幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 TRIADE

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 2022年、今年最初の「一生逸品」をお届けします。

 つい先月新年を迎えたばかりなのに、いつの間にかもう2ヶ月経ち、気が付けば冬の北京オリンピックも終わり2月も終盤に差し掛かった今日この頃です。
 感動と熱気の余韻冷めやらぬ2022年冬季五輪ではあったものの、振り返ってみればアスリート側と運営側との意見の相違やら思惑の喰い違い云々、果ては足の引っ張り合いやら誹謗中傷云々とやらまでが飛び交う、決して平坦で穏便な数日間とは言い難い…要所々々でそこはかとなく後味の悪さを残した今大会だったと思えてなりません。
 それでも、北京の今大会で健闘し国境を越えて互いを讃え合い切磋琢磨した世界各国のアスリート達に、心から惜しみない拍手と「感動を有り難う、本当にお疲れ様」そんなねぎらいの言葉を贈りたいと思います。
 そう!オリンピックの主役はあくまでアスリートサイドであって(某国の冷血な鉄の女は嫌いですが)、決して大会運営側やら各競技連盟の偉いさん達では無い事を声を大にして言いたい限りです。
 冬季五輪と時同じくしてウクライナに侵攻を推し進めている某国に対しても、民衆の声を無視した偉いさん達の思い通りになると思うな!スポーツや文化、芸術に罪は無いんだぞ!今はただそのひと言に代えさせて頂きたく思います。

 私論を含めて前置きが長くなりましたが、今回は先月の「夢幻の楽師達」で取り挙げたサン・ジュストに引き続き、久々に70年代イタリアン・ロック繋がりが勢い付いているところで、いつかはピックアップせねばと思いあぐねていた、正真正銘まさしく幻と伝説的な存在にして、僅かたった一枚という珠玉の唯一作を遺し時代の表舞台から静かに去っていった、燻し銀の如き光沢と輝きを未来永劫放ち続ける稀代のキーボードトリオとして名高い“トリアーデ”に、今一度焦点を当ててみたいと思います。

TRIADE/1998 : La Storia Di Sabazio(1973)
  1.Sabazio
    a)Nascita
    b)Il Viaggio
    c)Il Sogno
    d)Vita Nuova            
  2.Il Circo        
  3.Espressione     
  4.Caro Fratello          
  5.1998 (Millenovecentonovantotto)
  
  Vincenzo Coccimiglio:Key
  Agostino Nobile:B, Ac-G, Vo
  Giorgio Sorano:Ds

 プログレッシヴ含めロック全般を愛する誰しもが必ずと言って良い位、一つないし二つは頭に焼き付いて離れられない音やフレーズがあるのではなかろうか…。
 私自身長年に亘ってプログレッシヴ・ロック、ユーロロックに慣れ親しんでいると、無論それ相応にいろいろ多種多様なメロディーやフレーズが頭の中に染み付いてしまうのは言うまでも無いが、久しく忘れていたものが、ふとした拍子でポッと甦ってしまう音色というのは極々稀であり、喩え話で恐縮だが仮に五本の指で数えてみても、必ずといって良い位に今回本篇の主人公トリアーデが不思議と思い起こされるのだから、改めて彼等の音を初めて耳にした時の印象…拝聴して最初は地味目で淡々且つ単調なイメージを抱かされたものの、それが後々になってくるやボクシングのボディブローよろしくとばかりに徐々に少しずつ脳内に浸透してくるという、いやはや何とも(良い意味で)厄介な音楽作品を後世に遺してくれたものだと苦笑いすることしきりである。
 ジャケットワークに関しても未だに忘れる事が出来ず、イタリアオリジナル原盤の淡い金箔地に素朴で何とも摩訶不思議な線描画が描かれている云々よりも、キングレコードからネクサス・インターナショナルシリーズの一環で日本国内盤が発売された時の、さながら大盤振る舞いよろしくが如実に表れた、金箔以上に金ピカド派手でキンキラキンに光り輝く純金さながらのジャケット地には流石に言葉を失ったものである(苦笑)。
 ユーライア・ヒープの『対自核』すらも遥かに上回る、鏡面ピカピカで顔すらも映ってしまいそうなジャケットに、ここまでやるのかキングレコード!と言わんばかり、当時私と同様リアルタイムに店頭で手にされた方々なら、あの衝撃は覚えておられる事だろう。
 極端な話文房具店で売っている幼児教育用の折り紙セットの中に封入されている金ピカ折り紙が、そのまんまLPサイズ大でトリアーデのジャケットになったと言えば御理解頂けるだろうか…。
 当然の如く逆輸入で海外市場にもあの仕様盤が極々出回った事を思えば、母国のイタリア現地でもバイヤーやマニア諸氏面々が驚嘆閉口したに違いないと思えてならない。
 しかし悲しいかな…個人的な話、そのド派手金ピカ仕様日本国内盤はいろいろと諸事情があって、私自身確かブリティッシュのレア盤2枚とトレード交換してしまい、当時もういいやとばかりにいとも簡単に手放してしまったのだから、今にして思えばバカというか何とも勿体無いことしたなぁとつくづく自身の愚かさ加減に後悔する事しきりである。

