幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 71-

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 9月終盤に差しかかり、日に々々深まる秋…プログレッシヴの秋到来に、高まる期待感で感慨深くも胸が熱くなりそうな今日この頃です。

 思えば2022年も残すところあと3ヶ月余…。
 厳しい残暑に加え異常気象と台風に見舞われた晩夏の終わりから本格的な秋への移り変わり、果ては遠い海の向こう側ではエリザベス女王の崩御という一つの時代の終焉、イタリア初の女性首相の誕生、激動のウクライナ情勢といった…まさしく着実に世界は大きく動いているという事が実感される思いさながらです。
 願わくばこれから先…どうか世界が悪い方へ転ばぬよう、慎んで心から祈りたい次第です。
 
 今回お送りする『夢幻の楽師達』は、そんな昨今の世界情勢とかなり似通っていた70年代という激動の時代に於いて、当時東西に分断されていたドイツ (当時でいう西ドイツ時代) で、一種のコミューン或いは大道芸人の域 (粋) すらも感じさせつつ、インテリジェントとクレイジーな狭間で時代を謳歌し、何者にも束縛される事なくロック=フリーダムな精神で、自ら理想とする音楽世界観で時代を闊歩した痛快極まる唯一無比の存在として認知され、今なお根強い支持と絶大なる称賛を得ている、鬼才にして奇才集団という名に相応しい“オイレンシュピーゲル”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

EULENSPYGEL
GERMANY 1971~1983)
  
  Rainer 'Mulo' Maulbetsch:Vo, Harmonica
  James "Till" Matthias Thurow:G, Violin
  Detlev Nottrodt:G, Vo
  Karlheinz Grosshans:Organ, Vo
  Cornelius Hauptmann:Flute
  Ronald Libal:B
  Günter Klinger:Ds, Per

 俗にいう70年代ドイツのロック…所謂ジャーマン・ロック=クラウトロックとひと口で述べても、その人脈やら相関図、音楽会社並びレーベルを含め、何とも複雑怪奇に入り組んだ迷宮さながらな様相を呈しており、70年代ユーロロックシーンに於いてイタリアと人気を二分してきただけの突出した個性と独創性を誇る当時のムーヴメントをここのスペースで語るには、あまりに無謀で膨大な時間と日数を費やす事となるだろう (苦笑) 。
 エクスペリメンタル、メディテーショナル、エレクトリック、東洋的思想、オカルティック、LSD含むドラッグカルチャー、サイケデリック、アヴァンギャルド…etc、etcといった多種多様なキーワードがちりばめられ、それに輪をかけてブルース系やハードロック、アシッドフォーク、クラシカルといった音楽スタイルが覆い被さるものだから、その全容は計り知れないというのが正直なところでもある。
 ストレートに解り易いイタリアン・ロック寄りだった若い時分の私自身にとって、ジャーマン・ロックとは形而上の世界と観念、幾何学的な音楽で難解といったイメージが付き纏って、二十歳前後の頃はなかなか入り込むことが出来なかった難攻不落の城塞そのものでしかなかった事を未だに記憶しているから世話は無い…。
 大御所のタンジェリン・ドリームは別格として、当時世界的に絶大なる人気を誇っていたHR/HMのスコーピオンズ、それ以前より人気と知名度を得ていたルシファーズ・フレンド、本筋のシンフォニック系プログレッシヴならトリアンヴィラート始めノヴァリス、エニワンズ・ドーターといった感じで徐々に距離を縮めて接するようになり、プログレッシヴ・ロック専門誌時代のマーキーを通じて漸くジャーマン・ロックに開眼した頃には、多少の難解なイメージこそまだ残ってはいたものの、興味を持ったアーティストや作品にはとことん自ら進んで接する様に努めていったのは言うまでもあるまい (まあ、あくまで許容範囲内ではあるが…)。
 ここでも取り挙げたヴァレンシュタインを始めネクター、フランピー、ウインド、ピルツ時代のヘルダーリンにイムティディ、自主リリース期のフェイスフル・ブレス、果ては80年代を境とするエデン、ルソー、単発系のアイヴォリーノイシュヴァンシュタインアメノフィス…etc、etcと、有名無名問わず枚挙に暇が無いとはまさにこの事であろう。
 意外と思われるかもしれないがポポル・ヴフに触れたのは30代後半、アモン・デュール (Ⅱの方ね) に接したのも50代半ばに入ってからであるから、我ながら何とも気恥ずかしい限りである。

