幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 TERPANDRE

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」はユーロ・ロックファン垂涎のメロトロンとリリシズム溢れるヴァイオリンを大々的にフィーチャーし、時季を問わないセピアな暮色を音楽にしたと言っても過言では無い、抒情的で感傷にも似たヴィジュアルを聴く者の脳裏に織り成す、フレンチ・シンフォニック屈指の伝説にして唯一無比の存在として、その名を現在に至るまで刻銘に留めている“テルパンドル”に、今再び焦点を当ててみたいと思います。


TERPANDRE/Terpandre(1978)
  1.Le Temps
  2.Conte en vert
  3.Anne Michaele
  4.Histoire D'un Pecheur
  5.Carrousel
  
  Bernard Monerri:G, Per
  Jacques Pina:Piano, Key, Mellotron
  Michel Tardieu:Key, Mellotron
  Patrick Tilleman:Violin
  Paul Fargier:B
  Michel Torelli:Ds, Per

 悪夢にも似た70年代後期のかつてない位なプログレッシヴ・ロックの衰退・停滞は、イギリスやイタリア…果てはアメリカも然る事ながら、御多聞に漏れずフランス国内でもマグマやアンジュを除く殆どのプログレッシヴ系アーティストがことごとく解散或いは路線変更するしか術が無いといった、文字通り悪魔との取引にも似たいずれかの選択肢を取らざるを得なかったのは御周知の事だろう。
 アンダーグラウンドの領域へと追いやられた純粋なまでのプログレッシヴの信奉者達は、そんな70年代後期の悪夢に抗うかの如く限られた製作環境と極僅かな資金を頼りに、ある者はマイナーレーベルから、またある者はセルフレーベルを興し自主製作リリースへと移行しつつ、80年代半ばのムゼアレーベル発足までの間、苦難に耐え続け自らの夢と希望を紡ぎながら来たるべき時に向けて待ち続けたのは言うに及ぶまい。
 
 前置きが長くなったが、70年代後期~80年代初期の苦難な時代を生き抜いた多くのフレンチ・プログレッシヴの担い手達…アジア・ミノール、ウリュド、シノプシス、アシントヤ、ウルタンベール、ネオ、オパール、ファルスタッフ、ステップ・アヘッドといった70年代に負けず劣らずな一時代を築き上げた傑出された逸材を始め、聴き手側各々の好みや出来不出来の差こそあれどヴァン・デスト、イカール、ニュアンス、グリム、エロイム、マドリガル、オープン・エア、トレフル…etc、etcが百花繚乱の様相を呈していた、所謂良質で素晴らしい作品こそアンダーグラウンドな範疇にありきと言われた中で、その独特な音楽性で一歩二歩も抜きん出ていた特異な存在にして二大傑作を輩出したのが、クリムゾンイズムを継承しダークサイドな佇まいで一躍話題となったアラクノイ、そしてフレンチ・ロック特有のたおやかな抒情性を醸し出したメロトロンとヴァイオリンで注目を集めた今回本編の主人公でもあるテルパンドルの2バンドであった。

 テルパンドルの詳細なバイオグラフィーにあっては、マーキー/ベル・アンティークよりリリースされた国内盤CDのライナーにて、それ相応に詳細なバイオグラフィーがきっちりと解説されていると思うのでどうかそちらを参照して頂きたく、ここでは極々触り程度で綴っていきたいと思う。
 テルパンドルの幕開けはギターのBernard MonerriとキーボードのJacques Pinaの2人を中心に、1975年を境にリオン、グルノーヴルからメンバーが集結して誕生したとの事。
 各メンバーの音楽的なバックボーンは多種多様で、ジミ・ヘンドリックス始めジョン・メイオール、ディープ・パープル、クリーム、イエス、キング・クリムゾン、VDGG、果てはマーラー、バルトーク、サティ、バッハ、ラヴェルといったクラシック畑まで多岐に亘るが、中でもツインキーボードの片割れでプログレッシヴに造詣の深かったMichel Tardieuの存在が後々のバンドの方向性に大いに貢献していたと言っても過言ではあるまい。
 何より彼等全員とも相当なまでの手練にして一朝一夕では為し得ない熟練された音楽経験者でもあり、それぞれが長年渡り歩いた経歴が強みであることをまざまざと物語っている…。
 一日の始まりを告げる日の出の朝焼け、或いは一日の終わりを告げる夕暮れの黄昏時なのかは定かでは無いが、いずれにせよセピア色に彩られた空と水面と大地のフォトグラフを起用した、実に意味深な意匠に包まれたバンド名を冠しただけの極めてシンプルな唯一作は、人伝とコネを頼りに1978年スイスのジュネーヴにあるアクエリウス・スタジオという比較的恵まれた環境で録音された。
 ジャケットアート含め名は体を表すというが、決してメロトロンとヴァイオリンを多用した重厚なシンフォニックというだけでは収まりきれない、さながらECM系のジャズにも相通ずるヴィジョンとイマジネーションが感じられるのも彼等の身上とも言えよう。
          
