幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 ZINGALE

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 毎週掲載スタイルの「一生逸品」のリメイク&リニューアルも60回目を迎えて遂に今回が最終回となりました。

 先日の「夢幻の楽師達」最終回アニマ・ムンディでも申し上げた通り、「一生逸品」も従来の偶数月の月イチ掲載に戻りますが、どうかこれからも御愛顧頂きますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
 今回のリメイク・フィナーレに相応しく…激動の20世紀から混迷なる21世紀までに至り、現在もなお紛争や武力衝突が絶える事の無い中東情勢に於いて音楽と芸術という創作表現を武器に自由と平和を高らかに謳い奏で、伝説の称号とその名を轟かせ数多くの賞賛を得ている、名実共に中東きってのロック大国イスラエル至宝の存在と言っても過言では無い“ツィンガーレ”で締め括りたいと思います。
 
ZINGALE/Peace(1977)
  1.Heroica
  2.Help This Lovely World
  3.Carnival
  4.Love Song
  5.7 Flowers Street
  6.One Minute Prayer
  7.Lonely Violin Crying For Peace
  8.Stampede
  9.Soon The War Is Over
  
  David "Hofesh" Bachar:Vo, Harmonica
  Yonathan "Johnny"Stern:Vo, 12‐st Guitar
  Ehud "Udy" Tamir:B
  Efrayim Barak:G
  David Shanan:Ds
  Ady Weiss:Key
  Tony Brower:Violin, Mandolin
  David "Doody" Rosenthal:Syn, Per, Effects
  Yaacov Bachar:Manager

 昔、キングのユーロロックコレクションでハンガリーのオメガが初めて紹介された時に、名前は忘れたが某音楽ライターが記した「今や、車の走っているところにロックやポピュラーミュージックは必ずある」の言葉が忘れられない。
 10代後半の若い時分、ロック…プログレッシヴ・ロックはイギリス始めイタリア等の西欧諸国、北米大陸にしか存在しないものであると、今だったら余りに視野の狭い陳腐な考え方に多くのプログレ業界関係の有識者の方々が目にしたら絶対に失笑を買われるかもしれないが、先のオメガをきっかけに東欧を知り、ノヴェラをきっかけに日本を見直し、自身の成長と共にマーキー誌に触れ中南米のシーンを知るといったファクターを経て、時代と世紀を越えて数多くのプログレッシヴムーヴメントと出会い今日までに至っている次第だが、自身の年輪の積み重ねと共に新旧のプログレッシヴを掘り下げれば掘り下げる程、その底無し沼の如き根底の奥深さに改めて圧倒させられる思いを日々痛感している昨今である。
 
 今回の主人公でもあるツィンガーレに至っては、我が国に初めてその存在が明らかにされたのが今を遡ること28年前の1986年、マーキー誌のコレクターズ・コーナーにて紹介されたおそらく初めての中東諸国からのプログレッシヴだったのではなかろうか…。
 21世紀の今でこそ中東イスラエルのプログレッシヴ・ロックは全容が明らかにされ、70年代のシシット、アトモスフェラ、ノーネームズ並びそれらバンド関連の個々のアーティスト、21世紀に入ってからはトレスパス、テリオフ、サンヘドリン、ムジカ・フィクタ、シンポジオン…etc、etcが世界レベル級の傑作シンフォニックを世に送り出しているという活況著しい昨今ではあるが、隣国シリアとの対立を始めとする一触即発な中東情勢を考慮しても、失礼を承知で綴らせて頂ければ…過去を遡っても中東諸国で連想される事といったら、イスラムの戒律やら武力紛争、民族衝突、テロ、ゲリラといった、あまりに有難くも無い出来る事なら余りお近づきになりたくもない危険で野蛮なキナ臭いイメージしか想起出来ないのが正直なところで、先のツィンガーレに話が戻るが、あの当時に中東からプログレ到来と紹介されても今一つピンと来なくて、何やらキナ臭い預言というか啓示めいた暗くドロドロした陰鬱で重た過ぎるメッセージ性を孕んだ危なく怪しげな作品ではなかろうかと、今だったら一種の笑い話で終止するところだが、まさに若い時分の私にとってツィンガーレは“障らぬ神に祟り無し”みたいな禁忌に近い感情を抱いていたに違いない。
 無論、後年に於いて友人経由で渡されたカセットテープにダビングされた彼等の音世界に触れて、今までの無礼とも言うべき浅はかな先入観やら誤解だらけな認識は、僅かほんの数秒で一蹴されたが(苦笑)。

