一生逸品 ATLAS
10月最初の「一生逸品」、今回お届けするのは、70年代後期の北欧スウェーデンに於いて自主リリース系のマイナー流通ながらも大きな話題を呼び絶大な人気を誇ったダイスと共に同時代のリアルタイムを歩んだもう一方の抒情派シンフォニックの雄で、ギリシャ神話に語られる地球を支える神をネーミングにプログレッシヴ衰退・停滞期という厳しい時代を生きた“アトラス”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。
ATLAS/Blå Vardag (1978)
1. Elisabiten
2. På Gata
3. Blå Vardag
4. Gånglåt
5. Den Vita Tranans Våg


Erik Björn Nielsen:Key
Björn Ekbom:Key
Janne Persson:G
Uffe Hedlund:B
Micke Pinolli:Ds
北欧プログレッシヴ=“スウェーデンがメインストリーム”といった、暗黙の了解めいた図式が大なり小なり認識されている昨今ではあるが、過去を遡れば…70年代初期から中期に於いて、スウェディッシュ・トラディショナルをベースに独特のプログレッシヴなアプローチを打ち出したケブネカイゼ始めサムラ(ツァムラ)・ママス・マンナを筆頭に、メジャーな流通で世に躍り出た本格的シンフォニックのカイパ、そしてHR/HM路線を踏襲したヘヴィ・プログレシヴ系のトレッティオアリガ・クリゲット、更にはラグナロク、ディモルナス・ブロ等が台頭していた頃であった。
その後は言うまでも無くスウェーデンの音楽シーンも御多聞に漏れず、70年代後期に差し掛かる頃にはパンク・ニューウェイヴの波が押し寄せ、そして後々にはNWOBHMの余波を受けた北欧メタルの台頭で、プログレッシヴを志す者達にとっては肩身の狭い思いにも似た苦難で辛い時代を迎える事となる。
メジャーな会社からはプログレッシヴ・ロック流通の規模すら縮小され、徐々に自主リリースとマイナーレーベルからの流通へと移行しつつも有名処のダイスを始め、ブラキュラ、ミクラガルド、80年代に入るとオパス・エスト、カルティベーター、ミルヴェイン、アンデルス・ヘルメルソン、そして今や国民的バンドへと成長したデヴュー間も無い頃のイシルドゥルス・バーネ、果てはトリビュート、ファウンデーション…等が、地道に細々とスウェディッシュ・プログレッシヴ存続の為に心血を注いでいったのである。
本文でも後述するが今日までの21世紀北欧プログレッシヴがあるのは、70年代後期から80年代にかけての受難の時代を生き長らえてきたからこその恩恵と賜物と言っても何ら異論はあるまい。
そしてここに登場する今回本編の主人公でもあり、たった一枚の作品を遺したアトラスとて例外ではあるまい…。
彼等アトラスが初めて我が国に取り挙げられ紹介されたのは、1980年5月刊行のフールズメイト誌Vol.12にて羽積秀明氏のペンによるディスクレヴューが最初であろう。
当時は少ないまでの入荷枚数に加え乏しい流通ながらも、プレミアム云々も付いていないリーズナブルなレギュラープライスで比較的入手し易かったにも拘らず、(良くも悪くも)極一部のマニアのみしか行き渡らず、結果その後の再入荷も無く物珍しさも手伝って、一見するとややニューウェイブ然とした余りに貧相な…お世辞にもプログレッシヴの作品にしては美的センスの欠片も無いジャケットの意匠とは裏腹に、その内容と出来栄えの素晴らしさに売却したり手放さなかった輩が多かった為か、一時期はダイスと並ぶ幻の逸品と称されプログレ専門店の店頭ですらもお目にかかるのも至難で重宝がられた曲者級の一枚でもあった。
