一生逸品 新月
今週の「一生逸品」は先日の美狂乱に続き、日本的なイマージュとリリシズムを謳い奏でるもう一方の雄でもあり、日本のプログレッシヴ・ロック史に於いて21世紀の今もなおカリスマ・神格化され、70年代と80年代との時代の境目を全身全霊で駆け巡った生ける伝説と言っても過言ではない、まさしく日本のジェネシス・チルドレンの代名詞でもある“新月”に焦点を当ててみたいと思います。
新月(SHINGETSU)/新月(1979)
1.鬼
2.朝の向こう側
3.発熱の街角
4.雨上がりの昼下がり
5.白唇
6.魔笛“冷凍”
7.科学の夜
8.せめて今宵は


北山真:Vo
花本彰:Key
津田治彦:G
鈴木清生:B
高橋直哉:Ds
70年代最後の1979年、プログレッシヴ・ファンの期待を一心に集め日本ビクター傘下のZenレーベルから鳴り物入りでデヴューを飾った新月。
当時プログレ専門誌時代のフールズ・メイトにあっては、吉祥寺のライヴハウス“シルバー・エレファント”をメインストリームとする、新月を始め美狂乱、グリーン、アウター・リミッツ、観世音、スペース・サーカス、果てはデヴュー間もない頃のケンソーといった、80年代に向けた新たなるプログレッシヴ・ムーヴメントの波をこぞって取り挙げては熱心に紹介していた頃であった。
余談ながらも、新たなる波と同調するかの様に厚見玲衣率いるプログレ・ハード系のムーンダンサー、そして関西からは後にノヴェラへと移行するシェラザードが活躍していたのも丁度この時期である。
70年代初頭のジャパニーズ・プログレッシヴ黎明期…所謂日本のニュー・ロック勃発期に於けるエイプリルフール始めフード・ブレイン、ラヴ・リブ・ライフ+1、ピッグ、それ以降にかけて登場したファーラウト→ファー・イースト・ファミリー・バンド、ストロベリー・パス→フライド・エッグ、コスモス・ファクトリー、四人囃子といった70年代前期~中期にかけてのジャパニーズ・プログレ黎明期バンド。その大半が短命に終わるか、或いは時流の波とレコード会社側の意向で路線変更を余儀なくされるかといった困難な時代、イギリスや欧米の当時の諸事情と同様に日本でも御多分に洩れずプログレッシヴ・ロックはアンダー・グラウンドな領域でしか生き長らえるしか術が無かったのは言うまでもあるまい。
70年代後期ともなると、プログレの多くは自主製作(運が良くてレコード、最低でもカセット)ないし、大手レコード会社の良くも悪くもマニアックでマイナーな弱小レーベルからでしかリリースされなかった、そんな辛酸と苦汁を舐めさせられた…フールズ・メイトの新月レヴューでも触れられている通り“ロック音楽を媒介にした芸術活動”がいかに大変な時代であったかが想像出来よう。
新月の歴史は1972年に日大芸術学部音楽学科に在籍していた花本彰(Key)が同大学の学友達で始めたOUT OF CONTROLなるプログレ色を打ち出した(フォーカスのコピー含め)バンド活動から始まる。
OUT OF CONTROLは後に新月のメインフロントマンとなる北山真(Vo)を迎え、バンド名も(新月の母体となった)“セレナーデ”に改名後、度重なるメンバーチェンジを経て作曲とリハーサルに費やす事となる。その新たなメンバーの中に後の新月のベーシストにシフトするクリス・スクワイア似の鈴木清生も加わっていた。
その後セレナーデは、伝説的アーティスト鎌田洋一氏(彼は御大のエマーソン始めアイアン・バタフライから多大な影響を受けている…)率いる“HAL”と共にライヴ出演するようになり、そのHALに在籍していた津田治彦(G)、そして高橋直哉(Ds)と意気投合した花本は、セレナーデの音楽性を更に発展昇華させた形で新月結成へと辿る次第である。
ちなみに…この頃は鎌田氏のHAL並び、小久保隆氏率いるフロイド影響下のRINGといった強者的バンドとの出会いによって、後の新月の活動及びバンド解体後の創作活動に於いて今日まで強固な繋がりとなる次第だが、それはまた後半で綴っていきたい。
結成当初キーボード・トリオスタイルだった新月に、花本より先にセレナーデを抜けていたベースの鈴木が合流し、メイン・ヴォーカリスト探しは困難を極めたが(女性Voを入れたり、何とあのヒカシューの巻上公一氏も候補に挙がっていたとか)、結局満場一致で苦楽を共にしてきた北山を招き、漸くここに新月の正式ラインナップが揃う事となる。
本来ならもう一人のメンバーともいうべき…津田、高橋と同じ青山学院大の学友で、ギターからキーボードまで手掛けるマルチプレイヤーの遠山豊氏を加えた6人編成なのだが、新月が実質上のレコーディングに入ってからはマネージャーに転向し、新月の活動を陰ながら支える大きな助力となったのは言うには及ぶまい。
新月のアルバムの裏ジャケを御覧になってお気づきの方々も多いだろうが、ライヴ時にはサポート・キーボーダーとして、先にも触れたRINGの小久保隆氏が参加しているのも注目すべきであろう。
新月は江古田のマーキー、渋谷屋根裏、吉祥寺のDACとシルバー・エレファントといった4ヶ所のライヴハウスを拠点に精力的な演奏活動を積み重ねつつ、先にも触れたフールズメイトと当時の編集長北村昌士氏からの強力なバックアップを得てメジャーデヴューに向けた度重なるリハーサルをこなすという日々に追われた。



