夢幻の楽師達 -Chapter 53-
以前当『幻想神秘音楽館』にて「夢幻の楽師達」のアイズ・オブ・ブルー、そして「一生逸品」にてバンド改名し音楽的にも進歩を遂げたビッグ・スリープを前後篇形式で取り挙げた事がありましたが、今回久々にその前後篇形式の第二弾として、今週は「夢幻の楽師達」から“ウェブ”、そして「一生逸品」にてウェブから発展的進化(深化)を遂げた“サムライ”を取り挙げ、カンタベリーシーンとは異なったブリティッシュ・ジャズロック界に於いて、異端でカリスマ的ながらも長年伝説ともいえる存在としてその名をブリティッシュ・プログレッシヴ史の一頁に刻みつつも時代の荒波に抗ってきた苦難と闘いの男達の生き様に、今一度栄光という名のスポットライトを当ててみたいと思います。
THE WEB
(U.K 1966~1970)


John L Watson:Vo
Jon Eaton:G
Tony Edwards:G
Tom Harris:Sax, Flute
Dick Lee-Smith:B, Per
Kenny Beveridge:Ds
Lennie Wright:Vibes, Per
ビートルズの人気旋風が世界中を席巻していた当時、時同じくしてイギリスに於いてブリティッシュ・ジャズムーヴメントも黎明期真っ只中であったのは周知であろう。
南イングランドはドーセット州の地方都市ボーンマスを拠点にしていた一介のジャズ系ローカルバンドSOUNDS UNIQUEを率いていたギタリストTony Edwardsと、かつてバンドメイトでもあったロック系ギタリストJon Eatonとの邂逅で、ブリティッシュ・ロックバンドの異端的存在ともいえるウェブは1966年その歴史の幕を開ける事となる(余談ながらも同じドーセット州のウィンボーンはかのロバート・フリップの出身地である事も忘れてはなるまい…)。
まあ…実質上は“ヨーロッパへツアーしよう、レコードデヴューの話もある”と言ったTonyの言葉(口車!?)にJonが乗ってしまった様なものだが、いずれにせよSOUNDS UNIQUEはJonというもう一人のギタリストを得て、4ヶ月間にも及ぶヨーロッパ(フランス始め当時の西ドイツ、スイス含む)ツアーを敢行。
それ相応の手応えと成果を得てイギリスに前途洋々帰国した彼等を待ち受けていたのは、大手ポリドールからのレコードデヴューの話が御破算白紙になったとの…一気に天国から地獄へ突き落とされた様な知らせにSOUNDS UNIQUEの面々は意気消沈するものの、気を取り直しいつか絶対に見返してやると発奮した彼等はボーンマスからロンドンへと活動拠点を移し、同時期に併行してロンドンのジャズクラブ界隈で注目を集めていたアメリカ出身の黒人シンガーJohn L Watsonを新たなヴォーカリストとしてメンバーに迎え、バンドネーミングも心機一転THE WEB(ウェブ)へと改名する。
THE WEBとしてジャズ、ラテン、そしてソウルミュージックをも内包した独自の音楽世界観を保持しつつ、ロンドン市内の名立たるジャズクラブにて地道且つ精力的な演奏活動の日々に勤しむ内に、ロンドンのミュージシャンの仲間内及びレコード会社のトップクラスからも着実に注視され認知度を高めていった彼等に千載一遇のチャンスが訪れたのは1968年、かのブリティッシュ・ロック期のフリートウッド・マックを世に輩出した名プロデューサーMike Vernonの目に留まったTHE WEBはMikeプロデュースの下、オーケストラアレンジャーにTerry Noonan を迎え
大手老舗レコード会社デッカ傘下のデラムレーベルより『Fully Interlocking』をリリースし、華々しくも遂に念願のデヴューを飾る事となる。
ただ…予め断っておくが、後年バンドの最高傑作となる3作目『I Spider』を聴いた後にデヴューアルバムに接した大半のプログレッシヴ・ファンの口からは、全く以って期待外れなジャンル違いの作品と酷評される向きも多々あるという事を肝に銘じて貰いたいという事であろうか(苦笑)。
ブリティッシュ・ハードロックの大御所ディープ・パープルでさえデヴュー初期(第一期)にあってはプログレッシヴ寄りなアートロック志向だった事を踏まえれば、サイケカラーなソウル&ポップス系でデヴューしたウェブとて大胆なメンバーチェンジを経てプログレッシヴ・ジャズロックへと転化した事は何かしら必然的な変化と予兆を見据えていたと推測しても当たらずも遠からずと思えてならない…。

