幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 FAR OUT

Posted by Zen on   0 

 今週の「一生逸品」は、洋楽とプログレッシヴの方法論を用いながらも日本の風土と宗教観、アイデンティティーを違和感無く見事に融合させ、唯一無比なる音楽と精神世界を遺し来世に飛翔した感をも抱かせる、孤高にして清廉なる求道者の感をも抱かせる、ジャパニーズ・プログレッシヴ史に伝説の一頁を刻みマインドミュージックの祖とも言わしめる“ファーラウト”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

FAR OUT/Nihonjin(1973)
  1.Too Many People
  2.Nihonjin
  
  宮下フミオ:Vo, Ac‐G, Shinobue, Harmonica, Moog
  左右栄一:G, Hammond Organ, Vo
  石川恵:B, El‐Sitar, Vo
  アライマナミ:Ds, Wadaiko, Vo

 色鮮やかなコバルトブルーの背景に、洗濯ばさみで留められた軍手…今となっては“嗚呼、昭和はますます遠くになりにけり”とでも言わんばかりな時代感をも象徴する(下町の安アパートの物干しにでもぶら下がっていそうな)かの如く、さながらつげ義春の漫画のひとコマにでも出てきそうな如何にもといったあの当時の空気を醸し出した何とも意味ありげで奥深く、聴く者見る者に差異こそあれど多種多様なイマジネーションすらも想起させる、日本のプログレッシヴ・ロック黎明期に於いて名実共にかのフード・ブレインの唯一作と並ぶ異色作にして快作(怪作)の称号に相応しいファーラウト名義の最初で最後の唯一作。

 私自身の頭の中で寄せては返す波の様にメビウスの輪にも似た自問自答が繰り返されつつ、毎度の事ながらも誠に恐縮ではあるが…21世紀の今となっては日本のプログレッシヴが世界に誇るなんて極々当たり前の様に認知されている昨今、(勝手な憶測の域で申し訳無いが)前世紀の…特に60年代末期~70年代なんて、日本の音楽→ロック(特にプログレッシヴ)があの当時のブリティッシュ・プログレッシヴ並びユーロピアンロック・ムーヴメントの厚く高くそびえる壁の域に辿り着こう近付こうなんて夢のまた夢、まさに暴挙にも等しい無謀な冒険で世間様から一蹴されるのがオチだったのは最早言うには及ぶまい。
 『幻想神秘音楽館』にて何度も取り沙汰されてきた事だが、世界進出を夢見て果敢な挑戦で栄冠を勝ち得たフラワー・トラヴェリン・バンドというほんのひと握りの成功例を除けば、日本ロック黎明期の大半がGS崩れの寄せ集めだのと蔑まれた見方をされ、洋楽絶対偏重主義に凝り固まった者達からは出る幕無いから引っ込んでろと言わんばかりに冷笑嘲笑を浴びせられ、当時の歌謡曲偏重の商業路線な金儲け主義第一のレコード会社やマスコミ・マスメディアからは下の下な格下扱いで冷遇されていたのが正直なところで、そんな狂気じみて馬鹿げた風潮やら偏見を覆そうと、日本のロック黎明期の有名どころで故内田裕也始めエイプリル・フールが洋楽の模倣と英語の歌詞で自らの存在をアピールする一方、エイプリル・フール解散後に細野晴臣が参加したはっぴいえんどが提唱する日本のロックは日本語で謳おうぜといった二系統(二傾倒)に分かれる次第であるが、後年登場の短命バンドのピッグは日本語も英語も両方取り入れて絶妙なバランスを保ち、歌詞やヴォーカルを排したフードブレインは例外ながらも、ラヴ・リブ・ライフ+1、ストロベリー・パス→フライド・エッグは英米に右倣えに追随し英語の歌詞で謳って、後年のジャパニーズ・プログレッシヴへの礎となるべく足掛かりへと繋げていったのが何とも実に感慨深い…。

 話がだいぶ横道に逸れてしまったが、肝心要のファーラウトに戻すと…戦後間もない1949年に長野市で生を受けた宮下フミオ(“文夫”ないし“富美夫”と漢字名諸説あるがここではカタカナで統一する)が、1965年グローリーズなるバンドで自身の音楽人生をスタートさせ、4年後の1969年ミュージカル『ヘアー』の日本版での出演を経て、バンド時代既に交流のあった頭脳警察の左右栄一を始め、柳田ヒロ・グループ、タイガース、スパイダース等で活躍し経験豊富でもあった石川恵、前田富雄と合流、宮下自らがかねてから理想とする音楽を形にすべく翌1970年のプログレッシヴ元年にファーラウトが結成される。
 ちなみにバンドネーミングの意は、様々な文献や各方面のウェブサイトから拝読した限り、60年代後期に世界を席巻したフラワームーヴメント、ヒッピーカルチャー&サイケデリックな方面で使われていたスラングな隠語で“最高!”或いは“絶頂”“ぶっ飛んだ”を表しているそうな(苦笑)。

