夢幻の楽師達 -Chapter 05-
猛酷暑だった8月もいよいよ最終週に入りました…。
最終週でもある今週の「夢幻の楽師達」は、今もなおブリティッシュ・プログレッシヴ史に於ける70年代アンダーグラウンドの巨匠にして生ける伝説と言っても過言では無い、大英帝国の仄かな香りとリリシズムを湛えた名門ヴァーティゴレーベルの顔でもあり一つの象徴でもあった“クレシダ”に、今再び眩いスポットライトを当ててみたいと思います。
GRESSIDA
(U.K 1968~)


Angus Cullen:Vo, G
John Heyworth:G
Kevin McCarthy:B
Iain Clark:Ds
Peter Jennings:Key
遡る事…そう、もう30年前の20代の時分であろうか。
初々しくも熱かった青二才の頃の事、仕事の合間を縫っては当時プログレッシヴ・ロック専門誌として隆盛を誇っていたマーキー誌にちょくちょく執筆投稿し、休暇を利用しては足繁く豊島区南長崎や目白のマーキー編集部に出入りしていた、もうそれこそプログレッシヴ・ロック業界に片足を突っ込んだばかりの、血気盛んで右も左も分からないただひたすら若さと情熱に任せつつ生意気にも一端のプログレ・ライター気取りだった頃の事だ。
上京してはマーキー誌編集部に顔を出す一方で、新宿のディスクユニオン始め新宿レコード、UKエジソン、キニー、世田谷のモダーン・ミュージック、目白のユーファ、果ては恵比寿のパテ書房にも足を運んでいた位、都内の観光名所や有名処なんて目もくれず足が棒になる位にプログレッシヴ中古・廃盤専門店に東奔西走していた若かりし青春の一頁、時折“嗚呼、そういえばこんな事もあったなぁ…”と懐古する事もしばしばである(苦笑)。
まあ…昔を思い出すという事自体、その分歳を取ってしまったという事なんだろうか。
前出の都内のプログレ中古廃盤専門店に当時足繁く通ってはいたものの、若い時分の自身にとっては…高額プレミアムで万単位な通称壁掛け廃盤レコードの陳列を眺める度に、なかなか手が出せずもどかしい思いを募らせては溜め息まじりにじっと佇むしか術が無かったのは言うには及ぶまい。
高値の花でもあったイタリアン・ロックの傑作群、ジャーマン、フレンチ…等と並んで、70年代初頭のブリティッシュ・アンダーグラウンドに於いて神々しいまでの輝きを放っていた…今回本篇の主人公でもあるクレシダを始め、グレイシャス、スプリング、インディアン・サマー、アフィニティー、T2、チューダー・ロッジ、スパイロジャイラ、ビッグ・スリープ、サーカス(Kスペルの方の)、セカンド・ハンド、DR.Z…etc、etcの垂涎の的でもあった傑作・名作アルバムに、喉から手が出る位に欲しいと思ったのは決して私だけではあるまい。
50年代の三種の神器という訳ではないが、先に挙げたブリティッシュ・アンダーグラウンドから仮にもしもシンフォニックな3大名作を挙げるとなれば(個々によって差異はあるかもしれないが)、かのヴァーティゴレーベルの2大名作でもあるクレシダ『Asylum』とグレイシャス『 ! 』、そしてネオンレーベルのスプリングの唯一作ではなかろうか。
前置きが長くなったが…たった僅か3年弱の短命な活動期間に於いて、自らの信念で紡いだプログレッシヴな精神と美意識で2枚の傑出した名作アルバムを世に遺した今回の主人公クレシダ。
ひと昔前とは大幅に違い、21世紀の今やSNSを始めとするネットワーク情報時代である昨今…幻だったと言うべきなのかその謎のベールに包まれていた彼等の出自やらバイオグラフィーも、各方面から手に取る様に解明されている今日この頃である。

ランカシャー地方を拠点に活動していたThe DominatorsなるバンドのギタリストだったJohn HeyworthとヴォーカリストのAngus Cullenが一念発起でロンドンに活動の場を移し、程無くして共通の仲間内の伝で、Kevin McCarthy、Iain Clarke、そしてLol Cokerを迎え、1968年12月クレシダの物語はこうして幕を開ける事となる。
ちなみにバンドのネーミングについては諸説あるが、一番有力なところでトロイ戦争を題材にしたシェイクスピアの戯曲に登場するヒロイン名からインスパイアされたというのが大方の見解である。
AngusのアパートメントにてJohnとの共同生活を経てロンドンそして近辺でのクラブにて地道で精力的なギグを積み重ね、曲の構想やらアイディアを熟考し書き溜めつつ、小規模ながらもドイツやスイスにて遠征公演をこなして徐々にその知名度を上げ、イギリスに戻ると同時にマーキークラブの常連バンドへと上り詰めていくが、翌1969年音楽的な方向性の違いでキーボーダーがLol CokerからPeter Jenningsに交代。
