一生逸品 IRIS
桜舞い散る4月も終わりを迎え、季節はいつしか新緑が色濃く映える薫風の初夏へと移り変わりつつあるさ中、皆様如何お過ごしでしょうか…。
ウクライナ情勢を余波に世界各国が不穏な空気に見舞われている昨今ではありますが、悲しいかな…それでも人も世界も前を向いて日々を生き続けていかねばならないというのが現実です。
自分自身でさえも、こんな混迷に満ちた世の中なのに安穏と『幻想神秘音楽館』を綴って果たして良いのだろうか…本当に意味があるのだろうか…と何度自問自答に駆られた事でしょう。
ですが、やはり現代(いま)がこんな時代だからこそ、ほんの束の間だけで良い、嫌な事…辛い事…それこそ思わず目を背けたくなる様な現実から暫し遊離して夢想に浸り、皆誰しもが大なり小なりの幸福と平穏を感じるのは唯一許された特権です。
夢だの希望だのと敢えて大仰に語るつもりはありませんが、暗く重々しい現実を理解認識しつつも、せめて好きな事や安らぎを得るのは罪では無いと思えてなりません。
だからこそ…『幻想神秘音楽館』の休止やら休載とか、安易に断筆宣言する事無く、敢えて辛く悲しい現実に立ち向かいながら困難な道を選んで、エヴァのシンジ君の“逃げちゃだめだ!”の言葉の如く、ただひたすら己を信じて前に歩み続けようと決めた次第です。
ロシアがプロパガンダに支配された封建的で野蛮な国でしかなかった事を改めて認識したが故、自分自身心の底からイギリスやアメリカ、西欧、北欧、東欧、中南米、日本…等の素晴らしい音楽に触れる事の出来た境遇や環境に喜びと感謝を噛み締めたい…今はそんな心境です。
気持ちを切り替えて、私自身旧ソ連時代やら独裁と帝政を信奉するロシア国家とは永訣し、新しいグローバルな視野で現実を見つめ自由と平和を謳歌する次世代のロシアに希望を繋げていこうと思います。
さようなら、あばよ!独裁者に支配された愚かで古臭いロシアの皆さん。
例によってまたも前置きが長くなりましたが(苦笑)、今回お送りする「一生逸品」はそんな不穏な雰囲気をも吹き消すかの如く、サイケデリックで夢見心地ながらもクラシカルでシンフォニック、70年代フレンチ・プログレッシヴ前夜の曙にも似たアートロックの感触を持った、かのフレンチ・ロック黎明期の名作にして傑作でもあるサンドローズにも匹敵するであろう…まさに知る人ぞ知る稀有な存在ながらも、決して伝説や幻の存在で語るには惜しまれる位の音楽性と才気に満ち溢れた、唯一無比にして万人に愛されるべき夢想空間の匠の称号に相応しい“アイリス”が遺した唯一作に、今一度スポットライトを当ててみたいと思います。
IRIS/Litanies(1972)
1.Chrysalide
2.Jus De Citron
3.Donnez Moi De L'eau
4.Songe
5.Oracle
6.Décadence
7.Ballade Pour Une Minette Plastique
8.L'étoile artificielle
9.Le Livre Des Litanies


Alain Carbonare/Key, Vo
Tony Carbonare/B, Vo
Gérard Cappagli/G
Gilbert "Bop" Henry/Ds, Vo
70年代ユーロロックの主流は最早言うまでもなくイタリアンかジャーマン、あわよくばフォーカスやエクセプションを輩出したダッチ系という見方が大筋なところであろう。
フレンチ・ロックはタイ・フォンの世界的なヒットを契機に注視されるまでの間、前出のユーロ3大勢力の影に隠れがちな印象が強く、言わずもがなマグマやアンジュといった二大巨頭が有名どころではあったものの、フレンチ・ロックは良し悪しを抜きに余程の通好みかマニアでない限り、まず表立って取り挙げられる事は極めて少なかったという印象は拭えない。
さながら日本の歌謡曲や演歌と同様、フランスもお国柄というかアイドル系フレンチ・ポップスやシャンソンが大いにもてはやされていたが故、なかなかロックの育つ土壌としては至難と言わざるを得なかったのではあるまいか…。
そんなフレンチ・ロック黎明期ともいえる1969年~70年代初頭にかけて、かのカトリーヌ・リベロのデヴューを合図の如く、自国の大道芸の要素を醸し出し独特のエスプリがふんだんに香り漂うマルタン・サーカスやアリスの登場を皮切りに、単発バンドながらも後のサンドローズへと繋がるエデン・ローズ、ロックテアトルの祖と言っても過言では無いアンジュのデヴュー、果てはトリアングルスにズー、レッド・ノイズといった当時新進気鋭のバンド達が雨後の筍の如くフレンチ・ミュージックシーンに躍り出る事となり、デヴュー当初から大きな話題を集めていたマグマやゴングに呼応同調しながら、第一期フレンチ・プログレッシヴ黄金時代の根幹を担ったのは言うに及ぶまい。
そんなさ中の1972年、前出の伝説的存在にして名匠のサンドローズとほぼ同時期にデヴューを飾りつつも、サンドローズと同様僅かたった一枚の唯一作を世に遺しつつ悲しいかな短命バンドへの道を辿ってしまった、今回本篇の主人公でもあるアイリス。
