一生逸品 CZAR
今月最後の「一生逸品」は夏から秋へと季節の移り変わりに相応しく、陰影を帯びた晩夏の黄昏時の真下をも彷彿とさせる70年代ブリティッシュ・ロックから、当時のアンダーグラウンド・シーンの深淵と真髄をも垣間見せる隠れた名盤・傑作の称号を欲しいままにダークサイドの申し子として未だ揺るぎ無い位置に君臨し続けている、サイケ・ヘヴィプログレッシヴの寵児“ツァール”に今一度栄光の焦点を当ててみたいと思います。
CZAR/Czar(1970)
1.Tread Softly On My Dreams
2.Cecelia
3.Follow Me
4.Dawning Of A New Day
5.Beyond The Moon
6.Today
7.A Day In September


Bob Hodges:Key, Vo
Paul Kendrick:B, Vo
Mick Ware:G, Vo
Del Gough:Ds
今日の21世紀プログレッシヴを語る上で、時代相応の主流とも言うべきメロディック・シンフォニックに相対する形で、一方の対極に位置しているであろう…往年の70年代プログレッシヴが持っていた良さと旨味、或いは伝統や醍醐味を現代に継承した(妥当な言い方を許して貰えれば)ネオヴィンテージ・プログレッシヴが現在のシーンの一方の片翼を担っていると言っても過言ではあるまい。
ユーロ・プログレの中枢でもあるイタリアに於いては、ラ・マスケーラ・ディ・チェッラを始めとする大多数もの70'sイタリアン・ロックの伝統とDNAを受け継いだ新鋭達。
アングラガルド、アネクドテン、パートス、オペスといった王道復古の逸材を多数輩出したヴィンテージ系プログレ王国の北欧スウェーデン系、そしてスイスのドーンやシシフォス、果てはアメリカのビッグエルフ辺りがネオヴィンテージ・プログレの主だった筆頭格として数えられるであろう。
言わずもがなこれら前述のネオヴィンテージ・プログレの共通点として挙げられるのは、プログレッシヴ必須アイテムでもあるヴィンテージ鍵盤のハモンドオルガンとメロトロンが、もう兎にも角にもこれでもかと言う位大々的にフィーチャリングされているところであろうか。
こんな書き方をすると「それじゃあ単なるコピーや物真似の次元ではないか」と突っ込まれるかもしれないが、無論決して仏作って魂入れずみたいな…ちょっとヴィンテージ鍵盤を借りてきて入れてみました的なぞんざいな扱いではない、あくまで感謝と敬意の念を込めて“歴史を受け継ぎ、新たな時代の一頁を刻む”思いで現代の新鋭達が弾いているという事だけはしっかりと汲んでおかねばなるまい。
前置きが長くなったが、現代まで脈々と受け継がれている70'sヴィンテージ・プログレッシヴスタイルの源流にして礎ともなった、本家イギリスの70年代ブリティッシュ・ロックシーンから、ワン・アンド・オンリーでアンダーグラウンドな範疇ながらも世に躍り出た伝説的存在のインディアン・サマー、スプリング、アフィニティー、コーマス…。
そして同時期にサイケな時代の空気を反映し一種近寄り難いその燻し銀の如き雰囲気とオーラを纏った今回本篇の主人公ツァールも然りである。
60年代後期ロンドンを拠点に活動していたサイケデリック・ポップスバンド“Tuesday's Children”が母体だった事を除いて、バンドメンバーの経歴・バイオグラフィーは全く解らずじまいという、我ながら何とも頼りない書き出しではあるが、ツァールとしての活動以前からある程度の知名度と演奏技量はあったと思われる。
ジャケットのアートワークもまるで人を喰ったかの様に奇妙キテレツな装丁で、まるでン十年前の若き稲〇淳二に熊の霊が憑依したかの様なインパクト大のデザインであるが(苦笑)。
…まあ冗談はさておき、印象的なジャケットも然る事ながらバンド名の由来はロシア帝政時代の皇帝の名前から取ったもので、なるほど…ロシア帝政の象徴ともいえる熊が冠を被って、トリップ感覚さながら朧気にコラージュされた理解不能なジャケットという意匠も頷ける。
更にバンドメンバーに加えて共同プロデューサーだったDave VoydeとRoger Wakeの両名がノイズエフェクトを担当し、その一種独特なダークな質感と毒々しくも壮麗なサウンドに色を添えている。