 オープニングを飾る1曲目は柱時計が時を刻むかの様なカウント音に導かれ、厳かにして流麗なシンセとピアノに先導され、リズム隊、ヴァイオリン、ギターが順を追って絡む怒涛のアンサンブルで幕を開ける。
 メンバー全員によるテクニカルで力強い演奏の動的な押しの部分と、ピアノとエレピ、ヴァイオリンによるムーディーで幽玄な佇まいの静的な引きの部分との対比が絶妙且つ素晴らしいのひと言に尽きる。
 中間部から漸くメロトロンが顔を出す辺りから、これぞユーロ・ロックらしい真骨頂が垣間見えてフレンチ・ジャズロックとシンフォニックの最良なエッセンスが融合し濃縮還元されて終盤へと突き進む展開は感動以外の何物でもあるまい。
 メロトロンフルートとエレピ、リズム隊をイントロダクションに、季節感を問わない穏やかなイメージと浮遊感すら覚えてしまう2曲目の何とも甘美で抒情的、時折刹那な雰囲気すら想起しそうな、優しくも儚い季節の移り変わりを表した、まさしく“緑の物語”というタイトルに相応しい好ナンバーと言えよう。
 2曲目とは打って変わって、3曲目は同じメロトロンフルートのイントロダクションでも寂しくも物悲しさが色濃く漂っており、タイトルでもあるAnne Michaeleなる人物(女性?)の人生を物語っているかの様な泣きのメロトロンの洪水に、ピアノとシンセの印象的なアクセントが、純粋なまでの愛しさの中に誰も侵し難い気高さすら感じられる、アナログ時代のA面ラストを飾るに相応しいテルパンドル流ラヴバラードと思っても異論はあるまい。
 4曲目はセンシティヴでテクニカルな…良い意味で絵に描いた様なシンフォニック・ジャズロック調を思わせるシンセとピアノに導かれ、1曲目に匹敵するくらいに動と静のバランスが巧妙なリズミカルで小気味良いナンバーを聴かせてくれる。
 途中不穏な雰囲気を湛えたメロトロンに意表を突かれるが、美しいピアノと効果的なパーカッション群のオブラートに包まれて、さながら月光の下で真夜中の街角を彷徨う様な妖しさすら思い浮かべてしまうが、いきなり力強い演奏へと転調し終盤へと雪崩れ込む辺りは、あたかもタイトル通りのラスト5曲目へと繋がるかの如く狂ったように回り続けるメリーゴーラウンドが脳裏をよぎるそんな思いですらある。
          
 そんな4曲目の流れのイメージを受け継ぐかの如く、ラストは幾分ダークでニヒリズム漂う心象風景を構築した、ヘヴィでシリアスな13分強の大曲で、序盤に於いて不協和音的なメロトロン、ギター、リズム隊をバックにジャズィーなピアノが淡々と奏でられる様はテルパンドルのもう一つの顔というか側面をも覗かせる、別な意味で実に印象的ですらある。
 …かと思いきや、力強いティンパニーに導かれ仄明るい感のメロトロンが奏でられると何だかホッとするかのような演出に粋な心憎さをも覚えてしまうから何とも困ったものである。
 それでも淡々とジャズィーなピアノは進行しつつ、ヴァイオリンを先導にムーディーで欧州の香り漂うクロスオーヴァーな曲調へと変わり、あれよあれよという間に厳かなメロトロンの大河に身を委ねている頃には、いつの間にかテクニカルでリリシズム溢れる彼等ならではの巧妙な罠にも似た術中にはまっている思いで、何度聴いても“嗚呼!またやられた”といった感が否めないから世話は無い(苦笑)。