 バンド結成後程無くして、日本国内の様々なロックイヴェントや学園祭に出演しライヴ活動に奔走する一方、デヴュー作に向けたスコアを書き溜め腕を磨きつつ、デヴューに向けた機会とタイミングを窺っていた彼等ではあったが、そんなファーラウト以外でもメンバー各々は精力的に活動し、72年宮下は旧交のあった元ランチャーズの喜多嶋修とのコラボでフミオ&オサム名義で、ワーナー/アトランティックよりシングル「百姓は楽し」とアルバム『新中国』をリリース。
 宮下自身この頃から仏教にも通ずる精神世界へと開眼傾倒し、ファーラウト唯一作のコンセプトから後々のファー・イースト・ファミリーバンド、SFを経てマインドミュージックの第一人者となるのは説明不要であろう。
 一方の左右栄一と石川恵の両名は、以前より親交のあった寺山修司氏主宰の天井桟敷の舞台や映画に音楽として参加し、ファーラウトはデヴューに先駆けて実質上の熟成と準備期間に入っていたといっても差し支えはあるまい。
 が、宮下始め左右、石川がアーティスティックで求道的な道を志す一方で、ストレートなロックを目指していたドラマーの前田との間に音楽的嗜好の隔たりが生じ、結果的に前田はデヴューを待たずしてファーラウトを脱退。
 1972年日本コロンビアと契約を交わした彼等は前ドラマー前田の後任として旧知の間柄でもあったアライマナミを迎えレコーディングを開始。
 デヴューの門出に伴い、更なるゲストサポートに喜多嶋修が琵琶を担当し、フラワー・トラヴェリン・バンドからジョー山中をヴォーカルに迎えた布陣で、翌1973年3月に待望のデヴュー作『Nihonjin(日本人)』をリリース。
 彼等のデヴュー作がリリースされた1973年はまさしくプログレッシヴ・ロック全盛の第一次黄金時代…フロイドの『狂気』空前のメガヒットを始め、イエス『海洋地形学の物語』、EL&P『恐怖の頭脳改革』といった大作主義プログレッシヴがチャートを賑わせ、果てはPFMがワールドワイドにデヴュー飾り、フォーカスがラジオでひっきりなしにオンエアされていたという、思い起こしただけでも夢の様な世の真っ只中に於いて、日本からはファーラウトそしてコスモス・ファクトリーが世に躍り出て、四人囃子が東宝映画『二十歳の原点』でサントラデヴューを飾ったりと、プログレッシヴ全盛の世の春に呼応するかの如く、まさしくジャパニーズ・プログレッシヴ・ファーストインパクトが世界に一歩近付いた証となったのは言うまでもあるまい。 
          
 前出でも触れた通り鮮やかなコバルトブルーを基調に洗濯ばさみに挟まれた軍手という、どこかしらユーモラスで一風変った現代アート風な意匠ながらも、不思議な緊迫感をも湛えた予想不可能な音楽世界に、彼等の無言のメッセージとおぼしき瞑想的な意味合いを内包した奥深い余韻すら漂わせた風体と佇まいに当時のリスナー諸氏は思わず身震いした事であろう。
 本作品正式なバンドスタイルこそ銘打っているが、裏を返せば宮下自身のソロプロジェクト的な見方捉え方も散見出来て(プロデュースも宮下自身が担当している)、ファーラウト結成以前に宮下自身がヒッピーカルチャーから会得し提唱してきた“精神と魂の解放”或いは仏法の教えでもある“俗世からの解脱”をモチーフとした、(良い意味で)紛れも無くマインド・ミュージックの元祖にして端緒と見る向きも否めない。
 気になる内容も然る事ながら、如何にプログレッシヴ全盛期であったにせよ…よもやイエスの『海洋地形学』ばりに日本のプログレッシヴで旧アナログLP盤時代のAB両面とも丸々1曲ずつというのも、快挙というべきか挑戦めいたアピール度の高みには、21世紀の今でも改めて溜飲の下がる思いですらある。
                    
 心臓の鼓動…或いは息づく大地の命の鳴動を思わせる様な残響と風の音に導かれ、38分近くに及ぶファーラウトの精神世界への旅(トリップ)は幕を開ける。
 厳粛で静謐な余韻を纏ったアコギが何とも味わい深くも奥深い、日本音楽独特のわびさびの心を内包しつつも、当時の四畳半フォークとは一線を画した、所謂洋楽演っても心はニッポンを如実に表した歌メロが深く心に染み渡る。
 エレクトリックギター&シタールによる見果てぬ悠久の無限世界を時に切なく時に力強く奏でる様は、あたかも『おせっかい』の頃のフロイドやオジー在籍期のサバスの面影すら垣間見えて、ヘヴィで不穏な緊迫感漂うリフが刻まれるパートに移行する頃には、もうすっかり聴く者の意識と魂は肉体を遊離し彼等の構築する音世界に誘われ無我と悟りの境地にも似た、光り輝く眩い神界への解脱に誰しもが目覚める事だろう。
    
