夢幻の楽師達 -Chapter 54-
8月最後の「夢幻の楽師達」、個人的にいつも初秋のこの時期ともなると時折CD棚から引っ張り出して聴きたくなる、英国ならではの抒情と牧歌的な趣を湛えつつ先鋭的で陰影を帯びたシニカルなメッセージ性すらも孕んでいる、唯一無比にして自らの音楽世界と信念で時代と世紀を歩んできた稀有な存在でもある“ジョーンズィー”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
JONESY
(U.K 1972~)


John Jones:Vo, G, Syn
Jimmy Kaleth:Mellotron, Piano, El‐Piano, Vo
David Paull:B, Vo
Jim Payne:Ds, Per
70年代初期のブリティッシュ・ロックシーンに於いてデラム、デッカ、ヴァーティゴ、ネオン、そしてドーンといった多種多彩な新興レーベルの発足は、後年ブリティッシュ・レアマストアイテムとなって注目を集めるグレイシャス、クレシダ、インディアン・サマー、スプリング、アフィニティー、T2…etc、etc、俗にいう70年代初期のブリティッシュ・プログレッシヴ・アンダーグラウンドの一端を担う事となったのは最早言うには及ぶまい。
当ブログにて何度も言及してはいるものの、60年代末期~70年代初期のブリティッシュ・ロックの全貌たるや…シーンの層の厚さに加えて人脈の複雑怪奇で雑多に情報が絡まり合った袋小路と迷路さながらといったところであろうか(苦笑)。
フロイド、クリムゾン、イエス、EL&P、ジェネシス揃い踏みの俗に言う大メジャーな5大バンド、それに準じてソフト・マシーン、ムーディー・ブルース、BJH、キャラヴァン、VDGG、ジェントル・ジャイアント、ルネッサンス、キャメル…が続き、一縷の望みと夢を抱いた前途有望な逸材の大半が良くも悪くもブリティッシュ・アンダーグラウンドに留まったまま、イタリアン・ロックの名作群と比べると“高額なプレミアムの割に大した事ない…”なんぞと陰口を叩かれ、ブート紛いで音質も悪い廉価盤並みの再プレスが多数出回ったお陰で余計にブリティッシュ・レアアイテムの名作が過小評価のまま憂き目を見ているといった塩梅で、大なり小なり今でも時折そんな感すら覚えている今日この頃である。
前置きが長くなったが、今回本篇の主人公でもある彼等ジョーンズィーは、そんな夢と希望と不安に満ち溢れていたであろう70年代初期のブリティッシュ・シーンに於いて、その非凡で一種独特の個性を保持し安易に流行の音に染まる事無く自我を貫き通した、唯一無比の異色の存在であったと言っても過言ではあるまい。
バンドネーミングの由来は読んで字の如し、1971年に2枚のアルバムをリリースし既にシンガーソングライターとして確固たる地位を築いていたJohn Jonesと、彼のバックバンドを務めていたJimmy Kaleth(Key, Vo)、David Paull(B, Vo)、Jim Payne(Ds, Per)の3人が、時代相応の新たなるヴィジョンを見据えて4人編成のバンドスタイルへと移行したというのが大筋の見方である。
ちなみにキーボーダーのJimmy Kalethがかのグレイシャスのオリジナルメンバーだった事はあまり知られていない(彼は“!”の録音前にグレイシャスを抜けている)
こうして心機一転ジョーンズィーとして生まれ変わった彼等は当時新興のレーベルだったドーンと契約を交わし、1972年John Jones主導によるプロデュースの下『No Alternative』で堂々たるデヴューを飾る事となる。
以前より物憂げでシニカルな世界観をフォークタッチで謳ってきたJohn Jonesの音楽性が最大限活かされた…ジャケットアートひとつ取ってもお世辞にも美麗でファンタスティックとは言い難い、ロンドンのスラム街とでもいうか最下層の貧民街にバベルの塔の如き高層ビルが立ちはだかるといった、デヴューにも拘らず何ともアイロニカルでシニカルな批判と皮肉めいた意匠とアルバムタイトルといい、当時のロンドンのロックファンすらも“何だこれは!?”と言わんばかりに面食らった事だろう。
