファーテ級とまではいかないもののそれに肉迫する心象すら秘めており、かのグルッポ2001、ブロッコ・メンターレ、アルーザ・ファラックス、アポテオジ…等と共にもっともっと評価されても良いのではと思う。
余談ながらもヴァイニール・マジックの2001年初版CD化に際し、マスターが紛失してしまったからか恐らくはLP音源で落としたものからかは定かでは無いが、正直お世辞にもあまり褒められたレベルの代物とは言えず音質自体やや劣っているのが正直なところであるが、却ってこれが逆に古き良きアナクロニズムを仄かに醸し出してて実に効果的ですらあるから面白いものである。
個人的にもあんまり縁起でもない様な不謹慎な事を言いたくはないが、摩訶不思議なジャケット・ワークが何度見てもビルから投身自殺した現場にしか見えないから困ったものである…。
余談ついでに本作品の使用楽器のクレジットにあってはメロトロンと堂々クレジットされてはいるものの、厳密に言うとソリーナか或いはエルカのストリング・アンサンブルである事を御容赦願いたい(苦笑)。
彼等の唯一作が2001年にたった一度きりプラケース仕様でCDリイシュー化されてから早いものでもう20年近く経とうとしているが、そんなすったもんだあった不遇にも似た扱いから数年後にはマーキー・インコーポレイテッドの手により、デジタルリマスターでSHM-CD化され、よりクリアーで鮮明な彼等の音世界が私達の脳裏にまざまざと甦っていく事であろう。
願わくば対訳された歌詞の一節々々にじっくりと目を通しながら作品を堪能して頂けたら嬉しい限りである。
私のみならずイタリアン・ロックを愛する全てのファンにとって、オディッセアが遺した純粋無垢なまでの一枚の作品は至高にして至福な贈り物であると共に、彼等の生き様は決して安易に幻とか伝説なんて陳腐な表現では言い尽くし難い位に、これからも未来永劫新たな世代に聴き続けられる気高い魂の音楽として語り継がれてほしいと私は信じて止まない…。
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