 ツィンガーレの詳細なバイオグラフィーに至っては、現時点で判明しているところで1973年に勃発した忌まわしき悲劇の第四次中東戦争が及ぼした辛く悲しい思い出に触発されて結成されたとの事。
 事実、ツィンガーレの一部のバンドメンバーの中には件の中東戦争で身内、親戚、友人を戦火で失ったとも記されている。
 愚かしくも悲しむべき戦乱に真っ向から立ち向かうべく、世界平和を大々的にアピールした詩世界と音楽を創作するべく彼等は銃火器ではなく楽器を手に取り、戦時下の軍や政府の統制化に挑戦すべく1974年に「Why Didn't I Win Lottery/Everything Will Be OK」(ヴォーカルはヘブライ語)でシングルデヴューを飾る事となる。
          

 ロック/プログレッシヴ・ロックにとって最大の難敵でもある当時の政府当局との検閲等を巡る闘いと葛藤、試練は、かつてのスペイン、ポルトガル、ギリシャ始め東欧の旧チェコスロバキア時代と同様、それはまさしく運命ないし宿命付けられているとでも言うのだろうか…。
 彼等ツィンガーレも御多聞に洩れず、戦禍で傷付き疲弊していた若者達から絶大なる熱狂的支持を受け創作活動という大いなる挑戦への一歩に足跡を残しながらも、あえなく当局からの発禁処分と市場回収という憂き目を見る事となる。
 とどのつまり当時の政府のお偉いさんが言わんとするのは、ロックだ芸術だ自由だ平和だなんぞにうつつを抜かす暇があるくらいなら武器を手に取って闘えとでも言いたかったのだろうか…。
 つくづく時代やら世紀がどんなに移り変わろうとも、やれ軍事強化だ革命だ独裁国家などといった戯言を公明正大に謳っている国ほどロクなものじゃないという事をこの場を借りて声を大にして言わせてもらいたい。
 話がややお堅い方向へ横道に逸れてしまったが、デヴューシングルが市場回収という憂き目に遭ったにも拘らず、ツィンガーレは意気消沈する事も臆する事も無く、政局の圧力なんぞどこ吹く風とばかりに、2年後の1976年に2枚のシングルを立て続けにリリースし、政情不安な当時のイスラエル国内に於いて最も精力的に活動するバンドとして国内外でも認知される様になり、その気運の追い風を味方に更なる創作活動に弾みを付けた彼等はレコーディングスタッフが懇意にしている強力なパイプとコネを通じて、イギリスの大手デッカレーベルからインターナショナルなマーケットを視野に入れたアルバム製作へと着手する事となる。
 それが名実共にイスラエル・プログレッシヴ史上の名作へと高みを極めた1977年作の『Peace』へと繋がるのである。
 結局のところ政府側の横槍でイギリスデッカからのアルバムリリースは叶わなかったものの、インターナショナルを目指した作風と英語のヴォーカルで生命への賛歌を高らかに謳い上げた、まさしく彼等が身上(信条)とする理想と希望ともいうべき“平和”そのものが念頭に置かれた、音楽という創作フィールドで開花した類稀なる奇跡の一枚へと昇華していったのは最早言うには及ぶまい。
 イエス、PFM、アルティ・エ・メスティエリといったブリティッシュとイタリアン・ロックの大御所からの影響がふんだんに感じられ、聴き様によってはアルゼンチンのクルーシスやエスピリトゥにも相通ずるメロディーラインをも彷彿とさせる全収録曲トラック間が切れ目無しのトータルアルバムに仕上がっているのも特色であろう。
 プログレ必須アイテムともいえるハモンドやメロトロンは一切使用されておらず、アコースティックピアノの端整な調べとフェンダーローズの残響を活かしたキーボードワークとシンセ系のアルペジオと早弾きパッセージとの応酬には、長年ブリティッシュ系やユーロロックを聴き込んでこられた耳の肥えたファンですらも溜飲の下がる思いに捉われる事必至であろう。
 クラシカル&シンフォニックな趣を湛えたテクニカルなヴァイオリン、スクワイアからの影響の大きさを骨太に聴かせるゴリゴリなベース音、ユーロロックイズムな語法を身に纏ったギタリスト…etc、etc、欧米の名だたるプログレッシヴの名作と比較しても何ら遜色の無い完成度を誇る最高傑作の一枚であると共に、兎にも角にも出身国がイスラエルであることなんぞもどこか遥か遠くに吹き飛んでいってしまう位にスリリングでエキサイティング…尚且つドリーミーでリリカルなサウンドファンタジーに、感動の余韻と至福のひと時に包まれて暫し時が経つのも忘れてしまう。
 仮にもしもプログレ初心者にバンド名と出身国を伏せて覆面テストで聴かせたら、10人中10人全員がきっとイタリアのバンドと答えるのではなかろうか。

