夢幻の楽師達 -Chapter 19-
12月最初の「夢幻の楽師達」は、70年代の第一次プログレッシヴ・ロック黄金期の夜明け前に活躍した伝説的にして幻の存在とも言える…まさしく知る人ぞ知るサイケデリアやアートロックといった概念をも超越し、その一貫した独創的な音楽スタイルを誇りつつ、決して伝説や幻云々で済ませるには余りにも惜しまれるであろう、アートロック→プログレッシヴ黎明期に青春を捧げ一時代を駆け抜けていった“アイズ・オブ・ブルー”に今再び光明を当ててみたいと思います。
更に今週の「一生逸品」ではそのアイズ・オブ・ブルー改名後の発展的バンドとして、自らの類稀なる音楽性を一気に開花させた名匠ビッグ・スリープも登場します。
さながら前後篇スタイルでお送りする12月第一週目の『幻想神秘音楽館』をどうぞ御堪能下さい。
EYES OF BLUE
(U.K 1965~1971)


Gary Pickford‐Hopkins:Vo
Wyndham Rees:Vo
Ray“Taff”Williams:G
Ritchie Francis:B
Phil Ryan:Organ,Piano,Mellotron
John Weathers:Ds
アイズ・オブ・ブルーの名を初めて知ったのは、久々に上京した際に新宿ガーデンシェッドの林店長に勧められて購入したシンコーミュージック刊の赤表紙『#017 UK PROGRESSIVE ROCK』の92ページに載っていたのがきっかけだった。
私自身恥ずかしながら初めて見聞きする名前のバンドだったが故に、60年代末期のバンドながらもあの当時にしては一歩突出した意味深なジャケットアートの装丁に加え、何とも神秘的な響きの未知なる期待感を抱かせるには十分過ぎるインパクトがあったのも正直なところである。
ひと昔前の若い時分、クレシダ始めグレイシャス、T2、果てはアフィニティー、インディアン・サマー、スプリング、ツァール、ディープ・フィーリング…etc、etcと色めき立って、なかなか入手困難で手が出せないブリティッシュのレアアイテムに思いを馳せ、夢中になって音の想像を張り巡らせていたものだったが、今にして思えばあの当時の自分はまだ若さと情熱に任せていただけの青二才で認識・知識不足だったんだなァと反省することしきりである(苦笑)。
最もプログレッシヴ・ロック専門誌と謳っていたマーキー編集部ですらもブリティッシュ・ロック集成等で掲載していなかったのだから、当時は如何にネット等の情報網が少なく乏しく未整理だったかが伺い知れよう…。
考え方や捉え様によってはアイズ・オブ・ブルーは、所謂知る人ぞ知るまさしく“通好み”のバンドだったのかもしれない。
21世紀の今やCD化ないしダウンロードで簡単に音源が入手出来る御時世、御多聞に漏れずアイズ・オブ・ブルーもバイオグラフィーが判明し、過去に何度かブート紛い(それに近い形で2in1形式のものも含めて)を思わせる形でCDリイシューされているが、結果的にはめでたくイギリス本国のESOTERICから新規リマスターされた正規のCDリイシューが為され、ディスクユニオンを経由して国内盤がリリースされた事もあったが故、ここに改めて彼等の道程を振り返ってみたいと思う。
国内盤のライナーと解説で舩曳将仁氏が詳細に綴っているので、ここでは敢えて重複を避けて簡単に触れていく程度に留めておきたいと思う。
今更言うには及ばない話ではあるが…改めて60年代半ばから70年代初頭にかけてのブリティッシュ・ロックの奥深さとその層の厚さたるや、思っていた以上に我々の予想をも遥かに上回る迷路の如く複雑怪奇で脈々と乱立されたムーヴメントであったという事をつくづく思い知らされるのが正直なところであろう。
全世界を席巻していたビートルズ人気を皮切りに、イギリス国内でめきめきと頭角を現していたザ・フー、デヴュー間もないプログレッシヴ前夜のムーディー・ブルース、サイケデリアの新鋭として注目を浴びていたピンク・フロイド…等、ロックンロール、ブルース、ビートポップス、サイケデリックと多岐に枝分かれしていた時代から徐々にアートロック、プログレッシヴへと転換が試みられた60年代後期に於いて、百花繚乱と多種多才なアーティスト達がこぞってブリティッシュ・ロックムーヴメントで犇めき合っていたさ中、1964年南ウェールズで今回の主人公であるアイズ・オブ・ブルーの物語は幕を開ける事となる。
Wyndham Reesを始めRay“Taff”Williams、そしてRitchie Francisの主要メンバーに加えて、リズムギターのMelvin Davies、ドラマーのByron Philipsによる5人編成で、R&BをベースとしたサウンドのTHE MUSTNGSを母体とし、Byron PhilipsからDave Thomasにメンバーチェンジと同時にバンド名もアイズ・オブ・ブルーに改名し地道に音楽活動を続けるも、程無くしてMelvin Daviesがバンドを去る事となり1966年まで4人編成で活動を継続。
転機となった1966年に幅広い音楽性への転換と強化を図る上で、バンド仲間の伝でキーボード奏者のPhil Ryan、そしてヴォーカリストでギターも弾けるGary Pickford‐Hopkinsを迎え、ドラマーもDave Thomasから後年ビッグ・スリープ並びGGの名ドラマーとして名声を馳せる事となるJohn Weathersへと交代し、アイズ・オブ・ブルーはイギリスとアメリカそれぞれ質感の異なるサイケデリック・スタイルなサウンドを謳いながらも、様々な側面と多彩(多才)な楽曲センスをも垣間見せる変幻自在でカラフルなリリシズムを湛えたソフトロックやアートロック的なエッセンスをも内包し、漸く時代相応に即したバンドとしての体制を確立させる事となる。