時同じくしてイギリス・フォノグラム傘下だったヴァーティゴレーベルの目に留まった彼等は、ヴァーティゴサイドが指し示す音楽の方向性とヴィジョンに賛同・共鳴し正式に契約を交わす事となる。

ヴァーティゴとの契約から程無くしてスタジオ入りした彼等は、デヴューアルバムに先駆ける形で数曲のデモトラックをレコーディングするものの、結局デモ音源は陽の目を見る事無く所謂お蔵入りする形となり(後述するが2012年に『Trapped In Time:The Lost Tapes』という未発アーカイヴマテリアルとしてCD化されている)、紆余曲折と試行錯誤の末1970年漸く自らのバンドネーミングを冠したデヴューアルバムをリリースする。
サイケデリック・ムーヴメントが席巻していた当時に於いて、彼等とて幾分サイケデリアからの洗礼を感じさせるものの、ツェッペリンやサバスの様なヘヴィ路線はおろか初期フロイドのスペイシーサウンドな路線とは無縁な、本デヴュー作の占めている方向性たるや極めてジェントリーでシンプルな正統派ブリティッシュ・アートロック&ポップスなカラーと方向性こそが彼等の身上と言っても過言ではあるまい。
ロック、ジャズ、クラシックといった音楽的素養が三位一体となった…所謂後々まで語られるヴァーティゴ・オルガンロックサウンドが明確に位置付けられる決定打となり、同年同じくヴァーティゴからデヴューを飾ったアフィニティーと並んで、70年代ブリティッシュ・アンダーグラウンドの片翼を担う主流のサウンドとして語り継がれていく意味合いすらも感じずにはいられない。
ジャケットデザインこそ急ごしらえとでもいうかやっつけ仕事の様な地味でお粗末感丸出しなマイナス面は否めないものの、決して派手ではないが抑揚感を伴い緩急自在に繰り広げられる彼等の巧みな演奏技量に加えて、ハートウォームなポップスフィーリングとジャズィーなエッセンスが加味されたプログレッシヴなサウンドワークを耳にする度に、彼等の作品が今世紀に至るまで永く愛され根強く支持されてきたというのも頷けよう。
Angus Cullenの優しくも憂いを帯びたヴォーカルも然る事ながら、非の打ちどころが無いギターにリズムセクション、何よりもオルガンからクラヴィネット、メロトロンを駆使してクレシダ唯一無比なるサウンドを織り成しているPeter Jenningsの手腕とスキルには頭の下がる思いですらある。
めでたくデヴューを飾り…さあ!いよいよこれからという矢先に起こったオリジナル・ギタリストのJohn Heyworthの脱退(ツアーでの精神的疲弊と人間関係での悩みがあったそうな)は、寝耳に水の如くまさにバンドにとって出鼻を挫かれた形で大きな痛手となったのは言うまでもあるまい。
それでも彼等は臆する事無く以前にも増して創作意欲を高めつつ、オーディションから新たなギタリストJohn Culleyを迎え、ゲストにブリティッシュ・ジャズ界名うてのフルート奏者Harold McNair、アコギ奏者にPaul Laytonをゲストに、メロトロンの使用を止めてバックにオーケストラを配し、かのブリティッシュ・プログレッシヴ屈指の名作と名高い最高傑作『Asylum』の製作に着手する。
前デヴュー作での経験を踏まえて、より以上にプログレッシヴな精神で臨み、戦争による歴史の悲劇と愚かさを題材にしたトータルアルバム形式の大作でもあり、キーフが手掛けた石膏像の首人形(美容室に於いてあるウィッグ用マネキンヘッドにも似ている)が林立している…あたかも涅槃の様な終着の浜辺(彼岸)をも彷彿とさせる何とも不気味で且つ不思議で印象的なアートワークが作品の世界観を雄弁に物語っており、まさしくクレシダが描かんとしているリリシズムとドラマティックとのせめぎ合いに、聴き手も知らず知らずの内に惹き込まれていく事必至といえよう。
なるほど、イタリアの最高峰クエラ・ベッキア・ロッカンダ『Il Tempo Della Gioia』と並んでイギリスのクレシダ『Asylum』が高い好評価を得ているのも納得である(奇遇にも両バンドとも2ndアルバムの最高作で高額プレミアムが付いていたというのも奇妙な一致である)。
ついでに…この場をお借りして言わせてもらいたいのだが、クエラ・ベッキアにせよクレシダにせよ素晴らしい最高作だと言われ続けている反面、ひと昔前の扱われようというか陰口誹謗中傷といったら“所詮、物珍しいだけで高額プレミアムが売りの音楽性云々なんてB級止まり”といった心無い発言や無責任な評価で、随分と過小評価され卑下た扱われ方が目に余る思いだったのを今でも記憶している。
心揺さぶられ感動出来る音楽にA級もB級もへったくれもあったもんじゃない!
