一生逸品 RICORDI D'INFANZIA
9月最初の「一生逸品」、今月の一ヶ月間は70年代イタリアン・ロック一枚もの傑作選と題し一挙集中でお送りしたい意向です。
栄えある第一弾の今回紹介するのは、まさしく知る人ぞ知る存在にして近年イタリア盤でボーナストラックを追加した完全補填版の紙ジャケット・リマスターCDでリイシューされ、今なお好評を博しているイタリアン・ヘヴィ・プログレッシヴの雄でもあり隠れた名作として名高い“リコルディ・ディファンツィア”に、改めて軌跡のスポットライトを当ててみたいと思います。
RICORDI D'INFANZIA/Io Uomo(1973)
1.Caos
2.Creazione
3.L'Eden
4.2000 Anni Prima
5.Preghiera
6.Morire O Non Morire
7.2000 Anni Dopo
8.Uomo Mangia Uomo


Emilio Mondelli:Vo
Franco Cassina:G, Vo
Maurizio Vergani:Key, Vo
Tino Fontanella:B
Antonio Sartori:Ds, Per
“幻の存在”或いは“隠された至宝”やら“人知れず眠っていた名作”という謳い文句が(良くも悪くも)やたらと目に付く70年代のイタリアン・ロックシーン。
イタリア国内の音楽業界に於いて老舗レーベルのリコルディと並ぶ、大手ワーナーの傘下にしてニュー・トロルス、オザンナ、デリリウムといった実力派を多く世に送りだしたフォニット・チェトラから、かのイ・カリフィの2ndと共に、まさしく知る人ぞ知る幻級の隠れた存在として知られたリコルディ・ディファンツィア。
90年代のCD化再発全盛期に至るまで、正直その存在は余り世に知られていなかったのが凡その見解とも言えよう。
キングのユーロロック・コレクションにも決して取り挙げられる事も無く、唯一フォニット・チェトラから資料として送付された契約アーティスト名が羅列されたカタログに、そのバンドネームと簡単な紹介文程度が確認される程度の扱いで、余程筋金入りのイタリアン愛好家やマニアでない限りその陽の目を見る事は無かったであろう、誠に失礼ながらも悲運な存在そのものであったと言っても過言ではない。
マーキー誌やその後のイタリア国内のプログレッシヴ専門誌の尽力の甲斐あって、90年代以降から漸くファンからの注目を浴びる事となり、イタリアワーナー始めヴァイニール・マジック、果ては我が国のストレンジ・デイズからプラケース仕様ないし紙ジャケットで数回もの再発CD化され、徐々にその内容の素晴らしさが評価され21世紀の今日にまで至っている次第であるが、その肝心要の彼等のバイオグラフィーに及ぶと…悲しいかな私自身の拙くも頼り無い語学力を以ってしても、その詳細は皆目見当が付かないのが率直なところである(苦笑)。
それでも何とか拙い語学力を駆使してルーツを遡ってみると、60年代末期に於けるイタリア国内でのビート系サウンド全盛期の頃に結成され、1970年前後にフォニット・チェトラ編纂のコンピレーション企画物アルバム『Nuovi Complessi D'Avanguardia Da Radio Montecarlo』に1曲提供し、その後も地道な演奏活動をこなし着実にキャリアを積み重ねつつ、イ・プーやオルメの前座・サポートを経て、1972年を境にディープ・パープルやユーライア・ヒープといったブリティッシュ・ハードロックに触発されたヘヴィでハードなプログレ路線へと転換を図り、翌73年イタリアン・ロック全盛期の真っ只中フォニット・チェトラから唯一作である『Io Uomo』をリリースする。
余談ながらもバンドネーミングの意は英語訳で“Memories Of Childhood”、直訳すると「幼年期の思い出」となるのだろうか…。
オープニングの如何にも時代を感じさせる眩惑的でサイケデリックな雰囲気漂うギターに加え、エフェクトを利かせつつも徐々にイタリアらしいクラシカルなオルガンと呟きにも似たヴォイスに導かれ、『Io Uomo=“私は人間”』は幕を開ける。
イタリアン・ロックでありながらもコテコテの土臭いイタリアンに固執していない、強いて言うならばブリティッシュ・ロックのエッセンスとイタリアらしいアイデンティティーとが渾然一体となった唯一無比のオリジナリティーが確立された彼等ならではの作風に仕上がっていると言ったら異論は無いだろう。
イギリスのヴァーティゴ系オルガンロックをイタリアン風に転化させたらこうなったと言うにはやや早計かもしれないが、それ以上に彼等の持つ魅力として…何度も言及している様にイタリア独特のクラシカルな趣と歌心がバックボーンにある事を忘れてはなるまい。全曲どれを取ってもクオリティーは高いが特に4曲目のピアノワークは流石イタリアならではの抒情性と哀愁を感じてならない。
カテゴリー的には彼等もまたイタリアン・ヘヴィプログレの範疇に入るのかもしれないが、ムゼオやビリエットの様な極端なまでに邪悪なイメージのカラーとは異なり、同傾向としては(あくまで個人的な見解で恐縮であるが…)RDMの1st、2nd、イルバレの1st、トリップの1st、2nd辺りと並ぶ好作品ではなかろうか。

