夢幻の楽師達 -Chapter 06-
9月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
今回はアメリカのプログレッシヴ史に於いて2枚の伝説的名作を残し、解散と再結成の紆余曲折を経て、紙ジャケットCD復刻並び再結成ライヴのリリースと、今もなお絶大で根強い人気を誇り名実共にカリスマ的存在の“イエツダ・ウルファ”を取り挙げてみたい次第です。
YEZDA URFA
(U.S.A 1973~)


Phil Kimbrough:Key,Syn,Mandolin,Wind Instruments,Vo
Mark Tippins:G,Vo
Marc Miller:B,Per,Cello,Vo
Brad Christoff:Ds,Per
Rick Rodenbaugh:Lead-Vo,Air-G
オーヴァーグラウンドに浮上しメジャーな流通で成功を収めたカンサスやスティックス、スター・キャッスル…等とは正反対に、彼等=イエツダ・ウルファは…かのカテドラル、イースター・アイランド、バビロン、クィル、ペントウォーター…等と並んで、(失礼ながらも)アメリカン・アンダーグラウンド・プログレッシヴ界において決して、否!絶対忘れてはいけない重要な存在であろう。
毎度の事ながらも、彼等に関するバイオ・グラフィー・経歴等は残念ながら極めて少ないが故、米シンフォニック・レーベルよりリイシューされたCDからの英文解説を頼りに綴っていかねばなるまい。
75年に自主リリースされた、記念すべき(!?)デヴュー作『Boris』がシカゴにてレコーディングされたことから推測して、バンドそのものは1973年にシカゴの地元ハイスクールの学生達によって結成されたものと思われる。
上記の不動の5名によってイエツダ・ウルファは75年と76年に2枚の作品を残し、バンドそのものは80年初頭まで活動していたものと思われる。補足であるが…Philはニューメキシコ州出身、BradとMark、Marcの3人はインディアナ州出身、Rickはイリノイ州出身。
加えて1953年生まれのRickを除き、残りの4人が皆1955年生まれで(バンド内でヴォーカルのRickが最年長者である)、言うまでもなくメンバー全員とも学生時代からイエスやジェントル・ジャイアントといったブリティッシュ・プログレッシヴを愛聴し、コピーを重ねつつ繰り返しながらも、1stと2ndの礎ともなるオリジナル曲を多数書き貯めては、独自の方向性と作風を模索し確立に至った次第である。
度重なるライヴ活動を経て、盟友にして共同プロデューサーでもあるグレッグ・ウォーカーの協力と助言を得、75年シカゴはユニヴァーサル・スタジオにて収録された『Boris』のマスターテープを完成させ、大手レコード会社数社(A&M始めキャピトル、コロンビア、ロンドン、フォノグラム、果てはワーナーにも…)に売り込みを目論むも、悲しむべき事に全社からはことごとく契約不成立の返事しか返ってこない有様であった。
後年、シンフォニック・レーベルからリイシューCDのインナー中にて先の大手6社からの不採用通知書の写しをこれみよがしにデカデカと掲載しており、彼等にしてみれば…してやったりなのか、単なる嫌味と皮肉なのかは定かではないが、大手リリースから見切りを付けた彼等は程無くして、後々にしてレア・アイテムとして世に残る『Boris』を自主リリースという形で決着を見る次第である。
…余談ながらも、契約不成立の書類(左からA&M、コロンビア、ワーナー)を3点抜粋して下記に挙げておきたい(苦笑)。