彼等の音楽性でよく喩えられるデヴューから『リザード』までの初期クリムゾン影響下(亜流と揶揄する輩も多々いるが)のヘヴィ・ロックらしさが顕著に表れた、所謂一介のフォークロックからクリムゾンやイエスに憧憬を抱きメロトロンを駆使した壮大でアイロニカルなプログレッシヴへと転化した労作…或いは佳作と見る向きが正しいのかもしれない。
良い出来の作品ながらも陰鬱なグレーを基調とした地味なジャケットが災いし音の整理や仕上げが雑…と見る向きや批評もあるにはあるものの、ドーンレーベルの寛大な庇護の甲斐あってジョーンズィーはデヴュー間もなく相応の実績を残し、メインライターでもあるJohn Jones自身もある種の達
成と充実感に満ち溢れんばかりであった事だろう…。
とは言うものの、本デヴュー作に於いて音楽性の相違が表面化し、結果David PaullとJim Payneのリズム隊が脱退するという憂き目に遭ってしまう。
が、デヴュー作での追い風を受けリズム隊脱退すらも臆する事無く、新たなベーシストとして10代の頃から音楽活動と苦楽を共にしてきたJohn Jonesの実兄Gypsy Jones、そして新たなドラマーとしてPlug Thomasを迎えた彼等は、更なるサウンドの強化と音楽性に幅を持たせる為にトランペット奏者として後々のバンドのキーマンとなるAlan Bownを加えた5人編成に移行し、翌1973年絞首台に吊るされた一輪の薔薇という何とも意味深でタダナラヌ雰囲気を帯びたフォトグラフの、名実共に彼等の最高傑作でもあり代表作と呼び声の高い『Keeping Up…』をリリース。

前デヴュー作の流れを汲みつつも、Jimmyの劇的で感傷めいたメロトロンとピアノに、抒情的で寂寥感すら想起させるAlanのトランペットとの相乗効果が功を奏し、クラシカルなストリングセクションをバックに配しアイロニカルでペシミズムな佇まいの音世界にほんの束の間の刹那な一片のロマンティシズムすらも垣間見られる様になる。
見開きジャケットの内側に淡いペン素描画で描かれたイギリスの片田舎の大きな農家屋と牛舎のイラストが実に味わい深くて如何にもといったブリティッシュ感に心が震える思いですらある。

余談ながらも彼等の2nd『Keeping Up…』について、私自身の思い出話みたいで恐縮であるがほんの少しだけお付き合い願いたい。
今を遡る事1985年、まだ20歳そこそこの駆け出しプログレッシャーだった雛っ子な若僧だった時分、当時マーキー誌の編集部で学生バイトながらも臨時の編集員を勤めていたT氏が、大学の卒業旅行を兼ねてイギリス含むヨーロッパにてアナログ中古盤の買い付けに行くとの事で、私も就職して一
年目年齢相応の手当てを支給されてはいたものの、高額プレミアムなレアアイテムは当時にしてみれば高値の花、それでも清水の舞台から飛び降りる気持ちで思い切って2万円の餞別を渡し、個人的にお土産がてらプログレのレアアイテムを買ってきてほしいと頼み、T氏が帰国後送られてきた梱包の中にはベガーズ・オペラの1st、レア・バードの2ndに混じってジョーンズィーの『Keeping Up…』が同封されており、10代後半の時分にフールズメイトで1、2回チラッと見かけただけの印象で“吊られた薔薇ってのも何だかなァ…”とそんなに大して気にも留めてなかったのが正直なところで、いざLP盤に針を落とし一聴した率直な感想としてはメロトロンとトランペットの好演で出来は悪くないが、あたかも『リザード』期のクリムゾン影響下のロック、ジャズ、クラシック、ポップスといった多種多彩な要素を内包した、良い意味で即興的な演奏と幅広い音楽性が楽しめる反面悪く取
ってしまうと結局のところどっち付かずなボヤけて中途半端な第一印象だったのを今でも鮮明に記憶しているから困ったものである(苦笑)。
今にして思えばやや言い訳がましいが、あの時分まだ年齢が若過ぎたこともあって音楽的嗜好の成長が追い着いてなかったという理由もあるのだろうけど。
でも要所々々で聴かせ処があって、数年間は時折思い出しては棚から引っ張り出し、決して愛聴盤とは呼べなかったにせよそれでもかなり大切に聴いていたのを覚えている。
結局何らかのレア物とトレード交換して自分の手から離れていってしまったけど…。
前デヴュー作と同様、本作『Keeping Up…』のイニシアティヴとプロデュースはJohn Jonesではあるが、その一方でキーボードJimmy Kalethの手による好ナンバーも顕著に表れているのが見て取れる。
