夢幻の楽師達 -Chapter 08-
9月第三週目、今回の「夢幻の楽師達」は、栄光と挫折そして試行錯誤と紆余曲折を経て、PFM、バンコ、ニュー・トロルス…等と並び、今や21世紀のイタリアン・ロックの重鎮的ポジションを担う大ベテランの風格すら漂わせる“ラッテ・エ・ミエーレ”をお届けします。
LATTE E MIELE
(ITALY 1972~)


Marcello Dellacasa:Vo,G,B,Violin
Alfio Vitanza:Ds,Per,Flute,Vo
Oliviero Lacagnina:Key,Vo
1969年~70年代の初頭にかけて、キース・エマーソンが立役者となったナイス及びEL&Pの大躍進、加えて70年代のロックシーンを席巻したプログレッシヴ・ムーヴメントの追い風は、世界各国で幾数多ものEL&P影響下のキーボードトリオ系プログレのフォロワーを生み出したのは紛れも無い事実であろう。
ドイツのトリアンヴィラートを筆頭に、スイスのSFF、オランダのトレース、日本のフライド・エッグ、毛色は違うかもしれないがポーランドのSBBとて直接的ではないにしろ、キーボードトリオという類似点を考慮しても多かれ少なかれ意識はしていた事だろう。
そして御多分に洩れずプログレッシヴの宝庫イタリアとて例外ではない。初期のビートロック色からキーボード・トリオスタイルへ転換した大御所のレ・オルメを皮切りに、アルミノジェニ、トリアーデ、エクスプロイト、そして本編の主人公であるラッテ・エ・ミエーレも大なり小なりEL&Pに影響・触発され、活動期間が長命であろうと短命であろうと無関係にイタリアンロックの黄金時代を支えたのは最早言うには及ぶまい…。
“ミルクと蜂蜜”というお菓子的な意を持つ、ラッテ・エ・ミエーレの結成の経緯については定かではないが、各方面のレヴューないしライナーを参照した限り、1970年にジェノヴァにて結成がやはり有力筋と言えよう。
バンドメンバーの当時の年齢にあっては、眼鏡をかけた理知的な紅顔の美少年だったAlfio Vitanzaが若干16歳だったというから、Marcello DellacasaとOliviero Lacagninaもそんなに差が離れていたという訳ではあるまい。
普通ならティーンエイジャーだった彼等が(ルックスも踏まえて)選んだ道はアイドル的な売れ線ポップスではなく、迷う事無く純音楽に突き動かされたクラシカルなプログレッシヴ・ロックであったのが何とも意味深で興味深い。
そんな彼等の記念すべき1972年のデヴュー作『Passio Secundum Mattheum(邦題:受難劇)』は、ポリドール・イタリアーナからの強力な後押しと、お国柄をも反映した新約聖書の“キリストの受難”という重々しいテーマにインスパイアされながらも、リリース直後にヴァチカン市国で時のローマ法王の前で御前演奏を務めたという快挙も手伝って、爆発的大ヒットとまでにはいかなかったにせよ若手のバンドとしては異例の注目と話題を集めるまでに至った。
ヨーロッパという伝統と様式美に裏打ちされた大作主義も然る事ながら、荘厳な響きが遺憾無く発揮された大掛かりな演奏と脇を固める混声合唱団の天上のハーモニーは、あたかも“キリストの磔と復活”が目の前に繰り広げられるかの如く、後々に不朽の名作・歴史的名盤という称号を得るには余りある魅力を放っていたのは過言ではなかろう…。
デヴュー作での高評価(好評価)を得て、バンドとして大偉業を成した彼等が翌年の次回作として選んだテーマは、メンバーがオフの時にたまたまルナ・パークで観た“ピノッキオ”関連の人形劇からヒントを得たとされている『Papillon(邦題:パピヨン)』である。
前作以上にロック色を打ち出し、エマーソン影響下を感じさせるパーカッシヴなオルガンが印象的な前作に負けず劣らずな秀作に仕上がっていて、バックに配したホーンセクションも作品の世界観を損なう事無くファンタジックな人形劇を彩っているのも注目である。
旧アナログB面に収録された“悲壮”にあっては、ベートーヴェン果てはヴィヴァルディといった楽曲をロックでアレンジしつつ、クラシカルなメロディーの中にもジャズの香りがふんだんにまぶした、ラッテ・エ・ミエーレというバンドカラーならではの面目躍如が垣間見える逸曲と言えよう。
余談ながらも…『Papillon』という作品タイトルには諸説様々な経緯があり、一つは先のルナ・パークで観た人形劇からインスパイアされたという説、もう一つはかの故スティーヴ・マックイーンが主演の脱獄映画『パピヨン』からお題を拝借したという説とがあるが、今となっては最早どうでもいい事なのだが(苦笑)…。

70年代初頭にイタリアン・ロック史に刻まれる2大名作リリースという偉業を成し遂げた彼等であったが、如何なる理由かは定かではないが…翌年以降から暫く3年間音沙汰が無くなり、バンド活動失速と共にドラマーのAlfioを除き、MarcelloとOlivieroの両名が脱退し共にクラシック音楽畑へと転向し、以降2008年の再結集までMarcelloはジェノヴァの音楽大学を経てクラシックギタリストの第一人者として大成し、Olivieroはクラシックのアカデミアの教育を受けた後作曲家、編曲家、果ては映画関連のサウンドトラックやイタリア音楽業界の裏方としてシーンを支え続けた次第である。
バンドの中枢を担う両翼を失ったAlfioは、ポリドールとの契約解除後、分裂したニュー・トロルスのヴィットリオ・ディ・スカルッツィが設立した新興のマグマレーベルに誘われ、新たなメンバーとしてLuciano PoltiniとMimmo Damianiのツインキーボードに、ラッテ・エ・ミエーレ結成以前からの旧友でもあったMassimo Goriをベース兼ギターとヴォーカルに迎え、前述のヴィットリオ・ディ・スカルッツィと兄弟に当たるアルド・ディ・スカルッツィの協力を得て、1976年に通算第3作目『Aquile E Scoiattoli(邦題:鷲と栗鼠)』をリリースする。