 話が些か脱線気味になったが、そんな遅咲きめいたジャーマン系への開眼と同時期に出会ったのが、今回本篇の主人公でもあるオイレンシュピーゲルである。
 遡る事1965年…当時の西ドイツの地方都市シュヴァーベンにて結成されたサイケデリック&フリーク・ビート系を演っていたROYAL SERVANTSなるバンドが母体となっており、その時のメンバーだったJames "Till" Matthias Thurowを始め、Detlev Nottrodt、Ronald Libal、Günter Klingerが、後にオイレンシュピーゲルへと移行する事となるのはもはや言うに及ばず。
 バンド結成から5年後の1970年、ROYAL SERVANTS名義で独Turicaphon傘下のElite Specialレーベルより『We』という唯一作をリリースし、ビート系スタイルを基本にサイケデリック&アートロックな作風で、一躍ジャーマン・ロックムーヴメントの渦中に飛び込む事となる。
 セールス的にはまずまずといった感じで精力的なライヴ経験を積み重ねていきつつ、次第に知名度を得ていった彼等は、バンドの発展と音楽性含めスタイルの強化を図る上で、活動の拠点をシュトゥットガルトに移し、新たに3人のメンバーRainer 'Mulo' Maulbetsch、Karlheinz Grosshans、
Cornelius Hauptmannを迎え、1971年に7人編成という大所帯に移行し、バンドネーミングもROYAL SERVANTSから心機一転しオイレンシュピーゲルへと改名。
 同年には当時の新進レーベルでもあった目玉焼きマークでお馴染みSpiegeleiに移籍し、新たなバンドネーミングを引っ提げてハンブルク近くのMaschenスタジオで、再デヴューに向けた曲作りとリハーサルを重ねつつレコーディングに臨む事となる。
 果たしてその出来栄えは…ROYAL SERVANTS時代から一転してフリーク・ビート色は後退し、ブルース系ヘヴィロック、ハードロック、サイケデリック&アートロック…等といった、フランク・ザッパよろしくあたかも何でもありといった感のごった煮的な様相を呈しており、風刺とパンチの効いた政治的なアジテーションが見え隠れしている社会批判的な歌詞も含め、アメリカ国歌の一節をも盛り込んだ、如何にもドイツ人らしい反骨精神とでもいうのか、皮肉たっぷりな韻をも含んだ意欲作にしてしたたかな野心作に仕上がっていると言えよう。
 当初はROYAL SERVANTS名義の2nd用に使用される筈だったアルバムタイトルの『2』をそっくりそのまま引用し、かのテレ東の『モヤモヤさまぁ~ず2』ではないが (苦笑) 、こうしてオイレンシュピーゲル名義のデヴューアルバムとしてめでたく世に出る事となる。
          
 …と言いたいところではあるが、ジャケットを御覧になって既に御存知の方々も多いと思われるが、本デヴュー作が市場に出回るまでの間、とんだすったもんだがあった事も忘れてはなるまい。
 1971年当時SpiegeleiからリリースされたオリジナルLP盤では、フライパンに目玉焼きとヒヨコが乗っかっているといった、一見ユーモラスで微笑ましくもブラックジョークな感覚満載で彼等なりの遊び心に満ちた意匠ではあったが、実は本当のオリジナルデザインでは…何と!目玉焼きと一緒にヒヨコがもう一羽丸焼き (焼死体!?) の状態でそっくりそのまま添えられた、見た目にもグロテスクで悪趣味満載なフォトグラフであったのが大問題となった。
 当然の如くテストプレスを見たSpiegeleiの上層部は怒り心頭、バンドサイドと担当ディレクター、製作スタッフ全員を呼び出し「お前らは動物愛護教会に喧嘩を売ってるのか!!世間様を敵に回してんじゃねぇよ!!!!!」と言わんばかりのエライ剣幕で怒鳴りつけ、アルバムが市場に出回る前にデザインを差し替えるか修正を施すかのどっちかにしろの大号令で、写真の撮り直しが不可能である以上何とか修正を施して誤魔化す (!?) しかないという英断の許、現在みたいにパソコンやデジタル処理が無かった当時、アートディレクターは泣く泣く「ったく!余計な仕事増やしやがって…」とボヤいたかどうかは定かでは無いが、何とかヒヨコの丸焼きを丁寧にペイント処理で塗りつぶし漸く市場に流通させたのだから御苦労様でしたと言うべきなのか、何ともつくづく頭の下がる思いですらある。
          
 だがオイレンシュピーゲルの当の本人達にとっては、そんなヒヨコの丸焼きだの動物愛護だのなんてどこ吹く風と言わんばかり、我が道を行くマイペースぶりは相も変わらずといった調子で、丸焼けヒヨコが塗り潰されたという皮肉にも似た意趣返しなのか、デヴューアルバムの見開き内側並びシングルカットされた「Till/Konsumgewäsche」にて、ヒヨコの丸焼きを小さな棺に納め墓地に埋葬するといった葬式ごっこめいた写真を引用するといった悪ノリが物議を醸すのだから、もうここまで来ると匙を投げるしかあるまい (苦笑)。
 21世紀の現在ならさしづめ炎上商法だのと騒ぎ立てるのだろうが、私自身がもし当時の担当ディレクターなら失笑しながらも「おめぇら、本当エエ加減にせーよ!!」と怒鳴りつけていた事だろう、多分…。

