一生逸品 PENTACLE
10月第四週目…今回「一生逸品」を飾るのは、70年代イタリアン・ロックに負けず劣らずたった一枚きりというワンオフ的な珠玉の名作・名盤を数多く輩出してきたフレンチ・ロックより、一種独特にして詩情豊かな音世界を紡ぎ、あたかも混迷に満ちた昨今の時代観を予見しながらも浄化の精神で静謐に奏で彩る、そんな意味深めいたイマージュすら想起させるアートワークに包まれたリリシズムと夢想の申し子と言っても過言では無い“パンタクル”が遺した唯一作に焦点を当ててみたいと思います。
PENTACLE/La Clef Des Songes(1975)
1.La Clef Des Songes
2.Naufrage
3.L'âme Du Guerrier
4.Les Pauvres
5.Complot
6.Le Raconteur


Gerald Reuz:G, Vo
Claude Menetrier:Key, Violin
Michel Roy:Ds, Vo
Richard Treiber:B
「一生逸品」で取り挙げてきた…否、これからも取り挙げていくであろう、数多くのたった一枚きりというワンオフな唯一の作品達…。
ことフレンチ・ロックにあっては、シーンの層が厚いイタリアン・ロックと比べてお国柄を反映している所以からか、技巧的で音の厚み云々を重視するというよりも詩的なフィーリング或いは流れるような抒情の調べを重視した傾向の作風が見受けられるというのは穿った見方であろうか(苦笑)。
ハモンドとメロトロンを駆使し古色蒼然とした時代の音ながらも大名盤という地位すら確立した感のサンドローズを始め、ダークな佇まいとアヴァンギャルドさとクリムゾンイズムを継承したアラクノイ、メロトロンにヴァイオリンといった重厚なハーモニーでシンフォニックとジャズロック互いのエッセンスを程良く融合させたテルパンドル、サイケデリックな風合いとブリティッシュナイズでフランス独特のアンニュイさを醸し出した若き日のベルナール・パガノッティとフランソワ・ブレアンの熱演が堪能出来るクルシフェリウス…決して数としては多くはないものの、それ相応に栄華を誇り時代を彩っていた“たった一枚”という自らの証と青春の記録に、私達プログレッシヴファンとリスナー諸氏は時代と世紀を越えて互いに惹かれあう様にアルバムというファクターを通じ耳にし、彼等が思い描いてきた理想の音楽世界観を共有してきた事は言うに及ぶまい。
フレンチ・シンフォニック史に於いて歌心とポエトリーなリリシズムを湛えた唯一無比の存在として名高いパンタクルの歩みは遡る事60年代末期、今やロック・テアトルの祖にしてフレンチ・シンフォ界の大御所という地位に君臨しているアンジュを輩出したフランス東部の地方都市ベルフォールにて幕を開ける。
60年代末期のベルフォールはアンジュの前身バンドLE ANGEを始め、かのパンタクルの前身バンドだったOCTOPUSが人気を博しており、ベルフォールという(良い意味で)ローカルな土地柄の所為からか、後年アンジュに参加するメンバーが出入りしたりと、いつしかパンタクルを含めた所謂アンジュ人脈一派(とでもいうのか)のバンド相関図が成り立っていたのも必然的と言えるだろう。
さて、そのOCTOPUSだが70年代初頭に地元ベルフォールで開催されたロックコンテストで優勝を飾る等の輝かしき経歴を誇ってはいたものの、いかんせんよくある話だが音楽だけでは絶対食えないというアマチュアイズムを優先しメンバー各々が定職に就いていた事もあってか、フランス・ミュージックの本拠地パリの大手レコード会社並び音楽業界関係からプロにならないかといった勧誘のオファーがあっても“僕達アマチュアですから”といった理由で一蹴するのが関の山だった様で、結局諸般の事情でOCTOPUSは1971年に解散する事となる。
OCTOPUS解散後、様々な音楽ジャンルでの活動を経てきたギタリスト兼ヴォーカリストのGerald Reuz、そしてドラマーのMichel Royはアマチュアイズムに捉われていた音楽への取り組み方を考え直し、どっちつかずで中途半端にあやふやだったミュージックスタイルから心機一転し、大成功を収めたベルフォールの雄アンジュに続けとばかり完全オリジナルなプログレッシヴ・スタイルへと意思を図り、新たなるメンバーを募って一致団結し1974年バンド名もパンタクルへと改名し再スタートを切る事となる。