仮に運良く目にする機会があっても5桁ものプレミアムは当たり前であったが故、90年代後期にたった一度だけCD化された事に心の底から現在でも有難みを痛感していると言っても過言ではあるまい。
アトラス5人のメンバーのバイオグラフィーとその後の経歴と足取りにあっては、毎度の事ながらも誠に申し訳無く恐縮至極であるが、兎にも角にも全く解らずじまいなのが正直なところである(苦笑)。
写真の感じからしてメンバー共々20代半ばから30代前半といったところだろうか…。
楽曲の構成と展開を含めたスキルとコンポーズ能力の高さ、演奏テクニックの巧さと高水準な録音クオリティーから察するに、相当の熟練者…或いはスタジオ・ミュージシャンの集合体といった説もあるがそれも定かでは無い。
彼等のサウンドを耳にする度に連想するのは、やはりイエスやキャメル…果ては同国のカイパからの影響が大きいと言えるだろう。
イエスのポップなキャッチーさとキャメルの抒情性、カイパの北欧色を足して3で割ったと音楽性と作風と言ったら些か乱暴であろうか…。
同時代性という意味ではオランダのフォーカス辺りからも触発された部分があるのかもしれない。
フィンチやセバスチャン・ハーディー、果てはクルーシスといったインストゥルメンタルに重きを置いたリアルタイム世代バンドと聴き較べてみるのも良いかもしれない。
冒頭1曲目、街の静寂それとも白夜の黄昏時…或いは雪深い森の遥か彼方から聞こえてくるかの様なピアノに導かれ、アトラスの音楽世界は静かに幕を開ける。一転してイエス調の軽快な変拍子満載なメロディーに変わると知らず知らずの内にいつの間にか貴方(貴女)達の心はアトラスの音楽の術中に嵌ってしまっている事だろう。
曲後半の如何にもといった感のキャメル風な甘美でメロウな心地良さの中にも、泣きのメロトロンに寂寥感すら垣間見える心憎さに目頭が熱くなりそうだ。
14分超えの2曲目の大曲は、これぞ誰もが思い描くユーロ・ロックの理想の形にして美意識と構築的な様式美、北欧独特のイマジネーション、クラシカルとジャズィーな側面が端々で顔を覗かせ、音楽的な素養の深さが存分に堪能出来る全曲中最大の感動的な呼び物と言えるだろう。

3曲目はアルバムタイトルにもなっている、たおやかで穏やかなフルート調のモーグに導かれ北欧の田舎町の佇まいとそこに住む人々の温もりをも想起させる優しくて心温まる、ゆったりとした時間の流れと北欧の風情と抒情美が横たわっている好ナンバー。
ちなみにBlå Vardagは英訳・直訳すると“Blue Living=青色の生活”という意である(成る程、ジャケットの色合いが淡い青色というのも頷ける。…にしても伝統ある街並みがショベルカーで壊されるイラストというのはちょっと辛いところでもある)。
4曲目は先の3曲目の穏やかさとは対を成す、幾分都会的で洗練されたポップで軽快にしてジャズィーなカラーを打ち出している。フェンダーローズの小気味良い調べが印象的で、改めて当時のアナログなキーボードの音色の良さに酔いしれてしまいそうだ。
ラストの5曲目は、モーグとローズとのアンサンブルをイントロに、ハモンド、メロトロンそしてギターと強固なリズム隊が綴れ織りの如く被さって、幾分フロイドめいたフレーズが顔を覗かせる辺りは御愛嬌といったところだろうか…。
静と動、柔と剛との対比とバランスが絶妙で穏やかさと疾走感とが違和感無くコンバインされた、あたかも天にも昇る様な高揚感が体感出来る、まさしくラストを飾るに相応しい零れ落ちる様なリリシズムと躍動感溢れる感動的なナンバーと言えるだろう。
全曲を通し聴き終えて感じられた印象は、幾分派手さを抑え比較的抑制の効いた緻密に構築された強固なアンサンブルの集合体で、誰一人として前面に出る事無く整合された秀逸な作品であるという事だろうか。