 何やら怪しげでタダナラヌ雰囲気漂うアラビアンな祈祷師(預言者!?)が煙草(マリファナ或いはハシシ!?)を咥えているという意味深なアートワークから受ける陰鬱で重々しい印象からはとても想像出来ない位、本作品に漂う希望に満ちた明るい曲想とメロディーラインに思わず面食らってしまうが、収録されている全曲のタイトルを御覧になってお解りの通り、「愛」「祈り」「戦争」といったキーワードが至るところに鏤められており、イスラエルという中東国家ならではの避けては通れない命題やテーマが要所々々に見え隠れしているのも忘れてはなるまい。
 さながらスパニッシュ・ロック調の宴をも想起させる3曲目に至っては、陽気で楽しげなイメージ通りの…まさに抑圧された当時のエルサレムの民衆のフラストレーションが一気に爆発したかの様な狂騒ぶりすらも垣間見えよう。
 今となっては些か稚拙で時代錯誤な常套句かもしれないが、ツィンガーレの創作する音楽のバックボーンとなっているのは他ならぬジョン・レノンの言葉ではないが“Love & Peace”そのものではなかろうか。
 見開きジャケット内側に描かれた、透明人間的なフォルムの靴を履いた精霊(或いは修験者)が錫杖を手に、太陽が光輝く世界に向かって荒地を歩むイラストこそ、戦乱で荒廃した世界を越えて希望と理想郷を目指して行きたいという他ならぬバンド側の意向と願いが込められていたに違いない。
        
