幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 KHAN

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 先月の「夢幻の楽師達」に引き続き、月イチペースでの連載再開となった「一生逸品」。

 2020年久々の新たな書下ろしであると同時に、コロナ禍に見舞われた激動の一年を締め括る(であろう)今年最後にお届けする今回の「一生逸品」は、御拝読頂いている閲覧者皆様からの熱烈なリクエストが届いていた、70年代ブリティッシュ・アンダーグラウンドのみならずカンタベリーシーンに於いて一石を投じ、たった一枚ながらもその大いなる軌跡と足跡を遺し、21世紀の今もなお熱狂的にして絶大なる支持を得ている…唯一無比の音楽世界観を構築したSteve HillageそしてDave Stewartという2人の両巨頭共々がターニングポイントになったと言っても過言では無い“カーン”が遺した一時代の奇跡に焦点を当ててみたいと思います。

KHAN/Space Shanty(1972)
  1.Space Shanty
  2.Stranded
  3.Mixed Up Man Of The Mountains
  4.Driving To Amsterdam
  5.Stargazers
  6.Hollow Stone
  
  Steve Hillage:G, Vo
  Nick Greenwood:B, Vo
  Eric Peachey:Ds
  Dave Stewart:Key, Per

 言わずもがな、もはや説明不要な不朽の名作・名盤にして、Steve HillageそしてDave Stewartという不出世のアーティストにとっても、自らの身上(信条)を占う…或いは今後の音楽人生を左右するという非常に重要な意味合いが込められた“契機”と言っても異論はあるまい。
 全世界を席巻した1972年当時のプログレッシヴ・ムーブメント隆盛のさ中、大手メジャー流通で一躍世界的な成功が約束されるといった一種の大博打にも似た波及に乗じようと言わんばかり、イギリス国内の大手始めメジャーマイナーなレーベルを問わず、雨後の筍の如く新進気鋭なバンド・アーティストが多数世に輩出された黄金時代、クリアなスペイシーブルーに彩られあたかも大友克洋氏のタッチも似たSFテイスト満載な宇宙船(空間都市?)が描かれた、今回本編の主人公であるカーンの最初にして最後の奇跡なる一枚。
 頭一つ飛び抜けて数年先もの時代感すら先取りしたかの様なファンタジックでアメイジングなイマージュを湛えた意匠に、ファンやリスナー誰しもがサイケでグッドトリップな夢想と浮遊感をついつい抱いてしまいがちになるが、本作品意外や意外カンタベリー系譜の一枚でありながらも緩急変幻自在にヘヴィで硬質なロックが縦横無尽に展開され、ソフトマシーンやエッグ、キャラヴァン辺りが好みの方にとっては幾分食い足りない(決して期待外れという訳ではないが)といった印象こそ否めないものの、むしろ逆にそんな意外性が受けるというかSteveとDaveのまた違った側面が垣間見えて面白いといった向きもあるのだから、嗜好の違い含め天運とはどこでどう転ぶか分からないものである…。

 パブリック・スクールの学友同士だったSteveとDaveが、Mont Campbell、Clive Brooksを加え1967年に結成した最初のバンドはユリエル(URIEL)と名乗っていたが、周囲が採尿の尿瓶(=URINAL)を連想させるネーミングに難色を示したため(契約上の都合といった説もあるが)、結果的には1969年アーザチェル(ARZACHEL)へと改名し同年にバンド名を冠した唯一作がEvolutionなるマイナー系からリリースされ、SteveとDaveによる最初の音楽デヴューにして初々しくもサイケデリアな装いを背景に意欲的な試みとヴァラエティーに富んだ、後々の彼等の音楽志向と方向性が随所に垣間見える幕明けとなったのは言うに及ぶまい。
 しかしながらも周囲からの好評価を他所にSteveが大学進学を理由にバンドを抜けてしまい、残されたDave、Mont、Cliveはは更なるサウンドスタイルの強化を図り、バンドは翌1970年のプログレッシヴ元年にエッグへと音楽的発展を遂げ、同年にバンド名を関した『Egg』、翌71年『The Polite Force』といった秀作をリリースし、1974年実質上のラストアルバムにして最高傑作でもある『The Civil Surface』でその活動に幕を下ろす次第であるが、余談ながらも『The Civil Surface』には音楽界に復帰した盟友で既にゴングのギタリストとして名を馳せていたSteveがゲスト参加しているのは御周知であろう。
            