同年彼等はイギリスの音楽誌メロディーメーカー主催のコンテストで見事に優勝を飾り、それに併行して大手のデッカと契約を交わしカヴァー曲を含む「Up And Down / Heart Trouble」でシングルデヴューを飾る事となるが、思っていた以上にセールスは記録せず、翌1967年2枚目のシングル「Supermarket Full Of Cans / Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart」をリリースするものの、これも泣かず飛ばずのセールス不振で散々たる結果に終わり、デッカとの関係も悪化し半ば放り出される様な形でマーキュリーに移籍する事となる。
ちなみに不振に終わったシングルから“Heart Trouble”と“Supermarket Full Of Cans”そして“ Don't Ask Me To Mend Your Broken Heart”の3曲が後々の2012年にスウェーデンのFLAWED GEMSレーベルから(ややブート紛いな形で)リリースされたリイシューCDのボーナストラックに収録されているので、興味のある方は是非そちらもお聴き頂きたい(苦笑)。
マーキュリー移籍後の彼等はデッカ放出という憂き目を教訓に以前にも増して精力的に音楽活動をこなし、1968年にはヘンデル作のオペラにインスパイアされたA面とビートルズ・カヴァー曲のB面というシングル3枚目「Largo / Yesterday」をリリースし、漸くある程度のセールスと知名度を得ていく次第であるが、人気に火が付き始めたと同時にフランスと日本でもB面のYesterdayから“Crossroads Of Time”(翌1969年リリースのデヴューアルバムのタイトルにもなった)に差し替えたシングルがリリースされる運びとなる。
余談ながらもビートルズナンバーの差し替えは多少なりとも著作権絡みを匂わせるものであるが、日本盤シングルの邦題「愛のラルゴ」に記されていた“アメリカの人気グループ”というくだりには苦笑せざるを得ない(イギリスのグループであるのに、当時の責任者を呼べ!と声を大にして言いたいところでもあるが)。
アイズ・オブ・ブルーに改名後、紆余曲折を経て1969年マーキュリーから数曲のカヴァーナンバーを収録した待望のファーストアルバム『Crossroads Of Time』をリリース。

それと前後して彼等のサイケなポップス+クラシカルな趣が加味された音楽センスに惚れ込んだアメリカ人名プロデューサーのクインシー・ジョーンズの招聘で映画のサントラという大仕事が舞い込むものの、結局すったもんだの挙句映画の製作がお蔵入りするという憂き目に遭う。
が、災い転じて福を為すの諺の如く少しずつではあるがフィルム関連の仕事にも携わる様になり、時の名女優ベティ・デイヴィス主演の映画ではバンドの演奏シーンでメンバー全員が顔出し出演しているそうな(残念ながら私自身未見ではあるが…)。
これをきっかけに当時のプロデューサーLou Reiznerの口利きでアメリカの某シンガーソングライターのバックバンドをも務める様になり一見順風満帆な軌道の波に乗りつつあるかと思いきや、肝心要の自らの創作活動とはかけ離れた方向性に疑問を感じたオリジナルメンバーのWyndham Reesがバンドを去り、アイズ・オブ・ブルーは残された5人で活動を継続していく事となる。
オリジナルメンバー脱退という痛手を受けながらも、それでも彼等は臆する事無く逆境をバネに発奮し同年早々と自身の代表作にして渾身の一枚となった2作目『In Fields Of Ardath』を完成させ、同時進行で4作目のシングル「Apache '69 / QⅢ」をリリースする。
2作目のオープニングを飾る“Merry Go Round”こそ、まさしくアートロック&サイケデリックの時代から70年代プログレッシヴ時代夜明け前への移行とも言うべき橋渡し的とも取れる好ナンバーで、ブリティッシュ・ロックが持つ古き良き英国伝統の佇まいと抒情性すら散見出来るクラシカル・シンフォニックポップの真骨頂とも言えるだろう。
余談ながらもこの“Merry Go Round”こそが、前出のお蔵入りになった映画のサントラで使用される為に用意されていた曲であるという事も付け加えておかねばなるまい…。
…が、運命の神様とは何とも意地悪で気まぐれとでも言うのか、“Merry Go Round”共々素晴らしい楽曲で占められた2ndも意欲的な試みのシングルも予想と期待に反して売れ行きは伸び悩み、セールス不調と商業的にも失敗という烙印を押された彼等はデッカに引き続きマーキュリーからも放出を余儀なくされてしまう…。
いつの時代も素晴らしいセンスと類稀なる才能に満ちた音楽作品が必ずしも売れると限らないのは素人目に見ても何とも皮肉な限りである。
この商業的失敗(この言葉嫌いだよなァ)でメンバーはすっかり意気消沈し、バンドとしての活動も停滞気味に陥るが、唯一ドラマーのJohn Weathersだけはメンバーを励ましつつ、個人的な対外活動としてウェールズの旧知のバンドに協力しアルバム製作に勤しみながら、先のプロデューサーLou Reizner共々アイズ・オブ・ブルーの起死回生を窺っていたが、その2年後の1971年…プロデューサーの尽力の甲斐あってアイズ・オブ・ブルーはB&Cレーベル傘下の新興ペガサスレーベルと契約を交わし、バンド名も改め新バンドBIG SLEEP(ビッグ・スリープ)として再出発を図る事となる。
…to be continued
※ 「一生逸品」BIG SLEEPの章へと続く。
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