 毎度の事ながら自身の悪い癖というか、ついつい思い入れたっぷりな書き出しになってしまい恐縮至極であるが、そろそろ本篇のトリアーデに戻したいと思う…。
 このバンドの困ったことは、唯一作でもある『1998:La Storia Di Sabazio』に彼等3人のメンバークレジットが記されていないのが大きなネックであったが、ネット社会隆盛である今日に於いては彼等の経歴やら全容が明らかになった点で、何とも隔世の感すら抱かせる。
 バンドは1970年代初頭に彼等のホームタウンでもあるフィレンツェにて、当時まだ18歳というティーンエイジャーだったキーボードのVincenzo Coccimiglio、そしてベーシスト兼ヴォーカリストのAgostino Nobileの2人が地元の大手クラブSPACE ELECTRONICで出会った事から幕を開ける事となる。
           
 SPACE ELECTRONICでは当時国内外の飛ぶ鳥も落とす位の気鋭のバンドが数多く出演し、特にデヴュー当初から何度か出演回数の多かったVDGGに大きな刺激を受け、共通のファンでもあったVincenzoとAgostinoが互いに意気投合したことからトリアーデ結成へと端を発し、トリオのスタイルで演ってみたいという構想から、残るドラマー探しには至ってはなかなか理想的な人材には辿り着けず困難を極めたものの(ドラマー募集で2人に対面した者の中には、“ナイスやVDGGみたいなロックと聞いていたのに、話が違うじゃないか!これじゃあ実験音楽だ!お前ら何が演りたいんだよ!!”と激昂しドラムスティックを投げつけられたとか…)、何とか音楽仲間やクラブ関係者の人伝を介してGiorgio Soranoを迎え、トリアーデは漸く軌道の波に乗る事となる。
 リハーサルやギグといった場数を重ね、第一次イタリアン・ロック黎明期にして黄金期真っ只中という、まさしく時代の追い風に乗るかの如くクラブ関係者からCGD傘下のDerbyを紹介された彼等は、程無くして契約を交わし1973年に念願だったアルバムとシングルでデヴューを飾る事となる。
          
 Derbyサイドからの提案で、デヴューアルバムは豪華仕様でいきたいとの好意的な意向でかくの如し金箔地と相成った次第であるが、イラストデザインがなかなか決まらず結局のところバンドのドラマーでもありいつの間にかまとめ役的な立場となったGiorgio Sorano (彼等の音楽性を解し、かなりアドバイスもしていたそうな) の奥方でデザイナーだったFlorinda Soranoの線画が採用されたのも特筆すべきであろう。
 個人的な見解で恐縮であるが、アートワークがかのスイスのSFFのデヴュー作を連想させるものの、この時点で (同じトリオながらも) SFFよりも先に行っていたんだなぁと思わず感慨深くなってしまうことしきりである…。
 
 冒頭組曲形式の大作から、唯一無比なるトリアーデ・ワールドが全開で厳粛且つ神秘的なハモンドのイントロダクションで物語は幕を開ける。
 旧アナログLP盤でA面がフルにヴォーカルレスのオールインストゥルメンタルで占められており、キーボードがハモンドオルガンとアコースティックピアノのみという至ってシンプルイズベストな構成で、ヒュー・バントンからの大きな影響も然る事ながら、要所々々で御大エマーソンの影や匂いすら窺わせつつ、クラシカルでコンテンポラリー尚且つアヴァンギャルドに曲進行し、時折複雑怪奇な面妖すらも覗かせ、シンフォニック云々とはひと味もふた味も趣を異にしている辺りは、一番近しいところで同じイタリアン・ロックのグルッポ・ダルテルナティーヴァの1972年の唯一作『Ipotesi』に相通ずるところが多々感じられてならない。
           