その中でも特に北山のヴォーカリストとしての技量にあっては、丑の刻参りを思わせる白装束から異様な電話魔、怪しげな黒覆面に、一人ミュージカル…etc、etcといった曲のテーマ毎に衣装と歌唱法を変えつつ、さながら“和製ゲイヴリエル”よろしくと言わんばかりの鮮烈なライヴ・パフォーマンスは大きな呼び物として定着し、ジャパニーズ・プログレ史に於ける独特なシンガースタイルの手法・元祖たるものを確立させたと言っても異論はあるまい。
和製シアトリカルなヴォーカルは、後のページェントや極端なところで筋肉少女帯といった系譜へと受け継がれていくのである。
冒頭1曲目の“鬼”は、日本古来の因習めいた背景に水木しげる或いは花輪和一の描く様な怪奇幻想譚、京極夏彦の妖怪譚にも通ずる世界が、仄暗い和旋律シンフォニックのダークさと奇跡の相乗効果を生み出した、美狂乱の“予言”と“警告”と並ぶ純然たる日本らしいプログレッシヴ・ロックの稀有な名曲として、今も尚世界各国のファンから高い評価を得て語り草にもなってて、とにかく妖しげなメロトロンの咽び泣きが胸を打つ事必至である。
当時のニュー・ミュージックにも相通ずる世界観の“朝の向こう側”の清々しい爽やかさ、“発熱の街角”で聴かれるリズミカルで摩訶不思議な世界を表した曲進行の面白さ、雨天の憂鬱さと気だるいヴィジョンが甘く切なく響く“雨上がりの昼下がり”といった旧アナログLP盤のA面の秀逸さも然る事ながら、旧B面もまさに本領発揮とばかりに抒情的且つ感傷的に繰り広げられる。“白唇”は“鬼”の対極とも言うべき和旋律に裏打ちされた恋情と詩情で綴られた透明感溢れる涙無くして聴けない秀逸と言えよう。私自身、年齢の積み重ねと共にこの曲を聴くと自然と目頭が熱くなってくるから困ったものだ(苦笑)。
全曲中唯一のインストナンバー“魔笛〝冷凍〟”は、サポートの小久保隆氏の手掛けるキーボード・シークエンスが縦横無尽に発揮された、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』をも彷彿とさせる、おどろおどろしいホラータッチと恐怖感さながらの凍てつく情景が目に浮かぶ事だろう。

