一生逸品 BLÅKULLA
心なしかコロナ禍の収束に向けて少しずつではありますが漸く明るい兆しが見られつつある昨今、皆様如何お過ごしでしょうか…。
暗澹たる御時世さながらに凍てつく様な厳冬も日に々々薄らいで、あたかも春の訪れの喜びにも似通った温かさと雰囲気が朧気ながらも仄かに感じられる様になりました。
今年最初の「一生逸品」は、そんな季節の移り変わりに相応しい北欧スウェーデンより、かねてから70年代中期~後期にかけて登場したカイパ始めダイス、そしてアトラスと並んで高い評価を得ながらも、惜しむらくは短命に終わってしまったスウェディッシュ抒情派シンフォニックの隠れた逸材として、まさに知る人ぞ知るであろう…21世紀の今なお数多くの賛辞を得ている“ブラキュラ”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
BLÅKULLA/Blåkulla(1975)
1.Frigivningen
2.Sirenernas Sång
3.Idealet
4.De får La Stå Öppet Tess Vidare
5.Maskinsång
6.I Solnedgången
7.Drottningholmsmusiken
8.Världens Gång
9.Erinran


Dennis Lindegren:Vo, Per
Mats Ohberg:G
Bo Ferm:Key
Hannes Råstam:B
Tomas Olsson:Ds
個人的な思い入れながらも恐縮であるが、このアルバムとの付き合いも早いものでもう20年以上になるだろうか…。
当然の事ながらオリジナルのアナログLP原盤云々ではなく、1997年に母国スウェーデンにてリイシューされたCDをマーキー誌のベル・アンティークより国内盤にディストリヴュートされたもので、更に遡ればマーキーが刊行したユーロ・ロック集成の再版時に、半ば未紹介発掘レアアイテムといったプラスアルファな補填という形で急遽紹介された作品群に於いて今回本篇の主人公でもあるブラキュラも取り挙げられており、まさしくグッドタイミングな渡りに舟といった感で彼等ブラキュラは多くのユーロ・ロックリスナーにその名が広範囲に知られる事となった次第である。
ネーミングからして(失礼ながらも)かの吸血鬼ドラキュラの類似とお思いになられる方々もおられるかもしれないが、当たらずも遠からず(苦笑)吸血鬼ではないが、当時国内盤のライナーを担当執筆された祖父尼淳氏のお言葉を拝借すれば「英訳するとBROCKEN(東西のドイツに跨るブロッケン山)でもあり、スウェーデン流に解釈すると“古き妖精物語”の意でもある」とのことで、更に解釈を突き詰めるとスウェーデンとエーランド島の間のバルト海に浮かぶBLAKULLAなる小さな島の名で、そこでは魔女達がイースターの日にティーポットを小脇に抱え黒猫をお供にほうきに乗って集った場所でもあるそうな…。

まあ…ドラキュラも魔女もいかんせん似たり寄ったり西洋の妖(あやかし)みたいなものだからねぇ(苦笑)。
前置きはさておき、彼等が辿った歩みに遡ってみたいと思う。
1971年に世界的規模で花開いたばかりのプログレッシヴ・ムーヴメント真っ盛りのさ中、スウェーデンは地方都市イヨテボリで結成された、ブラキュラの前身バンドKENDALこそが彼等の出発点である。
当初のラインナップはヴォーカルのDennis Lindegren、ギターMats Ohberg、キーボードBo Ferm、ドラマーTomas Olsson、そしてベースはSteiner Anderssonの5人で、結成当時はハードロック転換期前夜の初期ディープ・パープルに触発されたヘヴィなアートロックをレパートリーに、徐々にプログレッシヴな方向性へとシフトした、クラシカル且つスペイシーな作風のオリジナルナンバーをも手掛ける様になり、1974年までの間はセミプロながらもスウェーデン国内のロックフェスティバルや様々なステージで音楽経験を積み重ね、国内ではかなり名の知れた存在へと上り詰めていく。