 そんなすったもんだの末にデヴューを飾ったオイレンシュピーゲルであったが、あまりに痛快極まりない悪ノリエピソードが功を奏したのか、デヴューアルバムが評判を呼びSpiegeleiサイドにとってもかなりの合格点なセールスを伸ばし、馬鹿みたいなおふざけが悪目立ちで鼻に付くものの、ライヴでは一転して真摯に力強い演奏を繰り広げるというギャップが、彼等の心象を引き立てたのは言うに及ぶまい。
 デヴューから程無くして次回作への構想が持ち上がるのはもはや時間の問題では無かったものの、メンバーの内の誰かが言い出したのかは定かでは無いが…

 “次回作はロンドンで録ろうぜ!ビートルズのApple Studiosが良いんじゃないの…”

 といったやり取りがあったとか無かったとかはともかくとして、数日後にはほんの一時のノリとジョークで言った事が現実化し

 “おー、お前らなApple Studios行き、正式に決まったからな”

 そんな朗報というか吉報がもたらされ、冗談でも言ってはみるものだと歓喜に沸き上がる彼等は感激と興奮冷めやらぬまま、舞い上がった気分で渡英する事となる (まあ…改めて馬鹿なのか、単純なのか、純粋で利口なのかは解らないが) 。
           
 ロンドンの名門Apple Studiosにて2nd次回作へと臨んだ彼等は、デヴューから一転して心根を入れ替えたのかは定かでは無いが、自らの持てる力と音楽的素養、スキルを余す事無く心血を注ぎ込むかの如く一点集中の言葉通り、良い意味で演りたい放題に没頭し、1972年名実共に彼等の最高傑作にしてジャーマン・ロック史に燦然と光り輝く名作・名盤でもある『Ausschuss』を世に送り出す事となる。
     
 メロトロン始めシンセサイザー、果てはリコーダーにシタールまでも導入し、ジャーマン・ロック特有のカオス渦巻くサイケでシンフォニックなヘヴィロックを構築した、まさしく彼等自身にとっても面目躍如が見事に表面化された快作或いは怪作として、当時世界中を席巻していた70年代プログレッシヴ・ロックの黄金時代を象徴する一枚へと押し上げた次第である。

 …と言いたいのは山々であるが、この最高傑作の本作品に於いてもまたまた彼等は突拍子も無い事をやらかしてしまうのだから、全く以って失笑以外思い浮かべないから困ったものである。
 ジャケットを御覧になってお解かりの通り、ただ単に凸凹のダンボール紙のみを貼り付けただけで、バンド名はおろかアルバムタイトルですらも表記されていない、良い意味で現代アート風、悪い意味で手抜きとも取られかねない意匠に、Spiegeleiサイドの上層部も、購買層のリスナーサイドをも困惑させたのは言うまでもあるまい。
 賛否を招きつつも物珍しさと話題性が手伝ったのか、デヴュー作と同等のセールスを上げたものの、肝心要の彼等自身…上から叩かれ下から突かれといった負の連鎖的ジレンマ (所謂、自分達が理想とする世界観と芸術観が全く理解されない) に陥った事に加え、音楽活動に疲弊を感じていた事が起因し、『Ausschuss』リリース以降急降下の如く活動そのものを停止する事となり、挙句の果てSpiegeleiとの契約解除、入れ替わり立ち代わり繰り返されるメンバーの変動、新たなレコード会社との交渉に及ぶも契約は白紙になるという憂き目に遭い、暗中模索と紆余曲折を経て1979年…オリジナルメンバーのDetlev Nottrodtのみが残り、メンバーを一新した4人編成による布陣で自らのバンド名『Eulenspygel』と冠した3rdアルバムをBellaphonからリリースするも、ファンタジックでエロティックな感の印象的なアートワークに相反して、プログレッシヴな作風とは程遠い極ありきたりなロック&ポップスに成り下がってしまい、4年後の1983年にリリースされた実質上のラストアルバム『Laut & Deutlich』でも同傾向の作風となってしまい、かつての攻撃的でニヒリズム漂うアイロニカルな音楽世界観はすっかりと影を潜め、セールス重視とコマーシャリズムに走った挙句の果て…あまりに見るも無残な終焉となってしまった事が返す々々も残念でならない。
           
 オイレンシュピーゲルがジャーマン・ロック史の表舞台から去って以降、かつてのメンバーの動向やら何やらが、SNS全盛の21世紀の今もなお消息が分からずじまいで皆目見当が付かないのが、何とも不思議というかやるせない気持ちでいっぱいなのが正直なところでもある。
 オイレンシュピーゲル時代の過去の栄光やら何やらを完全に拭い去り、音楽活動に訣別し終止符を打った潔さこそ感じ取れるものの、そのまま極々平凡な市井の民衆となって堅気の人生を送っているのか…、或いは破天荒な彼等らしく世捨て人になったのかは神のみぞ知るといったところであるが、彼等が遺した黄金時代の『2』と『Ausschuss』の2作品がめでたくもCDリイシュー化され、新旧のリスナー問わず今もなお絶大なる支持を得ている事に加え、『2』のデザインがヒヨコの丸焼きオリジナルバージョンで完全復刻された事にあっては、さながら彼等が“ざまぁみろ!”と言わんばかりな快気炎で、未来の為に壮大なる悪ふざけを仕掛けてくれた様に思えてならない…そんな今日この頃ですらある。
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