早い話…作品に対し如何に悪口言えるか否かしか頭の無い感受性の貧しい聴き手と書き手の詭弁でしかないように思えてならない。
話が横道に逸れてしまったが、『Asylum』という素晴らしい自信作を引っ提げて、クレシダは意気揚々とヨーロッパツアーへと赴こうとした矢先に、今度はツアーマネージャーのとんだ不手際で資金面での遣り繰りに困窮し、それに端を発したメンバー間同士の疑心暗鬼と人間関係の悪化が尾を引いて、悲しいかな翌年決定していた『Asylum』のリリースを待たずして70年の暮れにバンドは呆気無く解散の道へと辿ってしまい、こうして3年に亘る彼等の物語も幕を下ろし、表舞台から完全に遠ざかってしまう。
クレシダ解散後のメンバーの動向にあっては、中心的存在だったAngus Cullenは一時的ながらも音楽業界から足を洗ってフランスにてビジネスマンを生業にし、もう一方のブレーンでもあったPeter Jenningsはイギリスの音楽業界に裏方として携わり、以降も独自の創作活動と併行してスコアを数多く手掛けていたとのこと。
Kevin McCarthyは、かのジョン・G・ペリーが在籍していたTRANQUILITYにリズムギタリストとして在籍、John Culleyはヘヴィ・ロックバンドのBLACK WIDOWに参加、そして残るドラマーのIain Clarkはユーライア・ヒープに誘われて名作『Look At Yourself(対自核)』にたった一度きりの参加で、翌年Lee Kerslakeの加入と同時にヒープから解雇される憂き目に遭い、その出来事が余程骨身に応えたのか音楽業界にほとほと嫌気がさしてしまい一時的に音楽活動から足を洗うといった歩みを辿っている。
クレシダが遺したかつての2枚の作品ばかりが独り歩きし、時代の移り変わりと共にいつしか高額プレミアムの付いた素晴らしいブリティッシュ・プログレッシヴの隠れた逸品として称賛され、ただ悪戯に天井知らずな付加価値ばかりがうなぎ登りに上昇していくといった様相を呈していた(苦笑)。
そして21世紀の2010年、再び時代の女神はかつてのクレシダのメンバーに微笑みかける事となった次第である。
折からの70年代ロックバンドの再結成ブームの波にAngus CullenとKevin McCarthyが引き寄せられ、今再びクレシダの復活と再出発を目論んでいた直後に舞い込んできたオリジナル・ギタリストJohn Heyworthの訃報(同年1月11日にアメリカはオレゴン州ポートランドにて急死したとのこと)に、あたかも弔い合戦にも似た哀悼の意を込めて、ドラマーIain Clarkが所有していたデヴュー以前のデモテープをリマスタリングし、2012年クレシダ復活の狼煙と共に『Trapped In Time:The Lost Tapes』としてリイシューCD化。
現在、Angus Cullenを筆頭にPeter Jennings、Kevin McCarthy、Iain Clark、そして3代目ギタリストとしてRoger Nivenを加えた布陣で現在もなお精力的且つコンスタンスにライヴ活動を継続している。


「夢幻の楽師達」の締め括りに於いて、もはや定番化したと言っても過言では無い位、新譜リリースに期待を寄せたり、川崎クラブチッタでの来日公演を期待したいといった旨を綴ってはいるが、新譜の期待感も然る事ながら…縁起でも無い書き方で恐縮だが、せめて個人的には死ぬまでに一度で良いからステージで生の彼等クレシダの雄姿をしっかりと目に焼き付けておきたいという、ささやかながらもプログレ人生に於ける終活めいた希望を抱き続けていけたらと願って止まない。
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