その後人気の追い風に乗るかの如く、1974年の春に落成した地元イヨテボリの新しい音楽スタジオTal & Ton Studioからの懇意というか、落成記念のよしみでデモテープ製作の依頼を受けた彼等は3曲の音源を録音し、この機を弾みに本格的デヴューに向けての地固めに奔走し更なる新曲作りとリハーサルに日々を費やす事となる。
だが幸先の良いスタートを切ったにも拘らず、音楽性の食い違いが表面化しベーシストのSteiner Anderssonがバンドを抜けるといったバンド存続を揺るがす危機が訪れ、KENDALはあわや空中分解一歩手前までに陥るところであったが、人伝というかコネが活きたというべきかポップス専門のレーベルAnette Recordの目に留まった彼等は、レーベルサイドの尽力で旧知の間柄だったHannes Råstamを新しいベーシストに迎え、バンドネーミングもプログレッシヴな気運に呼応するかの様にブラキュラと新たに改名しデヴューに向けての再出発を図る事となる。
この頃ともなると初期のパープルのみならずイエス、ジェネシス、そしてフォーカスといった当時のプログレッシヴ・シーンのパイオニアからの影響が大きく反映されたサウンドスタイルへと転化していた彼等は、同時期にデヴューを飾ったかのカイパと並びスウェーデン国内のプログレッシヴシーンを担う期待の新星として注目を浴びたのは言うに及ぶまい。
冒頭からイエスの「同志」を思わせるレコーディングスタジオ内での“OK?”の言葉で始まるアコースティック・ギター弾き語りによる、何とも優しくて温かみすら感じさせるスウェディッシュ・フォーキーなナンバーに彼等の音楽性のバックボーンというか身上が垣間見える。
ハウやハケットにも負けず劣らずなトラディショナルでアーティスティックなアコギの爪弾きに心が和む思いですらある。
如何にもといったプログレッシヴな感に溢れたハモンドの響鳴に導かれ、ヘヴィなギターとリズム隊が畳み掛ける様に被さってくる2曲目も聴き処満載で、初期パープルに触発されたルーツも然る事ながらデヴュー期のイエスさながらをも彷彿とさせるメロディーラインに北欧のフィーリングが程良く溶け合った非凡なセンスに脱帽せざるを得ない。
2曲目と同系列ながらも続く3曲目の満ち溢れんばかりなプログレッシヴ・フィーリングには、感嘆の溜め息と共に溜飲の下がる思いですらある。
4曲目は一転してヴォーカルレスな乗りの良いプログレッシヴなジャムセッションばりの小曲インストナンバーで、この辺りは概ねフォーカスからのサジェッションがそこはかとなく滲み出ており良い意味で意外性があって面白い。
イタリアン・ロックばりに近い硬質で重厚な作風に加え、小気味良いメロディーの刻み方が印象的な5曲目にも要注目なナンバーで徹頭徹尾にハモンドの大活躍が素晴らしい。
プログレッシヴなハモンドの使い方はやっぱりこうあって欲しいよなぁ…と思わず頷きたくなる様な渾身の一曲であろう。
御大のキャメル或いは同国のカイパをもやや意識したかの様な、リリカルさとユニークさが同居したメロディーラインが実に心地良い6曲目、前出の4曲目に次ぐインストナンバーでもある7曲目に至ってはクラシカルな宮廷音楽さながらのフォーカス並びGGばりのサウンドシチュエーションながらもソフトでライトでポップなエッセンスすら散見出来る楽しくて愉快なナンバー。
味わい深くて切々とした歌心溢れる抒情的でメランコリックな北欧トラディッショナルが心に染み入る、エレジーなアコースティック弾き語りナンバーの8曲目には目頭が熱くなる。
ラストを飾る9曲目は気楽でラフなインプロビゼーションをも想起させるジャムセッション風のイントロデュースを皮切りに、深みのあるハモンドの響きに相対してヘヴィなギターとリズム隊との対比と応酬から一気にクールダウンの如く収束し、爪弾かれるアコギに先導されてエピローグへの大団円へとなだれ込む様は、(まあいつでもそうなのだが…)お世辞抜きで良いプログレッシヴのアルバムに出会えて本当に良かったなぁと心底思える感激以外の何物にも代え難いものがある。
