夢幻の楽師達 -Chapter 10-
10月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
今回は過去に2度の来日公演を果たし、結成当初の70年代から21世紀の今日に至るまで、かのラッシュと同様、初期におけるキーボードレスという独自の一貫したスタイルから、如何にしてプログレスなスピリッツを構築する事が出来たのか?
そのサウンド・スタイルの変遷から一時的な分裂劇、そして2003年のオリジナルメンバーによる再編から今日までの道程を経て、名実共にスカンジナビアン・ロック界きってのプログレッシヴ・ハードロックの雄としてその名を世に知らしめた“トレッティオアリガ・クリゲット”に今再び焦点を当ててみたいと思います。
TRETTIOÅRIGA KRIGET
(SWEDEN 1974~)


Stefan Fredin:B
Dag Lundquist:Ds,Per
Christer Akerberg:El & Ac‐G
Robert Zima:Vo,G
今更言及するまでもないが、70年代初頭から中期にかけてプログレッシヴもハードロックも全て、(良い意味で)一括りに“ロック”というカテゴリーの枠組みで片付けられていた様に思う。
後にプログレッシヴやらハードロック、ヘヴィ・メタル、果てはグラム・ロックやらパンク、ニューウェイヴ…等と極端なまでに細分化され始めたのは概ね77年を境ではなかろうか…。
21世紀の今にして思えば、プログレとかハードロックだからといった境界線の無い、ある意味においてボーダーレスとも言えた70年代のロック黄金時代の方が遥かに幸せで自由な独創性に満ち溢れていたのかもしれない。それは…イギリスにしろアメリカにしろ日本やヨーロッパ諸国然りであるが。
そんな時代背景のさ中の1970年、北欧スウェーデンでも御多分に漏れず、首都ストックホルムを拠点にプログレッシヴやハードロックといったジャンルに縛られる事無く、それら全てを内包した独自の昇華したスタイルで真っ向から勝負を挑んだ4人の若者達…Stefan Fredin、Dag Lundquist、Christer Akerberg、そしてRobert Zimaは、“トレッティオアリガ・クリゲット=「30年戦争」”という何とも意味深なネーミングで一躍北欧のロックシーンに躍り出た次第である。

なお上記4人のバンドメンバーに加えて…正式なクレジットこそされてはいないものの実質上5人目のメンバーでもある作詞担当のOlle Thornvailだけは結成当初から滅多に表舞台やフォトグラフに登場する事無く、クリムゾンのピート・シンフィールドよろしく彼もまた縁の下の力持ち的役割にして、あくまで黒子的、バックアップ・サポーターに徹する事を信条(身上)としたかったのかもしれない。
ちなみにOlle自身、トレッティオアリガで作詞家に専念する以前はギターやハーモニカ等もプレイしていたそうな…。
バンドそのものは70年の結成当初から、殆どの作曲を手掛けるベーシストのStefanと同じく作曲兼アレンジャーのドラマーDag、作詞のOlleの3人を中心に、何度かのメンバーチェンジを経て71年にオーストリア出身のヴォーカリストRobertが加入し、そして翌72年にギターのChristerが加入して、ここに黄金時代不動のメンバーが揃う事となる。
彼等のサウンドのバックボーンとなっているのは、やはりブリティッシュ系…特に世界的ビッグネームとなったレッド・ツェッペリンないしユーライア・ヒープといったハードロックに、イエスやキング・クリムゾンといったプログレッシヴのエッセンスを融合した唯一無比の音世界を醸し出している…と言ったら当たらずも遠からずといったところだろうか。
ヴォーカルのRobertの歌唱法は、時折モロにデヴィッド・バイロン入っているところが多々あるところも注目すべきであろう。そんな強力な布陣で1974年、“30年戦争勃発”の如くバンドネーミングを冠したデヴュー作『Trettioåriga Kriget』は厳かな戦慄(旋律)と共に幕を開けたのは言うまでもなかった。
加えて余談ながらも…同年にはカナダのラッシュもデヴューを飾っている事も不思議な偶然といえば偶然ではあるが。
ブリティッシュナイズされたヘヴィなサウンドに加え、スクワイアばりのゴリゴリなベースや怪しくも幽玄で儚げなメロトロン(恐らく演奏はStefanであろう)が融合する様は、後期クリムゾンで聴かれた金属的な時間の再現…或いはイル・バレット・ディ・ブロンゾの『YS』で感じられた悲壮感そのものと言っても過言ではあるまい。
キーボードレスながらも高水準なプログレッシヴ系で思い出されるのは、イタリアのチェルベッロ始めフランスのイエス影響下のアトランティーデ、スイスのサーカスの特に2nd『Movin'On』なんて筆舌し尽くし難い音宇宙の緻密さには脱帽せざるを得ない。
それら名バンドの傑作・怪作と並びトレッティオアリガの実質的なデヴュー作も、名実共にバンドとしても北欧ロックシーンを語る上でも最高傑作でもあり名作という称号を得ているが、一部のファンの間では既に有名になっている逸話…実はデヴュー作以前にデモ・プレス製作止まりながらも72年に『Glorious War』という幻のデヴュー作が存在している事も忘れてはなるまい。
勿論、後年ちゃんとしっかりCD化されてはいるが、残念ながら今では入手困難でなかなか拝聴する事もままならないらしい、理由は定かではないが…。
文字通り衝撃のデヴュー作で初陣を飾ったトレッティオアリガの快進撃は更に加速し、翌75年には更に攻撃度と抒情性を加えて以前にも増してリリシズムとメランコリックさが際立った、前作と同様甲乙付け難い位の傑作2nd『Krigssång』をリリースし、一見地味めなカヴァーながらもスウェーデンにトレッティオアリガ在りと知らしめるには十分なインパクトを持った会心の一枚と言えよう。