唯一のデヴュー作がリリースされた同年、アルバム未収録のシングルとして『Mani Fredde/Latte E Rhum』という好作をリリースしているが、特に前者の“Mani Fredde”にあっては作風こそ違えどもあのイルバレの“Meditazione”と並ぶクラシカルな小曲でバックに女性コーラス隊を配し大々的にメロトロンをフィーチャーした隠れた名曲と言えるだろう。
惜しむらくはこの素晴らしいシングルナンバー2曲だけが、YouTubeに未だにUpされていないのが何とも悔やまれる…。
過去にリリースされたリイシューCDにあっても、この2つのシングル曲がボーナストラックにも収録されておらず、イタリアン・ファンにとってはやきもきしたじれったい様なもどかしさを覚えていたものだが、極最近ヴァイニール・マジックから見開き紙ジャケット仕様のデジタルリマスター再発CDで漸くこのシングル用の2曲がボーナストラックで追加された完全版としてリリースされたので、ファンにとってはやれやれというか何とも嬉しい限りでもある。
話は戻って…『Io Uomo』をリリース後、理由こそ定かでは無いがバンド自体は以降の活動を一切停止し暫く沈黙を守るものの、3年後の1976年にキーボードがUgo Biondiに交代し、サックス奏者としてGianni Bariを迎え若干のメンバーチェンジを経て活動を再開するも、結局これといった作品のリリースや主だった活動をする事も無く、人知れず自然消滅してしまったものと思われる…。
悲しいかなバンドのメンバー達も以後の消息にあっては一切不明であり誠に残念な限りである。
兎にも角にも、70年代イタリアのシーンはリコルディ・ディファンツィアのみに限らず、カンポ・ディ・マルテ、ブロッコ・メンターレ、アポテオジ、オディッセア…etc、etc、たった一枚のみ作品をリリースして表舞台から姿を消し以後の消息を絶ったバンドがごまんと存在しているのは最早言うには及ぶまい(作品がリリース出来たバンドはまだ幸運な部類であって、マスターテープが完成していながら70年代当時作品リリースにまで漕ぎ着けず、後年漸く陽の目を見たブオン・ベッキオ・チャーリーやエネイド、スペットリといった存在も忘れてはならないだろう)。
何年か前にマーキー誌のエッセーで、イタリアに出張したプログレマニアの日本企業の商社マンが、現地で仲良くなった御年配の同僚から“70年代のPFMとかバンコなんて兎に角本当に素晴らしかったもんさ!でも、俺だって若い時分あの手のプログレバンドで長い間ベースを弾いていたんだぜ”と聞かされたエピソードが綴られており、そういった背景を考慮すれば、あの70年代という熱い時代…有名無名及び作品リリース出来た出来ないを問わずロックに青春時代を捧げていた世代が、一線を退いてサラリーマンの道へ歩もうとも決して当時を後悔する事無く、むしろ輝かしい思い出として懐かしむ姿に私自身ある種の感銘を受けた覚えがある。

70年代…良くも悪くもたった一枚のみ遺った作品が名作級という称号・賞賛を得ながらも、一体何がこうも明暗を分けたのであろうか?
近年に於いて川崎クラブチッタで開催されたイタリアン・ロックフェス等で、イ・プー始めオルメ、ニュー・トロルス、ロカンダ・デッレ・ファーテといった大御所が大挙来日公演を果たしている片やその一方で、音楽業界から身を引きイタリア本国で第二の人生を謳歌している側の者達の目には近年のイタリアン・ロックフェスがどう映り、そして心中どう思われているのだろうか…。
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