Anette Recordの後押しの甲斐あって、記念すべきデヴューアルバムはセールス的には概ね好評な成果を残す事が出来たものの、レーベルサイドの方針とバンドサイドとの音楽性が今ひとつ噛み合わず、やや中途半端で物足りなさは否めないという課題が露見しつつも、ブラキュラは精力的にギグをこなし次回作に向けてのプランと反省点の埋め合わせをこなしていく日々を送っていたが、運命とはつくづく残酷なもので1975年12月一身上の都合でキーボーダーのBo Fermがバンドを抜けてしまい、サウンドの要を失った彼等はバンドを運営する経済面での悪化やメンバー間の心身の疲弊が重なって、悲しいかな1976年を待たずしてやむなくバンドの解散を決意し、知らず々々々の間に表舞台から去って行く事となる…。
片やその一方で同年にデヴューを飾ったカイパが大々的な成功を収め、精力的な活動でスウェーデン国内のみならず北欧圏を代表するバンドへと成長し快進撃を成し遂げるといった真逆な道程を辿った事を思えば、カイパに負けず劣らずバンドとしての演奏力やらオリジナリティー総じて申し分の無い位の実力を誇っていたにも拘らず、ただ単に運とツキが無かっただけの事が皮肉でもあり恨めしく思えてならない。

バンド解散後の各々のメンバーの動向として分かっている範囲内で恐縮であるが、リズム隊として活躍したHannesとTomasの両名はその後フォーク&トラディッショナル路線へとシフトし、Tomas自身にあってはセッションドラマーとしての活動も併行しているとのこと。
ヴォーカリストのDennisは1978年にKaj Kristallというアーティストとして改名し何枚かのスウェディッシュ・ポップス系のアルバムを発表、ギタリストのMatsとは何度も共演しており、その当のMatsにあっては医師として医療の現場に従事しており余暇があればクラシックギターをプレイしている人生を謳歌しているそうな。
そしてキーボーダーだったBoにあっては、驚くべき事に大手フィリップス・レコードのアメリカ支社長に就任するという大出世を遂げたのだから、まあ…良い意味で開いた口が塞がらないとはこの事である(苦笑)。
そんなかつてのメンバー達のその後の動向を余所に、ブラキュラが唯一遺した一枚のアルバムは同国のダイスやアトラスと同様に高額なプレミアムが付いたまま、ユーロロックコレクターや一部のマニア達からの口コミでその後大きな話題と評判を呼び、バンド解散から22年後の1997年…デヴュー前に収録された3曲の未発表デモ音源がボーナストラックとして復刻された正規のCDリイシューとして世に出る事となり、これを機にブラキュラの評価は一気に高まったと言っても過言ではあるまい。
何よりも前出で触れたボーナストラック3曲のデモ音源“Mars”、“Linnéa”、“Idolen”にあっては、よもやデヴュー以前にこんな凄いクオリティーを有する未発音源があったのかと驚嘆することしきりで、この貴重な素晴らしい秀曲に触れられるだけでも一聴の価値はあると声を大にして言いたい。
一部からはメロトロンやモーグ、アープが使用されていないとか、楽曲的に物足りなさが感じられるといった何とも手厳しいお言葉もあるにはあるが、それでは彼らに対しあまりも理不尽でもあり早計であるというもの…。
一見して地味目なジャケットアートながらも、あの当時の若き彼等の純粋なる無垢な夢と希望が思いの丈にぎっしりと詰まった、苦労の末ほろ苦くも楽しかった青春時代の思い出の一頁に他ならない…ブラキュラ唯一のアルバムに触れる度毎に、あの70年代の素敵で良質な時代の断片をも反芻する思いに捉われるのは(年齢の所為かもしれないが)もはやいた仕方あるまい。
何度も言及するが、思い出とは未来永劫決して色褪せないものなのである…。
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