事実この作品に於けるJimmyの功績が後々バンドにとって大きな転換期・分岐点へと繋がるのだから運命とはどこでどう転ぶかつくづく解らないものである。
Jimmyの創作意欲に歩調を合わせるかの如くトランペッターAlanの存在も徐々にクローズアップされバンド内でも重要なウェイトを占めつつあるのと時同じくして、翌1974年に名プロデューサーでもあるルパート・ハインを迎えて製作された通算3作目の『Growing』でジョーンズィーは今までのヘヴィで且つクラシカルな趣のシンフォニックな作風からガラリとイメージチェンジを図り、(ドーンレーベルからの意向も汲まれたのかもしれないが)明快明朗で思いっきりジャズィーでファンキーな切れのある作風へと移行していく。

『Keeping Up…』期の同一メンバーに加え、セコンド・ハンドやセブンス・ウェイヴに参加していたKen Elliot、そしてブランドXにて頭角を表していたMaurice Pertをゲストを迎え、ストリング・セクションをバックに配し冴え渡るルパート・ハインの秀でたプロデュース能力…等、どれを取っても申し分の無い最高の布陣で製作された会心の一作と言っても過言ではあるまい。
が、バンドサイドの思惑とは裏腹にアルバムセールスは予想外に伸び悩み、出来映えこそ決して悪くないものの、バンドがファンキー化してしまった時点で多かれ少なかれジョーンズィーにアイロニカルなロマンティシズムとリリシズムを求めていたファンやリスナーからそっぽを向かれ、多くの支持者達が彼等の許から離れていったのもまた事実と言えるだろう…。
無論正反対にこの路線からジョーンズィーに好感が持てる様になったと言う輩がいるというのもまた然りではあるが。
更なる悪循環は連鎖で重なるかの如く、バンド内で重要なポジションを占めていたフロントマン的存在John Jonesの存在が希薄になってしまい、バンドの主導権がJimmyとAlanの両名に掌握されてしまった事で(嫉妬とまではいかないにせよ)彼自身のプライドと心が傷付いてしまい、時折寂しい気持ちに襲われることもしばしばあったそうな。
あたかもジェネシスというバンドで喩えたら、バンド内で対立が表面化し孤立無援で行き場を失ったゲイヴリエル、果てはサウンドのポジションで役割すらも奪われたハケットにも似た境遇を見る様な思いで何とも痛々しい…。
そういったバンド内での陰鬱でギスギスした雰囲気を察したのかどうかは定かではないが、結果的にJimmyとAlan、そしてPlug Thomasの3人がバンドを離れる形となり、Jones兄弟を中心に、『Growing』にてゲスト参加していたKen Elliotが2代目キーボードとして正式に参加、Bernard Hagley(Sax)、David Potts(Ds, Per)を迎えた新たな布陣で次回作『Sudden Prayers Make God Jump』に臨む事となる。
路線変更に差し掛かっていた前3rd『Growing』での失地回復と言わんばかり、再び2nd『Keeping Up…』の頃のヘヴィで陰影を帯びたプログレッシヴな作風への回帰を目指す意気込みで取り組んでいただけに、Jones兄弟を始めとする新たなメンバー全員が納得出来る会心の一枚になるべき筈が、悪運とは重なるもので肝心要の自らのホームグラウンドでもあったドーンレーベル1975年の閉鎖(経営難による倒産なのか?)の煽りを受けて、マスターテープこそ完成はしていたものの結果的に世に出る事無くお蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
このレーベル云々のクローズとトラブル等でバンド自体すっかり意気消沈し、創作意欲はおろか目的意識すらも見い出せなくなった彼等は、知らず知らずのうちにバンド自然消滅という形で自らの幕を引き完全に時代という表舞台から去って行ってしまう。
その後のバンドメンバー各々の動向は知る術が無く、それ相応に地道なセッションやらで生計を立てていた者もいれば、音楽業界から完全に足を洗って堅気の職に就いた者…と様々な見方が取れるであろうと思われる。