アイリスは後年プログレッシヴ・フォークのマシャン始め、80年代初頭屈指の傑作『Rock Fantasia Opus 9』を世に送り出したウルタンベールを結成した実質上の音楽的リーダーにして稀代のメロディーメイカーでもあるAlain Carbonareによって結成された、Alain自身の音楽人生最初の出発点ともいえるバンドでもある。
遡る事1970年、ドイツとスイスとの国境近くにあるフランス東部にある町モンベリアルにてAlainそして兄TonyのCarbonare兄弟によってアイリスは結成される。

Alain自身の弁によると、13歳の時分にビートルズから多大なる影響を受けギターを始め、17歳で独学でピアノを修めコンセルヴァトワールで日々8時間に及ぶレッスンを積み重ねて、21歳でプロとしてのキャリアをスタートさせたとのこと。
兄Tonyがベースを務め、Alainのクラシカルでカトリシズムなオルガンを主軸に旧知の間柄でもあったGérard CappagliとGilbert Henryを招聘し、初期フロイドのサイケデリアな作風にプロコル・ハルムのリリシズムとポップス・フィーリング、初期のイエスからインスパイアされたハーモニー、そしてバッハ、ドビュッシー果ては中世バロック古楽に教会音楽のエッセンスを内包した唯一無比のオリジナリティーを確立し、ファルセットを中心としたナイーヴなフランス語による優しいヴォーカルと幻想的なイマージュを湛えたコーラスワークが特色で、当時フランス国内を席巻していたアンジュ関連の作風とは一線を画した、優雅にして気品に満ち溢れた世界観こそ彼等の身上と言えるであろう。
淡い桜色のさながら春の海の水面に漂う水中花…或いはウミウシをも連想させる甲殻類(?)が描かれた印象的で不思議な意匠に包まれた、まさに束の間の白昼夢にしてファンタジック、夢見心地な浮遊感と御伽世界への遊離がトータル34分超で存分に堪能出来る、ドリーミーな良い意味で (決して薬物体験ではない) トリップ感覚が聴く者の脳裏に木霊すること必至である。
小気味良いベースに導かれエフェクトを多用しつつもクラシカルに転調するハモンドが高らかに響鳴し、フランス語によるイントネーションが活かされた歌心とコーラスによるオープニングの美しさに感嘆することしきりであろう。
車のクラクションに街の雑踏を思わせるSEをバックに、幾分都会感覚を思わせる軽快でポップな曲想の2曲目も素晴らしい。
伸びやかで気品溢れるコーラスワークの上手さも然る事ながら、一瞬ジョン・アンダーソンをも連想させる歌い回しが何とも微笑ましい。
何だかモロにイエスのデヴュー作、或いはサードアルバム期の面影を窺わせる3曲目は、もはやサイケやアートロックの概念を超えた完全プログレッシヴ寄りな曲想で、クリスチャン・デカン風なヴォイスが出てくる辺り流石フランスならではの官能的な系譜を改めて認識出来よう。
面妖にして摩訶不思議なパーカッションにアンジュ風なオルガンのイントロに導かれる4曲目、ややヘヴィネスでリリカルな両面性を備えつつも、フレンチ・トラッドなリコーダー (おそらくAlainの演奏と思われる) が、ブローニュの森の深遠な神秘性を醸し出している。
プログレッシヴ&シンフォニックなハモンドが大々的に活躍する5曲目、ユニークでトラディッショナルなリズムと優雅なコーラスワークとの対比が楽しめる6曲目、ジャムセッション風でシド・バレット在籍時のフロイドを思わせるフリーフォアな雰囲気が楽しい7曲目、前出の4曲目と同様アンジュ風で尚且つ正統派フレンチ・プログレッシヴの本懐が垣間見える8曲目の小気味良さを経て、“連祷の本”という何とも意味深な韻を踏んだ優美でシニカルな、様々な解釈を聴き手に与えつつフェードアウトで締め括られるラストナンバーに至るまで、徹頭徹尾フランス流なウィットとエスプリが色濃く滲み出た、72年リリースという時代の香りをふんだんに漂わせながらも、(失礼ながらも) かのサンドローズとは全く趣が異なる古臭さを微塵にも感じさせない崇高で秀逸な音世界を紡いでいる。

余談ではあるがアイリスが世に遺した本作品…私自身現物をお目にかかったのは片手で数えて概ね2~3回程度で、それこそ目白にあった某中古廃盤専門店の展覧会の絵よろしく壁掛け高額プレミアムコーナーに鎮座していたのを今も鮮明に記憶している (苦笑)。
サンドローズのオリジナル原盤でさえ滅多にお目にかかれなかった80年代当時、かのエマニュエル・ブーズの高額プレミアム原盤『Le Jour Ou Les Vaches…』と並ぶ、高額プレミアム盤の極めつけと言われ続けていただけに、後年CD化が当たり前となった御時勢に於いてもなかなかCD化されない実情に何とももどかしい思いを抱いていたものだが、近年漸くCD化され改めて音に触れてみると、成る程この上々な出来栄えとクオリティーなら数万単位価格のプレミアムが付くのは納得ですらある。
下世話な話…大半のプログレッシヴ・リスナーの方々なら、アイリスの唯一作に“メロトロンが入っていたら、また更に違った印象で評価が高まるのでは…”云々と言いたくなるのは山々ではあるが、これはこれでメロトロン抜きでも十分通用出来るだろうし、この手の全面的にオルガンフィーチャー作ともなるとメロトロンを導入したら却って全体像が散漫になってぼやけたマイナスな印象で終止してしまうと思うのだが如何なものであろうか?