同年の秋に地元ベルフォールのユースセンターにてデヴューお披露目を飾った彼等は、折しも運良くベルフォールに帰省していたアンジュのクリスチャン・デカンの目に留まり、クリスチャンからの口添えと人伝で、かの
ワーナーフランス傘下だったアルカンレーベル(後のクリプトレーベル)の設立者でもあり多方面で辣腕を振るっていた敏腕名マネージャーのジャン・クロード・ポニャンを介された彼等は、クリスチャンの鶴のひと声と鳴り物入りのプロデュースでアルカンレーベルと契約し、その後程無くしてとんとん拍子でデヴューアルバムに向けたリハーサル始め録音と製作に取り掛かる事となる。
なお余談ながらもアルカンレーベルからは1974年にモナ・リザがデヴューリリースし、パンタクルと同年にカルプ・ディアンがデヴューを飾っている事も付け加えておかねばなるまい。
絵本や童話の扉絵を思わせるカラフルな色彩を背景に、大きな鍵を抱いてさながら座禅を組んで宙に浮く御仏(仏陀?)が描かれた、何とも意味深で一種の東洋思想とオリエンタルでエキゾティックな趣とが相まったアートワークでパンタクルは1975年の5月にめでたくデヴューを飾る事となった。
技量を含め演奏力こそ及第点レベルといった課題こそ残したものの、未完の大器をも予感させるデヴュー作に見合った彼等の初々しさと新鮮な感性が際立った佳作といったところであろうか。
クリスチャン・デカンのプロデュース能力による賜物といえる部分も散見されるが故に、バンドのメンバーサイドも感謝と恩義を感じてはいるものの、下世話で余計ながらも「アンジュの弟分」的な見方と扱われ方には大なり小なり些か抵抗感はあったのかもしれない。
これでもしクリスチャン・デカンの様な専任ヴォーカリスト(欲を言えばフロントマンとパフォーマーをも兼ねた)を加えていたら、もしかしたらそれはそれでまた評価が大きく変わっていたのかもしれないが…。
オープニングを飾る冒頭1曲目、アルバムタイトルでもあり直訳通りの“夢想への鍵”というイメージに相応しく、神秘めいたオリエンタルな雰囲気をも醸し出した、如何にも日本人が好みそうなギターとストリングアンサンブルによる泣きのメロディーラインが紡がれるイントロダクションに導かれ、ギタリストのGerald Reuzの切々とした歌心と情感溢れるヴォイスにいつしか惹き込まれており、朗々たるモーグシンセサイザーの荘厳なる木霊と時折ハッとさせられるメロディーラインの転調に、フレンチ・プログレッシヴならではの深さと妙味が存分に堪能出来ることだろう。
寂寥感と荒涼たる雰囲気の海風が吹き荒れるSEに導かれる2曲目、フォーキーなアコギとモーグとのアンサンブル、憂いを帯びたヴォイスで悲哀に満ちた世界観が謳い奏でられ、いきなり堰を切ったかの如く仄暗くてミステリアスな曲調に変わり高鳴るハモンドの躍動感とリズム隊の強固な活躍が光っている。
進軍のマーチを思わせるハモンドとモーグそしてドラミングの強打によるイントロダクションが心打つ3曲目も実に素晴らしい。
ストリングアンサンブルとチェンバロ(エレピ)、そしてアコギによるヴォーカルパートはイタリアン・ロックの中堅クラスのバンドにも引けを取らない位に、心の琴線を揺さぶるであろうユーロロックの本懐たるものを窺わせ、リスナーにじっくりと哀歌を聴かせるクリスチャンのプロデュース力と手腕には脱帽ものである。
哀愁漂うアコギとモーグが導入部の4曲目、ピアノとエレクトリック・ギターソロによるバラード調へと変わるといった意外性をも孕んだ泣きのメロディーラインが何とも切なくて堪らない。
プロコル・ハルム風なブリティッシュ調の音を思わせるハモンドの残響が印象的な5曲目、ヴォーカルパートと各演奏パートとの絶妙なる応酬と掛け合いにも似た流麗なハーモニーが寄せては返す波の様にリフレインする様はもはや感動以外の何物でもあるまい。
収録された全曲中10分超の大曲でもあるラストの6曲目は、パンタクルが紡ぐ音世界の大団円を飾るに相応しいリリシズムとファンタジー、そしてプログレッシヴ・ロックの持つ美意識と詩情が一気に集約された、荘厳なるドラマティックさとエモーショナルなイマージュが聴く者の脳裏に克明且つ鮮明に刻まれる事だろう。
終盤近くにフェードアウトして締め括られる様は、あたかも夢語りの世界から現実に引き戻されて目を覚ます…そんなイメージといったところだろうか。

