一生逸品 SAMURAI
今週の「一生逸品」は先日の「夢幻の楽師達」で取り挙げた前篇のウェブの続きをお届けします。
ウェブ時代の最終作にして最高傑作として名高い『I Spider』で構築された、その一種独特なる音楽性の発展形ともいえるプログレッシヴ・スタイルの孤高なるバンドとして生まれ変わった“サムライ”を後篇に取り挙げ、大英帝国のロック黄金時代の幕開けにしてブリティッシュ・アンダーグラウンドという名の混沌と暗中模索に彩られた大いなる渦中に果敢なる闘いを挑んだ、時代の中でのほんのひと握りの栄光を夢見た誇り高き士(もののふ)達の生き様に、私達は今一度輝かしいスポットライトを当ててみたいと思います。
SAMURAI/Samurai(1971)
1.Saving It Up For So Long
2.More Rain
3.Maudie James
4.Holy Padlock
5.Give A Little Love
6.Face In The Mirror
7.As I Dried The Tears Away


Dave Lawson:Key, Vo
Tony Edwards:G
Jon Eaton:B
Kenny Beveridge:Ds
Lennie Wright:Vibes, Per
前回までのあらすじ ~
ブリティッシュ・ロック及びブリティッシュ・ジャズシーンが新たなる時代の曙にして希望と夢に満ちた幕開けを迎えつつあった60年代中期~末期にかけて、南イングランドはドーセット州の地方都市ボーンマスを拠点にしていた一介のジャズ系ローカルバンドSOUNDS UNIQUEを率いていたギタリストTony Edwardsと、かつてバンドメイトでもあったロック系ギタリストJon Eatonとの邂逅で、ブリティッシュ・ロックバンドの異端的存在ともいえるウェブは1966年その歴史の幕を開ける事となる。
百花繚乱と複雑怪奇な背中合わせの思惑が渦巻く当時の英国のミュージックシーンに於いて、ウェブのその後の道程と歩みたるや決して平坦で安穏とは言い難い、それはまさしく一握りの一夜の栄光と大いなる躓きと挫折の連鎖、希望と失意の繰り返しそのものと言っても過言ではあるまい。
ヨーロッパでの成功に相反し本国イギリスでの予想外のセールス不振に加え、大手レコード会社並びスタッフへの軋轢と不信感の重なりは、音楽業界お決まりとも言うべき理想と現実のギャップを嫌というほど味わされ辛酸をも舐めさせられた彼等にとって重圧となってのしかかっていくが、メンバーチェンジと路線・方針転換によって一介のブラス&ジャズロックバンドから、70年代という時代相応に臨んだプログレッシヴ・ロックへシフトしていく事となる。
ウェブは通算第3作目にして最高のクオリティーを誇る傑作『I Spider』をリリースし、自らの存在意義を改めて表明したものの、大手ポリドールからの期待に反しまたしてもセールス不振を招きレコード会社からも放逐という憂き目に遭ってしまう(後年『I Spider』が再評価され、ブリティッシュ・プログレッシヴの名作に数えられるというのも何とも皮肉な限りであるが…)。
商業的な成功こそ収められなかったが、『I Spider』で参加したキーボーダー兼ヴォーカリストDave Lawsonという新たなメロディーメーカーにしてキーパーソンを得たウェブは、心機一転Daveを主軸とした5人編成(同時期にサックス&フルート奏者のTom Harrisが抜けた事も一因している)でバンドの立て直しを図り、メジャーなレコード会社とは一旦距離を置いた形でデッカレーベル傘下のマイナー系レーベルGreenwich Gramophone Companyで活路を見い出そうと決意を固める。
こうして彼等5人はウェブ時代の過去と一切合財訣別し、正真正銘の起死回生でバンド名改め士(もののふ)の精神で自らをサムライ(SAMURAI)と名乗り、1971年…百花繚乱なブリティッシュ・ロックシーンという名の戦場へと再び赴いて行くのであった。
実質上はウェブの4作目と捉える向きも多々あるが、ウェブの『I Spider』で得られた音楽的経験とある種の手応えを弾みに、バンドの改名とサウンド面含めて大幅なステップアップと並々ならぬ向上心と野心すら抱かせる文字通り70年代初頭のブリティッシュ・アンダーグラウンド黎明期を飾るに相応しい好作品に仕上がっているのは最早言うに及ぶまい(クリムゾンの『宮殿』と『ポセイドン』同様、ほぼ姉妹的な作品であると関連付けても当たらずも遠からずといったところだろうか…)。
ウェブ時代からの毒々しいサイケカラーのデヴューアルバム以降、野鳥を捕食する大蜘蛛、動物を模した影絵の様な手の形とガチョウ、キツネ、ウサギとがコラージュされた見た目不気味さ満載の悪趣味なオンパレードのアートワークが付きものの彼等ではあったが、これで味をしめたのかどうかは定かではないが…サムライ名義で再出発したにも拘らず、本作品でも悪趣味というか卑猥にして淫靡とでもいうのか、おおよそ美麗な意匠とは若干かけ離れた(まあ、よくあるパターンとでもいうのか)間違いだらけで勘違い甚だしい誤った認識なジャポニズムが描かれた、西洋人らしい浮世絵の解釈…あるいは春画っぽさも感じられる、見方を変えれば百鬼夜行にも似た冥土で情事に耽る男女の亡霊すらも想起させる独特の世界観を醸し出しており(サングラスしてハッパ=薬なのかLSDなのか煙草なのかを決めている男の指なんて完全白骨化というか木乃伊だもんな)、これが意外にも骨太で硬派なサムライのサウンドとイメージ的にもマッチングしているのだから、世の中何が幸いするのか実に不思議なものである…。