彼等が遺した唯一作のオリジナル・アナログ原盤は、私自身過去に某プログレ廃盤専門店で壁に掛けられていた現物を2度お目にかかった程度であるが、流石に中身云々までは十分確認していたという訳ではない。
後年マーキー・ベルアンティークから国内ディストリビューションでリリースされたリイシューCDにて三輪岳志氏のライナーでも触れられていたが、オリジナル原盤はシングルジャケットで、インナーバッグ(内紙袋)にプリントされた壊れたタイプライターのイラストから察するに、バンドは当初からヴォーカルレスのインストゥルメンタル指向を目指していたそうで、歌詞=言語・言葉を排するという意味合いがあの様な意味深なイラストとして如実に表れたとの事。

そういった意味合いを踏まえて、あの一見ニューウェイヴ風寄りで少々悪趣味丸出しなヨーロッパの伝統家屋ぶっ壊しのパワーショベルが描かれた淡いタッチのジャケットの意匠も、良い風に解釈すれば旧い伝統を打破して次なる新しい時代へ進もうとも取れるだろうし、悪い風に解釈すれば先の三輪氏の言葉を拝借して「明らかなメッセージの発露にして、冷徹且つ寒々しい画風・色彩。ニューウェイヴの台頭、メタル系の復興も重なってシンフォニック・プログレッシヴにとっては、あの当時の時代背景に夢も希望も見出せなかった象徴の表れ」とも取れるが真偽の程は定かではない…。
その後のアトラスの動向にあっては、メンバーの何人かが残って4年後の1982年にMOSAIKと改名し、MOSAIK名義で一枚アルバムを発表しているが、アトラス時代から較べると幾分落ち着いたクロスオーヴァー風な作品に変化したが、後年リリースされたアトラスのリイシューCDには未発表を含むプラス3曲のボーナストラックがクレジットされているが、その内の一曲にMOSAIK時代のフルートがフィーチャーされた北欧特有の泣きの抒情が聴けるのが何とも嬉しい限りである。

残りのアトラス時代で書かれた未発2曲も、もしデヴュー作の売れ行きが好調で次回作にまで話が及んでいたとしたら、この未発曲もきっと陽の目を見たであろうと思わせる位に素晴らしい内容である。
唯一のリイシューCDもオリジナル原盤と同様、21世紀の今となっては入手困難なアイテムとなってしまい、お目にかかれる可能性も比較的低くなってしまって個人的には誠に残念な限りである…。
仮にもし運良く中古盤専門店で巡り会えたのなら一も二も無く迷わず買って欲しいと願わんばかりである。何よりもボーナストラック3曲の為に買っても決して損は無いだろう!
重ねて願わくば、オリジナル原盤仕様の紙ジャケットSHM‐CDで再度リイシューして欲しいと思うのは私だけであろうか(ディスクユニオンさん、どうかお願いしますね!)。
21世紀の現在…北欧のプログレッシヴ・シーンは紛れも無く、ロイネ・ストルト率いるフラワーキングスに新生したカイパ・ダ・カーポを筆頭に、復活したトレッティオアリガ・クリゲットにイシルドゥルス・バーネ、加えてアングラガルド、アネクドテン、パートス、ムーン・サファリ…等といったスウェーデン勢を旗頭に盛況著しく時代相応のプログレッシヴ・シーンをリードしている今日この頃である。
70年代後期のかつての困難な時代を生き、北欧プログレッシヴ・ロック史の一頁に人知れず埋もれていった彼等が、今の順風満帆な昨今の北欧のシーンを目の当たりにしたらどう思うのだろうか…。
だが彼等はきっとこう言うに違いない。“自分達が遺した足跡と礎は決して無駄じゃ無かったし後悔もしていない。だからこそ現在(いま)があるのだ”と。
私だけはせめてそう信じたい思いですらある…。
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