 敢えてメロトロンやシンセサイザーを使用しなかった点に於いても、トリオ編成に移行したトリップの『Atlantide』、今も謎多きエクスプロイトの唯一作『Crisi』と同様、即行でライヴ演奏に持っていけるような狙いがあった事も見受けられよう。
 ちなみに大曲「Sabazio」にて重々しいコントラバス (チェロ?) を奏でているのは、クレジットには記されていないがおそらくはベーシストのAgostino Nobileであろうと思われる。
 今なおクレジットで使用楽器が明記されていないが故に断言は出来ないが…。
 意味深で奇妙な大作という音楽体験を経て、続く2曲目 (旧LP盤A面ラストを飾る) は、同じインストゥルメンタルながらも雰囲気が打って変わって、本筋の正当なイタリアン・ロックカラーで構成されたクラシカルでシンフォニックな小曲で、ハモンドオンリーながらも初期のオルメないしオランダのトレースをも想起させる軽快で味わい深く、リスナー諸氏へ筆舌し難い余韻すら与える好ナンバーと言えるだろう。
 3曲目以降からはAgostinoのペンによる歌物ナンバーが目白押しで、牧歌的でたおやかなアコギに導かれ漸くここからオルガン以外の鍵盤機材でストリングアンサンブル (ソリーナ?) が顕著に奏でられ楽曲に色が添えられるようになる。
 ハミルから影響を受けたAgostinoのポエジーでアーティスティックな側面に加えて、カンタウトーレ的な趣と感性が光る憂いと慈しみに満ちた歌心が胸を打つ3曲目を皮切りに、これぞまさしくイタリアン・ロックの本懐すら窺い知れるであろう4曲目でのオルガン・ヘヴィロックな側面と、フォークタッチで泣きの歌心とシンフォニックな側面とが、寄せては返す波の如くせめぎ合い絶妙なアンサンブルを織り成す曲想から、終盤にかけて高らかに神々しく奏でられる大聖堂のパイプオルガンさながらのハモンドの響鳴に、思わず心を鷲掴みにされる事必至であろう。
 本作品を締め括る意味深なタイトルとイメージ通り、感傷的で激情な心すら表れたアコギが掻き鳴らされ切々と物憂げに謳われるAgostinoのソングライターとしての素晴らしい資質が秀逸なラスト5曲目は、ファンタジックでリリカルなオルガンワークに、終盤にかけてのモーグ (或いはアープ系か)シンセサイザーの雄大で荘厳なるオーケストレイションが大団円に相応しいフィナーレとして、絢爛豪華な光明を与えているのが実に感動的である。 
 ちなみに本作品から3曲目とラスト5曲目のショートヴァージョンが、カップリングでシングル化されている事も付け加えさせて頂きたい。

 レーベルサイドからの期待を一身に受け、アルバムデヴュー以降ラジオで頻繁に収録曲がオンエアされ、かのバンコやPFMとのジョイントツアーでオープニングアクトを精力的に務めライヴでの上々な評判に加えて知名や認知度も徐々に高まりつつあったが、そんな実情とは裏腹に音楽誌面に大々的に取り挙げられる事も無く、結果としてセールス的にも奮わず泣かず飛ばずの足踏み状態が続き、業を煮やしたレーベルサイドからドイツに拠点を移してもっとポップでシングルヒット向けの曲へとシフトするよう打診されるものの、明るい曲だのポップな曲だのといったスキルなんて持ち合わせていないと言わんばかりに会社側の提案を拒絶し、完全にDerbyとは溝が埋まる事無く絶縁状態となり、音楽業界の御都合主義にほとほと嫌気がさしていた彼等はバンドの解体を決意し、トリアーデはその短い活動期間に人知れず静かにあっさりと幕を下ろす事となる…。
 トリアーデ解散以後、各々の消息にあっては長年に亘って音信不通の状態が続き…音楽業界に残っているのか、或いは完全に音楽から足を洗って極々平凡な社会人としての道を歩んだのか皆目見当が付かないところであったが、近年判明した限りではキーボーダーのVincenzo Coccimiglioにあっては、トリアーデ解散後、かのエロティックな洗濯女ジャケットで大いに話題を呼んだディク・ディク (I DIK DIK) から新たなキーボード奏者として加入を打診されるものの、Vincenzo自身もはや音楽業界にほとほと愛想が尽き果てていたさ中であったが故、いともあっさりディク・ディクへの参加を拒否してしまい、ボローニャ芸術大学にて学業に専念し卒業後は音楽教師としての免許を取得。
 数年間は教壇に立って後進の育成 (ピアニストの育成と思われる) に携わるものの、Vincenzo自身本来の気まぐれな性格からか指導者としての道をいともあっさりと断ち切って、近年ではピアノバーのピアニストとして世界中を流浪する自由人としてスローライフな余生を謳歌しているとの事である。
           
 駆け足ペースながらもトリアーデの歩み、そして彼等が遺した唯一作を改めて振り返ってみたが、プログレッシヴ業界不変の禁句にして諺通りで恐縮だが、素晴らしい音楽…心を打つ良い音楽が必ずしも売れるとは限らないという悲しむべき真実を、悲しいかなトリアーデはそれを身をもって体験し、運に見放されツキにも恵まれず音楽業界の御都合主義に振り回され翻弄された悲劇の被害者(と言っていいのか?)にして、あたかも無名に等しい秀でた才能で終止してしまった感は無きにしも非ずである。
 あの幾数多もの才能達で犇めき合っていた70年代のイタリアン・ロックシーンに於いて、トリアーデは時代の上では確かに敗れ去ってしまったが、だからと言って決して敗者としての烙印を押された訳では無い!と、それだけは声を大にして言わせて貰いたい。
 彼等の足跡は生きた証やら記録なんてお気軽な表現で片付けたくはないし、彼等が遺したたった一枚こそ70年代イタリアン・ロックの類稀なるかけがえの無い財産でもあり未来へと繋がる遺産である事を私達は決して忘れてはなるまい…。
 そう!金箔地のジャケット云々を抜きに、トリアーデとその唯一作は今もなお神々しい光と輝きを未来永劫放ち続けているのである。
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