初期ジェネシス風な“科学の夜”は、昔小学生の時分に学校の図書館で読んだファンタジーな児童文学の世界観をも思わせる、北山真の一人何役をもこなすシアトリカルさが傑出した佳曲。
新月デヴュー作の最後を締め括る“せめて今宵は”も、ムーディーで静かな月夜に一人佇む感動的にして寂寥感漂う、まさに幻想絵巻の大団円に相応しいナンバーと言えよう。
1979年7月のアルバムデヴューから概ね約一年間のサイクルで新月は精力的にライヴ活動をこなしつつ、次回作の為の構想とリハーサルに入っていたものの(ちなみに次回作のタイトル候補は『たけひかる』だった)、80年の秋にベースの鈴木とドラムの高橋の両名脱退をきっかけにバンド内の拮抗が崩れ、その後は次回作の為のラフテープを残しつつ新月はマテリアルを半ば放棄した形で、バンド自体も自然に消滅。
決してメンバー間の仲違いがあったとか、売れ行き云々といった低次元なレベルでバンドが解散したのではないという事だけは、現在のメンバーの方々の名誉の為にもそれはどうか御理解願いたい。
…それは私自身が察するにバンドという活動に皆が疲弊してしまったからではないのかと思うのだが、もし願わくば…機会があればメンバー本人達から直接聞いてみたいところだが、それも果たしていつになる事やら(苦笑)。
新月解体後の各々の動向に至っては、先ず北山真の方は劇団インカ帝国の伊野万太氏との交流があった事から、劇団関連の音楽製作に携わる一方で、カセットテープによる自身のレーベルSNOWを立ち上げ、地道に創作活動を継続しテープオンリーながらも最初のソロ作品『動物界之智嚢』を1983年にリリース(後にPOSEIDONからCD-Rという形で復刻される)。
更にはSNOWから、劇団インカ帝国の役者時任顕示と小熊一実を中心に結成されたユニット“文学バンド”のテープ作品『文学ノススメ』をもリリースしている(これも後にPOSEIDONからCD-R化される)が、最後の曲“わが解体”は新月一連の作品の姉妹版といった感があって必聴と言えよう。
北山は後に“北山真&新●月プロジェクト”を立ち上げて『光るさざなみ』をマーキー/ベルアンティークからリリースし、2008年には25年ぶりのソロ『植物界之智嚢』を発表し、現在はアーティスト活動と併行して登山家=クライマーとしての顔を持ち、日本フリークライミング協会元理事長、日本山岳協会理事、国際山岳連盟公認国際審判員として多忙の日々を送っている。



が、そんな多忙の合間を縫って昨今は自身の新たな新月系譜のプロジェクトとして北山真With真○日を結成し、2015年リリースの『冷凍睡眠』を始め、新月時代からの盟友花本彰と共にもう一つのプロジェクト静かの海を結成し、2019年同プロジェクト名を冠したアルバムを発表し現在もなお精力的に活動している。


その花本彰は津田治彦と共にフォノジェニックスというユニットを組んで、如月小春女史の劇団及び舞踊活動の音楽製作に携わり、先の北山主宰のSNOWから、その舞踊パフォーマンスの楽曲集『ART COLLECTION 1』をリリース(但し残念な事に未だCD化されていない)。
フォノジェニックスはその後手塚眞監督の映像作品のサントラはじめ、テレビ関連の楽曲製作、大山曜氏主宰のアストゥーリアスへの参加等を経て、後年花本が離れてからのフォノジェニックスは津田のソロプロジェクトに近い形に移行し、2005年にPOSEIDONから『Metagaia』という一大抒情詩風の好作品を発表している。
その翌年の2006年、津田はドラマーの高橋直哉を誘ってHALの再編を試みると同時に、小久保隆にも声をかけて06年の暮れに“HAL&RING”という形で復活を遂げ、HAL時代のナンバーの再演・再構築でPOSEIDONから復活作『Alchemy』をリリースしている。06年の年末渋谷で催されたHAL&RINGのライヴには花本のゲスト参加に加えて、HALのリーダーだった鎌田洋一氏も飛び入り復帰というサプライズに観客一同が湧いたのを未だに記憶している。
残りの鈴木清生は現在楽器メンテナンス兼修復という稼業を営みつつ、ジャズ畑で精力的に活動中である。私自身、HAL&RINGのライヴ終演後の打ち上げで鈴木氏にお会いして、“やっぱり、スクワイアに似てますね”と声をかけたら鈴木氏も苦笑いしていたのが実に印象的だった…。
現在新月関連の作品に至っては、高額プレミアムなアナログLP盤のデヴュー作を例外とすれば、CDとSHM-CDによる新録を含めた復刻盤(紙ジャケット仕様も含めて)『科学の夜』『赤い眼の鏡』『遠き星より』がリリースされている他は、数々の未発アーカイヴ作品、秘蔵級のライヴ音源、セレナーデ時代の貴重な音源、果てはボックスセットといった大盤振る舞いと枚挙に暇が無い位の数に上るのが現況といえよう。


79年の正式デヴューから僅かたった一年と少しの期間ながらも時代を駆け巡った新月という伝説は、現在も…否、これから数年先も語り継がれていくのだろう。
私自身時折思い返す事だが…もし新月のデヴューがあと一年遅かったら、たかみひろし氏に誘われてキングのネクサスからノヴェラ、アイン・ソフ、美狂乱、ケンソーと共に、80年代に何枚かの作品を残せたのではないかと非常に悔やまれてならない。
が、その反面…“これが自分達の進むべき道である”という潔さも誠に新月らしいと思えるのもまた然りなのである。
彼等の伝説は決して終わる事無くこれからも永遠に続くのであろう…。
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