 これだけ高水準な演奏技量とスキル、コンポーズ能力やら録音クオリティーを含め作品を完成させたにも拘らず、その直後に記念すべきデヴュー作はリリースされる事無く、理由並び原因は不明であるが3年間もお蔵入りというか寝かされてしまった形となって、こうしてテルパンドルの作品は1981年に漸く陽の目を見る事となり(過去にプログレ専門誌及び関係各誌にて、テルパンドルがデヴューリリースした年数でそれぞれのバラつきがあったのはそれら諸般の事情が原因であると推認される)、極限られた枚数でしかプレスされなかったが為に、メロトロン入りという触れ込みと内容が高水準で素晴らしいといった評判から、世界中のプログレ・マニアがこぞって入手し、バンドの手持ち分でさえも即完売となり、以後1988年にムゼアから再プレスされるまでの間は極めて入手困難で高額プレミアムなレアアイテムとして数えられ、お決まりの如く専門店の壁に掲げられて垂涎の的へと辿った次第である…。
 バンドは78年にデヴュー作をプレス以降、ヴァイオリニストの交代と僅か数回のギグを経てあえなく解散し、内のメンバーだったBernard Monerriと数名は伝説的ジャズロックバンドVORTEXに何度か関与しギグにも参加。
 後々は解散したテルパンドルから移行してVORTEXでの3rd製作をも視野に入れた形で準備が進められてはいたものの、結局諸事情が重なり計画は頓挫しVORTEX自体も解散という憂き目に遭ってしまう。
 その後唯一判明している事といえば、オリジナル・ヴァイオリニストのPatrick Tillemanが1994年に再結成したザオの新メンバーとして招聘され新作レコーディングにクレジットされたぐらいであろうか。
 残念ながら21世紀のFacebookを始めとするSNS隆盛時代の昨今に於いてもメンバーの消息を知る由も無く、音楽から足を洗って堅気の仕事に就いたか、或いは陰ながらも音楽業界に身を置いて裏方稼業として人生を送っているかのいずれかと思えるが、21世紀という…いつ何が起こってもおかしくない時代であるが故に、いきなり突然テルパンドル再編の報が飛び込んできても、そんな想像に笑う奴もいないだろうしバチが当たる訳でも無し、僅かばかりながらも相応に期待したいところではあるのだが(苦笑)。

 世に秀でた素晴らしい音楽作品が決して必ずしも売れるとは限らないというのが、悲しいかな厳しい現実と言うべきか世の常とでも言うべきか、御多聞に漏れずテルパンドルも辛い時代に抗いながらも世に敗れ散ってしまった次第であるが、作品の高潔さとその純粋なまでのプログレッシヴな精神と魂は、21世紀というネット社会の今日に至っても未だ永久不変の如く、セピアの光沢を纏いつつも決して色褪せる事無く今もなお神々しく光り輝いている。

   “世に敗れても、高貴な魂だけは死なず生き続けている…”
  
 一部のファンからは「スプリングやサンドローズみたいに、古臭いメロトロンだけが売りの平凡なB級作品」だとか、「ヴァイオリンがポンティやロックウッドと比べたら今イチ」だとか、散々な言われようであるのもまた紛れも無い事実ではあるが、創作者を嘲り侮辱してあたかも話しのネタの如く酒席の肴にしている…そんな真っ赤な顔をして居酒屋でくだらない与太話をするだけが関の山みたいな阿呆な輩に、テルパンドルの持っている良さと本質が到底決して理解なんぞ出来はしまい…。
 だからこそ我々プログレッシヴを愛する者達は、高潔で純粋なる気持ちを持ち続けて“高み”を目指していかねばならないと思う。
          
 まさしくテルパンドルのジャケットの如く、希望の陽光を目指して終わり無き旅路をこれからも信念を持ち続けて歩んで行こうではないか。
スポンサーサイト



Zen

Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation.

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。