こうして時代は流れ流れて80年代から90年代そして21世紀初頭へと移り変わり、ブリティッシュ・ロック始めプログレッシヴとユーロ・ロックを愛する多くのファン誰しもが記憶と脳裏から、ジョーンズィーの存在は最早過去のものとして忘却の彼方へと葬り去られようとしていた…そんなさ中の2003年突如バンドサイドからお蔵入りされた幻の4thアルバム『Sudden Prayers Make God Jump』復刻リリースの報に、長きに亘って陰ながらバンドを支援してきた全世界中のファンとリスナーは歓喜に色めきたったのは言うまでもあるまい。

肝心なマスターテープが紛失し所在不明という痛手こそ被ったものの、災い転じて福と為すの諺通りフロントマンだったJohn Jonesの手元に幸運にもマスターから直接ダビングされたカセットテープ所有との知らせに、イタリアのNightwingsなるプログレッシヴ専門レーベルが音質良し悪し云々を抜きにリイシュー化へと乗り出し、ジョーンズィーの4作目は幻で終わる事無く、こうして実に27年振りに陽の目を見る事となった次第である。
カセットテープからの音源で確かに音質こそ難ありという重箱の隅を突く様な指摘こそあれど、70年代の雰囲気をそのまま伝える混沌とした意匠を含め『Keeping Up…』期の頃を彷彿とさせるヘヴィでジャズィーな感触と牧歌的なリリシズムとが同居した唯一無比な音世界に多くのリスナーは溜飲の下がる思いだった事だろう…。
このサプライズ的な出来事を境に、かつてのジョーンズィーだったメンバーサイドからもいつしかバンド再結成への思いが日に々々募り始め、同時期の2007年イギリスESOTERIC RECORDから未発表曲を含む2枚組ベスト編集盤『Masquerade: The Dawn Years Anthology』がリリースされた事が、彼等にとって復帰へと繋がる大きな追い風となり、John Jonesに代わって実兄Gypsy Jonesを中心としたジョーンズィー再結成を合言葉に、時同じくして袂を分かち合ったJimmy KalethとAlan Bown、そしてPlug Thomasと共に再び志が一つになった4人は2011年ジョーンズィー再結成と同時に自らのレーベルとサイトオンリーの流通で通算5作目現時点で新譜に当たる『Dark Matter (inner Space)』をセルフリリースし今日までに至っている(余談ながらも、2003年復刻リリースされた『Sudden Prayers Make God Jump』も新たに音源がリマスター化され、アートワークも改変されてセルフレーベルより再リリースされている)。
混迷の21世紀に相応しい意味深でアイロニカルな世界観を投影した意匠通り21世紀スタイル版ジョーンズィー降臨を世に知らしめた決定打とも言えるだろう。
メロディック・シンフォの雄IQも2004年同名タイトルのアルバムをリリースしているが、作品と出来栄えこそ甲乙付け難いものの、洗練度と先鋭的なテーマという面ではフロイドの『鬱』や『対』にも匹敵するであろうスタイリッシュで硬派なダーク・プログレッシヴとして頭一つ抜きん出ているといったところだろうか。


決して現代風な長尺の大作主義には偏らない、かつての70年代の気概と姿勢を踏襲した収録40分弱というのも彼等らしいといえば彼等らしい…。
サックス奏者と数名ものギタリストをゲストに迎え、かつてのフロントマンだった弟John Jonesの穴を埋めるべく一曲毎にギタリストを変えてはその曲のテーマとイメージに合ったメロディーラインが堪能出来て、時代に則したバンドの新たな側面と魅力を伝える上で聴き処満載なのが喜ばしい限りである。
バンドが再編復活してから今年で9年経過するが、そろそろ新作を含めた諸々の新たなる情報がアナウンスメントされてもいい時期ではなかろうか…?
とはいえ、年齢云々の面やら創作意欲との比例を考えればスローペースになるのはいた仕方あるまい。
彼等がこれからも生き続ける(行き続ける)限り、リスナー・聴衆の側である我々はひたすら静かに待ち続けるしかあるまい。
彼等と彼等の音楽を待っている者との夢のまた夢はまだまだ果てしなく続く。
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