マーキーのアメリカン集成にて“ヨーロッパ的な美学を求めるには不向き”と紹介されているが、それは決して当たらずとも遠からじながらも、イエス+ジェントル・ジャイアントにアレアないしマグマの香りもちらほらといった感触と言った方が妥当であろうか…。
2曲目のC&W風なバンジョーの聴き処が面白い点を加味しても、まず以って素人さんな初心者的リスナーが一聴した限り、チンプンカンプンで捉え処の無い印象薄で終始するのがオチだと思う
が、一度でもその味が病みつきになると、スルメを噛む如くに聴けば聴くほど更に味わい深くなる、文字通り一筋縄ではいかないクセ者的な名作でもある。
順序が逆になるが…当初は翌76年にリリースされる筈だった『Sacred Baboon』が、我が国に初めて紹介された彼等の作品にして先の『Boris』と並んで名盤でもある。
純然たるシンフォニックとは趣が異なり、変幻自在にして捉え処の無さは相も変らずではあるものの、1stでは見られなかった整合性が感じられ、無駄な部分をすっきりと削ぎ落とし必要な部分だけを拡大発展させた感が更に強まり、本作品も名作・名演であることに変わりは無い…。
ちなみに2ndの本作品、正確に言うとマスターテープこそ完成したものの予算面(!?)の都合やら何やらで自主リリースはおろか(一応、テストプレスは行われたみたいだが)、相も変わらずリリース元やら契約面もままならず、とどのつまりが長年彼等の手元にお蔵入りしていた状態が続き、結局先にも登場したシンフォニック・レーベルの尽力で1989年に漸くリリースされ実に14年ぶりに陽の目を見た…といっても差し支えはあるまい。
とは言ってもジャケットデザインがシンフォニック・レーベルサイドによる急ごしらえみたいな感は否めなく、私自身も手にした当時は何とも形容し難い味気無さを覚えたのが正直なところである。
後年“Sacred Baboon=神聖なるヒヒ”というタイトル通り、果て無き荒野に群がるヒヒの集団が描かれた意匠に変更されたが、こちらが当初のオリジナルデザインだったのかどうかは今以て不明瞭なのがもどかしい…。
まあ、個人的には作品のイメージ通りヒヒの集団が描かれた方が好みであるが。

現時点で確認されている2枚の作品を残し、概ね80年の初頭までバンド名義の何らかの活動は継続していたものと思われるが、それ以降はバンドのメンバーそれぞれが独自の活動ないし、後進の指導に携わって、イエツダ・ウルファ自体も自然消滅し活動も幕を閉じる次第なのであるが、彼等が残した一縷の望みにも似たプログレッシヴな精神は今でも脈々と受け継がれて、メジャーなスポックス・ビアード始め再結成したハンズ、アドヴェント…等、今を生きる新進勢に託されたと言っても過言ではあるまい…。
が!しかし、アメリカン・プログレッシヴの良心的な神様は決して彼等イエツダ・ウルファを見捨てる事無く、あのカテドラル復活の時と同様、奇跡的復活のスポットライトを当てたのは言うまでもなかった。
オリジナル・メンバーが再び集結し、数名のサポートメンバーを加えた屈強のラインナップで2004年バンド再結成を遂げ、NEARfestでの復活ライヴを機に、これまで何度か新譜リリースの噂が絶えなかった彼等であったが、マーキー・ベルアンティークから紙ジャケット仕様で伝説の2作品が二度に亘り(CD及びSHM-CD化されて)見事復刻を果たした事に呼応するかの如く、再結成の同年には伝説の2作品を中心とした選曲によるNEARfest復活ライヴを収めたライヴ・アルバムをリリースし、改めてその健在ぶりを大きくアピールし頼もしさと期待感に胸を躍らせていたものの、それ以降は新作リリース関連のアナウンスメントが聞かれなくなり、実質上音信不通の状態となって実に久しい限りで一抹の寂しさは拭えないのが正直なところである…。
活況著しく新たな次世代が続々と世に輩出されている昨今のアメリカのシーンではあるが、それでも21世紀という時間軸に於いて…大御所のカンサス始め、カテドラル、ペントウォーター、スター・キャッスル、そしてイエツダ・ウルファ…etc、etc、往年の実力派グループ達が復活を遂げ、文字通りアメリカン・プログレッシヴの転んでもただでは起きない威風堂々とした逞しい精神に、聴き手側である我々は只々感服の思いですらある。
いずれにせよ…昔も今もメイド・イン・アメリカを決して侮るなかれ、軽視は禁物である事を肝に銘じておかねばなるまい(苦笑)。
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