 話は前後するが時系列的に整理すると、大学在学中(或いは聞こえは悪いが中退?)の1971年に再び音楽界に復帰したSteveが、Nick Greenwood、そしてEric Peacheyを誘ってカーンを結成し、応援というかゲスト参加という形ながらも半ばエッグとの掛け持ちスタイルでDaveが参加し、翌1972年大手レーベルのDERAMから唯一作である『Space Shanty』をリリースする運びとなる。

 前述の通りカーンの唯一作もカンタベリー系列の作品として一応位置づけられてはいるものの、大方の期待を他所に良い意味でも悪い意味でも期待を裏切った…所謂どっち付かずな宙ぶらりんで中途半端な感は否めない、単刀直入に言ってしまえばあまりに“(カンタベリー)らしくない”極めてロックな意識に歩み寄った異色作であると言えないだろうか。
 ストレートでヘヴィなロック・スピリッツとウィットに富んだユーモアとポップなフィーリングに加えて、ブルーズィー+ジャズィーな趣が見え隠れしており、同系列のカンタベリー作品とは一線をも画した特異性が浮き彫りになった、まあ擁護するという意味ではないものの…カンタベリー系とひと口に言ってもこれだけの可能性が秘められた実例というかある種の方法論をも示唆した輝かしい試金石と思えてならない。
 無論個人的にはこれはこれで楽曲と構成が面白い位に練り込まれた、良質で且つ類稀なる秀でた傑作級の一枚であると断言出来るが…。
     

 抑え切れない感情の発露すらも彷彿とさせるハモンドとヘヴィなギターに導かれ、吹き上がる様にカタストロフィーな雰囲気を伴ったメロディーの破綻と収束で幕を開けるオープニング1曲目から、カーンの志向する世界観たる面目躍如が窺い知れよう。
 変幻自在にして寄せては返す波動の如く、押しと引き、柔と剛、アグレッシヴとリリシズムが渾然一体となった、あたかも彼等の音世界を代弁するかの如くスペイシーな佇まいの中にも荒々しくヘヴィな攻撃性すら覗かせる力強いナンバーである。
 ミクロで且つマクロなコスモスを表情豊かに奏でるDaveのオルガンワークが、ここでも冴え渡っているのが特筆すべきであろう。
 着目すべきはメロトロンやモーグといった当時の花形だった鍵盤系が一切使用されておらず、あくまでハモンドとエレピのみで勝負するといったDaveなりの強い拘りと意志が表れている事も忘れてはなるまい。
 Steveのフォーキーなアコギから始まりDaveのハモンドが織り成す宇宙空間のたおやかで幽玄なる夢想感から転ずるヘヴィ&シンフォニックでカンタベリーな空気を纏った2曲目、神秘なるコーラスワークと瞑想的でエモーショナルなギターリフレインが魅力的な3曲目は広大なる宇宙空間への船出すら連想させる好ナンバー。
 ジャズィーでジェントリーな小気味良いリズム展開とややポップなフィーリングすらも匂わせるヴォーカルラインが好感触な4曲目に至っては、嗚呼まさにブリティッシュ・ロックの醍醐味ここにありと言わんばかりの熱気と興奮が脳裏を伝わってくる思いですらある。
 捻くれ気味でひと癖もありそうなDaveのマリンバを先導に、ストレートにプログレッシヴでクロスオーヴァーな展開を繰り広げる5曲目の絶妙さに追随するかの如く、6曲目はラストナンバーに相応しい宇宙船のクルー達の旅の終焉をも思わせる深遠で荘厳なイマージュと相まって、リリシズムとヘヴィネスとのせめぎ合いが怒涛の如く押し寄せる、まさしく大団円の言葉三文字に相当する感動とも感傷とも言い尽くし難いペシミズムにも似通った不思議な余韻を与え、彼等カーンの唯一作でもある『Space Shanty』は混沌と静寂の宇宙の闇に包まれて幕を下ろす次第である。