こうして記念すべきデヴューアルバムのリリースから程無くして始まった国内プロモートに於いて、クリスチャン・デカンのプロデュースというネームヴァリューの箔が付いた甲斐あって、演奏会場は拍手喝采の大盛況に包まれると共に、アンジュのメンバーが入れ替わり立ち替わりで飛び入り参加したりやら、果てはアンジュのライヴのオープニングアクトを務めたりといった幸運の追い風に後押しされる形で、良い意味でポッと出の無名の新人バンドが注目を集めるには申し分の無い環境が整いつつあった。
アルカンレーベルサイドの尽力でフランス国内だけで初回プレス3000枚が完売し、遠い海を越えた北米カナダのフランス語圏でも5000枚近い好セールスを記録するまでに上り詰め、こうして順風満帆な軌道の波に乗り始めた彼等であったが、昔も今も変わる事無く人は皆最良な時こそ必ず足許を掬われるもので、何とギタリストでフロントマンのGerald Reuzが件のライヴツアー中にておそらくは機材の搬入の途中で何らかの負傷をしたのであろうか、傷口からばい菌が入って(所謂破傷風ですね)しまったが為に高熱と体調不良を発症し長期の入院を余儀なくされるという予期せぬアクシデントに見舞われてしまう。
これをきっかけにパンタクルは絵に描いた様な未来予想図やら思惑とは裏腹に失速への道を辿ってしまうのだから運命とは何とも皮肉なものである…。
入院も然る事ながら一歩間違えれば生命にかかわる疾病になったとはいえ、ツアーを含め大きなロックフェスやステージ(カナダのケベック州ツアーも計画されていた)に大きな穴を空け、兎にも角にもすったもんだが重なってしまった事で(早い話、興行的にも大きな損失を与えたしまったことも含めて)、すっかりプロモーター並びマネジメントサイドとの間に大きな溝と隔たりが生じてしまい、バンドメンバーはすっかり愛想を尽かしやる気すら失ってしまう結果となってしまう。
補足をすれば…ライヴツアー中に於いてもスタッフサイドから曲が長過ぎるとイチャモンを付けられたり、ツアーにローディーを付けて貰えなかったが為に機材の撤収に至ってもバンドのメンバー自らで行わなければならなかった事も不平不満が鬱積し、加えて直接の引鉄となったのはやはりギタリストの入院と治療費は全部自腹で支払えといわんばかりな、今日のブラック企業さながらの冷たい言葉を投げつけられたからだろうか。
ただ…個人的な余談で申し訳無いが、バンドのメンバー御自ら機材を撤収するなんてそれ位は極当たり前であると思うのだが、よくよく考えたらポッと出の新人バンドがローディーを付けて欲しいなんて、些かそれは贅沢というか我が儘だと思うのは変だろうか?
昨今日本のシルエレ等で活躍するバンド始め世界中のプログレバンドの大半が機材の撤収は自分達で行うのが当然であるが故に、ローディー付けて欲しいなんて言おうものなら「えっ…何考えているの !?」と反論されるのが関の山であろうから。
話が横道に逸れてしまったが、結局バンドサイドとレーベル並びマネジメントサイドとの溝は後々まで埋まる事無く、パンタクルはたった一年弱もの短い活動期間で、1976年自らに幕を下ろしフレンチ・ロックシーンの表舞台からあっさりと去って行ってしまう。
その後のバンドメンバーの動向にあっては21世紀の今もなお消息不明のまま、どうやら居心地の悪い音楽業界とは完全に縁を切ってフェードアウトしてしまった様だ。
今となっては良し悪しを抜きに彼等はあくまでただ単純明快に音楽を心から楽しみたいアマチュアイズムのままでいたかったのかもしれない。
彼等を擁護するという訳ではないが、パンタクルというバンドにとって自らの音と言葉で夢想の世界を語るには当時のフランスのロックシーンや音楽業界はあまりにも狭すぎて息が詰まりそうな位に窮屈だったのかもしれない。
それでも、たった一枚だけ遺された…最初で最後のデヴューアルバムだけがプログレッシヴ・ロック史に永遠に刻まれただけでも唯一の救いなのかもしれないが。
あくまでフランス人らしい(良い意味で)気まぐれさと気難しさとが同居した、孤高の詩人でもあり夢想家でもあった彼等の素直且つ正直に生きた青春の証と軌跡というには、あまりにも寂しさと虚しさを禁じ得ない。
パンタクルの世界観は哀しみと憂いに満ちた孤独なる道程、決して終わる事の無い夢幻のファンタジーなのかもしれない。
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