しかし…これだけ精力的な創作・演奏活動をこなしてきたにも拘らず、2作目リリースを境に暫く約3年近い沈黙を守り、1978年新たにキーボード兼サックス奏者のMats Lindbergを加えた6人編成で製作された3rd『Hej På Er !』は、幾分リラックス的な雰囲気を漂わせつつ、ヘヴィでハードな要素は従来通りながらもMatsが加わった事でクロスオーヴァーな要素を融合させて新たな新機軸を模索しようとした試みは、周囲からは賛否両論の意見真っ二つに分かれ、ある方面からは時代に呼応した安易なポップ化などと揶揄される始末である。決して出来は悪くないが、明らかにバンド側の意向・思惑とファンの側が望むものとは相違の差が表面化した分岐点ともいうべき佳作である事に変わりはあるまい。

以後、バンドは時代の波に流されるかの如く、『Mott Alla Odds』(79)、『Kriget』(80)といった…次々と良くも悪くも親近感というか如何にもセールス面やらヒットチャートを意識した作品を立て続けにリリースし、その結果1981年のバンド内部分裂劇まで招き、遂には最悪バンド崩壊という憂き目を迎える次第である。リーダーのStefan自身もこの頃が一番辛い時期だったに違いない。
バンド崩壊と前後してライヴと未発表曲を中心に集めた『War Memories 1972-1981』、そしてベストセレクション的コンピ盤『Om Kriget Kommer 1974-1981』をリリースし、メンバーはそれぞれ独自の道を模索すると同時に活路を見出していく事となる。
まずリーダーでもあるStefan自身、バンド崩壊以後はソロアルバム『Tystlatna aventyr』と彼が手掛けた音楽による数々のシングルを多数収録したFREDIN COMPなるグループを結成。
ドラマーのDagは、地元のテクノポップ・デュオADOLPHSON-FALKと暫く活動を共にし、バンド解散以後はスウェーデンのジャンルを問わず幾数多のバンドをプロデュースと併行して、後進の育成並びストックホルムにてDecibel Studios と呼ばれる彼自身のスタジオとプロダクションを運営、今日まで至っている。
ギタリストのChristerはGEORGET ROLLIN BANDというロック・ブルースバンドを組みシングル1作のみを録音し、ヴォーカリストのRobertはバンド崩壊以前の1979年にグループを離れ、以降は自身の事業の傍らIN CASEと名乗る彼自身のカヴァーバンドを継続していた。
作詞担当のOlleに至っては先にも触れたStefanのバンドFREDIN COMPにて創作活動を共にし、その一方で彼自身の名義で多数もの書籍を出版。
2005年に『Lang historia』というトレッティオアリガ・クリゲットについての回顧録を出版している。
3作目から加入したキーボード兼サックスのMatsはアルバム3枚をリリースしたTREDJE MANNENと呼ばれるPockeと共にシンセ・デュオを結成。その一方で音楽学校にて講師も働いている才人でもある。
トレッティオアリガ・クリゲットという一時代を築いたバンドが、このまま“あの人は今…?”的な状態で忘却の彼方に追いやられ、人々の記憶から少しづつ消え去りつつあった21世紀。
…しかし時代の流れはそう簡単に彼等を見捨てたりはしなかった。
ロイネ・ストルトによるフラワー・キングスと再編カイパ→現カイパ・ダ・カーポへの精力的な活動に加え、後年のイシルドゥルス・バーネの世界的成功、パル・リンダー等を始めとする新世代によるプログレッシヴ・ロックリヴァイバルの気運の波は、安っぽいドラマ的な言い方で恐縮なれど再び彼等をスウェディッシュ・プログレッシヴのメインストリームへ呼び戻す事と相成ったのは最早言うまでもあるまい。
2003年、オリジナルメンバーによる突如とも言うべき…トレッティオアリガ・クリゲットの劇的再結成は活況著しい北欧のシーンにとって更なる強力な追い風となった。
同年新録音の実に23年振りの新譜『Elden Av År』、4年後の2007年『I Början Och Slutet』、翌2008年には待望の2枚組にして初のライヴCD『War Years』、2011年『Efter Efter (After After)』…と快進撃を続け、往年のハードでヘヴィな旋律の中にも怪しくも幻惑的なリリシズムに支配された、大ベテランならではの深みと味わいが堪能出来る事であろう。



文字通り“30年戦争”の看板を再び背負って復活した彼等は地元スウェーデンのみならず、アメリカ、メキシコ、他のヨーロッパ諸国のプログレッシヴ・フェスでも大絶賛と共に迎えられ、まさに向かうところ敵無しの状態と言っても差し支えあるまい。

1970年のバンド結成から順風満帆な時期を経て、大いなる挫折と苦難を味わい、そしてまた再びプログレッシヴというフィールドに返り咲いた彼等。“30年戦争”というバンドネーミングながらも、もう活動年数も早30年以上も経過してきた次第であるが、どんなに彼等が年輪を積み重ねようとも、彼等自身の闘いはまだ終わってはいないのである。
どうかもう暫く…彼等トレッティオアリガ・クリゲットの飽くなき追求と進撃を見守ろうではないか。
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