兎にも角にもドギツイ様相の原色を多用した、お世辞にも美麗とは言い難い毒々しくもサイケデリアな時流を反映したジャケットアートで、名は体を表すの言葉通りソウルフルなラテンパッションを鏤めたジャズィーなポップミュージックで占められたデヴューアルバムであったが(組曲形式のラスト10曲目がプログレッシヴへの端緒というかアプローチが垣間見える)、イギリス国内ではさほど話題にならずセールス的にも成功とは程遠い結果となり、アルバムからシングルカットされた“Hatton Mill Morning/Conscience”も不発に終わり、ウェブはデヴュー早々から大きくつまずき改めて音楽業界の厳しい洗礼を受けてしまう次第であった。
が、同年11月にTHE WEB with John L Watson名義でリリースされた2ndシングルが海の向こう側のオランダとベルギーを始めとするヨーロッパ諸国でヒットとなり、翌69年にリリースされた3rdシングルもヨーロッパ国内で好セールスを記録しウェブは実質上後年のジェネシスやGGよりも先駆けてヨーロッパで売れたブリティッシュ・バンドとして認知されたのは言うまでもあるまい(あくまでプログレとしてではないが…)。
…が、3rdシングルリリースから程無くして、所詮一過性に過ぎないポップソング人気である事を危惧したMike Vernonの鶴の一声で、彼等ウェブ本来の持ち味を活かしたソウルでジャズィーなサウンドカラーに戻した2ndアルバムリリースを提案される。
初心に還ろうという意味合い含め…原点回帰、軌道修正、或いは仕切り直しといった様々な見方こそあれど、デヴューアルバムで妥協し多少無理していた部分があった事にメンバーの大半が大なり小なりのもどかしさを覚えていたのだろう、Mikeの提言に賛同した彼等は本当に演りたい音楽を演ろうという指針の下、同年暮れに2ndアルバム『Theraphasa Blondi』をリリース。
デヴューアルバムで描かれた毒々しいサイケカラーな意匠から一転して、野鳥を捕食する大蜘蛛のフォトグラフを起用した悪趣味丸出しなジャケットアートに、ダークサイドなブリティッシュ・アンダーグラウンドの一端が垣間見えると好意的に捉えるファンもいれば、おおよそ虫嫌い(特に蜘蛛嫌い)な向きからは毛嫌いされそっぽを向かれるといったところだろうか。
アルバムタイトルでもあるTheraphasa Blondiとは、南米生息の大蜘蛛“ルブロンオオツチクモ(別名ゴライアス・バードイーター)”の意で、バンド名でもあるウェブ=蜘蛛の巣に引っかけたもので、個人的にこんな事を述べるのは非常に申し訳無いが…LP盤サイズないしCDサイズ問わず大きさが変ろうと変るまいと、あまり目にしたくも無いし買うのも躊躇する事だろう(苦笑)。
肝心要のサウンド面では前デヴュー作で感じられた多種多彩な音楽性を詰め込み過ぎな見切り発車的で、幾分消化不良な雑多な感は否めなかったが、2作目の本作品にあってはクリームのナンバーを取り上げたり、バーンスタインの作品をメドレーアレンジしたりと意欲的な試みが窺えながらも、自らの演りたい音楽性が如何無く発揮されたジャズィーでソウルフルに富んだ快作に仕上がっており、John L Watsonの力強くもジェントリーで且つダイナミズム溢れるヴォーカルが存分に活かされた、(悪趣味なジャケットを差し引いても)まさしく本領発揮と言わんばかりの意気込みすら感じられ、ある意味ロックバンドサイドに立ち返ったであろう改めて再出発に相応しい充実した内容を誇っている。
しかし悲しいかな、全力投球し果敢に挑んでリリースした自信作もジャケット・アートが災いしたのか、本国イギリスのみならずヨーロッパでも決定的なブレイクするまでには至らず、セールス的にも伸び悩みこれをきっかけにバンドサイドとMike Vernonとの間に大きな隔たりが生じ、レコーディ
ング・チームも解消せざるを得なくなった結果デッカレーベルとの契約も終了という憂き目に遭ってしまう。
デッカから離れた後、翌1970年のプログレッシヴ・ロック元年…人伝とコネを頼りに新天地を求め新たにポリドールへ移籍するも、長年のツアーサーキットで心身ともに疲弊していたベーシストのDick Lee-Smithがバンドを離れる事となり、それに呼応するかの様にヴォーカリストのJohn L Watsonもバンド活動での限界を感じ、かねてからソロ・シンガーの道を志していた事を理由にバンドから脱退。