時代の流れに相応しくバンドネーミングも若干変えてLATTEMIELE(ラッテミエーレ)と呼称し、ジャケットの意匠がややロリ好み風の下世話な心配こそあれど、過去の呪縛から吹っ切れた開放感と清々しさにも似た、純粋なイタリアン・ポップスの要素が加味された小粒ながらも垢抜けた印象の曲揃いのアナログ旧A面と、旧B面全てを費やした従来のラッテ・エ・ミエーレらしさと新たに生まれ変わった側面とが見事に結実した大作“Pavana”との対比が実に絶妙といえる会心の一枚と言えよう。
が…そんな思惑とは裏腹に、70年代後期のイタリアン・ロック衰退期に差し掛かる頃と時同じくして、バンド自体も大幅な路線変更…コマーシャリズムに乗ったアメリカンナイズな作風を余儀なくされ、キーボードの片割れMimmoが抜け、残されたメンバーで79年に新作の録音に取り組むも、悲しいかなマスターは完成すれど結局お蔵入りされるという憂き目に遭う始末である。ちなみに79年の未発音源は13年後の1992年にメロウレーベルより『Vampyrs』というタイトルでCD化され、3人のフォトグラフのみがプリントされた何ともお粗末極まりない装丁で実に痛々しい限りですらある。
時代の移行と共にいつしか人々の記憶からラッテ・エ・ミエーレは忘れ去られ、結局1980年にバンド自体も長きに亘る活動休止状態となり、唯一のオリジナル・メンバーだったAlfioも、音楽学校でドラムクリニックの講師に携わり、その一方でイタリアの音楽情報番組のMCを務めたりと半ばイタリア音楽業界の裏方的ポジションに就くようになったが、そんな彼を旧知の友人でもあるニュー・トロルスのヴィットリオ・ディ・スカルッツィの鶴の一声がきっかけで、ニュー・トロルスのドラマーとして迎えられ、二度の来日公演で精力的で元気一杯なドラミングを披露したのは周知であろう。
かつての眼鏡の紅顔の美少年も、今やニュー・トロルスとラッテ・エ・ミエーレの二枚看板を背負った白髪混じりの精悍な渋いオヤジに変貌を遂げていたのが実に印象的だった(失礼ながらも…一見すると本当にマフィアのボスみたいな風貌だから、もし実際に会ったら声を掛け難いだろうなァ)。
そんな21世紀の真っ只中、青天の霹靂とでも言うか寝耳に水とでも言うか、いつしかラッテ・エ・ミエーレ再結成という噂が飛び交うようになり、それは決して噂の域に止まらない正真正銘のアナウンスメントであり、2008年にAlfioを筆頭にオリジナルメンバーのMarcelloとOlivieroに加え、3rdに参加したMassimoとLucianoを迎えた5人編成で臨んだライヴCD『Live Tasting』は瞬く間にベストセラーとなり、ラッテ・エ・ミエーレは完全に復活の狼煙を上げたと言っても過言ではない位、実に待ち望んだ素晴らしい内容だった事を今でも覚えている。
復活の波に乗った彼等は新作録音直前にLuciano脱退というハンデを見事に乗り越え、Alfio、Marcello、Oliviero、Massimoの4人編成で21世紀の名作に相応しい『Marco Polo~Sogni E Viaggi』をリリースし、あの70年代イタリアン・ロックが持っていた熱い頃の気概と精神を呼び起こし、再びシーンに見事に返り咲いた次第である。


そして今でも忘れられない、ニュー・トロルス一派と共にラッテ・エ・ミエーレ名義による2016年川崎クラブチッタでの“受難劇”完全再現ライヴでの雄姿は、今でも昨日の事の様に私自身の目と記憶にしっかりと焼き付いており、デジタル機材諸々を含めたテクノロジー様々の甲斐あって、もう決してライヴステージでの演奏は不可ともいえた受難劇が体感出来たのは、もはや奇跡以外の何物でもあるまい…。
奇跡の来日公演から3年を経て、ラッテ・エ・ミエーレは再び沈黙を守り続けてはいるが、その一方で先月の「Monthly Prog Notes」でも取り挙げたが、3rd『Aquile E Scoiattoli』のメンバーMassimo GoriとLuciano Poltiniを中心とするラッテ・エ・ミエーレのDNAを汲んだ新バンドLATTE MIELE 2.0(ラッテ・ミエーレ 2.0)が2019年にスタートし、彼等のデヴュー作でもある『Paganini Experience』は今もなお空前のベストセラーを記録しているといった様相である。


ラッテ・エ・ミエーレが辿ったであろう幸福と苦難…試行錯誤と紆余曲折の道程は、“信は力なり!”という言葉の如く、自ずと信ずれば絶対その願いは必ず叶うという事を如実に証明した、年輪を積み重ねながらも夢を追い続ける男達が綴る終わり無き御伽話なのかもしれない。
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