 カンタベリー系列の中で異彩を放ちつつも、無駄な捨て曲一切皆無な実に充実たる内容と完成度を誇っていたであろうカーンの最初で最後の唯一作であったものの、バンド自体はエッグに戻ったDaveの後釜としてVal Stevensをキーボーダー(ツアーメンバーとして)に迎え、僅か数回のギグを行った後に一切合財メディアの前に顔を出す事も無く、理由こそ定かでは無いがカーンはまるで夢か幻だったかの如くいともあっさりバンドを解体し、その後のSteveとDaveの活躍は皆さん既に御周知の通り、Steveは再びカンタベリーの本流へと回帰し、ケヴィン・エアーズとの共演始めデヴィッド・アレンとの邂逅によりゴングに合流し『Flying Teapot』始め『Angel's Egg』『You』…etc、etcといったプログレッシヴ・ロック史上に残る数々の名作・名演を披露し、下世話な話で恐縮であるがアレンに触発された所為からなのか、Steve自身も浮世離れした眼差しの…さながら地球に降りてきた宇宙人よろしくといわんばかりな風貌になってしまったと思うのは些か勘繰り過ぎであろうか(苦笑)。
       
 その後にあっては1975年を境にゴングと袂を分かち合い、数々のソロワークへと移行し時代の推移と共に次第にスペイシーなギターワークスタイルを発展させアンビエント・ミュージックへと転向、
同時進行でシンプル・マインズやイット・バイツ(2nd『Once Around The World』)のプロデュースも手掛け、その特異で多岐に亘る音楽性を遺憾なく発揮し、プログレッシヴ/クロスオーヴァー始めアンビエントからテクノ系ダンスミュージックを支える裏方業と後進への指導で今なお現役バリバリの第一線で活躍中である。
   
 片やもう一方の雄であるDaveにあっては、カーン解散後ハットフィールズ・アンド・ザ・ノースに参加し2枚の傑作アルバムを世に送り出し、以降ナショナル・ヘルス、ビル・ブラッフォードとの共演を経て、90年代以降からは皆さん既に御存知の通り、かのプログレッシヴ・フォーク界の秀逸スパイロジャイラの歌姫Barbara Gaskinと合流しStewart & Gaskinとしてプログレッシヴなセンスとフィーリングに裏打ちされた最良なるブリティッシュ・ポップスを展開し現在もなお活動を継続中で、何度かの来日公演でその健在ぶりを示している。

 そして時代は21世紀真っ只中の2020年、全世界規模でコロナ禍に震撼された今日に於いてプログレッシヴ業界もさもありなん、新旧大多数ものアーティストや精鋭が活動自粛を余儀なくされ、かろうじて新作レコーディングやリハーサルの制限こそ免れたものの、肝心要のライヴ活動に於いては未だ再開の目途が立っていない暗澹たる状況である。
 無論今回本編の主人公でもある2人の両巨匠Steve HillageそしてDave Stewartに至っても、本格的な活動再開も儘ならず沈黙を守り続けているといった具合である。
 いつか必ずコロナ禍は収束し、また再び元の日常が巡ってくる事であろう。
 SteveそしてDaveも年輪を積み重ねつつ、未曾有の災厄に抗いながらも今なお自らの脳内で内なる創作意欲を発露させ次なる段階と一手に着想している事であろう。
 両雄の復活に呼応するかの如く、コロナ禍収束の暁にはシンフォニック系始めメロディック系ネオ・プログレと共に次世代カンタベリーの前途有望な旗手達もこぞって、必ずや再びシーン再興の為に立ち上がる事であろう。
 SteveとDaveが築き上げ切り拓いた道筋を歩み、苦難の時期を乗り越えた先に新たなる世代達がこれからどんな進化形と回答を導き出してくれるのか…今はただそう信じ続けて願わんばかりである。
   
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