ウェブは心機一転の矢先バンド存続という大きな危機を迎えるが、臆する事無くJon Eatonのベーシスト転向に加えてサウンド面での強化を図るために、旧知の間柄でもあったDave Lawsonをキーボード兼リード・ヴォーカリストに迎え、60年代のTHE WEB時代に訣別するかの様にTHEを外し新たにWEBへと改名。
ロック、ジャズのみならずクラシックにも造詣の深いDaveのキーボード・プレイ…ハモンドのみならず、ピアノ、メロトロンを大々的に駆使したスキルの高さはウェブにとっても新たに大きな原動力となったのは言うまでもあるまい。
ポリドールという新たな製作環境でたった5日間(!?)という僅かな限られた録音期間という、あまりに過酷で切迫した日数を費やしながらも、まさしく奇跡の為せる業の言葉通り彼等の作品中に於いて最高傑作でもあり後年ブリティッシュ・プログレッシヴの名作・名盤として挙げられる通算3作
目にして快作(怪作)の『I Spider』は1970年の暮れにリリースされる運びとなる。

ソウルフルだった一介のジャズロックから、Dave Lawsonという大いなる才能を得て見事にプログレッシヴ・ロックへとシフト・転身した充実ぶりはもはや説明不要と言っても過言ではあるまい。
クリムゾンやVDGGばりのヘヴィでジャズィー、クラシカル・シンフォニックなエッセンスを鏤めながらも深く重くダークに畳み掛ける極上にして漆黒の音空間は、収録された全曲のスコアを手掛けたDaveのコンポーズ能力も然る事ながら、文字通り6人のメンバー全員の演奏力が渾然一体となった結晶そのものであると言っても異論は無かろう。
2作目の悪趣味なジャケットで味を占めたのか、悪趣味な傾向のジャケットアートは更に拍車を掛け、動物の頭に見立てた影絵の様な手の形を動物や鳥類のボディに嵌め込んだ、悪趣味極まりないの言葉を通り越した不気味でダークな意匠も、一目見ただけで実に忘れ難い。
『I Spider』なるアルバムタイトルも、2作目の大蜘蛛のフォトグラフに倣ってインスパイアというか意趣返しみたいな感が見受けられ、あたかもデッカ時代への恨み節とでもいうか皮肉っぽさが込められていると思えるのは些か穿った見方であろうか…。
余談ながらも個人的には、50年代ハリウッドの巨大化したタランチュラが暴れ回る(良い意味で)SFB級パニック映画テイストな不気味さと怖さすらも想起出来ると言うのは言い過ぎだろうか…。

しかしまたしても悲しいかな…心機一転で臨んだ会心の自信作も、ポリドールサイドが期待していたセールスには到底程遠く、僅かたった一年足らずでウェブはポリドールとの契約が解除され放逐されるという憂き目を見てしまう。
このブログでも何度か述べてきた事だが、古今東西世界各国いつの時代に於いても心打つ感動的な素晴らしい音楽が必ずしも売れて大成するとは限らない事は明白であって、ジャンルごとに専門分野のレーベルが細分化の如く数多く設立されている21世紀の今日とは違い、70年代の音楽産業は成果
と売り上げ次第で合否が決まるといった具合で、それはさながら喰うか喰われるかといった半ば悪魔との取り引きにも似た…ギャンブルめいた人生と運命の駆け引きそのものだったと思えてならない。
無論レコード会社とて慈善事業の団体様では無いが故に、生活だって懸かっているから一方的に攻める訳にもいかないのだが…改めて打算的とでもいうか皮肉めいているというか。
うっかり話が横道に逸れてしまったが、ポリドールとの契約解除で放り出されたウェブの面々に追い討ちをかけるかの様に、長年苦楽を共にしてきたサックス兼フルートのTom Harrisまでもがバンドを去っていき、ウェブは実質上Daveを始めTony、Jon、Kenny、Lennieの残された5人で継続させる事で落ち着き、失意に浸る間も無く新たなる存続への道を模索する事となり、決して開き直ったという訳ではないものの、もはやメジャーなレコード会社とは一旦断ち切ってインディーズでマイナーなレコード会社で起死回生と活路を見い出そうと逆に発奮し、自らの存在意義たるものを今一度証明したいが為に、心と決意新たに70年代という時代に真っ向から勝負を挑んでいく事を選択したのである。
翌1971年、ウェブは一切合財の過去や栄光を捨てて、正真正銘の起死回生と心機一転でバンド名を改め士(もののふ)の精神で自らをサムライ(SAMURAI)と名乗り、百花繚乱なブリティッシュ・ロックシーンという名の戦場へと赴いて行くのであった。
…to be continued
※ 「一生逸品」SAMURAIの章へと続く。
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