余談ながらもパープル2代目ギタリストで今は亡きトミー・ボーリンのソロ・アルバムのジャケットを連想したのは私だけだろうか。
アルバムの意匠はさて置いて、Daveを始めTony、Jon、Kenny、Lennieの5人のラインナップに、Daveとは旧知の間柄でもあったTony RobertsとDon Fayの2人の管楽器奏者をホーンセクションに配し、ウェブ時代の混沌としていた感のサウンドから更に一層突き抜けた感+よりシンプルでストレートさを明確に打ち出した、ひと味もふた味も異なった重厚感とアンサンブルを構築し、メンバー間の音楽性とスキルの向上も然る事ながら収録されている全曲共に一切の無駄やら捨て曲が皆無な完全無欠で必聴必至な傑作に仕上がっている。
アップテンポで小気味良いビートの連打を刻むベースとドラムに導かれ、ギターとハモンドが被さり、ノイズィーにイコライジングされたヴォーカル、そしてホーンセクション、ヴィヴラフォンが追随するという、寄せては返す波の如くプログレッシヴなアプローチが全面的に展開され、まさしく彼等の再出発でもありオープニングを飾るに相応しいストレートな曲調とメロディーラインは圧巻の一語に尽き、耳にする誰しもが魅了される事必至であろう。
2曲目は打って変って、静的な雰囲気漂うメロウにしてリリカル…ラテンフレーバーとアフロミュージックのエッセンスをも内包した泣きのフルートとパーカッションの掛け合いが絶妙で、タイトル通りに雨空の憂鬱さと退屈さを醸し出しつつもフルートの音色が妙に艶っぽくエロティックで甘美なフィーリングが印象的ですらある。
個人的には雨の黄昏時にグラス片手に独り静かに佇みながら物思いに耽りたくなる…そんな気分をも抱かせる好ナンバー。
ウェブ時代の『I Spider』の名残すら感じさせる3曲目のヘヴィでダークでメランコリックが混在した燻し銀の様な曲想に、あたかも男の哀愁と孤独感すら漂う悲しげなピアノとアコギ、サックスの共鳴が胸を打ち、さながらブリティッシュ・アンダーグラウンドの光明と陰影すらも照らし出しているかの様ですらある。
続く4曲目も3曲めの流れを汲んだ曲調で『天地創造』や『ポーン・ハーツ』期のVDGGに追随するかの様に、同時代性のリリシズムとストイックさとが隣り合ったジャズィーなセンスが光る佳曲で、楽曲の転調とヴォーカルラインの節回しが絶妙であるが故に終盤フェイドアウトしていくのが何とも勿体無い限りである。
ワウワウを利かせたヘヴィなファズギターのイントロダクションが効果的な5曲目も聴き処満載で、ストレートにロック&ブルーズィーを意識したアップテンポにしてパンチの効いた好ナンバー。
4曲目と同傾向であたかもVDGGをもリスペクトしているかの様な6曲目の孤高で詩情溢れる曲の流れに加えて、プログレッシヴ特有なテープ逆回転ギターフレーズの導入が更なる深みを与えているのが何とも微笑ましい。
深く沈み込むかの如く畳み掛ける様なヘヴィ・プログレッシヴなリフレインが圧巻のラストナンバーは、剛と柔、動と静、押しと引きといった曲調の均衡が存分に保たれ、ハモンド始めギター、リズム隊、ヴィヴラフォン、ホーンセクションとが終局に向かって渾然一体となった、まさしくこれぞサムライサウンドの聴かせ処にして面目躍如を物語っている8分越えの大曲には溜飲の下がる思いですらある。
更に嬉しい事に近年YouTubeにアップされた画像配信には、未発表曲までもが収録された大盤振る舞いな内容となっているので必聴必至は言うに及ぶまい。
デヴューリリースはセールス的にもまずまずの成果を上げ、ライヴフェスを含め数々のギグに参加し、サムライという存在の知名度も徐々に拡がりつつあったものの、運命の悪戯とはどこででどう転ぶか解らないもので…翌1972年、元コロシアムのTony Reevesから新バンド編成の話を持ちかけられたDave Lawsonは、『リザード』リリース後にクリムゾンを辞めたAndy McCulloch と共にDave Greensladeの下に結集。
結果的にDave Lawsonのサムライ離脱でバンドは敢え無く解散への道を辿り、メンバー各々がそれぞれの道へと歩む事となる。
肝心のDave Lawsonに至ってはもう既に御存知の通りグリーンスレイドの主要メンバーとしての座に収まり、解散するまでバンドのキーパーソンを務め上げる次第である。
グリーンスレイド解散後のDave の動向は、かのスタクリッジに在籍したり、後年様々な映像作品やテレビ番組の音楽を手掛ける第一人者として確固たる地位を築き今日までに至っている。
他のメンバーに関しては残念ながらその消息と動向は不明であるが、大半はおそらく現在もなお音楽畑に携わっているものと思われる。

英国のロックシーン黎明期という大海の荒波に翻弄され数奇な運命を辿ったウェブ→サムライであったが、試行錯誤と紆余曲折の連続を積み重ねながらも、自らの進むべき道と存在意義を模索した彼等はセールス云々どうこうを抜きに、決して時代の敗者で終わる事無く…今風に言ってしまえばブリティッシュ・ロック史に大いなる“爪痕”を残し、その軌跡と栄光の証を私達の記憶にしっかりと刻み付けた、文字通りの侍=士(もののふ)の精神を異国の地で受け継いだ勝者に他ならないと、今こそ我等プログレッシャーは堂々と立ち上がって声を大にして讃えようではないか。
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