 続く第二章ともいうべきアルバムタイトル曲でもある「Nihonjin(日本人)」は、雅楽を思わせる厳かな銅鑼に心と魂は鷲掴みにされ、涅槃ないし極楽浄土の遥か彼方から鳴り響いているかの如きギターとベース、そしてシタールに、幽玄な趣と佇まい…それはあたかも古事記、日本書紀、魏志倭人伝をも彷彿とさせる古代の詩情と浪漫、果ては日処国の神話の世界の入り口に決して現世の者が立ち入ってはならない、そんな神仏の世界をも覗き見る様な禁忌すら覚えてしまう。
 ドラムとも和太鼓ともつかない打楽器の古の音色にいつしか聴く者の脳裏に日本人古来の魂と血が目覚め、フロイドばりのフォーキーでたおやかなメロディーラインとヴォーカルに魂は穏やかな安らぎに満ち溢れ、ロックにアレンジされた読経の唱和に改めて日本古来からの仏教の教えでもある諸行無常をも禁じ得ない。
 終盤に向けてのハモンドと篠笛と和太鼓による雅楽な佇まいが胸を打ち、筆舌し難い感動と余韻を伴って森羅万象と精神世界への旅はこうして静かに終わりを告げる…。

 ファーラウトのデヴュー作は国内はおろか海外でも話題を呼び、上々の評判を伴って幸先の良いスタートを切った次第であるが、いつしか宮下自身の心の中で更なる高みを目指したい渇望と精神世界への希求が膨らみ始め、翌1974年あの日本のロック史上伝説にして最大最強のイヴェントとして名高い福島県郡山市開成山公園にて開催されたワン・ステップ・ロック・フェスティバルでの出演を最後にファーラウトの解体を決意。
 こうしてメンバー各々がファーラウトでの経験を糧にそれぞれが目指すべく音楽への道を歩み出し、宮下自身も程無くしてかねてから交流のあった伊藤明(伊藤祥)、高橋正明(喜多郎)、福島博人、高崎静夫、深草彰(後に観世音を結成)と合流し、ファーラウトでの音楽性を更に発展させた形で同74年新バンドファー・イースト・ファミリー・バンド(通称FEFB)を結成。
 その後の活躍は既に御存知の通り、1975年にデヴューリリースした『地球空洞説』が国内外にて高い評価を得たのを皮切りに、翌76年にはジャーマン・ロック界の大御所クラウス・シュルツをプロデューサーに迎えて2nd『多元宇宙の旅』を発表し、これからという矢先に宮下と福島の両名を残し4名もの脱退という危機的状況の中、FEFBの1stと2ndからのチョイスを含めファーラウト時代の曲のリメイクと未発表曲をカップリングしたベストアルバム『NIPPONJIN』をリリース。
 翌1977年新たなドラマーに原田裕臣を迎え、FEFBを抜けた深草をゲストに事実上のラストアルバム『天空人』をリリースしFEFBは4年近い活動に終止符を打ち、バンド解散後宮下は渡米永住。
 その後自身の腰の持病が悪化し東洋医学との出会いを契機に仏教を始めとする東洋哲学に師事し、シンセサイザーを用いたミュージックセラピーの研究で、更なる精神世界への傾倒とマインド&ヒーリングミュージックの啓発と推進に尽力。
 1980年にはファーラウト並びFEFBの夢よ今一度とばかりに数名の有志と共にワンオフながらもプロジェクトバンドでもあるSFを組んで、限定500本のカセット作品『Process』をリリース(ちなみに本作品は1998年にマーキー/ベル・アンティークより装丁をリニューアルしてCDリイシュー化されている)。
 数年後の帰国を機に、生まれ故郷の長野に音楽製作スタジオ“琵琶”を兼ねた居を構えて日本各地の仏閣や寺院でのヒーリングコンサート並び奉納演奏に多忙を極める一方、映画音楽等でも手腕を発揮してその健在ぶりを力強く証明するものの、2003年2月6日志し半ばにして肺癌との闘病の末帰らぬ人となってしまう。
 享年54歳、逝くにはまだまだ若く早過ぎるのが何とも悔やまれてならない…。

          
 最後の締め括りになるが、宮下氏亡き後…彼の歩んだ足跡と築き上げた功績は、FEFB時代に苦楽を共にした伊藤祥、喜多郎、そして深草彰によって脈々としっかり受け継がれ、日本の風土と東洋の精神が育んだマインドミュージックとして昇華され、ヒーリングの分野に於いて今もなお世代と年齢を問わずに愛され続け、時代と世紀を越えて(楽器等のテクノロジー、ソフトとハード面こそ変れど)、人々の心に平穏と癒し、安らぎと至福を与え続け今日までに至っている次第である。
 そこには紛れもなく、混迷と不穏に満ちた21世紀の世界が抱える様々なる病巣、我が国の政治不信始め一部の醜いまでの覇権争いや己の欲望にまみれた不浄にして不条理なる事象とは全く一切の無縁なる理想世界、まさしく現世から解脱し魂が解放された極楽浄土の神々しくも眩い光明にも似通った“慈愛”だけが存在していると言っても過言ではあるまい。
 いつの日か我々もその精神の高みを目指して、悟りの境地なる無限の世界へと旅立とうではないか…。

    今は亡き宮下富美夫氏の御霊に心から哀悼の意を表します。 
スポンサーサイト



Zen

Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation.

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。