 
 しかし…そんな彼等が一縷の望みを託した唯一作は、またもや当局側の越権行為とおぼしき横槍で市場回収という理不尽な憂き目に遭ってしまう。
 その頃ともなると、ツィンガーレのみならずイスラエル国内の多くのミュージシャンやバンドが当局側の検閲やら何やらで市場回収ないし販売中止させられるといった、まさしく言われの無い弾圧を受け、80年代に差しかかる頃にはイスラエル国内のポピュラーミュージックの大半が解散ないし活動停止に追い込まれ、御多聞に洩れずツィンガーレ自体ですらもアルバムの発売中止と市場回収といった余波が尾を引き、ほとほとそんな現状にウンザリと嫌気が差した彼等は数年後若干のメンバーチェンジを経て、シングルやアルバム製作すらもままならない閉塞的な状況の中でバンド活動を温存させるも、結局1981年にツィンガーレは自然消滅して活動の表舞台か去っていってしまう。
 悲しむべきことにツィンガーレを支えていたであろう2人のヴォーカリストDavid "Hofesh" BacharとYonathan "Johnny"Sternが原因は定かではないが両名とも鬼籍の人となってしまったのが惜しまれる…。
 その数年後の1986年に海外コレクター経由でマーキー誌にてその存在が取り挙げられ、ツィンガーレはあたかも神格化するかの如くオリジナル原盤のみが高額なプレミアムを呼び、気付いた時にはもう既に遅しだったというのも何とも実に皮肉な話であるまいか…。
 見てくれは平静と平和を取り繕っていたイスラエル国家であったが、他の中東国家との軋轢やら武力衝突(特に90年代の湾岸戦争)といった政情不安や治安の停滞といった苦難の連続と繰り返しだった80年代全般から90年代半ばに於いて、ポピュラーミュージック然りプログレッシヴ系のアーティストが生き長らえるには余りに厳しい時代だったのかもしれない。
 そんなさ中にツィンガーレの『Peace』がCDリイシュー化されたのを契機に、再びイスラエル国内に於いてプログレッシヴ復興・復権が声高に叫ばれる様になり、イスラエル国内も一応の政情安定が見受けられる様になった頃の21世紀を境に、雨後のタケノコの如く前述の新世代イスラエル・プログレッシヴの新鋭達がこぞって登場し、周囲の状況含め文化・芸術の面でも大きな変貌を遂げる事となる。
 そんな21世紀真っ只中の2009年、突如として舞い込んだビッグニュース…ツィンガーレが2人のオリジナルメンバーだったギタリストのEfrayim BarakとベーシストEhud "Udy" Tamirを中心に新たなドラマーを迎えて再結成され、実に32年振りの新作『The Bright Side』で、不死鳥の如くプログレッシヴのフィールドに返り咲いたのである。
    
 キーボード並びヴォーカルパートもEfrayim BarakとEhud "Udy" Tamirの両者が担当し、歌詞も前作と同様に英語で歌われており、ツィンガーレの音楽世界観は不変であるという事を如実に物語っている、実に意欲的にして新たな挑戦ともとれるアプローチを打ち出して、32年間の空白を埋め合わせするに相応しい充実した内容に仕上がっており今日までに至っている…。 

 ここまで駆け足なペースでツィンガーレを綴ってきたが、イスラエルのプログレッシヴが認知され確固たる地位とポジションをも確立したであろう今世紀に至ってもなお、それらに相反するかの様に…テレビのスイッチを入れると否応も無しに映し出される中東情勢の軋轢や不安、イスラエルとシリアとの対立と武力衝突、様々なイスラム原理主義組織側のテロ行為と国際的な挑発劇、更には記憶に新しいところで最も過激にして活発な破壊行動を明示してきたイスラム国といった、数え切れない位の病巣を抱える中東国家の現状を思うと、やりきれない憤りを覚えると共に心が痛むばかりである。
 私は別に政治の論客ぶった事を言える立場でも無いし軍事アナリストでもないが、プログレッシヴ・ロックというフィルターを通して世界を見ているという事に大きな差異はあるまい。
 数年前の2014年ノーベル平和賞を受賞した当時若干まだ17歳のマララ・ユスフザイさんにこれからの未来への期待を託したいと願うと同時に、中東諸国を救済するという茨の様な苦難な道が待ち受けている事に加えて、世界中を震撼させたイスラム国並び様々なイスラム原理主義組織への対応と牽制を願わんばかりである。
 先にも触れたが、中東の若者達に対して今こそ声高に言いたい事は、人間を殺め傷つける武器を手にする事より、楽器やペンを手に取って自由や未来を切り拓いてほしいと改めて願わんばかりである。
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