キング・クリムゾンが衝撃的なデヴューを飾った1969年、前身バンドだったTuesday's Childrenから改名(!?)移行した彼等は、Tuesday's Children時代にコロンビア、キング、パイといったレコード会社からシングルを何枚かリリースしてきた実績と経歴(それと多少のコネも活かし)、そして人伝を介して中堅レーベルのフォンタナと契約を交わし、プログレ時代突入とも言える翌1970年にバンド名を冠した唯一作をリリースする。
作品の内容自体は出来の良し悪しやら各々聴き手側の好みの差を抜きにしても、1970年という時代の空気感と雰囲気に支配された、重苦しく陰鬱な世界観ながらも時折ハッとする様な束の間の華麗な煌めきすら感じさせ、重厚で金属質なヘヴィサウンドにドロッとした粘り気を帯びたメロトロンが絡むといった、まさしくアートロック、アヴァンギャルド、アシッド、サイケ、ヘヴィロック、プログレ、ブルース等が混在しカオスの如く渾然一体となった唯一無比の音楽世界を形成していると言えよう。
もっとも…Tuesday's Children時代にイギリス国内のロックフェスやらクラブのギグでムーディー・ブルースやフロイド、クリムゾン、ナイス、キンクス、果てはザ・フーとも何度か接触し顔合わせしているが故に、大なり小なりの影響を受けているのは言うまでもあるまい。
ギタリストMick Wareのペンによる6曲目を除き、あとは全てベーシストのPaul Kendrickによる作詞と楽曲で、オープニングの1曲目からもういきなりヘヴィでディープなカオスが全開である…。
重々しい陰影と哀感を帯びたメロトロンに導かれ淡々と刻まれる呪術的なメロディーラインに、聴く者はあれよあれよという間に彼等の闇の音迷宮の入り口へと引きずり込まれてしまうだろう。
同年期にデヴューを飾ったグレイシャスの1stのオープニングにも相通ずる、スローテンポながらもヘヴィでダークなリフの応酬と繰り返しに、クリムゾンの「21世紀~」の影響すらも散見出来て、まさに挨拶代わりと言わんばかりな彼等の身上と音楽性を雄弁に物語っている佳曲と言えよう。
女性の名前から取ったであろう、ブリティッシュ・ロック然とした軽快なイントロに導かれる2曲目にあっては、演奏開始から僅か15秒で意表を突くかの如く再びダークで金属質なハープシコードとメロトロンのツァールサウンドへと転調する様は絶妙以外の何物でもない。
英国らしいハープシコードが奏でる優雅さと狂暴なまでのギター、ハモンド、メロトロンとが醸し出す二律背反な破壊の美学が存分に堪能出来る。
疾走感と哀愁に満ちたメロディーラインが印象的で少々純粋なポップス性が加味された3曲目、続くヘヴィでメロウなスローバラード風の4曲目共に、ややもすればシングルヒットも狙えそうな好ナンバーが続き、単なる一介のヘヴィロックとは一線を画した強かさすら感じさせる。
シタールを思わせる東洋的なメロディーラインのギターにメロトロンとハモンドが絡む、サイケで夢見心地な浮遊感すら想起させる5曲目は個人的に一番好きな曲でもある。
筆舌し尽くし難いトリップ体験とでも言うのだろうか、何とも摩訶不思議で束の間の白昼夢を見た後の余韻すら覚えてしまう…流石にこんな書き方をするとヤバイかな(苦笑)。
アシッドフォーク調の6曲目にあっては、幾分歌物ナンバーとしての重きを置いた…実に味わい深くて夜明けの淡い陽だまりの窓辺に佇む女性をも思い起こさせる、全曲中唯一ピースフルな色彩を帯びたラヴバラードと言えるだろう。
ラスト7曲目はカトリシズムな佇まいの壮麗なハモンドが高らかに鳴り響き、後を追うかの様にワイルドでサイケなギターとヘヴィ且つファンキーカラーなリズム隊が絡み、まさにタイトル通り…9月初秋の荒地の如く枯れた草原を彷徨うイメージを抱かせる、アルバムラストを飾るに相応しい暗闇の中から仄かな光明すら見出せる曲想に仕上がっている(曲終盤に流れる場末のサーカス小屋を思わせるフレーズが良い味を出しているのも聴き逃せない…)。

プログレッシヴ元年の1970年にリリースした、まあ…最初にして最後の唯一作となったデヴューアルバムの売り上げは、まあ良くも悪くもトントンといった感は無きにしも非ずといったところだろうか。
それでも、フォンタナ側とバンド側の双方は決して折れる事無く、気持ちを新たに翌71年のリリースを目標に新作の準備に取り掛かっていたものの、度重なるドラマーの交代とキーボーダーのBob Hodgesが脱退するという痛手を被ってしまい、デモテイクを5曲録っていたにも拘らずバンドとしての活動は完全に行き詰まり頓挫した彼等はとうとうバンドの解体を決意する。