最初で最後の唯一作アルバム並び、それと前後してアルバムから抜粋されたシングルを2枚リリースし、たった僅か数回ものギグとメディアへの露出を経た後、アイリスはメンバー各々の異なった方向性が見い出せたからなのか、いともあっさりシーンの表舞台から人知れず去ることとなる。
肝心要のAlain Carbonareに至っては、アイリス解散以降フランス国内外の有名アーティストのバックミュージシャンとして多数参加経験を積み重ねた後、70年代半ば以降からはフレンチ・トラッド界の大御所Alan Stivellとのツアー始め行動を共にする一方、ミュージシャン/演奏家としての肩書きを持ちつつイタリアや旧ユーゴスラヴィアでのツアーの際にその土地々々での名立たる弦楽器職人の下で楽器製作の技法を学び数々の経験と修練を経た後、伝承楽器プサルテリオン (プサルテリー) を現代的な解釈を加えた形で復刻させ、それと併行して70年代後期以降兄のTonyと共にプログレッシヴ・トラッドバンドのマシャンを結成し3枚のアルバムをリリース。
Alain自身、マシャンでの活動時期が時同じく楽器職人として独り立ちしたばかりと重なり、当時は経済的にもかなり厳しかったと回顧していたが、プサルテリオン以外にもヴァイオリンやビオラの製造も手掛けており、プロの演奏家達からは概ね高評価 (好評価) を得ていた事で、Alain自身楽器職人としての誇りとプライドにますます拍車が掛かったのは言うまでもなかった。



マシャン解体後、Alainは程無くして旧知の伝を通じ数人のアマチュアミュージシャンを招聘し、80年代フレンチ・シンフォニック&トラッドの栄光ともいえるウルタンベール結成へと活路を見い出していき、弟Alainのバックアップとばかりに兄のTony自身も彼の楽器工房並びウルタンベールの運営面兼マネジメントとして裏方へ転向する事となる。
Alainが製作を手掛けた大小様々なプサルテリオンが全面的にフィーチャリングされながらも、彼自身が奏でるピアノにオルガン、アコギまでもが存分に堪能出来て、ロック、クラシック、ジャズ、トラッドの素養とエッセンスが渾然一体となった、まさしくAlain自身が理想とする音楽像ここに極まれりといった会心の一枚と言えるだろう。
ちなみにウルタンベールの本デヴュー作品、当時のフランス文化庁から大々的な資金援助と賛助を受けていたとの事で、手作りの良さというかそこはかとなくアカデミックな印象を受けるのも頷けよう。
ウルタンベールのデヴューから5年後の1985年12月、大阪でフランス海外経済見本市協会主催のフランス物産展開催の折、楽器創作家としての講演で初来日を果たしたAlainはオフタイムで東京を訪れた際に当時のマーキー誌スタッフとのインタヴューや談笑で数々の興味深いエピソードを披露しているが、その中からAlain自身の名言をいくつか抜粋して載せておきたいと思う。
「音楽とは、感情の表現を目的とするものではなく、感情そのものである。この感情が楽器を生み出す。まるで錬金術のように死せる物質が生まれ変わり、息づき始める。」
「私にとって楽器と演奏を結び付けることは非常に大切なことです。それは音楽言語を理解するうえで絶対に必要なことです。そのために私は楽器を作っています。それは官能的な喜びでもあります。」
当時のインタヴューの合間にて、ウルタンベールの2ndアルバムに話が及ぶと…デヴュー作からメンバーを全て一新してリハーサルと録音準備に臨んでいると語っていたが、あれから23年後の2008年、事実上の2ndアルバム『Rock Fantasia Opus 10』を引っ提げて再びシーンに帰って来た嬉しい便りから早14年、あれ以降新作録音のアナウンスメントが聞かれなくなって些か久しくも寂しい限りではあるが、Alain自身概ね昨今のSNS関連とは無縁な環境で、俗世間の事なんぞ一切興味を示す事無く (良い意味で) 自己の世界に没頭し、アルプスの山々と大自然に抱かれつつこれからの余生を捧げていくのであろう。
Alain自身決して世捨て人までとはいかないにせよ、それはそれで充実した楽しい人生であるということだけは私自身“これからも幸あれ…”と切に願わんばかりである。
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