結果、遺された唯一作のみが後年鰻上りに高額のプレミアムが付いたまま、中古廃盤専門店の壁にかけられて展覧会の絵の如く垂涎の的となったのは言うまでもあるまい。
ここで後述となってしまい恐縮だが…デヴューアルバム収録の途中にしてオリジナルドラマーのDel Goughが一身上の理由で抜けてしまい、唯一2曲目のみ後釜として‘Alan From Hampstead’なる謎の変名メンバーを迎えて収録されている。
この時のメンバーチェンジが新たな良い刺激と経験になったのか、彼等は予想外の発奮とばかりに唯一のインストナンバーとして、スペインの音楽家Manuel de Fallaの原曲を下敷きにハモンドとメロトロンを大々的にフィーチャリングしたベガーズオペラばりの長尺な素晴らしい出来栄えのクラシカル・シンフォニックナンバー“Ritual Fire Dance”をレコーディングするものの、残念ながら収録時間の関係で泣く泣くお蔵入りする憂き目を見る事となるが、この幻の傑作曲は37年の時を経て2007年にイギリスはSunbeam Recordsなるレーベルより、10ページに及ぶ豪華ブックレット仕様(Bob HodgesとMick Wareのペンによる特別寄稿)で正規リイシューされたリマスターCDで遂に陽の目を見る事となる。
過去にも同様のリマスター再発で、AKARMAからのデジパック仕様やらPROGRESSIVE LINEからブートと見紛う様な装丁で出回った事があったものの、Sunbeam Recordsによる英国正規再発CDは、先に触れた未発テイクの“Ritual Fire Dance”を含む、ブラスセクションを迎えた少々ポップがかったシングルオンリー2曲(ドラマーはTony Mac)、そしてBob Hodges脱退後また新たにドラマーJohnny Parkerを迎えて新作準備の為に録られたデモテイク5曲(音質が今一つなのが惜しまれる)の計8曲のボーナストラックを加えた完全決定版となっているのが喜ばしい限りである。
このSunbeam Recordsからのボーナストラック入り音源を元にマーキー/ベル・アンティークからも紙ジャケット仕様SHM‐CDがリリースされているので、是非こちらの方もお聴き頂けたら幸いである。
ちなみに1971年に新作準備の為に録られた未発デモテイクから察するに、デヴュー時のカオスやサイケといったイメージから脱却を試みようとしたフシが見受けられ、キーボード不在という事もあってか、幾分リラックスした穏やかな雰囲気のフォークタッチな曲想に加えて、極ありきたりな単なる普通のロック&ポップスになってしまったのが何とも複雑ではあるが…。
もしもフォンタナ側の意向で“Ritual Fire Dance”がデヴューアルバムに収録されていたとしたら、それはそれでサイケ・ヘヴィプログレ云々とはまた違った意味と観点で名作に成り得たのではと思うのは私だけだろうか。
ツァール解散以後、その後のバンドメンバーの動向は全く解らずじまいで、先のSunbeam Recordsの尽力の甲斐あってBob HodgesとMick Wareの両氏の所在が明らかになったのが唯一の救いであったものの、残りのメンバーでもあるPaul KendrickやDel Goughの消息が未だ明らかになっていないのが惜しまれる。
最もFacebookやらSNS全盛の御時世であるが故に、いつの日か何らかの形で所在が明らかにされるのもそう遠くはあるまい(…と思うが?)。

ツァールが遺した唯一作には、私を含めて皆それぞれに思い出があることだろう。
私みたいに中古廃盤専門店で高額な値が付けられ壁に掲げられたアルバムを垂涎と羨望の眼差しで眺め続けた方もいれば、清水の舞台から飛び降りるかの如く大金を払って買い求め未だ大切に聴き続けている方もいれば、その正反対にジャケットが気味悪いだとか、メロトロンが下品な音色だとか、大金払って損した輩もいれば、どこかの悪名高いプログレコミュの誰かさんみたいに単なるB級プログレだといとも簡単に切り捨ててしまう輩もいる事だろう。
ただ…歴史に名を刻む名作・名盤は周囲の誰が何と言おうとも、戯言みたいな意見に左右されず絶える事無く生き続け、新たな聴き手との出会いと感動を求めながら時代と世紀を越えて不変不動に君臨しているのは確かであろう。
今宵は名作を世に送り出したツァールに改めて敬意を込めて乾杯しよう…。
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